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夜の街。
ざわついた店内。
一人で来るのは初めてだけど、場所はもう分かっているし、まあ別に問題なんてない。
交友関係淡泊で有名な俺のマスターは珍しく友達とお泊まり。
明日は絶対雨だねと思ったけど、本当に家を出る前に見た明日の天気予報は雨だった。
…何か、そうなるとちょっと可哀想な気もするが、天気じゃ仕方ない。
寧ろ、予定早まって、帰ってくるの早くなってくれた方が俺的には嬉しいし。
「鍵と火の元確認忘れんな」と「好きにしてろ」の言い付け通り、戸締まり火の元確認して外に出てみた。
あんまり外出とかされるの好きじゃないのは分かってるけど、いいよね、別に。
だってマスター留守だし…!
外出するなとは言われて無いし!
問題無い無い。

「~♪」

いつもは禁止されている鼻歌を歌いながら、表通りから一歩裏に入る。
一気に道は狭くなり、ネオンの明かりが綺麗な暗い道を少し歩くと、地下に入る小さな入口と看板があった。
入口に三人くらいの男性が立って話をしていて、塞がれてしまっている。
そう言えば、この間もそうだったっけ。
人気の店だなと思いながら、彼らに歩み寄った。

「こんばんは」
「…あ?」
「ごめんね。ちょっと通してもらっていい?」
「…」

片手を緩く上げてお願いすると、何だか妙なものでも見るように、一人の男性が一歩後退して道を開けてくれた。

「ありがとう」

お礼を言ってから、階段を下る。
古いわけでもないのにそういうアンティークなのか、ちょっと危ない編み目の階段を下りていく。
一歩一歩進むごとに、カンカン…と金属音のいい音がした。
静かに待ちかまえる不思議の国の入口のようなドアを開けると、ライトのシャワーが店内のあちこちを、ランダムに照らして遊んでいた。



Goodnight seX




「ねー。おにーさーん」
「…うん?」

急にくい…っとアウターの裾を引っ張られ、足を止めて振り返る。
おしゃれをした女性二人組が、飲み物片手に俺のことを見上げていた。
暗闇を照らすカラフルな光溢れる店内に入って十数分。
スペース的にはそうでもないはずなのに、ころころ代わる光源のせいか、何だか上手く空間を把握できなくて、探し人は未だ見つからない。
あっちこっちうろうろしてみていたけど…。
そんな俺の行動が、彼女たちの目に留まっていたようだ。

「さっきからうろうろしてるけどー…。どしたの?」
「誰か捜してるの? 彼女ー?」
「え? …ああ、いやいや。女性じゃないよ。でも、ちょっと知り合いをね。ここにいると思うんだけど…」
「えー!何、もしかしてフリーで来たの?」
「ウソでしょー!おにーさんみたいなのが一人とか有り得ないんだけど!」
「…? そう?有り得ないかな?」
「そーだよー!有り得ないよー!」
「何かさ、男友達とかなら別に良くない? 目立つところにいればそのうち会えるから、中央辺りで座ってみたらどう? 良かったら、一緒に飲んであげるし。話し相手にどうかなー?みたいな」
「え…。いやいや、悪いからいいよ。そんなこと」

せっかく友達同士で遊びにきているところを、見ず知らずの俺の為に迷惑なんてかけられない。
片手を上げて首を振ると、何故か二人とも揃って吹き出した。
…な、何で笑われるんだろ?
何か変なことしたかなあ。
日常あんまり女性と接する機会が少ないから、ちょっと気後れしてしまう。
上げた片手に、対峙している一人がするりと手を添えた。

「ちょ、おにーさんマジで可愛いんだけど!悪いからとか、ウケるー!」
「何かさ、もしかしてあんまりこーゆーとこ来ないタイプ?」
「え? え…?」
「ねーもーさ、取り敢えず座ろうって。疲れちゃうし」
「大丈夫、別に取って食わないから」
「と、取って食う…って?」
「そうそう。セクハラくらいはするかもしれないけど」
「うっそ、ヤダー。止めなよー!かわいそーじゃん!」
「ちょ、ちょっと待って。俺別に座るつもりは…!」
「まあまあ、いいから。おいでおいで」
「お酒とか飲む? 何が好きなの?」

腕を引っ張られ、ついでに背中を押されて、必然的に足が前に出てしまう。
ちょ、ちょっとちょっと…。
困ったなぁ。
座ってお喋りとか、するつもりは無いんだけど…。

「あ、あの、俺本当に…。……あ!」

しどろもどろで上げた視界に、ぱ…っと一瞬反応する。
…今、視界に目的があった気がする。
一瞬遅れてスキャニングすると、視界の悪い闇の中の人垣の向こう…。
バーカウンターに、目的の対象人物を察知できた。
あの目立つ髪色は間違わないぞ。
慌てて、でも乱暴にならないように腕に添えられている細い手を取るようにしてやんわりと離してもらう。

「ごめん。ちょっとごめんね。いたから、探してる人…!」
「あ、ちょっと…!ウソでしょ待って!」
「ホントごめんね!また後で!」
「じゃあその人とも一緒に飲もうよー!」

好意で親切にしてくれた彼女たちから逃げるのは申し訳ないけど、人垣を割って、ばたばたとカウンターに近づいた。
背中を向けてカウンター端で飲み物を飲んでいる肩に、後ろから飛びつく。

「勇馬くん、みーっけ!」
「…!」

今まさにグラスを口に持っていこうとしていた勇馬くんの肩がびくっと強く強張った。
ざ…っと、一瞬の間に素早く振り返って、同時に首に回した俺の手首の片方をぐっと力一杯握ったが、振り返った目が合った途端、その手はすぐに緩んだ。
少し驚いた顔で俺を見返す。
…うんうん。驚いてる驚いてる。
今ちょっと目が怖かったけど、今はいつもの勇馬くんだ。

「…おにーさん」
「やっほー。こんばんは!」
「…。どしたの?」
「あー!いたいた!おにーさーん!」
「フツー女置いて逃げるー!?据え膳でしょー!」
「ありゃ…」

俺を背中に背負ったままグラスを置いた勇馬くんがそう尋ねたタイミングで、さっきの女性二人が俺を追って来たらしい。
でも、もう勇馬くん見つかったし。
"見つかったから大丈夫だよ"と伝えようとしたけど、俺がそういう前に、彼女たちが急ブレーキでもかけたみたいに足を止めた。
キュ…と、小さく床が鳴る。
それから、探していたらしい俺ではなくて、勇馬くんを見た。

「あ…。ゆ、勇馬…」
「…」
「え…。何。おにーさんの知り合いって…勇馬?」
「…?」

さっきみたいな元気な様子を顰め、二人で顔を見合わせたりしている。
…顔見知り?
あんまりいい顔見知りではないみたいだけど…。
そう思っていると、不意に腕の中で勇馬くんが再度俺を振り返った。

「…おにーさん、どっちかタイプ?」
「え?」
「どっちかと話したいの?」
「いや…。えっと…可愛らしいとは思うけど…。俺、勇馬くんに会いに来たわけだし…」
「…だってさ」

俺の言葉を受けて、投げやりな調子で勇馬くんは彼女たちへ顔を向けた。

「どっか行けよ」

 

 

 

 

 

勇馬くんは、彼女たちを追い払った。
…。
…うん。
"追い払った"で表現は間違ってないと思うな…。
ちょっと冷たいような気がするけど…助かったのは事実…か。
…うーん。でもやっぱりちょっと、きつかったんじゃなかろーか。
悪かったなぁ…。
釈然としない申し訳なさを感じていると、カウンターの内側にいる勇馬くんのマスターさんが綺麗な真っ青のサイダーを出してくれた。
炭酸の気泡が夜に瞬く星のように見えて綺麗だ。
有難く頂戴する。

「…で? どしたの」

隣で頬杖を着いて、勇馬くんが改めて俺に聞いた。
薄暗い店内で見ると、外で会う時とは随分印象が違う。

「急にごめんね。時間出来たから、遊びに来てみたんだけど。…ほら。夜は殆どマスターの店にいるって言ってたし」
「一人で来たの? あの男は?」
「俺のマスター? 今日は友達と旅行中」
「…。へえ」

眠そうな声で相槌を打って、頬杖ついでに自分のピアスを少し弄りながら、間を置いてまた視線を俺に向けた。

「…あのさ。今度来る時は、入口んとこで俺に電話してよ」
「何で?」
「おにーさん目立つっつってんじゃん。俺迎えに出るし。…今日みたいなの、うざいっしょ」
「いや、でもさ。さっきの言い方は冷たいと思う。もーちょいソフトに言わなきゃ、傷付けちゃうしさ」

俺が主張すると、勇馬くんは面倒臭そうに溜息を一つ吐いた。
たったそれだけで、話は続く。

「…まあ、今日一晩俺の隣に座ってりゃ、顔覚えられるとは思うけどさ」
「さっきの女性たちと喧嘩でもしてたの?」
「別に。あいつらとはしてないよ。…あいつらの連れが店で騒いだことあって、ちょっとのしただけ」
「のした?」
「…ちょっと"注意"しました」
「へー」

それで勇馬くんに苦手意識が生じているんだろう。
店内で騒いじゃ駄目に決まってるし、そこは仕方ないか。
お陰で俺も助かったし。
カウンター内側でグラスを磨いている勇馬くんのマスターさんに顔を向ける。

「凄いですね、勇馬くん。歌も用心棒もできて」

言うと、マスターさんはちらりと俺を見た。
いつもと変わらない無表情に見えるが、目元が柔らかくなっていたのを見逃さなかったし、その証拠に小さくて可愛いお皿に乗った三粒のチョコレートを俺に出してくれた。
銀のお皿まで冷えていて、口の中で甘く溶ける。

「あのさ、おにーさん」
「うーん?」
「遊びに来てくれたのは嬉しいけど、場違いだから。早く帰りなよ」
「えー。ひど。勇馬くんクールー」
「…」
「いつもは遊びに来てって言ってくれるのに」
「だってさっき絡まれてたじゃん」
「誰が? 絡まれてないよ。俺が一人だったから話し相手になってくれようとしてたんだよ」
「…。本気?」
「何が?」
「…」

聞き返すと、勇馬くんは溜息吐いて明後日の方向を見てしまった。
…何だか今日は不機嫌っぽいな。
なので、彼を間に挟むのは止めて、直接マスターさんへお願いすることにする。

「ねえ、勇馬くんのマスターさん。今晩御世話になってもいいですか?」

両手をカウンターに添えてぱっと彼の方を見上げ、強請ってみる。
さっきと同じようにちらりと俺を一瞥して、たっぷり間を置いてから彼は口を開いた。

「…私は、構わないよ」
「いえーい!」
「おいおい…。つーかウチ泊まれるとこ無ェし」
「お前がソファで寝ればいいだろう。…独りが嫌なんだろ。KAITOくんは」
「あはは…。ええ。実は、そうなんですよ。家に誰もいないし誰も帰って来ないって分かってるの、何だかとても寂しくって。明日帰って来なかったらどうしようとかね、一人だとどうしても考えちゃうし」
「…」
「あ…!でも、俺がソファで寝るんで。そこはお邪魔する側として、当然に」
「いや…。客は持て成すものだよ。…なあ?」

マスターさんががちらりと勇馬くんを見る。
彼は少しの間マスターを睨んでから、また小さく溜息を吐いた。

「…まあ、おにーさんの好きにしたら」
「よっし!じゃ、お邪魔します!…やった。嬉しい。あはは、よかったー」
「…」

もらった炭酸水を飲みながら、内心心底安心する。
…今晩は、マスターは帰ってこない。
誰も来ない。
誰も帰ってこない部屋は無音で耳が痛くなるし平衡感覚が狂うし、誰も帰ってこないドアなんて、視界に入るだけで嫌だった。
誰もいない場所の俺なんて、存在しないも同然だ。
一日、誰にも運行を確認されないなんて、まるで機能停止してるみたいだし。
…気が抜けて、頬杖付いてぼけー…っと炭酸の気泡を眺めていると、不意に視線を感じて目線だけ横へ流す。
淡々と、勇馬くんが俺を見ていた。

「…。じゃ、歌う?」
「え…?」
「ステージで。…あいついないし。寂しいなら、俺とハモれば」

言うだけ言って、カタ…と音を立てて席を立つ。
そのままざくざく人混みを割ってカウンター奥にあるステージ裏に行く背中を追って、慌てて俺も席を立った。
でも、立ったまま数秒固まる。
…い、いやでも、いいのかな。
萩原に見つかると、怒られるし、勝手にそんな…。
おろおろしていると、マスターさんが顎でステージ裏を示した。

「付き合ってやってくれ。…萩原君には黙っておくから」
「あ…」

その一言がぽんと背中を押して、俺は爪先を奥へ向けた。
…本当は、俺だって歌いたい。
可能ならば、毎日毎日、歌ってみたい。
俺のマスター、萩原は、決して性格が悪い訳じゃないけれど、VOCALOIDに興味が無い。
俺の歌どころか、鼻歌まで嫌いだし。
「歌うな」という大好きな人の言葉を振り払うのは、心が痛い。
…でも、寂しい。
心細い。
マスターと距離があるこんな夜は、自分の存在がふわふわしている。
誰かと声を重ねたい。

「ぁ…。じゃ、じゃあ…。えっと、一曲だけ…?」
「ああ。…宜しく」

初めて見るマスターさんの笑顔(…といっても口角を少しあげるくらいだけど)に見送られ、俺も勇馬くんの後を追って、逃げるように裏の部屋へと駆け込んだ。

 

 

飛び込んできた俺に少し驚いて、勇馬くんが本日初めて少しだけ笑った。
カウンター内側から店の照明は操作できるみたいで、俺たちが裏に入ってすぐ、じわじわと灯りが落とされていく。
曲は…たぶん、イントロ流れれば歌えるものを選んでくれるんだろうから、大丈夫だろう。
部屋の端に放置されているマイクとスタンドの用意をしながら、背を向けた勇馬くんが言う。

「おにーさんってさ、ナイーブだよね。意外と」
「意外とぉ?」

ナイーブですよ、俺は。たぶん。
…でもそれを正面から認めるのが嫌で、わざと冗談めいて聞き返す。
一瞬、勇馬くんの背中から気が抜けた。
たぶん、軽く笑ったのだろうと思う。
…で、肩越しに振り返る。

「寂しさなんて、俺がぶっ飛ばしてやるよ」
「…。ホントに?」
「ほんと」

素っ気なく言い放ってくれる。
…格好いいなあ。
そーゆーとこ凄いよね。
俺にはない個性。
スタンドの高さを合わせている彼の背中に小さく笑う。

「おーう、カッコイー勇馬くん。惚れちゃいそ~う」
「そう?」
「お…っと!」

ぽいっとマイクが投げられて、何とか受け取る。
屈んでいた勇馬くんが背を直して、俺を振り返った。

「じゃ、惚れなよ」
「…。ん?」
「ほら。行こ」
「え? …あ、ちょっと待って!スタンド一個持つよ…!」

両手にスタンド持って歩き出した勇馬くんに、慌てて俺も駆け寄り、そのままステージ上へと出る。
灯りの落とした店内は殆ど見えなくて、ステージ上を準備の為に灯っているぼんやりとした藍色の光だけが包んでいた。
形式張ったものは何一つない。
歌いたい人が歌いたいものを歌うこの小さなステージが、どんな揺りかごよりも安心する。
…スタンドを準備して、マイクをセットして。
ぽつん…と無心で浸っていた俺に、勇馬くんが横から告げた。

「…。あのさ、ハーモニーってさ」
「うん?」
「ガチで入ると、セックスっぽいよね」
「…」

きょとんとする。
…普通は、ぶっ飛んだ言葉に聞こえるのだろうか。
VOCALOIDの感性なのか、それとも俺個人の感性なのか…。
分からないけど、俺には、彼の言っていることに賛同できた。

「…うん」

ぼんやり、同意する。

「そーかも…」
「はは…っ」

隣で、勇馬くんが、珍しく擽ったそうに、無邪気に短く笑う。
…かと思ったら、まるで打ち合わせの一環のように自然な動作で、内緒話のように俺の耳元に口を寄せた。
高い鼻先で俺の髪を割って、落ち着いているけど太くなりきれない、甘い低声が小さく囁く。

「…かわい。にーさん」
「…」

 

いつの間にかバーに出入りしているらしいピアニストの人がいて、流れるメロディが始まった。
反応する暇もなかった。
生物が呼吸するように、留まらない音に引っ張られるように、喉を振るわせ歌を歌う。
歌を歌う。
聞いてくれる人がいる。
俺がここにいると、声の届く範囲に主張ができる。

今まで意識したことは無かったけど…。
声が重なる時に四肢に走る痺れるような微量な電気は、彼の言うとおり、快感と呼ぶべきなのかもしれない――。



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KAITOさんは早朝の青鳥、勇馬君は夜のキャンドルなイメージがあります。
勇馬君に歌わせてあげたいよう。
絵も描きたいよう。
2013.12.12





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