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「わ…!」
「おっと」

空いたテーブルを片付けていた時。
布巾でテーブルを拭く為に屈んでいた腰を戻した直後、とん…と誰かにお尻がぶつかった。
慌てて振り返ると、背の高い男性客が一人、僕の後ろを歩いて通ろうとしていたところのようだ。
一度見たら忘れない整った面立ちと華やかさ。
あ、この人…。

「あ…。すみません」
「こちらこそ失礼、タフボーイ」
「わ…っ」

指先でちょんと僕の鼻を突くと、微笑して、彼はそのままトイレの方へ向かっていった。
…えっと。
月山さん…だっけ?
この間、お店にきてた人だ。
喰種の人。トーカちゃんが嫌いって言ってた。
来てたんだ…。
気付かなかった。
さっきまではいなかったと思うけど…もしかして、今来たばかりなのかな。
それにしても…。
今さっき触られた鼻の頭を片手で押さえ、ふう…と肩を落とす。
鼻ちょんとか、初めてされた。
…うん。気障な人だなあ。
トーカちゃんと合わないわけだ。
今、彼女がいなくてよかったかも。

「4番テーブル、空きました」
「ありがとう、カネキくん」

食器を片付けてカウンターの上へ置くと、マスターがにこにこと受け取ってくれた。
最近、何とかお店でのミスも少なくなってきたような気がして、ちょっと嬉しい。
一瞬月山さんのことをマスターに言おうかどうか迷ったけど、入ってくる時にお客さんの顔は僕以上に見ているだろうし、この店では喰種のお客さんは珍しくない。
言うほどのことでもないだろうし、もう来ていることは知っているんだろうな…。
そう思って、マスターへ特別何か言うこともしなかった。

この時の僕の彼に対する印象は、背が高くてシュッとしていて、格好いいけどちょっと気障な人…という、極々自然なものでしかなかった。


彼のカフェの楽しみ方




今日は元々お客さんが少ない。
平日の午前中だし、朝一番で珈琲とマスターとの会話を愉しみにやってくる常連さんが帰ってしまい、お昼まで一段落する時間帯でもあるからだけど…。

(何だか、それにしては急に空き席が増えたような…)

別のテーブルの食器を片付けながら、ぼんやりそんな感想が浮かんだ。
入店して日が浅い僕にはいまいち人間のお客さんと喰種のお客さんの区別がつかないのだけど、さっきまでいた数人のお客さんは喰種だったように思うんだけど…。
何故だか、みんなそれとなく帰ってしまった。
…まあ、楽でいいんだけど。
もう少ししたら入見さんとかも来るけど、元々この時間帯はフロアが僕だけで十分な混み具合だし。
時間があったら、マスターに珈琲の淹れ方も教えてもらえるかも。
この間教えてもらったところ、見て欲しいし。
これを片付けたら聞いてみよう…なんて思っていたけど。

「君。ちょっといいかな」
「あ、はい…!」

時間があったら…なんて考えていたけどそうそう上手くいくことはなく、食器を下げていた僕を例の月山さんが片手を上げて呼んだ。
すぐに行きたいけど両手が塞がっているから、急いでトレイをカウンターへ置いて彼の元へ向かう。

「お待たせしました。ご注文ですか?」
「ちょっと聞きたいのだけれどね」

開いたメニューを持っていた両手のうち、片手でそれとなく横髪を直しながら穏やかな目で僕を見る。
やっぱり気障な人だなぁと思うけど、それが似合うから許されるんだろうなぁ…。
長い指が、開いているメニューの一部分に触れる。

「これって、どういうコーヒーなのかな?」
「どれですか?」

そうは言われても、僕の立ち位置からでは彼の指先が見えない。
テーブルの上にメニュー表を広げてくれればいいのに…などとそこまで考えず、ひょいと月山さんの傍へ移動して、彼の隣でメニュー表を覗く。

「これ」
「あ、はい。ボルジアですね。…えっと」
「あまり聞かないね」

数ある珈琲メニュー。
最初はメニューを覚えるまで大変だったけど、知らない世界が知れて途中から面白くなってきた。
だから今は、大体のことは答えられるつもりだ。

「チョコが入っていて、柑橘のフレーバーがある珈琲です」
「へぇ…」
「甘みが強いので好きずきなのですが、特に女性に人気です、けど……?」

説明途中で、月山さんがちょいちょいと指で僕を招く。
この近距離で招かれ、何だろう…と身を屈ませて彼へ耳を澄ませた。
開いたメニュー表で口元を隠し、ぼそ…と月山さんが僕へ耳打ちする。

「喰種用はあるのかな?」
「え、あ…」

近い…。
男の人に耳打ちされるってあんまりないせいか、耳元の深い声に一瞬ぞくっとした。

「え、とぉ…」

心持ち身を離しながら考えてみる。
…喰種用。
どうなんだろう。
今までメニューを取った喰種の人は、大体ブラック珈琲を注文しているし…けど、カウンター内側に喰種用の砂糖みたいな甘味調味料はあるみたいだったし…。
即答できないや。

「…すみません。聞いてきますので、お待ちいただけますか?」
「お願いするよ。すまないね」

月山さんが僕の肩を叩く。
ぽんっというよりは、ぺと…という触り方が独特な人だ。
掌大きいな、この人。
…けど、何で僕今触られたんだろう?
どこか腑に落ちない違和感を感じながら、屈めていた体を正してカウンターへ向かおうとすると、踏み出した足に抵抗を覚えた。
ん?…と思って何気なく足下を見れば、ギャルソンエプロンの紐が緩んでしまっていたらしく、外れかけている。

「あれ…?」
「ん? …ああ。紐が緩んでいたのかい?」
「そうみたいです…。…あれ? 紐…」
「これかな?」

わたわたと紐の先を探していると、月山さんが二本のうち一本の先を抓んで持ち上げてくれた。
ありがとうございますと受け取るつもりが、座ったまま、彼が僕の背中へ掌を軽く添える。

「結んであげよう」
「え、いや。大丈夫で…」

大丈夫ですと断るつもりが、僕の返事を待たず垂れていたもう一本のエプロン紐を見つけた月山さんが、動いているうちにベルトの上に浮いていた僕のシャツの余りを指先でパンツの中に入れてから紐を一度広げて巻いてくれた。
後ろで一度交差させて…。

「こっちを向いてごらん」
「あ、はい…」

言われるままに反転する。
座っている彼の正面に向かい合うと、腰の所でてきぱきと月山さんが紐を結んでくれた。
…男の人なのに、睫長いなぁ、この人。
影ができてる。
斜め上から見下ろすと、また人は違う印象だ。
男友達もあまり多い方とはいえないから、こんなに人に接近されるのは久し振りな気がした。
器用な人なのか、僕が結ぶより結び目が綺麗だ。
ぼけ…と眺めていると、最後に両手で腰の左右に触れ、エプロンの高さを水平にまでしてくれたらしい。

「…うん。パーフェクトだ」
「あ、ありがとうございます…」
「どういたしまして。…おっと。タイも曲がっているかな?」
「…!」

両手が伸びてきて、僕の襟に触れる。
まだ喰種に対して完全に恐怖心が抜けていないから、一瞬首が絞められるのかと思ったけど、こちらも形を整えてくれた。

「すみません。ありがとうございます」
「いいや。僕が気になっただけだからね」

朗らかな笑みのまま、月山さんが軽く右手を上げる。
注文なんだっけ…とか思って、まだオーダーすら取っておらず、質問をもらっていただけだったことを思い出した。
顔は知っている人とはいえ、お客さんに服装直してもらうとか、何してんだろう僕。

「あ、じゃあ…。聞いてきますね。お待ち下さい」
「ゆっくりでいいよ。僕も少し席を立つから」

そう言って、月山さんは席を立つとトイレへ向かっていった。
…さっきも行ってたような気がするけど。
まあ、電話とかってこともあるか。
…それにしても、人の服装にまで気がつくなんて、やっぱりファッションとか気にしている人は違うんだな。
妙に感心してカウンター傍へ戻る……と。

「…バカネキ」
「あ、トーカちゃん」

いつの間にかトーカちゃんの出勤時間になっていたらしく、彼女が片手をカウンターに添えて半眼で僕を睨んでいた。
いきなり不機嫌…だね。
どうしたんだろう。

「おはよう」
「はあ? おはようじゃねーよ。…何。何でそんな抜けてんの、アンタって」
「…? 何が?」
「あんなフルコースでセクハラ受けてくるとか、なかなかできねーっつーの。軽く尊敬すんわ」
「セクハラ…?」

トーカちゃんが何を言っているのかよく分からない…けど、たぶんさっきエプロンを直してもらったことだろう。
何だろう。セクハラに見えたのかな。
月山さんが僕に?
男なんだけど、僕…。
どんな想像ですか。
情けなく思いながら苦笑する。

「エプロンの紐を直してもらっただけだよ。…すみませんマスター。質問いいですか?」

腕を組んで呆れ顔をしているトーカちゃんの横を通ってカウンター内側にいるマスターへ尋ねに行く。
結果的に、喰種用のボルジアは無かったわけだけど…。
それを伝えようにも、月山さんはなかなか席に戻ってこなかった。

「…どうしたんだろう。お腹壊してたのかな。そんな感じじゃなかったけど」
「だから、抜いてんだろ。最悪。次のトイレ掃除はアンタがしてよね」
「抜……って、そんなわけないじゃないか。…ていうかトーカちゃん、女の子なんだからさ…。あと飲食店だし…」

霰もない彼女の言葉に、僕の方が恥ずかしくなって俯いてしまい、ひっそりと溜息を吐いた。
…一番最初にやたら見られて匂いはかがれたけど、落ち着いていそうだし、そこまで妙な人には見えないけどな。
トーカちゃんは特に気性が激しい方だから、人の好き嫌いも激しいんだろう。
確かに、ちょっと個性的な人だしな。
そう思って、一方的に嫌われてしまっている月山さんへ少し同情した。

 

 

 

僕の彼に対する印象は、最初決して悪くはなかったんだ。
…が、そんな僕の印象が180度変わるまで、残念ながらさして時間はかからなかった。



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カネキ君が普通にバイトしているとき。
無防備カネキ君だとセクハラし放題な気がします。
まだ猫かぶっている時の月山さんとのデートシーンが結構好きです。
2015.4.18





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