運命の出逢いを果たした。
あの瞬間的に四肢に響き渡り脳髄まで届くかの如き豊潤な香り。
彼と出会ったその瞬間から、僕は随分と忙しい。
名前はすぐに分かった。
金木研――。
カネキくん。
さっぱりとした、油分のないとても響きの良い名だと思う。
同胞らしいが、どうにも気に入ってしまった。
彼はいつもどんなものを食べているのだろうか。
僕と好みは似ているかな。
その辺の人間よりもよっぽど甘美な香りだ。
是非とも食べてみたい…!
…という欲求が先走り、少し早計が過ぎたのだろう。
情報もままならないうちに"レストラン"へと招いてしまったけれど、とんでもない。
大失態だ。
隻眼の喰種だなんて…そんな希な食材だとは思いもしなかった。
隻眼の喰種の血肉…。
一生に一度出逢えるかどうかの代物だ。
ああ…。こんなにもレアなもの、誰にも渡したくはない。
カネキくんを最高の状態で食すためにも、まずは彼のことを知らないと話にならない。
何よりも情報だ。
まずは現在の肉質のチェックをしたいし、それから眼球の色ももう少し近距離で見てみたい。
血中の成分も気になるし、可能なら少し手元に置いて飼育管理をしたいくらいだ。
食べ過ぎないようにだけ気を付ければ、喰種なのだからいつまででも食せるかもしれないじゃないか。
隻眼の喰種という希少種の食材が、いつでもいつまでもいつまででも!食せる!!
なんて夢のようだろう。
…とはいえ焦ってはいけない。
ミスは二度と犯したくない。クールにいかなければ。
けれど常に用意は必要だ。
そういうものだろう?
だから、
"もしも彼が、我が手中にあるとしたら"――。
「ふぅ…。…部屋はこんなものかな」
ぽん…とフランス製の二つめのクッションをベッドに置いて、腰に片手を添え改めて部屋を見回す。
我が家で三番目に広い部屋。
放し飼いにするつもりはないが、ストレスを与えない程度に活動エリアは取った方がいいに決まっている。
壁は分厚く防音。
窓はあるが開かず、何なら特別製の硬度ガラスだ。
割るのにはちょっと苦労する。
ドアは外側からの施錠が可能で、ボタン一つで電流も流れる優れもの。
デザインもなかなかだ。
…片膝を乗せていたベッドから足を下ろし、顎に片手を添えてぐるりと部屋をチェックする。
寝具一式はフランス製で揃えた。
カネキくんは、あまり華やかなものよりは上品で落ち着きあるものの方が好きそうだし…ダークブラウンのローベッドを用意してみた。
マットレスは悪くはないだろう。
寝相は良さそうだけど、広いに越したことはないだろうしクイーンサイズだ。
これくらいあれば二人で使っても狭いということは無いだろう。
枕も同ブランドのものだし、寝心地はいいと思う。
睡眠は大切だ。
身体がつくられる時間だしね。
壁の一角には本棚を用意した。
どうやら読書家のようだし、どちらかといえば過去の文豪のような文章体が好きなようだから、少々読み応えがあるものを取り寄せた。
好みだといいが…こればかりは個人の趣味だ。
リクエストがあれば追加で揃えよう。
あとはデスクとクローゼット(オシャレさんにしてあげたくて色々用意した)。
本を読むのに適した一人掛けのソファ。
…。
「…ふぅむ」
ソファの背に片手を置いて少し考えてから、自らその場所に腰を下ろす。
目の前にはデザインタイプのミニテーブルだた一つ。
読書をするには十分だけど…彼を"レストラン"に招いた日に一緒に過ごしたカフェの一時を思い出す。
…もう一脚、あってもいかな。
勿論、カネキくんをこの場に招くのであれば余計な臭みは着けたくないし誰にも会わせないつもりだ。
ゲストは招かない。
だが、僕が座るものがあってもいいかもしれない。
カネキくんの好意を得ようと思って、彼の同情を惹きそうな話をいくつか大学で口にしたけれど、何も全てが全て嘘ではない。
喰種にだって友人という存在は必要だし成り立っている。
言ったことの半分は本心で、敬遠されている僕の知人は少ない。
彼と友人になれたら嬉しいのだけれど。
…そうだな。
一ヶ月に一回、僕の指定する部位の血肉をくれるのを彼が納得してくれれば、親友にさえなれそうな程の相性を僕は感じているんだけれど、果たしてカネキくんがそうかどうかは別の話だし…。
…そうだ。
ここにいる間、彼に与える食事も考えなければ。
油が少ない部位の肉がいい。または甘みを引き出すために敢えて眼球のみを与えるとか。
安っぽい肉や部位はご遠慮願いたいね。
素材を至高のものにするには、与える食事も至高でないといけない。
子供だけを選んで与えるとか、女性の柔らかいヒレだけを与えるとか。
何なら、臭みを消すために食事として揃えるものの血液型を統一させたい。
彼は何型が好みだろう。
それとも、やっぱりそこまで気を使ったことはないのだろうか。
僕に任せてくれれば美味しく調理して出してあげるから、食事が苦手な彼でもそこまで抵抗を感じないと思うのだけど。
我が家は食器も比較的拘っている方だから、自慢のものが多い。
『低級な食器に甘んじているものは、それだけの料理しかなしえない。この料理で育てられた人間は、またそれだけの人間しか生まれない。』――と、北大路魯山人も言っていることだしね。
勿論、カネキくんも知る言葉だろう。
食の格は、その人物の格だ。
美食を極めることは人生を極めること。
人生を極めるために、僕には彼が必要だ。
「…何か切っ掛けさえあれば、彼も食事を愉しめる側だと思うんだけどな」
足を組んで、ふう…と溜息を吐きながらセットした髪の毛先を指先で弄りながら呟く。
…ああ。でも当面はカネキくん以上の美味なんてないだろうから、彼も残念だな。
流石に自身の肉は食べたくないだろうか。
彼ほどの風味であればそれも良かろうに。
黙っていればバレないんじゃないかな。
…例えば、僕が彼の肉を少しもらって、調理させて持ってきてあげるとか。
生ものは苦手みたいだったし、焼いてあげれば…こう言ってはなんだけど…まだ彼に肉の違いは分からなそうだし。
芳醇で深い味わいのカネキくんの肉を、何でもない顔をして、本の話でもしながらここで一緒に食べられたらどんなにいいだろう。
…ああ、ダメだ。
考えただけでぞくぞくしてくる。
「ああ…。カネキくん…」
彼を想って、思わず片手で口元を押さえる。
そうしないと叫んでしまいそうだ。
舌先に彼の香りが広がる気がする。
あの香り…!
肉の質感!
食べたい。
是非とも食べたい。
何ッッと し て もッ!!
「っ…はあ…、…ぅ……」
耐え難い快感に襲われ、蹲るようにして両腕で自分を抱いた。
食欲に理性が攫われる。
今すぐにでも店に行ってカネキくんを食したい衝動が、発作的に僕を襲う。
ここ数日頻繁にそんな症状が生じて、自分を抑えるのが一苦労だ。
ぐっと自分を押さえる腕の力を強めた。
…いやいやダメだ。
落ち着け、月山習。
最高の素材であるからこそ、最高の環境で整えてからでないといけない。
より一層の味わいを目指して極め続ける。
それこそが人生であり美食への道じゃないか。
…ああ、カネキくん。
カネキくんが何人もいたらいいのに。
それぞれの部位に特化させて、手塩に掛けて一から育て上げたい。
自然と薄く笑みを描いていた口で咳をして、理性を思い出す。
深呼吸し、蹲っていた身体を起こしてソファに身体を預けた。
…人の肉を食さず、あんなキューブで食欲を抑えるなんて馬鹿げている。
彼には何としても食の素晴らしさを知って欲しい。
そして、自身がどれ程の魅力を持っているのかを知って欲しい。
この僕をどんなに惹き付けているのかを。
彼を表現するのに僕の持ち得ている語感ではとても足らない。
だからこそ未知なる領域に達せられそうだ。
「…。フフ…」
唾液の増えた口内を隠すように、再び口元をにそっと片手を添える。
すぐにでも連れてきて、この場に閉じ込めて飼い殺したい。
心身共に極力ストレス無く、甘く肉が育つように。
いつでも、僕のタイミングで食せるように極上に仕上げて、最高の味にして。
そうしてそれを彼自身が一緒に愉しめるようになれれば、当にこの地上にて最高の地エリュシオンたり得る素晴らしい環境になることだろう。
「…さて、と」
うっとりと近い未来のことを想像していたが、そろそろ現実に返らなければ。
そうとも。
一秒でも早く理想を現実にすべく、ね。
ソファから立ち上がり、ドアの方へ向かう。
途中で思い出して指を鳴らした。
「…ああ、そうだ。コーヒーも良いものを用意しないと」
コーヒーはいい。
彼がコーヒーを好んでいるのはとてもいいことだと思う。
日常的に摂取してくれていた方が、肉の臭みが消えるからね。
僕も飲んではいるけれど、どちらかといえば血液の方が好みだし、こだわったものは店に飲みに行くから自宅にはあまり置いていない。
是非とも上質の豆を用意してあげないと。
好きなクラシックの鼻歌を歌いながらドアまで来て、一度部屋を振り返る。
…最高を揃えた大きな檻。
全て彼のモノだ。
いずれこの部屋の主になるであろう彼のことを思いながら、ゆっくりとドアを閉め、大切に…大切に鍵をかけた。