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夜分、室にいて書を読んでいた官兵衛はふと顔を上げた。
ちらりと、廊に面している障子の方へ目をやる。
何か気配が動いた。
そして、こちらへ近づいてくる。
夜の来訪は鬱陶しいものが多い。
もしこれを迎える側が他の将であったのならば『酒でもどうか』といった誘いの可能性もあるだろうが、官兵衛相手にそれはまずない。
表立って聞けるようなことであれば日中に事が来るだろう。
つまりは、そういった水面下のものばかりのことが多い。
静かに待っていると、やがて月明かりに形を取られた影がしずしずと障子に面した廊を歩いて、襖のある室の前で足を止める。
シルエットからして、どうやら女性のようである。

『…もし。官兵衛様。お話が…』

細い声が、しっとりとかかる。
官兵衛は数秒間沈黙したものの、重い腰を上げた。
己の武器である水晶を文机の上へ置いたまま、無造作に襖を開けた。
人影は夜着の上に、薄衣を頭から被っていた。
女人のようなシルエットと歩き方、声。
だが――。

「や。こんばんはー」
「…」
「綺麗な女の人かと思った?」

襖を開けると、案の定その人物は官兵衛の予想したとおりの"男"だった。
故に、始めから些か斜め下を向いて出迎えることとなる。
男…という表現で間違いは無いのだが、彼をもっとよく描写しようと思えば"少年"という表現の方が適している。
悪戯っぽく薄衣を少し持ち上げ、得意げな顔が些か腹立たしい。
…なるほど。今の仕草や声だけを見れば、好色な彼の元主が女人と間違えて室内に招き入れてしまうのも致し方なかろうと、官兵衛は目を伏せた。
天才軍師・竹中半兵衛。
その名を知っている者は多い。
各大名たちは常に有能な将の情報を欲し集めているし、俗は常に噂に飢えている。更に、風の噂は尾も鰭も付きたがる。
万人は妄想を抱いて勝手に思いを馳せ、だからこそ、初めて目の当たりにし、実際に彼とすれ違ったとしても、彼がそうであると紹介もなく気づく者は少ない。
本人もそれを都合よく思っており、平素はさも少年めいて振る舞っている節があるところに、官兵衛は逆に表現できぬ鋭利さを感じていた。
その隠れた鋭利さと聡明さに通じるものがあり、また道は違えど目指すものは同じ。
官兵衛にとっては数少ない、共に軍師として立ち、双方で軍を支え合えていると実感できる気心の近い相手ではある。
豊臣軍に慣れるよう、それとなく気遣い橋渡しをしていたのも、思えば皆、半兵衛であった。
当初は苛立ちを覚えていたそののらりくらりとした柔軟な言動も、考えあってのものだと思えば興味深く、また自分だけがそれを見抜けているのだと思うと、まるでこの男を独占できているかのような錯覚を起こさせ、それを心地よくすら感じていた。
そんな一癖も二癖もある油断ならぬ戦友が、夜分に夜着で部屋に来たのだ。
内密な軍議…ということもなくはないが、嫌な予感を覚え、中に促すこともせず官兵衛は部屋への侵入を防ぐようにその場に佇んで相手を見据えた。
今夜は月が明るい。
紺色の夜気の中、月光で光る黒髪の下で、同じように黒く円らな瞳が、探るように己を見上げている。
視線が、戦場にいる時よりもより低い。
外に出る際は高下駄を履いているせいで、素足時はまた一回り幼く見える。

「…何用だ?」
「て、中に入れてもくれないわけ?」
「内容による」
「んー。言ったら確実に入れてくれなさそうだからな~」
「…」
「…って言えば、察しはつくでしょ? 大人だもんね、お互い」

あっさりと告げる半兵衛の言葉に、官兵衛は眉間に皺を寄せた。
その通り。お互いに童ではない。
まして、半兵衛はこの外見で官兵衛よりも年上ですらある。
沈黙する官兵衛の反応を、半兵衛は予め己で決めていた秒数分観察した。
どうやら反応する気がなさそうだと分かると、体の後ろで両手を組み、これ見よがしに幼く首を傾げて見せた。
やけに開いている夜着の合わせから、白い鎖骨が存在を主張する。

「あれ?やる気出ない感じ? …あっそ。残念だな~」

呆れた顔の方がまだ可愛げがあるのに、官兵衛は淡々とした無表情のまま、僅かに目を伏せただけだった。
表情が乏しいことを知ってはいるけれど、面倒臭そうなその様子に内心ちょっとだけムッとするのは、仕方ないことでもあるよね…と、冷静に半兵衛は己を分析する。
これまた、これ見よがしに目の前で開いた襟を元通りに直して整え、目の前の襖に片手をかけ、閉めようとする。

「官兵衛殿が相手してくれないなら、俺他の人のトコ行こーっと。じゃーね~。お邪魔し――」
「待て」
「っと…」

出て行く素振りを見せると、くん…と寝間着の後ろ襟が引っ張られた。
少しよろけた半兵衛が部屋の中に入るなり、目の前でさっと襖が閉まる。
顎を上げて殆ど真上を見上げるようにすると、彼の頭上で片腕を伸ばし、官兵衛が襖を閉めていた。
その一本の腕越しに、挑むようににんまり笑う。

「相手してくれる?」
「……」

言葉での肯定も否定もなく、官兵衛が幼い体を緩く抱こうとする。
だが、その前にその緩い腕の中で、くるりと半兵衛が反転すると、下から跳ねるように官兵衛の首に両腕を回して飛びついた。
その顔には、勝者の笑みが浮かんでいる。

「逃げ道なんてないんだから、最初っから素直に頷いてくれればいのにさ」
「…戦終わりでもなかろう」
「いいじゃん、たまにはさ。俺的には、もっと回数欲しいんだけどなー」

にこりと笑ってから、半兵衛が目を伏せて当たり前のように顎を上げる。
首にかかる重さを感じながら、更に背を屈め、官兵衛から桜色の整った唇へ接吻をした。
冷たい唇に、半兵衛がうっすら瞳を開け、ふわりと笑む。
それはそれは大人びた妖艶な笑みで。
ちょっと押してやって、唇を交わしながら指先でついとうなじを撫でてやれば、どうせ止まらなくなるくせに…と、暗に溶けた瞳が告げている。
そして実際、理性に長けていると自負がある己が止まらなくなるのだから、悔しいものがある。
だが、仕方ない。
道理ではあるのだ。
舌に乗る他者の体液に甘みを感じてしまうのは、相性が良いからに他ならぬことは、お互い重々承知している。


天(あめ)の落とし子



「……怖ろしいか?」
「んー?」

事が終わり、明かり代わりに細く月光を招き入れた室内で、障子を僅かに開けた時に座したまま、部屋の端にてぼそりと官兵衛が問う。
何がとは言わなかった。
だが、そんなにストレートに聞いてくれるとは思わなかった半兵衛は、室内の中央に広げられた布団の上で、彼と違ってまだ素肌に乱れた掛け布をまとったまま、ぱちりと瞬いた。
枕に顎を乗せたまま、くすりと嗤うと目を伏せて口を開く。

「まっさかー。"生者必滅 会者定離はこの世の習い"…ってね。早いか遅いかでしょ」
「全くだ。故に、怖れる理由などない」
「…もしかして、頑張って励まそうとしてくれてる?」

ぶらりと白く細い足をこれ見よがしに折り上げて、半兵衛。
戦場だけではなく、平素でも掴み所の無いはずのこの男は、それでも官兵衛の前では随分直接的だ。
人物観察をよく心得ているらしいこの知将は、どうやらその方が黒田官兵衛という男を振り回すのには適していると考えているらしい。
官兵衛はまたも答えるわけでなく、ため息を吐きながら夜着の襟を己で整える。
一人布団に残る半兵衛は、仰向けに寝転がると大の字に四肢を広げて青白い天井を見上げる。

「気持ちは嬉しいけどさー、別に怖くはないんだよね。…ただ、」
「…」
「そうだなぁ…。ただ、ちょっとだけ悔しいかなぁ。もう少し、サービスタイムがあってもよかったよね。秀吉様が報われるとしたら、もうちょっと先だしさ」

片腕を天へ伸ばす。
死気が近い者は己の残された時間を悟るというが、今の半兵衛には漠然とだがそれを感じた。
自分が、仕えると決めた秀吉の天下を見る事はできないのだろう。
感覚的なものだが、それはとても確信めいて半兵衛の胸にある。
半兵衛の言を静かに聞いていた官兵衛は、ふいと呆れたように目を伏せた。

「今の世に重要なのは秀吉様ではない。信長だ。如何に秀吉様であろうとも、今の信長傘下よりはみ出れば、それは唯の危なげな火種…。消さねばならぬ」
「またそれぇ? …もー。信長なんか天下人にしてどうするのさ。絶対止めた方がいいと思うんだけど」
「誰がなろうと構わん。地位に居座る者があればいいだけだ。近い者が座るのが、乱世を早急に収める」
「そして収まるは収まるけど、安寧の時期も短いわけだ」
「ならば、次の者を立てれば良いだけ」
「はあ…。非効率的ー。多少リスクが長引いても、長く効果を発揮できる人を立てないと、結果的にはよくないと思うけどなー? 長期的に考えなきゃ。ちゃんと俺の言ってること、覚えておいてよね」

人差し指を立てて言われ、官兵衛は聞く気があるのかないのか、目を伏せて小さく息を吐いた。
たぶんこれ聞く気ないな…と思いつつ、半兵衛は布団の上で両手で頬杖を付く。

「あとは…んー。そうだなぁ。まあ、普通に寂しいかな」
「…寂しい?」

思わぬ単語が出てきて、官兵衛は眉を寄せる。
寂しいとか寂しくないとかの問題だろうか。
だが、当然じゃんという顔で、半兵衛が白い肩を竦めて見せた。

「もう少しで、官兵衛殿と会えなくなるもん」
「…」
「でしょ?」
「……それで近頃、夜分の来訪が多いのか」
「そーだよー? なかなか切実なんだから。よっ…と」

言いながら、半兵衛が敷き布団へ両手を着いて立ち上がる。
体にかけていた布団が落ちるのも気にせず、柔らかそうな肉付きの脚で二歩三歩と歩いてくる。
官兵衛の正面まで来ると、両腕で一度彼の左右の髪を額から毛先まで梳くように撫でた。

「官兵衛殿って、汗かくと髪下りて顔見えにくくなるよねー」
「…」
「こんな他愛もないことも、そのうちできなくなるんだからさ。ちゃんと味わって覚えておいた方がいいんじゃない?」

くすくす笑いながら柔らかく下りていた白髪と黒髪をかき上げてやるようにして、いくらかいつもの通りに戻ったのを見てから、ひょい、と半兵衛が官兵衛の膝に横向きに座る。
月光に、紺色の濃い髪と青白い裸体が光って見えた。
成人した男のそれとは表現できぬ未成熟に見える体、女のそれとは違う脂肪の少ない掌に触れる質感と凹凸のなさ。
腕の中に収まる身丈、丸く黒目だが挑むような視線の強さと、把握されているかのような相手の奥まで探り察する観察眼、思慮の深さと溢れる知識・知恵・知能…。
――忘れるわけがない、と官兵衛は胸中で強く思う。
自分にとって、この様に美しく尊いものが他にあるものか、と。

「…」
「…ねえ、ちょっと。こういう時は抱き寄せるとか何かしてよ」

反応のない官兵衛に焦れたのか、半眼でぼやくと、半兵衛からするりと首に両腕を絡ませて身を寄せる。
薄い夜着でこれ程密着すれば、体温も感じる。
甘い匂いが鼻腔を擽り、再び体温が上がってくる。
だが、どんなに体が熱くなろうが、今夜はもうこれ以上はするつもりはない。
それもまた情ではあるのだ。

「こうしている時にお迎えが来たら、最高かもね」
「馬鹿なことを」
「そう? すんばらし~ことだと思うけどなぁ」
「…体が冷える」

楽しそうに微笑んでいる半兵衛に夜着を着せる。
膝の上から動こうとしない体にそれをするのは些か手間であったが、まるで本当に元服前の幼児のように梃子でもそこから動く気はないらしい。
夜着を着せ、その上から己の羽織をかけてやる。
一通り身なりが整うと、満足そうな半兵衛は改めて官兵衛の胸に頭を預けた。

「……俺のこと、忘れないでね」
「生憎、記憶力は良い方でな。忘れたくともできぬ。…いずれは私も往く身だ。私の迎えは卿が来ればいい」
「あはは。いいよー!迷わず行けるかな~? 遅くなっちゃったらごめんねー?」
「…」

朗らかに笑う笑顔に愛しさが溢れる。
日に日に増して甘えが強くなっていく恋人の頬を、指先でするりと撫でると擽ったそうな顔をした。
無邪気な表情の後で、再びあの挑発的な丸い瞳で射貫かれる。

「ね。接吻してよ。息詰まって死んじゃうくらいのやつ」
「…馬鹿なことを」

しみじみと呆れるように、官兵衛は息を吐く。
それから、丸く滑りのよい……いくらか細くなった顔の輪郭を掌で一撫でし、ゆったりと肩を抱いて、冷徹なこの男のイメージからは想像も出来ないような、優しさに満ちた仕草で口付ける。
可愛いなぁ、と半兵衛は思う。
こんなに優しい接吻ができる男だとは、正直思わなかった。
初めて抱かせた日には、あれもこれもが驚いた。
絶対に自分は好かれているという自信と確信があったが、予想よりもずっと情を注がれていたのだと、読みが外れたと思ったくらいに労りのあるものだった。
この陰気な男に出逢えて良かったと思う。
聡い半兵衛にとって、幼き頃より、言ってしまえば周囲はいくらか愚かだった。
日常会話ならともかく、策にせよ読みにせよ、一々説明して、一々理解してもらわなければならない。それのなんと手間なこと。
まるで己一人が変わり者のような、場違いなような疎外感。
どうすればいいのか分かっているのに、一人ではどうにもできない世の流れ。
見えずに生きて行けたら、嘸楽だろうなと思うと、自分一人だけ物凄く損をしている気さえした。
見るものが同じでも、思慮の深さによって見えてくるものは全く違う。
…多少、考え方が違っていてもいい。
同じもの、同じ景色、同じ先を視る目を持っているこの男に出逢えたことで、半兵衛は幼少時より呵まれていた孤独感が消え去った。
随分生きやすくなったものだ。
同時に、自分が傍にいれば、きっと相手の孤独感を散らしていけると理解できた。
口にして言葉で確かめたことはないが、それは官兵衛もきっと同じだ。
生きやすくしてくれたからには、生きやすくしてやりたかった。
そう思ったから、お互い自然と傍にいるのだ。
傍にいるだけで、自分でいられる、呼吸ができる。
孤独がなくなり、目の前の大きな流れを何とか良き方へ…泰平へと、共に抗っていける。
そんな相手に出逢ってしまったのだ。
自分に必要なのは、自分を必要としているのは、この男だということが解る。
魂の伴侶に逢い至って、これ以上、誰を探せというのだろう。
口を塞がれ続け、ふ…と鼻から呼吸が抜ける。
じわじわと感じる寿命。
体を蝕む病。力の入らぬ四肢。
己の呼吸に混ざる血鉄の臭いを確かに感じる。
そこに、薬のような接吻を一つ。
朧がかかり始めた意識の代わりにふわふわと気持ちが緩み、半兵衛は薄く開けていた目を伏せた。
長い接吻。
そのまま殺してくれてもいいのに、やがてどうしても舌も唇も離れる。

「…ぷはっ」
「…」

小さな舌を出したまま、一気に口で呼吸をする。
長らく交わしていたせいで、呼吸が荒くなった。
指先で口元を覆い、半兵衛は口内に溜まった唾液を喉へ流した。
いつものことだが甘みを感じ、笑ってしまう。
始めは冷たい唇が、自分との情事の後にはほのかに温度を得ているのがとても好きだ。

「はは。官兵衛殿、終わった後だから、ちょっと温かいや…。いつもはもっと、冷たいもんね…」
「……もう休め」
「ん? ああ…そ、だね。確かにもう眠いかも…。ふぁあ~…おやすみぃ……」

体力が限界になり、そのまま官兵衛に身を任せて眠るように目を伏せる。
夜はいい。
直前に欠伸めいたことをしてみせれば、誰も気を失ったなどとは思わないものらしい。
…だが、半兵衛もそれが官兵衛相手に通るとは思っていない。
ただ、知っていてもその茶番に付き合ってくれる優しさを持ち合わせていることは解っている。
ぱたりと白い二本の腕が、官兵衛の首から滑り落ちる。
そのまま真横にある胸へ身を預け、半兵衛は気をやった。
腕の中の、小さく希薄な存在感。
年齢に不釣り合いな未成熟な体は、考えれば虚弱の現れだ。
日増しに生気の薄くなる軽い体を、官兵衛はひたと静かに見据えた。
こんな夜では、まるで半兵衛を抱いているこの状況が、夢幻のような気さえしてくる。
そして、実際に自分はこういった幻を見る日が来るのだろう。
恋しくて恋しくて、愚かなことだと解っていながら、これは幻覚だと解っていながら、きっと今夜のような幻を見る日が来るのだろう。
それはさして遠い未来ではないはずだ。
無駄な哀感に支配され、目を反らして嘆いている暇などないくらい、すぐそこに迫っている。

「…」

半兵衛は、昼夜を問わず、場を抜け出して寝ている時間が多くなっている。
本当にサボって昼寝をしているのか、そうでないのか…違いくらい分かる。
日中、どうしても気が遠くなる時も、官兵衛が一言「サボるな、寝るな」と言えば、周囲は皆そうなのだと受け取る。
無闇に軍を揺らさず、且つ己不在の時間を静かに増やしていくことで、いざ消えた後でも動けるよう馴染ませているのだろう。
苦労をかけている…と、官兵衛は思う。
それらに気づけたのは、途中からだ。
きっと、今も気づいていない天才軍師・竹中半兵衛の思惑が、豊臣とその周辺には何十何百とあるのだろう。
膝の上で力の抜けた半兵衛を、官兵衛は抱え直した。
抱え直し、あやすように緩く抱き、間を置いてその腕は少しずつきつくなる。

「…なに。天からであれば、泰平の世を成した時、嘸見やすかろう」

呟き、改めて思う。
やはり一日も早く泰平を成すに限る。
犠牲?
その様なものは、いくら出ても構わない。
冗談だろうと笑われるかもしれないが、本当は、間に合わせるつもりでいたのだ。
だからこそ、泰平への速さを求めた。
座る者など、心底誰でも良い。
質などどうでもいい。一時でいい。
その後、戦乱に戻ろうが数多の命が消えようが、どうでもいいのだ。
泰平を見せてやりたかった。
今のような戦続きの日々でなく、一時平和な世で、それこそ屋敷でうとうとと寝ながらその日を迎えられれば良いと思っていたのだ。
…だが、半兵衛に残された時間を考えると、それはもう無理であると知能が告げる。
それは叶わないだろう。
だが、半兵衛が泰平を望んでいることに変わりはない。
"できるなら秀吉を"――まあ、それも考えよう。だが、それは半兵衛が生きている間に取る選択肢ではない。
彼が生きている間に官兵衛が取るべき選択は――例えそれが夢の如き無理難題であろうとも、その最期の時が来るまでは――迅速なる泰平成った世である。
ならば、数多の犠牲が出ようが駒が雪崩れようが柱が何本倒れようが、やはり速さこそが全て。
玉座に最も近い男を、成し上げるに限る。
半兵衛が生きている間は。

 

長身の背を僅かに丸めるように、腕の中の男の黒々とした髪へ口付けてから、官兵衛はそっと彼を布団へ戻すべく、音もなく静かに立ち上がった。
…この様な天稟の如き才覚を持って生まれたというのに、この短命。
半兵衛を抱いたまま、ふと足を止め、多少の怨みを持って障子の向こうへ目をやる。

まだ白むことのない静かな月夜。
だが、まるで誤って落とした子を…その腕の中の存在を早く寄こせとせがむように、確かに砂の落ち続ける音が聞こえ、暗い雲の流れゆく景色が見えた。



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戦国無双の官半。
お互いのことをしっかり解っている所が、相方って感じで大好きです。
半兵衛襲い受けかスタンダード。
2017.10.10





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