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秋は、戦が少なくなる。
稲穂が実り、それらを収穫しなければならないと同時に、冬に備える必要がある。
収穫はそのまま向こう一年の潤いの差となる。戦に勝つことも重要だが、同時に、そこを手空きにすると長期的には不利となる。
要は、この天秤の均衡をどの程度に決めるかが、国主の腕の見せ所なのだ。

「…」

開け放った障子から、紺色の空を眺める。
今夜は朔だ。月は見えない。
次に戦が落ち着いている朔の日に決行しようと、もう随分前から決めていた。
だというのに、戦が落ち着いている間は朔はなく、また、朔の日にはそれどころではない政や軍策を練るような日々が続いた。
今夜は、やっと訪れた好機だ。
静かに重ねて決意をし、空を眺めるのを止め、日頃はそこまで気にしてもいない髪へ三度櫛を通す。
いつもは通せばいいだろうと思っているだけのそれを「丁寧に」やろうとすると、己の髪が硬めで、しかも癖があることに気付く。
真っ直ぐで流れるような黒髪だったらよかった。
それが駄目なら色だけでも、もう少し黒みがかっていればよかった。
何故私だけこうして明るいのだろうか。
櫛が途中で引っかかりを覚え、えいと多少無理に押し通してみる。
女を呼んでやらせてもいいけれど、そうなると世話女の趣味によって私の容は左右されることになる。
だったら、何もかも己でやった方がいい。
父上のご趣味は、恐らく、私が一番分かっている。
櫛を置き、傍で焚いていた香を寄せ、夜着の襟を整える。
整えた襟に添えられた己の指先にある鎖骨を見、はあ…と息を吐く。
…薄い胸板だ。
我ながら、地味で貧相な男だと思う。
父上の血が流れているのだから醜男というわけではないのだが、華もなければ、大将に求められる逞しさもない。
兄上たちのように男らしい体であったら、まだ良かったろうに。
…まあ、いい。
物事は一長一短。人もまた然りだ。
きっと聡明な父上は、私では見いだせない私の一長も見いだしてくれるだろう。

「……よし」

ぐっと膝の上で両手の拳を一度強く握ってから、立ち上がった。

 

 

 

 

父上の室の前にいた者を下げ、代わりにその場所へ膝を着き、中へと声をかける。

「父上。隆景です。遅くに申し訳ありません。少々お時間を頂けますか」
『うん? ああ、どうぞ』

のんびりとした返答が襖越しにあって、許しを得た私はそれを開けると体を滑り込ませた。
相変わらず、父上の部屋には書が溢れている。
乱雑に積まれているように見えるが父上なりの分類がされてあり、ここはこれ、あそこはあれ、そこは未読と事細かに分けているだけだ。
積んである順番も大切で、これが入れ替わっているとすぐに気付くのだから、ただ箱や棚に入っていないというだけで、これはもう整理されているも同然なのではなかろうかと思う。
入って来た私を見て、父上が開いていた書を閉じる。

「どうしたんだい、こんな時間に。珍しいね」
「突然すみません」
「いいよ。何の話だい?」

言いながら、文机の端に置いてあった湯飲み茶碗を片手で掴み、口に添える。
寝る前の白湯でも入っているのだろう。

「はい。夜伽を習いに参りました」
「ぶッ――!」

言った瞬間、父上が湯を吹いた。
驚いて膝を浮かせ、懐から布を取り出し父上の傍へ向かう。
私のそれと同時に、父上も抓むように持ち直していた濡れた碗を置き、同じように文机の上にあった布を取り出すと、げほごほ咳き込みながら慌てて正面に積んであった書を拭き始める。

「ああぁっ、書が…!」
「覚えていない内容のものですか?」

一番上に積んである表紙をとんとんと布で拭っている父上の腕と膝と口元を、横から私が拭いながら問うと、父上は正面を向いたまま緩く首を振った。

「いや、内容は覚えてはいるけれど…、私は書の形自体も好きなんだ。濡れるのは困るなあ」
「希少書でしょうか。以前私がお借りしたことのある書でしたら、責任を持って起こしておきます」
「んー……うん、…うん。ああ、大丈夫そうだよ、隆景。濡れたのは一番上の表紙くらいだ。それ以外は、少しだけ横が湿ったくらいみたいだよ」
「そうですか…。よかった」

最も濡れている一番上の書を捲り、その下に積んである書を一通り眺めて確認してから、父上が私を振り向いておっとりと笑う。
私も父上を粗方吹き終わったので、布を懐に収めて再びその場で姿勢を整えた。

「突然話しかけてしまって、すみませんでした」
「いや、今のは私も話を聞こうと思って聞いていたから、突然ではなかったね。内容に驚いただけだよ」
「…? 私が、夜伽を習いに来たことがですか?」

不思議に思って、僅かに首を傾げる。
父上のことだから、逆に私が来ることを予期していたのではないかと思っていたが…。
言うと、父上は書を元通りに積んでから、拳を一度床に着けると体を私の方へと向け、腕を組んだ。
その動作と寄る眉に、今夜父上にはご迷惑だったようだと早々と察する。
意を決して来たが、どうやら退散した方が良さそうだ。
膝の上に置いた手をそのままに、低く頭を下げる。

「申し訳ありません。ご迷惑なようですので、今夜は退かせて頂きます」
「いやいや、ちょっと待ちなさい、隆景。お座り」

一礼して立ち上がろうとした私を、他ならぬ父上が止める。
…であればと、私は再び頭を上げた。

「私には、今夜の君の行動が突飛に思えてね」
「突飛でしたか?」
「突飛だよ。少なくとも、湯を吹く程にはね」

片腕を軽く開き、父上が言う。
その様子が愉快で、小さく笑んでしまった。
聡明な父上が「突飛」に思えることなど、数える程だろう。
そのうちの一つを私が献上できたのは、嬉しいことかもしれない。
私が少し微笑んだことに気付いたのか、父上もにこにこと優しい瞳で問う。

「その理由を知りたい。一体どうしたのかな?」
「…」

一息詰まって、けれど正直に告げることにした。

「…私の名は、この毛利から小早川となりました。小早川家を絶やさぬことも、父上のお考えも重々承知のつもりです。小早川は毛利の為。この先、万が一にも小早川が毛利の脅威となるようなことがあってはなりません。私は、小早川に養子となる話が出た頃から、妻は取らぬと決めました」
「私はそこまで言ってはいないよ、隆景」
「はい。ですが、私自身が決めたことです」

父上の瞳に哀しみが僅かに浮かぶ。
父上には、父としての情があるだろうが、一方で家長としては理解しているはずだ。
その方が絶対にいい。
先程父上も言った通り、家中の争いが世には絶えない。
その中で最も多いのが、跡目争いだ。
私は三男であるし、私に子があったとしてあまり私の子が押し出されることはあるまいが、ないのであれば、尚更不要だろう。
兄上たちに全く子がないというのなら私がつくるが、あるのなら、私は家の為に持たない。
そう決意して養子に入ったというのに…。

「それでも、やはり先々、形ばかりは小早川の女を娶ることになりそうなのです…」
「そりゃあそうだろうね。いいんじゃないかな。可愛い子なんだろう?」
「あまり興味がありません」
「うう~ん…」

父上が目を伏せ、天を仰いで呻る。
その様子を見て、一言加えておく。

「父上が愛でろというのであれば、私なりに情を注ぎます」
「私が言ってどうこうという話ではないよ。…まあ、いいさ。それで?」
「兄上達曰く、どんなに情が薄くとも初夜の契りは結ばなければならない…と」
「うん。娘を持つ親としては、全力で同意するかな。寧ろ、それ無くして婚儀は全うできないよ」

うんうん、と三度父上が頷く。
…やはりそういうものらしい。
いらないと思うのだけれど。
子が不要なのだから、私個人的には妻も不要だ。
あからさまに血のつながりがない、賢い養子をどこからか得れば十分。
こんな男に嫁ぐだなんて、姫にも迷惑な話だろうに。
もし娶った暁には、初夜の契りだけは行うとしても、その後は今夜限りと言ってやろうと思っている。
かといって、情人をおつくりとも言えない。
私の妻となる女には、子を産んでもらっては困るのだから。
だから、せめて最初で最後の一度きりは、誠意を尽くそうと思っている。

「そんな話をしていたら、兄上たちが『自分たちは父上に手解きを受けた、隆景はまだなのか』…と」
「おおお…?」
「初耳でしたので、受けていないと答えたら『まだ早かろうよ』と笑われました」
「……ははあ。なるほどなるほど」

父上は眉間に皺を寄せ、顎を引くと緩く首を振った。
深々とため息を吐かれる。
父上は組んだ右腕を顎に添え、困り顔で何かを考えているようだ。
静かにその様子を待ってから、追って言ってみる。

「私はまだ、童でしょうか」
「まさか」

ハハと笑い、父上が腕組みを解く。
片手で、ぽんと私の腕を叩いた。

「隆景は立派な毛利の将だよ。幼児扱いなんて、するわけないだろう?」
「…」

その言葉に、ほ…と胸の支えが取れた。
…よかった。
気を取り直して、微かに揺るんだ背筋を再び伸ばす。

「では、どうか私にも手解きを」
「それなんだけどね…。私は、隆元たちにそんなことはしていないよ?」
「………え?」
「うん」
「…。……ですが、」
「からかわれたね、隆景」
「…」

にこにこと笑みを向けられ、私は暫し呆けた。
…からかわれた?
兄上たちの、冗談だったのか…。
何てことだろう。全く疑うことなく真に受けてしまった。
兄上たちには夜伽の手解きをして、私にだけしてくださらないのなら、私は父上に一人前の男として見てもらえていないのではないかと、ここ三月程、そんな心配までしてしまっていた。
折しも水面下で縁談の話があり、現実的に女を抱く必要が近づいてきていたし、私にはそちらの知識も疎く正直不安であったが、父上が教えてくれるのならばこんなに心強いことはないとさえ思っていた。
…。
何だか衝撃だ…。
分かってみれば、兄上達にからかわれたのも驚いたし、それに今の今まで疑問を持たずただ不安がっていた己にも驚く。

「…」
「なるほど。だから、こんな香を選んだのか」

ようやく合点がいった、という顔で、父上が笑う。
我に返って、小さく頷いた。

「はい。色々と試し、母上のお好きだった香を基礎に、情を滾らせるものを選びました」
「ああ。良く出来てるね」
「ありがとうございます」
「すぐ分かったよ。…寝る前にしては、髪もいつも以上に梳いてあるようだし」
「はい」
「唇にも何か塗っているね」
「はい。蜜を水で溶いて薄めたものを、少しですが。…よくお分かりになりましたね」
「灯りで光っているから、気になるかな」
「そうですか」
「…勤勉だねえ」

片手の甲を額に添え、はあぁ…とぐったり首を下げてため息を吐く父上。
私は目線を己の膝に下げ、反省した。

「…徒労でした」

兄上たちの戯れに気付かず、父上の趣味の時間を奪ってしまった。
兄上達の話がそもそも嘘八百となれば、父上は我らに手解きなどしてはくださらないのだ。
甘えていた己が愚かしい…。

「夜分に失礼しました。戻ります」

これ以上、父上の時間を無駄にできない。
膝を浮かせて立ち上がりかけたところで――、

「教わりたいかい?」
「え…」

ぽん…と言葉が飛んできた。
驚いて、父上を見返す。
いつもの、穏やかでおっとりした、人を擽るような目で私を見詰めている。
数秒間視線を交わし、再び、私はその場に座した。

「…はい」
「確かに、君の言うとおり、いずれはどこからか知識を得る必要があるだろうからね。でもね、それは私からじゃなくてもいいんだよ?」
「父上がお教えくださるのならば、私は父上にお願いしたいと思っております」
「でもねえ、私が手解きとなると、女相手というわけにはいかないだろう? 一人の時の始末の付け方なら教えられそうだけれどね。…玄人の女を呼んであげるから、そこから教わった方がいいんじゃないかな。まさか、君が女役というわけにはいかないからね」
「構いません。私は嗜みませんが、衆道好みも家中にはありますし、寧ろ、その方が女の扱いには長けましょう」
「やれやれ…。本当、勤勉だね」
「…ものを知らないだけです」

私なりに、夜伽の書もいくつか集めて読んだ。
けれど、どれも子細まで書いていない。
図があるものも見てみたけれど、ピンと来ないし、どこぞの誰とも知らぬ男と女が交わった図を見た所で、どこまでも無関係な他人であるから興味もわかず、ただただ不埒で好ましく感じなかった。
本当にこんなものなのだろうか…。
人は人。
人には男があり女がある。それだけだ。
果たして女の裸体を、美しいと思えるだろうか。無事に事を成し遂げられるのだろうか。
疑問ばかりが頭の中を埋める。
だが父上ならば、無論正しきをご存じだろうと思う。
私の返答に、父上は再び困ったような顔をして笑った。

「まあ、男でも女でも、正直あまり変わらないからね。魔羅か門のどちらかが多いという、体には二種類あるよというだけで。種類が違うからといって、すべきこと自体が大幅に変わるわけではないから…」
「私もそう思います」
「……う~ん」

片腕を上げ、父上が後ろ頭を掻く。
呻った後で、意を決した様にぽんと膝を叩いた。
ふう…と肩を落として気を抜いたようにしてから、改めて私を見る。

「それなら、少しだけ君が望む手解きをしてあげよう。こちらへおいで」
「はい」

一度だけ、誘うように差し出された片手を追って、膝の左右に両手を軽く着いて、座したまま床を滑るように父上の傍へ近寄る。
殆ど真横という程に近づくと、ぽんぽんと父上がご自分の片膝を叩いた。
意図が読めず、思わず首を傾げる。
…よもや膝に乗れというわけではないだろうから、どのような意図であろう。

「おいで。膝の上だよ」
「…」

思案していると、父上にしては珍しくぐいと気短に私を引き寄せ、横抱きにして膝へ抱え上げられてしまい、少々驚いた。
これで合っていたとは…。
膝を折り、居直して父上の膝に収まる。
確かに、幼い頃はこうしてよく父上の膝へ収まっていたものだった。
成人し、もうその胡座の内側には入れまいと思っていたが、思いの外空間があり、存外私くらいの体付きならば収まれるものらしいということにも、また驚く。
視線を上げ、いつもよりぐっと近くにある、父上の瞳を見上げる。

「重くはありませんか?」
「いいや? 軽くて心配なくらいだよ」
「努めて食してはいるのですが…」
「残念だけど、いくら食べたからといって、君が隆元たちのように大きくなれるわけではないよ。骨格が違うからね。…とはいえ、私からしたら十分成長してくれたと思うよ。大きくなったなあ、隆景」

二回、軽く頭を叩かれる。
気恥ずかしいような誇らしいような、妙な気持ちだ。
思わず顎を引いて、視線を下げた。

「頭を撫でられるのが好きかい?」
「ぇ…。…あ、いえ。そういうわけでは……」

背を丸め、こちらを覗き込むようにして問われ、慌てて顔を上げる。
確かに嬉しい。
…が、これは成人男性が嬉しがるべきものでは断じてないだろう。
これではまるで幼児だ。
父上は愉快そうに笑った後、右手の人差し指を立てた。

「さて。何も難しいことじゃない。夜伽の要点は一つだけだよ、隆景。相手を注意深く観察して、相手が悦ぶものを与えておやり。…なあに、見ていればすぐに分かるよ。君は観察眼が鋭いしね、きっと上手くなるんじゃないかな」
「…」

するり…と父上の片手が髪を避け、頬を撫でる。
何がそう感じさせるのか、それだけで体から力が抜けていく。
もっとその掌を感じたくて、無意識に目を伏せていた。
…まだ何も始まっていないのに、胸がとくとくと高く鳴る。
己の体温が低いせいか、父上の手や体が妙に熱く感じ、それが心地よい。
どこかぼんやりとする感情と、つらつらと頭の中に納めた褥の知識を列挙し始める理性。
…きちんと父上の所作を見て、覚えておかなければ。
立てていた人差し指を解き、帯をそのままに、その手がするりと私の懐へ滑り込む。
夜着の内側で脇腹を抱かれ、改めて父上の掌の大きさを感じた。
私へ顔を寄せ、父上が悪童よろしく片目を瞑って笑う。

「…隆元たちには内証だよ」
「はい」

小さな声に、私も小さく返して頷いた。


秋の夜長に手解き一つ



遠くで、鈴虫が鳴いている…。
…。

「君は、一度相手を信じると疑わないところがあるから、気を付けるといいよ」

布団の上。
横で俯せて体を倒し、頬杖を着いた父上が、私にそう告げる。
連続する未知の体感について行けず、頭がぼーっとしていた。
火照りきった体が冷めるのはもう少し時間が必要なようで、ぐったりと布団に沈んでいた私は、声をかけられて初めて呆けていたことに気付き、はっとして視線だけを上げて父上を見上げた。
遅れて、父上の言うことが頭の中に入ってくる。
…、体が熱い…。
大分収まったが、ぜえはあと、気付いたら肩と胸で息をしていた…。
…結局こうして父上からお時間を頂けたものの、まさか兄上たちに誑かされていたとは思いもしなかったので、深く頷く。

「はい…。その様です…。以後、気を付けます…」
「うん。本当はいいことなんだけれどね。今の時代は、それが命に関わる。我が家中はそうではないけれど、身内で争うような例もたくさんあるから、信じる為にこそ疑う……というか、一度立ち止まって確かめるといいんじゃないかな」
「…」
「矛盾だけどね。確かめれば、その都度大切さも知れるさ」

私の心を読んだかのように、父上がハハと笑って伸ばした片手がヨシヨシと私の頭を撫でる。
つい一瞬前まで身内を疑うようなその発言が腑に落ちないところもあったが、何だかそれだけで、その反論がぱっと霧散してしまった。
きっと、これが私の短所なのだろう。
どうでもいい相手は割り切れるのに、尊敬に足ると一度心を打った相手には情を引きずる。
常に、その己の情も確認しながら歩いて行かねばならぬのだ。
生きるとは、本当に難しい。

「さて。感想は?」
「…。女は大変ですね…」
「ハハハ…!」

声をあげて、父上が笑う。
…まだ頭がくらくらするし、体は疲労を訴えている。
しかし、嫌な気は全くしない。
こんなにも父上に触れたのは初めてではなかろうか。
そもそもこの目眩に似た感覚も、強い快楽故で、悪いものではない……と、思う。
…とはいえ、この手習い、父上であるから良いものの、他人と行うかと思えば顔から火が出る程の羞恥であろう。
小早川の姫は、本当に私にこれを晒すつもりなのだろうか…。
だとしたら、私も余程覚悟をして望まねばなるまい。
折角父上がお時間を取ってくださったので、一から十まで記憶しようと思っていたのに、振り返ってみれば間が抜けているようだ。
室に戻ったらすぐにでも、せめて覚えている父上の所作や言葉を事細かに書に認めておこうと意を決める。
…あぁ。
まだ頭と腹の中が熱い…。
文弱であるかと思われがちだが、父上は私と違い体格が良い。
己にはないその隆々たる肉体を、転がりながらぼうっと見詰めてしまう。

「…」
「疲れたかい?」

ぐったりしていると、父上が私へ布団を掛け直しながら、身を寄せて問うた。
いつもなら「いいえ」で返すところ、思わずこくりと素直に頷いてしまう。

「慣れない間は、夜の営みといえば大事だからね。疲れたと思うのならば、相手にはなるべくそうならないように、努めるといいよ」

父上は手櫛で私の髪を梳き、首の後ろへ唇を添えた。
ただでさえ熱い皮膚の上、そこだけがまた熱を持つ。

「…隆景は特別母似だから、私も想い出に浸ってしまったよ」

控えめな声で囁く父上。
優しい瞳が、私を見守る。
…なるほど。
兄上たちにはなさらなかった手解きを私にしてくださった理由は、どうやらそこにあるらしい。
ならば、父上にとっても私に手解く今夜は、それなりに意味があった時間に違いない。
何とか返そうと、父上を見上げる。

「いつでもお呼びください。私も、為になります」
「今のは笑うところなんだよ」
「…」

苦笑すると、同じ布団の中でも父上は私から身を離した。
すっとそこに風が通り、熱が逃げていく。
本当は、その腕を両手で抱いて、足を絡めて私からも身を寄せたい。
「つかれた」と駄々をこねて、「妻などいらない」「家に戻りたい」と言い切ってしまいたい。
いつまでも父上の……できるなら、最も手のかかる子でありたい。
…けれど、それでは父上のご迷惑になる。
この様に幼い感情、自分でも辟易する。

「…さあ、もうおやすみ。私たちは朝方まで軍策でも巡らせていたことにするとしようか。少し休んだら起こしてあげるから、身支度をするといいよ。兎も角も、まずは休みなさい」
「…はい」

お言葉に甘えて、敷き布団に片頬を付け、体を投げ出す。
…父上の布団で隣で眠れるなんて、一体いつぶりだろうか。
まるで幼い頃に返ったみたいな心境になる。
うつらうつらと睡魔に誘われる私の後ろ腰へ、布団ごしに父上がぽんと手を置く。

「ところでね、隆景」
「はい…。何でしょうか」
「とても良くできているけれど、その香は、もう止めようか」
「…?」
「出来が良すぎる気がするからね。それとも、気に入っていたかい?」
「いえ、特には。…分かりました。後で水でもかけて捨ててしまいましょう…」

重くなった瞼に抵抗しながらも、何とか応える。
お好みではなかったか…。
私はいい香りだと思ったのだけれど…。
眠る直前、再び父上が頭を撫でてくださった。
ふわりとした香りが私を包み、そのまま先に休ませてもらった。

本当は、兄上たちにそれとなく自慢したい。
しかし、父上が「内証」と言ったからには、このことは私と父上だけの想い出といたしましょう。



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毛利親子。
元就さんも隆景さんも好きです。
元就さんは3のせいでショタコンというか、子供好きのイメージ。
2019.10.10





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