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「…テツヤ」
「はい」
「人に知られず生きるって、どんな感じ?」

不意に投げかけられた失礼極まりない哲学的な問いかけ。
あまりに唐突で不躾で、だから黒子は、斜め前に座っている赤司の彼らしからぬ失礼さに気付くまでに数秒を要した。
人気のない、夏休みの図書室。
閉め切っていても、夏の蝉が窓の向こうで騒がしかった。

シークレットメッセージ




夏休み。
死ぬほど動く、帝光中学バスケ部の夏休み。
流石に練習試合でもない限り、朝から夕までぶっ通しでの練習はしない。
基本的に練習は午前よりも時間の取れる午後からである。
…とはいえ、熱心というよりは病的なまでに体と日常生活にバスケが染み込んでいる部員たちは、昼食を持参して午前中から自主練習をしている者も多く、実際はほぼ一日、校内で過ごしている。
つい三十分前、ようやく練習が終わった。
いつもならば、ここから黒子は人気のない別体育館で青峰と自主練習をするのだが、今日はその不人気な体育館が珍しく他部活に使われてしまっている。
夏休みともなれば練習試合も多いが、それは他の部活も同様なのだ。
黒子としては残念なことだが、いい機会でもあった。
近くに公立の図書館がある為、利用者の極端に少ない学校の図書室は、夏休み中も職員室に教師がいるうちは開いているのである。
丁度本は読み終わっており、帰る前に少し棚を見てみよう…と思ってやってきた夕暮れ時の図書室には、思わぬ先先客がいた。

「赤司くん」
「ん? …ああ。テツヤ」

敢えてなのだろう。
カウンターから離れた奥の方の座席に、赤司が腰掛けて本を読んでいた。
夕日に解ける赤い髪。
色の違うオッドアイ。
何よりその存在感。
ただ彼がそこにいて、何気なく足を組んで、何気なく本を読んでいる。
たったそれだけで、ここは黒子の知っているいつもの人気のない図書室ではなくなるのだから本当に不思議だった。
赤司はちらりと黒子を一瞥した後も、開いていた本へ視線を戻す。
洋書だ。
感心しながら、黒子は傍へ向かった。
…正確には、赤司のその向こうの、主に歴史小説が並んでいる棚を目指して…ではあったのだが。

「珍しいですね。赤司くんが図書室なんて」
「そうかな」
「はい。僕、夏休み中にここで誰かに会ったことがなかったので。…いつも来ていたんですか?」
「いや、夏休みに入ってからは二度目だ」
「そうですか」
「ああ。静かでいいね、ここは」
「はい。僕もそう思います」

座っている彼の席の後ろを通り、目的の本棚へ向かう。
「静かでいい」というのであれば、あまり邪魔するつもりはなかった。
同級生らしからぬ落ち着いた雰囲気と温かみも冷たさも無い判断力。
黒子は、彼が嫌いではないが、好きと断言するには少し遠い気がしていた。
一緒にいることはあるし、自分を活かしてくれているのは、間違いなく彼なのだ。
彼がこの場の王であり、この場は彼のテリトリー。
そこに紛れてしまったのは黒子の方で、だから彼の静かにしたいという希望は極力崩すべきではない。
黙々とマイペースに本を選び、三冊取り出す。
貸出機はカウンターにあり、自動でできるものなので司書や教師はいらない。
てくてくと本を抱えてカウンターへ向かう為、再び赤司の背後を通り過ぎた直後…。

「もう帰るのか?」

赤司から声がかかった。
黒子が振り返るが、彼は机に頬杖をついて相変わらず洋書を眺めながら、こちらを見てもいなかった。
…が、流石に質問が幻聴ということはないだろうと思い、黒子は頷いた。

「はい。お邪魔しました」
「邪魔にはしていないよ。良かったら、一緒に帰らないか」
「僕ですか?」
「他に誰かいる?」

ぺら…とページを捲りながら、赤司。
それもそうだと思うものの、彼と二人で帰ったことのない黒子は少しだけ意外に感じた。
断る理由も無いので、再び頷く。

「いませんね」
「悪いけど、ちょっと待ってくれるかな。区切りがいいところまで読み進めたいんだ」
「はい」
「ありがとう」

赤司の誘いに乗り、彼が座っている席の斜め前に腰掛ける。
待っているのならば自分も読み進めてしまおうと、未だ借りていない本の表紙を、黒子も捲ることにした。

 

 

 

赤司が区切り良く読み止めるまでの、沈黙の数分。
それが過ぎてからの、冒頭の質問である。
両手に本を持ったまま、黒子は真っ直ぐに赤司の横顔を見つめて呆けた後、はた…とそのことに気付いた。

「それは…あんまりな質問のような気がします」
「うん。僕も今そう思ってる」

思いの外あっさりと赤司は謝罪した。
区切りまで進んだのか、それとも途中で止めてしまうことにしたのか、とにかくそのタイミングで赤司は栞も無く本を閉じた。
ぱたん…と気持ちのいい音が、図書室に響く。
そこでようやく、赤司は顔を上げて黒子を見た。

「他意は無いんだ。気に触ったのなら、謝るよ。悪かった」
「いえ、自覚があるならそれでいいです」

瞬きを一度しながら、黒子も黒子で淡々と返す。
本当にそう思っていた。
人間…特に日本人は、人の目を直視して会話をすることを苦手としている文化を持っている。
…にも係わらず、この場にいる二人はそれぞれ真っ直ぐに相手の瞳を見据えて会話をする習慣が付いていた。
故に、こうして対峙して話すとなるとどうしても見つめる形になるし、お互いそれに疑問を持たない。
赤司は組んだ両手を細い顎下に添え、じっと斜めに座る同い年の部員を見たし、黒子は相変わらず両手で本を持ったまま、そんな彼の視線を真正面から受ける。

「人に知られずに生きるというのは、僕の影の薄さを指しているんですか?」
「さあ。どうだろう」
「どうだろうって…」
「ふと思ったんだ。テツヤみたいなタイプは初めてだから、興味がある」
「面白いお話はできませんよ。…けど、確かに、赤司君とは縁が無い話でしょうね」
「同感だ」

まるで自分のことすら客観的に語る彼に、黒子は無表情ながらも少し呆れた。
人間、自分以外は皆"変わった人"ではあるが、中学に進学してから出会うバスケ少年たちは殊更そのようだった。

「赤司くんが、人に知られずに生きることは、まず無理だと思います」
「そう思う?」
「はい」

何処にいても、その場を制する帝王。
覇王でもなければ暴君でもなく、だからこそ始めは微かな違和感を感じても、まるで彼が座るべき玉座が予めその場にあったかのように、その場は赤司のものになる。
学校でも、プライベートでも、彼は常にそうだ。
素直な黒子の返答に、珍しく赤司は微かに笑った。
透明感のある友人を前に、彼は目を伏せて静かに続ける。

「二人で足して、割りたいものだね」
「…注目されるのが好きではないんですか?」
「僕が? まさか」

心外だとばかりに赤司が瞬くので、黒子は少し意外に思った。
常に場の帝王である赤司は、当然のこととして受け入れているものだと思っていた。
黒子からしてみれば、今更注目されることが嫌いだとか言われても、逆に反応に困る。
一瞬ではあったが、きょとんと瞬く赤司の珍しい顔を見てぼーっとしていた黒子は、赤司が両手をテーブルの上に置いたことで、我に返った。
俯き気味で、赤司は形の良い唇を開く。

「僕はね、テツヤ」

ゆっくり目を伏せ、やがて、そのオッドアイを開き――、

「人が苦手なんだよ。本当はね」
「…」
「内緒だよ」

ふ…と、細く笑った。
"魅入る"…という表現は適さない。
何故なら、黒子の後ろ首に悪寒が伴ったからだ。

「僕はね、僕らは遠いようで近いと思っているんだ」
「…」
「ここに、鏡があるとすると」

不意に、赤司が背を安い図書室のイスの背もたれにかけ、両手で自分と黒子の間へ腕を伸ばし、両手で長方形を形取る。
目に見えない屈折要因。
その向こうに、それぞれ相手がこちらを見ている。
相変わらず視線は交わったまま。
赤司は、今度こそ少し気の緩んだ目元で黒子を見据えた。

「しっくりくる」
「…」
「そう思わないか?」
「…。赤司くん」

そこでようやく、黒子は思い至った。
彼は、たぶん。
今、とても。
とても、珍しく――。

「疲れているんですか?」
「何?」
「疲れてますよね」
「…」

二度目は断言めいて告げる。
黒子の発言以後、場は静寂した。
たっぷり向かい合って見つめ合い、数秒後。
ふ…と、赤司が笑う。

「…そう見える?」
「はい」
「そうか。…なら、そうなのかもしれない。お前が言うのなら」
「赤司くんには難しいかもしれませんが、たまには隙を見つけて休んでください」
「そんな時間は僕には無いよ。することがたくさんある」
「気晴らしも難しいですか?」
「気晴らし?」
「リフレッシュは大切です。赤司くんなら、その重要さも分かっているはずです」
「気晴らしか…。なるほど。…ならテツヤ。ここに来て」

言いながら、赤司が自分の隣のイスを引く。
黒子は読みかけのページ数を覚えてから本を閉じ、言われたとおりに彼の隣へすとんと腰掛けた。
隣へやってきた友人を追って、赤司は顔を横へ向ける。
隣に座ったはいいものの、特にすることもない黒子を、赤司はのんびり眺めていた。

「…?」
「テツヤを見ているのが好きなんだ」
「はあ…。それは、どうしてですか?」
「どうしてだろうね。やっぱり、見えにくいからかな。…けど、これはあまり良くないかな。止めておこう」
「そうですか?」
「ああ。…けど、他の気晴らしはしたいな。精神的ストレスが堪るのは好ましくない。どうするのが、僕らの年齢らしいだろう」
「そうですね。読書以外となると、僕はゲームセンターへ行ったり、話をしながら一緒に帰ったり…だと思います」
「なら、そうしよう」

赤司が席を立つ。
読んでいた本は近くの棚へと戻した。
彼にとってはただの暇潰しだったようだ。
対して黒子は、彼が席を立ったのを見て折角座ったところ、再び席を立った。
少し急いで前に座っていた場所に置いてきた本を取り、一足先にカウンターへ向かって機械相手に学生カードを通し、貸出処理をする。
丁度処理が終わったところを、図ったように赤司が背後を通った。

「行こう」
「はい」

黒子を気遣いながらも、やはり赤司が先に廊下へ出る。
クーラーのない廊下は、一気に別世界だった。
むわっと空気が蒸れている。

「大輝とは一緒じゃないの?」
「僕が図書室へ寄ると言ったので、先に帰ることにしたようです。お腹が空いて死にそうだとかで」
「ついてはこなかったんだね」
「青峰くんは本に囲まれることが嫌いなんです」
「想像がし易いよ。テツヤは大輝と仲がいいね」
「はい。青峰くんと一緒にいると楽しいです」
「いいことだ。大輝にとっても、テツヤにとっても。メンタルバランス的にね。…持とうか?」
「大丈夫です」

前を歩く赤司が振り返って尋ねるが、そんなに荷物でもない。
夕日を逆光に、黒子はごくごく普通に首を振った。
そんな彼を妙に眩しそうに見てから、赤司は再度前を向いた。
東向きに進む彼の顔は陰る。

「本当はね、テツヤ」
「はい」
「僕だって、お前を連れて動いてみたいと思っているんだ」
「…僕ですか?」
「そう。けど、お前の平穏を壊したくない。お前の言うとおり、僕は常に煩わしい場所にいるからだ。僕の隣は荷が重い。僕はお前を不幸にする自信がある」
「はあ…。それは…困ります」
「そうだろう。だから、僕からお前にはあまり近づかないことにしているんだ。念頭に置いておいて」
「…? 赤司くんと仲良くしてはいけないということですか?」
「少し違う。けど少しずつでいいから、お前にも加減を覚えて欲しい。今日みたいなことは、僕の中であまり好ましいとはいえない。それは結果的にお前にとってもそうだろう」

赤司の言葉は少し難しく、黒子は首を傾げた。
達観した彼の言葉を理解し、この時何を言われたかを自覚するまでには、黒子にはまだまた時間が足らない。
背中で疑問符を浮かべているであろう彼のことは分かっているだろうに、赤司は振り向きもせず続けた。

「けどね、今から何年かかるか分からないけれど…。僕に、お前を不幸にする覚悟ができたら、その時はとても泣かせると思う」
「赤司くんが僕を泣かせるんですか?」
「そうだよ。どちらも、とてもお前を気に入っているから」
「…? …えっと、よく分かりませんが…。止めてほしいです」
「それは、たぶん無理だね」
「…??」

ますます分からない。
眉を寄せ始めた黒子の気配を感じ取り、赤司は小さく笑った。
肩越しに背後を振り返り、穏やかな目元で微笑する。

「…だから、気を付けるんだよ」
「赤司くんにですか?」
「そう。僕は亀裂を見逃せないから。大輝と仲良くね。…けど、今日は僕の気晴らしに付き合ってもらおう」

始終黒子には意味不明な言葉の羅列。
赤司の言うことは逐一大人びていて、当時は彼の言うことを全て理解することは彼らには難しかった。
黒子も、さして気にせず疑問符を浮かべながら歩を進める。
校舎内を歩きながら発せられるそれが終わると、赤司は最後に昇降口のドアを開いた。
帝光中。
ごくごく普通の明るい夏の中学校舎。
そこから、比較的小柄な夏服の少年が二人、並んで出てくる。
今までフィルターがかかっているようだった蝉の声が爆発的に大きくなる。

「寄り道をしよう。アイスを奢ってあげる」
「いいんですか? ありがとうございます」

部活動が終わる夕時。
まだまだ空は明るく、典型的に入道雲が見えた。
夏らしい快晴の空。
しかしその片隅にある夏を象徴するその雲は、やがて降らす夕立の雨を孕んでいた。



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友達に黒バスを借りて読みました。
物語後半の盛り上がりと、終わりのさっぱりさが潔くて好みです。
キセキはみんな大好きだけど特に赤司君押し…というかキセキ×黒子が好き。
2015.4.27






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