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絶海の孤島。
自ら運転する小型のモーターボートで島の横穴に入り、内部に備えられた桟橋に船を停める。
舗装された階段を登っていくと古びた扉があり、見た目に反して電子的なロックを解除した。
その先の階段はやがてコンクリートになり、赤絨毯が敷かれはじめ、フロアに出る頃には、左右にランプ風の灯りも灯る立派な屋敷の一部になっていた。
思わず、周囲を見回してしまう。
大きくはないけれど、立派な西洋の屋敷を思わせる。
ボートに乗って近づいた時には、この島にこんな建物があるなんて思わなかった。きっと、外からや上空からは見えないように設計されたものだろう。
ウァドエバーは慣れた様子で、持って来た荷物をリビングの端へ置いた。
キッチンらしき部屋は一階にあった。
伝統的な使用人がいるような屋敷や城は、キッチンは地下にあることが多い。ここがそうでないというのなら、使用人を使う前提に建てられたものではないということだ。

「分かっていると思うが、外には出ないように。外の空気が吸いたければ、中庭に行くといい。そこなら、外部からは見えないからな」
「はい」
「ローカルネットや電子機器自体の使用は構わないが、インターネットは使用できない。…まあ、ローカルデータだけで大体は事足りるだろう。即時性はないが、情報量は定期的に更新され、ある程度保っている。時間潰しには図書室を使うといい。蔵書数は少なく見えるが、電子ライブラリのデータは、その辺の図書館に引けは取らんよ。他に屋敷の中のものは自由に使って構わない。立ち入り禁止の場所には、どうせ入れはしまい。…とはいえ、きみが分別のある社会人であることを期待しているよ」

ぼくは素直に返事をした。
ウァドエバーは、僕に鍵の束を渡した。
古い鍵もあれば、現代的な電子キーもある。それらが全て、大きな丸い一つのリングに連なっていた。

「わたしは数日出かけてくる。きみは、しばらくここにいたまえ」
「分かりました」

言うと、ウァドエバーはすぐに上がってきた階段を下っていった。
階段途中の扉まで見送ってから、言われた通りにその扉のロックを閉める。
扉の向こう、遠くから、ボートのエンジン音が遠のいていくのが聞こえた。見送りもできない。
一人で階段を上がり、再び一階のフロアへ戻ってくる。
窓から、小さくなっていくボートと、飛行機雲のように白線を描いては消えていく白波を見送った。
大きな暖炉と白亜の床。赤い絨毯とアンティーク調の家具一式…。
全てウァドエバーの趣味なものばかりだ。
明らかに高そうな絵画や甲冑はともかく、一見すると何でもなさそうな窓際の花瓶までもが、裏面を見れば美術史の画像データを見たことがあるくらい有名なアーティストのサインがある。
ぼくも持って来た手荷物を床に置き、革張りの厚いソファに腰を下ろした。
はあ…とため息を吐く。

「また、待機…」

不毛だと分かっているけれど、ぼくは今、ひさしぶりに自己嫌悪に沈んでいた。


最も価値ある




ぼくの名前はパイカル。
まわりからは、"スキップのパイカル"と呼ばれている。
飛び級制度を使って十五歳で大学を卒業したからだ。
ICPOの探偵卿になるという夢を叶えるために、今はウァドエバーという探偵卿の助手をしている。
ウァドエバーは、国籍不明、年齢不詳。
探偵卿になる前に何をしていたかも、データには残っていない。少なくとも、助手はしていなかった。
外見は、眼鏡をかけた中年男性で、きっちりとしたヘアスタイルとスーツを着ている。
その一番の特徴は、いつもはとても影が薄く、人の印象に残らない、ということだ。
探偵卿は、忙しい人とそうでない人がはっきり二分されている気がする。
ウァドエバーは、前者だ。
普通の任務の他に、表に出ない指令(仕事ではないかもしれないことも含まれているけれど)などで、とにかく忙しい。
中には危険なことも多いけれど、今までは命に関わるような危険も、ぎりぎりで回避できている……というのは、きっと言い方が正しくない。
正しくは、「ぎりぎりで回避してもらっている」だ。

「…。…やっぱり、足手まといになったんだろうな」

豪華な室内を見回し、ぽつりと一人呟く。

 

ここ三ヶ月のぼくは、失態ばかりを繰り返していた。
失態といっても、実のところぼく自身の誤りというよりは、運が悪かっただけだったり、普通の人間としての行動を取っただけとも言える。
けれど、「運が悪かった」で片付けられるおおよその不運は、事前に考え、予想し、準備と予防をして、その発生確率をぐんと下げることができる。
たまには本当の偶然もあると思うけれど、「自分は不運だ」と嘆いている人の半分は自分の力で何とかできたはずだと、ぼくは思っている。
ここ三ヶ月、集中して失態を繰り返しているのなら、ぼくにはそれができていなかった証拠だ。
それに、何にせよぼくがウァドエバーの足を引っ張ってしまったことに、変わりはない。
致命的だったのは、先日、怪しい男たちに、何故かぼくが狙われてしまったことだ。
相手がどういった人物だったのかは、まだ分かっていない。
ウァドエバーは狙われることが日常茶飯事だけど、ぼくはただの助手だ。今まで、そんなことはなかった。
闇の中で向けられた銃口に、ごくごく普通の人間であるぼくは気づけなかった。
任務途中だったぼくはウァドエバーと少し離れて合流を待っていた段階だったので、彼が予定より早く来てくれなければ、ぼくは蜂の巣になっていたかもしれない。
ウァドエバーと思われる疾風に吹き飛ばされてよろけた後は、闇の中で何が起こったのかよく見えなかったけれど、全てが終わった時にぼくの傍に立っていた彼は<ブラッククイーン>の姿だったから、対応するのに人間離れした速度が必要な、危機的状況だったのだと推測できる。
もちろんお礼を言ったが、ウァドエバーはどこかげんなりとしていた。

翌日、たぶん今回のウァドエバーのターゲットであっただろうと思われる有名企業重役兼マフィア幹部の死亡がニュースで速報される前に、ぼくらは現地を移動した。
飛行機に乗り、中古の自動車を買って海のある街へ移動し、車をジャンク屋に売って分解を依頼してから、何でもない老夫婦が管理をしてくれていたプライベートボートに乗って、海に出た。
数日かけてのこの移動の目的場所が孤島だと分かってきた段階で、ぼくはしばらくそこに置いて行かれるのだろうな、と悟った。
ウァドエバーは、ぼくに探偵卿の知識や経験を学ばせてくれているが、彼の第一目的はやはり任務と指令だ。
ぼくに学びの環境を与えてくれるのは、あくまで任務遂行の妨げにならない程度が大前提。
まだ未成年のぼくという存在が上手く活用できるケースも多々あるが、潜入捜査や情報収集以外の強行手段や逮捕の現場では、武術の心得もなくて運動神経の悪いぼくがいては、ウァドエバーは動きにくい。
それは、まごう事なき事実だ。
そしてこのことを理解していることが、彼の助手であるぼくには必要だ。
ぼくは、ウァドエバーの足手まといになることがある。

 

 

連れてこられた屋敷は、思った以上に広かった。
建物は地下二階、地上二階建てで、ロの字になっている。中庭は太陽の光が十分入るが、どうやら特殊なフィルターが中庭の高い空を覆っているようだ。
その証拠に、雨の日でも庭に水が降ってこない。その代わりに、中庭地下に浅く張り巡らされている給水システムが、完璧な仕事をしているようだ。
屋敷の周辺は森林が覆っているし、もしかしたら、外から見ればこの屋敷全体が見えなくなっているのかもしれない。
食材は、買い込んできたものを大型の冷蔵庫に入れてあるので、一ヶ月食べるには十分だ。
最初の頃は興味深く、屋敷の中を探索をした。
一見レトロなこの建物は、最新のシステムが多く内蔵されていた。
見たことのないシステムがあり、自分で設計図と管理図を書いて遊んでいたけれど、完成してもそれが合っているのか抜けがあるのか判断してくれる人はいない。
とはいえ、あとでウァドエバーに見てもらおうと、カバンにしまった。
屋敷は、いたるところが価値ある美術品で溢れている。
ウァドエバーは怪盗ではないから、盗むことは、たぶんしない。
普通に買うか、あるいは追い込んで合法的に奪うか、交換条件で差し出させるかくらいはするかもしれないけれど、盗むことはしないだろう。
設計図を書くのに飽きてからは、専ら図書室で過ごした。
古今東西のあらゆる書が読めた。
現代小説は少なかったし物騒な偏りも感じられるが、その辺の図書館には負けない所蔵数だろう。
一冊一冊に、無名とはいえ蔵書票が貼られている。
蔵書票は持ち主を明らかにするために貼るものだけれど、ウァドエバーが正式な持ち主なわけがない、と思うくらいの、まだ世の中に発見を発表されていないような貴重書もいくつかあって感動した。
どれも興味深いので、夢中になって読書を続けた。
最近はペーパーレスで読書をしていたから、紙のにおいや本の質量感は新鮮だ。
そうして気付いたら、既に二週間になろうとしていた……。

 

「…」

さすがに、不安になってきた。
屋敷の二階にあるテラス(この上空にもフィルターがあるようだ)に出て、手摺りに両手を添えて海の向こうを見る。
夕日側の海と空はオレンジ色に輝いているが、反対側は既に夜が訪れていて、それぞれの空の色が冗談のように違う。
まるで、この島だけが世界から切り取られたようだ。
ウァドエバーは、「数日で戻る」と言った。
一般的に、数日とは6~7日程度だ。ぼくは一週間のつもりでいた。
だけど、まだ来ない。一体、どうしたのだろうか。
電話は、一回だけ繋がった。ウァドエバーからかかってきた。
「何か不都合はないか?」と聞かれただけで、ないですと応えたら終了した。通話履歴を見たら、一分もかかっていなかった。
通信には元々出ない人だけれど、それ以降、相変わらずぼくからは繋がらない。
意味がないと分かっていても、誰かの気配を求めて背後の屋敷を振り返る。

「…」

美しい外装と、豪華なだけのリビングが見える。
食量はまだ十分だけれど、先を見越して取る量を調整しはじめた。
ぼくがここで餓死したとしても、ウァドエバーにとっていいことはないし、寧ろお気に入りのアジトの一つにぼくの死体が転がっていたら邪魔だろうから、そんなことは許さないと思う。
思うけれど……。
…。
ICPOに連絡を取りたくもあるけれど、ここはたぶん、ウァドエバーの隠れ家の一つだ。
それを本部に知られるのは、避けたい。

「あと一週間ウァドエバーさんが戻ってこなかったら、念のため、自力で脱出する方法を考えておこう…」

ぽつり、と呟いてみる。
ぼくの声だけが、空気にとける。
――と、思っていたけど、背後から返事があった。

「一週間後ではなく、今脱出してみてはどうですか?」
「――!」

若い男の声。ばっと振り返る。
そこにいる誰かを確かめる前に、顔にスプレーをかけられた。

 

 

 

 

 

気を失ってから、どれくらい経ったのだろう。
冷静な頭で考える。
数分前に目は覚めている。
けど、まだ目は一度も開けていないし、身動きもしていない。
「寝て起きても、すぐに目を開けず、目以外の器官で周囲の情報を得てから開ける癖を付けろ」と、ウァドエバーに教えてもらったからだ。
人間、起きるともぞもぞと動いてしまう。最初は、癖を付けるのに苦労した。
そのおかげで、今は自分が気を失う直前にされたことを思いだし、聴覚を始め、その他の感覚で周囲の情報を集めていた。
まず、ぼくはふかふかのベッドに寝かされている。
スプリングもシーツも掛け布団も枕も、完璧だ。とても心地いい。
匂いは、ほのかに薔薇の匂いがする気がする。異臭はしない。いいベッドだと断言できる。
それに怪我もしていないし、両手両脚も自由だ。痛むところはない。
スプレーをかけられたから、視界がどうかは気になるけれど、それは目を開けてみないと分からない。
周囲に人の気配はない。物音も殆どしない。
良くてぼくがいた屋敷の一室のベッド、悪くて場所を変えた軟禁だろう。
今のところ、ぼくに手荒なことをする意思は感じられない。それが分かっただけでも、冷静になれる。
ウァドエバーに教えてもらってよかった…。
誇らしい気持ちで少し深く呼吸したところで、頭上から声がした。

[眠ったふりで情報収集に努めようという姿勢は立派ですが、残念ながら脳波と体温で起きていることは分かっています。そろそろ、目を開けたらどうですか?]
「……」

そろり…と、目を開ける。
天井にある小型のシャンデリアが眩しくて、片腕で遮った。
けど、視力に異常はなさそうだ。ぱちぱちと数回、まばたきをする。

[おはようございます。]
「…おはようございます」

迷ったけれど、挨拶をした。
寝ているぼくと天井の間に、細いマニピュレーターが伸びていた。
スピーカーでもついているのか、そこから若い男の声がする。
周囲を見回すと、上質のホテルのような一室だった。
思った通りベッドはふかふかで大きい。枕にレースまでついている。掛け布団は厚くて軽く、生地が美しい。
最低限の家具しか置いていないけれど、その最低限の家具は適切で、また一つ一つが随分趣味がいい。
マニピュレーターが、指を動かす。

[食事の用意はテーブルの上に用意してあります。毒は入っていませんので、安心してください。]
「あなたは、人工知能のRDさんですね。」

ぼくが言うと、はい、とあっさりとした返事があった。

[よくご存じですね。]
「マガさんに、時々話を聞いています」

そうですか、非常に気になります、とトーンの下がったボイスになった。すごい。

「ぼくは、パイカルといいます。クイーンとジョーカーには何度か会ったことがありますから、あなたも知っていると思いますが」
[ウァドエバー探偵卿の優秀な助手の噂は、マガから時々聞いています。あなたは、彼女のお気に入りの一人のようです。]

お返しとばかりに、RDが受け答える。
マガにどんな風に話されているのか、とても気になる…。
…と同時に、こんな言葉返しをしてくるRDの性能に驚く。やはり、マガと同じくらい高性能なんだろう。
あそこまで高性能なら、もう本当に、非常に知的で完全な記憶力を持ち、ミスをしない人間相手に話す気にならないといけない。
気を引き締めて、ぼくはマニピュレーターに対峙する。

「…すると、ここはもしかして、クイーンのアジトですか?」
[正解です。コーヒーと紅茶はどちらが好きですか? ココアもありますよ。]
「ありがとうございます。紅茶をお願いします。銘柄はお任せします」

RDのマニピュレーターが、離れた場所にあるテーブルセットにあるカップに注ぐため、カップの用意を始める。
ぼくは冷静に、もう一度周囲を見回した。
目的が全く分からない。
ぼくは、助手とはいえICPOの人間だ。ICPOの人間をアジトに軟禁するなんて。
うまく誘導尋問ができないかと考えかけたけれど、どちらかといえば好意的なRDの受け答えを聞いて、一か八か、ストレートに尋ねてみることにした。

「ぼくを捕らえるメリットが、あなた方にあるんですか?」
[メリットはありません。]

やけにきっぱりと、RDは応えた。
なにやら、声が疲れている気がする。

[ですが、クイーンはワガママなので、言い出したら聞かないんです。言っておきますが、わたしは反対したんですよ。]
「クイーンが、ぼくを捕らえろと言ったんですか?」
[その質問に対する答としては、NO、ですね。]

ぼくは少し考え、もう一度尋ねた。

「質問を訂正します。クイーンが、ぼくをここに"連れて"くるように命じたんですか?」
[その質問に対する答も、NO、です。]
「もう一度、質問を訂正します。ぼくが今ここにいる理由のうち、最も大きなものは、クイーンの発言があったからですか?」
[その質問には、YES、です。]

淡々としたRDの声。
ますます分からない。
ぼくはクイーンを捕まえたいと思っているけれど、クイーンはぼくなんて気にも留めていないだろう。
ぼくを気にする暇があるのなら、まずはウァドエバーだと思う。
そこを飛び越えて助手のぼくに矛先が来るなんてことが、あるのだろうか。

[安心して下さい。あなたに危害を加える気は、全くありません。食事が終わったら、クイーンの所へ案内します。]

ゆっくりとベッドから両脚を下ろす。
着ている服はそのままだった。体を確認しても、怪我や変わったところはない。

「…。食べ終わったら、脱出を試みてもいいですか?」

勿論です、と穏やかな返事があった。

[ICPOの人間として、正常な行動です。心ゆくまで試してください。]

楽しそうな人工知能の受け答えに、ぼくは逃げられないのだと悟った。

 

 

 

 

ぼくが捕らえられたのは、空の上だった。
地上3,500フィートの、空を覆う超弩級飛行船。
クイーンは、よく移動で飛行船を使用するという情報はあるが、あまりに音もなく揺れもなく飛んでいるものだから、ぼくは初め空の上だとは信じられなかった。
船内の廊下の内装も、歴史ある屋敷のような雰囲気だ。
地上のどこかだろうと当たり前のように思っていたので、RDに外が見える場所に連れて行ってもらい、ようやく納得した。

「やあ、また会ったね!」

ぼくが部屋に入ると、クイーンは立ち上がって両手を広げて出迎えた。
長い銀髪に月色の瞳。中性的で文句の付けようのないスタイルと美貌。
ぼくがもっと幼い頃に憧れていた、怪盗クイーン。
けれど、今のぼくの憧れは彼ではない。
それでも、入って来た時にソファで寝転がってごろごろしていなかったら、きっともっと輝いて見えただろう。
ソファの横に立つ黒いチャイナ服の若い男は、ジョーカーだ。
黒髪碧眼。その立ち姿と眼力だけで、静かでしなやかな獣を思わせる。
二人の一挙手一投足を観察しながら、侮られてはならないと、普通通りに挨拶する。

「お久し振りです」
「元気そうで何よりだ。よく眠れたかい? 薬品なんてデリカシーのない方法で済まないね。いつもなら、殺気で動けなくさせたり失神させたりしてからお招きするんだけど、ジョーカーくんは女性と子どもにはやりたがらないんだ。極力恐怖心も植え付けたくないとかでね。後ろから口を塞がれたって、薬品をスプレーされたって、十分怖いのにね」
「クイーン。何度でも言いますが、ぼくは彼を巻き込むのはそもそも反対なんです」
「RDの用意した食事は美味しかっただろう?」

ジョーカーの言葉を無視して、クイーンはにこにことぼくへ尋ねる。
無視されたジョーカーがクイーンの背中で思いっきり睨んでいる。

「はい。ご馳走様でした。…それで、早速ですが、ご用件をお伺いします」

ここに来てからの、ぼくの扱いは上々だ。
RDの言う通り、危害を加える気はないようだし、ぼくを人質に脅すということも、クイーンはしないだろう。
つまり、ぼくを攫う理由は、単純に何かしらの用があるからとしか思えない。
ICPOに何か伝えたいことがあるのかもしれない。
メッセンジャーとしては、現実的な戦闘能力のないぼくは、最適だからだ。

「さすが、察しが良いね。少年探偵はこうでなくちゃ」

何故か、背後のジョーカーへ向けて言うクイーン。
ジョーカーはまるで子供のようにぷいと顔を背け、クイーンからのウインクを無視する。
クイーンは、再び僕へ向いて軽く両手を広げた。

「わたしがきみをここへ招いたのはね、ちょっとした趣向返しみたいなものだよ」
「趣向返し…?」

意味が分からないぼくへ、どこからかRDの声が聞こえてくる。

[先日、ジョーカーとわたしに注意され、ようやくクイーンが重い腰を上げてしぶしぶ怪盗の仕事を始めかけた時に――]
「しぶしぶじゃないやいっ。そろそろやろうとしてたんだ!」
[仕事を始めかけた時に、タイミング悪くそのターゲットをウァドエバー探偵卿が手に入れたという経緯がありました。]

小学生のような主張をするクイーンを無視し、RDが告げる。
先にウァドエバーが目的物を入手した。つまりそれは、"守った"ということだ。
クイーンが次に狙いそうなものを事前に見極め、先手を打ったのだろう。すごい。
クイーン相手だと、ぼくたちICPOはいつも後手にしか回れない。どこか特定の国で活動している窃盗犯などとは違い、世界各国が範囲内だ。予告状が届いて、初めて次に何が狙われるのか分かる。
狙われるものが分かったら、その国の政府とやり取りをすると同時に、警備を整える。
けれど、もし予告状が出される前に次に狙われそうなものが分かったら、それを守れる。
対クイーンで唯一それができるのは、ウァドエバーだけだ。
問題は、分かっていても、その対象物を守る気が彼の中で起きるかどうか……という点だけだけど、今回は守ろうと思うようなものだったのだろう。珍しいことではある。

「そこで、わたしも彼の宝島にお邪魔してやった、というわけさ。やられっぱなしは、性に合わなくてね」

ふふん、と胸を張るクイーン。
…あれ? 彼はあの館に来ていたっけ?
ぼくが見かけたのはジョーカーだけだったような気がするけれど…。
ちらりとジョーカーを見ると、目が合った。「何を言っても無駄ですから…」的な気持ちが、諦めの瞳から流れ込んでくる。

「それは、ウァドエバーさんの所から、何かを盗んだということですか?」
「もちろん」

ますます、胸を張るクイーン。ぼくは少しショックを受けた。

「わたしは、あの宝島の中で、彼にとって最も価値あるものを盗んだつもりだよ?」

クイーンが、ぼくにウインクをする。
美しくてユニークな印象だけど、やっぱり怪盗だ。
宣言後にセキュリティを突破して犯行を完遂することは、確かに能力が高くなければできないし、ただの窃盗犯とは比べものにならない、ある種の美学を感じる。
でも、それなら最初から最後まで、全て水面下で行えばいいのに。
「盗みました」と言われたら、ICPOのぼくはクイーンを捕まえる努力をしなければならない。
それに、ウァドエバーのものを盗むなんて。
何を盗んだんだろう。分かれば、駄目元でも取り返す努力をしたい。
クイーンは人を殺さないと分かっているから、調べるくらいはできるかも…。

「今回は、予告状もしっかり送ったからね。偉いだろう?」
「偉くありません。普通です。しかも、当日予告だったじゃないですか」
[当日予告は、この間だけじゃなかったんですか?]
「いいんだよ。盗む直前までは、予告は予告だもん」

ぷくりと片頬を膨らませるクイーン。
ぼくの中の彼のイメージが崩れっぱなしだ。
けれど、確かな存在感というか、威圧感がある。迂闊な行動は取れないし、取るべきではない。

「まあ、とにかくしばらくはゆっくりしていってくれ。ジョーカーくんと遊んであげると、彼も喜ぶよ」

ぼくは曖昧に頷くしかなかった。




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ウァドさんは、自分の秘密基地のいくつかは助手君に教えてあげている気がします。
ジョーカーさんとパイカル君はきっと友達になれる。
長くなったので、<後編>に続きます。
2020.7.4





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