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「…」

さわさわと好き好きに周囲を流れる人々。
その中で、ぼくだけがぽかんと時を忘れたように、目の前の大きな紋章を見上げていた。

「感想を聞こうか」

いつの間にか、数時間行方不明だったウァドエバーが横に立っていた。
一度彼を見上げ、再び真正面を向く。
小さな地方の納骨堂。
今は、個人所有のこの納骨堂が、世界的に有名なのは知っていた。
それは、本で読んだからであり、webで見たから。
けど、それらはここにこうして立つまで、全て知識でしかなかったのだと思い知る。

「感想ですか?」
「そうだ」
「思った以上に、美しい建築物だと思います」

それは本心だった。
ウァドエバーが嗤う。愉快そうだ。

「では、美しくないものは?」

ぼくはすぐに答えなかった。
祈りを捧げる人も中に入るが、大凡の人は、スマホやカメラを片手に笑顔で周囲を撮影している。
ウァドエバーが歩き出し、ぼくは質問に答えないまま、彼の後に続いた。

チェコにある、セドレツ納骨堂。
戦争やペストで亡くなった4万人分の人骨。
そのうちの1万人の骨を使って作られたシャンデリアや天井や壁の装飾、そして大きな紋章は、確かに美しいと思った。
別名「骨の教会」は、ぼくの想像よりも、ずっとずっと小さな建物だった。


I have no time to dying!




納骨堂を離れても、ぼくの頭はどこかぼんやりしていた。
それでもウァドエバーの後を追い、いつの間にか、ホテルの一室にあるソファに腰掛けていた。
今日見聞きしたことを、情報としてまとめる。そんな習慣は、すっかりぼくの体に馴染んでくれている。
ぼうっとしていても、手は勝手にタブレットをタップして、子細をまとめていた。
相変わらず、ウァドエバーが宿泊するホテルは五つ星ばかりだ。
滞在が「ホテル」であることから、この国に留まるのは短期間で、且つ比較的温厚な滞在目的だと思われる(あくまで当社比)。
金細工と赤い生地でシックに作られているソファ。
窓際の一人掛け用のソファに腰掛けて手記を開いているウァドエバーは、いつも通りだ。
彼にとっては、あの納骨堂は何てことのない建築物なのだろう。
けれど、ぼくは違う。
ぼくは、今まで死体を見たことはあっても、人骨はあまり見たことがなかった。
今更「死体が苦手」なんて可愛いことを言う気はないし、それじゃ仕事にならない。
それでも、今まで見てきた死体は比較的原形を留めているものが多かったし、例えば白骨化して肉から骨が一部突き出ているとか、そういう死体なら見たことはあるけれど…。
完全な人骨は、大学の時や研修の時に見たことがあるくらいだ。
それらは何と言うか、ぼくの想像よりも、ただ美しかった。
今日の見識は、ぼくにちょっとした衝撃を与えた。
何が衝撃って、人骨そのものでなく、あれらを見ても思ったより悪い衝撃を受けず、「人骨は美しいな」と思ってしまうという感性を、自分がいつの間にか持っているということだ。
それでも、写真を撮ろうなんて思わなかったけど…。

「…」
「いい経験になっただろう」

手元から視線を上げず、ウァドエバーが言う。
経験にはなった。ぼくは頷いた。

「はい」
「骨の教会などと呼ばれるが、騒がしい人間たちさえいなければ、あの納骨堂は美しい。数多の人の死や一時の狂気も、時を経てこうして娯楽めいた観光地と静かな美しさを得る。そして、あれらの死を娯楽として違和感を持たない醜い人間たち…。この世に、確かなものなど何もない。定まり、確立された価値観なども、無きに等しい」

「だから、時の法律や正義に従うことなど、馬鹿馬鹿しい」と、続くのだろう。
そうなのだろうな、と考える。
多くの人骨。
悲劇であるはずのそれを、装飾品とする時代の狂った感性。
しかし、時を経てそれらを愉しむ人々…。
…嫌だろうな。死んだ後、ああして勝手に骨を飾りに使われてしまうなんて。
けれど、ぼくはそれを美しいと思ってしまったのも、事実だ。美意識に、罪悪は関係ない。
善と悪の境目なんて、ひどく曖昧だ。
ぼくは、何だかぼく自身が怖くなってきた。
そう考えていくと、尚のこと、ウァドエバーを尊ぶ気持ちが出てくる。
きっと、この思考はずっと昔に、ウァドエバー自身が通った"道"のような気がする。
その"道"の先に、今の彼がいるのだろう。
早く、ぼくもそこに至りたい。

「ウァドエバーさんは、あの納骨堂に行ったことがあったんですね?」
「何度かな。人間とは、取るに足らないくだらん生き物だと再認識するには、良い場所だろう。きみも、上手く使えるようになりたまえ」
「はい」

冷酷なことを言っているようだけれど、案外そうではない。
人間が取るに足らないと再認識したい、という理由で行くのであれば、何度も、人間は取るに足る、と心が動いているからだ。
…ウァドエバーでさえ、心動くのなら、今のぼくがこうして動揺するのは当然だ。
そう考えると、少しは気が楽になった。

「きみがわたしより先に死んだら、プロに特注して、ああして飾り立ててやるのもいいかもしれんな」
「本当ですか?」

思わず振り返る。
念押しの意味で聞き返したぼくの言葉に、ウァドエバーは手記から視線を上げて訝しげにぼくを見た。

「骨の話だぞ?」
「骨の話ですよね」

土の中に眠るなんて、ナンセンスな気がしている。
知らない人に勝手に弄り倒されるのは嫌だけど、知っている人にぼくの骨を使ってもらえるのは、嬉しいことのような気がする。
ウァドエバーならきっと、いい装飾品にしてくれるだろう。
土の中で寂しくつまらなく眠るより、今と変わらない調子で、世界を庭にするウァドエバーに着いていきたい。
悲観的になるつもりはないし死ぬつもりなんて勿論ないけれど、ぼくの死は、そんなに非現実的ではない。
「ウァドエバーが死亡する可能性と、ぼくが死亡する可能性、どちらが高いか?」という質問に置き換えれば、十人中十人の回答は一致するだろう。
思い返してみれば、今までだって危険な機会は何度もあった。
「メメント・モリ」という言葉がある。
ラテン語で、「死を想え」とか「死を忘れるな」という意味だ。
他の多くの人たちと同じように、ぼくの歩もうとしている道のどこかには、きっとぽっかり穴が空いている。
その穴がどこにあるか分からない、というだけで、確実にあって、ない人なんていないんだ。
今は技術も発達していて、骨を陶器にしたりできるらしいし、そういうのでもいい。
よく聞くのは、アクセサリーとかだけど、ウァドエバーはアクセサリーなんて付けないだろう。
となると…。

「グラスはどうですか? 仙太郎さんに聞いたのですが、アジアの日本では、昔サムライは人の頭蓋骨をサカヅキというグラスにしていたこともあるそうです。それでお酒を飲むんだとか。今の時代なら、粉末にしてデザインを特注して、骨の成分で美しいグラスだって作れます」
「きみの骨の話だぞ?」
「はい。ぼくの骨の話ですよね」
「…」

もう一度、ウァドエバーが問いかける。
ぼくは少し疑問に思いながら頷いた。
話は通っていると思うのだけれど、ウァドエバーは一体何を気にして聞き返しているのだろう。

「…ふん。馬鹿馬鹿しい」

突然、ウァドエバーは鼻で嗤って、再び手帳を見下ろした。
えー…。自分で言ったのに…。
どうやら、冗談だったようだ。
残念に思いながら様子を盗み見ると、ウァドエバーが詰まらなそうに、眼鏡の奥で彼が目を細めたのが分かった。
何となく足下がひやりとしたのは、気のせいではないだろう。
ウァドエバーはいつも気をぼくに当てないようにしているようだけれど、何となく漏れ出てくることもある。

「きみがすぐに死ぬような脆い助手ならば、今すぐにでも辞めて欲しいものだな。殉職されると、手続きが面倒でね。ルイーゼもうるさくて敵わない」
「お手を煩わせないように、気を付けます」

何故か突然不機嫌になったウァドエバーの様子に慌てて、ぴっと背筋を伸ばし、敬礼する。
そんな時は、行方不明で片付けてくれても構わない。
彼の手を煩わせるくらいなら、それでいいと思っている。
…けど、今は口に出すのは止めておこう。
ぼくが助手である以上、ぼくが殉職してしまっては、どんな形にせよ、きっとルイーゼさんはウァドエバーに何かを言うだろうから。
現実的に一番迷惑をかけない方法は、ぼくが健全にウァドエバーの助手でい続けることだろう。
ぼくはウァドエバーの職務を近くで見られる、ウァドエバーはルイーゼさんやその他の人たちに小言を言われない、ルイーゼさんはウァドエバーに小言を言わなくて済むし上司からも小言を言われない、ぼくが殉職してしまった後に来るであろう新しい助手がウァドエバーにいじめられることもない。
骨になってしまったらウァドエバーに使ってもらうのも良いかもしれないけれど、一番みんなが幸せな方法は、やっぱりぼくが生きて助手をし続けることだろう。
ああ…。けれど、ぼくの次に来る助手が、ウァドエバーの気に入るような人だったら、どうしよう。
ぼくが今までで最も彼の助手として"長持ち"しているようだけれど、次はもっと長持ちする可能性も捨てきれない。
…でも、どうして今までの助手は、そんなに短期間で辞めてしまったのだろう。
ウァドエバーは厳しい人だけれど、かといって泣いて逃げたくなる程、酷い人ではないと思う。
ふと気になって、尋ねてみる。

「ウァドエバーさん。質問してもいいですか?」
「何だね」
「今まで、何回くらい、助手が変わったんですか?」
「覚えていないな。興味がないのでね」

殆ど即答に近い返事だった。
ウァドエバーにとっては、助手たちは、ただの数字ですらないのだろう。
ぼくも、助手を辞めたら忘れられてしまいそうだ。それは少し寂しい気がした。
と同時に、いっそウァドエバーらしい気もした。
過度な期待は止めておこう。
要は、ぼくが彼の記憶に残るくらいに、彼にとって有能になれればいい話だ。
いつか、「いなくなるのは惜しい」と思わせられたらいいな…。
そんなことを考えなら、ずっと膝の上に置いて放置していたタブレットの画面を終了させようと、タップする。

「きみは、わたしの捜査方法やスキルを覚えたいのだろう?」

視線を下げて画面を終了させた矢先に、ウァドエバーがそう言った。
顔を上げて、距離のある彼へ返事をする。

「はい」

ウァドエバーの持っているスキルを一つでも学んで、ぼくは探偵卿になる。
そして、唯一無二のぼくの正義のためにこそ、ぼくは貢献する。
世の中に、「正義」と名の付くものは、たくさんある。
それらに惑わされないように、ぼくは、ぼくの価値観を研ぎ澄ますためにも、美しいものと同じくらい、醜いものも視なければならない。
真っ直ぐに返事をするぼくを、ウァドエバーがちらりと一瞥した。
鼻で嗤う。
けど、視線が優しい。

「まだまだ、先は長いな。骨になっている暇はなさそうだが?」

そう、先は長い。
確かに、骨になっている暇など、ぼくにはない。
ぼくはタブレットを置いてソファから立ち上がり、敬礼した。

「引き続き、お世話になります」
「全くだ」

ウァドエバーが肩を竦める。
それきり、突然興味を無くしたかのように、彼は再び手帳へと視線を落とした。



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パイカル君の死生観。
…とはいえ、ウァドさんに気に入られている間は防御率100%だろう。
彼の善悪混じるポジションが好きです。
2020.11.26





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