「研磨ァー。帰んぞー」
自分の仕度が出来たタイミングで、クロが部室の壁際に座って両手両足投げだし、うとうとしていた研磨を呼ぶ。
そんないつもの光景を、イスに座って日誌ノート着けてた俺は、それでも顔を上げて見守ってしまう。
何でかな。
俺だけじゃないんだろうけど、ついつい研磨が話題に上ってる感を察すると、様子を窺ってしまう。
危なっかしいっていうわけじゃないけど…なんか、目が離せないタイプだから。
自分のロッカー前で着替えていた海も、似たようなものらしい。
ちらりとクロたちの方を見ていた。
クロの声で目は覚ましたみたいだが、なかなか起きようとせずそのまま壁に頭を預けてまた目を閉じる研磨。
彼に、スタスタとクロが近づき、片手でピシャリと頭を一回叩く。
それから、フードを片手で掴んで持ち上げた。
嫌々ながら腰を浮かせる研磨は、その性格も相まってびろんと襟首掴まれて伸びる猫に見える。
「帰んだよオラ。起きろ」
「ねむい…」
「家帰って寝ろ。立てほら。…ったく」
研磨の脇下に手を入れて改めて引っ張り上げ、立たせた彼の片腕を掴む。
ふらっふらな研磨の状態が不安で、思わず部室のイスに座ったまま可愛い後輩の帰宅を案じる。
「おいおい…。研磨大丈夫かー?」
「んー…。だめ…ねむい…。クロおんぶ…」
「…。本気か?」
「研磨…。俺らほら、DKだしさ…それは止めようか」
「言ってみただけー…。…でもしてくれるなら運んでほしい」
「…」
「こらクロ!考えるなっ!」
片手を顎に添えて沈黙するクロに、思わず突っ込む。
高校だっつーの、俺ら。
流石にアウトだそれは。
俺が突っ込むと、クロは分かってるとばかりににやりと俺を見て低く喉で笑った。
…なんだ、冗談か。
突っ込み待ちだったらしい。
分かり難いんだよお前らは。
「ジョーダンだよ、バカ。…おい研磨。ここ持ってろ」
「んー…」
自分の背負ったリュックのベルトを一本、研磨に持たせる。
リードか。
胸中突っ込みいれてるが、よろよろしている研磨はそれを握ったついでに、ぼす…と頭からクロのリュックに飛び込んで額をぐりぐり押しつけ始めた。
…ああもう。
ほほえまっ!
ほんっとナチュラルに可愛いことするんだから、どーするコイツ!
見ている俺と海の他に、突撃されたクロも沈黙して一連の流れを見送る。
…うん。
そりゃそんなことされちゃー…。
「…めんどくせーな」
はあ…と溜息を吐いて、心底面倒臭そうな顔をしつつも、クロは研磨の背負ってるリュックを腕から抜き取ると、自分の左肩にかけた。
持ってろと告げたはずのリュックベルトから研磨の指を離させ、片手でナチュラルに手を握る。
ふらふらして半分夢の中の研磨は、リュックからクロの片腕へ枕を変えて寄りかかった。
うわ、すげ…。
いやでも…つーか、ですよねー。
そーなるよね、そんなに甘えられたら男としてさ。
相手は女子とかじゃなくて研磨ってところがクロらしいけど…。
ぴっとり片腕にくっつく研磨。
面倒臭そうにしながらもしっかり手間のかかる年下の幼馴染みを気遣いながら、クロは出入り口へ片手をかけた。
「じゃあな、夜久、海。鍵宜しく。お先ー」
「おう」
「気を付けてね」
「研磨。クロから離れんなよー? 帰れなくなるぞー」
「…うん」
ぼんやりした声が上がるが、クロの腕に押しつけている頭は上げない。
そのまま、二人は部室を出て行った。
…。
「…なーんか、いいなぁ」
部室のドアが閉まって数秒。
はあ…と溜息を吐きながら、シャーペン片手に俺は机に頬杖を着いた。
同じく部室に残ってる海が、笑いながら着替えを再開する。
「いいなって、何が?」
「いや、あの二人。何か、すげーワカッテルっつーか…仲いいじゃん。学年違うのにいつまでも変わらないとか、すごくね?」
「幼馴染みパワーかな」
「俺、幼馴染みいねーんだよなぁー…。…なあ。幼馴染みって、やっぱあんな感じなの?」
俺には幼馴染みがいないから、"幼馴染み"の親密関係がどんなものなのか想像つかない。
素人目にはクロと研磨は仲が良すぎる気がするが、漫画とかで見る幼馴染みって結構なレベルで仲良しだしな。
あんな感じが普通なのかなとも思う。
尋ねると、海は笑った。
「どうだろうね。家が近くて小さい頃遊んだ相手って意味ではいないこともないけど、もう疎遠だし。俺は、あの二人以上に仲いい幼馴染み関係に会ったことないかな」
「あー。じゃ、やっぱ変わり種なんだ、あいつら」
苦笑する。
そうだよな、そんな気してた。
友達のこと悪く言う気は全然ないけど、悪い意味じゃなくても、だって何か…ちょっと異常に親しいもんな、あいつら。
…まあ、その要因としては研磨のあの極度の人見知りなんだろうけど。
あのほっとけないオーラがすげー威力を持っている。
「あーあ。なーんか羨ましー」
両手を机の上に伸ばして、体を背もたれに寄りかからせて真上を向いてみる。
汚れた部室の天井が見えた。
…あ、蛍光灯のとこ蜘蛛の巣張ってら。
あとで掃除しなきゃ。
ぼんやりそんなことを思っていると、着替えが終わって制服になった海が、タイを締めながら俺の方を向いた。
「羨ましいの?」
「おう。何かいいなーって思わね?」
「どっちが羨ましいの? クロ? それとも研磨?」
「…ふぇ?」
投げられた疑問が一瞬理解できなくて、俺は天井を向いていた視線を下げて海を見た。
距離が空いているけど、海がいつもと変わらない穏やかな表情でのんびり俺の方を見ていた。
…。
おおう…。ちょっと待て。
確かに、そう問われるとどっち取るかで結構違うな…。
ガタッ…と背を浮かせて机に前のめりに姿勢を変え、片手を口に添えてちょっと真剣に考える。
俺、どっちが羨ましいんだろ。
…。
「うーん…」
「仲いい奴が欲しいってだけ?」
「んー…。いや、でも…クロだな。クロ」
「へえー。あ、そうなんだ?」
カバンを片手に、海がこっちに来ながらそう言う。
声は相変わらず柔らかくて察しにくいけど、ちょっと意外そうな彼の言葉に、俺が意外に思う。
「え、何で? 変?」
「ううん。変じゃないけど、夜久は研磨が羨ましいのかと思った」
「いやー。研磨ポジションであれこれしてもらうのも楽かもしんないけど、どっちかっつーと頼りにされたいじゃんやっぱ。男としてはさ」
「そうかもね」
「ああいう、"俺がいないとダメだな"的な奴が傍に一人いたら、色んなことしっかりしなきゃって思ってあれこれできるようになれそうだし。…てかクロの奴、テキトーそうに見えて結構万能だからな。てか聞ーてよ、海。俺らのクラスの女子とか、だいたいあいつのこと好きだからね。有り得なくね?」
「クロはモテるからね。気持ちは分かるかな。いつも何だかんだで余裕あるしね」
「彼女はつくんねーし」
「可愛い幼馴染みの世話に忙しいしね」
「クソ、ムカツク。やっぱ身長かー? …いやっ、男は背丈じゃない!」
「あははっ」
勢いよく右手で机を叩くと、海が笑いながら机の端にカバンの底を置いた。
俺も少し笑って、そんで現実に戻ってはよ日誌を書かんとと思う。
…えーと、今日やったメニューに忘れはないかな、と。
チェックしながら、棒読みで海に聞く。
「そう言えばさー。海はなるとしたらどっちがいいんだー? クロと研磨」
「俺? …俺もやっぱり、クロ側かな。面倒見る方が性に合ってると思うし、たぶん単純に好きだし。何かされるより、してあげたいなって思うタイプ」
「ああ、うん。海はそれっぽいよなー」
「そう。だから…夜久が研磨派なら、俺たちもぴったりきたね」
「あははっ、確かにー!」
笑いながら雑なメモに書かれている今日の練習メニューを、日誌に清書していく。
もう少しかかりそうな俺の手元を見下ろしてから、海はカバンを机から浮かせた。
「じゃあ、悪いけど俺もお先に。電気と鍵宜しく」
「おう。じゃあなー」
「また朝練で」
ガララ…と引き戸が開き、そして閉まる音。
「…」
足音が遠ざかっていくのを聞いて、聞き終わってから、ぺっと掌からペンを放り出した。
音を立てて机の上に転がるペン。
それを無視して、肘ついて俯くと両手で顔を覆う。
…。
いや…。
いやいやいや。
ちょ っと 待 て――。
一呼吸置いて、俯いて顔を覆っている指の間から、ちらっと目の前の書きかけ日誌を見下ろす。
「――」
顔が死にそうなくらい熱い。
…なんだ。
今の会話。
何か変じゃなかったか?
今の普通の会話だったか?
何かちょっと不思議に思うのは俺だけか??
自惚れてたらゴメン、でも――軽く告りっぽくなかったか?
告りとかじゃなくても、アピールっぽかった気がするのは俺の自惚れだろうか。
…てか、今俺、うまくさばけたか?
大丈夫かな??
混乱が混乱を招く。
…違うんだ、そんな気最初は全然してなかったんだけど。
海はフツーに、頼りになる部活友達で副部。
けど、だって…毎日毎日、こっちはクロと研磨のあんな感じの見てんだぞ、二年間も。
何かほら、こう…何か、思っちゃうじゃん!そういうの!
誰ともなしに言い訳を連発しておく。
「……。うっわ…。や、ば…」
胸が苦しい気がして、一度片手で胸元のジャージを押さえた。
それが露骨っぽく感じて、すぐ離して手の甲を口に添えると無意味に咳をしてみる。
…ダメだ。
顔が熱い。
海、いつもあんなこと言わないのに、不意打ちの一撃とか止めて欲しいマジで。
ちょっとそろそろ、普通の顔するのもしんどくなってきてんだっつーの。
「…ああっ、もう!」
バチン!と両手で自分の頬を一度叩いた。
背筋を伸ばしてペン拾い、さくさく書き始める。
やっつけ仕事で日誌を書くと、担当の所に自分の名前を書いて閉じ、慌ただしく荷物をまとめて電気を消す。
急いでドアを閉めて鍵をかけ、逃げるように校門へ向かって歩き出す。
これ以上ここにいたら、俺は友達相手に恋をしてしまいそうだから。