一覧へ戻る


「…クロ。うしろ」
「あ?」

合宿時、体育館側に近い校舎内の水道前。
音駒の黒尾さんとセッターのキスシーンをうっかり見かけてしまった俺は、ひとまず足を止めてみた。
始めの頃こそ何とも言えない空気をどうしていいか分からず困惑したが、このうっかり目撃してしまうことはこれで三回目くらいなので、そろそろ動揺も無くなってきた。
タオルを濯ごうと片手にそれを持って水道に来たわけだが、その水道前で、背後からプリン髪のセッターに覆い被さるように黒尾さんが緩く抱いてキスしていた。
黒尾さんの肩越しにセッターと目が合い、それはそれでどうなんだと思わなくもないが、小柄な彼は黒尾さんのティシャツの背を細い手で少し引っ張り、俺の存在を主張する。
そこでようやく、黒尾さんが俺に気付いて振り返った。

「お。なんだ、赤葦か」
「…お疲れ様です」

どう返して良いやら分からず、曖昧に挨拶する。
何でもなさそうな調子の黒尾さんが腕を緩め、その中からするりと音駒のくせ者セッター…孤爪がすり抜けて出て行き、こちらもまた何事もなかったかのように両手を洗ってうがいをしだした。
まるで、今まで気紛れで野良猫を撫でていたが、知り合いが来たからそれを止めた、程度の軽さだ。
…というか、キス直後に目の前でうがいってアリなのか?
ナシだろ。
気になったが、他ならぬ当人達が気にしていなさそうなので俺が気にしても仕方がない。
当初から手洗いうがいに来たが、その途中で黒尾さんがじゃれついた感じなのかもしれない。
本当に素っ気なくいつも通りに、直前には何事も無かった様子で黒尾さんが俺に続ける。

「タオル洗いに来たのか? お前んトコはそーゆーのマネの仕事じゃねーの?」
「カゴに入れればやってもらえますけど、もう少し使いたいんで」
「へー。いいねえ、マネージャー。羨ましいねえ」
「…先戻るよ」

立ち話している俺たちの横を通って、孤爪が体育館の方へ歩いていく。
黒尾さんを待つ様子も無いし、振り返りもしないし俺を気にする様子もない。
歩いていく後輩に、黒尾さんが片手を腰に添え間延びした声で応える。

「おー。ゲームばっかしねーでちゃんとメシ食ってろよー? あとでチェックすんぞー」
「…」

黒尾さんの声に応えず、てくてくと孤爪は校舎を出て行った。
その後ろ姿に俺の方が微妙に焦り、彼をちらりと見た後で肩を竦めた。
…本人達が見られても動じないのに、俺が動じる必要も無い…か。
改めて水道を使わせてもらおうと、蛇口を捻った。

「お前足音無いのな。気づき難いわ」

もう自分の用事は終わっただろうに、黒尾さんは横で佇んだまま腕組みをしてにやにやとこっちを見ている。
さっきの件に関して、何かしらの感想を言って欲しいのが目に見えている。
タオルを濯ぎながら、呆れ半分で口を開いた。

「…控えた方がいいんじゃないですか?」
「んー?」
「俺だからいいですけど、他の方々だと驚くと思いますよ」
「ウチの部員はほぼほぼ知ってっから」
「うちの部員はほぼほぼ知りませんよ」
「あー、まー。…つっても、隠したってなー」

首の横に片手を添えて、黒尾さんが他人事のように間延びした声で言う。
俺からすればその神経が信じられない。
色々と飛び越えてしまっている人だ。

「羨ましいだろ?」
「…」

にっと悪気無く笑う黒尾さんに心底呆れる。
敵ながらプレイヤーとしてこの人のことは感心することも多いし、合同合宿でもやる気のある後輩に対して面倒見がいい。
なかなか大きな器の持ち主だと思うけれど、些か人の領域に土足で入ってくる感もある。
敢えて小さく息を吐いて、蛇口を捻って水を止めた。
タオルを絞る。

「ヌく手伝いくらいはしてやってる時あるんだろ? まだ告ってねーの? AV一緒に見る仲なんだろうが」

黒尾さんの言葉にげんなりする。
…あの人、そんなことまでこの人に話してるのか。
止めて欲しい。

「何の話ですか…」
「乗っかり方教えてやろうか、俺と研磨で。3Pイケるクチ?」
「…」

無視して、パンッ…!と強くタオルを一度両手で開いた。
無言の俺の反発に、黒尾さんはくつくつと笑う。
…黒尾さんが悪い人じゃないのは見ていれば分かるが、俺が直接的に黒尾さんと仲がいいわけではないし、性格の奥までは見聞きしていない。
一応"恋人"らしい音駒のセッターに対して見た感じ相当甘いようだが、関係はというと俺からすれば随分クールに見える。
どっちかといえばセフレなんじゃないかなと思わなくもない。
少なくとも、自分と恋人に他人を交えてセックスしようと提案するのはどうかと思う。
…まあ、所詮他人の恋愛だ。
好きにすればいい。
俺の無言の反発が気に入ったのか、わざわざ俺がタオルを折り畳むのを待って一緒に体育館へ戻る。

「お前、意外と恋愛に夢見てんのな」
「黒尾さんがぶっ飛んでるんですよ」
「そりゃあすみませんね~。…だがまあ、アイツ馬鹿だからサ」

一体あんたはどーゆーポジションなんだと思いたくなるような我が物顔で、黒尾さんは頭の後ろで両手を組んだ。

「お前が動かねーと、何も進展しねーだろ」
「…だから、何の話ですか」
「んー。木兎にゃデキが良すぎる嫁だからな。モノにしといてほしーのよ、俺としては。変な女に引っかかるよりゃ万倍マシだろ。お前だって自分でそう思うだろーが」
「…」

無言ですたすた歩く歩調を強める。
黒尾さんは本気で応援しているんだかからかいたいんだかよく分からない…というか、そもそも応援は必要無い。
余計なお世話というやつだ。
まだ木兎さんがバレー部に所属する時間はあるし、俺はそれを最長まで延ばしていくつもりでいる。
バレーに集中しなきゃいけないここからの時期に、余計なプライベートの感情やもめ事を持ち込んで乱れるのは本末転倒どころの話じゃない。
コートの中にプライベート持ち込まないメンタルの強さがあればいいが、木兎さんはそうはいかない。
あの人のコンディションを微調整しなきゃいけない俺が、どうしてそれを乱さなきゃならないんだ。
…というか、大前提として。

「木兎さんは小さくて可愛い女子が好みだそうですよ。お姫様抱っこしてあげたいらしいです」
「ぶはっ…!」

後ろから付いてくる黒尾さんが吹き出す。
脈なんて、無いだろ。
木兎さんは普通に女子が好きだ。
先輩方でよくエロ画像なんかを見ているところを見かける。
無駄な期待はしない。
木兎さんの為にもならない。

「もったいねー。ケッコー可愛いのに」
「…? 木兎さんがですか?」
「いや? お前が」
「…」

流石に足を止めて、半眼で振り返る。
相変わらずにやにやとした笑みで、黒尾さんは俺を見ていた。
それが正直、不愉快だった。
孤爪のことを構い倒している感じがしていたけれど、案外誰でもいいのか、この人は。
そう言えば烏野の月島に対しても妙にご執心だ。
一度視線を交わして、興味の無さを露骨に示すように視線を反らし、再び歩き出す。

「はあ…。それはどうも」
「全然嬉しそーじゃねえな」
「実際あまり嬉しくはないので」
「ま、踏み込みに勇気いるのは分かるけどな。しかも木兎だし。どー転ぶか分かんねーな」
「独特な人ですからね」
「けどお前、ホント可愛いじゃん。意外」
「…!」

くんっ…!と急に手首が引っ張られた。
おい……と突っ込む間もなく、体育館の外壁の方へ放られ、一瞬瞑った目を開けた時にはもう黒尾さんは片手での壁ドン状態だった。
…手慣れ過ぎててドン退く。
洗いたての冷たい黒尾さんの指先が、俺の顎を取る。
単純に冷たさのせいだろうけど、背中が粟立った。
この人の冗談に付き合う程暇じゃない。
面倒臭い。
汗臭い。
嗅ぎ慣れない他人の匂いに嫌悪感が出る。
じっと目を見据えた。

「…止めてもらえますか」

すぐそこが、第三体育館入り口だ。
今俺たちが歩いているコンクリートに板敷いただけの渡りにも、ぽっかりその明かりが落ちている。
ボールが弾む音もしていて、あの小さな烏野の一年の高い声も響いている。
呆れ切っている俺の言葉をろくに受け取らず、黒尾さんはにやにやと俺を見下ろす。

「キスとかは?」
「してませんけど」
「マジで? 俺がベロチューしたら怒んの?」
「そりゃまあ…。グーでいかせてもらいます」
「あっそ。カワイーねえ。んじゃ、ぶん殴られなさそーなのはココか?」

そう言って、黒尾さんが俺に重なって頬にキスしてきた。
頬というか…頬正面というか……口にならない斜め上という感じだ。
音は特に無く、微かに温かくて湿る程度の幼稚な触れ合い。
…いや、ていうか、何してんだって話なんで。
ぐっと黒尾さんの胸を、そこそこ本気で押し返す。
この人の性根が悪くないのは知っているつもりだけれど、かといってオモチャになるつもりは毛頭ない。
…というか、申し訳ないが単純に気持ち悪い。

「からかわないでください。早く――」

にやにやしている黒尾さんの腕から抜け、当初の目的地である体育館の出入り口へ顔背けた――直後。
あ…と口が開いた。
木兎さんが体育館の照明を後光に、ひょっこりそこに立っていた。
片手をドアに引っかけているところからして、本当に今出てきたのだろう。
どくん、と心臓が鳴る。
…。
…え。どうなんだ?
見られたのか、そうでないのか。

「――」
「お。木兎」

黒尾さんがかるーく片手をあげる。
一瞬の間に本当に色々考えて、結果として俺もそれに続いた。

「すみません、時間いただきました。もう始めますか?」

黒尾さんからすぐに離れ、木兎さんの方へ歩きながら尋ねると、木兎さんは両手を腰に添えたいつもの仁王立ちで俺たちを見下ろす。

「始めるっつーの!サッサと来る!!遅くて迎えいこーかと思ってたんだかんなっ!」
「すみません。…どうぞ。ついでに木兎さんの分も濡らしてきました」
「ン? …おおっ。サンキュー赤葦」

持っていたタオルを一つ木兎さんへ手渡して、一緒に体育館へ入る。
黒尾さんはどうでもいいから振り返らなかった。
どうせ嫌な笑みで笑っている。
木兎さんは通常運行……そうに見えて、絶対違う、この感じは。
どういう勘違いをされているかは分からないが、俺と黒尾さんが妙に接近しているところは少なからず目撃されてしまったんだろう。
だが、それについて少なくとも今は何も告げる気は無いらしい。
正面切って突っ込んで来ないのなら、何か木兎さんなりに気まずさを感じたのかもしれない。
少し意外だが、だったら俺も何も言わなくていいだろう。
タオルを荷物がまとまっている辺りに適当に畳んで置いて、振り返る。
烏野の小さい方のMB…確か日向…がネット下で既に何度かスパイク練習を始めていて、それを少し離れたところでもう一人のMBである月島が傍観している。
もう一人の音駒の一年は柔軟をしていた。
木兎さんと黒尾さんは何かを話しているが、少なくともさっきのことではなさそうだ。
雑談だろう。

「…」

…さて。
何か後々面倒な気もするけど、取り敢えず今考えても仕方がない。
木兎さんが今は練習したいというのなら、従うだけだ。
いつものメンツで自主練開始だ。

 

 

 

 

 

「ウェーイ。んじゃまー今日はかいさーん。おつかれー」
「お疲れさまでーす…」
「日向、メシ行こ!」
「おう!行こう行こうっ!ハラ減ったよ~!」

夕食の時間が迫ってきて、自主練が終了する。
明日も明後日も練習するので、ネットやバーの片付けはしなくていいやりっぱなし。
これだけでも合宿って効率いいなと思う。
すぐに荷物を手に持って体育館を飛び出す奴や端に退かしていた荷物の方へ歩いていく奴とか、動きは様々だ。
俺も少ない荷物を取りにコート端へ向かっていると、不意にがしっ…!と木兎さんが肩を組んできた。

「あかーしっ!」
「お疲れさまです」
「なっ、今日夜付き合って!」

帰りがけにちょっとコンビニに寄るような、そんな軽い誘い。
けれど通じるものがもういい加減あるので、何のことなのかはすぐに察せた。
あんなに堂々と廊下ですることは間違っても無いが、さっき黒尾さんたちに言っておいた手前、合宿中は控えた方がいいのはこちらも同じだ。
けれど決定的に違うことがある。
向こうは両想いで、こっちは一方通行だということだ。
一通で好きな相手に"付き合って"と言われて断る奴がいるとしたら、そいつの根はMだと思う。
肩にずしりと重い木兎さんを引きずりながら、前に屈んで荷物を取り上げる。

「…いいですけど、場所考えないといけませんよ。合宿中は控えた方がいいと思うんですが」
「つっても一週間近く禁止とか普通にムリだろ!前も付き合ってくれたじゃんか。別にいーだろ? あのサ、 前々から気になってたんだけど、俺とやんない時って赤葦どーしてんの、合宿中」
「フツーにやりませんよ」

素直に答えると、マジで!?と木兎さんが驚いた顔をしている。
長期に渡ってのオナ禁は流石に拷問だろうけれど、一週間くらいであれば耐えられる。
勿論個人差があるから難しい人もいるだろうが、俺は割と抑えが利く方だ。
誰かまでは探らなかったが、夜中にトイレとかでうっかり息遣いとか聞いてしまったことが無いわけじゃない。
そりゃあ、隠れて色々とやってはいるだろう。
まして一般的おかずは大体携帯の中にあるのだから、持ち運び可能で楽なものだ。
殆ど男だけで遠慮もあまりしなくていいし、これだけ毎日バレーばかりで肉体も疲れているんだから、年齢や状況を考えて、生理現象としてもするなという方が難しい。
ウチの部はそういう感じではないが、所によっては誰か親しい他の部員たちと一緒にAV関係の動画を見ていてもおかしくはないと思う。

「んじゃ、メシ食って風呂入ったらな」
「はい」
「あと鍵ヨロシク!」
「分かりました」
「黒尾ー!ツッキー!!メシ行こー、メシー!」

俺の肩から離れ、木兎さんがそれぞれ離れていた黒尾さんと月島の方へ声を張りながら歩いていく。
黒尾さんは足を止めたが、月島はそれとなく距離を取って逃げに入る。
…。
セフレなのは俺たちの方かもしれない。
…って、別にセックスしてるわけじゃないから、全然そこまではいかない夜遊びのようなものだ。
黒尾さんたちの特例が近くにあるからどうしても羨ましく思ってしまう部分もあるけど、男同士で先輩後輩の仲であれば、現状が最上級のような気もする。
木兎さんはそのまま黒尾さんと先に体育館を出て行って、俺が鍵をかける時まで月島が残っていた。
意外と律儀なところがあるのは、ここ何日かで気付いた。
相手はかなり選んでいるようだけれど、俺は彼的"選んだ"側のようだ。

「…こーゆーの、普通日向とかあの灰ナントカが残ってすべきですよね」
「とか言ってる君も一年でしょ」

笑い合うわけじゃないが、冗談は言い合える。
特別親しいわけじゃないが、彼とは空気が合う。
電気を消して鍵かけて、俺たちも遅れて先輩方とそれよりずっと先に到着しているであろう一年二人に続いて食堂へ向かった。



Kiss me




 



一覧へ戻る



2016.2.20





inserted by FC2 system