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「ふぃー…」

片手を壁に着いて、前屈みになりのろのろと靴を脱ぐ。
合宿中は仕方ないとはいえ、どうにも主将ミーティングが多い。
半分はじゃれてるだけだとはいえ、滑り込みで風呂に入って部屋に戻ってくる頃にはもう十一時近かったりもする。
部屋の鍵閉めて襖を開けると、合宿寮の大部屋電気は既に消えていた。
すーすーぐーぐーと、誰ともなしの寝息が耳を掠める。
思えば合宿最初の頃はそうでもなかったが、流石に三日四日と経ってくると体力的にキツいせいで就寝時間が露骨に早まる。
初日の日付越えたエロトークタイムは相当盛り上がったんで機会ありゃもう一回くらいはと思ったが…まあ、仕方ねえか。

「あー。やれやれどっこらしょー」

手にしていたミーティング用の簡易ファイルを襖横に置きながら小声でそんなジジ臭いかけ声を呟いてみても、勿論突っ込む奴はいない。
連中を起こす気もさらさらないわけで、静かに襖を閉めた。
豆電球の明かりだけが残る室内。
寝相の悪い奴を踏まないように気を付けながら、窓側の真ん中くらいに陣取った自分の布団へ歩いていく…つもりだったのだが。

「…」

ぴりっとした直感で、気紛れにそこを通り過ぎた。
同じく窓際、その端。
俺の布団から二人挟んだ向こうにいる研磨の枕元に屈んだ。
視界が暗くても見えないわけじゃない。
薄い夏用の掛け布団を中途半端に掛けながら眠っている姿がはっきり見えた。
研磨は、寝相が悪くない。
いつも寝る時は仰向けだが、いつの間にか横向きで丸まるように眠る。
ついでに、手元に何かあれば引き寄せてそれに縋るようにして眠る。
今はそれが、掛け布団の端っこだ。
…試合するんでそーでもねえはずが、合宿中は何故か一緒にいる時間がやたら少ない気がする。
実質多いはずなのに、不思議なもんだ。
…。

「ふーむ…」

浅すぎて聞こえない寝息で眠る研磨を見てると、どうしてもムラッとする。
一応、悟った振りしてても現役健全若人なんで。
相変わらず、寝方がこの上なく可愛い。
人差し指伸ばして、真顔で頬を突くと柔らかい肉感。
あーもー…研磨可愛い。
マジ癒される。
飼いたい。
欲しい。
…ま、好きな奴の寝顔なんてェのは、大概そう見えるもんっちゃもんだが。
許されるもんなら撫でくり回したい。
せめて抱えて寝たい。抱き枕的に。
いつもだったら合宿中は一般常識弁えて手を出す気なんか一切無いんだが、今日はめちゃくちゃ疲れてる。
キスくらいなら別にいいだろ。
どーせ寝てるしな。
そう思って、屈んでいた姿勢から枕元に腰を下ろし、片手を畳に着いて顔を近づける。
…と。

「…いやそれアウトだろ。バカクロ」
「…。あ?」

ぼそ…と小さい声が確かに聞こえた。
動きを止めてちらっと横を見ると、研磨の隣に陣取っている夜久が、布団の中でこっちを見ていた。
寝惚け眼なところからして寝ていたようだが、さては起こしたか。
ぼそぼそと、同じように声をひそめて返す。

「起こしたか?」
「まーな…」
「悪ィ。俺もすぐ寝るわ」
「いやだからアウトだって…。止めとけよ。誰が起きてるか分かんねーだろ」
「見えねーって」

夜久の制止を聞き流しつつ、再び顔を詰めて上から覆うように寝ている研磨の唇に音を立てないように、うまい具合に角度つけてキスする。
口でも開けてりゃディープかませるんだが、無駄に形のいい唇はしっかり結んで鼻呼吸なもんで残念だ。
もーちょい阿呆面で寝とけ。
涎でも垂らしてくれてれば軽く舐め取るとか余裕だし。
けどまあ、研磨の周りの甘ったるい匂いを感じただけで良しとしておく。
…身を起こすと、隣で夜久が布団に片肘着いて額を抑えていた。

「185センチオーバーの長身が四つん這いとか…。結構エグイ構図だぞ」
「貴重なモン見れただろ?」
「…バカ」

はあぁ…とわざとらしい溜息を吐く夜久を横目に立ち上がり、自分の布団へ戻る。
爪先で掛け布団を一旦退かせ、どかりと布団の上に腰を下ろし、枕の位置を何となく整えていると、俺と夜久の間にいる海も起きていたらしい。
もそもそと枕の上でこっちへ体の向きを変えた。
見るからに髪がふわふわで鼻声な寝起きの夜久と違い、海は眠れなかったのかそれとも起きちまった的だけど寝起きがすごぶるいいってだけなのか、いつも通りに見えた。

「お疲れ、クロ。遅かったな」
「おう。まーなァ」
「海からも言ってやれよぉー…。合宿中はダメだろぉ…」

夜久が更に言ってくる。
寝てろよ。眠ィくせに。
つーか呂律回ってねぇし。
整えた枕に、首にひっかけていたタオルを広げて敷く。

「そうだな…。男として我慢しにくいっていう気持ちは分かるけど、やっぱり止めた方がいいかもね」
「へーへー。すんませーん」
「…ま、みんな寝てるみたいだし。今回だけ大目にみようよ、夜久。次は厳重注意で。さ、寝よう寝よう」
「ん~…。もう絶対すんなよな~…研磨かわいそーだろー…」
「いいから寝ろよ、お前」
「おまえがおこしたんだっつーのぉ…」
「うぃー。さーせーん」
「おやすみ、夜久」
「やすみ」
「んー…。おふぁふふぃ~…」

海と俺に畳み掛けるように会話打ち切られて、欠伸しつつ夜久が枕に沈む。
そのまま、枕を両腕で抱えるようにしてすーすーと伏せで夢の中だ。
暫く、俺と海でその寝顔を眺めた後、はあ…と今度は俺が溜息を吐いた。
海を見下ろす。

「…難儀だよなァ。お互い」
「そう? 俺は別に平気だけど」
「つーかお前、隣で寝息聞いてて保つとかスゲェな。抜かざるを得ないだろ」
「借り物だし、万一にも布団は汚せないよ。それに俺、結構理性あるから」
「うわー。嫌味ですかー?」
「…てわけじゃないけど。ぶっちゃけ、そんな隣の寝息よりも、今は烏野の2番が気になって仕方ない…」
「あー。あのやたらめったら夜久が懐いてる奴な。泣き黒子君だろ? そこそこイケメンだよな。草食っぽいけど。あいつらもいつの間に仲良くなったんだか」
「最初っから何か仲がいいみたいなんだよね。本当、この間仙台行った初日くらいから。…夜久は許容が広いけど、入口としては人見知りな所があると思ってたんだけど」
「あー、確かに。最初は他人行儀だよな。一回懐くと尽くけどな、こいつ。…けど、大丈夫だよ。あの副部、あっちの主将とデキてっから」
「あ、そーなんだ? 初耳」
「そ。何か最近の話っぽいけど。…てか同愛多いなー。俺らんとこだけじゃねーのな」
「一緒にいる時間が長いからね。切っ掛けさえあればそんなもんじゃない? 人の魅力自体に男女差は無いし。特に俺たちとか、かなり本気で部活に熱中気味だし。出会い無いし、時間も無いしね」
「青春してんねー」
「そうか…。まあ、彼に相手がいるならいいんだけど、もう少ししっかりしてくれないと困るなぁ」
「烏野の主将? …ははっ。どーだろーな。結構お堅そーだから、手ェ出してくんねーんじゃねーの? 浮気し放題なのかもよ? 泣き黒子クン」

ごろりと布団に寝転がって、腹の上に掛け布団をかける。
仰向けで寝転がりはしたが、俯せに体勢を変えて、夜久のように枕を両腕で抱いた。
枕に顔を埋めて四肢を投げ出すと、体の中に溜まっていた疲労が敷き布団に染み込んでいく感じがする。

「たまには枕無しで寝れば?」
「枕ねーと眠れねーの」
「夜久じゃないけど、寝癖主将って結構はずかしーんだけどな」
「寝癖つけられたくなきゃ研磨を寄こしな」

八つ当たりのように吐き捨てると、海は苦笑した。
隣に寝る気満々だったのに、何故か今回、当然のように二人してバリケードやりやがって。
そんなに餓えてるように見えるかね、俺は。
…いやまあ、確かに長年の経験上、確かに隣に研磨が寝てりゃ、朝起きると抱いてたりとかするけどな。
二人もそれを考慮しての配置なんだろうが。
…やっぱダメなもんか?
"寝相悪ィ"でかわせねーもんかね。
胸中ぼやきながら、海の些細な嫉妬に興味を持って、言ってやる。

「澤村に…あ、烏野の部長な…に苛っとしてんなら、明日一発ぶっぱなしとけば?」
「いやぁ…。レシーブ上手いんだよ、彼。上手く上げられちゃって困ってる」
「おー。もう狙ったのね~」
「挨拶程度だよ」
「んじゃー次は拾われねーもん打ち込まねーとな」

意外と腹黒。
…まあ、知ってっけど。
くつくつ笑ってから、少しずつ笑みを引いてじっと天井を見上げる。
合宿は楽しい。
…けど、高三である俺らには、この夏の合宿は最後だ。
次の夏は無い。

「…」
「…楽しいね。クロ」

不意にそれを思い出して黙っていると、海の声が隣からぽつりと聞こえた。
目を伏せて同意する。

「んー…」
「すごく楽しいよ。…高校の部活がこんなに楽しくなるなんて、思ってなかったなあ…」

しみじみ呟く海の声は深い。
全くもって同意見だ、俺も。
だ、が。

「…過去形止めーい!」
「いてっ」

無造作に放った左腕は、海の腹に布団越しに当たった。
勿論力は入れて無いが、わざとらしく痛がる。

「こっからも当分楽しくなるんですー。気ぃ早すぎだから」
「ああ、うん。そうだね。確かに」
「そーですよ。ほんじゃ、明日の為にぼちぼち寝ますよー」
「はーい。おやすみ」
「やすみー」

間延びした就寝の挨拶ひとつで、以降の会話を遮断する。
疲労はあるが、気持ちのいい寝付きだった。
明日も死ぬほど疲れるだろう。
極限まで汗を流す機会が今のうちだけだってことは、大人よりも俺らの方がよく分かっている。
明日が怖い。
明後日が怖い。
終わりまでのカウントダウン。
恐怖に打ち勝てているのは、隣に戦友がいるからだ。

煌めきの一瞬




「おう研磨ァー。起きろぉーい。朝だぞー」
「…」
「みんなもう顔洗いに行ったっつーの。ケツだぞお前」
「…、やだ…」
「やだじゃねーの。起きろオラ」
「おいクロ。研磨足で踏むの止めろよ。可哀想だろ」
「あはは。でも、確かにそろそろ起きないとね」
「十秒以内で起きなきゃおはチューすんぞ。ハーイ、じゅー、きゅー、はーち…」
「ばっ…!止めろっつってんだろ、そーゆーこと言うの!」
「ちゃんと人いないの確認して言ってるんだから、まあいいんじゃないの? …でも研磨。烏野の日向君と朝ご飯一緒に食べる約束してたでしょ? いいの?間に合わないよ? あの子、朝得意みたいだから」
「…。クロおこして…」
「なめんな」

顔を顰めながら力なく片腕上げる研磨の手を払う。
動かない研磨の襟首掴んで、結局集団に一呼吸遅れて部屋を出る。
廊下を歩きながら窓の外を見ると、嫌になるくらい今日も暑そうで、思わず舌打ちした後苦笑いした。

煌めきの一瞬。
最高の頂、最高の景色を、こいつらと。



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クロさんたちって三年なんだよね…。
及川さんもそうだけど、なんか先を考えるの怖い。
可能ならば、一年間の話としてHQという物語を完結させて欲しい。
2014.10.11





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