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誰もいない静かな廊下。
昨日うっかり古い映画を見ちゃって寝るのが遅くなっちゃったから、今日はちょっと朝が遅かったけど、でもお休みだからいいんだ。
お茶の時間に朝食を含ませ、ダイニングを出て一回の奥にある書斎に向かうことにした。
書斎…って言うか、図書室って感じかな。
でもお茶と朝食を一緒にすると何だか紅茶を飲んだ気がしないから、後で持ってきてねって、良登美野に言っておいた。
やっぱり、紅茶はのんびり飲まないとね。
それに、お茶の時間と食事の時間を一緒にしちゃうと損してる気分になるし。

「…~♪」

適当な鼻歌を歌いながら絨毯の上を進む。
休日の午前中は日差しが弱くて気持ちいい。
何気なく顔を上げると、窓の外をツグミが群れを作って高い位置を飛んでいった。
…ここの所急に涼しくなったもんね。
そろそろ、色んな鳥たちが僕の下にいる日本君の所に行く季節なのかも。
渡る途中で撃たれたりしなきゃいいけどね。
…まあ、程々に頑張って来年もまた戻ってきて欲しいな。
鳥たちを見送る為に上げた顔を戻し、ついでに首に巻いてたマフラーがちょっとずれたから両手でちょいちょいって直しておく。
朝のニュースでやってた気温は13℃。
このくらいのちょっと寒いかな?って気温が一番動きやすくて、僕は好きだな。
それに今年の夏は酷い目にあったしね。
温かいのは好きだけど、暑いのは嫌いだな。
38℃とか、人が生きる環境じゃないよね。
だって体温より高いなんて、冗談みたい。
空気が熱伝導苦手で本当に良かったな。
何だか思ったより体力が削がれちゃったけど、でももうこの季節になれば大丈夫だよね。
あとは冬将軍の目が覚めた時に、そこまで寒くなければいうこと無いんだけど…。

「まあ、今考えたって仕方ないよね」

別に誰かの同意が欲しかった訳じゃないけど、丁度書斎のドアの前まで来たから独り言を呟きながらドアを開けた。
本が持つ独特の匂いが、空気の流れに乗って廊下に流れてくる。
まるで飼っているペットが逃げ出していくみたいであんまりこの匂いが外に流れるのが好きじゃないから、僕はすぐに部屋に入るとドアを閉めた。
決して大きな部屋じゃないけど、ドアと奥に並んでる3つの大きな窓以外は全部上から下まで本棚。
書庫はまた別にあるんだけど、最近出たやつとか自分的にブームのシリーズとか、何度でも読みたい名作とか…。
そういう本はすぐに読めるようにここに置くことにしている。
…でもね。
今日は別に読書をしに来た訳じゃなくて。

「~♪」

鼻歌の続きを歌いながら、3つの窓のうち1つを全開にする。
さっき本の匂いが逃げるの嫌って言ったけど、何だかこの窓だけはいいかなって変な意識があるんだよね。
ちょっと寒いけど、でもまだ気持ちいいって思える風が入ってくる。
その窓際にテーブルセットがあって、椅子を引くとそこに腰掛けた。
引き出しからごっそりと、羊皮紙の束を取り出す。
序でに、殴り書き用のメモの束も。
こっちは安物のプリント用紙だけどね。
…先週はすごく途中で書き留めたからずっとうずうずしてたんだ。
休日の密かな楽しみ、内緒事。

だって僕が小説書いてるって言ったら、みんなどうせ笑うもの。


Название меньше писатель и Один читатель



小説って言ったって色々ある。
SF物に歴史物、戦記物とか恋愛物。
子供向けの童話とかだって結構好きなんだよね。
…でも今はミステリかな。
アクーニンなんかのちょっと軽めで深い感じに憧れて色々書いてみてるけど…でも正直難しくて書けないや。
それでも何とか進めてるのは、やっぱり好きだからなのかも。
祝日前日の夜になると速攻で飛行機に乗って亜細亜に行ったりする英国君とか、伊太利君に無意味に来襲されて振り回されつつ休日を過ごす独逸君とか、波蘭君に引っ張られて絶対買い物に行って何か買わされる立陶宛とか、誰かと過ごすみたいなのも僕にはないしね。
一人で過ごすとなるとすることも限られてくるから、結局お茶して本読んだり書いたりっていうのに時間を費やしちゃう。
でも、それが好きだから全然いいんだけどね。
気の合わない人と至って疲れるだけだし。
…えーっと。
この間はどこまで書いたっけな。
羊皮紙の束を右端に置いて、卓上のランプを灯してからメモ帳の方を手に取る。
トリックは考えたんだよね。
でも、結局その話に重さを出せるかどうかで……とか思っていた矢先に。

「ろ、露西亜さん…!ぉぉおお茶、お待たせしました!!」

良登美野の高い声が静寂をぶち破り、バァン…!と勢いよくドアを開けた。
瞬間。
開いたドアと空いてた窓にとっても綺麗な風の通り道ができて、ぴゅぅ~…と、一陣どころじゃない風が吹いた。
机の端にまとめて置いていた羊皮紙のうち、上数枚が勢いよく風に乗って窓の外へ飛んでいく。
…一度ドア前の廊下に置いていたらしいティセットが載ったカートを良登美野が書斎に入れようとするが、廊下と室内とを隔てるドアの下枠に当たる些細な段差を上手く越せず、懸命に乗り越えようとしている間も風は吹き、遅れてまたバサバサ…と羊皮紙が飛んでいく。
まるで蛾みたいに飛んでいく紙たちを、僕は遠い目で見送った。

「…………」
「あ、あの…今日の紅茶はオレンジペコにしてみたんです。立陶宛と比べると下手かもですけど…で、でもジャムも添えましたからきっと美味しく召し上がっていた…だけ……」
「…良登美野」

落ち着いてから片手で残った羊皮紙を押さえ、にこーっと彼に微笑みかけた。
釣られてちょぴっと微笑む小さなお手伝いさんを、もう片方の手でちょいちょいっと招く。

「ちょっとこっちおいで」
「え? はい。何で…え。ぁ、い…痛!痛いです露西亜さ…痛っう、ぎゃあああああああああああああああーーッ!!」

取り敢えず頭部を鷲掴みにして椅子から立ち上がると、小脇に彼の首を挟み、こめかみぐりぐりしながら引き摺って彼が今入ってきたドアの方へ歩いていく。

「ねえ。今君ノックした?してないよねえ?? ダメだよ~。ここ風よく通るんだから。今日は天気いいけど風が強いから軽い物だと飛んじゃうんだ~…って、この間も言ったよね僕」
「は、はひ…っ。す、すみませんすみませんすみま…っ!」
「紙が何枚か飛んじゃったから、取ってきてくれる? …あ。因みに文字を読んだりしたら眼球潰しちゃうよ☆」
「ひ…っ、ひええええええええっ!!」

廊下に出て一番近い窓に歩み寄ると、鍵を開けてからぽーんっと外に良登美野を放り投げた。
…うん。
彼は軽いからよく飛ぶね。

「全部回収できるまで帰ってこないでねー!」

窓からそれなりに離れた芝生の上に落ちる彼に、口の横に片手を添えて付け足しておいた。
そのまま開けた窓の鍵を閉め、一人また書斎の机に戻ると小さくため息を吐いて頬杖を着く。
卓上に残るのは、バラバラになった清書済みの羊皮紙と落書きのメモ。
それから、やる気満々だった万年筆。
転がってるそれらを指先で突いて、またもう一度ため息を吐いた。
…折角の休日だったのに。
折角の趣味な時間だったのに。
…。

「…もう」

このまま気にせず続きを書けと言われたって、無理だよね…。
勿論、分かってるよ。
きっともう全部は見つからないし、夜遅くくらいに泣きながら良登美野は見つからないです~って帰ってくるんだろうけど、でもそれくらいまでは探し続けてくれなくちゃ。
だって本当に一生懸命書いたものだったのに。
…一度席を立って、良登美野が持ってくるだけ持ってきたカートから自分で紅茶を用意する。
ソーサーにジャムを載せた後、ぱくりとジャムナイフを咥えてまたため息吐いた。

「…。もうひゃふのはへほうははあ…」

締め切った書斎の窓からのどかな空を見上げる。
…またツグミが何匹か飛んでいったけど、今度は何だか苛々してちょっと撃っちゃおうかなとか思った。






どれくらい経っただろう。
遠くで聞こえた気がする玄関のベルで少しだけ意識が浮いた。
気持ちよく始まった一日は午前中にして暗転し、午後はもう何にもやる気が起きなくなっちゃった。
散歩とか買い物に出れば良かったし、少なくとも書斎から出ていれば気分も少しはリラックスできたのかもしれないけど、もう何をするのも億劫で、そのまま机に伏せて両腕枕にしたまま眠っていたみたい。
僅かに瞼を開けると、差し込む光がオレンジ色だった。
…夕方か。
本当に何もしないで休日が終わっちゃうな。
…別にいいけどね。

  __ビー。

「…良登美野ぁ~」

伏せたまま少し声を張って小さなお手伝いさんを呼んでみるけど、呼んだ後で彼が家にいないことを思い出した。
自分でしたことだけど、それでまたちょっと苛っとして、瞼を擦りながら身を起こす。
寝てる間に手でも当たっちゃったのか、机の上にあった万年筆は床の上に転がり落ちていた。
…。
…ほんと。嫌になっちゃう。
あと一回ベルが鳴ったら出てあげようと思いつつ、そのまま鳴らさずお客さんが帰ってくれることを祈っていたけど、三回目のベルは鳴り響いた。
しかもものすごーーーく長く押しっぱなしで鳴り響いた。

「…はいは~い」

半眼で小さく舌打ちしてから、万年筆を踏みつけて椅子を立つ。
首に巻いてあるマフラーに顎を擦り埋めながら、大欠伸して書斎を出た。
書斎を出て廊下を歩き、玄関前のエントランスに到着するまでずーっとベルは押しっぱなしにされていて、いい加減うんざりしちゃった。
これで郵便屋さんとかだったらもう廃止にちゃうから。
あんまりため息とかは付かない方なんだけど、今日はもう何度目になるか分からないそれをまた一つ吐き捨てながら、鍵を外してドアノブを引いた。
…と。

 __バサッ!

「…!」
「遅い」

いきなり胸元に紙の束を押しつけられ、思わず目を瞑った僕の正面で淡々とした不機嫌声がした。
遅れて目を開けると、そこには不機嫌声にとっても似合う不機嫌顔で氷島君が立っていた。
片手を腰に添え、偉そうな立ち姿の頭上にいつも彼にくっついてる飼い鳥が一匹、やっぱり偉そうに赤いリボンの蝶ネクタイなんか着けて胸を張っている。
…突拍子もない客人に脳が付いてこない。
ぼんやりその鳥を数秒間見詰めた後で、漸く少し視線を下げて氷島君を見下ろした。

「…何。寝起き?」

呆けてた僕を見下したような目で一瞥してから、もう一度ずいっと片手に持ってる紙の束を僕の胸に押しつけた。
…最初は彼が一体何をまた唐突に差し出したのかよく分からなかったけど、視線を真下に下ろしてその紙を一瞥するとすぐにそれが何なのか知れる。
一瞬双眸を見開くと一歩後退して彼と距離を取り、慌てて両手で受け取った。
羊皮紙…!
僕の小説だ。
掴んだ感じからして全部じゃないだろうけど、でも少しでも戻ってくれて良かった…!
こんな幸運ってなかなかないよね。
そのままうっかり表情が緩みそうになったけど。

「僕の方飛んできた。これあんたの所の文字でしょ」
「え? ぁ…。そうみたい…だね」

素っ気なく言う彼を前に、急激に熱が体内に生じ始める。
あっという間に顔が赤くなった気がして、なかなか俯いた顔を上げる気にはなれなかった。
と同時に、当然素直に僕の物だと言う気にもなれなかった。
元々笑わない子だから他の子みたいに大爆笑はしないだろうけど、でも絶対鼻で笑いそうだもの。
辺にしどろもどろな対応取るとバレちゃいそうで、慌てて笑顔を作ることにして顔を上げる。

「届けてくれたの? ありがとう。…何だろうね、これ。確かに僕の家の文字だけど、バラバラでよく分からないみたい」
「小説」
「へ…?」
「見て分かんないの? ミステリ小説の一部。…ページ抜けまくってるけど」
「…」
「これ何。誰の原案」
「…さあ?」

白い手袋した手で風に吹かれる前髪を整えながら退屈そうに尋ねる彼に、僕は人差し指を頬に添えて首を傾げた。
…何だか更に顔が熱くなってきた気がする。
喉が渇いてきちゃった。
場凌ぎって訳じゃないけど、渡された羊皮紙を片手で掴み、ぺらぺらと振ってみせる。

「でもこれ、飛んできたってことは誰かが捨てたんじゃないのかな? 詰まらなかったとかで」
「そんなの、読む人が決めることでしょ。何であんたが詰まらないとか決めるわけ」

何が気に障ったのか、それまでの不機嫌顔を一層深めて氷島君が眉間に皺を寄せる。
…よく分からないけど、怒っちゃったみたいだから軽く謝っておくことにして、頬を緩めまた笑いかけておく。
ごめんね~って言うと、彼は両目を伏せて顔を背け、くるりと背を向けた。
そのままバイバイも言わないで帰るつもりみたいだから、僕もそこで応接を終了させ、羊皮紙を片手で抱え直すと開けたドアを閉めようとドアノブを握った。
ドアを押す直前、軒先で氷島君がふと足を止め、振り返る。

「…ねえ。それ、誰が書いたのか分かったら教えて」
「…? どうして?」
「買うから」

たった一言、それだけ言ってまた背を向けた。
午前中よりも強くなった風が一陣吹いて、彼の上着の裾とシャツのリボンと、細い髪が横に靡く。
暫く、それをただ見送ってたけど…。
氷島君が玄関から離れた所にある門に片手を添えたのを切っ掛けに、僕はノブから手を離して庭に足を進めた。
かっこ悪いから駆け出しはしなかったけど、片手に持った羊皮紙を握ったまま、ちょっと大股で歩く。
近づいてきた僕に気付き、今当に僕の家から一歩外へ踏み出そうとしてた彼が足を止めて振り返った。
…続きがあるんだよ。
まだ途中までしかないんだけど。
でも続きがあるんだ。
あと、他にももうちょっと短編みたいなのもあったりするしね。
ジャンルは別のものになっちゃうけど、良ければ……とかはすぐには言えなかったから、取り敢えず、お茶でも飲んでいかない? って言ってみると、無視して門を開けた。
帰っちゃうかな?って思って、ちょっと慌てて一歩玄関から踏み出し、美味しいケーキがあるんだよって付け足したら、出て行こうとしてた小さな背は立ち止まって興味なさそうに振り返ってくれた。
僕を一瞥した後、垂れ下げていた片手を上げて腕時計を見下ろし、今開いた門を引く。
カシャン…と小さな金属音を立てて閉め直した音に嬉しくなって、もう一歩踏み出し、門からとぼとぼ歩いて戻ってくる彼をちょっと両手広げて出迎えてあげる。

「…ちょっとなら時間あるから、付き合ってやってもいい」
「あ、うん。そうしなよ~。…あのね、とっても美味しいジャム…が?」

ぺち…、って。
僕の横を通る瞬間、不意に氷島君が指先で僕の頬を叩いた。
別に全然強くはなかったけど、でも突然だったし、非力な彼のことだからもしかしたら一瞬ビンタされたのかなと思ってきょとんとしてしまったけど…。

「寝跡」
「…へ?」
「客迎え出る前に顔くらい洗えば」

短く言ってそのまま僕の横を尽かし、家主よりも先に玄関から家の中に入って行っちゃった。
…。
リビングの場所分かるのかな…?
ちょっと疑問に思ったんだけど勝手に入ったんだから迷子になっても自己責任だよねって思って、僕も家に入るとそのまま一度バスルームに向かった。
両腕枕にして伏せて寝てたからかな。
屈みに自分の顔を映すと、確かに氷島君が叩いた場所が赤くなってて皮膚に袖の皺が移ってて、何だかよく分からないけど、ちょっとしゅんとしちゃった。
…言われた通り顔を洗ってリビングに向かうと、やっぱり我が物顔で氷島君が勝手に窓際のイスに座って頬杖着いて外に眺めてて、何だかその景色がちょっと嬉しかったな。

お茶の用意は良登美野に頼もうと思って呼んでみたけど、その時になってまた彼がいないことに気付いた。
仕方ないから自分で淹れて(その方が美味しいしね)氷島君にもあげて。
少しずつほっとした所で両手で頬杖を着き、こっそりと、あの話はね、僕が書いたんだよ…って言ってみた。
フォークでタルトを削っていた彼は、その手を止めてちょっとだけ顔を上げた。

「…そうなの?」
「うん」
「ふーん…。…じゃあ早く書いてよ」

爆笑も嘲笑もしないで、また俯き、漸く削ったタルトの欠片をフォークに刺して口に運ぶ。
澄ましたその言動が面白くて、数秒後に思わず小さく吹き出すとぎろりと思いっきり睨まれちゃった。






氷島君が帰ってから、僕はまた書斎に戻ることにした。
そんなに長い時間彼相手に喋っていたつもりはないけど、もう日はすっかり沈んじゃって月が出ている。
…送ってあげれば良かったかも。
でもまあ、僕の家から彼の家への帰り道は全員彼の保護者みたいなものだから、安全だよね。
窓際の机に歩み寄り、手元に戻ってきた羊皮紙を置く。
やっぱり全部は戻ってこなかったけど、でもいいんだ。書き直すから。
だって読んでくれる人ができたしね。
足下に落ちていた万年筆を拾い上げ、埃を払う。

「~♪」

鼻歌歌いながら椅子を引いて、午前中の時みたいに穏やかさを胸に腰掛けた。

いつの間にか、窓の外で梟が鳴いてた。
良登美野が頑張って見つけたらしい数枚を抱えて泣きながら、見つからないです~って来るまで、僕はずっと歌いながら机に向かっていたみたい。

完成はまだまだ先だけど、書き上がったら一番に彼に持って行ってあげようと思うんだ。
他の人には内緒だけど…ね。



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良登美野は兎ルック似合っていましたね。
ろさま氷くんに絵本を読んであげれば宜しい。
2012.1.14





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