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英国と一緒に乗ってた船で遭難した。
かなり絶望的で死を覚悟したところで日本という国に助けられ、暫くの間看病をしてもらってた。
優しくて穏やかで、俺はそのまま友達に…親友とまでいかなくても、できれば、欧羅巴で一番親しいくらいにはなりたかった。
嫌な話だが、もし自分よりも文化の進んだ奴に助けられたらその後の対応で嫌いになるかもしれないが、その点日本は良かった。
知的好奇心も高く、俺が持ってくる物やあれこれ外の話を聞きだそうとする純粋な瞳が気に入っていた。
無垢は良い。
俺が教える側だという点が特に良かった。
本当に気に入っていた。
…が、残念ながら当の日本が。

「英国さん。和菓子如何ですか」
「…? 何だこれ。こんな棒きれ一本でどうやって食うんだ。フォークは?」
「これはですね…」
「…」

遠巻きにぼんやり並ぶ背中を眺める。
趣味はあまり良くないらしい。
俺よりも英国の方が好きらしいので、まあ普通の友人でいいだろうと納得させていた。
…まあ、仕方ない。
好みは色々あるしな。
普通の友達でいい。
心の中でひとり頷きつつ、それでも少し落胆し軽く息を吐く。
吐いた鼻先に、す…っと形のいい和菓子が差し出された。

「和蘭さんも如何ですか」
「…」

柔らかい微笑に癒され、片手を上げて受け取る。

「お代わりありますからね」

言った後、また英国の方へ歩いていく。

…別に、二の次でいい。
それでも心の何処かで追い抜きたいという気持ちがあったのかもしれない。
今の位置より少しでも上に上がりたくて、出来る限り優しく接するよう心がけた。
そんな性に合わない無理をした結果、“話しやすい相手”くらいにはなったらしい。
ある意味特権階級だと思う。
それまで葡萄牙の言い様に従って損や身内の不安定を招いたことを知ってからは、己の無知を周囲に知られるのを恥じるが故に英国にも聞かず、迷い事がある都度、第三者が不在の頃にそっとドアが開き。

「あの、和蘭さん…。ちょっとご相談が…」

そう言って控えめに寄ってくる姿だけで満足していた。
一番でなくても、自分だけに見せる特別な姿というのは良いものだ。
それで満足する“良い奴”でいたかった。



日本は確かに、基本的にポーカーフェイスだとは思う。
思うが、だからといって些細な変化がないという訳ではなく、また俺もそれに気付かない程鈍感でもない。

「日本」
「…!」

日差しの温かい昼下がり。
日頃、露骨にべったりしてる英国が外出している時間を狙って部屋にいる彼に声をかけると、低い机に向いていた小さな背中がびくっ…と大きく反応した。
黒く丸い双眸を珍しく揺らし、何か広げていた紙を慌てて折り畳みながら俺の方を振り返る。
折り畳んだ紙を袖の下のポケットにしまいながら立ち上がろうとしたが、その前に俺が入って膝を折ると、立ち上がるのを止めて座り直した。

「すみません、ぼーっとしていて…。何かご入り用ですか」
「えあ…。なあもねえけど」
「…? 何かご用があったのでは…?」
「そっちぁなんもねえんけ」
「私ですか?」
「きんのぉ今日つってかてえで。また何か分からんことでもあんか思たんじゃが」
「あ…。いえ、そんなことは…」

俺に指摘され、片手で己を示していた日本が広い袖の中へ手を引っ込め、ぱたぱたと振るう。
恐らく無意識なのだろうが、大概彼がそうする時は手持ちぶさたか、あるいは後ろめたいことがある時なので、分かり易いと言えば分かり易いのだが、別に話したくないのならそれでいい。
そこを無理矢理聞きだそうとは思わない。
小さく一度頷いて、肩を竦めた。

「…気のせえならええがの」
「ええ。気のせいですよ。…ですが」

自室へ帰ろうと立ち上がりかけた俺だが、日本が不意に背筋を伸ばしたことで足を止めた。
袖を直し、掌を揃えて真っ直ぐ膝の前に添えると、深々と頭が床に着くくらいに一礼する。

「お気遣い、痛み入ります」
「…」

そういう所が実に美しいと思うも、口に出して言えるような性格でもない。
いや…と小さく応えるだけ応えて、日本の部屋を後にした。
一体彼を悩ませるのは何なのか、それ以降数日に渡り気になってはいたが…。
案外早く、答えは向こうからやってきた。



「俺、帰還命令が出ちまってさ…」
「…」

はあ…とため息混じりに肩を竦めながら、心底ふて腐れた顔で英国が拾った小石を目の前の池に投げる。
始めはとてつもなく小さい子供用プールの一種かと思った日本の家のこの水溜まりには多数の鯉が泳いでいて、連中は彼の投げる石を迷惑そうに避けて奥へと逃げていった。
聞いて速攻、これか…と思い至った。
自分至上主義が言い出すその二言目は予想に易かったが…。

「だからさ…。お前も帰れよ」

持ち前の力量に反して縋るような碧眼が実に不釣り合いだ。
余りに予想した二の句と的確に当たり、思わず笑ってしまった。
いいのか…?と尋ねてやったから、取り敢えずの義務は果たしたと思う。

英国は帰って行った。

Liefde is niet lelijk



日本が白状したのは実に一年後だった。

「実は、あの時は英国さんの上司の方からお手紙を頂きまして…」

小さく控えめに笑いながら、もう気にしていませんが…ということを大前提に主張した切り出し方だった。
もう昔話の類になっていた。
月が綺麗な晩で、それを眺めながら庭に面した廊下で酒を飲んでいた。
良い晩で、月が美しく、アルコールが入っていて、昔話になり、仕事がお互い一段落つき、いつもよりも飲む時間と量が少しだけ多かっただけだが、それらの条件がどれか一つでも欠けていたら絶対に永遠に白状しなかっただろう。
曲線を描く口元に添えた手は、袖の中に入っていた。

「私とのお付き合いが長くに続いてしまっては英国さんへにとって良いことではないので、早くご自宅へ返して欲しいというご主旨でした」
「…」
「当前ですよ。…ええ、当前です。上司の方がご心配なさるのも無理はありません。私のようなものも知らぬ老体と語らうだけ損というものです。…ねえ、ポチくん?」

上品な女のように笑いながら片手を伸ばし、隣に寄り添っていた飼い犬の頭を一撫でする。
気持ちよさそうに顎を上げつつ犬は哀しげに鼻で鳴いたが、生まれ持っての下がり眉なので常々困り顔に見える。
飼い犬から手を離すと、濡れた布で両手を拭ってからアルコールの入った小さな瓶ボトルを手に取り、片袖を押さえて俺へと差し出した。

「どうぞ」
「…Bedankt」

促され、片手に持っていた浅く小さいグラスを持ち上げる。
透明な液体が俺のグラスに注がれ、感謝してから溢れる直前で角度を戻す。
日本が伏せ目で自分のグラスに残りを注ぐ。

「それで、和蘭さんはお帰りにならなくて宜しいのですか?」
「…俺ぁ」

口元にグラスを添えて。

「もっと親しくなれりゃええげ…思っとるがの」

それを傾ける前にぽつりと返した。
明らかに冗談の類のさり気ない言葉。
ほろ酔い加減でくすくす笑いながら発せられたそれに、ろくに考えもせず間髪入れず、しかもちょっと本気で切り返したのは、少し体裁が悪かったかもしれない。
日本がボトルを置いて黙り込んで俯いた時はそう思った。
…失態だと思っていたその言葉が驚くほど深く利いていたことに気付いたのは、それから暫く経ってからだった。







毅然とした東の小さな島国の内側は、実に脆く臆病だった。
相談事は格段に増え、無理な要求ときつい束縛と、少々の傲慢さを持った願いを聞き届ける代わりに、邪魔な連中を一国一国排除していくことができた。
その過程は本当に爽快で、癖になった。
無垢は彼の魅力で、従順は俺の理想で、その上に出来上がる信頼は実にいい。
始めはそんな欲求なかったはずなのに、気付けば独占欲が渦巻いてすっかり行き過ぎた。
外のことに触れたがらない日本は見て見ぬ振りが巧みだった。
同じ情報でも他の奴から聞いた話は信じず、俺からの話しか事実と認めない。
あの国はお前を騙そうとしている。
この国と知人になったところで損をするだけだ。
その国を家に入れてしまってはお前の部下たちの均衡が崩れるぞ。
周りを全部悪役にして、必要なものだけを与えて貰って…。

「和蘭さん…。和蘭さん」

会いに行く度に狭い一室と陰った裏庭に通され、滞在中はここから出ないで欲しいと身を寄せる。
外に怯えて自分だけに信頼を寄せ、縋る身体を抱き締めてキスできるのが、本当に嬉しかった。
ちっぽけで血生臭いクレイジーな東の小国の高飛車なルールに両手を挙げて、理解できないと連中は一人また一人と去っていき、その度に依存に似た信頼が増していく。

「私がお邪魔ではないですか…。 上司の方に、何か言われていたりはしませんか…?」
「…言われとらん」

上司も交友を推奨しているから大丈夫だと毎晩毎晩伝えるのは少し面倒臭いが、愉しかった。
あそこまで他者に対して凜として穏やかな彼が、急に何処かに行かないで欲しいと怯える背景に何処の誰の、どんな態度が引き金になったのかは想像に易い。
…だがまあ、上司の命令に逆らえないとはいえ想いも何も伝えず帰った向こうも向こうであると同時に、こうして代わりで寂しさを紛らわそうとする日本も日本なのだから…少しきつい言い方をすれば、要するに、お互いその程度だったという訳だ。

小さな身体を抱き寄せてキスをして腕で抱く。
代わりが気付けば代わりではなくなることは、往々にしてある。
誰にも見せたくないと同時に、世界中に自慢したくて堪らなかった。
…喧嘩を避ける為にも好都合だ、欧羅巴はくれてやる。
しかし亜細亜は駄目だ、絶対に死守する。
何故ならそこには俺を必要としている脆弱な、愛する人がいるからだ。

形の上では極めて悪質にはなったが、勘違いして欲しくないのは、何もあちらだけが本気ではないということだ。






「な、なあ和蘭…。日本元気か?」

日本から貰った絵画を見に来る度に、英国がさり気なさを装うだけの分かり易い態度で尋ねる。

「…まあの」

神秘的な色彩で塗られた漆器や装飾品。
それらが飾ってある自宅のリビングで、遠く離れた想い人の話を聞きたがる彼に、嘘にならない程度の無難なものだけ応えていく。
何も疑わず嬉しそうに俺の話を聞く姿を前に、うっかり暗い自慢が口からこぼれ落ちないよう意を留めながら、合わせて軽く微笑んだ。



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和蘭さんかっくいい。
いっちゃいちゃさせたくなります。
2011.11.4

余談:鎖国

言わずと知れた江戸幕府が封建体制を強化する為に、キリスト教禁止を名目として、和蘭と中国(朝鮮)の国を残し、それ以外の国との貿易と日本人の海外渡航を禁止したこと。
その他、海外にいる日本人の帰国の禁止も兼ね備えていた。
貿易港は長崎だけ。
キリスト教禁止が主な目的であったが、それと同時に貿易の統率が大切でもあった。
それまで、貿易が得意だったのは日本の西の方。
特に薩摩藩なんかはじゃんじゃん藩単独で行ってしまっていて、それによって利益が出ており、幕府としては西の藩に財力が偏るのを大いに懸念していた。
それを取り止めさせて全て幕府が管理する為長崎の出島に場所を絞り、各藩が勝手に利益を上げたり力をつけることがないように目を光らせていた。
また、貿易始めの頃、まだよく分かっていなかった日本が肩を寄せていた葡萄牙にどんどん金銀を輸出させられてしまっていたので、不利に気付き、葡萄牙から離れる為の貿易相手としてカトリックではなく、当時欧羅巴で押され気味だったプロテスタントの和蘭を欧羅巴メインの相手に選ぶ。
鎖国令自体は5回に渡って出され、ペリー来航まで200年も続いた。

和蘭からの輸入は黒糖・生糸など。
輸出は浮世絵や工芸品など。
豊後に漂流したリーフデ号には英国人ウィリアム・アダムズ(日本名:三浦按針)が航海士として乗っていたが、船自体は和蘭の船で、同じく航海士のヤン・ヨーステン(日本名:耶楊子)も乗っていた。
これを切っ掛けに早い段階から英国と和蘭は日本との交友を開始していたものの、英国の方は赤字で採算が取れなかった為、日本を貿易相手としては捨て、鎖国令発令前に自主的に手を引いた。
その後に「もう一回やり直そうぜ。…な!」と言い出して来た頃にはすっかり鎖国ができあがっており、欧羅巴の日本貿易はほぼ和蘭で独占。

貿易の出島としては長崎と平戸が有名だけど、長崎は長崎県の南にある港で始めは葡萄牙用に、平戸は長崎県の北にある港で和蘭用に用意された港だった。
が、葡萄牙を拒否した後は、平戸にあった和蘭商館を長崎に移動させ、そこに和蘭人を住まわせた。
場所や建物は提供したものの、出島は長崎市から石橋を渡らなければならず、見張りを絶えず置き、日本側はその出入りを厳重に監視していた。
日本との貿易関係後半は和蘭にとっても赤字だったが、欧羅巴の中で唯一関係を持っている和蘭へ各国はジャパニズムについて詳しく聞きたがり、また品を欲しがっていたので赤字でも関係を続けていた。
また、第二次英蘭戦争後は英国、第三次英蘭戦争後は仏蘭西に…など、和蘭本国やその植民地が英国や仏蘭西に侵犯されている最中も、日本の出島にだけは変わらず和蘭の国旗が靡いており、和蘭にとっても誇りの拠り所だったらしい。
日本が始めの鎖国令を出してから6年後に葡萄牙を振り、19年後に英蘭戦争が始まる。

因みに、東京の中央区“八重洲”は、ヤン・ヨーステンが住んでいたから。







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