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薄暗い昼間の雪道をただ二人で歩いた。
後ろを振り返れば二つの足跡が残っているのかと思うと、何だか感慨深くて小さく息を吐く。
白い色を得た息は、音もなく曇り空へ昇っていった。

polarnatten magi



気付けば昼過ぎになっていた。
休日一緒に過ごすのは殆ど日常だが、基本的には俺が遊びに行かねえとノルは来ないからいっつも俺が行く。
行く訳だが…。
実は、ノルの愛弟であらせられる氷島に確かな外出予定が入っていると特例が適用される。

「おう、ノル~。昼過ぎちったぞ」
「…」

ソファに座って本を読んでた訳だが、何気なく上げた視線の先の壁掛け時計を見て思わずノルに声を掛けた。
テーブル挟んだ反対側。
三人座れる場所を悠々と独りで使い、俯せに寝っ転がって同じように本を読んでた。
勝手に人の音楽プレイヤー持ってきて使ってんのはいつものことで、イヤホンしてっから聞こえねえかと思いきや聞こえたらしく、ちらりと横目で俺を一瞥してから同じように壁掛けの時計を見上げた。
…今日は珍しく氷島が英国んトコに茶ぁしに行くとかで、午前中から留守にしている。
持って行くから何か美味しいお菓子作ってって昨晩電話があってたんで、言われたとおり眉ガキのプライドが傷つくような絶品ケーキを作って包んでやり、氷島は往き道に俺の家に寄ってそれを受け取るとそのまま英国の家へ遊びに行ったようだった。
氷島が出かけんじゃ、こりゃひょっとして遊びに来るか…? と睨んでたが、案の定だ。
特例はほんと特例で、氷島が外出してるからって絶対に遊びに来るとは限らない。
んだから、実際に午前中のお茶の時間にベルが押された瞬間、玄関にすっ飛んでいった。
玄関口に面倒臭そうに立ってるノルに、俺に逢いに来てくれたんけ!と聞くとグーが飛んでくるんで、無難に惚けた顔で、でもちーっとだけ嬉しげに“どしたん? 珍しんじゃねえけ?”が正解だ。
そうすっと何かしらの名目が発表されっから、それを理由に一緒にいりゃええ。
因みに、今日の名目は“毒味”。
新しいレシピを何処ぞの誰かしさんから教わったんで、おめちっと毒味しろやという話だった。
どうやら毒味は昼飯になるような物らしいんで家に来いと言ってたが、まあそれはそれとして外寒ぃし取り敢えず中入って茶でも飲めなと誘ってリビングに通したまま、ついごろごろしてしまった。
茶の時間に食べたケーキがまだ胃に残ってんでそこまで腹は減ってねえけど、手料理作るって言ってんなら勿論ご馳走される気は満々だ。
今からノルん家に移動して作って食べたって3時頃になっちゃーんだろうが、それでも早いとこ動かねえとヘタすりゃそれが夕食になっちまう。
持っていた本に栞を挟み、片手でぱたんと閉じた。

「昼飯、何か作ってみんだっぺ? そろそろおめげんトコ行ぐべや」
「…」
「何覚えたん? 材料とかは揃ってんけ? ねえなら買い出しも行かねーと」
「…何か出んのだりぃ」
「あ~。外寒ぃもんなあ~」

イヤホンをかけ直し、本の上にぺしょんと額を押しつけて伏せる様子を見て思わず苦笑する。
…この季節はホント寒い。
ノルん家はもっと寒い…とかいうレベルでなく寧ろ痛い。
用がないんなら極力出歩かないに限るんで俺は別にええけど…。
ちっと先のことを考えりゃ、夜になって尚更凍て付く中ノルに家に帰れっつーんは酷な気もする。
そんだったら、昼間のうちに寛ぎ場所をノルの家に移し、そっから俺が帰ってくりゃええ話で。
できれば今のうちにノルん家に移動しておきたいのが正直な所だ。
…んまあ、今でも十分寒ぃんだけどな。

「…材料は家にあっけどよ」

ノルが本に伏していた顔を横にし、左頬だけくっつけながら片腕をソファの下に伸ばす。
そこに丸まってた飼い猫の頭を指先で擽るように撫で、猫は鼻先を上にして気持ちよさそうに喉を鳴らした。
自分から動く気がなさそうなんで、仕方なしに俺の方が先に立ち上がって両手を腰に添えた。

「よっし! そんなら行ぐべ行ぐべ!」
「…」
「ほ~らノル! 行 ぐ…」
「やがまし」
「ふご…!」

ぶん投がってきたクッションを顔面に受けて鼻頭を押さえた頃には、ノルものたのたと身を起こした。
イヤホンを丸めて閉じた本と一緒にテーブルに置く。
猫を踏まないよう足下見ながら立ち上がった彼に、その辺に掛けておいたコートを差し出してやった。
忘れねえうちに手袋も投げつけておく。
その後で、自分もいつもの黒コートに黒手袋。
最近はすっかり寒くなってきたんでシャツと同色のマフラーも首に掛け…ようとしたところで、ふっと思い至って、離れた場所でコートを着込んでいたノルへ目をやる。

「…そう言や、おめえ今日マフラーしてきたけ?」
「忘れた」
「忘れたあ??」

素っ頓狂な声で聞き返す。
この季節にマフラー忘れたはねえべ。
お気に入りのマフラーが洗濯中なのか今日の服には合わないと思ったのか途中で飛ばされたのか急いで来たのか泊まる気だったのかは知らねえが、取り敢えずねえらしいんで、首に掛けていたマフラーを外すとそれを軽く放った。
無言のままノルが片手でキャッチする。
少し考えていたようだが、使うことにしたらしい。
目を伏せて、両手で首の回りにマフラーを巻いていく。
…俺の方で他のマフラーがあるにはあるが、服に合わねえし奥から出して来んのが面倒臭ぇし、格好付けてえってのもあって、結局俺はマフラーなしで行くことにした。
部屋の明かりを消して鍵を持って、玄関へ向かう。
ドアを開けた途端、冷たい風が吹き込んできて肩を竦めた。
この季節、空は暗く太陽は薄もやにかかり黄色をしている。
鬱になりそうな空の下、庭先に出た。

「寒ぃなあ~」
「…」

早速、寒さで顔の皮膚がぴりぴりし出す。
そんな中、ノルの家へ続く林道を歩き出した。





特別会話もなく十数分程歩いたか。
俺ん家の庭から出て、そろそろノルの庭に入った頃だろう。
林道は白く白く続いて、人っ子一人どころか猫の子一匹とすら合わない。
そんな中で、徐々に空が暗くなっていく。
別に、時間が速攻で進んで夜になってきたという訳ではない。
極夜だ。
…俺ん家では辛うじて挨拶程度に出てきてくれてるが、ノルん家の端っこやら芬蘭の所の黄色い太陽は毎年恒例の有給休暇中。
地平線から出てこない。
もう少し行けば、この時間帯でもビックリなくらいの暗さになる。

「…」

退屈に負けてちらりと横目で隣を一瞥する。
貸したマフラーで口元まで覆い、それでも寒さから吐き出されてく呼吸に色が着いて横に流れていく。
長い睫に風花が残してった霜がくっついていて、それが酷く似合っていた。
…何だか妙~に幸福を感じて、口端が緩みそうになる。
にやにや一人笑いになる前に少し背を屈めて首を傾け、提案してみた。

「うっし…! 手でも繋ぐけ!?」
「…あ?」
「ほいっ!」

嫌そうな顔での聞き返しから次の拒否が出る前に、左手でがっちっとノルの右手を確保しておく。
手袋越しに握った片手。
半眼で詰まらなそうにそれを見下ろした後、軽く持ち上げて俺の握った右手を上下に振って取り外そうとしたが、あんまし長く踏ん張ることもせず諦めたらしい。
ため息をついてぶらりとまた手を下ろし、目線を向こうに反らす。

「…うぜ」
「お? …おいおいノル。あんま離れっと繋いでんの目立っちまうぞ」

小さく悪態吐いてから俺との距離を空けようと歩きながら横にずれてく彼をそんな言葉で引き留めとく。
勿論俺はそれでも一向に構ねえが、実際、手を繋いでる場合、互いの距離を空けて歩いている方が端から見て繋いでんのが目立つもんだ。
逆に真横に密着してた方が繋いでいるのがばれなかったりする。
微妙に空いた俺との距離をちら見してから、ノルは益々嫌そうに顔を顰めた。

「…」
「んな? んだからもちっとこっち来…ぐほ!?」

唐突にタックルする勢いで俺の左肩にノルが右肩をぶつけてきたんで思わず蹌踉ける。
蹌踉けるが、握った手は離さないでおいた。
タックルの拍子に俺が離すとでも思ったのか、詰まらなそうにそれを見下ろしてから放たれたノルの舌打ちを最後に、場が落ち着く。
…元々、この林道は人通りが少ない。
華やかな表の道が出来て以降、ぶらぶら散歩という目的を持ったジジババでもない限り国民らはそっちを利用する。
それにこの薄暗さだ。
仮に向こうから誰かが歩いてきたとしても、端っから注意してよっく見ねえと手を繋いでいることは分からないだろう。
それを理解っているからこそ、さっきのタックルくらいの抵抗で済んだっつー訳だ。
普通に歩く時よりも近い場所にある肩にまた口端が緩みそうになるも、折角のこの状況で殴られるんは嫌なんで、咳一つして隠しておいた。

「あーあ。すーぐクリスマスになっちまうなあ~」

…とか。
場を取り繕う為に薄暗い空を見上げてみる。
俺の呟きに何を返す訳でもなく、ノルは始終黙り込んでいた。
何か気の利いた話はないかと初めのうちは色々考えを巡らせていたが、そのうち面倒になってバレない程度に両肩から力を抜いた。
…えっか。別に。
無理して一緒にいる訳じゃねえんだし。
肩なんか張らねえでえがっぺ。
そう勝手に結論づけてからはリラックスして、クリスマスソングの鼻歌が勝手に出てきた。

「~♪」
「…うっせ」
「いでっ」

繋いだままの手を少し持ち上げ、器用にそっちの肘でずがし!と脇腹に痛い突っ込みが入る。
空いてる片手で今突かれた脇腹を撫でながら困り笑いで眉を寄せた。

「おんめ…んなボカスカ叩ぐなって。ええべな別に。ミサの練習!」
「どーせいつも口パクだべ」
「ははは…! バレてっけ?」

軽い掛け合いをしつつも、基本的には沈黙したまま。
んだけどさくさくと雪を踏みしめる音が常に響き、鼻歌を止めても完全な静寂はなかった。



道中の中頃に差し掛かった頃だろうか。
さっきより一層暗さが増してきた中で、不意にノルが何気なく背後を振り返った。
思わずつられて俺も肩越しに今まで通ってきた道を一瞥したが、特に何もない。
相変わらず人っ子一人通らず、風に吹かれて風花は流れつつも今さっき着けてきた俺たちの足跡を消す程飛んでもいなかった。
ただ、空気自体が灰色の色を持っていて、今歩いてきた道の先はもう薄もやがかかり見えなくなっている。
…ぽけっとそれを眺めていると、唐突に左の掌に風が通った。
繋いでいた手がさり気なく解かれて、お…? と思う間もなく、見下ろした先で静かに握り直される。
一本一本指を絡めた新しい握り方は、互いの手袋のごわごわした生地のお陰で一層離れがたくなった。

「…」
「……」

思わず呆ける。
俺の方は何も考えず、つい瞬いてノルの顔を見詰めちまったが、ノルの方はというと全くの無反応のまま、目線を合わせることなく正面へ向き直るだけだった。
…風が吹く。
一瞬遅れて、クールな見た目に反するあまりの可愛さにカー!っと内側で実熱みてえに温度を持った愛しさが急上昇。
何故か俺の方が妙に焦る羽目になった。
どう反応してええか分からず、内心わたわたする。
その横顔に愛してると口走り咄嗟にキスしかけたが、いいこと言っても悪いこと言ってもこの静寂と時間が崩れそうで、何かしら反応すんのは躊躇われた。
何が彼を安心させるのか、昔から天の邪鬼で防御力高めな親友兼恋人は、極夜の数日間にはちっとばかし素直になるらしい。
いつもそんくらい素直だったら…と思う程今の彼に文句がある訳でもねえんで、これはこれでかなり魅力的な彼の性格と取っておき、俺も何食わぬ顔で正面へ向き直ると歩き続けることにした。
…。
…いややっぱダメだ。
顔がへらへらする。
マフラーでもしてりゃ口元埋めて隠せるんだろうが、今は隣に貸しちってるんで、やっぱり咳を一つして誤魔化すくらいしかできなかった。

そう言や聞かなかったが、外出中の北の王子さんは何時頃お帰りになんだっぺ。
なるべく遅いんがええなあ…とぼんやり考えながら、遅れてる昼食は何を作ってくれるのか想像する。
何の料理を覚えたんだか知らねえが、基本的に料理の腕前はええんで元のレシピがどうかしてねえ限り不味くはないだろう。
…つか、まあんなこたあ問題じゃねえわな。
とにかく俺の義務は、食後のコーヒーにとびきり熱くて旨いもんを淹れ、その後機嫌を損ねねえように空気を読みつつキスすることだと思う。
たまにゃキザったらしく愛でも語りてえけど、その辺はどうなんだか。
普段なら総無視。
それでも続けようとすると右ストレートかアイアンクロウか回し蹴りもんだが、何てったって今は極夜。
俺にとっては…つか。
俺たちにとっては、魔法の時間だ。

「…」

言葉にせずに視線を降ろし、寒空の下で握ってる手を見下ろす。
結局、体内の熱に我慢できずに顔を寄せ、マフラーから僅かに覗けていた白い首筋に無音のキスを贈ると、皮膚は氷のように冷たく、寄せた唇と口内を入口として体内の愛情と熱量を直で贈れた気になって満足した。
すぐに顔を離して手袋越しに絡めた指先を少し強めると、隣から呆れるような小さなため息が聞こえた。

やっぱり白い林道を歩いていく。
顔を上げて道の先を見ると、漸くそこに実質時間に不釣り合いな、イルミネーション輝く夜の世界が見えてきた。



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北の特徴、白夜と極夜。
前に書いた白夜話の対でした。
2011.12.18






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