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全てが凍った部屋だった。
起きてた時は寝ていたし、寝る時以外は眠っていた。
それでも起こされることはなく、俺が眠っている時に空いた時間が当たると横で眠ってから帰っているらしい。
どうやら鼾は滅多にかかないらしい。
時々濃くなっている、枕に移った趣味悪い香水の香りでそう気付いたのは、随分前のことだった。
今考えれば、火矢を一本投げ射られた気分だった。
大したことはないと思っていたが、後々面倒なことになり、気付けば火が回っていたりする。

Høst


コツン――と。
静寂の中で、音がした。
気のせいかと思って無視していたが、再度同じ音が繰り返され、横たわっていたベッドに両手を着けて、のそりと俯せていた半身を起こした。
…髪留めはサイドテーブルに置いたまま。
伸びてきた横髪が垂れ落ちて視界に入ってきたんで、指先で耳に引っかけた。
数秒間ぼーっとしてから、顎を上げて窓の方を見る。
大理石の床も柱も天井も、凍える程に冷たい。
灯りの落とした寝室は暗く、しんしんと雪降る外の方が明るいようで、窓枠を形取った青白い深夜の月明かりが床に縦長に伸びていた。

「…」

沈黙していると、またコツン…と音がし、眺めている窓に小石が当たった。
どう考えても意図的だろうから、仕方なしに両足をベッドから下ろしてそちらへ赴くことを決意する。
与えられた布団一枚じゃ寒くて、毛布代わりにくるまっていた、紅く分厚い、縁を何かの毛皮で飾ったマントを肩に引っかけて、長すぎるその丈を引き摺って窓辺へ近づく。
…鍵を開ける前に、雑音の持ち主の姿は見えた。
この部屋はそれなりの高さに位置しているが、窓から少し離れた場所に、やっぱりそれなりの高さに位置している通路の屋根がある。
雪の中、そこに危なげに立っていくつかの小石を片手にしている瑞典と目が合った。

「…」

何故こんな雪の中にいるのか…などという疑問はそれ程抱かずに、無言のまま鍵を開ける。
ただでさえ冷たい部屋の中に、冷たい風が少しの雪と一緒に入ってきた。
俺が窓を開けると、瑞典が小石を投げる手を下ろす。
今彼が上っている屋根のずっと下に、心配そうに俺たちを見上げている芬蘭も見えた。
どのくらい前から準備をしていたのか、それとも衝動的に決意したのか。
どちらにせよ寄せ集めの防寒具姿は、それでも寒そうだった。
瑞典に視線を戻す。

「…どしたん」
「逃げっど」
「…」

瑞典が片手を俺に伸ばした。
まだ距離がある。
俺も窓際に腰掛け、こちらからも手を伸ばさなければ彼に掴まることはできないだろう。
彼は力も度胸も器量もある。
掴まれば、着いていけば、ここから無事に出て行けるだろう。
追っ手がくるかもしれないが、何とかなってしまうかもしれない。
…とは言え、俺は、やる気無くため息を吐いた。
息が白い色を得て、背後の室内へと流れていく。

「…俺ええわ」
「…」
「寒ぃし」

深く突っ込まず片手を下ろした瑞典に、肩に羽織っていた赤いマントを放ってやった。
無駄に広い、引き摺って歩くのが持ち味のマントに、二人くらいくるまって眠れるのは経験済みだ。
旅の途中、彼らの役に立つだろう。
…本当は俺んじゃねえけど。

「気ぃ着けてな」
「…ん」

片手を上げ、瑞典がマントを片腕に抱えたまま屋根を用心深く降りていく。
途中で滑ったりしないかだけ心配で、降りきるまで覗き込むように下を見ていた。
雪の積もる地上に降りるとすぐに芬蘭が彼に駆け寄り、何事かを話していたが、やがて俺は窓を閉めた。
少し経って、見上げてくる芬蘭に軽く手を上げる。
やがて雪の中を歩き出した二人を、俺はぼんやり見送った。
芬蘭だけが何度も振り返ったが、反応を返してやったのは一度きりで、以降はもう見送るだけにしておいた。

「…」

二つの背中が見えなくなった頃、ベッドに戻る。
毛布代わりにくるまっていたマントがなくなり、大人しく布団の中に入った。

 

 

 

 

朝方にも満たない深夜。
バタバタと入り乱れる複数の足音の中、ガッガッガ…!と重く規則的な速い足音が廊下の向こうから近づいてきて意識が浮いた。
不機嫌な時の足音だ。

『どっから出たっつーんだ…!』
『見張りは何しとったん!?』
『…』

悲鳴に近い部下たちの声を尻目に、バン…!!と勢いよく、重い両開きで部屋のドアが開かれた。
真夜中の廊下とはいえ、壁にかかってるランプくらいでも月明かりしか光源のない部屋はそれなりに照らされた。
ぽっかりと、ドアの縁をとるように台形の灯りが室内に伸びる。
喧しくてちっとばかし目を開けたが、鬱陶しくて、布団から出る気にはなれなかった。
開かれたドアの中央に、ぽつんと浮かぶように、丁抹が微塵も似合いもしねえ険しい顔で立っていた。
ドアを開いた両腕をそのままにした、妙な格好で。

「…」
「…夜中に。やがましなあ」
「…。………は、はは…」

俺が舌打ちして呟くと、丁抹は右のドア縁へ近寄り、そこへ片手を着いてぐったり下を向いた。
数秒間。
ぼーっとしていたと思った直後、突然背を屈めて両手を膝に着け、大声を張る。

「ぷはーっ!!」
「…」
「っだああああああーーー!!!ったぐ!!」
「…やがまし」

咆哮上げた阿呆にうんざりして、もう一度言ってから頭まで布団をかぶった。
布団の向こうから、いつものけらけらとした明るい声が響く。

「はっはー! 悪ぃ悪ぃ、夜中に。やすみー!」
「…」
「追跡隊出すんだっぺ!? 今に動けんのぁ飛ばしちってええけ!?」
「なーに言ってん!経路は分かってんけ!? まず調べねえと」
「丁さん、指揮指揮!」
「んおー。今行ぐわー!」

ドアが閉まる。
部屋はまた暗くなった。
バタバタと入り乱れる複数の足音の中、着た時とは全く別の、落ち着いた足取りが部屋から離れていった。
…凍った部屋の中で一度瞳を開けたが、布団の中で枕に頬を寄せたまたすぐに伏せた。
最近妙に忙しない。
囚われの使用人はこれで半数に減った。
当面は更に忙しくなる。
奴が忙しくなるのなら、また暫く眠っていられるだろう。
だらだら過ごせる。
そう思う一方で、そこに残っていた趣味の悪い香水は薄くなってきていて、それが些か不愉快だったことが不愉快だった。
諦めて、小さく落胆の息を吐く。

陥落したな…と、思った。
趣味悪ぃな、とも思った。



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好きになりたくなんてなかったのに、いつの間にか陥落。
丁諾大好きです。大人の恋愛。
歴史がもう恋愛ドラマだもん。

2011.08.18






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