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「…退屈」

ぽつり、と珍しいことを氷島が呟いて、思わず積み木片手に振り返った。
柔らかい毛皮の絨毯やメジャー所の遊具が散乱しているこの部屋は、牢獄としては優秀なんだろうが、遊び部屋としては狭すぎる。
窓も天窓も広く、大きな天蓋付きのベッドの周辺に思い思いに遊具を散らかしてお互い遊んでいる訳だが、朝から晩まで拘束されちゃ堪らない。
例え、衣食住が充ちているとしても、捕まるなんてこと自体、プライドが許さない。
相手が丁抹だから何だっていうんだ。
売られた喧嘩を買わないのだってプライドが許さない。
先に喧嘩を仕掛けてきたのは向こうだっていうのに、勇敢に立ち向かったらこの様だ。
あのツンツン頭が凶暴なのは知っているが、いい線いったんだぞ、俺だって。
…最終的にはぐるぐる巻きにされて、この部屋へ放り込まれた訳だが。
最近この部屋に連れてこられた俺はそろそろプッツン来そうで、時々突拍子もなく積み木を壁に投げつけたりしているが、俺よりずっと先にこの場所にいるそこの小さい奴はというと、そんなストレスもう諦めたって顔で、床に開いた本を頬杖しながら眺めていた。
名前は氷島っていうらしい。
実に分かりやすい。
こいつの周辺はいつもひんやりしてて、手もすごく冷たく、希にだが、怒ると周囲に冷風が吹き荒れたりする…が、かと思えば噴火したりする。
それに、冷たい手だって触れない程じゃない。
真冬だって、他のノルマンどもと比べりゃ寧ろ温かいくらいだし、何なら"Hotland"って名前でもいいんじゃないかと思うくらいだ。
兄貴と一緒に馬鹿に捕まったんだとさ。
どーせ喧嘩する実力もねえのに、後先考えず喧嘩売ったりしたんだろ。
馬鹿だな。
勿論、それは俺が拉致られる前の話だから、詳しくは知らないが。

「どうした、氷島?」
「…。別に」

何はともあれ、退屈とか珍しいことを言うから、片手に持っていた積み木をぽんと宙へ放り投げながら尋ねると、本を眺めていた奴はちらりと俺の方を見てからため息を吐いた。
再度呟く気配はない。
いつも退屈退屈と騒ぐのは俺ばかりで、氷島はそんな俺をうるさいと一喝するだけで、すっかりこの拘束状態に慣れているのかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
…当然だよな。
俺たちの歳考えろよ。
遊び盛りだ。
例え世界中の玩具を集められたとしても、こんな所に閉じこめられて窓越しの空なんか見ていても何一つ面白いことなんかない。
もっと声を大にして叫いたっていいのに。
何でか、こいつは消極的であれしたいこれしたいって願望を押さえ込む奴のようだ。
だから代わりに、両手を腰に添えて俺が言ってやった。

「はあ…。しかし、つまんねーよな。こんな所に閉じこめられて。もう積み木にも本にも飽きたしな。飯は美味いけど、他に何もねーし」
「…」
「…外に出たいよな」

一度ため息を吐いてから、窓の外へ視線を向ける。
高い塔の上部付近にあるこの部屋の窓からは、空しか見えない。
俺ん家周辺ほどではないが、此処の天気もよく変わるらしい。
だが、今日はこの通り快晴だ。
窓の外を鳥が飛んでいる。
例え雨でも雪でもいい。
久し振りに外で遊びたい。
こんなにがっつり捕まるくらいだったら、仏蘭西の馬鹿と喧嘩してた方がよっぽど気が紛れる。
年上なんて大嫌いだ。
兄貴共も含め高慢でろくなのいねえ。
どいつもこいつも喧嘩好きで、ぼかすか殴ってきやがる。
俺の近所には優しくて頼りになる奴なんて一切いねえ。
俺にもっとずっと力があったとしても、虐めなんて馬鹿な真似絶対しねえぞ。
やっぱ、最後に頼りになるのは自分自身なんだということを、俺はこの歳で学びつつある。
…やばい。
枯れてるな、俺…。
枯れなきゃいけない境遇が悲しすぎる。
俺だって…俺だって本当は近所の奴らと仲良くしたいって思ってんのに。
窓の外を見ていた視線を落とし、がっくりと肩を落としている俺を、俯せで頬杖付いたまま氷島が遠巻きに眺めていた。
やがて、小さく息を吐く。

「…外ってだけなら、出られるけど」
「は…?」

落胆していた俺の耳に、再度氷島の小さな声が聞こえた。
それがあまりにも意外な発言で、反射的に顔を上げて瞬く。
相変わらず床に伏せて退屈そうに本を開いている奴が、半眼で俺を見ていた。

「外って…。え? 出られるのか?」
「庭ならあるよ」
「はあああ!? 先に言えよ!」

思わず声を張る。
だって俺、絶対出られないと思ってたぞ!

「でも何もないし。…第一、脱走は無理だよ。ダンの部下が監視してるから」
「脱走なんかこの際どうでもいい…!そのうちあの馬鹿を直にぶん殴ってやるからな。…それよりも、本当に庭があるのか? どうしてお前今まで黙ってたんだよ」
「だって、大した庭じゃないから。…行きたいなら案内するけど」

そう言って、読んでいたでかい本に栞を挟むと、氷島は小さい両手で本を閉じて立ち上がった。
本を抱えるようにして本棚へ戻しに行く奴の様子を見て、俺も慌てて散らかしていた積み木をケースに入れていく。
折角でかく積むのに成功していた城は崩すのが勿体ないんでそのまま放置で。

「…積み木片付けなよ」
「いーんだよ。これはこのままで。見ろよ、高いだろ? 帰ってきたらまた積むんだからな」
「…」
「あ…!」

無造作に近くにあったウサギの人形を手にすると、氷島は振りかぶった。
何するか見当付くその行動が実行に移される前に、奴と積み木の間に入って空かさず奴の両手首を正面から掴み上げた。
何かっていうと俺が造ったり遊んだりしてるやつ壊そうとするんだ。
ぐぐぐ…と力が拮抗して小さく震える。

「馬鹿お前…!止めろよな!!」
「ちょっとっ、触らないでよ…!だって普通片付けてから行くでしょ」
「いいんだよ!崩したらお前、完成したってお前のこと入れてやらないからな!」
「はあ…? 何言ってんの。馬鹿じゃない? 玩具のお城で」
「そのうち本当に造るんだよ!」

今は雛形だ!
そうやって俺たちが揉み合っているうちに、ぱたたと背後で羽音がした。
ぎくっとして振り返ると、案の定、いつの間にか氷島の傍にいた黒い小鳥が無造作に俺の積み木の城に近づき、嘴で突っついてやがる。
何しやがる! と怒鳴ろうと思ったが、その前にぐらりと城が揺れた。
遅れて、雪崩の如く、折角身長よりも高く積み上げた積み木が、ガラガラと音を立てて真横に雪崩れていく。

「ああーっ!!」

悲鳴を上げる俺の前を、小鳥がぱたぱた小さな翼を左右に開いて、低い位置を飛ぶというよりは跳ねる要領でこっちへ戻ってきた。
この野郎…!

「テメェ…!」
「止めてよ。僕の友達なんだから。庭教えてあげないからね」
「ぐっ…」

けっ飛ばそうと片足上げた俺へ、氷島が告げる。
閉じこめられているこの状況では、庭への案内は魅力的だ。
仕方なく、大人な俺はぐっと堪えると握っていた氷島の手首を払うように解放してやった。
舌打ちする俺の前で、氷島が自分の手首を軽く撫でた後、屈んで両手を広げ、そこに小鳥が飛び込むようにして腕の中に入った。
可愛げのない黒い鳥を抱き、立ち上がるとその頭を撫でる。
面白くなくて、俺は片手を腰に添え鼻で笑った。
…ふん。
何だ。馬鹿馬鹿しい。
鳥なんて何がいいんだ。
しかもそんな焦げたような黒い鳥。
綺麗な声とは程遠い鳴き声は、時間潰しの鑑賞にも使えない。
せいぜいローストがいいところだ。
俺がいるんだから、俺と遊べばいいのに。
同じ部屋にいるとはいっても、氷島から寄ってこないから、寝たり起きたり食事したりは同じタイミングだが、これといって同じ玩具で遊んだりは滅多にしなかった。
一緒に遊ぼうくらい言ってきたら構ってやってもいいのに、本当に内向的な奴だ。

「それなら、早く案内しろよ!」
「…何怒ってんの。馬鹿みたい」

ぷいとそっぽを向いて腕に抱いた小鳥を右肩へ乗せると、奴はてくてくと歩き出した。
ドアとは正反対の方角だ。
そっちに出入り口になるような場所はないように思えたが…。

「これずらして」
「…あ?」

ぴしりと指を差したのは、三段くらいの比較的小さな本棚だった。
丁度俺たちの身長と同じくらいの。
普通の絵本とかでなく、滅多に開く機会がないような、いらない図鑑とかそんなの。
…まあ、たまには開くけどな。
俺、船とか好きだしな。
氷島の前に回り、棚の側面を身体全体で押して見るが、ウンともスンとも言わない。
少しだって動きやしない。
両手を離し、ひと息吐いた。

「…っダメだな。本を取り出さないと。この後ろに何があるんだ?」
「庭への裏口」
「おま…っ何でこんな隠すような真似してんだよ!」
「だって、誰も興味無いと思って」
「…ったく!」

正面へ回り込み、本棚の中から分厚い辞書や図鑑をばこばこ後ろにぶん投げて中身を軽くする。
本は一冊一冊がずっしり重く、投げるのも一苦労だ。
ページが寄れたって構うもんか。
どうせあのツンツン頭の持ち物だ。

「手伝えよ!」
「僕別に行きたくないから」

氷島は必死に働く俺の数歩後ろで、両手を後ろで組んでぼーっと突っ立っていた。
…ああっ。はいはい!
ったく。本当に我が儘な奴だ。
俺ばかりが頑張って棚の中身を全て追い出し、ついでに上に乗っていたぬいぐるみを最後にぶん投げ(本は放置のくせにこのぬいぐるみだけは氷島がキャッチして横に置いた)、改めて横に回り込むと両手を棚に付いた。

「よっ…と!」

それでも、木造の棚は重い。
いい素材使ってりゃ尚更だ。
ずずず…と絨毯を削って、本棚はゆっくりと横にスライドした。
すると、俺が必死で動かした分だけ、その小さな本棚とほぼ同サイズの鉄の扉が現れた。
忘れられた扉は内側にはめ込み式の鍵が掛かっていて、隙間に埃が詰まっている。
どうしてこんな、隠すようにしてんだか…。
鉄臭くなりそうだが、両手で下から填めた、ずっしりと重い鉄を取り外した。
取っ手を掴んでぐっと押すと、ギギギィ…と重い音を響かせてはいるが、しっかりと扉は開いた。
ふわっと外気の風が室内に吹き込む。

「うわ…。開いたぞ、氷島!」
「あっそ…。よかったね」
「ぅ お りゃーっ!」

更に両手を添えて、扉を向こうへ押しやる。
全力で力一杯押しやると、大きな鯨が呻るような鳴き声でやがてはぱっくりと口を開き、下へ続く石の階段が目の前に現れた。
…確かに裏道って感じだ。
隠し通路的な。
何だよ。
本当に出られるじゃないか。

「お前は行かないのか?」
「興味ないから。…本当に詰まらないよ。何もないし」

行く奴の気が知れないという態度で、氷島はため息を吐いた。
相変わらず冷めてる奴だな。
でも、ずっと室内でいる方がどうかしちまう。
こいつは生まれてからずっと誰かが傍にいて誰かと暮らしてるから、こういう閉鎖的な状況が続いていたとしてもそこまで違和感も不満もないのかもしれないが、俺は違う。
兄貴だろうが仏蘭西だろうが、誰に従うのも御免だ。
寧ろ従えてやる勢いでいる。
確かに気張らしということもあるが、庭から脱出できそうならしてやる。
今はあのツンツン頭にボコられていたとしても、強かに逆転を狙ってるんだ。
丁抹は最低だ。
俺は奴に殺された国民を忘れない。
例え俺よりずっとずっと短時間で死んで消える存在であっても、間違いなく俺を構成する一部なんだ。
あんな残虐非道な奴の下になんて付いていられない。
反吐が出る。
付いてる奴だって哀れだ。
氷島の言うとおり、好きであんな凶暴者と一緒にいる訳じゃないはずだ。
あいつが力尽くで閉じこめているだけで。
そういう意味では、目の前の俺より小さな島国は自由なんて生まれてこの方無いように思えた。
俺が主国なら、子供だってだけでこんな端の方に追いやりはしないし、兄貴とだって自由に会わせてやるのに。
…。

「…何」
「あ、いや…」
「行くの、行かないの」
「…」

思わず見返していると、氷島が不愉快そうに眉を寄せた。
…何で外が嫌なんだ。
全然分からない。
外行くの乗り気じゃないのを無理矢理引っ張り出すのは良くないかもしれないが…。
その時は、こいつを引っ張って明るい場所へ行きたかった。

「…なあ。やっぱ一緒に行こうぜ。庭」
「…」
「詰まらなくてもいいだろ、別に。たまには外の空気を吸わないと、お前だってイカれちまう。…ほら」

閉鎖的な部屋を背景に立っている氷島へ、片手を差し出す。
奴は数秒間、下らないものでも見るような視線で俺の手を眺めていたが、やがてゆっくりと差し出した…風に見えたが、そのまま俺の手を手の甲で下からスロウに払うと、俺の隣を通過して先に歩き出した。
奴が先にドアを潜ったが、何かあった時、軟弱な氷島じゃどうしようもない。
あと転けそうだしな。何もないところで。
ドアを潜る前に、デスク上にあるペーパーナイフを掴み取ると、後を追ってドアを潜ると、奴よりも前に出て先に階段を下ることにした。

「…暗いな」

前の階段だって明るくはないが、それ以上にここは暗い。

「ティターニア。…いるか?」

ぽつりと斜め上の暗闇を見上げて名前を呼んでみると、ライトグリーンの淡い色を伴って妖精の一匹が降りてきた。
こいつは一番耳がいいから、名前を呼べばすぐ来てくれる。
つまりそれだけ、縄張りが広いんだ。
両手を器のように用意してやると、そこへ降りてきた。

「悪いな。足下暗いんだ。照らしてくれるか?」

頼むと、俺たちを中心に周囲がランプを持った時のように球状に明るくなる。
足下は勿論、前と後ろも微妙に照らされ、随分歩きやすくなった。
妖精を頭の上に乗せ、背後を振り返る。

「おい。氷島。暗いから転ぶなよ。俺から離れるんじゃないからな」
「…子供扱いしないでくれる」

口が悪いが、明るさがあるとやっぱり心強いのか、光の範囲内に入ってきた。
石段は何処までも続いているように思えた。
長年人が歩いていないような、苔や黴が端にくっついているような石段を、一つ一つ怖々と下りていった。

随分下って、漸く上の鉄の扉と対になっているような、小さな扉に到着した。
ここもやっぱり重くて、鉄の棒を外し、全力で扉を開ける。
ぐぐぐ…と錆びた金具を力押しで開くと、忘れかけていたような、白い日差しと草の匂いが出迎えてくれた。



The temperature of the blue




ドアを出て数秒。
そこから見える景色の美しさに、俺は絶句してあんぐり口を開けた。
晴れた空の下、茂った草花と回りに木があって、中央にはコバルトブルー色した巨大な海みたいな池があった。
周囲は靄だか湯気だか何だか分からないが煙が微妙にあがっていて、それらをぼんやりと幻想的に包んでいる。
まるで楽園のような色をしていた。
…。
…何もなくて詰まらない?
冗談じゃない。
頭可笑しいんじゃないか、お前。
…という心境で、俺の横に突っ立っている氷島へぼけっとしたまま視線を投げる。
俺の視線に気付いた奴は、半眼で見返してきた。

「…。何」
「お前…。絶対美意識どうかしてるぞ。これのどこが何もなくて詰まらない庭なんだよ」
「…だって本当に何もないから」
「十分だろ!」
「…英蘭はもっと整ってる庭の方が好きなんでしょ」

ぷいとそっぽを向く。
いや、確かに俺は薔薇園とか煉瓦道とかナチュラルよりも整理された庭の方が身近にあるが、かといって自然な美しさが嫌いな訳じゃない。
こんな庭があって遊びに出ないなんてどうかしている。
俺は左腕で目の前に庭を勢いよく示した。

「馬鹿!お前、こんな綺麗な場所放っておいてどうするんだよ…!勿体なさ過ぎだろ!」
「別にどうでもいいじゃない…」
「よかない!…ああ、畜生!ボールとか持ってくれば良かった!どうして先に言わねーんだ!それにこんなにでかい池があるなら泳げるじゃねーか…!」
「ちょ、ちょっと…」

久し振りに触れる植物や石や外の空気に、テンションが上がってドアを離れ駆け出した。
慌てて氷島が追ってくる。

「すげー。綺麗な色なんだな…。何で真っ青なんだ?」

池の傍に屈んで覗き込むと、むわっと顔に何故か熱気が来た。
…ん?
疑問に思って、ふわふわの袖を捲り上げ、水に手を伸ばす。

「…」
「ちょっと…!落ちても知らないからね!」

後から氷島が追いかけてきて横に立った頃に、水に突っ込んだ手を引いた。
水…ていうか……。

「…お湯だ」

そう。お湯だ。
温かいぞ、これ。
…ってことは、まわりのもやもやな霧は湯気か。

「おい、氷島。お湯だぞ、ここ」
「そーだよ。悪い? …仕方ないじゃん。この辺は火山があるんだから」
「あ…?」
「水じゃなくて悪かったね…」
「…」

むすっとした顔で睨み付けてくる氷島の言葉が予想外で、俺はまた数秒間瞬いた。
…ていうか、その切り返し。
もしかしなくても…。

「…なあ。この庭ってもしかして、お前ん家なのか?」
「は…? …今更何言ってんの」

俺の質問に、今度は氷島の方が予想外という顔で瞬く。

「デンが本城に入れてくれないんだから、仕方ないでしょ。…でも、お湯の池があると氷が張らなくて結構楽なんだからね」
「いや馬鹿違ぇよ…!お前これ温泉っていうんだぞ?」
「おんせん? …て、何それ」

得体の知れないものでも見るように、俺から身を引いて氷島が一歩後退する。
…あ、こいつ信じてねえな。
からかわれてると思ってやがる。

「神殿とか建てないのか? 放っておいてるのかよ」
「…熱い池って、普通どうするの?」
「入るに決まってんだろ。…ああ、もう!"Practice makes perfect"だ。実際に入ってやる!」
「え、嘘。…本気?」
「別に今は病気じゃねーけど、貸し切りなんだ。泳いで遊ぶんだよ。水着じゃねーけど、下着穿いてんだからいいだろ? …ほら。お前も脱げよ」
「…! ちょ、嫌だ!触らないでよ変態…!!」
「誰が変態だ!」

近くにいた奴のふわふわした服の袖を掴んで引っ張り上げ、脱がせてやろうと思ったが、思いの外しぶとく最後の最後まで本気で抵抗しまくるんで、仕方なく脱がすのは諦めた。
…一緒に遊んでやってもいいっつってんのに、何で嫌がるんだ。
本当意味分かんねー。
仕方ねーから、俺一人服を脱いで真っ青な温泉へ飛び込む。
ぼちゃん…!と格差のある縁から飛び込むと、一気にお湯の中へ入った。
…結構深いな。
顔を出して、お湯の中で思い切り四肢を伸ばす。
ずっと室内にいたせいで、身体がばきばきいった。
ずっと緊張していた筋肉が溶けてリラックスしていく感じだ。

「ふー…。あ~…。いいなー」
「…。熱くないの?」
「温かいっていうんだよ。バーカ」
「…」

温泉へ飛び込んであちこち泳ぎ始めた俺の様子を暫く眺めていた氷島だが、やがて温泉の縁に身を乗り出して、精一杯片手を伸ばし指先で少し水を弾いた。
…気になるなら入っちまえばいいのに。
そのうち慣れてきたのか、いい場所を見つけて腰を下ろすと、折れそうな小さい両足を水面にそろりそろりと入れていく。

「気持ちいいだろ?」
「…。あんたって変わってるよね」
「そうか?」
「こんな池でいいなら、たくさんあるけど」
「本当かよ…!すごいな!」
「でも、熱い池なんてあっても何の役にもたたないじゃない。…お湯じゃ、飲めもしないし、生活に使えないから。魚だって捕れないし。存在意義が分かんない」
「そんなこと無いだろ」

温泉の縁に座っている氷島へ、ざぶざぶと水中を泳いで近寄っていく。
水をかくこの浮遊感は貴重だ。
これに価値が見いだせないなんて、本当に何も知らないんだな、こいつ。

「これ、入ると凄く楽しくてリラックスできるんだぞ。誰でも持ってるものじゃないしな。…たくさん持ってるってことは、お前、その分他の連中よりたくさん人を癒せるってことだろ?」
「…。そうかな」
「そうだろ。現に、今俺だって癒されてるしな。…俺お前といると楽なとこあるけど、そーゆーことか。元々そーゆー能力に長けてんだろうな。結構山とか空気とか、すげー綺麗だし」
「…!」

言った瞬間、氷島がぐっと近くにあった石を掴んだのが見えた。
疑問符を浮かべる間もなく、振りかぶった小さな手がその石を俺向かって投げつける。

「どわ…!?」

一瞬のことだったが、無意識に身体が反応して石を避けた。
さっと引いた身体があった場所…から微妙にずれたところに(ヘタクソ!)投げつけた石がボチャン!と落ちる。
あっぶね…!
たかが石って言ったって、当たったら洒落にならないだろ。
勢いよく振り返り、陸に腰掛けたままの氷島へ眉を寄せて声を張った。

「おい…!突然何すんだよ!?」
「出てよ!」
「はあ!?」
「今すぐ出て!…何で僕があんたをリラックスさせなきゃなんないわけ!? 意味分かんない!」
「…? 何怒ってんだよ。褒めたんだろ?」
「うるさい!」
「わわっ、ちょ、待て馬鹿…!」

さっき投げた石よりも一回り大きい、何つーか岩の欠けたのみたいな石を、続けて投げつけてくる。
今度もマジで狙ってきたから、温泉の中央へ後退して避けた。
…何なんだ本当に。
ちょっと前からそうだが、よく分からないタイミングで切れるから氷島は扱いにくいとこがある。
嫌な奴って訳ではないから、嫌いな訳じゃないんだが…。

「投げるならボールにしてくれ。今度上の部屋から一つ俺がここに持って来てやるよ。俺のスーパースマッシュを見せてやるからな。すげー速いんだぞ!」
「一人で勝手に遊んでれば?」
「一人で遊んだって限界知れてるだろ!乗って来いよそこは! …お、お前がどーしてもって言うならな、遊んでやっても…だな…。…いいんだぞ!?」
「聞こえない」

慈悲をフル動員して誘ってやったのに、両手を引っ込めた長い袖で耳を押さえて、ふいと氷島が顔を背け、その仕草に苛っとした。
ぐ…っ、この…っ。
人が折角優しくしてやってんのに…!
折角勇気と優しさ押し出して誘ってやったのに悪意で返され、思わず涙目になりかける…が。
泣いて堪るか…!
やけくそ気味に、俺は片腕で水面辺りのお湯を奴に向けて払った。

「んじゃあもういいよ!ばーかっ!!」
「ちょ…っと!…最低!」

払ったお湯全部がかかったわけじゃないが、それでも水しぶきが縁にいた氷島に掛かる。
片腕で防いだみたいだが、髪や袖が濡れて奴もびしょびしょだ。

「濡れたんだけど…!」
「知るか!…つか落ちろ!」

濡れれば諦めて入ってくるかとも思ったが、存外しぶとい。
水の滴る袖と裾を搾るだけで、服を脱ごうとも首から提げるネックレスを取ろうともしなかった。
それが更にむっと来て、泳ぎながら頬を膨らませる。
そんなに俺と遊ぶのが嫌か。
…ふん。構うもんか。
次に庭に降りる時は、嫌がってても絶対脱がせてやる。
だって、自分のいい所知らないなんて、勿体なさ過ぎるだろ。
あいつ全然自身に興味無いんだもんな。
自分で気付けないようなら、俺が教えてやるさ。
物知らずな田舎者め!
鼻息荒く誓ってから、泉の底へタッチする為、ぼちゃんと頭から水中へ潜った。
ぬるめの温泉は顔を入れても熱くはない程度の適温で、いつまででも遊んでいられた。

 

 

どうせ今晩も丁抹は様子見なんか来ないだろうが、それでもたまーに気紛れであいつと氷島の兄貴が来ることがある。
…つっても、兄貴の方だけ置いて丁抹はすぐ出て行くが。
万一そんなことがあって俺たちが部屋にいないことがバレて怒られでもしたら面倒だ。
…まあ、庭だからな。
もしかしたら全然出入りしても構わないのかもしれないが、この氷島の庭に対してあいつがどう思っているのか俺たちじゃ分からないし、怒らせると怖いしで、早めに部屋へ戻ることにした。
…が。

「…もうだめ。疲れた」

石段の端に手を着いて、氷島がぐったりと肩を落とす。
奴が足を止めたから、前を歩いていた俺も一度止まった。

「まだまだ歩き出したばっかりだろ」
「…降りてくるんじゃなかった」

また妖精の明かりを頼りに階段を上る。
たくさん下った分、当然戻らなきゃいけない。
当たり前で、俺もそれなりに疲れだしたが、こいつ程ではない。
…本当に体力ねーな。
このご時世に、剣も持てない弓も引けないなんてどうかしてるぞ。
あんまり意味無い俺たちの性別だが、まだ氷島が男で良かったな。
女だったらもっともっと体力無いんだろうな。
こんなんじゃ、とてもじゃないがこいつが下剋上なんて無理だろう。
この先どうするつもりなんだか…。

「仕方ねーなぁ…。ほら。手ぇ出せよ」
「…。何で」
「引っ張ってってやるからに決まってんだろ。庭案内してくれたお礼にな」

そのまま座り込んでしまいそうな氷島へ、上の部屋でそうしたように片手を伸ばす。

「…」
「…あ?」

無言のままじっと俺の掌を見詰めていた氷島は、両手を壁から離すと徐に懐から綺麗な布きれを取りだして、俺の手を包むように拭きだした。
包まれた瞬間はちょっとどきっとしたが、明らかに汚いものを拭うみたいに拭いてる様子にぐわっと感情が頭を擡げる。

「お、ぉおまぁえぇなぁああああ~!!」
「うるさいな…。だってあんたさっき庭で散々遊んでたじゃない。汚れてるでしょ」
「そんっなに俺が嫌か!」

何だってそう拒否るんだ!
俺はお前の心配してやってるのに…!
思わず噛み付いてやろうかくらいの勢いで声を張った俺の顔を見もせずに、俺の手を拭きながらぽつりと声を零す。

「嫌だったら自分の布汚してまで拭くわけないじゃん…」
「…ふぇ?」
「はい」

手にしていた布を折り畳み、懐にしまってから、打ち付けるようにしてパチン…!と氷島が俺の手を握った。
ちょっとひやりとしていて、でもじわじわと温かい、小さな手。
…。
人と手を繋ぐのは何百年ぶりだろう。
そう言えば、兄貴なんかとも繋いだことがないような…。

「…何してんの」
「え?」
「早く運んでよ」
「わ、分かってるよ…!…畜生。何様だよ」
「わ…っ」

ぐいっと繋いだ手を引いて、氷島の体重全体引っ張るようににして階段を一歩踏み出していく。
最初引っ張る時はちょっと急すぎたのか、前につんのめるようにして氷島も踏み込んだ。
ちょっと引っ張っただけだろうに、ムキになって俺に怒鳴りつけてくる。

「ちょっと!痛いんだけど…!」
「うるせえな!」
「あんた何でそんなにエスコート力ないわけ? …ほんと、高が知れてるよね」
「ばっかお前…!俺は将来すげーいい男になるんだからな!」
「はいはい」
「金持ちにもなるし!」
「はいはい」
「あ、てめ…!自分で歩けよ!」
「っ、だから強く引っ張らないでよ…!」

ひたすら体重預けて自分で歩く気一切ない氷島の手を握ったまま、駆け上がる勢いで石段を上がる。
…とは言っても、奴が体重預けてくるんでスピードは一切出なかったが。
階段上にあるいつもの部屋に付く頃にはくたくたで、両手を床についてぜーはー…と息切れしている俺の背後で、氷島が元々そうであったように重々しい扉を力一杯使って閉めていた。
ギギギィ…と錆びた音の後に、鉄の扉が閉まり切る。
本棚を戻せば、秘密の入口は再び閉鎖された。

「…なあ」

何となく気になって、四つん這いになったまま、呼吸を整えながら声をかけてみる。
相変わらず冷めた双眸が真っ直ぐ見返した。

「何」
「あの庭って、丁抹とか知ってるのか?」
「知らないんじゃない? あいつは僕に興味無いもの。知っていても放置だと思うし。…お兄ちゃんは知ってるはずだけど…。今は忘れてるかもね」
「へえ…」

意外だ。
そんなに冷めてるのか。
やっぱり、家族なんてどこもそんなものなのかもしれない。
…まあ、見てても丁抹なんかはあの根暗のことばっかって感じはしてるけどな。
あんな根暗の何がいいのか…。
趣味悪ぃ。
それならよっぽど氷島の方が、口が悪いし性格俺様だし非力だし無能だし使えないし自主性無いし我が儘だが…。
それでもやっぱ、こいつの方がまだ可愛げがある気がした。
大体、ここでの付き合いも何かの縁なんだ。
隣近所な訳だし。
こんな軟弱野郎と知り合って放置できる程、俺は悪漢じゃないんだからな。
…息が整ったところで、むくりと立ち上がり、すっかり汚れた服の裾を払う。
シャワー浴びなきゃな。流石に。
微妙にめくれていた服の裾を指先出直してから、両手を腰に添えて横に立っていた氷島へ顔を向けた。

「…なあ。お前、家出するなら俺ん家に来いよ?」
「は? …て言うかあんた今家無いし」
「将来でけー城建てるんだって言ってるだろ。まあ見てろ。絶対だからな。…お前が『遊んでください』って言ってくるくらい、いい部屋と玩具を用意してやるからな!」
「言わないし…」

俺からってのは俺のスタンスじゃないからな。
仁王立ちして断言すると、氷島は呆れた様子でため息を吐いた。
…信じてねー感じだが、まあいい。
実際その時になって、すげー豪華な部屋と玩具やって吃驚させてやるのも、面白いだろう。

その時どんな反応をするか。
想像するだけで面白くて思わず笑いかける俺の後頭部に、奴が投げたぬいぐるみがぼこっと当たった。






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カウント3500番取得者様へ。
リクエスト「氷+英、子供時代」、ありがとうございました。
子供時代の接点というとどうしても帝国時代になります。
Novel部屋にある『隣の子』の続編的になりましたが、如何でしょうか。
あの2人は一緒にいると何だか妙に和みますよね。
悪友的なあの関係がきゅんと来ます。
2012.9.27






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