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「あーっ!すげー楽しかったな!!」
「声が大きい。それから腕を上げるな。目立つだろう。折角一足早く出てきたんだ」

会場から出たところで、両腕を上げて年甲斐もなくはしゃぐ天道にため息を吐く。
上手く言葉にできないが、天道の声は耳を惹く。
それが大声であれば尚更他者の耳を捉え、且つ注目をあびてしまう可能性がある。
気づかれはしなかったかと案じ、今出てきた建物を振り返る。
人並みが動くよりも一足早く出てきたお陰で、遠目に見る限り、今ちょうど客席から人々が動き出した頃合いのようだ。
明々と照らされている正面玄関の内側で動く客波にほっとしてから、視線を上げて建物自体を見上げる。
ミュージカル専用の施設には初めて入ったが、思ったよりもずっと立派だった。
普通のステージや会場と違い、客席の配置や、壁や天井に埋め込まれた上演演目の為だけのステージ会場。
以前見たことがあるものとは、また趣が違うものだ。
上演が始まる前から、会場に入るだけで物語の世界に入り込むことができた。
これは次回のライブ設置に活用できるし、俳優や女優の動きや表現も参考になった。
今取り組んでいるミュージカルの仕事にダイレクトに活かしていけるだろう。
演目内容も興味深く、ロマンスに溢れた物語だった。
有意義だったし、楽しめた。
とても清々しい気分だ。
ミュージカルにあまり縁はなかったが、満足した気持ちのまま、再び正面を行く天道へ視線を戻す。
数歩先を歩いていた天道は足を止め、子供のように無邪気に振り上げていた両腕を降ろしてこちらを見ていた。
僕が追いつくと、僕と並ぶようにして再び歩き出す。

「…まあ、君のその意見自体には賛同するが」
「だろ? 前に演った時も同じことを思ったんだよな。俺あんまりミュージカルなんて見たことなかったんだが、今まで損してたなーってさ。他のものも見てみたくなったぜ」
「それは結構だが、その前に僕らは仕事で演じる側を間近に控えているんだ。鑑賞の娯楽はそれを完璧にこなしてからにすべきだぞ」
「おう!当然だよな。…あーっ、燃えてきた!絶対やり遂げてみせるぜ!!」
「当然だ」
「明日からまた頑張ろうな。お前の作ってくれた練習メニュー、すげー役に立ってるぜ。翼は来られなくて残念だったよな」
「そうだな」

確かに、柏木が来られなかったのは残念だ。
予定があるとかで時間が取れないらしい。
彼は場の空気を和らげる特性があるので、僕は彼がいる時といない時で大きな差を個人的に感じるのだが、今夜は彼が不在でも天道と言い合いになるようなことはなかった。

「パンフレット、明日翼に見せてやろうぜ」
「ああ。…ところで、何故君のパンフレットはそんなに折れ曲がっているんだ?」
「う…。いや、つい癖でさ。こー…丸めちまうんだよな、この手のもんは…」
「…」

天道が手に持っているパンフレットは丸めた痕がついてしまっていて、いびつな形に歪んでいる。
…パンフレットくらい、大人しく持てないのか。
軽く肩を竦めて、片手に持っていたパンフレットを差し出してやる。

「まったく…。柏木に渡す分ならば、僕のを使うといい」
「いいのか?」
「構わない。冊子を一冊購入したことだしな」
「おおっ。サンキュー、桜庭!翼の奴、喜ぶぞー」

自分の寄れたパンフレットを小脇に挟み、僕が手渡したパンフレットを両手で持って天に掲げる。
…子供か。
これで僕より年上というのだから、何て落ち着きのない…。
たまに年相応の頼もしさを見せてくれることもあるのだが、基本的な天道の言動など、こんなものだ。
だが、悪い気はしない。
メンバーであるということを除いても、我慢できない意見の不一致も時にはあるが、口だけの出任せや裏で全く別の言動をしているような人間の醜さがない分、彼といること自体は他の人間と時間を共にするよりいくらか気が楽ではある。
肩から力を抜き、ふっと笑う。

「そうだな。君のそのくしゃくしゃのパンフレットをもらうよりは、喜んでくれるだろう」
「そー言うなって」
「今夜見た演目はなかなかよかった。後で僕の冊子も貸すとしよう。柏木も、きっと気に入るだろう」
「だよな!他の演目も見て見たいしな…。なあ桜庭、絶対また来ようぜ!」
「ああ、つ――…」

天道が肩越しに振り返って、僕に笑いかける。
直前まで「付き合ってやってもいい」と言おうかと思っていたが、天道が振り返ったその瞬間――…

 

――また来ようね、姉さん。絶対だよ!?

 

聞き覚えのある幼い声が、どこからか響いて、びくりとする。
それまで僕の心の中枢にあった自我が、驚きで跳ね上がる。

「――」

足を止めた。
目の前に広がる、遠い夜景と人気のない海沿いの歩道、天道の背中。
少し邪魔なパンフレット。財布の中に残った半券…。
ふと我に返る。
僕は……一体、何をしているんだ。
深淵に突き落とされたかのように、突如言葉に出来ぬ黒く濃い感情が、胸を塗り潰す。
僕は何故、今夜天道と出かけたりしたのか。

「…」
「…お? どうした、桜庭?」

足を止めた僕に気づき、数歩先で天道がくるりと反転すると、後ろ歩きのまま大きく片腕を上げる。

「早く来いよ!何か食って帰るだろ? 何がいい?」

振り上げた片腕の先に、分かりやすく電波塔の明かりが見えた。
輝く星のように見えるそれは明らかに錯覚で、そう見えている自分に嫌悪感を覚える。
星が嫌いなわけじゃない。
輝く星は美しいし、尊いものだ。
けれど、どんなに強く輝く星を手に入れたって、誰か大切な人ができたって、どんなに一所懸命守ってみたって、ああしてまた失うかもしれない。
あんなことはもう嫌だ。
二度目はもう、耐えられない。
あの辛さを他の誰かが経験しないように、僕にはすべきことがある。
本当に辛かった。
いっそ僕も死んでしまおうかと思ったくらいに。
姉さんを冒した病を、僕が消滅させてみせる…という復讐を思い立つことができなかったら、あるいは僕は、その道を進んだかもしれない。
あんな思いを、もう他の誰にもしてほしくない。
そして僕も、もう二度とするつもりはない。
だから僕はずっと…。

「……」

夜風に促されるように、すう…と薄く呼吸をした。
天道が、一向に歩き出す気配のない僕に気づいて、文句を言いながらずかずかとこちらへ戻ってくる。
言わなければならない。
「今夜、君と食事を取るつもりは僕にはない」…と。
…怒るだろうか?
怒ってくれるかもしれないし、案外あっさりと「そうか?」で終わるかもしれない。
しかし、そう告げなければならない。
告げなければ、距離を取らなければ、僕は、天道という星がこの手にあればいいのにと思うようになってしまう。
今だってたまに思い、こうして我に返ることを繰り返している。
こんなのは辛いだけだ。
星が輝けば輝く程、大切であればあるほど、失う時の辛さが頭を過ぎる。
己の愚かさを感じて、静かに俯いた。
そこまで分かっていて、僕は何故、今夜天道と出かけたりしたのか。
…違う、僕のせいじゃない。
僕から動いたわけじゃない。
「勉強になるから一緒に行かないか」と天道から誘ってきたんだ。
だから僕は仕方ないから付き合ってやっただけのこと。
けれど、こんなつもりはなかった。
参考になるし興味深いだろうとは思っていたけれど、こんなに心が弾むなんて思っていなかった。
こんな――…。

「……おい?」
「…!」

たらたらと歩み寄っていた天道が、何かに気づいて足早になる。
すぐ傍に戻って来たかと思うと、人の左腕をいきなり掴んだ。
反射的に一歩後退したものの、その一歩分を間髪入れずに詰め寄ると、真っ直ぐに天道が僕を見る。

「ちょっと待て、桜庭。…どうした? すげー顔色悪いぞ、お前」
「…」
「貧血か?人に酔ったのかもしれない。座った方がいいぞ。端に…」
「…いや」

呟くように断りながら、腕を振るって手から逃れ、また一歩後退して距離を開ける。

「いや…。大丈夫だ。…余計な気を遣うな」

間に挟むように、片手を低く上げて天道を遮る。
言った瞬間、天道が困ったような曖昧な顔をした。
悔しさが体中に広がる。
そうじゃない。
そうじゃないんだ。
…ああ。今日は言い訳ばかりだ。みっともない。
"星がこの手にあればいいのに"…?
馬鹿馬鹿しい。
位置が近い、というだけで、手にできそうな気になってはいけない。
夜空に無数にある星々は、美しいと眺めることはできたとしても、輝きに勇気をもらえたとしても…。
一つとして、僕のものにはなり得ないのだから。

 

 

 

食事と見送りを断り、いくらか残念そうだった天道と分かれ、人気のない夜の公園のベンチに腰掛け、目を伏せて鼻と口元を覆うように両手で顔を覆った。
あの残念そうな気遣うような口ぶりと表情にいくらかほっとし、一方で、「じゃあ今日は止めておくか」と引いた身の軽さが僅かなざわつきを僕にもたらす。
…心底、自分の性格に嫌気が差す。
いつからこんなことになってしまったのだろう。
僕は今の仕事で、輝く星になる。
けれどそれは、あくまで目的までの通過点だ。それ自体が目的ではない。
真に輝く星をこの手に欲しいと思うなんて、どうかしている。
…ああ、けれど、今日は本当に――。

「…」

顔を覆っていた手を下ろし、顎を上げて夜空を見上げる。
星は見えない。
だが、確かにこの夜空のどこかに存在している。

「…。愉しかった……か」

己で呟いた言葉は、まるで罪悪の告白のように夜に溶けた。
どっと自己嫌悪が押し寄せる。
エゴによる自己矛盾が愚か過ぎて、泣きたくなる。


輝く星は宙にある




月も太陽も星々も、分け隔てなく全てを照らす。
平等と言えば聞こえはいいが、要は誰も、特別になどなれないということだ。



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薫さんのジレンマ。
薫さんは恋に臆病そうだなと思いつつそこが魅力っぽい。
もうとにかく甘やかしたくなってしまいます。
2017.11.19





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