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「……あ」

食堂に入ると同時に、窓際の席に座る透谷が目に入った。
中性的な姿で招魂された彼は、男所帯のこの図書館では目立つ。
元々、幼い容姿や谷崎のように髪が長かったり着物が派手だったりするのは目立つ傾向にあったけれど、生前の彼の洒落たこだわりもあってか、特別中性的だ。
「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という表現が適している。
…花袋は、彼に酌してもらったのかな?
透谷が来た時、絶対に一緒に酒を飲むのだと豪語していた。
しかし、実際は透谷が可愛すぎて、暫くは親しくなるどころか彼を避けている風でもあった。どう近づいていいのか、悩んでいるみたいだった。
最近は、漸く慣れてきたみたい。
美少女に飢えている花袋だから、例え見た目だけだとしても、可憐な透谷と仲良くなれればいいなと思う。

「透谷。おはよう」
「あ…。お、おはよう、藤村」
「一人?」
「うん。…あの、よかったら、一緒にどう?」
「うん、そうする。ありがとう」

誘う前に誘ってくれた。
嬉しい気持ちを胸に、彼の向かいへと座る。
食器を見ると、透谷はもう殆ど食べ終えていたみたいだ。
盆を横へずらし、ノートに何か書き物をしていたが、そのペンを置いた。

「藤村、紅茶を飲む?」
「うん。…ああ、でも、食事中だから、緑茶かほうじ茶がいいかな」
「そう? えと、じゃあ、僕も……藤村と同じものにしようかな…」

透谷が席を立ち、僕は箸を持ち食を進める。
今朝は、珍しく早く起きられた。
いつもはもっと遅い。することがなさ過ぎて食堂に来たけど…。
…と、そこでぐるりと周囲を見回す。
当然だけれど、時間帯が違うだけで、面子が違う。
この時間帯の面子を、ぼんやり頭の片隅に記しておく。取材がしたくなった時に、話しかけられるように。
周囲を見回し終わり、ふとテーブルの上のノートに気付いた。
透谷の新しい詩でもあるのかと思ったが、それらには服飾の図や、僕の知らない材料や布と思しき名前が連なっている。
謎の単語は仕方が無いにしても、図なら僕にも理解できる。洋装だ。
今、透谷が着ているような多分な装飾の付いているものの、デザイン画のようだ。
女のワンピースのようなその下にズボンがあることを分かっていても、外見は女性的なものに見える。
けど、きっと透谷には似合うだろう。

「お待たせ」

透谷が戻ってくる。
湯飲みを置いてから、元の席へと腰掛けた。

「ありがとう。…ねえ透谷、洋服を作るの?」
「え…。あ、やだ。僕、開いたままだった?」

頬を赤くして、わたわたと透谷がノートを閉じる。

「隠しているものなの? 見ちゃってごめんね」
「う、ううん…。特別隠してはいないんだけど…。あの、どのみちサイズを測らせてもらわないとだし…その…」

そこで、ちらり…と、上目に彼が僕を見る。

「…?」
「ほ、ほら…。藤村、もうすぐ誕生日じゃない…?」
「僕? ……ああ。そうか。そうだね」
「招魂された時の服以外は、ここは服も支給制みたいだし…。だからその――洋服、いらないかなぁ…て」
「…僕の服?」

思わず、首を傾げる。
途端に、透谷が片手を頬に添え、今にも泣き出しそうな瞳で僕を見た。

「い、いら、いらない…っ? あ、ごめ…いらないよね。う、うん…あの、僕の作った服なんて――」
「うーん…。君の手製は嬉しいけど、僕に似合うかどうか……」
「…!? ご、ごめんね…!そうだよねっ、僕のデザインなんて――!」
「え…。違うよ、透谷。そうじゃなくてね……」

顔を覆って泣き伏せるまではいかないけど、両手を頬に添えて悄気る透谷の反応に、思わず片手が出る。
…えーっと。
何て言ったら伝わるだろうか。
確かに、ノートの上のデザイン画は、綺麗な洋服だった。
けど、「綺麗」には色々あって、その「綺麗な服」は、僕はあまり着るような習慣はない。
そこにデザインされていた図は、今まさに透谷が着ているようなものだったから……。


常磐秋藤




「うぉおおおおおおーっ!!」

部屋に入ってきた花袋が、ドアノブに片手を添えたまま大声で吠える。
いくつかパターンを予想していたけれど、その中の一つそのままの彼の行動に満足する。
正しく予想が付く、ということは、つまり僕の抱えている予想や情報と、現実に差違がないってことだからだ。
それはつまり、僕が花袋の一部を正しく理解している、ということだ。
赤い顔をして固まる花袋の背後から、ひょいと国木田が顔を出す。

「おっ、島崎どうしたー。随分華やかで可憐な恰好してるじゃないか」
「うん。透谷が作ってくれたんだよ」
「へえ? 似合ってるじゃないか」
「ありがとう」

スカート?を左右の指で抓み、広げて見せる。
無論中はショートパンツを穿いているが、僕自身も鏡で見たときは、どう見ても外見スカートに見える。
灰色と薄紫と金の装飾がメインの洋服は、洋服は洋服でも最早ドレスのようだ。女物のワンピースにしたって、ここまで華やかなものは珍しいだろう。
細やかな場所まで手抜きがない細工が施され、手袋や首を飾る立ち襟、頭を飾る髪飾りまで一式揃えるところが流石だなと感心する。
着替えさせてもらったり着けてもらったりしたからこうして身につけていられるが、僕一人では着脱も怪しい。
そして腹回りが苦しい。
僕は女の服やお洒落に詳しくないけれど、女は大変な苦労をしてスカートを着ているのだろう。そして透谷も偉い。
偉いというか、凄い。
僕はこの服で潜書は、とても無理だ。もっと身軽な服装にしたら、透谷は凄く戦闘能力が高くなるんじゃないだろうか。
透谷は、僕の傍で両手を合わせてさっきから色々な角度から僕を見てぐるぐると回っていた。
作った側としては、色々と確認することがあるのだろうし、作品として鑑賞したいのだろう。
何度もくるくる回っては、手で少し直してみたり、レースを揃えたりと忙しない。

「はあ…。藤村、とっても似合ってる。嬉しいな」
「そう…? だとしたら、透谷が上手だからだね」
「こちらこそありがとう、だよ」
「へー、ほー。凝ってるな~。なかなか可愛いんじゃないか? ……お。これ本物か?」
「うん。小さいけどアメジストなんだよ。藤村はやっぱり紫が似合うし、綺麗でしょう?」

花袋の横を滑り抜け、国木田が片手を顎に添えながら、さっきまでの透谷のように僕の周囲を回り出す。
誰でも、この服はあちこち見たくなるのだろう。気持ちは分かる。
まるで全身が宝石にでもなった気分だ。
僕はそこまで衣類を気にしたことがないけれど、服装ってきっと大切なのだろう。

「藤村!すっっっげえ、イイ!!」
「ありがとう。透谷が作ってくれたんだよ」

硬直から復活した花袋が、大声で褒めてくれた。
さっきの聞いてなさそうだったから、彼にはもう一回言っておく。
ビシッと花袋が透谷に親指を立てた。

「透谷、ナイス!」
「ふふ、ありがとうっ」

透谷も片頬に手を添え、親指を立てて花袋に返す。
傍まで来ると、花袋は僕の後ろ腰に片手を添え、びっとドアを指差した。

「よしっ、んじゃ早速俺の部屋に行こうぜ!」
「待て待て待て」

国木田が花袋の肩に手をかけて止める。
花袋がこう言い出すのも予想が付いていたので、僕はこれにも満足した。

「即物的だなぁ…ったく。今日は誕生会だろうが。まずは食事と談話を愉しまなくてどうするんだよ。座れ、馬鹿」
「う…。まあ、それもそうだな…。んじゃ、藤村はオレの隣な!」
「うん。いいよ」
「島崎がお前の隣なんじゃなくて、お前"が"島崎の隣って認識でいるべきだろ、そこは。今夜の主役は島崎だろ?」
「同じじゃん。ったく、細かいんだよ、独歩は。…それでっ、できれば透谷はこっちがわの隣に…!」
「残念。僕もう藤村の隣なんだ」
「あ、そう…」
「ふふ。ごめんね、花袋くん」
「ハイハイ、お前のもう片っぽには独歩さんが座ってやるから。そー悄気るなって」

がっかりする花袋の肩に手を置いて、国木田が彼に座るよう促す。
この部屋は、透谷の部屋だ。
僕の誕生日会を企画してくれたのも彼で、それと同時に花袋と国木田もしてくれてたみたいで、結果、親しい仲間で酒盛りといこう、という話になった。
僕の部屋でもよかったと思うけど、後片付けが大変でしょう?と、透谷が気を遣ってくれた。
それなら食堂でも談話室でもよかったように思う。そうならなかったのは、「この服を着ている姿は、まだ皆には内緒にしたい」という、これまた透谷の要望でもあった。
今夜は確かに僕の誕生日を祝う会ではあるけれど、逆の表現をすると、透谷に許された人物が、この会へ集うことを許されている……とも言える。
酒とつまみと、煙草と音楽。
それらが用意されている丸テーブルを囲む椅子は、5脚。
一席はまだ空席だけど、各々の席が決まり、それぞれ腰掛ける。

「しっかし、本当に愛らしいなー、島崎。見た目完全に婦女子だぞ。そうしてると、北村と合わせてまるで西洋人形みたいだ。手先が器用なんだな、アンタは」
「ありがとう。前から藤村に合う服を作ってみたくて、いろいろデザインはしてたんだ。だから、僕も嬉しいよ。それに、実はちょっとお揃いなんだ」
「へ~。それで何となく似ている雰囲気なんだな」
「独歩くんの分も、約束通り後で作るからね」
「はは。そうだな。面白そうだし、機会があったら頼むぜ」
「くう~…。ああぁ…目が癒やされる……。感動で涙が出そうだ……」
「そんなに心動くんだ…。透谷のプレゼントだけど、喜んでもらえたなら、よかったよ。…花袋、年単位で美少女に飢えてたもんね」
「いい加減諦めりゃいいのにな。…ま、見た目だけなら随分満ち足りるだろうよ。確かに、俺も肴にはさせてもらうよ」
「頼むからその恰好のまま後で俺の部屋に来てくれ藤村ーっ!あと酌してくれ、酌!」
「いいよ」
「ばーか。まずはお前が島崎に注いでやれって。だから誰の誕生日なんだよ」
「そうだよ、花袋くん。あと、この服のままっていうのも許可はできないかな。汚れてしまったら嫌だもの」
「駄目だとさ、花袋。諦めろ」
「大丈夫!ちゃんと脱がすって…!」
「脱いだ後も、きちんと管理してくれないと型崩れするんだもの。君に任せてはおけないよ。それに、知識がないと一人じゃ着脱できないと思うし」
「え…。そうなの…?」
「あ、でも大丈夫だよ、藤村。僕がちゃんと脱がせてあげるからね」

両手を合わせて、透谷が僕へ告げる。
改めて、僕は自らの服を見下ろした。
確かに、着衣時は彼に一から十まで着せてもらったが、一人で脱げないとは思わなかった。
高貴な人の服は、確かに一人で着脱できないものも多いと聞く。必ずお付きがいることを前提にデザインされるからだ。
片手で、スカートを軽く摘まみ上げる。

「ふーん…。凝った服っていうのも、大変なんだね…」
「慣れれば簡単なんだけどね。初めて着る人は、一人じゃ脱げないと思うな」
「へえ…」
「やべえ…。オレそれを見てたいわ…」
「んじゃもー今夜はここで皆で寝ちまえばいいんじゃないか? なあ、北村? 客三人くらい許してくれよ」

国木田が笑いながら透谷に言う。

「泊まるのは構わないけど、三人じゃなくて四人だよ、国木田くん。あと一人――」

――と、そこでタイミングを計ったようにガチャリと部屋のドアが開いて、

「ごめん、遅れて。鏡花が――」

秋声がやってきた。
呆けた瞳と目が合う。

「あ、秋声。来てくれたんだ」
「――」

変にそこで、数秒の間があった。
目が合った後、彼の視線は一度僕の瞳から足下へ移り、再び瞳へ戻った。
彼は、片手に風呂敷で包まれた酒瓶らしきものを一本持っていた。おそらく祝い酒なのだろう。
ふ…と、彼の表情が強張り、目元が陰る。
いつもの彼にはない、謎の冷気と緊迫感がひやりと部屋へ吹き込む。

「…………何、それ」

真顔で発せられる低い声。
その声と謎の冷気に驚いたのか、各々の会話や動きを止めて視線を秋声に集める。

「それって、この服のこと? …これはね、透谷が――」

聞かれたから答えようと、自分の姿を見下ろしながら説明しようとした僕の前を素通りし、秋声は持っていた酒の包みを荒々しくテーブルに置いた。
テーブルの上の食器や料理が一瞬震え、花袋と国木田がびくりと肩を振るわせる。
片手で瓶の首を握ったまま、ぽつり…と、秋声が呟く。

「……島崎」
「…? 何?」
「ついて着て」

秋声が、表情も変えず一言発してから、再び今入って来たドアの方へ向かって歩き出す。
何だか怒っている。
透谷へ顔を向けると、無言のまま「退出どうぞ」とでも言いたげに片手で秋声の背中を示いていた。

「…うん」

僕も何故か逆らうことは聡明でない気がして、秋声の方へ歩み寄る。
秋声はそのままドアを開いて部屋を出て、僕も部屋の外へ出ると握っていたノブから手を離し、ドアに片手を添えるとこれまた勢いよく腕力任せに閉めた。
バタンッ!…と目の前でドアが閉まり、風圧で髪が少し揺れた。
閉めたところで、秋声が、はあああぁ…と大袈裟過ぎる息を吐くと、片手で額を押さる。

「…体調と機嫌が悪そうだね、秋声。部屋で休んだ方がいいんじゃない?」
「ちょっと話しかけないでくれる…。…とにかく、君の部屋に戻って着替えてこよう」
「着替えって、僕が? …でもこれ、透谷のプレゼントなんだ」
「そんなの、見りゃ分かるよ。いいから」

秋声が歩き出す。
何故か付いていかなければならない気がしてならず、僕も歩き出す。
厚みがある靴が重い。窮屈な服は関節が動かしにくい。歩きづらい。
…やっぱり、透谷が強者であることは間違いがなさそうだ。
透谷の部屋から僕の部屋へ向かっていたと思うのだけれど、方角は違うが、自分の部屋の方が近いことに気付いた秋声は、途中で爪先の向きをそちらへ変えた。

「…入って」

促され、彼の部屋へ踏み込む。
個室はどこも同じ面積と間取りだが、そこにある家具や小物によって随分印象が変わる。
秋声は、和洋折衷とはいえ和の小物や装飾が目立つ。
何気なく周囲を見回す僕の前を横切り、部屋の端の桐箪笥を開けると、彼は袴を取り出し始めた。

「もう僕のでいいだろ。兎に角、それは脱いで着替えるんだ」
「何か変だったかな…?」
「変だよ」

片腕に一式を掛けて戻って来て、近くの椅子の背にそれらをかけると、僕の背後に回る。
むすっとしたまま、秋声が背側で何かの紐を解く。

「これはもう婦人服だろ。北村は好きでやっているからいいとして、君まで真似してやる必要はないだろう」
「透谷がくれたんだよ」
「なら、彼の前で着るのはいいとしても、田山や国木田に見せる必要があるの?」
「必要はないけど、理由はあるよ。豪華な服だから、お披露目するのは悪いことじゃないと思うけど…」
「…危機感がなさ過ぎる」

はあ…、とまたため息が聞こえた。
紐の音とボタンや何やらの留め具を外し、時折迷い、それでも少しずつ脱がせてゆく。

「動きづらいだけだろう、こんな服」
「ううん、そんなことないよ。さっきも言ったけど、この服は、わざわざ透谷が僕に作ってくれたんだ。僕のために、彼はたくさんの時間と心と、経費をかけてくれたんだ。嬉しいことだよ」
「分かった、分かったよ…。じゃあもう服の完成自体は喜んだらいいよ。けど、もう試着は終わりだ。…ほら、足上げて」

ごてごてとした重みのある上着を取り払い、手探りでスカートのボタンを探し当て、外して秋声が屈む。
片脚ずつ上げ、僕はスカートの内側から外側へと逃げ出した。
襟や袖にレースの多いシャツとスカートの内側に穿いていたショートパンツのみになり、いきなり体が軽くなる。
紋付き袴をしっかり着せられてうろうろした後、浴衣に着替える時の開放感に似ていた。着ている間はあまり分からないけど、脱ぐと体の表面が薄くしっとりと汗をかいているのが分かる。

「…こんっな服着て潜書してるのか、彼は」

スカートを両手で持ち上げ、何とも言えない顔で秋声が呟く。
どうやら、透谷への評価に対して僕と同じ事を思ったらしい。
それも椅子へ丁寧に掛け、やれやれと彼は首を振った。

「その小洒落たシャツも下も、ついでに靴も脱いでしまいな。袴を着せてあげるから」
「…うん」

言われたとおり、シャツを脱ぎ、内側に穿いていた短いパンツも靴も脱ぐ。
脱いだ途端に、秋声はさっと僕へ彼の着物を着せ、手早く紐を結んで袴を上げた。
目の前に屈む彼の肩に片手を添えたまま、ぼんやりとその見事な手際を見下ろす。

「…。そんなに見苦しかった?」

素朴な疑問を口にする。
花袋たちは褒めてくれたから、世辞が入っていたにせよ酷くはなかろうと思っていた。
秋声がここまで嫌悪を示すとは思いもしなかった。てっきり、あの二人のように軽く褒めてくれると思っていた。
僕の疑問に、屈んでいた秋声が鬱陶しそうな声で答える。

「見苦しいわけじゃないよ。けど、止めて欲しいね。…君は見目がいいのだから、迂闊に連中を刺激するようなことはしない方がいいよ」
「…。えーっと…。褒められた…?」
「褒めてないよ。事実を言っているだけ」
「でもそう思うのは、君も多少なりとも刺激されるから、若しくは、そう思うからでしょ?」
「…」

露骨に、秋声は顔を顰めながら立ち上がり、正面で袴の帯を締め始めた。
つまり肯定ということだ。
惜しいことをした。もう、透谷の服は跡形もなく脱げてしまった。
刺激されるのなら、どうして、僕に脱げなんて言うのだろうか。

「されるんだ…。けど、分からないな。それって、秋声もこの服を気に入っていたってことじゃないの…? それなら、僕に脱いだ方がいいって言うのはどうして?」
「どうしてって…」
「似合わないというなら分かるよ。見苦しい、見るに堪えないというなら、脱げっていうのは当然だと思う。けど、君はそうは思っていないみたい…。なら、花袋たちみたいに、そのまま着ていてって言うのが普通じゃない? どうして、真逆の行動をしているの?」
「ちょ、っと…」

一歩踏み込むと、秋声が一歩後退する。
その分、僕は一歩踏み込んだ。
もう、あの豪華な服は僕の上からなくなってしまった。
秋声も気に入っていたのなら、それこそあの場にいた全員が、透谷の作ったこの服を好評価していたことになる。
それはよい服だから、一刻も早く着替えなさい、というのは、論が通らない。
更にもう一歩踏み込むと、秋声はもう一歩後退した。
だが、それを最後にもう退かないと決めたらしく、踏ん張って僕の肩と後ろ腰に手を添え、制することにしたらしい。
眉間に皺を寄せて、深々とため息を吐いて、諦めたみたいに顔を上げた。

「だから…。僕は君に、婦女子みたいな恰好はして欲しくないんだよ」
「どうして? 似合うと思ってくれている人がいるなら、いいことじゃない?」
「…それ、田山たちはどうして君が婦女子の恰好をすることを奨励しているんだと思ってるの?」
「女が欲しいからじゃないかな。男ばかりの環境だから、少女や女の代わりめいたものを少しでも多く見たいと思うのは、普通のことだよ」
「そこまで解っていてそれなんだ…」

秋声が片手で頭を抱える。

「皆飢えているんだ。仕方がないよ。本物がないのなら、代わりで補うしかないもの」
「だから君は、生け贄を買って出ているってわけ?」
「生け贄のつもりはないけど…。僕だって、好きな人じゃないと体を預けるのは嫌だよ。けど、男女の拘り無く、定期的に存在を確かめ合うことは、自己肯定の維持の為にも必要なんじゃないかな。特にこんな環境だもの。求められると、人は安心する。解放した自己を誰かに見て受け止めてもらうことは、大切だよ。本当はきっと、君にも必要だと思うんだ」
「ハ…。僕?」
「君は、一番にここに喚ばれたんでしょう? それからずっと独りなの? 前々から言いたかったのだけれど、僕は君を受け止められると思うよ。僕は君が好きだから」

目の前の体に手を伸ばす。
彼の胸に両手を添えて、ぴたりと胸を密着させて、あきれ顔の秋声を見上げた。

「ねえ、秋声。試してみよう。キスをしようよ。キスができたら、僕らはきっとその先もできると思うんだ」
「…しないよ」

一蹴される。
僕は彼が好きだし、きっと彼も僕のことを嫌いではないはずだ。
好意が双方向で成り立っているのなら、もっと彼へ踏み込みたいと思っている。
褥での秋声には興味がある。
彼の本性を知りたいし、僕のことも見て欲しい。
このまま懇ろと行きたいところだけれど、相変わらず、彼にその気はないみたいだ。
その代わりとばかりに、珍しく抱擁は受けて立ってくれたというわけだ。
僕の後ろ腰で両手を組み合わせ、懐に入れてはくれるけれど、秋声の目に欲情はない。
欲情が一番簡単だと思うのに、それすら上手くいかない。
彼を含めた全ての他者に対してだけれど、こうして外から揺るがせられないのは、僕の力不足に他ならない。残念だ。
これが花袋や国木田だったら、きっとすぐに受け取ってくれるのに。
哀しい。

「…。君って、僕にあんまり興味がないよね…」
「あのね…。興味がないわけじゃないよ。それでも、生憎だけど、僕は君と枕を交わす気はないんだよ。大体――」

…と、そこで言葉を止め、彼は目を伏せ軽く首を振った。
伏せた目を開けると、僕へ鼻先を寄せた。
一瞬、キスをしてくれるかと思ったけれど、違った。
まるで叱るように言う。

「…田山や国木田はもういいよ。彼らは君にとって必要な人間だろうから。…けど、あの服はちょっと冗談が過ぎる。北村に悪気はないんだろうけど」
「よくないことかな?」
「よくないことだよ。君にとってではなくて、僕にとってはね。…こんな環境で、これ以上君が人目を惹くのはどうかと思う。そう思う僕がいることは、悪いけど覚えておいてくれる?」
「何か、秋声に不都合があるの?」
「あるよ。単純に嫌なんだ」
「わ…」

秋声が僕の両頬を軽く抓み、揺らす。
その後で頬を包むように両手で髪を梳かれてしまったので、キスの雰囲気は何処かへ飛んで行ってしまった。
飛んで行かずとも、明確に断られたわけだけど。
僕から離れ、豪華な透谷の衣装を部屋の端にあったハンガーにかけ、彼はドアへ向かうとこちらを振り返る。

「…さ、戻るよ。今夜の君は主役だし、田山たちが待っているだろうしね」

 

 

 

 

 

「うぉああぁあぁあー…」

透谷の部屋に戻ってドアを開けてすぐ、僕を見た花袋がしなしなとその場の床に四つん這いに崩れ落ちた。

「やりやがった…。やりやがったな、秋声…。ああぁあぁっ、両手に花的なオレの慎ましい浪漫があぁーっ!」
「はいはい。残念だったね」

秋声が歯牙にもかけず花袋の横を素通りして空席だった一席へと腰掛ける。

「いやソレ慎ましくはねえだろ」
「花袋くんの気持ちは分かるけど、仕方がないね」

国木田も透谷も、既にそれぞれ酒を開けて飲んでいた。秋声の持って来た酒を開け、会話を楽しんでいるようだ。
まだ崩れ落ちている花袋の傍に行き、膝を抱えるように屈んで彼の様子を覗う。

「ごめんね、花袋。透谷の服は、また後でね」
「果たして後があるのか疑問だ…。透谷はオレには貸してくれねーんだろ、その服!くっそぉ…!」
「透谷も、ごめんね。秋声が、袴の方がいいんだってさ」

立ち上がって、透谷へ謝る。
折角彼からのプレゼントだったのに、途中で脱いでしまって申し訳なかった。
けれど、透谷は笑顔で首を振った。

「ううん。気にしないで、藤村。秋声くんからの最大の賛辞だと思って、受け取っておくから」

透谷の言っている意味が分からず、首を傾げる。
秋声は分かったらしい。深々とため息を吐いていた。

「それより、袴姿も似合うね。凜々しくて素敵だよ」
「そう? ありがとう。秋声のだけど」
「…君の手製の服は、ハンガーに掛けてあるよ。後で島崎に渡すから」
「うん。君なら、ちゃんと掛けてくれそうだね。よく脱衣ができたね。僕はそれで構わないよ。その…寧ろ、袴姿の藤村も見られて、嬉しいしね」

片手を頬に添え、うっとりと僕の着ている袴を見詰める透谷。
彼は本当に服に興味があるんだな…。
だからこそ、複雑な服も作れるのだろう。
事を成すには、まず興味という火種がなければ成し得ない。
国木田が、手にした盃を持ち上げて僕を示す。

「とは言え、あんまり青袴は似合わないな、島崎。それだったら、たまに着てる藤色の袴の方が似合ってるぜ」
「人の服を趣味悪いみたいに言うの止めてくれる?」
「おー、恐。…ほーら、花袋。いい加減拗ねてないで起きろって。島崎が来たんだから、乾杯だろ」
「うっう…。オレの浪漫がぁああ~…っ」

国木田が花袋の後ろ襟を掴んで引っ張り上げ、椅子に座らせる。
常に欠けていた丸テーブルを囲む五脚の洋椅子とその主は、今揃った。
隣に座る透谷が、グラスと葡萄酒を用意してくれる。

「はい、藤村。葡萄酒でどうかな? 秋声くんが持って来てくれたものだよ。最初は僕に注がせてね」
「うん…。ありがとう、透谷」
「はー…。さっきの藤村に酌して欲しかったのによ…。透谷、オレにも注いでくれぇ~」
「ほいよ。まあ飲め」
「だー!おい独歩っ、お前何勝手に注いでんだよ!お前じゃねえって!」
「なんだなんだー。じゃあ女装して美少女風な独歩さんが注いでやろうかー?」
「騒がしい会だな…」
「何言ってんだ、徳田。宴ってのは賑やかでなんぼだろーが」
「賑やかと騒がしいは違うんじゃないの?」
「ええい!ンなの愉しけりゃどっちでもいいんだって!さっさと乾杯しようぜ!そんで二杯目は藤村で三杯目は透谷に酌してもらうっ!」
「はあ…。誕生祝いの意義はどこへ行ったんだか…」
「ほれ、徳田も。盃よこせ。注いでやるよ」

わいわいと語らいながら、日本酒やワイン、器は違うもそれぞれに好みの酒と盃を片手にして席を立つ。
僕の隣で、透谷が嬉しそうに盃を掲げた。

「では、改めまして……」

こほん、と彼が形式張った咳を一つした取った後で――、

『誕生日おめでとうー!!』

多種多様な杯は一度大きく合わされ、乾杯になる。
音が、光のように円状に広がる。
その後は、一人一人と乾杯した。

「誕生日おめでとう、藤村!それから、僕の服を着てくれてありがとう。また君に逢えたことを、心から嬉しく思うよ。これからもどうか宜しくね」
「透谷、ありがとう。僕もだよ。困ったことがあったら、言ってね」
「藤村、おめでとー!今となっちゃ年齢なんざ大して関係ねえ気もするけどなー。…んまぁ、あの可憐な服を脱いじまったのは残念だが、益々のお前の幸福と健康、安寧たる魂、それと俺たちの変わらぬ友情を祈って!」
「ありがとう、花袋。あの洋服は、また後でね」
「是非っ、頼む!マジで相当可愛かったぜ!!」
「着衣で事に及んだら汚れちまうだろうが。止めとけ、島崎。…で、俺も乾杯!誕生日おめでとう。花袋の奴に以下同文!俺のプレゼントもちょっとしたモンだぜ? 後で開けてみてくれよ」
「うん。ありがとう、国木田」

周囲の友人たちと乾杯し、最後に真正面を見る。
テーブルの対に立つ秋声とは、距離がある。片腕を伸ばしても手にした盃は合わせられない。
互いに移動すれば済む話だ。
…けれど、これが僕らには適した距離のような気もした。
きっと秋声もそう思うから、僕には近づいてこないのだろう。
だが、気持ちが通じないわけではない。
彼は最初から、自分の順番は最後だと思っているようだった。
僕も、秋声は最後だと思っている。
しかしそれは、彼が思っているように、自分は他の友人達より優先順位が低いという訳ではない。
彼が、僕にとって特別だからこそだ。
あまり人の事は言えないけれど、彼は度々物事を後ろ向きに考える癖があるから、後で正しく言葉で伝えないといけない。

「秋声、いい葡萄酒をありがとう」

彼に盃を向ける。

「そりゃ、手土産くらいないとね。…誕生日おめでとう、島崎」
「うん…。ありがとう」
「…」

一拍置いて、彼なりの瞬間的葛藤の末、秋声は僕へ向けた盃を、少しあげてくれた。
僅かに顎を引くという、照れた時の癖をしながら、控えめに付け足す。

「あとは、まあ…。田山じゃないけど、君との変わらぬ友情でも……願っておこうかな」
「…、うん」

その一言に癒やされる。
距離のある乾杯をし、洋酒用の盃――グラスに口を付けてみた。
彼から贈られた葡萄酒は上質で、香りを放ちながら舌の上を滑って、僕の体の奥に染み込んでいった。
体中に溶け込むそれらを感じながら、正面で同じようにワインを飲む秋声を盗み見る。

「…」

――徳田秋声。
斯くも興味深き我が友よ。
僕は君のことが、未だによくは解らない。
だからこそ君をもっと深く知りたい、知らなければと思う。

アルコールの熱を喉に感じる。
今夜も、彼をよく視ていよう…。
傾けていたグラスを正し、手の中で軽く揺らすと、葡萄酒は妖しく渦巻いた。

 



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藤村さんの誕生日の頃に書いた話。
「常磐」は緑の葉が常に変わらないことから、不変的な意味があります。
…ので、秋声さんとは友情以上恋人未満がいいなぁと思います。
その方が体を重ねるより特別感がありそうで。
2022.1.25






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