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弥生になり、日差しも随分春めいてきた。
中庭も植物の花芽が出ているし、中庭でお茶にしてもいいかもしれないという案が一時出たけれど、折角秋声が買ってきた西洋菓子に砂埃がつくのは如何なものかという話になって、結局、談話室の片隅の、いつも彼が座っている地味な席で約束の茶会を開いた。
茶会と言っても、僕と秋声の二人だけだ。
一ヶ月前の聖バレンタインの日に彼にチョコレートをあげたので、律儀な彼は、その返礼の日である本日3月14日の"ホワイトデー"たる日には、是非とも返礼せねばなるまいと思っていたようだ。
実際には、バレンタイン当日、秋声から僕へも和菓子を貰った。
と言うことは、今日という日、僕からも彼へ何かしらの返礼をすべきだろうという話の流れは必然で、結果、二人で菓子を持ち寄り茶話会といこう、という話になった。
要は、菓子の持ち寄りだ。
…けど、秋声は声をかけなければ進んで誰かとお茶をしようという性分ではないから、その実僕は今日を楽しみにしていた。
調べた結果、今でこそバレンタインと大差ないチョコレートの返礼が多いようだが、少し前はホワイトデーのお返しと言えば、飴玉やクッキーだったということだ。
迷った末に、僕はクッキーを持ってこの席へとやってきた。
和菓子を持ってくるかと思っていた秋声は、上面が黒くチョコレートでコーティングされた、棒状の焼き菓子を持ってきた。

「…この洋菓子、面白いね」
「"エクレール"っていうそうだよ。西洋の行事だから洋菓子にしてみたけど、やっぱり僕は和菓子の方が好きだな。草餅にすればよかったかな」
「初めて食べるから、僕はこちらの方が興味深くて愉しいよ。…ああ、でも、バレンタインは西洋の行事だけど、ホワイトデーは日本の行事だから、秋声が言うように和菓子でもよかったかもしれないね」
「はあ!? 何それ。先に言ってくれよ!…ていうか、どういうことなんだい。西洋の行事じゃないの? だってバレンタインの返礼の行事だろう?」
「うん。日本独特なんだって」
「わ、訳が分からない…」

頭を抱えて、秋声が下を向く。
長椅子の隣に腰掛けていた僕は、その様子を見ていたけれど、丁度テーブルの上の砂時計の砂が落ちきったので、ポットを手にして、カップへと紅茶を注いだ。
僕も秋声も緑茶の方が好きだけど、西洋菓子を揃えたのだから、紅茶がいい。
柔らかい湯気が立つ。

「気になったのなら、調べればよかったのに」
「う…。確かに…。思い込みはよくなかった」
「でも、君が識らなかったから、僕はエクレールを食べられる…。識らなくてありがとう、秋声」
「そういうことを真顔で言うから、君は勘違いされやすいんだよ…」
「…?」
「いや、いいよ…。ああ、ありがとう」

秋声の前へ、一人分のカップを移動させる。
彼は諦めたようにため息を一つ吐いて、カップを受け取った。
早速口を付ける彼の隣で、テーブルの上に並ぶ可憐な焼き菓子たちを見下ろす。
特に、先述した通り、エクレールが興味深い。
じっと外見を観察していると、秋声が一言投げた。

「手で食べるそうだよ」
「へえ…。西洋菓子にしては珍しいね」
「中に生クリームが入っているらしい。あと、カスタードクリームも」
「贅沢だね…。食べていい?」
「そうしてくれよ。君のために買ってきたんだから。僕は一口くらいでいいんだ」
「そうなの?」

買ってきておいてあまり興味がないようだ。
それは、僕へ、という想いが強かったことに他ならない。嬉しいことだ。
エクレールを一つ取り上げ(なるほど、持ちやすい)、皿の上に並べてある、僕が持って来たクッキーを一枚抓み裏表と返している秋声の口元へ、ついと突き出す。

「はい、秋声」
「…は?」
「…? 一口…」
「自分の分を一口食べてから、残りを君にあげるよ!君は君で、まずは自分で食べな!」
「…どうして怒るの?」
「怒ってない。呆れてるんだよ」
「…??」

急に鬱陶しそうに僕の手首を押し戻す秋声は、一口いらないらしい。
確かにまだ個数はあるけれど、一口だけでいいのなら、先に一口食べて、僕が残りを食べた方がいいと思ったのに…。
そうなると、もしかして僕は、今手にしている一個の他に、秋声がこの後一口食べるであろうエクレールの残りも食さないといけないのかもしれない…。
約二個分か…。
食べられなくはなさそうだけど、どうだろう。甘い物はお腹に溜まりやすい。
正確には、油分が多くてもたれてしまう。
より栄養のある夕飯が食べられなくなると困る。
そこまで食べられるかな……と思ったところで、今は健康に気遣うなんてことはしなくていいのだった、という事実を思いだし、満腹なら満腹で、僕の今日の夕餉はこれで構わなかろうという結論に達する。
エクレールを両手で持ち直し、一口食べる。
…うん。おいしい。
黙々と食べ進めていると、秋声がちらりと横目で僕を見た。

「…おいしい?」
「うん…。おいしいよ」
「そう? …あんまりそうは見えないんだけど」
「おいしいよ。僕は甘い物が嫌いじゃないもの」
「…。口に合わなかったら、残していいんだからね」

妙に味を気にする彼は、仕舞いにはそんなことを言いだした。
何か一服盛ってあるのかと、手元のエクレールを見下ろす。
さくさくの洋生地の中に、生クリームとカスタードクリームが入っており、先に述べたとおり上面にチョコレートが塗られている。
塗られていると言っても、そのチョコレートも乾いていて、和菓子のように手で食べられる気楽さも良いと思う。味も無論悪くない。
…何か、よくないものが入っているのだろうか。
じっと見詰めていると――、

「ふーん? 毒でも仕込んでんのか?」
「どれどれ~?」
「あ…」「あ」

二つの声が割り込み、僕と秋声の間から、ぬっと腕が一本現れて、僕の右手首を掴んだ。
持ち上げられ、追って視線を上げると、丁度長椅子の背から上半身を乗り出していた花袋が、がぶりとエクレールに齧り付くところだった。

「あれ…、花袋?」
「独歩さんもいるぞー」
「うん…。国木田も、どうしたの…?」

花袋に手首を捕まれたまま左を向くと、花袋と同じように僕の左側の長椅子の背に、同じように国木田が頬杖を付いていた。
花袋はもぐもぐと素速く咀嚼したのち呑み込むと、まるで端からこの茶話会の参加者のように秋声の方を向く。

「なーんだよ、普通に旨いじゃん。どんな味かと思っただろーが」
「エクレールだろ? 俺も食ったことあるけど、なかなか旨かったぜ? シュークリームの親戚みたいなやつだ」
「だよなあ? これが不味いってんじゃ、随分損な味覚してるぜ、秋声」
「な…。別に、不味いなんて思ってないよっ。…というか、いきなり来て何だよ、その行儀の悪さは。人の手から奪って食べるなんて、みっともない」
「いーじゃんいーじゃん、別に。細かいこと言うなって」
「花袋、お腹空いてるの?それなら、二人とも一緒にお茶にする? …いいよね、秋声」
「え…」
「いいよね」
「……まあ、いいけど」

ふいと視線を反らしつつも、渋々秋声が肯定する。
彼は騒がしい場所や人が苦手な傾向にあるから、本当ならば花袋と国木田とはあまり一緒にいたくないのかもしれないけれど、長時間というわけではないし、たまには一緒にいてくれると僕は嬉しい。
それに、相性が悪いわけではないし、仲が悪いわけではない。
花袋は長椅子の背に両腕をかけ、にっといつもの調子で僕へ笑いかけた。

「お、サンキュー!お前らがお茶してんじゃ丁度いいや。俺らもさ、藤村探してたんだよ」
「…僕?」
「ほら、藤村。あーん!」

花袋に言われ、口を開ける。
ぽいと何かが放り込まれ、口を閉ざすとシャリシャリとした食感と甘みが広がった。

「ほい。お返し!」

遅れて、花袋が瓶詰めを僕の眼前へ差し出す。
片手で受け取った瓶の中にはぎっしりと、色取り取りの半透明な小石のようなものが詰まっていた。秋声も、興味深そうに覗き込む。
僕はこれを知っている。

「あ、これ琥珀糖だ…」
「取り寄せたのか?」
「へっへ~、綺麗だろ? 先月のバレンタインに藤村にチョコもらったからな~。今日はホワイトデーっていうんだろ? お返しは飴だかクッキーだかって話だからさ。俺、飴より琥珀糖の方が好きなんだよなー」
「なるほど…。自分で食う気満々ってことか…」
「そ。一緒に茶請けにしてくれよ」
「俺はノーマルに花な。ほらよ、島崎」

国木田が、前屈みになっていた背筋を正して僕の膝に花束を置く。
花は薔薇だった。棘は折ってある。
瞬く間に、僕の片腕と膝は花束と宝石瓶のような菓子でいっぱいになった。

「ありがとう。…まるで誕生日みたいだ」
「否定したいところだけど、端から見ると否めないな…」
「あっははは!確かになー!」
「僕があげたのは、チョコレート一粒なのに…」
「まあ、いいんじゃないか? そういう日みたいだぜ、ホワイトデーって。三倍返しとか言うんだろ?」
「ていうかバレンタインが最高じゃんよ。くっそー、俺が生きてる間にバレンタインデーがあればなー。美少女からの告白とか、最っ高に憧れる状況だろう!」
「馬鹿言え。男が全員告白されるわけじゃないんだぞ。される奴とされない奴で、大いなる差が生じる厳しい一日でもあるんだ。…ま、独歩さんはされる側ですけどー?」
「なあ、藤村。来年はついでに告ってくれよ」
「それで一ヶ月後に返事するのか? 気持ち悪ぃー」
「はあ!? 何でだよ!浪漫じゃねーか!」
「お前たまに度が過ぎるロマンチストだよな。妄想ってんだよ、そういうのは。なあ、島崎? そんなの鬱陶しいよなー?」

二人が話しながら、ぐるっと回ってテーブルの向こうの長椅子へ腰掛ける。
右手が、花袋が囓ったエクレールで塞がれているので、早めに食べてしまおうと、そのまま口に運んで完食した。
うっかり指に付いてしまった少ないクリームを、口に添えて吸い舐めていると、はたと秋声の半眼と目が合う。
何だかぐったりしている。

「…? 何?」
「いや…。君は、やっぱりそういうの気にしないんだなと思って…」
「…僕、今日の秋声の言っていることが、半分くらいよく分かっていないみたいだ。今のは、どういう意味? 今の連体の"そういうの"は、どこにかけてるの?」
「いい。気にしないで…」

目元を片手で押さえつつ、さっと片手を挙げられて制されてしまったので、この話は終えた方が良さそうだ。
花袋と国木田が来て、場が賑やかになったからだろうか。秋声は目に見えて気落ちし始めていた。
首を傾げて思案したのち、一先ず、彼の洋菓子の心配をする。
折角買ってきたのに、一口も食べないうちに花袋たちに取られてしまっては、流石に可哀想だ。

「エクレールをありがとう、秋声。君も、なくなっちゃわないうちに食べなよ。君が買ってきたのだし、一口味を見て合わなければ、残りは僕が食べるから、残しても大丈夫だよ」

言うと、秋声は何ともいえない苦い笑みを見せた。

「うん…。まあ、ありがとう。……じゃ、そうしてみようかな」

 

そうして、何だかんだと愉しい茶話会を過ごすことができた。
秋声は元々好みとして、花袋が持って来た琥珀糖の方が好きなようだったし、エクレールを一口食べてみたあとで、やっぱり全部を食すには量が多いということで僕が残りをもらおうとしたけれど、花袋が食べたいというので花袋にあげることになった。
一時上がってきていたように見えた秋声の気分は、茶話会が終わる頃には再びどんよりとしているようだった。

 

 

 

 

「と、藤村…!」
「…?」

もらった花束や瓶を片手に抱えて部屋へ戻ろうと廊下を歩いていると、背後から声がかかった。
振り返ると、透谷がいた。

「やあ、透谷。ここの居心地はどう?」
「え、ぁ、う、うん…。あの、いいと思う…。それより、その荷物はどうしたの? 藤村、誕生日はまだだよね? その…何かの、お祝いだったのかな…? 君に何か祝い事があったのなら、ぼ、僕も…お祝い、したい…な…」
「ああ…。これ?」

片腕を見下ろす。
確かに、花束やリボンのかかった瓶詰め琥珀糖なんかは、話題に上った通りぱっと見誕生日や祝い事のように見えるのだろう。
斯く斯く然々と事情を説明すると、終わる頃には、透谷は両手で口元を覆ってふらりと一歩後退した。

「そう…。……つまり僕は、君に…チョコレートを貰うには…、値しなかったんだね…」
「ああ…。そうだね」
「そ、そう……」
「バレンタインに、君はまだ居なかったから…。今年はもう終わっちゃったけど、来年はあげられるね」
「…え」
「透谷、琥珀糖は好き? よかったら、一粒あげるよ。花袋がくれたんだ」

腕の中で瓶の蓋を開け、一粒取り出す。
丁度、透谷の身につけている衣類の色に似た、碧色の琥珀糖に当たった。
蓋を閉めている間に、一時後退した透谷が、つつと傍へ歩み寄ってきた。

「ぁ…。ら、来年は……僕にもくれるの…?」
「うん。あげるよ。僕は君が好きだもの。あげなきゃ」
「…!?」
「はい。口開けて」

胸の前で手を組み合わせ、透谷が素直に小さな口を開ける。
僕より年上だったけれど、元々繊細な質だったし、可憐な容姿で招魂してきたから、目を伏せて口を開けるその様子は、まるで雛鳥のようだ。
彼の口と琥珀糖の大きさが殆ど同じだったものだから、くいと指先で押し込んだ。
品良く懐からハンカチを取りだし、それで口元を押さえて彼が咀嚼する。

「おいしい?」
「う、うん…。その…ありがとう…。…いい詩ができそう」
「へえ…。できたら、読ませてよ」
「え…、ぁ…うん…。……と、藤村」
「ん?」
「僕もあげるから…。その、来年…、約束、ね…?」

透谷が祈るように僕に告げる。
まだ来ばかりで、心細いのかもしれない。何か約束が欲しいのかも。
けど…。

「約束なんてしなくても、大丈夫だよ。僕は君にあげるから」
「ほ、本当…?」
「うん」

言うと、透谷はいくらか安心したみたいだった。
ここの廊下は似たような作りだから、来たばかりの透谷は迷子になってやしないかと案じもしたけれど、どうやらその心配はなさそうで、彼は足取り軽く僕に付いて来て、途中で分かれた。


WhiteDay




部屋に着き、国木田からもらった花を飾り、花袋にもらった瓶をテーブルの上に置く。
腹の中は、秋声にもらった洋菓子でお腹がいっぱいだ。
一人イスに座っていたけれど、そのうちずるずると前に傾き、テーブルに重ねた両腕の上に、左頬を乗せる。
目の前には、花袋からもらった琥珀糖と瓶が、きらきらと輝いていた。

「…」

目を伏せる。
僕は幸福だ…と、ただただ感じ入った。

 



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ホワイトデーの頃に書いた話。
丁度その頃、透谷さんが来ました。
藤村さんは分かりづらいけど一応情深いイメージ。
2021.5.8






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