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上官に紹介され、初めて顔を合わせた時から違和感はあった。
初対面のはずなのに、彼に対して妙に既視感があった。
何処かで彼に会っていたのだろうか。
…いいや。そんなはずはない。
名は覚えずとも、僕は挨拶を交わした奴の顔は一切の例外なく記憶している。

「どうも。初めまして。ハザマと申します。…ああ。階級は大尉ですので、どうぞ宜しく」

にこりと微笑する笑顔が、どうにも胡散臭かった。
この男は信用できないな…と、初対面で思わせる言動は諜報員として如何なものか。
「よろしく」と一言告げ、握手をした。

握った手が酷く冷たかったのを覚えている。
何故かそんな些細なことに親近感を覚えた。
ともすれば気が合ってしまいそうな、そんな予感が嫌だった。


猛毒



「少佐はあのキサラギ家のご子息なんですって? いいですねえ。凄いなぁ。将来有望なはずだ。実に羨ましい」

ハザマという男はどうやら口が軽いらしい。
前を歩く上官に着いて廊下を進む中、やけに僕の傍を選んで歩いていた。
僕をキサラギ家の人間であることは周知だが、敢えてそれを真正面から突く人間は存外少ない。
彼の発言は珍しい部類だった。
ただ、珍しいからと言って興味を引かれるわけではない。
僕は家が嫌いではないが好きでもない。
良好な関係を保っている家族は殆どおらず、下層で慎ましく暮らしていた以前の方が遙かに理想的だった。
選ばれた話題に反射的に不愉快になり、進行方向から視線を動かさぬまま、僅かに眉を寄せる。

「キサラギの家の養子は複数いる。機構内においても既に数名任務に当たっているはずだ。別に珍しくも何ともない」
「ええ。存じていますよ。その複数名の中からお養父上に見出されたのですから、凄いですよねえ。…あれ?今の所貴方がお世継ぎなんですよね? キサラギ殿もイイ趣味してますね~。…なんてね」
「…」
「あははは。冗談ですよ~。やだなぁ、怒らないでくださいよ」

確実に淫猥な事を含めた物言いが流石に勘に障り、歩きながらぎろりと彼を睨むと、両手を前に出して押し宥めるような仕草をした。
一連の動作が慣れている。
どうやら、人をからかって楽しむ部類の人間のようだった。
鼻で一蹴してから、再度正面を向く。
その後も何事か彼が雑談を振りかけてきたように思うが、努めて無視した。
目的の場所である会議室は、日頃僕らが行かない建物エリア内にあり、渡り廊下を渡ってしまえば突然不案内となる。
渡り廊下に差し掛かったところで、今まで斜め後ろを歩いていた大尉が前に出た。

「此処からは私がご案内致しましょう。どうぞついてらしてください」

そんな一言を添えて、大尉が一歩前を歩き出す。
丁度世間話も諦めたのか、静寂の中で靴音だけが響く。
会った瞬間から一目瞭然ではあったが、僕より背が高い。

「…」

僕の前を歩く広い背中に、自然と目が行った。
…体格が良いように思うが、大尉は何㎝なのだろうか。
不意にそんなことを思う。
少なくとも僕よりは長身だ。
特殊諜報員であって一般戦闘要員ではないため、戦闘には疎いと聞くが、この長身でそれは勿体ないような気もした。
…兄さんと同じくらいかな。
前に少し会ったくらいだけど、兄さんが僕の前に立ってくれると確かこれくらいの目線の角度だった気がする。
同じくらいだったらいいな。
まるで兄さんと歩いているみたい。
そう思うと、突然目の前の腕に抱きつきたい気もしてきた。
勿論赤の他人にそんなことはしないが、反射的に両腕を絡めたくなってくる。
…兄さん、元気かな。
逢いたい思いだけが募るも、現状では難しい。
会って抱きつきたい。
どんなに想い出が強くても、そろそろ体温すら忘れそうだ。
兄さんはどうだろう。
もう片腕に触れていた僕の体温は忘れてしまっただろうか。
だとしたら、近いうちに叩き込んでおかなければならない。

「名家ともなると、家族関係も面倒臭そうですねえ。特にキサラギ家は競うようにされているのでしょうし、不仲なのかなぁ。でも…。…ああ、そうそう。私は兄弟がいないんですよ」

そんな切り口で、不意に大尉が軽く左手を開いて挙げた。
歩きながら肩越しに僕を振り返る。

「少佐みたいなお可愛らしい弟がいたら、私でしたらきっとベタベタに甘やかしちゃいますね。毎晩ぎゅーって抱いて寝ちゃうけどなぁ~」
「…」
「なんてね。あははは」

軽く笑い払うような言葉ではあったが、それは僕にとって甘美な呪文でもあった。
遠巻きな口説き文句にも聞こえた。
同性から色目を向けられるのには、正直慣れていた。
この様な閉鎖的な規律状態に籍を置く場合、直接軍関係ではないにしても、戦闘という危険と隣り合わせの機会がある以上、心理的にファシズムと同様に、恐怖を性的快感で充たそうという無意識が働く。
主に上官などにそれとなく声をかけられることはあっても、僕自身が揺らがなければ全く問題はない。
口説き文句は大凡聞き流せていたが、今のハザマ大尉のそれは、下手な台詞よりも直に芯に来た。
兄さんはどうして僕を構ってくれないんだろう。
ベッドの上で強く体温に抱かれて眠ったり、頭を撫でられたり、そういう欲求が僕にはある。
幼い頃に兄から与えられた習慣を、今でも僕は大切にしているのに、兄さんは他人行儀でどうしていいか解らない。
…兄に乱されて眠りたい。

「少佐」

ぼんやりと視点を下げていた僕を、大尉が呼んだ。
顔を上げると、嫌な感じに微笑する彼が、すっと小さなカードを差し出した。
所属と名前が書かれている名刺だ。
僕も所有しているが、諜報部隊はどうやら名刺にフルネームを書かないものらしい。
僕が持っているのと同じフォントで、「ハザマ」とだけ書かれていた。

「はい。これ」
「…」

貰ったからと言って僕の名刺を相手に渡す気はなく、受け取るだけ受け取った。
直感的に察してカードを裏返すと、案の定、携帯番号を思しき文字の羅列が乗っていた。
一気に冷める。
鼻で嗤った。
良くあることだ。
そんな僕の態度を見て、大尉も笑っていた。

「軽い男だと思います? …でもね、結構相手は選んでいるんですよ。…もしも貴方が他者に甘えたくなったら」
「…!」

無造作にあげられた腕を意識していなかった。
大尉の右手が、するり…と表面を撫でるように僕の髪を撫でる。
ざわりと全身が騒いだ。
嫌悪感ではなかったことが何よりも衝撃だった。

「いつでも、呼んでくださいね…」

囁くような声に焦りが生じる。
弾かれたように、僕はその腕を叩き落とした。

「…馴れ馴れしい。無礼が過ぎるぞ、大尉」
「んー。そうですねぇ。ちょっと過ぎましたかね。あはは。すみませーん」
「ふん…」

手に持った名刺を握り潰し、その手を逆さにして足下に捨てる。
転がった紙屑は念のために踏ん付けておいた。
…どんな顔をするかと思ったが、大尉はやっぱりにんまりと笑っているだけだった。
一度見てしまったものは消せない。
さっき見た番号が僕の脳裏に刻まれてしまったことを、この男は分かっているのだろう。

「さあ。参りましょうか、少佐。一緒にお仕事頑張りましょうね」

カツカツと、足音だけが響き出す。
僕の前を、変わらず大尉が歩いた。
僕の前を歩く広い背中に、反らすつもりでもやっぱり自然と目が行った。
…嗚呼。まるで兄さんと歩いているみたい。

懐かしく美しきはずの懐古が、猛毒の様な速さで躯を蝕んでいった。



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ハザジンです。
確信犯。
ジン君の狂喜は美味しそうだし可哀想だから好物っぽい。
2013.2.4





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