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「…旦那は欲がないよねぇ~」

爽やかな風吹く6月。
まだ雨の匂いもない空の下、せっせと槍の鍛錬に勤しむ若い主を眺めている間に、気付けば口にしていた。
庭の石灯籠の先に片足一本の爪先で自身の体重を支え、そんな片足の膝に、もう片方の足を器用に組んでは片頬杖を付く。
端から見れば空気イスにでも座っているような無理な体勢で、佐助は詰まらなそうにぼやいた。
暇さえあれば鍛錬鍛錬…。
飽きないなぁ…という気持ちと、平和だなぁ…というのほほんとした気持ちが混在している。
顎の下をしたたる汗を片手の甲で拭いながら、幸村が佐助を振り返った。

「欲…でござるか?」
「そーだよ。欲しいものとか、特にないでしょ?」
「何を。某にも欲しいものの一つや二つ!」
「あれ、そーなの? なーんだ。言ってくれればいいのに。何が欲しいのさ?」
「今は団子でござるな!」

きっぱりと断言され、心なし前のめりになっていた佐助が肩を落とす。

「あー…うん。そうね。今日のおやつはフツーに用意してあるんだけどさ…」
「おおっ、流石佐助!」
「まあねー。俺様、天才だしぃ。…丁度良いし、休憩にする?」
「するでござる!」
「はいはい」

ぱっと笑顔で言われ、幸村が汗を拭って縁側に来る間に、佐助はご希望の団子と茶を用意しておく。
離れた場所から周囲を見晴らせていた烏を呼び戻し、異常がないことを確認して再び飛び立たせ、自分でもざっと周囲に気を巡らせてからご機嫌で縁側に腰掛けて団子を食べている幸村の隣に座る。
今は任務中ではないため、顔化粧もなく、さっぱりとした衣をまとっていた。
こうしていると、幸村も佐助も、ただの若い友にしか見えない。

「おいし?」
「ふぉむ」
「あっそ。そりゃよかった。団子好きねぇ、旦那」

もくもくと幸せそうに団子を頬張る主を見てから、自分も戯れに一本囓ってみる。
生きていくために必要な栄養価なんてものは、丸薬で摂れる。
効率の悪い摂取の方法。
しかも、適度に甘ければ「おいしい」と感じる…という、ただそれだけの大雑把な鈍い味覚。
佐助からすれば大した魅力も感じないその一串は、しかし若い主の好物というだけで価値があるし、彼の隣で食べる間だけは舌が鈍感になりそうなこの強い甘みも悪くはない気がした。
機嫌良く食べ進める幸村に、佐助はひらりと片手を振った。

「さっきの話だけどさ、旦那は、天下人にはなりたくないみたいじゃない?」
「某がか? 滅相もない。天下人は御館様のような器の広い方がお成りになるものだ」
「まーね。大将は色々とスケールでかいけどさ」
「うむ!御館様は素晴らしき御仁よ!」

まるで自分が褒められたかのように、幸村が満足げな顔をする。
佐助は後ろに両手を着いて、居崩してぼんやりそれを横目で眺めた。
主のこの感性もちょいと厄介だと思う。
己ではなく、己が尊敬する相手が褒められた方が嬉しい、という感覚だ。

「…あのねえ、旦那。俺様さぁ、こう見えて結構有能な方なんだよね」
「佐助が有能なのは、知っておるぞ」
「そうでしょ? …でね、例えば、今度戦をするよね?」
「うむ」
「『相手の大将首取って来い』って旦那が俺様に言えば、俺様、今夜取ってこれるんだけど。戦する必要なく、簡単に勝てるよ?」
「確かに。相手首がいなくなれば、そうであろうな」
「でもさ、旦那ってその手の命は出さないよねぇ。大将はたまにあるけど」
「某は武人の子でござる。自ら戦に出ず何とする」
「それも分かるんだけどさ…。その方が、何かと簡単じゃない? 旦那も楽だし、ぶっちゃけ俺様も楽なのよねー。当日色々気を回さなくて済むしさ」
「ふぁが佐助。ふぉれでは某、傷も負えふでごふぁる」

もぐもぐと団子を頬張りながら、当たり前のように幸村が返す。
生まれ以ての武人の血筋だ。
当たり前のような思考が口にする発言は、童顔な幸村が言うと多少の違和感を覚える。

「旦那ってば、傷負いたいの?」
「うむ」
「まぁさー、勲章なのは分かるけどもさー…」
「戦とは、命を賭すもの。某も戦場に出て、賭して当然。それに、今の話を聞いていると思うのだが――…」

くりっと幸村が佐助を見る。

「佐助こそ、何故、天下人になろうとせぬのだ? その気になればできそうなものだが」
「…」

虚を突かれ、佐助は一息沈黙した。
予想だにしない質問。根本的に、今まで考えも付かなかった問いかけ。
間をおいて、はー…とため息を吐いてみる。
こーゆーところも、佐助の主は厄介だ。
たまに変に要点を突いてくる。
しかし、人の上に立つ者には器と資格が要るものだ。
気を取り直して顔を上げ、再びひらりと片手を振ってみる。

「忍が天下取ったって、その後なーんにもできないって」
「某も同じでござるよ」
「えー? でもさ、伊達の旦那は狙ってるっぽいじゃない」
「政宗殿程の家筋ともなれば、天下を治めることもできるであろう。だが、某は御館様のお力になれればそれでよい。御館様に天下をお取りいただきたいでござる」
「…。うーん…」
「何をそんなに気にしておるのだ?」
「いや、意外と難しいもんだなーって思ってさ。余所様はね、大将首とか取ってあげると喜ぶし、今までは俺様もそう思ってたんだけど…。旦那はちょいと違うなーと思ってさ。それと比べると、すっごく面倒臭いわ」
「…? 某、今も団子をもらって喜んでおるが」
「あっそー。そりゃよかった。…でも、こんなのは数に入んないの」
「佐助は忠義者だな」
「そーでしょー。もっと褒めていーのよ~?」
「某、佐助のような忍を持って誇らしいぞ!其方あっての真田幸村と……否!某に過ぎたる猿飛佐助と、いずれは国の端々に響き渡るであろう!!」
「…。あーうん、ありがと…。もういいや」

軽い疲労と、それを上回る居たたまれなさに、佐助が片手を挙げて制する。
褒められ慣れはしていない。
もっと言うと、褒められると全て嘘のように感じてしまう癖がある。
だが、長年傍に居る幸村の言葉は全て本心であることが分かるから、より一層居たたまれない。
道具である忍相手にこの立て方…。
他の忍にこんな風に言っているのを聞いたら、相手を殺してしまいそう…と、ぼんやり佐助は思った。
改めて、足を組んで頬杖を着く。
この主は、欲がなくて詰まらない。
欲がなくては、願いがない。
願いがなくては、己が働けない。
働けなくては、為になれない。
為になれなくては、功績を挙げられず、頼られない。

「…」

佐助は、ぼーっと気持ちの良い空を見上げる。
それから、頬杖を着いたまま、ちらりと隣に座る若い己の主を盗み見た。
幸村には自立心がある。
猪突猛進の単純男ではあるが、己で見聞きし、己で信ずるものを決め、その選択に対して己で責を背負う気でいる。
この主に、一体何をあげたら喜ぶのだろう。

(…。あーあ…。どうも上手くいかなかったなぁ…)

ぼんやりと、佐助は視線を外してまた空を見た。
随分、甘やかしてきたつもりだ。
そのつもりなのに、上手く幸村は安易な道を選んで歩いてはくれない。
何でもかんでも「佐助佐助」と頼ってくるように育たなかった。
甘露水の中に、背中を突き飛ばして落としてやるつもりだったのに。
普通、人間は楽な道を選び取るものだというのに、幸村はどうもそうならない。寧ろ、当たった壁に燃えてしまい、自ら厳しい道を行き、乗り越えんとする。
…。
ドMか…。
いや、Mの方が自分とは恐らくの相性はいいのであろうが…。
はあ…と佐助がため息を吐く。

「…いい天気だねー」

意外と細い顎に片手を添え、遠い空を見詰めながら考える。
兎も角、直接的に敵陣の首とかがいらないのであれば、今夜はひょいと相手陣中にお邪魔して、ほんの僅か痺れを付けるような毒でも仕込んでおくのがいいかもしれない。
元々、幸村が対峙して勝率五分五分みたいな相手には微毒を入れておくことが多いが、最近の幸村は本当に武力が優れてきており、それを必要とする敵もなかなか少なくなってきた。
佐助は無表情のまま、胸中で息を吐く。
あーあ。
ますます詰まらな――…

「ぬおおおおおっ!!」
「えっ、何!?」

突如真横で大声量。
反射的に指の間に暗器を挟みつつビクッと幸村の方を向くと、幸村の両脚の間に団子が一粒転がっていた。
手に持つ串には、もう何も刺さっていない。

「落ちたでござるっ!」
「そんなことで大声出さないでよ!何かと思ったじゃないっ!」
「某の団子ぉおおおお!!」
「あーもー。また買ってきてあげるから。それは野良犬にでもあげな。代わりにほら、俺様のでよければやるから」
「おおおおっ!よいのか、佐助!?」

丸い瞳を輝かせ、幸村が佐助の持っている食べかけの串持つ手を両手で握る。

「どーぞ」
「忝い!」
「…」

再び旨そうに頬張る幸村の表情に、佐助は足を組んでため息を吐いた。
この男といると、気が抜ける。
意識しなくても、衣のように四六時中張っている気が、薄くなるのが佐助は自分で分かっていた。

「佐助は、甘味はあまり好みではないようだな」
「うん。味濃いの好きじゃないのヨ。忍の舌って、商売道具の一つだからさ」
「では、佐助は何が好きなのだ?」
「ん?」
「先程、某に欲がないと言ったが、では、佐助は何が欲しいのだ?」
「…え~?」

また難しい質問が飛んできた。
幸村の質問は単純すぎて、ぐるっと一周してたまに哲学に片足突っ込んでいるものもある。
欲しいものを問われ、佐助は顔を顰めた。
…ほしいもの。
「天下」はいらない。佐助には手に余る…というか、普通に欲しくないし、本気でいらない。
数多の人間が毒蟲のように土地の上でうじゃうじゃ生き蠢いている、箱のような「天下」をあげるからヨロシクネと言われても、佐助には全く魅力を感じない。
隣で脳天気に団子を頬張っている気に入ったこの若い少年が昔は欲しかった気がするが、彼は今いる自分の場所が気に入ってしまっているらしい。
強引に連れ出して、都合のいいように一度壊して再構築できないことはないが、果たしてそれを己が変わらず気に入るかとなると、難しい話のような気もする。
己で作れてしまうものは、あまり大切にはできないものだ。
佐助は迷った挙げ句、面倒臭そうに後ろ頭を掻いた。

「うーん…。そー言われちゃうと、俺様もあんまりないかなぁ…」
「では、団子という好物がある分、某の方が強欲でござるな!」
「いや、団子で強欲って…」
「欲しいものがないということは、今が満たされているからなのだと父上は仰った。某の団子も、佐助の無欲も、よいことかもしれぬぞ」
「あー。そーかもねえ。…でもさ、旦那。欲しいものがないと、人間って成長しないもんなんじゃない? 欲は、旦那が生きていく為には必要だと思うけどなぁ。何かあるといいかもね」
「…? それなら、佐助にだって必要であろう?」
「やーね、旦那。忍に欲はいらないよ。所詮道具なんだから。旦那が出世する為に、うま~く使って頂戴」

佐助が軽く言い放つと、幸村は串を持っていた片手を下ろした。
主の変化を機敏に感じ取り、しかし今の言葉がまさか一矢入ってしまったとは予想外で、わざと知らぬ振りを決め込み、佐助も隣の幸村を見返す。
幸村は、どこか呆けたような真剣なような、凜とした顔で先程の佐助のように遠くの空を見ていた。
何か考えているらしい。
黙っていれば、この青年は本当に面立ちがよい。

(…ま、騒がしくてわーわー動いてる旦那が旦那なんだけど)

外見だけが好ましいのであれば、さっさと内臓を取り除いて血を抜いて、氷室かどこかで保管するに限る。
そうしないのは、やはり佐助が動いている幸村に魅力を感じるからなのだろう。
少し待ってみたが、幸村の考えごとが思いの外続くので、佐助がひょいとその顔を横から覗き込むように体を傾けて問う。

「旦那、どうかした?」
「…うむ」

佐助に声をかけられ、幸村はくるっと彼を見返した。

「佐助!」
「はいよ?」
「某、欲しいものを今決めたぞ!」
「おお~。それはいいねー。何にしたの? 天下取っちゃう? 上洛しちゃう? 大将倒して下克上とか??」
「何とッ!? 成ッ敗ッ!!」
「あっはははは!冗談だってばぁ~」

ビュッ!と拳が、直前まで佐助の顔があった場所を通過する。
すんでの所で幸村の拳をかわした佐助が、けらけらと愉快そうに笑った。
幸村の腕を軽く取って撓らせるようにそれとなく下ろさせ、佐助が再び問う。

「…で? 何が欲しいの?」
「うむ!」

こくりと頷いて、幸村は佐助へ向き直ると片手で拳を作った。

「某、戦の終わりに、今日のような時間が欲しいでござる!!」
「…。……んん??」

幸村の答えに、佐助は眉を寄せる。
予想していたあれこれとは、また随分毛色が違う答えが来た。

「何それ。一つの戦が終わったら、のんびりする時間が欲しいってこと? …そーねえ。旦那は次から次へって感じで戦続きだし、今までよりもこういう時間を取るのも悪かないん――」
「違うぞ佐助!ただのんびりするだけでなく、某、佐助と団子を食す時間を所望する!」
「えっ!? 何、俺様も条件なの!?」
「うむ!」
「うむ、って…。いやいや、今日はたまたま報告ついでと、他に怪しい動きがないから出て来てるけど…。基本的に忍ってこーやって堂々と主と一緒にのんびりなんてしないからね? そういうのは、他の武将さんらとやりなさいって」
「某、佐助がよいでござる!」
「よ…」

あまりにきっぱりとした断言に、佐助は面食らう。
よいでござる、とか言われても…。
爛々と無垢な期待で輝いている琥珀色の瞳を驚きで見返し、数秒。
佐助は、はぁ…と深くため息を吐いて、目を伏せた。
片手の平をこめかみに添えて、思案する。
…つまり、だ。

「えーっと…。それをさ、旦那。毎回叶えるには、色々と難しいよねえ?」
「…? そうでござるか?」

幸村は意外そうに瞬いているが、「戦の終わりに佐助と茶の時間を取る」為には、見えない様々な条件が必要になってくる。
大前提に、お茶が楽しめる程度の、幸村の無事な帰還。
これはいい。
…いや、まあこれも猪突猛進、一番槍で突っ込んでいく幸村を思えば、普通に考えれば難しいことではあるが、幸村本来の実力もあるし、佐助とて見えないフォローをするのはいつものことである。
そこまで大きな制限でもないが、問題はそれ以外だ。
話を聞いていると、幸村が所望している環境の中には、佐助自身も幸村と同程度には健全でなければならない。
己の安全。そんなものは、佐助にとって優先順位としてはかなり下の方に位置している。
それをいきなり、上位に移動せざるを得ないことになってくる。
加えて、のんびりお茶を飲んでる時間が取れるような環境は、負け戦では有り得ない。暗に常勝が付いてくる。
しかも、勝ったとしても忙しい戦後。
戦場に散っている様々な情報を集めて分析しての時間帯に、団子を買って来て幸村との茶に時間を割かなければならないわけで…。
現実的に叶えようとすると、かなりシビアだ。
つらつらと頭の中で冷静さがリスクを勝手にリストアップし始めるが、一方で、妙にふわりとした不思議な感覚が佐助に生じる。
どうでもいい時はへらへらと笑えるというのに、こういう時はどうも冷めたような興味がないような、澄ました顔になってしまう佐助の表情を見、幸村が不安に思い再びその顔を覗き込む。

「難しいでござるか?」
「あーまー…。ちょっとね。…でも、旦那が所望ならそれでもいいよ」
「おおっ!流石佐助ぞ!!」
「そうでしょうそうでしょう。しゃーない。じゃ、次からそうしようか」
「うむ!」
「…」

一時の間はあったが、軽い調子で同意する佐助に安心し、笑顔で幸村は頷く。
眩しいくらいの笑顔を見て、佐助は苦笑した。
他人に満面の笑みを向けられる人間は、意外とそうはいない。
天道の如き笑みを見る度、佐助はほっと安堵する。
己の主は、間違いなく日の下を歩くお人で、だからこそその影である己は、こうしてどっぷりと闇に浸かっていて正しいのだと思える。
「戦の終わり」と幸村は言った。
己を道具とする発言を気に掛けてくれたのであろうことは容易く察することができるが、その発言により、事前に効率よく敵の頭を暗殺して、戦そのものを無くすことも控えることになる。
今言った幸村の所望を叶えるには、戦場が必要というわけだ。
数多の血と物資が流れる戦場が。

「…」

心が僅かに軽くなり、疲れが軽減する。
そうとも。佐助の主は、戦場が似合う。
万人の血で濡れた、ごろごろと骸が転がる大地が。
その中に一人凜と立っている、朱で染められた鎧の彼を見つける時はいつも、まるで周囲の血を吸って咲いた一輪の花の様に見えるから。
足を組み替え、膝に片頬杖を付いて、佐助は久し振りに本心から少し笑った。

「…ちょっと強欲になれたね、旦那」
「そうであろう!?」
「うんうん」

佐助の笑みを見て、幸村も更に嬉しげに笑みを深める。
責は負うが、その責に押し潰されることもない。
屍の道を、軽く明るく、死者の血すら美しさに変えて、無邪気に真っ直ぐ歩いて行ける。
そういうところが、堪らなく魅力的だ。

「俺様、旦那のそういうトコ好きよ?」
「…? 某も、佐助が好きでござる!」
「あはははっ。相愛じゃ~ん。こりゃまいったねー」

 

…――だからやはり、佐助の主はこの男以外にはないだろう。

 

強欲


 



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BASARAの真田主従。
佐助は何でもやる人だけど、主が幸村っていうのがミソだと思います。
いい意味でも、悪い意味でも。
2019.10.10





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