「じゃあね、恭二、みのり!おやすみーっ!」
「ピエール…。声でかいって」

俺のマンションの部屋を出てすぐの通廊で元気に右腕上げてさよならの挨拶をするピエールに、ドアノブを握って抑えてる恭二が人差し指を口に添えて注意する。
今の時間帯に気づいたピエールが、ぱっと片手で持ってたカエールを両手で持って、その後頭部で自分の口を塞いだ。
肩を縮めて申し訳なさそうに、上目にドアのこっち側にいる俺や恭二を見る。

「ごめん…。うん。今、夜。うるさいの、ダメ。ボク、静かにする…」
「あ、いや…。別に、そんな突然蚊の鳴くような声にならんでも…」
「ううん。夜の遅いの…シンヤ? シンヤ、もっと注意しないと。みんな寝てる。邪魔するの、ダメ。ね?」
「そうだね。静かにしてあげるとみんなはきっとゆっくり眠れるよ。車に乗るまでの我慢だね。気をつけて帰るんだよ、ピエール」
「うん!」

…って、ピエールの背後に立っているSP二人組がついているから心配はないと思うんだけど。
さっきまで部屋で休んでいたけれど、迎えの車が来たから今日はもう帰る時間だね。
流石に今は出て行ってのぞき見る程ではないけど、ピエールと会って最初のうちは、うちのマンションの前に停まる迎えの高級車を見る度に感動したっけ。
けど、もう俺にとってはピエールはピエールだ。
恭二の後ろから、ひらひらと俺も手を振る。

「じゃあね」
「今夜は早く寝て休めよ?」
「うん!ありがとうっ。恭二も、早く帰って寝る! みのりも、また明日ね。バイバーイっ!」
「ああ」「ばいばーい」

小声で、カエールの手を持って振りながら、ピエールが黒服さんたちと一緒に歩き出す。
誰もいなかったら車まで送っていくところだけど、あの二人がいれば問題無しだもんね。
リビングを片付けようかと回れ右しかけたところで、恭二がまだドアを押さえているのに気づいて足を止めた。

「…恭二?」
「ああ…。ピエールがエレベーター乗るまで」

どうやらピエールがエレベーターに乗るまでドア押さえて見守りたいらしいから、俺もリビングに戻るのを一旦止めてそんな恭二の前に邪魔にならない程度にひょいと顔を覗かせる。
エレベーターに乗る前にまたピエールが振り返ってくれて、俺たちに気づくとぱあっと花が咲くような笑顔でぶんぶん手を振ってくれた。
可愛いなあ…。
もう一度ひらひら手を振る。
恭二も軽く片手を上げて、エレベーターにピエールが乗ってドアが閉まってから、ようやくドアを閉めた。
そのまま鍵のかかる音を聞きながら、リビングに向かう。

「結構遅くまでいたな…。案外タフなんだな」
「ピエールは元気いっぱいだからな。…けど、どっちかっていうと興奮して眠れなかったのかもしれないよ?」

リビングのテーブルには、簡単な軽食とおやつとマグカップとグラスが人数分。
楽しかったさっきまでの時間をそのまま表現したように、いい具合に少しだけ散らかっている。
今日は、俺たちBeitのライブがあった。
真夏の昼と夕方、夜と三回。
一週間、日にち別にうちのプロダクションのアイドルライブがあるんだけど、それが今日だったってわけ。
屋外だったから、流石に気温が高くて普通の室内ライブよりそれだけでちょっとね。
くたくたとまではいかないけど、終わるとどっと疲れは出る。
けど、お陰様でファンの子たちやお客さんはたくさんだったし。
大成功っていっていいくらい賑わってたみたい。
夜のライブが終わってから事務所に帰ったわけだけど、その後も何となく三人でご飯でもって話になって、俺んちで簡単に軽食を作ることになった。
タイミングタイミングで食事や弁当は出るんだけど、やっぱりそれらと自宅に帰って作った料理はまた違うよね。
ほっと胃に落ちるというか、ちゃんと「ご飯食べてる」って感じがする。
いつも一人で食べるご飯だけど、三人一緒だとそれだって何倍もおいしい。

「煮込みハンバーグ、うまかったな…。みのりさん、作り置きとかしてんすね」
「休日とか時間ある時にね。いつもは遅いから、帰ってくると夕食とか面倒くさくて作りたくないからさー。恭二も料理できるじゃない? マグカップでスープ作るのすごいね。初めて知ったよ」
「ああ…。まあ、あれこそ面倒くさいからなんだが…」
「おいしかった。手軽でいいよね。今度俺もやろーっと。…恭二、コップ類お願いしていい? コーヒーもう一杯くらい飲むでしょ?」

殆ど空になったお皿を重ねて、両手で持つとキッチンスペースへ戻る。
ひとまず流しに置いて、そのまま冷蔵庫を開けると水を取り出し、オープンラックの中に置いてあるコーヒーメイカーの中に注いでスイッチオン。
後ろをカップを持ってきてくれた恭二が通ったので、「流しに置いといて」と伝えようとして振り返ったら、伝える前に食器類を置いて袖を捲り出していたので声をかけた。

「あ、いいって。食洗機あるからそのままで」
「あるにしても軽く流すんだろ? …いいっすよ。やるから。この引き出しだろ?」
「えー? じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。ありがとう、助かるよ。ホント適当で大丈夫だからさ。…そっちのマグカップ入れちゃっていいから。新しいマグで淹れるね」

食器は恭二に任せちゃって、じゃばじゃばやってる横から布巾を濡らさせてもらう。
折りたたみながらリビングのソファ前に戻り、テーブルを軽く拭いた。
料理や食器をあれこれ乗せる為に一旦窓際に退かしてあったミニ鉢をテーブルの中央に戻す。
みんなでわいわいいた時間の名残を片付けちゃうのはちょっとだけ寂しい気もするけど、またすぐに次の機会はあるよね。
あちこちに散っている少ないクッションをいつもの俺的定位置に戻しながら、少し距離のある恭二にも聞こえるように声を張る。

「そういえば、ピエールたこ焼きパーティやりたいとか言ってたし、今度たこ焼き器買ってこないとだな」
「ああ…。そういえば、いつも買って食ってばっかで作ったことはまだないかもな」
「スタンダードなたこ焼きもいいけど、今はチョコレート入れたりしても楽しいって何かで読んだなぁ」
「あれって…どーなんすかね」
「え?おいしそうじゃないか。焼いたウインナーとか豚肉とか。トマトとかホタテとかイチゴとかジャムとか」
「…おいしそうか?」
「あとは、こなものっていうと…。あ、お好み焼きは知ってたみたいだけど、もしかしてもんじゃ焼きはまだ知らないのかもしれないな」
「あー…。そういやあんま話題に出ないな」

あれこれ喋りながらキッチンへ戻ると、もう殆ど恭二が引き出しの中に入っている食洗機に入れてくれていたので、交換して流しを借りて布巾を洗う。

「出すつもりのマグってこの辺か?」
「ん? …あ、うん。そうそう」

布巾を絞っていると、丁度流しの反対側にある食器棚からマグカップの段を見つけて、恭二が出してくれる。
仕事早いなー。

「ありがと、恭二。ここに置いて」
「ああ」

流しの隣に、とんとんと取り出したマグを置いてくれる。
コーヒーも淹れ終わったみたいだし、布巾を畳んで端に置いてからコーヒーメイカーのポットを取り外し、置いてくれた二つのマグに湯気立つコーヒーを注ぐといい香りが広がる。

「今日のコーヒーおいしかっただろ? 結構いい豆買っちゃったんだけど、やっぱり三人でいる時に飲みたくて取っておい――」

話しながら、両手で持って傾けていたポットを戻して、よし…と思ったところで…。
とん、と左肩に何かが触れた。

「お…?」
「…」

振り返る必要も無く、視界の片隅、顔のすぐ隣で茶色い髪を捉える。
俺が立ってる左右でシンクに両手を着いて、恭二が少し体を屈めて俺の肩に目元を添えていた。
少し寄りかかるような調子で、ほんの僅か体重がかかる。
それだけでくすぐったくて、ポットをマグの向こうに置きながら思わず笑みがこぼれてしまう。

「あはは。重いなぁ、恭二~」
「……。…あの、」
「んー? 何かなー?」
「……今晩、泊まってっていいか?」

ぼそ…と顔を上げもせず恭二が囁く。
無意識なんだか意識的なんだか、こういう時のたっぷり甘さの入った低い恭二の声は心臓に悪い。
…ていうか、うん。分かってる。
分かってるんだよ、たぶん本気で無意識なんだよな。
仕掛けてきてくれてほっとしたところもある。
何しろライブ上がりは本当に疲れてすぐ眠っちゃいたい時もあるからね。
自分の疲労具合なら勿論把握できるけど、相手がどうかなと気を遣うとなかなか主張はしにくい気持ちは分かる。
とはいえ、今日のステージはどちらかといえば回数は多かったけど激しいものではなかったし、俺も今日は恭二に甘えたかったし、久し振りのチャンス。
ピエールと一緒に帰ると言い出さなかった時点で何となく予感はしてたけど、優しい恭二のことだから片付けしに残ってくれただけかもとか思っちゃった。
このまま普通に帰られちゃったらどうしようかと思ったけど…。
同じ気持ちだったんだなーって思うと、もうそれだけで以心伝心両想い!って感じで両想いっぽくて嬉しい。
片方のマグに砂糖ひとつ入れて、ぐるぐる混ぜたスプーン片手に口を開く。

「勿論。いいよ」
「…」

二つ返事でOKすると、恭二がそっと顔を浮かせた。
ほんのり頬と耳が赤くて、さも自信なさそーな顔をしていたみたいだけど、今はほっとした様子で浅く息を吐いている。
思わず吹き出してしまった。

「ぷ…。恭二、どうしてそんな顔してるんだよ。俺が断ると思った?」
「…疲れてそーかなと思って」
「そりゃ、全力でお仕事してるからな。ちょっとだけ疲れてるけど、それは恭二もだろ? だとしても、やっぱりもう少し一緒にいたいよね。俺もたぶん同じ気持ち。…というか、帰るまでに言ってくれなかったら、さてどーやって引き留めよーかな~?って思ってたとこだよ」
「…そうか?」
「そ。だから恭二から言ってくれて助かったな」
「…」

片手を顎に添えて、いかにも悩んだ風にしてみてこくこく頷いてみる。
恭二がシンクに着いていた手を離し、前屈みになっていた体を戻す。
あまり差はないんだけど、恭二の方が背は高いから、これくらいの近距離で普通に並ばれると流石に少し視線が上がる。

「じゃ、ここからは切り替えね。恋人タイムということで」
「…ああ」

顎を上げて目を伏せると、すぐ唇が重なり合う。
恭二は仕事とプライベートはしっかり分けるタイプだし…何だかんだこういうことをする機会自体は少ないから、キスだって随分久し振りだ。
割とキス魔の自覚があるから、自分でよく耐えられるなと思うくらい長くしない時もあるけど、それでも不思議と不安に思うことはない。
…とはいえ、勿論しないよりはしたいに決まってる。
キスの途中で手を繋がれて、ほわんと気持ちが一気に緩んだ。

「明日は…午後までに事務所行けばよかったよな、確か」
「そうだね。…ふふ。久し振りにキスしちゃったな。…よっし、ぎゅーもしよう!はい、恭二!ぎゅーっ!」
「……え」

繋いだ手を離し、ばっと両腕を開いてハグしようとすると恭二が低い声を零して一瞬固まった。

「…い、いきなりだな」
「嬉しいだろ?」
「まあ…」

構わずむぎゅっと抱きつくと、ややしどろもどろで俺を抱き返してくれた。
イメージした典型的な"ハグ"じゃなくて、抱きついた俺の腰の後ろで両手を組むくらいだけど。
目を伏せて、ぺったりと恭二に体を預ける。

「はー…。気持ちいいね」
「…ああ」

さっきとは逆で、俺が恭二の左肩に頬を寄せる。
顎を引いて、二度三度頬にキスしてくれたあと、どちらからともなく口に触れる。
鼻先にある恭二の顔に、どーしてもにまにまと頬が緩んでしまう。
服越しでも、密着した体は熱いくらいだ。
恭二とこうできるだけで気持ちいい。
一旦そう思ってしまうと早々と体温が上がってきてうずうずしてしまう。

「うーん…。ライブ上がりにシャワーは浴びてるし…。もうここで始めちゃう?」
「いや、やらないから。フツーにベッド借してくれ」
「そう? 俺、アブノーマルも結構平気だけど。そーだな~、今だと…。裸エプロンとか?」
「…」
「あ、アブノーマルでもないか。王道? だよね」
「…頼むからエプロンはここに置いてってくれ」

今自分が身につけているエプロンの肩帯ひっぱって言ってみたけど、さっさとエプロンを取り払われてしまった。
おおざっぱに畳まれたそれを棚の端に置かれて、代わりに、つい…と恭二が俺の片手を取って体を離した。
そのまま寝室へ歩き出したので、別に引っ張られるわけじゃないけど、とはいえ拒めない隠れた強引さみたいなのもあってわくわくしてしまう。
ガチャ…と慣れた様子で奥の寝室のドアを開け、内開きのそれを片手で押さえて恭二が振り返る。

「…コーヒー」
「ん?コーヒー? …ああ」
「悪いな。せっかく淹れてくれたのに…。明日の朝、アイスにして飲むから」
「また淹れてあげるから気にしないで。豆もまだあるし。…ていうか、それより俺だろ。流石にコーヒーと天秤にかけて負けたくないなぁ」
「断然勝ってるに決まってるだろ。…というか、そもそも比べないから」

冗談めいて言うと、呆れたように恭二も少し笑ってくれた。
ぐいと繋いだ手を引かれて自分の寝室に入る。
見知りまくった俺の部屋のはずなのに、まるで恭二のテリトリーみたいに彼がドアを閉めた。

 

 

 

「…少し待っててくれ」

ベッドに腰掛けて、長く続いたキスから唇が離れると、ぼそ…と低く耳に囁いて、いかにも名残惜しそうに唇と俺の手を離すと一度ベッドから離れてカーテンを閉めてくれた。
それだけで顔が熱くなるけど、自分が赤くなる分ちょっとした意地悪心で、その背中に敢えて聞いてみる。

「ゴムは持ってる? 俺の出してこようか?」
「…悪い。持ってる」
「別に悪くないってば。助かるよ」

少し顎を引いてバツが悪そうに言う恭二が可愛くて思わず笑ってしまいそうになるけど…。
そこはね。男のプライドってのは分かるから。
声に出さないようにして、軽くつま先を動かすだけにとどめておく。

「恭二って、丁寧だよね。こういうの」

お言葉に甘えて、先に靴下を脱いでベッドにごろりと横向きに寝転がる。
傍に戻って来て、ベッドサイドのリモコンを取って電気を消してくれた恭二を見上げた。
薄暗くなった中で俺の方を振り返る顔には、毎度のことだけど自覚の欠片もないみたい。

「…そうか?」
「うん。とっても丁寧で手慣れてる感じ。…あ、変に取らないでね? 恭二は格好いいし優しいから、恭二のことを好きな人はたくさんいたんだろうなって話。人から好かれるっていうのは、素敵なことだと思うよ」
「…普通は、もっとラフなもんなのか?」
「うーん…。少なくとも俺は恭二よりはラフだったかもしれないなあ~。ラフというか、恭二と比べると雑というか…」

枕に片頬を埋めながら、布団の上で背中を丸めて笑う。
流石に、俺も女性経験がないわけじゃないからなあ。
けど、恭二が俺にするみたいに細部まであれこれ気にして女の人を抱いたことはないかもしれない。
それくらい、恭二は相手のエスコートが上手い。
誰だって自分以外の同性の言動なんて滅多に知ることはないだろうから、勿論人によって全然違うとは思うけど、そう前提した上でも、やっぱり恭二は丁寧な方だろうなと感じる。
まるでお姫様の扱いだ。
きっと、女の子はされたら嬉しいんだろうなと思うあれこれが、随所随所に入っている。

「…へえ」

気のない感じで照明のリモコンを置くと、恭二が着ていたティシャツとインナーを脱ぐ。
すっと澄ました感じで服を脱ぐ仕草がすごく様になる。
ミーハー心丸出しで、思わずうっとりとそれを眺めてしまう。
…ああ。やっぱり、何度見てもみんなに見せてあげたいくらい格好いいなあ、恭二。
俺じゃとてもできないスマートさがあるんだよな。
同じ男だけど、男だからって全員が持ってるわけじゃない絵に描いた男性的魅力っていうか…。
妙な表現になるけど、AV男優になれる人となれない人の違いっていうか…やっぱりそういうのはあるわけで。
俺とかはたぶん無理だけど、その二択でいけば恭二は絶対前者!っていう確信がある。
上半身裸になった恭二が、俺の寝てるベッド端へ腰掛けてこっちを見たので、思わず頬が緩む。
恭二も釣られて不思議そうに苦笑した。

「何笑ってんすか…。何か変か?」
「全然。待っててって言われたから、大人しく待ってるんだよ。偉いだろ?」
「何だそれ…」

恭二が片手を伸ばして、俺の片手を握る。
俺も、ぎゅっとそれを握り返した。
数秒間そんな感じで、久し振りだななんてぼんやり思っていたけど、恭二は何か色々考えてたらしくて、少したってからぼそりと質問を投げてきた。

「…みのりさん、疲れる?」
「んー? 何がー?」
「俺が。もしかして、いつも堅苦しいのかと思って」
「ああ…。やだな。悪く取らないでってば。一応褒めたつもりなんだから。いつも優しくしてもらえて嬉しいなって話。なかなか恭二の歳でこんなにスマートにあれこれできる人はそうはいないよなって思っただけ。性欲最優先になっちゃうよ、普通はね」

自分が二十歳の時を思い起こすと何というか…うーん、ヤンチャだったなぁとしか言い様がない。
そこまで女のコにのめり込んでいたわけじゃないけど、とはいえ普通に彼女はいたし、今思えばやっぱりちょっとがっついてたかなぁと思う。
…ま、それが若さってやつだと思うけど。
恭二が本当に落ち着いているから、何となく劣等感なのかも。
恭二と比べると、二十歳の俺は子供だったからなー…。

「…」

体を低く倒して、恭二が顔を近づける。
目を伏せて俺も軽く顎を上げ、片手の指を絡めたままキスをした。
柔らかい感触にすごく安心する。
キスの間、繋いでいない方の手で髪を撫でられ、気持ちよくてもうどうとでもしてと思ってしまう。
夢の入り口みたいな数秒が終わって瞼を開けると、いつの間にか恭二が俺の腹を跨いで組み敷いていた。

「…これ、ここ置いとく」
「え? …おお」

と…と指先で何かを恭二がベッドヘッドに置く。
顎を上げ、真上を見上げるようにして何を置いたのか見れば、俺の髪ゴムだった。
結んでいた髪がいつの間にか解けていて、枕に広がる感覚に気づく。
…手慣れてるなあ。
俺と会うまで、本当、すごくモテたんだろうな。
不思議と嫉妬心は出てこない。
ただ、今は俺のだぞ…という誇らしい気持ちになるだけだ。
ふふ…と思わず恭二に笑いかけた。

「そういうとこかな」
「…? 何が?」
「今みたいなのがね、上手だなって思うよ。俺も見習わないとなー」
「――」

褒めたつもりだった。
俺なりに褒めたつもりだったけど、そう言った瞬間、恭二の表情が目に見えて陰ったのが分かった。
それでも少し無理して笑おうとしているあの感じだ。
…?
予想外の反応に内心驚いて、微笑していた笑みを止めて恭二の手首に指を添える。
…何だ?

「…恭二?」
「…」
「どうかした?」
「…。俺の…。十七の、誕生日の夜に――」

一度ゆっくり目を伏せて、恭二が淡々と口を開く。

「親父に言われて、少し離れた年上の女の人を一人、紹介された。…そこまでじゃないけど、話をしたことがある人で…。後で聞いたら兄貴もそうだったらしいが――兄貴と俺の、そういう…行為の勉強相手として、雇い入れていたらしい」
「…………は?」

びっくりして、思わずそれまでの雰囲気を放棄してぽかんと恭二を見上げた。
…え?
…。
えーっと…。
ちょっとすぐイメージできないけど、それってつまり…。

「えっと…。家族公認のセフレ…ていうか…。先生…、みたいな?」
「まあ、そんなもんかな…」

長い瞬きの後、す…っと色の違う瞳を開いて、恭二はどこか自虐的に優しく笑う。

「他のどんな勉強よりその時間が苦痛だった。定期的にあって…。それまで、こういうことはお互いに好きな奴同士が自然とやるもんだと思ってた。けどそうじゃなくて……そうじゃなくて、やっぱり、所詮スキルの一つなんだと思った。持ってないと、駄目なんだ」
「…」
「俺んちにとっては、付き合うとか婚姻なんてのはあくまで一手法で、この手のことには"本番"があるんだ。だからその前に練習が必要な、あくまでそういうもので…。どうかしてるだろ? …その人のことは別に異性として好きなわけじゃなかったが、触ったり触られたりすれば気持ちが無くても何だかんだでできてしまうし…。気持ち悪くても、そう見せちゃいけないし、実際はあまり関係なかった。…結局、そんなもんなんだなと思った。誰でも、どうとでもなるんだ。現実はこんなもんか…って」
「…。恭二、もしかしてセックス嫌い…?」

急に不安になって、下から恭二の頬へ片手を伸ばした。
…そんな入り口だとしたら、嫌悪感を持って当然のような気がした。
十七って、高校生だよな…。
俺もその頃はあれこれあったけど…。
次元が違いすぎて俺じゃとても具体的にイメージできないけど、今の話を聞いているだけで気持ち悪くなってくるし、恭二の淡々とした声を聞いていると、それが返ってどんなに辛かったかと察することはできてくる。
左目の泣き黒子を親指で撫でる。
…俺、さっきからすごく馬鹿なこと言ってるな。
ぎゅっと胸が締め付けられる。
最低だ。
冗談めいた言葉の数々が、どれだけ胸を抉っただろう。
想像もできない。

「ごめん。考え無しだった…。さっきの、撤回させてくれ。そんな気は無くても傷つけたね。…あと、恭二が苦手なら――」
「いや。確かに思い出すのも嫌だったが、口にして言えたってことは、もう自分の中で随分軽くなってるんだと思う。…あと、こういう行為ももう嫌いじゃない。みのりさんとこういう関係になって、相手に因るってことがよく分かったし」
「…そう?」
「ああ」
「じゃあ、俺とは嫌じゃない?」

勿論、セックスが苦手な人だっているし、それは個性だ。
もしかして付き合った義務だと感じたから頑張ってくれているだけで、ちょっと苦手なのかと思ったけど…。
この質問には、恭二はすぐ首を振ってくれた。

「全然。じゃなきゃ誘わない。というか寧ろ、俺から触れたくなる。…ほんと、こんなに違うんだな」
「…!」

頬に触れてた俺の手を取って、恭二がふわりと掌にキスをしてくれる。
ぼんやりした小さな証明バックにしたその仕草が、グッときた。
うわああぁ…。
びりびり肩が震えるくらい格好いい…!という気持ちが体中を走り抜ける。
不謹慎だけど、この瞬間をカメラにでも収められたらどんなにいいだろうと思ってしまう。
我慢しようと思ったけど、とても無理だ。
恭二が格好良すぎて、ついついふにゃりと頬が緩んでしまう。
年甲斐も無く、くすぐったいような誇らしいような、恥ずかしいような気持ちになる。
薄暗くてよかった。
顔が赤くなるくらいなら、たぶん分からないはず。
このまま黙って耐えていてもふにゃふにゃしちゃうし明らかに怪しいから、一応口にした方がいい気がして、ペチペチ恭二の腕を叩きながら言っておくことにする。

「~…っ。ふ、雰囲気…、ぶち壊してっ、ごめん…」
「…つーか、また何で笑ってんすか。…笑うとこか?」
「違…。きょ、恭二…。恭二今…今さ、すっっっごく、格好いいよ…!」
「……は?」
「ここから見ると。ホントに。もう完璧!ってくらい!」
「…」

恭二がよく分からないような、気が抜けたような顔をする。
どうやらどう反応していいか困っているようだ。
うんうん。
いつもそうだけど、こういう時もやっぱり分からないんだろうなぁ。
自分がどれだけ格好いいのか、本当に自覚が無いんだから。
そういうところが恭二らしくて、好きだけどね。

「はあ…。あぁ…そうすか。どうも。…で、いいのかどうか…。格好いいなら、みのりさんの方だと思うけど」
「そう? 嬉しいな。ありがと。けど、俺と恭二はまた種類が違うよね」
「まあ…、そうなんだろうな」
「うーん…。恭二ファンのみんなに申し訳ないなぁ…。セクシーショットとして公開したら、すっごく喜んでくれるんだろうに。何なら写真集とか、それこそ恋愛ドラマの若手イケメン俳優的な立ち位置も狙えそうな…。今度プロデューサーに言ってみるのも――」
「……みのりさん」

俺がこういう時に時々恭二のことを格好いいとか言うのは結構あるから、いつも通り軽くながしてくれるかと思ったけど、最後は流石に失言だった。
むっする恭二の顔を見て、小さく笑う。
可愛いなぁ。

「今はファンとか…。関係ないだろ」
「だね。…ふふ、ごめん。そうだね。俺にだけ見せてくれてるんだよな。嬉しいよ」
「っ…!」

両腕を伸ばして恭二の首に回し、ぐいと引き寄せる。
そのまま倒れてくれてもよかったんだけど、反射的に恭二が俺の横に肘を着いた。
流石だ。
くすくす笑っている俺を、片肘着いた恭二がじと目で見てくる。

「っぶな…」
「おー。よく耐えました」
「いや、よく耐えましたじゃなくて…。潰すとこだったぞ」
「やだなあ。そんなに柔じゃないよ。可愛くて華奢な女の子じゃないんだから。恭二の一人や二人」
「…!」

ぴとりと密着する体を感じながら、ぎゅむーっと首に抱きつく。
恭二の甘い香りを感じられて幸せだ。
少し固めの髪とか、色の違う瞳とか。
広い肩や背中とかしっかりした白い首とか、もう全部好き。
…恭二の家のことはある程度知っているつもりだったけど、やっぱり一般人の俺に想像できないことはたくさんある。
同性の俺から見ても他のアイドルと比べてもこんなに格好いいのに、女の人と距離を取ってる感じとか、自分の容姿を全く男性的魅力だと思ってないところとかはそういうところから出てるのかもしれない。
だとしたら、今恭二が俺を選んでくれていることは、俺が思っていたよりももっとずっと凄いことなんじゃないだろうか。

「まったく…。時々、どっちが年上だか分からないことするよな」
「あはは。元々好きな人とはくっついてたいタイプでね。それに、俺はマイペースだからさ」
「ホントにな」

ちょっと年甲斐も無いことしちゃった俺に、恭二が苦笑する。
その苦笑が自然だったから、俺も肩から力が抜けた。

「…嫌なこと言ってごめん。辛かったんだな」
「…。まあ…。…少しだけ、な」

ぼそりと肯定する言葉が珍しいから、本当に苦しかったんだと分かる。
引き寄せていた腕を少し緩めると、近距離で恭二が表情を柔らかくしてくれた。

「けど、もう気にしてない。…今日、みのりさんに話せてよかったんだと思う」
「そうだね。俺も聞けてよかった」
「ああ…」
「…ねえ恭二。それじゃあ、俺とはとっても普通のことをしようか。大好きを確かめあって、お互い気持ちよくならないとな?」

キスしようと思って少し頭を上げるつもりだったけど…。
その前に恭二がしてくれたからその必要はなかった。
…ステージ上では別だとしても、どちらかといえば照れ屋な方だけどベッド上では割と行動的だから元々そういうタイプなのかと思っていたけど、今の話を聞くとそれは教育上教えられた知識だったんだろう。
道理で流れるようにドラマチックで上手なわけだ。
きっとその女の人は、女性視点から見て恭二に教えたんだろうからな。
目に見えて甘い仕草は寧ろ当然なのか。
けど…。
恭二は嫌だったろうから口に出しては言わないけれど、それは決してマイナスじゃないと思う。
優しく扱われて嬉しいのは、何も女性限定じゃない。

「ん…」

全権をぽいっと恭二にあげて、任せる。
キスから顔を浮かせると、俺の着ていたシャツのボタンを右手で外しながら、繋いでいた掌にまた唇を寄せる。
キスしたり、指の間を舌で舐められたり。
色っぽいその行動にぞくぞくして詰まった息が零れる。

「…手が好き?」

高揚してきた気分で尋ねると、恭二が微笑む。

「ああ。みのりさんの手、いい匂いするからな。いつも花弄ってるし、ハンドクリームも色々持ってるだろ。…今は特に甘い匂いがする」
「さっきハーブに水あげたからかな。窓際にあるやつ、名前覚えた?」
「…。…ミント?」
「うーん…。恭二にとってはどれもミントだねー」

突然いつもの恭二の顔に戻って、少し困惑したような顔で答える様子が可愛い。
あまり植物に詳しくない恭二の場合、花か葉っぱか何色かくらいの区別で、特にハーブはみんなひとまずミントになってしまうらしい。

「窓のもしゃもしゃしたやつはね、タイムっていうんだ。…ほら、いい匂いだろ?」
「…っ」

く…っと恭二の口に人差し指を、腹を上にして入れると、ちょっと驚いた顔をしてくれる。
少しむっとされて差し込まれた指を軽く噛まれたけど、その時も爪のところを噛んでくれたから皮膚のところより痛くは無いし、甘噛みだし。
こういうじゃれあいが楽しい。
指を舐められたりキスだけで興奮するような誰かとの関係は、正直久し振りだ。
まして自分が抱かれる側になるなんて夢にも思わなかったけど、恭二と相愛になってから何も言わなくても自然と役割は分けられたから、これでいいんだろうな。
恭二はいつだって本当に格好いい。
彼は「抱く側」で正解だ。
焦ったりちょっといじめてみたりしたくもあるけど、それは受ける側だってできる。
片手を口に添えて、ぽろぽろと唇から零れ出す小さな嬌声をぐっと呑み込む。
上半身が離れ、ベルトは元々家に帰ってきた時に外してあったけど、恭二が俺のパンツを下着ごと下げていく。

「っ…」

脚を腿から撫でるように下げていって、ちゅ、と片腿へキスされてびくりとする。
手でずり下げていく後を追うように、伝うように片脚をキスが追い、バサッ…!と片腕で後ろにそれらを投げ捨てると、片脚を取ってつま先にまでキスして手と同じように丁寧に舐め始めた。
風呂には勿論入ってあるけど、足の指の間まで完璧かと問われると流石に…。
足の指を舐められたのは初めてだ。
手と比べると刺激があれこれあることが少ないからか、ぴちゃぴちゃ脚舐められるとぞくぞくする。
快感に肩をあげながら、足下を見た。

「あ…恭二…。ちょっとそれ…き、きたなくない…?」
「そう思ったらやらない。…それに、みのりさん手よりも足の方が感じるみたいだから」
「…そ?」

自覚がなかったことを言われて少し気恥ずかしくなる。
自分が知らない自分のことを恭二が先に知っているというのは、かなり快感だし妙に嬉しい。
職業柄、たくさん手先を使ってたからかな…。
指先の刺激には比較的慣れているのかも。
カリ…とさっき指先を噛んだみたいに、脚の指先を甘噛みする。
随分落ち着いた視線を投げられて、一気に心臓が跳ねる。
持たれていた脚を下げ、ぐっと恭二が低く屈む。

「――」
「ん…!」

開いた口でまだ触れて無かった中心を咥えられ、堪らず声が出てしまう。
片手で口を押さえてみるけど、少し勃っていたそれを熱い口中で濡らされ、指先で握られれば抑えられなくて、びくびく震えながら指の隙間から声が零れていく。

「ふ…、わぁ~…」

…ああ。
気持ちいい…。
フェラは元々感じるんだけど、女の人じゃないから気遣ってくれてても結構遠慮無く強めだし、どうしても身構える。
ぞくぞくする。
布団の上で体を捻り、片手を下に伸ばして恭二の肩に添える。
目を瞑って、与えてくれる快感に体が緩んでいく。
すんごく気持ちいいのに、何故かどーしてもちらっと体に逃げが入る。

「は…。ん、ゃ…」
「……嫌か?」

うっかり「いや」と口にしてしまったらしくて、聞いていたらしい恭二が一度すぐに口を離す。
とろとろ零れた先走りが、握る恭二の指を濡らしているのが暗がりの中で見えた。
いやいやいや、嫌なわけないじゃないか。
言ってしまったのは自分だけれど、止めないでくれとじりじりする。
片手を口で押さえたまま、肘着いて上半身を少し起こす。
ぱさ…といつも結んでいる髪が肩に流れ、そういえば髪ゴム取ったんだっけと思い出す。
伝えたいことは決まってるのに、気持ちよくて、もやもや漂っている考えがすぐに言葉にまとまってくれない。

「あ、えっと…。そうじゃなくて…」
「…」
「っ…」

俺がもたもたしている間に、恭二は自分なりの解釈で咥えるのを止めてしまった。
あああ~、違うー!…と伝える前に、その代わりとばかりに片手で俺のものを握って、咥えるんじゃなくて側面に舌を這わせ始める。
女性の舌とは違う肉厚な熱が這い回り、頭の中が沸いてきてしまう。
結局、触ってもらえる方が断然に気持ちいいものだ。
この後何かあればそのままイってしまいそうになると、恭二がふいと体を浮かせた。
早速半分くらいぼーっとしてる俺の顎を取り、また唇を重ねる。
さっきまで俺の舐めてたわけだし、微妙な味がするはずなのに全然嫌じゃなくて、寧ろどろどろした感じが悪くないっていうのが恋の魔法だよね。
殆ど反射的に角度を合わせて舌を出す。

「は…。恭二……」
「みのりさん…、気持ちよさそうな顔してる」
「ん…。すごく気持ちいいよ…」

俺のものを擦ってくれている恭二の片手に片手を重ねる。
手を重ねるというそれだけで、気持ちよさがぐっと増した。

「…若いっすよね、ホント。勃つの早いし」
「はは…。そりゃ、恭二が好きだしね。今日は疲れてるのもあるし、それに経験はそれなりでもネコ側は恭二が初めてなんだから、そりゃ刺激には慣れないよ。全然違うもの」
「…? フェラはそれ関係なくないか? やってもらったことくらいあるだろ?」
「あるけど、無意識にやっぱりその先を期待しちゃうよね~。ここからが全然違うからさ、楽しみでわくわくしちゃうから感じやすいんだよ」
「…そすか」
「ていうか、"恭二が好き"の所には触れてくれないのかなー?」
「…。嬉しいよ」

人差し指を立てて短く振ると、恭二は少し照れたみたいで重ねていた手の指を絡めてくれた。
思わずくすりと口元が緩んでしまう。

「う~ん…。あとは俺、好きな人できると一人で抜くのちょっと耐えちゃうからかなぁ…。やっぱり二人で気持ちよくなった方がいいだろ? ついつい、ね」
「…」
「ん?」
「あ、いや…」

唇に遅れて、何だか思い出したように恭二が額や頬や耳へキスしてくる。
くすぐったいし、ふにゃふにゃとどんどん力が抜けていく。

「…綺麗っすね。いつも」
「ええ~? …あはは」

俺相手に「綺麗」はないだろうと思うけど、やっぱり言われれば嬉しいのは恭二だからだろう。
いかにもな褒め言葉が、耳にくすぐったい。
例え教わった技術だとしても、その技術を恭二なりに俺に使ってくれているのかと思えばそれで十分心が満たされる。
自然と笑みがこぼれた。
俺の顎を取ったまま、恭二もふっと笑う。

「セクシーショットとして公開したら、ファンが喜んでくれるんじゃないのか?」
「…」
「……うふぉふぇふ。ふふぃふぁふぇん」

こぼれた笑顔のまま、むにーっと片手で恭二の頬をつねる。
あっさり謝罪が来たけど…なるほど、確かに言われる方はむっとするものだね。
ぱちん、と指を離すと、恭二はつねられた方の頬を手で撫でた。

「恭二…。そーゆー意地悪なこと言わない。こんな顔や声、俺だって恭二だから見せてるんだから」
「いや、つーか…最初に言ったのはみのりさんじゃ…」
「俺はやっていいけど、恭二には似合わないよ。そこ、意外と大切なポイントだから覚えておいて」
「…一方的過ぎやしないか、それ」
「まあねえ…。けど、仕方ないよ」

堪らず、ついついびしっと人差し指を立ててしまう。
アイドル的"キャラクター"の話をここでつらつら続けたかったけど、流石にそれはね。
空気読まなさすぎだから、ぐっと我慢をしておく。
明日とか明後日に講習会をするとしよう。
とにかく、恭二はそういうキャラじゃないし、元々の性格が違うはずだ。
恭二には、恭二に似合う発言や行動がある。
つまり、すんっごく端的に分かりやすく言うと――。

「俺の王子様には、俺をべたべたに甘やかすことだけ考えてもらわないと」
「…」
「だろ?」

笑顔で言うと、黙って聞いていた恭二はやがてため息をついた。
一瞬の間を置いてから、俺の言葉を遮るように黙々と恭二が俺の片手を取って頬にキスすると、そのまま俺の後ろ腰に片腕を差し込む。

「…なら、甘やかしてやるから――」
「…!」

ぐっと腰を浮かされれば、自然と体がずり落ちる。
ぼふっ!…と頭を枕に落とし、再びベッドに仰向けに横たえられた。

「大人しくして、そろそろ……色気のある声聞かせてくれ」

 

 

 

俺の上で、俯いて陰る恭二が自分の右手の指を舐め、唾液を絡めていく。
その仕草をうっとりと見ていた。
何でもいいからとにかく早く、と思う気持ちと、このままもう数十分見ていたい、という気持ちが葛藤して落ち着かない。
男同士だから流石にローションを使わないってわけにはいかないけど、前に「あんまり中に入ると感覚が気持ち悪い」と言ったことをこれまたずっと気にしてくれているのか、以降は最低限のローションにしてくれているのは勿論分かっている。
可能ならローションよりも恭二の唾液の方がいい……とかいうと、流石に変態くさいからなー。
言葉にして伝えてはいないし気づかないふりしてるけど、どのみち嬉しいことだ。
濡れた指が、脚の間に進んで入り口に触れる。
人差し指が僅かに侵入し、びくっとまた肩が跳ねた。

「っ…! あ…」

浅く中を探られる。
やたらめったら体を重ねているような日々じゃないから、それだけでちょっときついくらいだ。
緩めなきゃいけないのは分かっているけど、気持ちよくて、指の輪郭を感じたくて、ついつい締めてしまう。

「ふっ…。ん、ア……」
「…」

アナルへの刺激だけで震えるくらいなのに、口を押さえていた右の手首をぐんっと掴まれ、顔の横でシーツに押さえつけられてしまった。
たまたまそこに枕の端があったから、手持ちぶさたに自然とその場所を握る。
快感を霧散させてみようとしたけど、覆い被さる恭二が、後ろを解しながら左の胸に顔を寄せ、強く吸った。
ビリッといきなり上半身に刺激が来て、四肢が跳ねる。

「っ…。ぁ、あ、待っ…」

集中がどっちへ向かっていいのか分からなくて、ただただびくびくするばかりだ。
胸の凹凸を舌で嬲られて、そんなところは今まで性感帯でも何でもなかったはずなのに、恭二に触れられるだけで胸や手首や、髪の先まで感じてしまう。
少しずつ指が深くなっていく。
…うああ。
どうしよう…。
前途ありすぎる恭二を、こんなところで俺なんかが掴まえていていいのかな…。
けど触れてると、痛いくらい自分が恭二のことを好きなんだなって再認識してしまう。

「…」

熱が体の中を感情がぐるぐる暴れてどうしようもない。
捕まってない左の手を持ち上げて、恭二の背中に回す。
右手は捕まってるから、片脚を閉じてぎゅ…!と何も考えず抱きついた。
俺の胸から体を浮かせ、恭二がキスしてくれる。
甘すぎて笑っちゃうくらい丁寧に。
泣き黒子と、涼やかだけどどことなくおっとりしている目元が、やっぱりすごく格好いい。

「は…。ぁ、恭二…」
「ああ…。……なに?」
「すき…」

唇が離れたばっかりなのに名残惜しくて、ぽろ…と零れるみたいに呟いてからもう一度俺からした。
舌を合わせる前から、ぴく…と恭二が一瞬だけ小さく震えたのが分かった。
いつもはクールな恭二に動揺が走ったのが手に取るように分かる。
今の言葉が嬉しかったとしたら、俺もすごく嬉しいし、よっし…!という気分にも正直なる。
俺だけやられっぱなしっていうのはちょっとね。
少しくらい焦ってもらいたいものだ。

「…みのりさん。……いい?」
「んー…?」
「挿れたい」

低く耳に囁かれれば、二つ返事でOKしてしまいそうになる。
ていうかもう、本当に「お好きにどうぞ」状態なんだけど…。
けど、そこは年上のプライドってやつで、一瞬敢えて止まってみた。
…といっても、数秒だけど。
対峙してみれば分かると思うけど、恭二相手だと拒否るのなんてそう上手くはいかないものだよ。

「…いいよ。顔、見せてね」

という俺の言葉で、正常位が確定する。
放っておくと恭二は負担を考えてバックにすることが多いけど、多少辛くても正面の方が俺は好きだ。
横でもいいんだけど…そうすると俺がどうしてもシーツや腕の方に顔を逃がしちゃうんだよな。
恭二も脱げばいいのに、穿いているパンツの前を寛げ、軽くずらすくらいだ。
体がくっついているから、下半身を見ている余裕があまりないんだけど、それでも十分硬くなっているそれが、解してくれていたアナルに宛がわれる。

「…力抜いて」
「…っ」

枕を握っている右手を強める。
唾液とローションの濡れが手伝って、少しずつ恭二と繋がっていく。
体の内側を押し進められていく最初の感覚は……やっぱりちょっと独特だ。

「んッ…、んぅ、っ…」

今一瞬のことだって分かってるけど、貧血の時みたいに目がちかちかして、腰に力が入らない。
ただ、中に恭二のものが挿っていって、硬くて熱いのは分かる。
圧迫感と高揚感と快感と嬉しさで、どうしても目尻に涙が溜まる。
まるで、それこそ注射を我慢する強張りに近い。
自分も大概酷い顔をしているとは思うけど――。
荒い呼吸を繰り返しながら、いつの間にか伏せていた瞼をゆっくり開く。

「――…っ」

薄暗い寝室の中、小さな照明だけをバックにした恭二の顔がすぐ近くにある。
汗で湿った首の上で、熱っぽい瞳で妙に真摯に見詰める表情が――本当に、吸い込まれそうな程格好いい。
ああ…。
こんな顔するんだー…って、これが見られるの俺だけなんだ…って思う。
思わず、ふふ…とおかしくなってふにゃふにゃ笑ってしまう。
…馴染むのには少し時間がかかる。
気長に待つのは恭二の優しさだろうけど、同じ男だからこそよくここで待てるなといっそ感動する。
逆だったら、俺とか絶対止まらないと思うしね。
たまには少し乱暴でもいいんだけどなと思うけど…。
すぐ動いてもいいけど、こうやって静かにしているのも繋がってることを実感できて好きだな。
今まで…当然抱く側だったわけだけど…あまりこの状態で止まったような相手はいなかったような気がする。

「……辛いか?」
「は…。…ふあぁ~……。…んーん。へーき、だよ…」
「いやキツそうだろ…。だからバックの方がいいっていつも――」
「恭二の顔が見たいからねー…。これでいーの」
「いーの、って…。見飽きるレベルで一緒にいるだろ…」
「へ~ぇ? 恭二は俺の顔なんて見たくない、と」
「言ってないから。…そりゃ、顔見られた方が嬉しいことは嬉しいが…」
「じゃあいいじゃない。ね? ぎゅってできるし。俺これが好きなんだよ」
「まあ、みのりさんがいいなら…」
「大好きホールドもできるだろ?」
「…? 何だ、それ」
「こぉ、れ…!」
「…!」

ぎゅむっと抱きつき、両足で恭二の腰を掴まえる。
一瞬びくっとしてから、遅れて恭二が呆れたような顔で俺を見下ろした。
俺の足に片手をかけて外しにかかる。
けど、耳の赤い色がちょっと増したことにすぐ気づけたから、思わずくすりと笑ってしまった。

「いやこれ…動けないから」
「あははっ」
「…髪食ってるぞ」

俺の顔にかかっていた髪を、恭二が撫でて横に流してくれる。
お礼に、下から頬を撫でて泣き黒子を指先でトンと突くと、逃げるみたいに一度顔をそらした。
そんなところも、可愛くて格好いい。
心がふわふわする。
何でもあげたくなってしまう。
少なくとも、恭二の為に体を暴かれるくらい簡単にできちゃったわけだし。

「すきだよ…。恭二」
「……俺も。みのりさんが好きだ」
「よかった。…ね、気持ちいい?」
「…何だ。まだ心配してたのか?」

困ったような顔で恭二が笑って、掴まれていた手首を解かれ、代わりに指先を絡め合わせる。

「辛いだろ。…ありがとう。すごく気持ちいい。…ここからは、俺がみのりさんをよくするから」
「おお…。もっとよくしてくれるの?」

もう十分過ぎるくらい気持ちいいんだけど。
いっそイキたくないかもしれない。終わっちゃうじゃないか。
…って、何回でもやればいいだけなんだけどさ。
けど敢えて意地悪く聞いてみると、ふと恭二がキスの直前で止まって大人びた表情で笑った。

「してやる。――ぶっとんだみのりさんは可愛い」
「…っ!」

ぶわっ…!と激情が体から溢れて一瞬声が飛んだ。
もう十数回目になりそうな「格好いい…!」の言葉を口にする前に、ばくっと唇が上から塞がれる。
何かもうどうでもいい。
ホントどうでもいい。全部恭二のものだ。
以降もリードはお任せすることにしよう。
大体、ぎゅっと指を絡めた手を握り合わせ、頭上から強いけど労るようなキスをされてしまえば、たぶんもう何されたって怒れないし抵抗する気なんて起きないんだから。
甘い蜂蜜瓶の中にどぷんと落とされるみたいだなぁ…と思いながら、恭二の背中を抱いて肩に顎を乗せると、黙って目を伏せた。

 

 

 

 

 

 

「…平気っすか?」
「お…。ありがとー」

事が終わると体力なんて殆ど無い。
両方体験してみて分かったけど、妙な体位でやらない限りはやる方よりやられるが疲れるんだよな…。
声出るし快感が強いからな。
幸せ疲れだからいいんだけどね。
あれこれ振り返るだけでまた勃ちそうだから、なるべく行為の最中のことは思い出さないように気をつけながらぐでーっとベッドに横たわるだけで今にも二度寝で爆睡してしまいそうな俺に、グラス一杯のミネラルウォーターを差し出してくれた恭二がベッドに戻ってくる。
受け取って、半身を起こすとベッドヘッドに寄りかかって布団の中で足を伸ばした。
一口飲むと喉が渇いていることを思い出して、一気に半分近く飲んでしまう。
いつも後処理任せちゃって悪いなとは思うけど、目が覚めると大体やってくれちゃっているし、恭二は起きてることが多い。
今も上は着ていないけど、下はパンツまで穿いているし。
けど、あの王子様オーラは幾分抜けているみたいで、いつもの少し気怠げな恭二だ。
どっちも大好きだから、全然問題ない。

「平気だよ。久しぶりだから、すごく嬉しかったし。ちょっとはしゃいじゃったねー。でも、これで明日からまた頑張れるね」
「…。少し無茶だったか…?」

指先で軽く頬を掻きながらバツが悪そうに言う恭二に、グラスから口を離す。

「恭二、気持ちよくなかった?」
「は? …いや、まさか」
「じゃあ問題無し、だね」
「…」
「…可愛かった?」
「え? ぁ…」

まだちょっと何かを気にしているらしい恭二に、へらっと笑顔で聞いてみる。
やられたのは俺の方なのに、何故か一気にしどろもどろになった恭二が目を伏せ、ぽつりと呟く。

「まあ、そりゃ…。……かなり可愛かった」
「それはようございました。恭二も本当に格好良かったし、それに気持ちよかったよ。あ~も~…幸せだねー」
「ああ…」
「また近いうちにだな」
「…そうだな。今日みたいに、ピエールが俺たちより早めに帰る日な。…まだ明け方だから、みのりさんもう少し寝た方がいい。アラームはかけてあるから。シャワーは起きてからでいいだろ。ざっくり拭いたし」
「ありがとう。実はちょっともう寝そう…」

再びグラスに口を付けて俺が飲み終わると、ひょいとそれを取り上げてベッドヘッドへ置いてくれる。
それとなくまた横になるようにされて、布団をかけられてしまった。
これは恋人にというよりは、まるで子供にそうするみたいだな……とか思いつつ、有り難く布団の中で丸くなる。

「恭二は寝ないの?」
「寝る」

どこか行っちゃうのかと思ったけど、ばさっと布団の端を開いて恭二も隣に横になった。
殆ど反射的にその片腕に両手を添えて抱きつくと、ぎょっとした様子で恭二は身を引く。

「…♪」
「え…。何だ…?」
「ん? いやほら。何ならもう一回くらいやってもいいよね」
「は? …いや、いいって。もう疲れてるだろ。明日……ていうか、今日に響くぞ」

ずばりと言われるとちょっと傷つくな…。
確かに疲れてはいるけど、ライブの疲れとセックスの疲れは全然別物なのに。
それに今日は挨拶回りと反省会だろうし。
…とはいえ、確かに明日に支障が出るのは良くないか。
加減は知っておかないとね。
俺はいいけど、恭二が足りなかったんじゃないかなー…と思ったんだけど、どうやらこれ以上やる気はなさそうだ。
はあ…。本当に感心するなー。
俺が二十歳の頃は――…って、いやいや、止めよう。
心は永遠の十七歳、だもんな。
ちょっと寂しい気がするけど、押しつけはよくない。
恭二のペースを大切にしたいし、気遣ってくれる気持ちは素直に受け取りたい。
…なんて、ホントはもうちょっとべたべたしたいんだけど。
許される範囲を見当付けて、少し考えてからぼんやり言ってみる。

「うーん…。じゃあ、くっついて寝ようかなー」
「何歳児っすか…。ホント、そーゆーとこ意外っつーか何つーか…」
「おっと。こういうのはいや? だったら離れるけど?」
「…。分かってて言ってるよな?」
「その返しができるってことは、恭二も分かってて言ってるんだろ」
「……」

実に面倒くさそうに、のそり恭二が横向きになると俺の後ろ腰に手を添えて引き寄せてくれた。

「…嬉しいに決まってるだろ。可愛いよ」
「そうでしょう?」
「ああ。だから困るんだろ」
「別に4Rだろうが5Rだろうがいいじゃない。恭二は若いんだしさ。本当はまだまだ元気だろ?」
「それやって前にみのりさん立てなくなっただろ。がっつかせないでくれ。俺だって多少は格好つけたいんだから。…焦ることないはずだろ。また何度でも機会はある」

腕の中に入れてもらえてそれこそ甘い声で囁いてもらえて、またふにゃふにゃ顔が緩む。
今まで人並みに恋愛はしたことがあるつもりだし、その時その時の相手のことは真剣に好きだったけど、不思議と恭二と一緒だと何処までもバカップルまがいのことができちゃいそうで怖い。
いい歳して、あんまり痛々しいのもなー…とは思うけど、もっともっととその腕に飛び込んで行きたくなるのはやっぱり抱かれる立場になったからなのかな。
向き合っている俺の顔に横髪が垂れているのに気づいたのか、片手が伸びてきて、つい…と髪を耳にかけてくれた。
リアル王子に自然と笑いかける。

「ありがと」
「どういたしまして」
「おやすみ、恭二」
「…ああ。おやすみなさい」
「大好きだよ」
「…」

ぎく…と、一瞬ほんの少し恭二が固まる。
何とも言えない顔の後、はあ…と何かをはき出すように息を吐いた。

「…俺もです。…おやすみなさい、みのりさん。また明日」

俺の笑みにつられるように、恭二も少し笑ってキスしてくれた。
追って左目の泣き黒子の所にキスしてから、そのままこてんと恭二の片腕に頭を落とす。
布団の中で足を絡めて、目の前の体温にすがって何の心配もなく瞼を伏せる。
恭二がいいって言ったら、明日事務所に行く前にたこ焼き器往き道で買ってこようっと。
ピエールに見せてあげたら喜ぶだろうな。
三人でたこ焼きパーティする計画をさっそく立てながら眠りの中へ落ちていく。


sweet sweet night




少し経ってからの額へのキスは気づかないふりをしてあげた。
やり返すとまた始まっちゃうからね。
自粛自粛。


 


 





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