聞き慣れた、耳に気持ちいいフラッシュ音と飛び交ういくつかの活気のある声。
一口に「撮影」って言ったって種類は色々あるもんだが、今日は比較的デカめの撮影だ。
大きいスタジオを一つ借りて、同じグループ系列のブランドやらCMやらの撮影が三社別ブース造って、撮って次、撮って次ってやつだ。
三ブースあるから、それぞれに全く別のスタッフと準備があって、それぞれに衣装が複数ある。
翔太なんかは途中から飽きるらしくて苦手だとか言ってるが……確かに時間は取られるが、効率よく一気に撮影できるし、何より人が多けりゃそれだけ活気があって俺は好きだ。
あんまり求められるイメージに格差があると切り替えが少しだけ難しいが、今回はそこまでかけ離れてるもんでもねえし、もし難しかったとしても、仕事だ。やれって言われたら完璧にやってやるぜ!
白いバックペーパーの前でいくつかのポーズを撮影してもらって、カメラマンが片手を上げたところで、その隣にいたスタッフが俺に向かって声を張り上げた。

「ハイッ、オッケーでーす!」
「ふう…。…ありがとうございました!」

その声に、ほっと体と表情から力を抜く。
撮影中はそんなに力んでるつもりはねえんだが、こうして終わると一気に体が楽になるってことは、やっぱ力が入ってるんだろうな。
二ブース目ってのもあるが、ずっと体幹に力を入れていたせいで、腹筋が微妙にぴくぴくしてる感じがする。
…休憩中に少し解しておかねえと、三ブース目が辛いな。
柔軟とマッサージしておかねえと。
終了の合図と共にすぐに傍に来てくれるスタッフが、持っていた小道具や壊れやすいような小物をてきぱきと外してくれる。

「天ヶ瀬さん、Bスタ終わりましたー!お疲れさまでーす!!」
「ありがとうございました!」
「お疲れさまでーす」「素敵でしたよ」
「お疲れっすー」「天ヶ瀬さん、こちらどうぞ」
「はいっ、ありがとうございます!」

上着だけ脱がせてもらって手渡してから、バックペーパーの上から離れる。
機械が並んでいる長テーブルへ小走りで近寄って、今撮った画像を確認してもらおうとカメラマンの篠原さんへ声をかける。

「篠原さんっ、どうっすか?」
「んー? そりゃ悪かねえよ。誰が撮ってると思ってんだ」

今日は昔なじみのカメラマンとスタッフってのもあって、パソコンの画面で確認しているのを、横に並んで覗き込ませてもらった。
さっき撮影したいくつかが、画面に並んでいる。
正直、俺には殆ど同じに見えるが、プロの目から見るとやっぱ違うんだろうな。
今回は推したい商品メインでどうこうっていう撮影じゃないから、マジで自由にやらせてもらった感じだから、少し心配だったんだが…。

「何か要望あったら言ってください。今日、篠原さんにしてはスムーズっつーか、ちょっと早ぇ感じがしてるんすけど」
「そーなんだよな~…。久し振りにJupiterに会うから、またハワイの時みたいにちょいといじめてやるかーと思ってたんだがな~。…しっかし、キメ顔以外も上手くなったな、冬馬」
「へへっ。そーっすか?」
「おう。柔らかさがちゃんと写ってるぜ。元々、お前はレンズ向けない時の方が可愛げがあったけどな。撮影に入ると無駄に顔が整ってる分、似たり寄ったりの顔でなかなかその可愛げが入ってこなかったが…。それが少しずつ出てるってのは、リラックスできてるんだろうよ。…まあ、今の事務所が合ってるみたいで、よかったじゃねーか」
「はいっ。すげーいいっすよ!プロデューサーも熱い男だしな!」
「315プロっていやぁ天下のJupiter一本綱かと思ったら、他のユニットも結構売り出してるし…。ふーん…。あの優男がねえ」

ちらり…と、篠原さんが休憩ブースの方を見る。
それは俺も最初思ったことがあったし、思わず小さく笑った。
長テーブルいくつかくっつけてる所に翔太と座っているプロデューサーは、完全まったりモードだ。
翔太はともかく、プロデューサーも結構マイペースっつーか、何処に行っても"あの人"って感じだからな。器でけえっちゃでけえよな。
また俺の方を見ると、篠原さんがにやりと笑う。

「まあ、Jupiterとまた仕事できて、俺も嬉しいよ。頑張れよ」
「へへっ。ありがとうございます!」

ごつん、と何気ない調子で拳を合わせる。

「さて、と。冬馬は終わったし、次は…」
「…?」

合わせたところで、ふいと篠原さんが今度は隣のブースへ視線を投げた。
そっちでは、俺の一つ後ズレで、北斗が撮影に入っている。
別ブースなんで、俺の今着ている衣装とはまたがらりと違う雰囲気のものだが、さっきまで俺が着ていたものと同じイメージだが北斗用デザインの、クリスマスを意識した衣装だ。
…まだまだ先だろって話なんだが、ここからはクリスマスと正月の撮影や仕事が増えるんだろうな。
撮影されている北斗の周りに、女性スタッフと……何つーか、中性的なっつーか……一部の男性のスタッフが妙に多い。
ま、いつものことだけどな。

「北斗がどうかしたんすか?」
「ん? …あー、いや。次、北斗が俺ん所来るだろ? アイツ調子がいいみたいでな。…ほら。さっきから女どもの熱い視線とアピールオーラがうるせえだろ? ちょっと楽しみなんだよな」
「へえ…。じゃあ、俺も待ちの時アイツのデータ見せてもらうかな。篠原さんが撮ったの、あっちのタブレットで見られるっすよね?」
「お前さんトコのプロデューサーに今日渡してあるやつなら、三社分全部作業画面とデータが見られるはずだぞ」
「よっしゃ!…じゃあ、俺も篠原さんが撮るやつ、楽しみにしてるんで!お疲れさまです!」
「おーう。また一緒にやろうな」

片手をあげて篠原さんと別れ、端の方にある休憩スペースへ行く。
そこには、さっき見たとおり撮影待ちの翔太が飲み物を傍に置いて座っていたが、さっきまでいたプロデューサーは目を離した隙にいなくなっていた。
翔太の隣のイスを引いて座りながら、声をかける。

「冬馬君おつかれ~」
「おう。サンキュ。…プロデューサーはどうした?」
「電話入ったみたいで、出て行ったよ」
「そうか。…あ、なあ。それ、プロデューサーが持ってたタブレットだろ?」

テーブルの上に、翔太が横倒ししているタブレットを見つけ、横から覗き込む。
画面には、今さっき俺が終わった撮影の画像が並んでいた。
指で触れていくつかを流しながら、翔太がまるで自分の便利ツールを披露するみたいに、得意気に俺に画面を示す。

「そうだよ。全部見られるみたいで、便利だよね。…それにしても冬馬君、篠原さんにしては早く終わったね~」
「だろ?」
「でもさー、今日ちょっと甘さが強くない? いつももっとキメ顔強いのに。いいのかなー?」
「そうらしいな。意識してねえけど。けど、今日はそこがいいって言われたぜ。…なあ、次それ貸せよ」
「いいよ。僕そろそろ撮影入るだろうし。今の写真確認するの?」
「いや、ちょっと北斗のデータが見たくてよ」

珍しく素直にタブレットを差し出した翔太から受け取り、カラー別で分かりやすいツールを手早く操作して、今日の北斗のデータを取り出す。
別に説明を受けたわけじゃねえが、感覚で操作してすぐに取り出せた。
ぱっ…と、画面に北斗の今日の撮影画像が並ぶ。
喜怒哀楽から怒だけを抜かした色々な表情とポーズの北斗が、上半身だったり全身だったり、小物があったりなかったりで色々なバリエーションで写る。
元にモデルの経験があるからか、Jupiterの中で静止画の時に映えるのは、たぶん北斗が一番だ。
男の俺から見ても、やっぱカッケーと思う所は多い。
特に、腹筋が結構しっかり割れてるし、あと太股の筋が男らしくて憧れる。
なんっかアイツ、意外と筋肉あるよな。
インナーマッスルがどうとかって言ってるが、表面も割れてんじゃねーか。俺もシックスパック欲しい。
…いや、あるんだが、こう……筋が薄いっつーか。
俺もこれくらい付けてーなと、北斗の腹筋見る度に思う。
横から俺の肩に手をかけ、ひょいと翔太も覗き込んできた。

「北斗君がどうかしたの?」
「篠原さん曰く、今日アイツ調子がよさそうなんだとよ」
「あー。何かAブースいつもより騒がしいもんね~。お姉さんたちも集まってるし。僕、北斗君の前がよかった~」
「アイツ、腹筋あるから脱いでも様になるからいいよな」
「ねー。カッコイイよね。北斗君の下着のブランドのポスター見た? フードパーカー着てるやつ」
「見た。ボクサーみてえで格好いいよな!俺も腹筋割りてえぜ。できれば、北斗よりもっとバキバキに割りてえな」
「え~。僕はまだいいかな~。けど、僕も北斗君くらいになったら鍛えようかな」
「お前もう結構硬ぇだろ」

タブレットから一度顔を上げて、丁度ヘソ出してる衣装だし、隣にいる翔太の腹を触る。
確かに表面はぷにぷにしてそうに見えるが、皮膚のすぐ下に硬さがあるのは触ればすぐに分かる。
バキバキに割れてこそいねえが、線はある。ひょっとすると俺よりあるかもしれねえ。

「そりゃダンスは僕が一番動くしね。アクロバットな動きも多いし。でもさー、インナーはあるけど、見た目そんなに割れてないんだもん。冬馬君はどーだっけ~?」
「めくんなっ!」

横から翔太が両腕を伸ばして、俺のインナーの腹をばっと捲り出す。
インナーの内側に手を入れられてべたべた触られ、くすぐったくなってタブレットをテーブルの上に放置した。
イスの上で背中を丸めて翔太に背を向けたが、更に腕が後ろから回って腹をくすぐる。

「おいっ、止めろって…!ばっ……おいっ!くすっ…くすぐってえだろ!!」
「わははははーっ、こちょこちょこちょ~!」
「テメ、翔…うわっ!?」
「あははは!ほーんと冬馬君ってくすぐったがり~!」
「~っ…! や…めろ!!」
「あ、逃げたー」
「逃げてねえ!」

いつの間にか腹だけじゃなくて、背中の背骨を指で触られたり、脇腹くすぐられたりするんで、思わず立ち上がって距離を取る。
逃げてねえよ!くすぐる意味が分かんねーだろ!?
ぜーはー言いながらめくれた腹の服を直して、後ろ髪を一度片手で払ってから、はあっと一度息を吐いた。
…ったく!
片頬杖をついて面白そうに笑っている翔太に舌打ちして、立ったまままたテーブルへ近づくと、トンッとタブレットの傍に片手を着いた。

「とにかく…!北斗のデキがいいんなら、参考にしねえとなって話だよ!特にお前、今から入るんだからよく見とけよな」
「冬馬君はそうかもだけど、北斗君と僕じゃ魅せ方違うし、参考になるかなー?」
「なるところはなるだろ。この間のファッションブランドのグラビアの時も、すげー褒められたってプロデューサー言ってなかったか? アイツ最近調子いいよな。何かいい事でもあったか?」

顔を上げて、距離のある北斗の方を見る。
Aブースでの撮影が終わったのか、Bとの間にある臨時の着替え室に丁度向かっているところだったが、ぐるっとカーテンで区切られているそのスペースに入っていく北斗に、また何人かの女性スタッフや例のカメラマンさんが名残惜しそうに手を振っているのが見えた。
…で、その数秒間、突然場が静かに感じて、翔太へ視線を戻す。

「…ん?」
「…」

今までべらべら喋ってはしゃいでいた翔太が、半眼で、妙に呆れた顔をしていた。
数秒見つめ合ったと思ったら、ふぃ~…とこれ見よがしな息を吐く。
よく分からねえが、むっとして眉を寄せながら聞いた。

「何だよ、その顔」
「別にぃ~。…けど、北斗君が調子いい理由、僕分かるかもよ。教えてあげようか?」
「へえ…。何だ? 新しいトレーニングでも入れてたか?」
「じゃなくて、可愛い恋人ができたからでしょ」
「こ…」

言われた瞬間、ビッ…!と体が固まった。
…。
こ…い、び……。
テーブルに片手を着いたままでいる俺の傍で、翔太がまたまた息を吐く。

「自覚なさすぎ」
「……」
「あ、あんまり汗かいちゃダメだよ? 衣装着てるんだから。…ていうか、もーそんなんじゃさ~、進展も高が知れてる感じだよね。大丈夫なの?」
「っ…、おい…!」

信じられねえくらい堂々と話し出す翔太に一瞬遅れて慌てて、隣のイスに勢いよく座ると同時に顔を詰めた。
声を抑えて、けど勢いそのままに詰め寄る。

「おま…っ。こんな場所でそういうこと言うなよ…っ」
「僕の言葉より、冬馬君のその反応の方がずっと危険だよ。このくらいさらーっとスルーできなきゃ、これから先大変だよ?」
「お前が言わなきゃ反応なんてしねえだろ!?」
「じゃあもう少し自覚したら? 冬馬君が何で?って聞いたから、教えてあげただけなのにさ」

テーブルに両腕を重ね、そこに右頬をくっつけて翔太が伏せた。
男にしては丸くて大きな目が、上目に俺を見上げてくる。

「けど、今のでその反応ってことは、"案外隠すの上手"って感じじゃなさそうだし…。てことは、本当に大してそれっぽいことしてないんでしょ」
「ど、どうでもいいだろ…。ほっとけよ…」
「はー…。……北斗君かわいそうっ!」
「はあ…!? いやっ、何でだよ!?」

わざとらしく、翔太がバッ…!と腕の中に顔を埋めて泣き真似をし出す。
突然落ち込みモーションに入った翔太に周囲の何人かのスタッフが一瞬本気にしたみたいだったが、隣で俺が言うと、すぐに冗談だと分かったらしく、ほっと安心したような顔をしてそれぞれの仕事に戻って行く。
こういう人が多い場所だと、何だかんだで一番年下の翔太が色んな人に気を使ってもらえるし、常に誰かが見守ってるって感じだ。
些細なことで注目されるし、コイツの一言ですぐに大人が動く。
翔太の言動に内心かなり焦りながら、スタッフさんたちが動き出したのを見てほっとして、再び顔を寄せて翔太に小声を向けた。
顔が熱い。
…くそ。何で翔太にこんな言い訳じみたこと言わなきゃなんねーんだ!

「べ、別に…可哀想じゃねえだろ。気持ちは通じ合ってんだし、俺は男だぞ? ど、どう…どう、こう…ていうか……何か、ホラ…。女の人相手とは違ぇし!それと、その……同じことしてえって気持ちだって、普通に考えて、ねえだろ?」
「…。ねえ、それ本気で言ってる?」
「あ?」

ゆっくり体を起こして、改めて翔太が片頬杖をつく。
けど、さっきみたいに冗談とかなじゃく、妙に大人びた冷静な表情をするから、ぐっと言葉が詰まった。
…え?
何か変なこと言ったか?
この手の話が苦手なせいで一瞬躊躇った隙に、翔太が目を伏せて眉を寄せた。

「それはどうなのかなぁ…。僕、好きな子とはできる限りずっとくっついていたいけどなー。ちょっと離れたら会いたくなるし、他の人と話してると割り込んで行きたくなるよ。もっと色んな顔が見たいし、色んな姿を知りたくって我慢できないと思うけどな。ぺたぺたでもぎゅーでもさ、好きな人に触ってると、それだけですごく気持ちいいし、たったそれだけで気分も浮くもん。安心できるっていうかさ」
「き、気持…」
「そういうのってさ、男の人とか女の人とか、関係ないんじゃない? 全身でぎゅ~ってハグしたいし、キスだってそれ以上のことだって、普通にした――…ふぶっ!」
「お前ちょっと黙れって!!」

聞いてらんなくて、がばっと横から首を絞めるみたいにして翔太の口を片腕で塞いだ。
こ、こいつは…っ!
俺の腕の下で、翔太がもごもご非難の声を上げる。

「ふぉっふぉー!ふぉふ、ふぉふぇふぁあ ふぁふふぇーふぁほふぃー!」
「お前がうるせーからだろ!」

また周りのスタッフが何人か振り返ったが、今度は俺らがはしゃいでると思ったのか、にこにこしてすぐにまた視線を外してくれた、が……くそっ、一々やりにくいな!
俺に口を押さえられていた翔太だが、口を押さえていた俺の腕に両手を添えると、やがて腕を下にずらして顔を出した。
俺の腕を首に引っかけたまま、翔太が自分の後ろ髪を気にして髪を梳く。

「ぷはっ…!あぁ~。髪ぐちゃぐちゃだよ~!」
「そんな触ってねえし大して変わんねーよ!」
「もー。…でもさぁ、冬馬君。荒れる前に、ちょっと本気で考えた方がいいんじゃない? それ」
「あぁ?」
「話聞いてるとさ、今の冬馬君の気持ちって、僕でも知ってる"好き"じゃない違う感じがするー。弱いっていうか、ぬるいっていうかさ…。全然平気ってことでしょ? 好きな人がそこにいるのに、自分からくっついたり触ったりしたくならないって、なかなか冷めてる方だと思うよ。冬馬君のそれって、何だか普通の好きっぽいなぁ。…そのままでいいの? 好きって気持ちは、行動で表さなきゃ伝わらないよ? 見えないもん」
「…」
「てーことはぁ…。冬馬君は今のとこ、相手に触りたいなーとかは思わないんだ?」
「………あ、あんまり」
「…。ふぅん…」

一瞬、何かを考えるように翔太が大人しくなる。
…さ、触りたい?
…。
いや、やっぱそんなに考えたことねえな…。
そういや、北斗は確かにベタベタしてくるが……それは元からそういう感じがあった。
意味なく人の頭を撫でたり、何気なく肩を抱いたり、撮影中に頬や額にキスされてキレたこともある。
けど、それはかなり前からだ。
第一、そう言ってる翔太なんてそれこそ引っ付き癖が強い。
こいつもこいつで、いつもいつもいぃーっつも、意味ねえタイミングで抱きついて来たり、挨拶代わりに後ろから突然背中に飛びついて来たり、必要ねえのに腕にくっついてきたりなんてザラにある。
翔太や北斗が好きな奴にそうだってだけで、俺や他の奴らが同じようになるかっていったら、そんなの分からねえ……よな?
妙にどぎまぎしながら翔太の反応を待っていると、くん、と翔太が不意に顎を上げて俺を見上げた。

「ねえ、冬馬君。そもそも論になっちゃうけどさ――」

澄んだ丸い目に、俺が映る。

「もしかして、冬馬君のそれって、"恋"じゃないんじゃない?」
「…」

ひく…と、喉が震えた。
……。
こ――…。

 

 

 

 

「――恋だろっっっ!!?」

ダンッ…!と勢いよく振った拳の側面で、玄関と廊下の電気を付ける。
家に帰って第一声。
「ただいま」よりも、仕事中ずっと口にできなかった言葉が飛び出てきて、殆ど叫んだ。
殆ど反射的に片腕伸ばしてロックして、もう片方の手で持っていたキーをいつものシューズ棚の上に、バンッ!と置いた。
苛々しながら、往復の時に着けてるニット帽と伊達眼鏡を片手で乱暴に取ってぐっと握り、リビングを目指し、短い廊下を大股で歩く。

「くそっ、翔太の奴…!何が"恋じゃないんじゃない?"だよ!? 自分だって恋バナなんて全然縁ねえくせしやがって!!」

いつもは棚にちゃんと置くが、機嫌悪ぃ時の癖で、今夜はリビングのソファにそれらを思いっきり叩き付けた。
ぽん、と少し眼鏡が跳ねた程度で大して音らしい音もせず静まりかえる室内が静かすぎて、一呼吸すれば一気に冷静になってくる。

「…。ちっ…」

舌打ちして、片手で前髪を後ろに掻き上げた。
…違うだろ。
翔太が悪いんじゃねえことは、分かってる。
いや、口では翔太に悪態ついてる感じになってるが、翔太"が"じゃねえんだ。苛ついてんのは。
アイツが生意気なのはいつものことだし、ストレートな意見は飾ってねえから嫌いじゃねえ。
上っ面の意見ばっか言う奴の、何百倍もマシだし信用できる。
今日のことだって、俺らのことを知ってるアイツはアイツで、心配して自分の意見を言っただけた。
あと知ってるのはプロデューサーだけだし、ああいうことを言えるのは自分だけだって分かってるから、翔太だって俺に話を振ってきたんだろう。
でもじゃあ、どうして俺はあそこでそう言うあいつに、速攻で「そんなわけねえだろ!」と返せなかったんだ?…って話だ。

「…くそ」

呟いて、ソファにどかりと腰を下ろす。
八つ当たりだ。
分かってる。
翔太にそう言われて不愉快に思ったのなら、あの場で言い返せばよかったんだ。
それができねえくせに、後で文句言う資格なんかねえ。

「…」

バツが悪くなり、片腕を目元のすぐ上に添えて何もない天井を見上げる。
…今でこそ落ち着いてきたが、今日一日、言われてからずっと頭の中で翔太の声が反芻しまくった。
その後の記憶が薄いくらいだ。
そんな状態が勿論仕事にいいはずないから、最後のブースはやたら時間がかかった。
結局、カメラマンの人はいいって言ってくれたが、篠原さんがよく言う"キメ顔"になっちまってんだろうなっていうのは、自分でも分かったくらいだ。
心がカメラの向こうのに向いてねえっつーか、集中できてねえっつーか…。
後ろに二人の撮影が控えていたし、俺にだけ時間が取れねえのは分かってはいたが、不完全燃焼でそれでも悔しい。

「…メシ作るか」

はー…ともう腹の中の息を出し切ってから、立ち上がって少し投げやりにスマホを拾い、電源を落として充電器に繋げる。
歩きながらアウターのジップを下ろして適当にハンガーにかけ、代わりに、すぐ傍に畳んである黒いエプロンを取ると、首に通しながらキッチンへ向かった。
両手を洗って、殆ど無意識に冷蔵庫を開ける。
家族が他に家にいるわけじゃねえから、中身が勝手に増えてるってことはねえわけだが、実際こうして開けて見た方が、メニューは決めやすい。
この間、休みん時に一週間のメニュー決めっぱぐったからな…。
今週は今のとこ、すげー適当な感じだ。
…どーすっかな、今日。
今日は北斗も翔太も来ねえし、気分が乗らないこともあってメシ作るのも億劫に感じる。
生姜焼きとか、その辺でいいか。汁物だけ作って…。
野菜をこれまた適当に取り出して洗い、切っていく。
一人分じゃ量も少ないし、本当に鍋にちょっとで足りる。大した手間でもない。
料理は、アスランさんみてえに当然プロじゃねえし、天道さんや信玄さんみてえに特別上手くも凝ってもねえと思うが、嫌いじゃねえ。
日常家事の中では好きな方だし慣れている方だが、慣れてせいで割と余裕があって、気付いたら頭がまたもやもやと考え出す。

「…」

…"恋"じゃないって何だ?
これでも、俺は俺なりに北斗を好きなつもりだ。
声に出して言うのは気恥ずかしいし、そもそもあんまり言うもんじゃねえだろって思ってるから、確かにそんなに口にしたこともねえが、そこに遊びは入ってねえ。
あいつに何言われようが何されようが、俺が「好きだ」と思わなきゃ、イエスなんて死んでも言わねえ。
しかも北斗!
毎日毎日毎日、傍で会う女会う女にことごとく「エンジェルちゃん」だの「今日もお綺麗ですね」だの、不特定多数へのリップサービス続けてるの聞いてりゃ、俺が例え女に生まれたとしたら、絶対こいつだけには近づかねえと思って当然だろ。
…って考えると、今あいつを好きだってことに対して自体は、実のところそんなに違和感がねえ。
妙な話だが、少なくとも、第一印象ナンパ野郎の北斗の色々な側面を知るには、俺が男だってのが大きい気がする。
繰り返すが、俺が女だったら、あんな男には近づきたくもねえ。
どんなに上手く告ってきても、一発で振ってやる。張り倒す。相手にしねえ。
平手一発かまして、あのキザ顔に思いっ切り手形をつけてやる。
たぶん北斗だって、女の前だと格好つける癖みてえのがあるから、あまり自分を出さないだろうと思うしな。
お互い男で、Jupiterを始めて色んな経験をして、一緒にここまで来たから、こういう関係が始まったんじゃねーかな……とか思ってるわけだ。
北斗のことは好きだ。
嫌いじぇねえ。
けど、今までだってちょっと意味は違うかもしれねえが、あいつのことは好きだったし、何よりずっと時間を一緒に過ごしてきたんだ。
付き合ったからって、いきなりそんなに変わるか?
今まで一緒にいなかった奴と付き合ったら、そりゃ一緒にいる時間が増えて変化が大きく見えるかもしれねえが、俺たちは違う。
だってそうだろ。もう飽きるくらい一緒にいるんだ。
一緒に乗り越えたもんもたくさんあるし、もちろん機嫌がいい時も悪い時もあった。
喜怒哀楽なんて一通り見合っているし、意見が合わねえ時なんて山ほどある。
そういう時もひっくるめて、ずっと傍にいた奴と付き合ったのなら、突然何もかも劇的に変わるなんて現実的に有り得ねえだろ。
現に俺自身もそんなに変わったとは思わねえ。
今だって二人で行動することだって多いし、今までと変わらずふらりとメシ食いに来たり、そのまま泊まっていくことだって普通にある。
変わったのなんてせいぜい、北斗のベタベタが増えた程度だ。
元々そういう所はあったが、普段はそうでもねえのに、たまーに思い出したみたいに、邪魔くせえな!ってくらいベタベタくっついてくる時はあるし、人がいた方が眠れるっていう北斗に合わせて寝てやって、朝くっつかれてるってことはある。
けど、寝ぼけてくっつかれてたことは今までもあったし、その点で言えば、北斗よりも翔太が酷い。
あいつの寝相はマジで何とかしてほしい。
いつだったか、寝ぼけて肩を噛まれたこともあった。
それと比べりゃ、北斗の方が平和に眠れる。
…一度手を止めて、他に変わったことはないかと考えてみるが、やっぱり大した変化はねえ気がする。

「変わんねーよな、普通…」

…だな。
うん。まあ、言ったってその程度だ。
ベタベタが増えたってのが一番か?
あとはせいぜい、まれに「キスしていいか?」と聞かれるくらいで…。
…。

「……ぐ」

数日前の記憶が過ぎって、変な汗をかく。
野菜を刻んでいた手が徐々にぎこちなくなっていくのが分かって、一人で居たたまれなくなる。
一旦手を止めて包丁を置き、両手をまな板の左右に着いて、一人項垂れた。
顔が熱いのが、自分で分かる。
…。
…いや、止めよう。
馬鹿らしい。
何で俺こんなこと考えてんだ……つーか、考えるのはいいが、思い出す必要はねえだろっつーか…。
けど、一度思い出すとなかなか頭から離れねえ。
顔が熱くなる一方だ。
…大して腹減ってねえし、先に風呂に入ればよかったな。
意識したわけじゃねえが、ふと視線を上げて、壁にかかっているカレンダーを見た、が…。

――ピーンポーン。

「…あ?」

何かを思う前に、家の中にベルが鳴る。
時計を見ながらキッチンを出ると、もう九時を回っていた。
こんな時間に誰だ?
キッチンとリビングの間の壁くらいに引っかかってるインターフォンの機械の傍に行くと、既にそこにはマンションドア入り口の所にあるカメラの映像が映っていた。
映像に映る奴を見て、一瞬何故かぎくっとする。
帽子を被った北斗が、一枚目のドアがある方を向いている姿が目に入った。
…ん?
今日来る予定なかったよな?
また何を見てるのか、部屋の番号を押して繋げたくせに、カメラの方ではなく余所見してやがる。
少しもやもやした気持ちのまま、それでもいつも通り指先でボタンを押し、マイクを繋げた。

「おう、北斗。どうした?」
『やあ。帰ってたみたいだな』

声をかけると、ぱっとカメラの方を向いていつもの調子で気障ったらしく片手を上げる。
今日は撮影の後、三人バラバラで仕事が入ってた。
あの場で別れてから今日は会ってねえし、寄るって話も聞かなかったから突然だが、まあいいだろう。

「少し前にな。…メシ食いに来たのか? 今日はお前食事会もあっただろ?」
『食事は取ってきたよ。その帰り、ショートケーキとシャインマスカットを頂けてね。ここのブランド、冬馬好きじゃなかった?』
「…! その青い袋、千疋屋か!?」

小さいディスプレイの向こうに映る手提げの袋を見て、がばっと身を乗り出す。
見覚えのある青い袋は、俺の好きな店のもんだ。
前に差入れでもらってからすっかり好物なんだが、銀座にある大きな高級フルーツ店で、買うにも食べるにも並ばなきゃいけねえから、俺自身は行きづらくてここ最近すっかりご無沙汰だ。
俺の反応に、北斗が紙袋を見やすいように持ち上げて、カメラに寄せる。

『ほら』
「でかした北斗!来いっ!!」

さっきまでの謎のもやもやも一瞬で吹き飛び、一階のドアのロックを解除する。
そのまま急ぎ足で廊下に出て、部屋の玄関のロックも外しておく。
千疋屋のケーキとマスカット…!
思わずガッツポーズも出る。
マジで久し振りだぜ!
それがあるんじゃ、尚更メシのウエイトが減る。
さっさと作って食って、デザートに漕ぎ着けてえ。
ダシ取った醤油のベースに、切った野菜を入れて卵とじにする。
生姜焼きはそれこそ手早くやっちまえと、浅い皿に醤油と酒は入れたが、生姜すり下ろすの面倒臭くなって省略し、混ぜて豚肉を通してフライパンで焼く。
そのうち、玄関のベルが鳴った。
鍵は開けてあるし、勝手に入ってくるだろうと放っておいたが、少ししてまた同じようにベルが鳴る。

「…あ?」

苛っと顔を上げる。
鍵開いてんの気付いてねえのか。
一旦火を止めて、菜箸を置く。
仕方ねえから、キッチンから出て玄関まで歩いてった。
腕を伸ばしてドアノブを握って開けると、すぐ目の前に、当然北斗が立っていた。

「こんばんは。お邪魔します」
「おー」
「悪いね、急に」
「上等な手土産があるんなら、いつだって歓迎してやるぜ!」
「喜んでもらえたみたいでよかった」

冗談めいて笑いながら、いつもの調子で微笑んでる北斗から一歩引いて入りやすいようにしてやる。
その手から例の紙袋を受け取り、一気に機嫌がよくなった。
手に提げて、北斗の横からドアを閉めると鍵をかけた。
またやたら気取った靴を履いてやがるから、脱ぐのが面倒臭そうだ。

「鍵開けてたんだぞ。一々ベル押さねえで勝手に入って来いよ」
「そう? 気付かなかったな。けど、それ防犯上あまりお勧めはできないな。ベル押すから、それまでは鍵はかけたままの方がいいと思うよ?」
「大した時間じゃねえだろ、そんなの。下でお前が来たの分かったから開けたんだぜ?」
「それでもさ。念のためにね。…あと、」

靴を脱ぐ為に屈んでいた北斗が、すっと背を伸ばしてこっちを見ると、少し顔を寄せて来た。

「鍵をかけておいてくれた方が、こうして冬馬がドア開けに来てくれるだろ? 俺はその方が嬉しいけどな」
「…はあ?」
「個人的に、結構好きな時間なんだけど?」
「…。め、面倒くせー奴だな…」
「冬馬、スマホは? 電話が繋がらなくて直接来ちゃったんだけど」
「あ? …ああ。そういや、充電してたな…」

スリッパを適当に置いて、そそくさと一足先に玄関から離れる。
キッチンに戻って早速袋を開けると、ケーキが入っているであろう紙箱と、その下にまるで宝石みたいに光ってる大粒の箱入りマスカットが入っていた。
フルーツやケーキはそっこまで好物!ってわけじゃねえが、それでもこのレベルになれば見てるだけで満足できるくらいの立派なもんだ。

「おー!」
「良さそう?」
「ああ!」

俺が袋や箱を開けていると、たぶん洗面台で手洗いうがいしてから、遅れて北斗が玄関の方から入って来た。
アウターを脱いで、リビング端のハンガーにかけている。

「すげーうまそうだぜ!なあ。お前これいらねえのか?」
「後で一粒くらいはもらおうかな。気持ちは頂いたし、好きな人に食べてもらえた方がいいと思ってね」
「わざわざ悪いな。サンキュー!」
「まだ夕食食べてなかった? 遅かったんだな」
「まあな。でも折角だしな、こうなるとさっさと食ってケーキを楽しみてえぜ。お前も、お茶くらい飲んで休んで行くだろ?」
「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうよ。…何か手伝う?」
「いや、いい。そっち座ってろ。仕事上がりだろ? 少しだらけてろよ」

そう返しながら、味見で大粒のマスカットを一粒もぎ取る。
そのまま流しで軽く流して、種子もねえし、皮ごと食えるやつだしで、ぱくっと口に放り込んだ。
たった一粒で、瑞々しい甘さが口いっぱいに広がる。

「…っ、うまい!」
「そう? よかった」
「おうっ。あとで一緒に食おうぜ!」

冷蔵庫のドアを開けながら言って、ケーキとマスカットを押し込む。
二つ並ぶ箱に、謎の満足感。
…っし!
早いとこメシ食って、これ食い――…

「…うおっ!?」

さて、メシの続きをと思ってくるりと振り返ると、いつの間にキッチンまで歩いてきたのか、思わぬ近距離に北斗がいて、びくっとした。
び、ビビった…。
一人ビビってる俺を北斗が小さく笑って、思わずむっとする。

「…? 何だよ? 向こう行ってろって」
「今夜は、"恋人"でいていい?」
「……は?」
「冬馬がどうかなと思って。気分じゃないなら止めるけど」

さらりと北斗が言ってる声と意味が、少し遅れて頭の中に入ってくる。
それだけで、考える力が痺れるような、妙な感覚になって、首の後ろに変な汗をかく。
…。
…いや、まあ。
いいけどな…。
一応、付き合ってるわけだしな…。まあ…。
視線を合わせてらんなくて、バツが悪くて目を背らす。

「べ、別に…。今日は翔太もいねえし……お前の好きにすりゃいいんじゃねえのか…?」
「それじゃ遠慮なく」
「…!」

ずいっと北斗がもう一歩踏み込んで来る。
緊張して固まってる俺の肩を包むように抱き締められて、いつも耐えようと思うが、今日もやっぱり思わず一歩後退しちまって、その分また北斗が一歩詰めてきた。
ふわっと北斗の匂いが体の中に入ってくる。
うわ…。
慌てているうちに、顎の下に指の背を添えられ、反射的にぎゅっと目を伏せた。

「っ…」

構える暇もなく、キスをされる。
つい顎を引いちまうが、柔らかい感触にあたふたしているうちに上を向いているらしくて、口が離れると大体いつの間にか北斗を見上げていることが多い。
馴れ馴れしく頬を撫でられ、頬や額におまけみたいなキスもされる…。
…ぅ。
全身がむずがゆい…。
誰も見てねえってのは分かるんだが、他ならぬ北斗が見てるわけだし、恥ずかしくて死にそうだ…。
少し小さめの声で、北斗が耳打ちする。

「今日も一日お疲れ様、冬馬。今日は結構スケジュール詰まってたけど、こうして冬馬の可愛いエプロン姿が見られると、それだけでほっとする。…短い時間でも、一緒に過ごせて嬉しいよ」
「そ……ういうのいらねえって言ってんだろ…っ。あと、可愛いも止めろ!」
「俺が言いたくてさ。…さて、食事の用意を邪魔してごめんね」
「…いや。別に、あれだ…。い、嫌なわけじゃねーけど…」
「そ?」
「……おう」
「よかった。ハグはストレスも下げるしね。大切だと思ってるよ」
「…!」

俺も何とかぼそぼそ答えると、北斗が笑って頭を撫で、俺の手を取ると指先にまでキスしてからようやく離れた。
やけに芝居がかって名残惜しそうに俺の手をゆっくり下ろしてから、リビングの方へ戻って行く。

「……」

一人キッチンに残され、妙に疲れた気持ちでよろよろとコンロの前に数歩移動した。
なるべく北斗の方を見ないようにしながら、俺は料理の続きをする!という変な意地を胸に、コンロのスイッチを押す。
…が、どうしても頭と心がぼーっとしちまうっつーか、熱いっつーか……体がふわふわしちまうっつーか、あの妙な感じが体から抜けねえ。
北斗がこの場にいなけりゃ、しゃがみ込んで頭を抱えたいくらいだ。
さっきまでそんなでもなかったはずなのに、北斗の奴が余計なこと言ったせいで、突然二人きりだってことを意識しちまう。
今までそんな日は無数にあったはずなのに、妙に気恥ずかしい気分になる。
その気恥ずかしさを無理矢理散らそうと、"いつもの自分"を特別意識しながら、夕飯を作る羽目になった。

 

 

抱きつかれてキスされた時は確かに緊張して構えたし、突然恋人モードみたいなことを言い出すから焦ったが、俺がメシ食ってる間といえば至って普通だった。
すっかりそのことを忘れちまうくらいのいつも通りで、現にメシ食い終わった頃には、変に意識してた自分が馬鹿馬鹿しくなってきて、北斗と今日の仕事について話をした。
一緒に撮影した後、北斗は都内のキャンペーンイベントに参加して、食事を取ってきたらしい。
そのレストランが個室で静かで、料理も美味しかったから今度三人で行こうぜって話だ。

「スタッフと行ったんなら、個室っつってもでかいんじゃねーのか?」

淹れたコーヒーと例のケーキ、洗って小皿に乗せたいくつかのマスカットをまとめてトレイに乗っけて、リビングの低めのテーブルに置きながら俺も座る。
さっきまでスマホで今夜食べたっつー食事のメニューを開いていた北斗は、その店を思い出すように顎に指を添えて視線を上へ向けた。

「そうだな…。確かに今日の個室は十人ちょっとだったけれど、手前にもっと小振りなドアもあったから、たぶん小さめの部屋もあるんだと思うよ」
「へえ…。じゃあ、次俺たちだけの打ち上げする時は、そこでやろうぜ」
「候補にリストアップしておこうか」
「まあそのレストランも美味いんだろうが…。今の俺の心はこっちだぜ!」

トン…と北斗の前にマグカップとマスカットの小皿を置いてから、トレイを自分の方へ引き寄せる。
千疋屋のショートケーキ、食うの久し振りだ!
このために、ご飯の量も急遽減らしたしな!

「いただきますっ!」
「どうぞ、召し上がれ。…そんなに好きだった?」

両手を打ち付けて改めて頂きますする俺の様子を見て、北斗が笑う。

「おうっ。このシンプルさがいいんだよな。ゴテゴテしてんのもいいが、結局ケーキじゃ量は食えねえし、さっぱりしてシンプルなのが一番食いやすいぜ。美味しく感じやすいっつーかさ」
「そんなに好きなら、公言したらどう? 差入れの量が増えるんじゃないか?」
「そういうのは好きじゃねえ」
「冬馬らしいね」

そもそも、こうしたケーキ自体を食うことが滅多にない。
確かに今日の北斗みたいに差入れでもらうことはあるにはあるが、やたら気取っていて意表を突いていて、俺の好きなシンプルなショートケーキってのはなかなか見ない。
ケーキなんて、誰かの誕生日やクリスマスでもなけりゃ買ってもこねえし。
それに、何もショートケーキ全体が好きなわけじゃねえんだよな。
ここのが好きってだけで。
形のよさと大粒のイチゴが皿の上で輝いて見える。
フォークを入れようとしたところで、ふともう一回聞いてやるかと、コーヒーカップを傾けている北斗へ顔を向けた。

「なあ。お前、本当にいらねえのか? 半分に切ってやるぜ?」
「一口くらいで十分かな」
「ふーん…」

こんなに美味いもんを一口だけしか食わねえなんて、損な奴だ。
その分俺が食えることになるわけだから、いいけどな。
上に乗ってるイチゴはやれねーが、中に挟まってる分はせめて入れてやろう…と、少し大きめにフォークを入れる。
切り離した部分を崩さねえように上からフォーク突き刺して、北斗へ差し出してやる。

「ほら」
「…」

すぐに食らいつくかと思ったが、北斗はテーブルに頬杖を着いたまま、何故かゆっくり目を伏せて笑っているような困っているような、何とも言えない顔をした。
…おい。
人がせっかく一口くれてやろうってのに、何だその顔。…いや、元は北斗のだけどよ!
むっとして、ぐいっと持っていたフォークを更に突きつける。

「何だよ、その顔。食うんだろ?」
「いただくよ? …けど、言うべきか言わざるべきかと思ってね」
「…? 何が?」
「いただきます」
「おい!何がだよ!?」

俺の言葉を無視して、北斗がケーキにパクつく。
直前の言う言わねえの話は唐突で全く分からねえが、こっちからこれ以上食い付いてやる必要もねえだろうと思ってそのまま聞き流した。

「美味いだろ?」

聞くだけ聞いて、咀嚼を終えない北斗の感想を待たず、俺も自分の分をフォークで切り分けて口に運んだ。
甘すぎない生クリームと柔らかいスポンジ。
そして水気たっぷりの甘いイチゴ。
予想通りのおいしさが、口の中に広がる。
甘いのなんて、ここ最近食ってねえから特別美味しく感じるぜ。
咀嚼を終えたらしい北斗が、マイペースな感想を呟く。

「…うん。美味しいな。甘さが控えめで食べやすい」
「だよなっ」
「けど、この時間にケーキっていうのはどうなんだろうな」
「あ?」

リビングの一角にある置き時計を見ながら、北斗が言う。
ふと我に返り俺も同じように時計を見ると、確かにもう十時半近かった。
…くだらねえ。
ふん、と半眼になり、フォークを振る。

「ダイエットしてる女子かよ、お前は…。体絞ってる時は別だが、夜だろうが朝一だろうが、俺は食いたい時に食うぜ。それに、一晩置いたら味も落ちるんだからな。一番美味い時に食わねえと、作ってる奴にも悪いだろ」
「ふむ…。確かに、一理あるかもね」
「絞ってんのか?」
「いや。今は特に必要はないかな」
「ふーん。今日の撮影でも思ったけど、お前、体仕上がってるもんな。…しかしもう十時か。早ぇな。泊まってくか?」
「そうだな。そうさせてもらおうかな」
「じゃあ風呂沸か…。…」

食べ終わった食器と数粒残ったマスカットの皿をさっさとトレイに乗せて、流しへ持って行こうと中腰になったところで、ふと思い立った。
"今日の撮影"、"泊まり"というキーワードで、翔太の言葉を思い出す。
…ぐだぐだ悩んでるのは性に合わねえ。
それに、こういうのは当人同士の話のはずだ。
目の前にその当人がいるんだから、振りにくい話だが……結局時間食うだけ食っても話す相手が北斗には変わりねえんだし、いっそ聞いちまえばいいんじゃねえか?

「…」
「…ん?」

一度立ち上がりかけた俺がまたその場に座ったもんだから、スマホを手に取った北斗が、それをまた伏せる。
当たり前みたいに俺の話を最優先で聞いてやろうって姿勢が、妙に安心する。
俺が見当違いの馬鹿なことを言っても、たぶん北斗なりにちゃんと答えてくれんだろうなってのが分かるっつーか…。

「どうかした?」
「あ、あのな…。話が、あるんだけどよ…」

顔が熱くなってくる…。
北斗を見習って俺もトレイを端に寄せればいいんだろうが、手持ちぶさたに耐えられなくて両端を握ったまま、俯き気味で口火を切った。
目の前の、空になった皿を見下ろしながら。

「お、俺は、その――…お前が好きだ。…お前が、俺のことを好きだって言ってくれて……そりゃ、最初は予想してなかったしすげー驚いたが……お前の気持ちを聞いて嫌だなんて思ったことはなかったし、嬉しかったし…だな。…翔太もだが……俺は、お前がいなきゃ、絶対ここまで来られなかった。これからも、一緒にいねえとダメだと思う。今だって、こうしてお前と過ごせる時間は、大切だと思ってる」
「俺もだよ」

間髪入れず、北斗が同意する。
その速度に少し驚いて、気付いたら顔を上げてた。
こっちを覗き込むような視線でにこりと微笑している顔は、いつもの北斗だ。
だが、リラックスしているというか……何て言うんだろうな。ちゃんと、素で"北斗"だ。
優しい瞳にほっとして、変に強張っていた肩から力を抜く。

「ああ…。サンキュ。…けどな、俺のこの気持ちと、お前の気持ちには……上手く言えねえけど、差があるんじゃねえかって思う時がある。何て言うか…お前に、ちゃんと返せてねえ気がする…っていうか…。俺がそう思うんだ。きっとお前も、そう感じるタイミングがあるんじゃねえかって思う。もし今なかったとしても、たぶんこれからある時もあると思うんだ。…けどな!」

ぐっと拳にした右手でテーブルを叩いて、北斗を見る。

「俺は俺で本気だ!!言っておくが、間違っても遊びじゃねえぜ!すれ違いだとか意見が合わねえことなんて、人間なんだからあって当然だ!そうだろ!? …いいか、北斗っ!俺は、ちゃんとお前が好きだからなっ!!」
「…」

言っちまえ!…と思って、それだけは声を張って主張しておく。
俺の気持ちを言葉にして北斗に伝えねえとと、今日一日ずっともやもやしながらも思ってた。
ああだこうだ色々あるが、大切なのはその一点のはずだ。
そこだけ間違えてなけりゃ、例えトラブルがあっても道を踏み外すことなんてねえ!
俺にしてみりゃかなり度胸入れた言葉を、声を張ったあたりから、北斗は少し意外そうな顔で聞いていた。
一呼吸置いて、ふ…と北斗が笑う。
ゆったりと、北斗にしちゃ珍しく少し崩して、テーブルに頬杖を着く。

「…誰かに、何か言われたな?」
「…!」

相変わらず穏やかな瞳だが、どこか面白そうに俺を見て笑う表情にぎくっとして、眉を寄せた。
…な、何で分かったんだ?

「わ、悪いかよっ?」
「悪くないけど、他の人に言われたからって気にすることないと思うけど?」
「切っ掛けの入口なんて関係ねえだろ。言われたって何だって、俺は自分が気になりゃ気にするし、気になんなけりゃ気にしねえ。お前に言っとこうって思ったのだって、俺が自分で決めたんだ」
「いちいち正論だな…。冬馬のそういう所、好きだよ」
「あ、当たり前だろ!そういうのいちいちいらねえんだよ!…とにかく!そういうわけだからな!!」
「うん。…冬馬が、冗談や遊びで人に好きだと伝えたり、人と付き合ったりできないのくらい、分かってるつもりだよ。心配しなくても、本気だってことはちゃんと伝わってる。…おいで」
「…」
「おいで」

流してんのに二度言う度胸な…。
北斗が、当たり前みてえに両腕を緩く開くんで、熱い顔のまま、思わず半眼になる。
何が「おいで」だ。テメェが来い!
…と思うものの、その行動を見て、妙に冷静に、やっぱり北斗も翔太みてえに"触ってたい"奴なんだなと確信した。
たぶん、こういう所なんだろう。
気持ちを伝えたいとは思うが、このタイミングで、俺は北斗を抱き締めようとかは思い立たない。
…が、やってみりゃまた違うかもしれない。
俺はどうなんだ?と確かめてみたくて、絨毯の上を少し移動し、北斗の方へそろそろと寄っていく。
俺から北斗に触ってみるかと腕を伸ばしたが、傍まで行くと、北斗の方から腕を掴んできた。
"引っ張る"という程強くはなく、"導く"って感じの弱さで引き寄せられ、渋々顔を、少し北斗の肩に引っかけるみたいにして、腕の中に入ってってやる。

「…」

…俺から触り損ねた。
くそ。
むっと眉間に皺を寄せる。

「…キザ野郎」
「お褒めいただいてどうも」

抱き締めてまたベタベタあちこちにキスされると、馬鹿にできねえ人の体温で体がすぐに熱くなる。
…抱きつくの好きだよな、こいつ。
まあ、悪かねえけど……やっぱり背中がむず痒い。
肩の上から後ろに回された北斗の手が、後ろ髪を梳く。
ほ…と密かに息を吐いた。

「言葉にしてくれて嬉しいよ。聞けてよかった。ありがとう」
「…おー」
「"俺も本気だよ"って言ってほしい?」
「いや。それはいらねえ…」
「勿論、俺も本気だよ。愛してるよ、冬馬☆」
「いらねえっつってんだろッ!聞いといて何ガン無視してんだよ!?」
「ははははっ!」

露骨な営業スマイルをウインク付きでされ、思わず顔を離して勢いよく肩をぶっ叩く。
珍しく北斗が声を立てて笑ったんで一瞬はたっと止まっちまったが、すぐにこの甘ったるい雰囲気から抜け出そうと立ち上がった。
…が、それを北斗が片腕で引き留めるんで、また苛っとして北斗の肩を押しのけ、脱出を試みる。

「っ…は な せ よ!」
「もう少し傍にいたいんだけどな」
「同じ部屋だろ!馬鹿じゃねえのかお前!風呂入んだよ、俺はっ!泊めてやるんだからその食器くらい洗っとけよな!?」
「一緒に入らない?」
「入るわけねーだろ!!」

じたばたやり合って、最終的に北斗の顔面を鷲掴んで引き剥がし、何とか抜け出す。
一先ずもやもやしていた気持ちを伝えられて安心したが、お陰で顔も体も熱い。
頭冷やしてえのもあったし、お湯入れついでに先に風呂に入っちまおうと、キッチンに運ぼうとしていた食器まるまる北斗にぶん投げて、勢いよくその場を離れた。
舌打ちし、どすどすと足音を立てて大股で歩き出したが、洗面所がある脱衣所のドアを閉めたところで、そのドアへ背中を預けた。

「……はー」

…一先ず、気持ちを伝えられてよかった。
恋愛は……正直、そんなにしたことがねえ。
どういう状態が恋愛なのかもはっきりとは分からねえが、ごちゃごちゃ抜きに考えりゃ、お互い好き同士ならそれでいいはずだし、大概のことは上手くいくはずだ。
北斗がこれでいいのかどうかも分からなかったが、さっきの感じからすると、大丈夫っぽいな。
肩の力を抜いて、天井を向く。

「…」

翔太が余計なこと言うから、変なこと気にしちまったじゃねーか…。
…まあ、お互いの気持ちを知るいい切っ掛けにはなったけどな。
お陰で、こうして一安心もできるわけだ。
明日は休みだが、明後日にでも、翔太に礼の一つでも言ってやるか。
はー…とまた大きな息を吐いて、右手の拳を握る。

「…っし」

ぐっと見下ろした右手を拳にしてから、ドアから離れてシャツを脱いだ。

 

 

 

 

「…うーん」

風呂上がり、冷蔵庫の前で片手を腰に添え、呻る。
部屋着ってのにいちいち着替えねえから帰って来ても私服のまんまだが、風呂入ってパジャマ代わりにしてる通気性の高いティシャツと黒のハーパンになると、本格的に気が抜ける気がする。
風呂上がり、ついつい癖でそのまま洗面台で歯ぁ磨いて来ちまったが……マスカットの残りがあったんだよな。さっき皿に出してた分。
後で食おうと思ってたが、忘れちまってたぜ。
さっきまでストレッチしてて、途中でその存在を思い出した。
北斗もそんなに食わなかったし、今さっき見たら、ちゃんとラップして冷蔵庫に鎮座していた。
風呂上がって喉渇いてるし食いたい気もするが、そうするとこの後また歯を磨くのが面倒い。
…だが千疋屋だしなー。
果物だけじゃなくメシ全般そうだが、常に"今"が一番鮮度があるってのが迷い所だ。
けど、寝る前に果物って、あんまよくねーって誰かに言われたな…。

「…。うー…」

長考しながら、片腕上げてタオル引っかけてる首の後ろを少し掻く。
まだ少しドライヤーの熱が残って、蒸してるようなその感覚が鬱陶しいんで、そのままタオル掴んで首から取った。
タオル片手に少し考えてたが、短く息を吐く。

「…止めた。明日朝食くうか」

右手に持ってたタオルを左肩に引っかけ、くるりと冷蔵庫に背中を向ける。
思い出した。寝る前になるべく冷たいもん食うなって、歌唱トレーナーに言われたんだった。
仕方ねえ…。
確かにまた歯磨きすんの面倒だし、明日の朝食うか…。
流しをチェックすると、ちゃんと北斗の奴は洗っておいてくれたらしい。
水切りに置いてあるのを確かめて満足し、布巾を漂白したり生ゴミ捨てたり、キッチン周りをざっくり片付けて出る。
リビングを通りがてらソファからクッションと充電しっぱなしだったスマホを取り、そのまま隣の俺の部屋に入り、ぽいと適当にベッドにそのクッションを投げた。
腕を伸ばして、真ん中に置いてある俺の枕を横にずらしてから、隣にぶん投げたクッションを改めて置く。
目覚ましをセットして、電気着けっぱなしでもいいから、先に寝ちまおうかなと布団を開いたところで、ふ…と、急に電気が消えた。

「…あ?」

小さな常夜灯だけが着いている照明を見上げる。
…あれ?
リモコンが布団にまぎれてたか?
いつもはベッドヘッドに置いてあるんだが、たまにある現象に左手で布団の端を持ち直し、右手でぺたぺたと布団やシーツの上をあちこちを触ってみる。

「あれ~? ねえ――…うわっ!?」

何の疑いもなく、気づきもせずに薄闇の中でリモコンを探し、スマホのライトを着けようかとしたところで、とん…と後ろから衝撃が来て全身が跳ね上がった。
不意打ちすぎて最初は単純に死ぬ程ビビっただけだったが、それが誰だか分かると、別の意味で驚く。
バサバサぼふぼふやってた俺が悪いのかもしれねえが、大した足音もなくいつの間にか北斗がすぐ背後にいて、また突然抱きついてきやがった。
跳ね上がるくらいのビビったドキドキは多少落ち着いたが、とはいえまた別の動悸に繋がっていく。
電気は消えてるって言ったって、常夜灯が付いてりゃ相手の顔だとか物くらいは普通に見える。
北斗が風呂上がりだからだろうが、密着した体があったかい。
風呂上がり独特の甘いような匂いが鼻をくすぐる。
セットしてねえ髪型だと、いつもより少しだけ若く見える……て言うと、二十歳がまるでおっさんみてーな言い方になっちまうが…。

「…」
「…」

動けないでいると、そのまま謎の沈黙が数秒入る…。
たまに突発的に抱きついてくる奴だし、ほっとけば離れるかと思ったが、思ったよりも長い時間そのままだったんで、いい加減この甘ったるい雰囲気が嫌になって持ってた布団を殆ど力任せに握り、半分硬直したような状態のまま、恐る恐る背後を振り返った。

「…お、おい? …な、ん…だよ…。離れろよ。今電気が――」
「部屋の入口の方で俺が消した」
「――…は?」
「冬馬が不安に思っているのなら、解消しないといけないなと思って。…だろ?」
「…………ぇ」

また心臓が跳ね上がる。
北斗の言葉が上手く頭に入っても来ないくせに、反射的にぼっと顔が熱くなったのが自分で分かった。
…え?
いや…。
…。
……はあっ!?

「わ…っ」

腹にかかってる北斗の腕を剥がそうと両手を添えたところで、するりと左腿を撫でられ体がビクつく。
ハーパンの上からだってのに、掌の熱さが分かる。
意味深な触り方が露骨で、逃げようと脚と体を引いたが、背後の北斗の懐に入るだけだった。
首の右ん所にキスされ、ぞわわっと背中を何かが走り抜ける。
両腕から力が抜け、力任せに握ってた布団が足下にバサリと落ちて尚更焦った。

「ちょ、ちょ……いやいやいやっ!ちょっと待て馬鹿っ!!」
「いや?」
「い、嫌とか何だとかじゃなくて…!お、おま…。……え? …お、俺に、その…何か、そ、そういうことしようとかってのは……ねえよな?」
「…」

そのまま一瞬、時間が止まる。
…。
おいっ!
ねえよなっ!?
まさか沈黙が返ってくるとは思わなくて、心臓がバクバク鳴る。
…いや、キスまでなら俺だって分かるぜ!?
現実的にできるし、北斗の奴があっちこっちでそういうのしまくってて好きなんだろうな……つーか、抵抗がねえんだろうなってのは知ってるし、現に俺たちが「付き合う」ってなった日に、当たり前みてえに速攻キスしてきたのもこいつだし!
だって普通ある程度日にち置くだろ!?
なのに拒否ろうと思ったら、「何でだ?」くらいの顔されるし!
それくらいキスは速攻だったくせにそれ以外は何もねえから、それでいいんだと思ってた。
あっちこっち誰にでもキスしまくって、色んな奴との関係が連続して続けられるような奴だ。
北斗のことだから、もし俺相手に他のこともする気だったら、もっとずっと手前の段階でそうするだろって思うし、大体、女じゃねえ段階で、キス以上のそういう考えは起きねえもんなんじゃねえのか…!?
第一!で、でき……できねえだろ!?
世の中に男同士ってのがいるのは知ってる。知ってるが!
だってできねえだろーが!普通に考えて!!
パニクる頭の中で、"そっち"に行かない理由を頭の中で思いつく限り列挙して言い訳してみる。
…が、間を置いて。

「――ないと思う?」
「…っ!!?」

聞いたことねえようなぞわっとする甘い囁き声に、硬直する。
顔だけじゃなく、一気に、爪先から頭の中まで、体が熱くなる。

「ぇ…。……は? ――えっ?」

上手く状況が飲み込めない状態で、驚いて背後を振り返れば、北斗の顔も見えねえうちに頬に手が添えられた。
親指が顎の下にかかって、当然みたいな流れで口が塞がる。
キスは…、キスは何回かしてる。
嫌じゃねえし、もうそれなりに慣れたつもりだった……が、

「――っ!?」

口の中に何かが入って来て、体が強張る。
思いっきり目を閉じて顔を少し引いても、いつもはそれで終わりにしてくれるのに北斗が離れない。
混乱する頭の片隅で、ようやくその熱い肉厚のものが舌だと気付いた。
生々しい感触が、口の中でしつこく俺の舌を追いかけてくる。

「んな…っ、――っ!」

薄闇の中、腿にかかってる北斗の手首に爪を立てた。
それを切っ掛けに、一度口が離れる。

「ぶ――…っは」

その瞬間に体が酸素を欲しがり、呼吸を忘れてたことに気付く。

「は…。うぁ……ま、待てオ――っ」

ほっとしたのも本当に束の間で、熱い舌が俺の唇を少し撫でて、何度か啄まれたと思ったら、また口を塞がれる。
さっき苦しかったせいでちょっと逃げようと思ったが、まるで俺の口の中を喉の方まで食い進めようとするみてえにぐいぐい押されて、体が斜める。
口の中に神経が集中しちまって、他の部分に回らない。
足にも腰にも力が入らなくなり、気付いたら尻餅をつくみてえにベッドに落ちた……と思う間もなく、そのまま仰向けに押されて倒れ込む。

「……ーっ!」

倒れる瞬間うわっと声をあげたと思ったが、悲鳴も喰われた。
舌の裏を舌で撫でられ、気持ちいいとか悪いとかより、衝撃で頭がいっぱいになる。
逃げ場がなくなって、北斗を押し返そうと思っても腕に力が入らない。
熱い舌に意識が持っていかれて、段々頭がぼーっとしてくる…。
ようやく口が離れた頃には、肩で息をしていた。

「ぅ…ぁ……」

ぜーはー言いながら、口を片手の甲で押さえて北斗の方を見上げる。
掌が頬を撫でて、親指が俺の左目を拭って滲んでた涙が取り払われた。

「ごめん。ちょっと苦しかったな」
「お、まえ……なに――…いっ!?」

薄闇の中でも、ようやくその姿をちゃんと見つけ、またビクゥ…!と肩が跳ね上がった。
慌てて、下から北斗の左肩に右手を置いて突っ込む。

「ちょっと待て!!ぱ、パジャマどうした…!パジャマ!!」
「必要?」

当然だろ的なイイ笑顔を向けられ、青筋が立つ。
おいっっ!!
お前らに貸してやってる引き出しの中に、服なんていくらでも置いてあるだろうが!!
何で必要ねえとか始まんだよ!

「ひっ…必要だろっ!?」
「今夜はいらないかなと思って」
「いるに決まってんだろ!!露出狂かよ!着ろよバ……うわっ!」

下着一枚の格好にビックリしてぎゃあぎゃあ言ってる間に、さらっとベッドからはみ出てた俺の両膝の下に北斗が片腕を入れ、持ち上げられる。
中途半端に横たわってた体を改めてベッドに横にされ、その抱き上げ方がまるで女相手みたいなやり方で、すっげえ丁寧って感じがして、何故かカチンと来る。

「お前!何調子乗っ――…!」
「夜は静かに」
「…!」

それに気付いて慌てて起き上がろうとシーツに両肘を後ろに着いて背中を浮かせたが、起き上がりかけた所に北斗も乗り上げてきて、行く手を塞がれる。
体の両側に両手を置かれ、近距離で目が合って、ぎし…と固まった。
…今体を起こしたら、北斗にぶつかる。
体を起こせないし、かといってまた寝てやる気もない。
そうこうしているうちに北斗が顔を寄せて、額に口を付けようとする。
結局逃げに入って、また押されるような形で頭が枕に戻っちまった。

「っ…」
「俺の裸なんて、見慣れてるはずじゃない?」
「そ、そういうのとは……全然違ぇだろ…!」

片腕で顔を隠して、思いっきり横を向く。
確かに上半身脱ぎ捨てて着替えとか夏の撮影とか、何度も見たことがあるし見せたことのあるはずなのに、今更猛烈に恥ずいのは何なんだっ。
まともに北斗の顔も体が見られない。
まともに、俺の顔も体も見てほしくねえ!
…俺の返事を聞いて、北斗がくすくすと笑う声がする。

「そうだね。…冬馬も、全然違うよ。冬馬はいつも魅力的だけど、今だけは全く別の魅力だ。…こんな震える声も潤んだ瞳も、きっとまだ、誰も知らない」
「っ…」
「すごく可愛い。飛びそうだ。…フレンチキスも気に入ってくれたようでよかった。上手だよ冬馬。…力が抜けるだろ? それでいいんだよ」
「ン――っ」

ついと顎を持ち上げられ、また食われるキスをされる。
舌が絡まって、どっちのだか分からねえ唾液が口の中に溜まって…ずっと我慢してみたが、違和感に耐えられなくて呑み込んじまった。
喉を通っていって腹に落ちるのが…何つーか、衝撃だ。
口が離れる度に、酸素を取り込む。

「ふ……」
「…いや?」
「…ぅ、ぁ」

北斗の声が、耳から奥にすぐんと来る。
…何だその声。
声に温度がある。めちゃくちゃ熱い。
すげ…。
頭が痺れる…。
すぐ耳元で、聞いたことがねえような甘くて熱い声がして、背中が震えた。
甘くて微かな声の割に妙な迫力と強さがあって、何でだか分かんねえが、逆う気がどんどん削がれていく。
…うわ。
なんだこれ…。胸が熱い。
こんなん、どーやって拒否れってんだ…っ。

「今夜にしよう、冬馬…。あんなことを言われたら、熱くてとても眠れない」
「ち、ちが…っ。俺は、俺の気持ちを…伝えたかっただ、け…で……っ」

左頬や耳にベタベタキスされてる間に、左右の横腹を触りながらティシャツが上にずり上げられ、言葉もまともに出なくなる。
肌に触れる北斗の手が、熱くて広い。
腹の上をすっと風が通るのに、触られた場所だけ熱い気がする。
ダメだっ、見てらんねえ…!
ぎゅっと全力で目を瞑った。
口元を右手の甲で隠して、思い切り顔を背ける。
けど、その手を取り上げられて、指が絡まる。指まで熱い。
仰向けに横たわってる背中の下に北斗の手が差し込まれ、少しぐいと浮かされたと思ったら、あろうことか胸にキスされた。
左胸に音を立ててキスされて、ぶわっと、何度目かになるが、体全体に羞恥が奔って熱くなる。
まさかそんな所にキスされるとは思ってなくて、総毛立つ。
俺は女じゃねえ…!
胸なんてないし、楽しいとも思えねえ…っ。
けど、しつこくべたべたと北斗がくっついてくる。
キスだけならまだしも、な…舐める…つーか…。
熱い舌でべちゃべちゃ濡らされ、感じたことのない感覚だから狼狽える。

「…っ。おま…お前何…っんなとこ……何が…っふぁ」

止めさせようとしてはみるが、腕に力が入らねえ。
北斗の頭に片腕添えたまま、抑えることも引き剥がすこともできねえ。
…吐く息が熱い。
くらくらする。
夢なのか現実なのか、何だかよく分からなくなってきてるところを、北斗の膝がぐっと硬くなってた俺の脚の間を押したんで、腿が自分でも驚くくらい跳ねた。
ぐいぐいと何度も布越しに刺激され、無意識に北斗の肩を掴む。

「あっ…、はぁっ…。…ばっ…か」

その硬くなった場所を、服の上から掌が触れて撫でる。
密着していた北斗の体が少し離れ、両手が俺のハーパンと下着にかかった。
ぎょっとして、また片肘をシーツに着いたけど、起き上がる前に…。

「えっ、うわ…」
「脱がせるよ」
「脱が…っ」

言うが早く、ハーパンと下着が、一度も引っかかることなく膝と足首を通り抜けていく。
殆ど間を置かず硬くなってたその場所をマジで握られ、がくっと体が引きつった。

「ひっ――」

声が上擦る。
他人の掌が間違いなく俺のモノを握ってるって現実が、ようやくストレートに頭に入ってくる。
そこでちょっと指が動くだけで反応しちまう。
今やられたらすぐ出るって感覚がそこにあって、思わずぎゅっと目を閉じた。

「ゃ、やめ…っ」
「――」

口が震えて"止めろ"と最後まで口にはできなかったが、それでも出だしの二言だけで、ぴたりと北斗の手が止まった。
物音がなくなり、荒い息遣いが薄暗い部屋に静かに響く…。
その時になって初めて、北斗の息も上がってることに気付いた。
何かそれが…それが、妙にほっとする。
お、俺は……元々、北斗みてえにあちこちって感じじゃねえし、こういうのは慣れてねえからだけど…。
北斗は――…。

「…」
「…ここで、止める?」
「ぁ…」

するりと手が抜ける。
ここまですげー強引だし前のめりだったくせに、拍子抜けする程あっさり止まった。
バクバクいう心臓の高鳴りを自分で聞きながら、こ、今度は――…俺が焦り出す。
…おい。何だよ、そのあっさり感。
だって…、ここまで来るともう体が熱い。
モノだって硬くなってるし……そりゃ、トイレ行きゃいいって話だが…。
…。

「…。ゃ、止めていいのか…?」
「冬馬が本当に嫌ならしないよ。今夜はどうかなと思ったけれど……俺が急ぎすぎたね。気分でない時に無理強いするようなことじゃないさ。…それに、気持ちはもう解ったから」
「…気持ち?」

俺の髪をするりと撫で、北斗が頬に音を立ててキスをする。
それまでのこう…情熱的なものじゃなくて…。ただいまの時の優しいやつだ。
それでいいはずなのに、焦れったいような、足んねえような感じになる。

「言葉も勿論嬉しかったけど…。冬馬は、"本当に好きな相手"じゃないと、こんな状態にも絶対にさせてくれないだろ?」
「…」
「今この瞬間、拳が飛んでこないだけで、俺は幸せだよ。愛されている自信がある。…大丈夫。誰に何を言われたって、些細なことだ。気にすることじゃないよ」

分かった気になって、偉そうに北斗が言う……が、その通りだ、と俺自身もそう思った。
めちゃくちゃ恥ずいが……嫌か嫌じゃねえかと問われたら、たぶん嫌じゃねえ。
現に、今ちょっと「止めろ」と言っちまったことを後悔してるし、第一北斗の言うとおり、嫌だったらとっくにぶん殴ってる。
少なくとも、今怒りが沸いてこない時点で、それはないんだと思う。
お、俺は…北斗はキスだけでいいんだろうって思ってると思ってたが……北斗が他にしたいことがあるっつーんなら、つ、付き合ってやってもいい…。
いつかは通る道なら、今日通っちまってもいいはずといえばそのはずで…。

「焦る必要なんかないはずだ…」

まるで自分に言い聞かせるみてえに静かに呟いて、黙っている俺から体を離し、北斗が俺の服を整えようとする。
首の周りに丸まってたティシャツを丁寧に下ろされると、何かこう…上手く言えねえが、後悔に似た気持ちが沸いた。

「…」
「怖がらせてごめんね。…着替えてくるよ」

部屋は暗くて表情は見えにくいけど、見えないわけじゃない。
北斗は、もういつも通りに見える。
…さっきまでのは空気は一体何だったんだ?
人のこと押し倒しておいて、そんなすぐ引けるもんなのか? その程度かよ。
意味が分かんねえ…。
そういう雰囲気に押し流されて、今俺はすげー熱くて熱が引かねえのに。
…たぶん、こんなことは北斗にとっては、本当に何でもねえんだろう。
色ボケ北斗のことだから、付き合ってるならこういうことして当然って感覚なんだろうし、かといって相手が「嫌だ!」と拒否ったらこうしてさらっと止められる。あと、絶対それを責めない。
それが分かるから、言葉に甘えてこのまま止めてもいいのかもしれない。
第一、具体的に何するかもよく分かんねえし。
…けど、そうやって常に何かを我慢して相手に合わせるのは、いつも北斗だ。
さっきまでの熱い言葉や行動が、嘘や飾りだとは思えねえ。
もし、本気で北斗が俺をどうこうしたいっていうんなら…。

「…」

考えて、考え抜いて……けど、あんまり待たせたくもなくてぐるぐるする。
…それでも何とか意を決して、ぐっといつの間にか握ってたシーツの皺を強くした。
ベッドから両脚を下ろした北斗の背中を見て、咄嗟に体を横向きにして、その片手首を掴む。

「……お、おい」
「何?」
「わ、悪かった…。……ゃ…やっぱやる!」

ぼそりと声をかけると、北斗は意外そうな顔をしてから、俺が引っかけた手の上に片手を置いて、ふわりと小首を傾げて笑ったのが雰囲気で分かった。

「ありがとう。気持ちは嬉しいよ、冬馬。…けど、もう少し時間をおこう」
「じ、時間…?」

北斗が宥めるように俺の髪を撫でるが、その返答に今度は俺がショックを受ける。
…な、何だよ。
あれだけさっきまで全開だったくせしやがって、もう少し時間をおこう? 何だそれ。
下着とハーパンはどっかその辺にいっちまったから、ティシャツの裾を下に引っ張りながら、のそりと身を起こす。

「…。め…面倒くなったか?」

どう言えばいいのかよく分かんなくてぎこちなく尋ねる。
ずっと逃げてたが、北斗の顔を見ると、困ったような顔をして重ねていた片手で俺の頬を優しく撫でた。
くすぐったくて何となく首を背ける自分が、猫にでもなった気になる。

「…悪い、冬馬。変に手を出したから…。本当に無理しなくていいんだ。焦ってるのは、自分が一番よく分かってる」
「違ぇよ!無理とか何だとか聞きたいわけじゃねえんだよ…!だ、だから…っ。やってやるって!お前、俺に触りてえんだろ? …や、やり方とか、その…全然分かんねーけど…。お前が知ってるなら…」
「冬馬」

はぁ…と、北斗にしてみれば珍しく露骨にため息を吐いた。
それもまた地味にショックで、胸が詰まる。
どうすべきか分からないうちに、北斗が俺にキスしてくる。
…が、話を終わらせる為に動作としてされたってことが、はっきり分かった。
それまでの熱とは違う種類の熱が、かっと頭にのぼる。

「っ…んなのいんねーんだよ!!」

俺を黙らせる為にそうされたってことに腹が立って、北斗の肩を掴んで引き剥がす。

「何だよその態度!お前、今マジで俺を黙らせるためだけにやっただろ!!」
「…」
「すぐ分かんだよ、そんなの!やっ……やってみりゃいいだろ…!」
「…。あと一回言ったら、本気にするよ?」
「はあっ? …おいっ!」

その返答に腹が立って、掴んでいた手首を一度離し、ずいと膝で一歩前に出ると北斗の二の腕をむんずと掴む。
バンッ…!と空いている片手で枕の上に拳を振り下ろした。
…何だこいつ、俺が口先だけだとでも思ってんのか?
ふざけんなっ!
今どんだけ恥ずいと思ってんだ!!
人が言ってること、何でもかんでも冗談にしやがって…!

「こんな時に俺が冗談なんか言うわけねえだろ!? やんならやれよ!!お前の言う通り、嫌だったら殴ってでも止めてるに決まってんだろ!今ぶん殴られてねーんだから、お前、俺がマジで嫌がってねえのくらい分かってんだろ!?」
「…っ!」
「ガキじゃねえんだぞ!」

力任せに北斗の腕を引っ張り、最初に俺が倒れ込んだみてえに逆にベッドに倒す。

「欲しいものがあるんだったら、気取ってねえでちゃんと言え!ぉ…俺が欲しいんじゃねえのか!! あ!?」

右手の親指で自分の左胸を叩いた後、仰向けに倒れた北斗の腹の上に枕の端を掴んで叩き落とした。
ぐっと上から両手でその枕ごしに腹を抑え、今すぐにでもここから逃げだそうとする北斗を繋ぎ止める。
照明の関係なのか、上から見下ろすと、下から見上げるよりも北斗の顔がよく見えた。
いっつもクールぶってっから、双眸見開いて驚いている北斗はなかなかレアだ。
…ああっ、くそ!
死ぬ程恥ずいっ。
何で俺がこんなこと言わなきゃなんねーんだ!面倒くせえな!!

「あ、あのなっ…!俺はっ、さっきまでそんな気全然なかったんだぞ!? お前から手ぇ出してきたんだからな!たっ…勃っちまったんだから!責任取って何とかしや――…ぶわっ!?」

言い終わらないうちに、両手の下の枕が横に投げ捨てられる。
ベッドから枕が落ちる音と同時に、急に勢いのある、翔太みたいなタックルじみた腕に包まれて、背中から倒れ込んだ。
倒れ込んだ時しっかり俺の後頭部を掌で押さえてたあたりが、こいつホント手慣れてんな…!と苛っとした。

 

 

 

 

「ん…っ。ぁ…、っ――」

ぐっと唇を噛んで声を押させようと思っても、すぐ開いて声が出ちまう。
俺を押し倒して散々また息苦しいキスして酸欠になったところで、北斗が人のモノを躊躇いもなく食いつきやがってそれはもうビビった。
比喩とか何だとかじゃなくて、マジで口に咥えて何度も舐めて吸われる。
"フェラ"っていうのは知ってはいたが、初めてされてあまりの刺激の強さに驚く。
いつもは手で少し触るくらいのその場所を、手でも扱きながら何度も口が出入りする。
熱くてぬめっててべちょべちょで…。
何より、両脚の間に北斗が顔突っ込んでる光景が、腰に響く。
全然知らない気持ちよさに脚が震えて、自然に開いちまう口の端から唾液が零れそうになるのを、慌てて何度も呑み込んだ。
た、確かに気持ちいい……がっ。
こ、こいつ…嫌じゃねえのか、人のモン咥えるとか…!
よくやるな。し、信じらんねぇっ…。
当たり前みたいに手を添えて結構な時間舐められ、もう完全に硬くなった。
うっかりすると北斗がそこにいるのに出しそうになる。
離そうと両手で北斗の頭や肩に手を置いてはいるが、まず力が入らねえし全っ然離れる気ねえしで…。

「ほ、くと…っ。も…もういいもういいっ…!もういいってぇ…っ!すっ…吸う、なぁぁ…っ」
「どうして? 気持ちいいだろう?」
「はぁ…っ…。ょっく、ね…ぇ」
「抱き合ってる最中は嘘はつけないよ、冬馬。…特に冬馬は、きっとね」
「ひっ…!?」

改めてぱくりと奥まで咥えられ、勢いよく吸われる。
ギリギリまだ保ってはいるにしても、先走りが先から溢れてるのは当然自分で分かる。
っ…。
快感が奥から引っ張り出される感覚に、どんっと北斗の肩を叩いた。
そのまま、ぐっと拳にする。
腿がびくびくと震えて、もうイキそうだ…。

「はあっ、ああっ…あ…ぁっ。ほく…とぉ…、や…。出る…っ離…」
「…」
「ってオイぃッ…!何で――…うわっ、馬鹿馬鹿お前っマジッで……っ~~っぅ、あっ!!」

先から熱いものが迸る。
快感が爪先から脳天に奔って、シーツの上で背中が仰け反り、体が震えた。
久し振りの開放感が走り抜ければ、筋トレのメニューが終わった時みたいにどっと体が弛緩して、数秒間荒い息を繰り返すしかできなくなる……が。
…ぜーはーしたまま、数秒間固まる。

「…。――…へ?」
「ごちそうさま」

…。
待て。
…は?
唖然として、まだしつこく先や内股にキスしてる北斗の今言った言葉が頭の中に響く。
暗い天井を見上げたまま、ぼんやり口を開いた。

「…。お前まさかの……の、飲んだ…のか?」
「ごちそうさまでした」

改めて、北斗の声がしれっと部屋に響く。

「……。ぉ、おま…お前な……」

ぶるぶる震えながら、脚の間から顔を上げた北斗を涙目で睨む。
ひ、人が…人がっ、「出る」っつってんのに、普通更に深く咥えるか!?
しかも飲むな!!
うえ…。想像しただけで気分が悪ぃ…!
丁度親指で口を拭っていた北斗と目が合い、かーっと体が燃える。

「ば…馬鹿だろ……」
「イクって教えてくれただろ?」
「離せって意味で言ったんだよ!」
「俺が飲みたかったし、口の中でイった方が気持ちいいからね。達している間も熱くて感じるだろ? 冬馬の言う通り、その気にさせちゃった責任は取らないと」
「お前もうそこで喋んなぁ…っ」

左の内股を舐め上げられて、ぞわぞわ背中が震える。
イったばっかで力が抜けてるところをあちこち触られると、また変な気になってきそうで、ぐっと肩を強張らせて耐える。
体を起こして、北斗が転がってる俺の首の横に顔を寄せてくる。

「気持ちよかった?」
「…っ」

頭を低く持ち上げられ、頭の下に枕代わりにクッションがぽいと置かれたと思ったら、またベタベタキスしまくりながら聞かれ、何て返せばいいのか分かんなくて黙る。恥ずすぎる。
この状況で普通な北斗がどうかしすぎてる…!
顔を背けて固まってると、耳元で小さく笑い声が響き、むっとした。
ガキだと言われてるみてえで、こいつだけ余裕があって腹が立つけど、太刀打ちができねえ。

「ねえ、冬馬。もっとシンプルに考えよう」
「…。何が…」
「大切な相手に触れて、触れる方も触れられる方も、お互い心も体も気持ちがよくなるって、とても素敵なことじゃないか? 俺はずっとそう思ってきたんだけど」
「…」
「しかも経験上言わせてもらうと、好きな相手であればあるほど、不思議と気持ちよく感じるものだよ。…俺は今、冬馬とこうしていてとても気持ちがいい。こうして撫でるだけでもね」
「…っ!腹触んなっ」

つい…と上から臍を指先で撫でられて、一瞬びくっと体が震える。
自分でも鬱陶しいくらい一々反応しちまう俺と違って、北斗が気持ちいいのか悪いのかなんて、俺には全然分からねえくらい、北斗には余裕があるように見える。
俺ばっかり感じちまってて、それが恥ずい…。
触られるとふわふわして熱い。
握られりゃ体が燃えるし、手が離れると何となく惜しくなる…。
…。

「感じやすいことを恥ずかしがる必要なんてないよ。寧ろ、冬馬がよく感じてくれているなら、俺はとても嬉しいんだけどな。…気持ちいいなら我慢しないで声を聞かせて。感じてる姿、可愛いよ…」
「っ…。お前もうその声止めろよ…っ」
「そうやって恥ずかしがって耐えているところも可愛いけどね」
「それもう何だっていいんじゃねーか…っ。お、俺に可愛さ求めんのがまず間違ってんだよ…っ」
「そう? 正解だと思うけどな。…冬馬も、その声とても魅力的だよ。震えていて、怖がってる。…けど、ここから俺が何か酷いことをすると思う?」
「…っ」

北斗が俺の右肩に手を置いて、上から顔を近づける。
キスされると思って、思いっきり目を瞑った。
あっちこっちへベタベタキスした後、口が重なる。
舌先が右から左へ俺の唇をなぞるから、「開けろ」って言われてる気がした。
薄く唇を開く。

「ん……ぁ」

北斗がすぐ傍で横になり、肩にあった北斗の手が脇腹を撫でる。
ウエストに添えられたその手が少しずつ上に上がっていって、さっき拒否る前みたいに、ティシャツが上へずり上げられていく。
また首辺りまで引き上げられるのかと思ったが、丁度胸が隠れる辺りで止まった。
ただし、するりと北斗の手がティシャツの中に入ってきて、また左胸を指で包むように抓まれ、ぎょっとした。

「おいっ…!」
「…触らせて」
「だから!っ…、んなの、何がぁ…楽し……っ…」

普段存在すら意識しねえその場所を人差し指と親指で優しく刺激されると、確かに変な気になってくる。
真っ平らな胸に北斗の手がかかるだけでぞくぞくする。

「ン、ふ…っおわ!」

それでも下半身咥えられた時みてえに大きな刺激じゃなく、小さな刺激にびくびくしていると、不意に北斗がティシャツを捲り上げ、右の胸に吸い付いてきた。
敢えてなのか何なのか、とやたら音がする。
ちゅぷちゅぷと水音が耳に痛い。ぐわっとまた熱が出てくる。

「北斗…ゃっ、…おいっ。……ひっ」
「感じる? …気持ちいいならもっと触れてあげたいけど、あまりここは強くはできないね。露出もあるから」
「はぁっ…。ン、ぐ…」

強かった舌の刺激が、"添える"くらいの小さなものに変わって、忘れた頃にまた口や耳にもキスをされる。
あっちこっち触られて、暫くやってねえのもあるし、下半身がまたむずむずしてきた。
ぅ…。
隠そうと両脚を閉じたのが悪かったのか、北斗が気付いて片手でぎゅっとまた俺のを掌で包み込む。

「ぅあッ…!」

腰が引けるが、そんなのお構いなしで、またゆるゆると優しく刺激され、硬さが増していく。
その場所を見られないから尚更目を閉じるだけだが、快感が全身を突っ走っていく。
折った脚がびくびく震える。

「そん…っゃめッ、…っ、そこやめ……っじゃ、ない!違うっ、じゃなくて…っ」
「気持ちいい?」
「…!」

"嫌だ""止めろ"は言うと北斗が止まりそうでなるべく言わないようにしていたつもりだが、ぽろりと口から零れ出てまた止めちまわないかと一瞬焦った……が、もう北斗もさっきみたいに止まる気はないらしい。
「気持ちいいか?」とまた聞かれて、一瞬「んなわけねーだろ!」と答えそうになるところを、ぐっと呑み込む。
素直に返そうかどうか迷ったが、やっぱり言葉にできなくて、口元に手を添えて否定だけはせずに黙り込むことにした。
…けど、下半身弄られてる間にまた波が来そうになって、ふと顎を上げてすぐ横にいる北斗を盗み見るみたいに、顔にかかってきてる横髪の間から見上げる。

「ま、待て…。北斗…」
「うん?」
「俺、は…もういい。さっきその…イ…たし、だ…。……その…。お、お前…。出してねえだろ…?」
「すぐイキそうだけどね」
「…」

ちゅ、と目元にキスされる。
…ぜってー嘘だ、と思った。
すぐイキそうな奴は、そんな余裕でキスしてこねーよ!
一瞬呆れたが、お陰で気を取り直して恐る恐る聞いてみる。

「く、口?とかで…とか…。や、やった方が…いいのか…?」
「…」
「え、ぁ…。ち、違う、のか…?」
「……冬馬が?」
「あ? …っおい!何で笑うんだよ!?」

信じらんねえことに、北斗が片手で口を覆ってくすくす笑い出す。
ふ…っざけんなよ!?
人が折角気ぃ使ってやってんのに!!
ぶぼっと顔が赤くなり、ずっと微妙に背けていた体をベッドの上でぐるっと北斗へ向けた。
まだ笑ってるらしく、口を押さえたまま今度は北斗が俺から顔を背けやがる。

「な…何だよっ!笑うとこかよ!!」
「…っ、いや…。…いや、ごめん、そういうんじゃなくて…。…ちょっと待って。今、すごく顔が緩んでる気がして…」
「はあっ?」
「たぶん見せられない顔してるな、これ…」
「…」

そう言われると見たくなる…。
少し首を伸ばしてみるが、薄暗いし向こうを向いている北斗の顔は見えない。
ちょっとがっかりして、伸ばしていた首を戻した。

「…? 暗くて見えてねえよ…」
「そう。よかった」
「…!」

一呼吸置いて、くるっと北斗がまたこっちを向く。
俺が顔を覗き込もうとしてたから、気付けばさっきよりずっと北斗の懐に入っていた。
くっついている肌が熱い。
俺の横髪を撫でながら後ろへ流し、頬を撫でられる。
あの舌入れてくる方のキス程じゃねえけど、力が抜けていく体に北斗の甘い声が響く。

「無理はしなくていいよ、冬馬。その気持ちが嬉しい。…その代わり、俯せになってくれる?」
「…俯せ?」
「ここを少しずつ慣らしておこう」
「…!?」

後ろ腰に回っていた北斗の片手が、ついと下へ行く。
今まで生きてきて、人に触らせるとか考えもしなかったその場所を中指で触られ、びくっと全身が引きつった。
…。
……慣らす?
ざあ…と血の気が引いていく。
男同士じゃそもそもできねえだろ!って思ってたが……まさか、その別の場所に代わりに挿れる…のか?
いや、入……入らなくね…?
ていうか……き、汚ぇ…だろ…。
…。

「ゆっくり慣らすから、伏せに――」
「ぃ…嫌だ…」
「…」
「…」

気付けば、口が即答していた。
さっきまでの甘ったるい空気がどこかへ行って、気まずい沈黙が場に降りてくる。
…けど、そう思っているのは俺だけみたいで、不意に北斗がするりと俺の片手を取った。

「…もう遅いよ」

指先を握られたまま、ついともう片方の手の指で顎を持ち上げられる。

「う? …ンぐ――っ!」

ぎくっとする間もなく、深くキスされる。
また酸欠気味と舌で口の中をぐちゃぐちゃに動かれ、一気に体から力が抜けたところを、問答無用でさらーっとひっくり返された。
ぼふっとクッションに顔面から突っ込む。
くっ…。
少しの間そのまま息を整えてから、両手を顔の左右で拳にして、その突っ込んだ顔面を勢いよく上げた。

「…っ、お前ーっ!人黙らせたい時しかキ…キスっしねえんだろ!?」
「今のはそうかもね。…けど、次は"愛してる"を伝えてあげる」
「…っ!」

思ったよりすぐ耳元で北斗の声がして、驚いて顔を上げた途端、ぴったり口を塞がれた。
いつの間にか、北斗が俺のすぐ上で四つん這いになっていて深くキスされる。
酸欠気味と舌で口の中をぐちゃぐちゃに動かれ――…って、さっきと同じだと思うのに、何が違うのか比にならねえくらい力が抜ける。
目を開けてられなくて、ぎゅっと閉じて顎を引く。
角度が変わったはずなのに、しつこく口の中を追いかけてきて……ぴちゃぴちゃという水音とお互いの息遣いがやばい。
目が回る…。

「はぁ……ふ…っ」
「…」

追いかけられてる間に、腹に腕がかかって、ぐいと上へ持ち上げられた。
反射的にバランスを取ろうと、シーツに膝を着いちまう。
今の格好がどうこうとか思う前に、尻の間を北斗の指が這い、びくっとする。
しかも何か――…指が濡れてねーか…?
冷たい液体が妙な所を流れる初めての感覚に震えた。

「なっ――…っ」
「少なめのローション。…大丈夫。きっとすぐ気持ちよくなれるよ。無理はしないから」

シーツに手を着いて起きようと思っても、屋根になってた北斗がぐっと体を詰めてきて、起き上がれなくなる。
続けざま口を塞がれ、ぴったりくっつく背中に北斗を感じて、今更そーいや相手がほぼ裸だったと思い出す。
…で、何故かいつの間にか自分もティシャツが首回りにないことにも今気付いた。
大体、お前そのローションとやらどこに持ってやがった。
言いたいことは山程あるが、全部全部気持ちよさに持って行かれる。
その気持ちよさのどさくさにまぎれて、ぐ…と指が中にマジで挿ってきた。

「く、ぁ……っ」

感覚に跳ね上がる。
痛くはねえが、どう感じても違和感がある。キツい。
呼吸する度に入口がぎゅっと閉じて、中に入れられた指の大きさが分かっちまう…。
ゆっくり中へ入ってきたそれが、中を少し押して、またゆっくり出て行く。
その繰り返しだ。
小さな水音が繰り返される。
何かやられてるってことは分かるが、張り付いてる北斗が首とか耳とか口で触りまくるから、そっちに意識が向けられない…。
左耳の下の顎の輪郭を舐められて、ぞわぞわ肩が震える。
手持ちぶさたで、何か握りたくて…シーツと、すぐ横にある北斗の手首に手をかけてぎゅっと握った。

「ん~~っ! ふっ…。んぅ…っ」
「……可愛い。冬馬」
「っ…はあ……っるせ…。はっ…うぁあ…っ」

中に入ってる北斗の指の先が、腹の裏辺りのある場所をゆっくり撫でる。
腰がすげー痺れて、びりびりする。ずぐんと前が硬くなった。
先から少し溢れる感覚に、かあっと頬が熱くなる。
北斗のキスを逃げて、肩を上げ、クッションに額を思いっきり押し当てた。

「そ、こ…っ。やめ……っひ…。ぁ、あ…変っなぁっ…ぅあ!」
「…ねえ、冬馬。俺がいつ冬馬の家に来ているかなんて、気にしてなんてなかっただろう?」
「っ…は…。な、なに……ぃ、つ…?」

北斗の言ってる意味が分からなくて、快感の中で眉を寄せる。
…いつ来たか?
いつも何も…翔太と寄らねえ時は、今日みたいにふらっと…。

「冬馬が休みの前日は、ずっとね、お邪魔してたよ」
「…? はっ…。や…す…ぃっ」
「急がないつもりだった。冬馬のペースがあるだろうと思っていたからね。今までずっと耐えられたことを思えば、大したことじゃないと思ってた。…けど、それでも一日でも早くその日が来ればいいなと思って。とにかく切っ掛けが欲しくて…。…ちょっと余裕なさすぎたな」
「ぅ…っ、あ…」
「好きだよ、冬馬。…どうしていいか分からないくらい」

他人事みたいな苦笑が、上から振ってくる。
…頭が回らない。
北斗が何言ってるか、解るよーな解らないよーな…。

「ぅ…」

ひく…と喉が震えた。
腹の奥が熱い。前が焦れったい。
北斗の指を、体の奥が待ってる。
体全部が俺のものじゃないみてえだ。
一人でやるのと全然違う。
き、気持ちよすぎて…。頭が…。
ぎゅっと目を瞑ると、目の端に溜まってた涙が零れた。

「わ、り…。何、言ってるか…ぁ……、わ…かんねぇ……っ」
「…聞かなくていいよ」

微かに笑う声が耳に届いたような気がしたけど、何だかもう音は入って来るが、理解ができねえ…。
ただ、不意に指が抜けて、上から肩の上に両腕が回った。
掻き毟りたいような疼きを感じていると、ぎゅうと狭く背中から抱き締められ、一瞬理性が戻る。
ぱち…と瞬く。

「はぁ…。…あ……?」
「冬馬が欲しい。…ずっと欲しかった」

耳の中を擽るような声を残して、俺の背中から体温が離れる。それが寂しく感じた。
いつの間にか膝立ててた脚を開いてそのまま潰れそうになってた俺の腹を片腕で抱え直し、軽く持ち上げて改めて膝を着かせる。
目で見てねえけど、背中から温度が消えた代わりに、熱の塊が、今北斗の指が入っていた場所へ添えられて、どきりとする。
ぱたぱたっと、またその場所にろ、ローション…が足されて…。

「…力抜いて」
「ひ…、ぁ、わ……っ」

添えられてた熱が、グッと体の中に入ってくる。
思ってもみなかった質量に、一瞬視界がチカッと眩しく光った気がした。

「…――ッ!!」
「っ…」
「ぅあ…。ああぁぅ……~っ」
「ん…っ…。……冬馬? 痛くない?」

北斗の声がいつもよりずっと気弱な気がして、何も考えずクッションに額押しつけて首を振る。
パサパサと自分の髪がクッションやシーツを滑る音がした。
たぶん、痛くはねえ。
痛くはねえけど……"押し込む"って感じだ…。
高温が、少しずつ体の奥へ……俺でも知らねえような場所へ進んでいく。
閉じて耐えていた目を、うっすら開ける。

「ぁ…はぁ…。腹、がぁ…。あっ…つ……っ」
「…」
「ふあ…」

温度を散らそうと口を開けて呼吸する。
口の端から零れた唾液を北斗が舌で掬い取って、そのままべちゃべちゃに口付ける。
普通なら信じられねえそれも、ただぽーっと沸いた頭で見送った。
一呼吸置くと、北斗の熱が体から抜けていく。
その感覚にもぞくぞくしたが、全部抜けきる前に、また中へ収まる。
…さっきの指と一緒だ。
少しずつ奥へ、少しずつ広く。
確実に、中を暴かれていく。
そのうち速さが出てきて、ずぷずぷ熱を打ち込むみたいに北斗が俺を組み敷く。
さっき指でゆっくり押されたあの場所を熱が擦ると、一気に腰が砕けて、膝も崩れそうになった。
我慢できないビリビリが前に響いて、無意識に上半身を肩で支えて、両手で自分のモノを握っていた。
体が熱すぎて、汗がすげー出る…。
吐く息が全部熱い。
もう口開けてねえと呼吸が追いつかねえ。
ギシギシ今まで聞いたことがないくらいベッドが軋んで、けど止めようとか抑えようなんて思い立ちすらしなかった。

「っ…そのまま……口で呼吸していてごらん。少し楽だし、可愛い声も聞かせてほしいな…」
「ふぁ…」

口に指が突っ込まれ、舌を緩く挟むみたいに奥から先へ一撫でして出ていく。
体が揺らされる度に、情けない声が唾液と一緒にぼろぼろ零れてく。

「ぁあ…ッ、ふぁっ…。ひ…ッ、ほく と、ぉ…ぁあッ!」
「…感じ方いいね、冬馬。素直。は…、中も……とても熱くて狭い…。気持ちいいよ」
「ん、…ふ…ッ。う…ぁっ、ンっ――ひあっ!?」

自分で握ってたモノを、俺の手をやんわりどかして、北斗の片手が握る。
自分より広い手に握られ、前後にリズムよく動かされてて逃げ場がなくて、北斗のその手に手をかけて体を捩った…けど、どうしようもない。
前も後ろも気持ちいい。どうかしちまいそうだ。

「――っ…!ぅっ、あっ…!」

どんどん昇っていく感覚に耐えられなくなって、喉が反れた。
やばい。クる…。

「ぃ…あっ。ほく…と…ぉっ、離――…出るっ、うぁ…っ」
「っ…。いいよ、冬馬…。イって」
「――ッ」

握られる速度が上がって、ぐっと北斗の手首に爪を立てた。
ぎゅぅっと後ろのその場所が、意識したわけじゃねえのに強く絞まる。

「ふぁ…あああッ――…!!」
「――ッ」

溜まった疼きと熱が迸る感覚が駆け抜ける。
聞いたことのない自分の声を聞く一方で、腹の中がかっと燃えるように熱くなった。
…。

 

 

 

 

 

 

朝――。
…。
今日ばかりは、朝なんて来なくてよかった…。

「………………」
「そろそろ起きる? 冬馬」
「………………」
「寝たふりはもういいんじゃないか? そういう所も、冬馬らしくて好きだけどね。…勿論、俺は一日このままでもいいよ?」
「っ…」

北斗がどっか行くまで必死に寝たふりしてたのに、さらりと近真横という距離で言われ、ぴくりと眉が動いちまった。
…くそっ!!!!
心の中で思いっきり舌打ちしてからもそもそ鼻先まで布団を引き上げて、いよいよちらりと目を開ける…。

「……」
「おはよう」
「………ぉぅ」

体を横向きにして俺に片腕をかけ、一人だけ早々とざっくりシャツ着てる北斗が、頬杖で頭を支えながらすぐ隣に十数分ずーっといやがる…。
物音がして目が覚めて……北斗が移動したのは分かったが、どうすりゃいいか分からなくて動けないでいるうちに、当たり前の顔して戻ってきて、また同じようにベッドに横になりやがったから、ますますどうしていいか分からなくなってた…。
見飽きた営業用スマイルとはまた違うが、見慣れた微笑みに気が抜ける一方で、かあっと顔が熱くなる。
ど、どういう…。
どういう顔すりゃ……。
…。
…だめだ。目が見られねぇ…。
ま、毎回こんな恥ずいのか…。
冗談だろ…。
無理…。耐えらんねえ…っ。
泣きたいくらいの羞恥心に支配されて、のろのろと身動ぎし、枕に鼻先を埋める。

「お、お前…。き、着替えに行ったんなら……戻ってくんなよ…っ」
「戻ってくるよ。冬馬の傍にいたいからね。…可愛かったよ、冬馬。すごく気持ちよかった…」

耳元での甘ったるい北斗の囁き声に、ぞわぞわ鳥肌が立つ。
こ、こいつは…。
いつもなら胸ぐら掴んでもよさそうなところだが、不思議と怒りが沸いてこない…。
悔しくて、嫌味のひとつでも言ってやろうと枕に顔面押し当てたままぼやく。

「……お前はそれを何十人に言ってきやがった」
「嫉妬?」
「はあッ!? 違ぇ――…っ!」

嬉しそうに聞き返され、カチンと来て顔を上げたところに間髪入れずキスされる。
ぐいとしてる最中いいように押されて、終わる頃には微妙に俯せだった体が仰向けに返ってるという…。
…こいつやっぱり、黙らせたい時にしかしねえんじゃねーか!
照れ隠しもあって、疑いの眼差しでむすっとして北斗を見上げる。

「――…」
「それ翌朝に恋人を見る目としてはどうなんだろうな」
「…っ、足止めろッ!」

布団の中で脚を絡めてきやがって、げしっと軽く蹴って自分の脚は膝を折って縮こまった。
狼狽えてる俺の様子を見てか、北斗が少し困った顔をしながら、片腕で布団を俺へかけなおしながら聞く。

「やっぱり、嫌だった?」
「…。い、嫌、では……ねえ…」

そこだけは勘違いしてほしくなくて、否定しておく。
何度も言うが、嫌だったら力ずくで殴ってでも止めるに決まってる。

「お、驚いた、けど…。その……よ、よかったと…思ってる…。……お前と、できて…てゆーか…、まあ……。…あと――」

恥ずすぎて、すぐ目の前のシーツの皺を意味無く見詰めながら吐き出す言葉が詰まる。

「俺…こ、こういの、全然分かんねーから…なんか、わーわーしちまったけど…。ちゃんと……き、気持ちよかった……。お前言ってただろ? 好きな奴だと……って…」
「…」
「…。わ…、悪くな…なかった…」

途切れ途切れで何とか否定し終わると、北斗が深く息を吐きながら頬杖を止めてゆっくり頭をすぐ傍のシーツに下ろした。
…そういや、いつの間にか俺はどっかに放り投げたはずの枕の上にいる。
昨日の夜、二回目回イった後の記憶がない…。
何かあれこれその後もあったような気がするが――…。
色々記憶を思い出さないうちに布団の中で北斗が俺の片手を取ったから、そっちに注意が行く。
握るとも言えない、指先がちょっと触れてる程度。
けど、そこに確かな熱と、クセぇけど、何つーか…まるで実際の物みたいに、"小さな幸せ"みたいなものがある気がした。
…初めて知る変な感覚に戸惑いながら顔を上げると、当然だが、北斗が横たわってる。
その目や顔を見て、はた…と止まった。
正直、見飽きた顔だ。
もうずっと一緒にやってきた。
けど――…。

「――」
「…わがまま言っていい?」
「え? ……あ。な、何だよ…」
「キスして」
「…」

呆れる。
…キス魔すぎねーか、こいつ。
翔太とはまた違うが、結構こいつもひっつき性だな…。
大体、さっきもしたし、何なら昨晩はちょっと口に変な感じが残るするくらいしまくった気がする。
けど、"NO"と言えず、何故か"仕方ねーな"って気になる…。
…。

「……目、瞑れよ」

ぶっきらぼうに呟くと、北斗が少し笑いながら大人しく目を伏せた。
自分の体を俯せに返して、シーツに肘を着く。
肩を持ち上げて、そろそろと横から北斗へ顔を寄せて口付けてやった。
…こいつみてーに色んなやり方はできねえから、これでいいのかどうか謎だったが……俺の後ろ腰に片手を添えて、北斗が目を開ける。
合った目が、満足そうに緩んだ。
もう片方の手で、頬を撫でられ髪を梳かれる。

「ありがとう」
「…」
「飲み物持って来るから、冬馬はここにいて。あと、マスカットもね」
「っ…」

耳に軽く返して手を添えた腰を一撫でしてから、北斗が体を起こす。
すっと澄ました感じで両脚を下ろす仕草は、何だかあっけなく見えてもやっとする。

「――…おい、北斗」

ボタンを留めてない白シャツと下着姿で立ち上がろうとしていた北斗を、思わず呼び止める。
いつもの調子で、北斗が振り返った。

「ん?」
「…なあ。お、お前さ……今まで、ずっと一緒にいて…あんまり意識したことなかったが…。す、すげー…カッコイイ奴なんだな……」
「…」
「モデルやってたくらいだ。こう…男として顔とスタイルがいい方なんだろうってのは、前々から分かってたつもりだし…それは知ってるつもりだったが…。そ、ういうんじゃ…なくてだな……」

…ダメだ。
上手く言葉にできねえ。
そのうち、俺自身も何を言ってるか解らなくなってくる。
布団で口元を覆いながらぼそぼそ言ってると、ベッドに腰掛けていた北斗が意外そうな顔をした。

「そう見えてきた?」
「あ? あ、あぁ…」

驚いたような顔の後、またさっきみたいに柔らかく笑う。
その微笑みが、いつもと全然違う。
澄ましたような目でもキザったらしい笑い方でもなくて、滅多に見ねえふわっとした、ちょっと照れたような苦笑気味の笑顔が本当の笑みだって、すぐに気付く。
「北斗が喜んでる」って小さな状況が妙に嬉しくて、胸が熱くなる。
…心臓が苦しい。
バクバク鳴ってる。

「…ちょ、ちょっとな」
「こんなに長い間一緒にいるのに、今なんだ?」
「うっせえな…。何となく思ったんだよ。普段まじまじとお前の顔なんか見ねえし…」
「冬馬はそうかもね。…嬉しいよ冬馬。…本当に」

両脚ベッドから下ろしたまま、枕の隣に片手を着いて、北斗が俺に重なるようにして上半身を倒す。
びくっと身を固くして思わず肩を上げたが、何てことはない、また耳と、首の上になってる側にキスされただけだった。
ちゅ…という小さな湿った音にぞくりとする。

「慣れるまでは、体が驚いて体調が崩れるかもしれない。今日は俺も一日居させてもらうから、ゆっくり休もう。起きようって気分になるまでは、極力横になっていた方がいいよ。必要なものがあったりやっておくべきことがあるなら、何なりとご命令を、お姫様?」
「誰がお姫様だよ…」
「朝のご奉仕でもしようか?」
「いんねーよっ!」

普段なら腹立つだけだったはずだが、ただ頭を撫でられるだけで気持ちがよくて、枕に横頬くっつけたまんま、黙って北斗の指が自分の髪の間を滑るのを視界の端で見ていた。
今更、また翔太が言っていたことを思い出す。
なるほどな…。
ちょっとだけ解った気がするぜ。
これが、「好きな人に触りたくなる」、ってやつか…。
別に昨夜みてえにずば抜けて特別なことをしなくても、俺にちょっと触るだけで嬉しくなるってんなら、頭でも腕でも好きなだけ触ってろよって気になる。

「好きだよ、冬馬」
「…うるせーな。聞いたっつーの…。いいから行けよ」

腕一本布団から出して、しつこくベタベタしてくる北斗の鼻でも抓んでやろうかと思ったが、あっさり手首が取られて指先にキスひとつしてから、今度こそ本当に北斗は起きてキッチンの方へ歩いて行った。

 

いつも遅起き好きじゃねえんだが、その日は珍しくいつまで立っても北斗が言うように「起きよう」って気にならなくて、そうこうしているうちに本当に昼過ぎから熱が出た。
午後いっぱいは多少苦しかった気はするし、半分くらいは爆睡してたが、喉に来たわけじゃなかったし、夜には何とか引いてたから、翌日休むなんてことにならずにほっとした。
まあ、多少調子が悪かったり風邪ひいてたりしても、感染ったりするもんじゃねえかぎりはスケジュールに穴を開ける気はさらさらねえけどな。
…それに、今まで調子が悪い日なんてたくさんあったが、ここ最近自分が調子悪くてぐったりしてる時に家に誰かいるってことがあんまりなかったから――…。

「熱は…少し下がってきたみたいだな。病気なわけではないから、すぐ下がるはずだよ。もう少しかな」
「…つーか、お前マジで一日いる気か? もー寝てるだけだし、いいって…。帰れよ。折角の休みだし、お前が暇だろ?」
「折角の休みだからだよ。これ以上の有意義な使い方はないと思うけどな。…ところで、そろそろ俺と目を合わせてくれない? 寝起きはちゃんと合ってたんだけどな」
「…」
「そっちの練習も、しといた方がいいんじゃないか? "普通に"俺と接する練習」
「っ…かってんだよ…!」
「可愛いけどね、今の避けてる感じも。…俺が暇だと思うなら、何か用事を言ってみたら? 傍から引き離せるし、一石二鳥なんじゃない?」
「別にねーよ…。馬鹿」
「マスカットの他に何か食べたいものとか」
「…。…んじゃー、アイス」

まあ、何つーか…。
北斗には悪いが、当日よりも、俺は翌日の死んでる日の方が微妙に気に入ったかもしれねえ…。

 

 

 

 

 

「あ、おっはよー、鬼ヶ島羅刹くーん!」
「お前その呼び方マジで止めろよ!この間ファンにも言われたんだからな!?」

事務所前の道でばったり会って、右腕挙げて言ってくる翔太に突っ込みながらドアを開けて一緒に建物の中に入る。
階段に足をかけて上り始めると、どさくさにまぎれてぐっと俺のバッグの帯紐を握って体重をかけながら、翔太が口を開いた。
急に重くなった体で、力任せに階段を昇る。

「ねーねー。それで、ちょっとは分かった?」
「あー? 何が」
「恋心がどーのの話。この間、僕が爆弾投げてあげたでしょ? 進展あったかなと思って」
「ばっ…オイ!ここ事務所――」
「勿論、誰もいないの分かってて言ってるんだよ。寧ろこの時間帯くらいしか、僕らがたまたま二人なんてことないじゃない。…あのさ、北斗君あれで結構繊細なんだから、中途半端にあんまり振り回しちゃ可哀想だからね。よく分からないうちは、付き合うのどーかと思うよ。期待持たせすぎてもさ」
「…」

階段登り切った所、事務所ドアの前の踊り場で、足を止める。
半眼で後ろを振り返ると、翔太が俺のバッグを片手に丸い目で俺を見上げていた。

「…お前、みょーに引っかかってくんな」
「僕? だって、そりゃメンバーだもん。気にはなるでしょ。まー上手く転んで二人が満足いくんだったら僕だって嬉しいし、ちょっと悪い方に転んだら僕が慰めてあげないとね。どっちにしろ、仕事中にそういうの持ち込んでぎくしゃくしたり逆にベタベタされたら怒るけど」
「するわけねーだろ!」

仕事とプライベートは絶っ対に分ける!意地と根性で!!
…けど、そりゃそうだよな。
翔太にとっては、俺と北斗が付き合ってるってのは、何つーか……仕事に響かねえとは言ったって、気を使ったりすることだってあるだろう。
こいつがそんなタマかどーかは置いておくとしても、だ。
この間言われた言葉だって、きっと翔太は翔太なりに考えがあってぶん投げたんだろうってことは、一応解っているつもりだ。
体重かけられたお陰でズレてたバッグの紐を元の位置に戻し、翔太へ体を向ける。

「…お、俺はやっぱ、翔太が言うように、そういう……特別な奴だからって、自分から触りてえとかは、思わねえ…」
「…。本気?」
「ああ」
「……ねえ。だからさぁ、もう一回真面目に考えてみなってば。それってどうな――」
「ただし、"触られる"方が好きだってことが分かった!」

ぐっと右手で拳をつくって俺なりに分かったことを断言する。

「北斗はお前と同じみてえだったが、だからってどいつもこいつも、全員お前らと同じってわけじゃねえんだよ。逆に触られる方がいいって奴もいるんだって。…だろ?」
「…」

俺の話を、見上げていた翔太が大した反応なくぼーっとしてたかと思うと、今度はのろのろと俺のバッグの紐を放し、すげーたるそうに横の手摺りに片頬杖を着いた。
半眼で俺を見上げる。

「ぁー…。…あぁあ~っっっそう!」
「…? ああ。考えたら、今みたいにお前にじゃれつかれんのもタックルされんのも言う割に嫌いじゃねえしな。自分からお前に飛びつこうとかはなかなか思わねえが、お前から受けんのはスキンシップって感じがしてんだぜ。…そりゃ、たまにガチで痛ぇ時あるけどな。寧ろ安心するっつーか、気合いが入……っふぇ!?」
「も、ホンットそういう所なんだよねー冬馬くんさあ~。エサ撒きすぎっ。僕だったら本っ気で怒るやつだからね!お仕置きタイム突入するやつだよ、それ」
「ひへえっ…!」
「北斗君が優しくてよかったねえ~」
「っふぉい!ふぁふぃふん――…ってぇなオイ!何すん――」
「おっと」
「…!」

突然翔太に両頬掴まれてぐにぐに引っ張られたんで、手首掴んで引き剥がし、慌てて後退して逃げる。
逃げた拍子に反転しようとしてバランスを崩しかけたところを、ぱしっと背後から両肩を掴まれて支えられた。
驚いて振り返ると、上の階から降りてきたらしい北斗がそこにいた。
一瞬、びくっと体の筋肉が固まる。

「二人とも、おはよう」
「…っ」
「あれ? 北斗君今日早いね」
「まあね。今日は朝一でダンスレッスンだろ? たまたま早く来たから、曲の準備をしておいたよ。…楽しそうだな。何を話をしてるんだ?」
「な…何でもねえよ!」

片腕を振るって、払うように北斗に離させる。
北斗の方でも俺の次の行動が分かってたみたいで、最初から肩を持ってた両手をぱっと開いてあった。
思いの外あっさり離れて、ちょっと肩すかしを食らう。
くすくす笑う北斗からそれとなく数歩離れて、翔太の方が北斗に近くなるように移動する。
さり気なくやったつもりだが、さっきまで話してたこともあり、翔太がきょろりと俺と北斗を見て、いつか見た時と同じように、ばっとパーカー袖で半分くらいまで隠した掌で勢いよく顔を覆い出す。

「…北斗君かわいそうっ!」
「うん?」
「いやっ、何でだよ!?」

意味分かんねえ奴だな!
それこの間やった流れだろうがっ!
俺たちの横を通り、北斗が事務所のドアを開ける。

「どうかした?」
「あのね、冬馬く――ふぐっ」
「だからっ…!お前ちょっと黙れって!!」

翔太の口を後ろから塞ぎながら、事務所に入る。
…大丈夫だよな?
"普通"…できてるよな?
翔太とわあわあやりながらも、ちらりと横目で北斗を一瞥すると、不意に目が合った。
何気なくウインクされ、今まで苛っとしていたそれに加わり、かっと体の芯が熱くなった気がして、気付いたら片腕で北斗の肩をぶっ叩いていた。

「いてっ」
「へらへらしてんじゃねえ!お前らっ、振り完璧に覚えてきたんだろーな!!」
「勿論」「あったりまえじゃーん」
「初合わせだが、まずは一発で行くぜ!後の時間は細かい調整に使って、とことん仕上げてやろうぜ!!」
「ふふ。おはようございます、みなさん。今日も気合いが入っていますね」

デスクに座ってた山村さんが、俺たちが入って来たのを見て席を立った。
朝の挨拶を返し終わってから、山村さんが手に持っていたボードを開く。

「そうそう、先日の三社合同撮影、スポンサーさんに随分とご好評いただいたそうですよ」
「本当か!?」
「やったね~。まー、僕らならトーゼンってやつだけど」
「ええ。特に、伊集院さんについては追加のお仕事をいただくこともできました」
「そうですか。ご希望に添えてよかったです」

山村さんが傍に来て、そんな嬉しい報告をする。
右手を胸に添えた北斗が軽く会釈するのを見て、翔太が両手を頭の後ろで組んだ。

「やっぱりねー。あの日北斗君輝いてたもんな~。…ね~、冬馬くーん?」
「は? …あ、ああ。まあ…篠原さんも言ってたしな…」
「そう? よかった」
「…」

じっと傍の北斗を見上げる。
…。
撮影の時に翔太が言ってた理由が、本当にそうかは分からねえが……何にせよ、北斗にいい影響が出るってのは……いいこと、だよな?
もし本当にこの関係が始まってそうだってんなら、すげー嬉しいことだ。
お互い大切な奴ができて、それがプラスに働いて、もっともっと高め合うことができたら最高だ。
…北斗が俺に気付いて、また目が合う。
けど、今度は反らさねえ。

「何?」
「いや、何でもねえ。…やったな、北斗っ!」

笑って、ぐっと拳を突き出す。
何故か少し肩を竦めてから北斗も出した拳に、がつんと重くそれを打ち付けた。

 

 

 



 


 





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