ベッドの中で、ふんわりと甘い匂いのする髪に鼻先を埋めて暫く微睡む。
もう毎日デザートを作っているような日々ではなくなったはずなのに、整髪剤や香水、シャンプーやトリートメントのそれとはまた少し違う。
東雲はいつも、どこかストレートに甘い匂いがする。
きっと積み重なった匂いが、肌に染みついているんだろうな。
それに、巻緒やメンバー、他のユニットの為にも何だかんだで腕を振るう機会も多いから、やっぱり普通の人よりは甘いものを作る機会がぐっと多いし。
カーテンを引いた夜だから、部屋の照明を全て落としてしまうと何も見えなくなってしまうし、流石に何も付けないということはないのだけれど、天井に組み込まれているメインの照明は、今はしっかりとOFFにされてしまっている。
いつも電気を着けるか消すかが話題になるけど、今日はジャンケンで負けてしまったから、こうして部屋の照明は全て落として、その代わり寝室のずーっと端に、ちょっとしたコンセントで使用するインテリアランプが、部屋を淡いオレンジ色に染めている。
…けれど照明が遠い。
明かりは少なく影は大きく、殆ど手探りみたいなものだ。
俺が勝てていれば、天井の照明を好きにできる権利を手に入れることができたのだけれど、残念だ。
今夜もよく見えなかったなぁ…。
最近負け越しが続いている気がする。
ジャンケンが強くなれるといいけれど、運勝負のはずなのに、八割方負けるのは何故だろう。
まるで、東雲は俺が出す手が分かっているみたいに強い。
真っ暗ではないんだけど、もう少しだけ明るいと嬉しいんだけどな。
…そんなことをぼんやり考えていると、鼻先から髪が離れ、腕の中に収まっていた体が身を起こした。
布擦れの音が耳に気持ちいい。
まだ起きるような時間じゃないと思うけれど、つられて俺も目を開ける。

「…――東雲?」

隣で、半身を起こした東雲が手探りでベッド下からシャツを拾って袖を通しているのが見えた。

「どうかしたかい?」
「いえ、少し喉が渇いて…。水か何か、勝手にもろてええですか?」
「ああ…そうか。そうだな。ごめん、用意しておけばよかった。持って来るよ」
「ええですよ。私が……おや?」

袖を通したシャツのボタンを留めようとしたところで、東雲が何かに気づく。
俺を片目を擦ってそれに気づけた。
薄暗い中、手探りで引き当てたシャツは、どうやら俺のものだったようだ。
よく見ないと気づけないけれど、一度分かると今度はその様子がよく見える。

「ああ…。それは俺のシャツかなぁ」
「のようですね。すみません。…まあ、今だけやし、お借りします」
「やっぱり暗過ぎるんだよ。もう終わったし電気を着けよう」

チャンスだ、と思ってベッドヘッドに置いてある正面のリモコンへ腕を伸ばしたけれど、これもやっぱり薄暗いせいで一度二度空振りしている間に、横から東雲ががしっと俺の手首を掴んだ。
そのまま、ぎりぎりと締めて力ずくで上に持ち上げられる。
何となくそんな気はしたから、思わずくすくす笑ってしまった。

「い、痛い痛い…っ」
「貴方負けたやないですか。明かり着けへん約束やろ」
「だけど、折角そんなにセクシーな姿をしているのに、見られないなんて悲しいじゃないか。いわゆる彼シャツってやつなんじゃないかな」
「普通にメンズやしサイズも似たようなもんです。何も面白みなんぞありません」
「そうかなぁ。きっと素敵だと思うけど…。男の夢の一つらしいから、一度は見ておかないと」
「アホ」
「いたっ」
「何がセクシーや。ジジ臭いこと言わんといてください。そないな夢、見んでええです」

ぺちっ…!と額を一発叩かれ、ベッドヘッドにあったリモコンを東雲が取って立ち上がってしまう。

「没収。…リモコンはキッチンに置いてきます。朝になったらどうぞ」
「え、本当に持って行くのか?」

すらりとした姿は分かるけど、やっぱりぼんやりしているのが悲しい。
けど、勿論全く見えないわけじゃない。
相変わらず、歩き方や仕草一つ一つが雑じゃない。逐一丁寧で、それが彼を品良く見せている。
ほの暗いからこその色気があることも分かるけれど…。
てくてく冷蔵庫目指して寝室から歩いて行ってしまう東雲の背中を見ながら、今叩かれた額を撫でた。

「うーん…。残念だ」

寂しくなった隣の枕に腕をぱたりと落とし、少し浮かせていた頭もシーツの上に落とした。


Précieux sucrés




…先日、事務所を挙げての2ndライブが終わった。
カフェをやっていた時からそうだったけれど、いつもはそこまで気にしないのに、繁忙期が終わってほっとすると、急に思い出したように東雲に触れたい衝動に駆られて堪らなくなる。
カフェとは違うだろうけれど、アイドルになってもその妙な衝動は変わらなくて、大きな仕事――例えば、今回のライブのような――の打ち上げまで終わったその後の休み前日ということで、久し振りに夜を一緒に過ごせた。
…いや、夜を一緒に過ごしたり触れ合う程度のことは度々あるんだけれど、最後まで体を重ねるのは少し久し振りかもしれない。
同性だから、女性と違って準備もあるしね。少し手順があったり時間がかかるのは否めない。
毎回特別約束したりとかいうわけではないけれど、そういう暗黙の約束みたいなものが既にできあがっているから、とても誘いやすいし大いに甘えやすい。
東雲と寝られて、ようやくほっと一息つけたという感じだ。
…暫く待っていると、キッチンからグラスを二つ持って東雲が戻って来た。
照明と相まって少し見えにくいけれど、入っている液体に色が付いているような気がする。
俺も体を起こすと、ギ…と小さくベッドが鳴った。
垂れてくる髪を、片手で一度かき上げる。

「アイスティの場所変えたんだ。すぐ分かったかい?」
「ええ」
「よかった。…ああ、ありがとう」

渡されたグラスを受け取り、一口飲む。
同時に、ついつい味の確認をしてしまう。
一応紅茶については色々学んだつもりだけれど、日本やアメリカで浸透しているアイスティばかりは独特で、そこまで馴染みのないジャンルといえる。
熱かったらアイスティ…というのが日本で生まれ育った俺には普通だったし、当時は気にもしなかったけれど、ヨーロッパでそれらの知識は得られるものではなかったし、けれど世界的に少し特殊なジャンルとはいえ紅茶は紅茶。
特に日本では当たり前に飲まれているから、店をやっていた時から試行錯誤の繰り返しで、今だってそれは続けている。
殆ど趣味のようなものだ。
…もっとも、冷蔵庫に常備してあるものは副産物のようなものだけれど。
温かろうが冷たかろうが、結局その場に適した一杯、その人に適した一杯を作り出すことが基本だから、ああして作り置きしておくのは少し気が引ける……けど、

「この間頂いたものと味が違いますが、これもまた美味しいですね」
「そう? それはよかった」

ベッドに腰掛けてグラスに口付ける東雲がそう言ってくれるのなら、作った甲斐があるかな。
少量を口に含んで舌で味や香りの確認を済ませてから、後は普通の飲みものと同様、体が求めるままに乾いた喉を潤した。
あっという間にグラスが空になり、氷だけが残るそれを、そのまま後ろにあるベッドヘッドの上へ置く。
…さて、俺も下着くらいは着ようかなとふと視線を上げると、ベッド横に腰を据えて足を組んでいた東雲が、つと自分の腿に付いていた精液を右の人差し指で掬ったのが見えた。拭き残しがあったようだ。

「…」

どちらのものなのかまでは勿論分からないけど、そのまま親指と人差し指に糸を引く白いそれを、グラスに口付けながらどこかぼんやり眺めている。
静かな中で、少し粘度のある微かな音が聞こえる。

「東雲は、精液を見るのが好きなんだな」
「…」

何気なく尋ねてみると、東雲が呆れたような顔をして肩を落とすとこっちを見た。
俺と同じく少し乱れていた髪を、片手で耳にかける。

「私は変態ですか…」
「え、いや…。んーと…。それは変態になるのか? 好みのひとつだと思うけどな。俺はそんなに嫌いじゃないけど」
「…。まあ、そうかもしれんけど…。少なくとも、私に特別そういった趣味はありませんね」
「へえ…。そうなのか。好きなのかと思ってたよ。よく終わった後、手を見たりしているからね。とても色っぽくて、東雲のそういうところも、俺は好きだな」
「そーですかそーですか。そらどーも」
「わ…。ははっ、ちょっと、止めてくれ。くすぐったいな…っ」

その白く濡れた手が俺の脇腹へ伸びて、ぺたぺた拭う。
東雲は擦りつけているだけなんだろうけど、くすぐったくて少し逃げた。
そのまま、片腕を伸ばしてベッドヘッドに置いてあったウエットティッシュのボックスを取り、膝に乗せる。
体に付いているものは流してしまえばいいけれど、それでも少しべたべたするし、乾いてからだと面倒になるしね。
特に手に付いてしまったものは拭いた方がいいかな。
東雲が精液を見るのが好きなら片付けは後でもいいかなと思ったけれど、違うのならばそろそろ拭いておかないと。
ボックスから何枚かを取り出しながら、少し鼻にかかった声で告げる。

「最初の頃も、そうやって確かめるみたいに見ていたなぁ。少し意外だったからよく覚えているよ。東雲は仕事のことがあったし、何となく手に色々付くのはどちらかといえば好きじゃないかなと思っていたから」
「あぁ…。…もしかして貴方、それで最初の頃、何でもかんでも自分でやる気ぃやったんですか?」
「苦手かなぁと思ってね。…と言っても、結果としてはお節介になってしまっていたわけだけど」
「一方的に大人しゅうしとれーいう風に見えましたからね。そら怒りますわ」
「そうだな。言ってくれてよかったよ。嬉しかったしね」

少し昔の話だけど、まだ新しい記憶に思える。
俺の言葉に、東雲はやれやれという様子で片手を後ろに着いた。

「第一、そんなん言うてたら自慰も何もできへんやないですか。…とは言うても、正直極力避けてはいますけれど。これはこれ、それはそれ。それに、作る前はご存じの通りしっかり滅菌しとります。専用の手袋もしとりましたやろ。アホなこと言わんといてください」
「うん。そうだな。悪かったね」
「…せやけど…確かに、言われれば見とりますかね」

濡れた俺の横腹を一瞥し、粘りの残った指先を擦り合わせながら、ふと東雲が肯定に転じる。
色っぽくて好きだよと重ねて告げようとしたけれど、その前に彼が続けた。

「貴方と抱き合った後はいつもぼーっとしてしまいますから…。何やろ。確認、ですかね。夢か現か、よぅ分からん時がありますから。…まさかこないな関係になろうとは、微塵も思ぅとらんかったし」
「…」

言った後にまたぼんやりした様子で顎を挙げ、壁にかかっている時計の方を見て一人息など吐くものだから、手が止まってしまった。
指を拭いてあげようと思ってたけど…。
膝の上に置いていたボックスをぽんと横に退けて、体を前へ傾けて東雲に顔を近づける。
情事の跡が色濃く残る白い液に濡れた指ごと、ぎゅっとその手を握って、気持ちを込めてキスをする。
薄い唇と紅茶で僅かに甘みを帯びた舌を合わせてから、そっと離れた。
握った手を、握手するみたいに少し戯けて浮かせてみる。

「そういう確認なら、俺自身を触ってしてほしいな」
「…。…まあ、それもそうですね」
「ん? …わっとと」

とんっと肩を押されてそれだけでバランスを崩し、崩れるように仰向けに倒れ込む。
片手を俺と繋いだまま、東雲がもう片方の手で俺が置いた隣に同じようにグラスを置くと、降ろしていた膝を再びベッドに着いて乗り上げて来た。
おお…と思う間もなく、顔の左右に肘が置かれ、胸に体重がかかる。
無意識に、横に添う彼の背へ腕を伸ばして、ゆったりと腰を抱いた。
たぶんあまり彼のイメージになさそうな、控えめに音を立てた可愛らしいキスを左頬にしてくれて、思わずふわふわと頬が緩む。
頬が僅かに温かく濡れる感覚や細い髪が当たる感じ、それから気持ちも含めて、くすぐったくて思わず少し首を引いた。
もう一度、という無言の許可なのはすぐに分かった。
うとうとしていた微睡みも眠気も、一気に吹き飛んでしまう。

「わぁ…。珍しいな。いいのかい?」
「嬉しいやろ」
「ああ。とっても」
「ライブが近づくにつれて流石に最近疲れていましたが……満員御礼。皆さんであれだけ念入りに気ぃ張ってたわけやし、成功は勿論やけど、無事に終わりましたからね。今夜は特別です。神谷も、よう頑張りました」
「わ…」

子どものように頭を撫でられ、ますますくすぐったくなる。
髪を梳く東雲の手を感じながら、鼻先にある彼の顎に軽く触れて、お返しに擽るように撫でてみた。

「ありがとう。東雲もな。それじゃあ、ご褒美というわけだ。…でも、俺だけ貰うのは少しだけ気が引けるかな」
「そうですね。明日、事務所へ行く前にここで待ち合うんやし、皆さんにはケーキを焼きますよ」
「そうか。それじゃあ俺もとっておきの紅茶を用意しよう。…ああ、けれど、東雲には何を返したらいいだろう? 俺も何か労りたいな」
「ふむ…。さて、何を強請ってやりましょう」
「はは。何だか怖いなぁ」

唇横の黒子へキスしてから、再度唇を重ねて舌を絡ませる。
直前までのキスとはまた随分違う。
彼が上ということもあるんだろうけれど、俺からしたにも関わらず、逆にぐっと押され気味だ。
キスを繰り返しながら腰から下にかかっていた布団の中に伸び、下肢を握って触れてくれる。
一度果てたはずの性器は、こんな状態だ、すぐにまた硬くなってくるし、実際東雲は俺の好みも分かっているから何をするにも的確だ。
二回目ということもあれば、落ち着いていた息がじわじわと熱くなってくる。
正直、受ける側ではない俺は身体的に辛いということもないから、余力は十分あるしね。

「は…。東雲…」

東雲にもそうなってもらおうと、彼の下肢へ片腕を伸ばす。
…が、その手首をがしっと押さえられてしまった。
離れた唇が眼前で薄く開く。

「貴方はやらんでええです」
「う…?」
「さっきは殆どお任せしてしまいましたからね。今度は私がやりましょう。大人しゅうしとってください」
「え…。本当に?」

身を起こしながら、慣れた様子で東雲がベッドヘッドに付いているいくつかの引き出しの中から、迷わず一つを開ける。
帰国してから俺のパートナーは勿論彼だけだし、正直頻度からいってもあまり枚数は必要がないから、嗜み程度にいくつか入っているゴムの他、さっき一本使ったものと同様の、いくつか色違いで入っている小さな飲みきりのアルコール瓶のような形をしたものがある。
たぶん国内ではあまり見かけない、様々なお酒を模した色と形をしたそれは外国製の瓶入りローションなのだけれど、ゴムとそれと、それぞれ一つずつ片手で器用に取り出すと、俺の頭上を過ぎ去っていく。
もう片方の手でさくさく身につけていた俺のシャツのボタンを外してい……るのは分かるけど、鼻先から離れてしまうとやっぱり薄暗くてよくは見えない。
ああ、何てことだろう。本当に勿体ない。
東雲の艶っぽい姿をもっとよく見たいのに…。

「…東雲。やっぱり電気――」
「着 け へ ん、言うてますやろ。今夜トータル何度目ですか。しつこい男は嫌われますよ」
「……はい」

提案してみたけれど、予想通りの言葉で却下される。
…うーん。
けど、東雲の希望がやっぱり第一かな。
焦らされてる感はあるけど、その分たまにジャンケンで勝つと何倍も嬉しいし、スパイスと思えばそれでいいか…。
俺の腹を膝で跨いで、そのまま腹部に腰を下ろす。
とんとんと胸の上にゴムやローションが置かれたと思ったら、バサッと布擦れの音がして、一瞬部屋の端からの明かりも開いた布で遮られた。
逆光の中、薄い布団の方を一度左右に開いて、そのまま東雲が肩にかける。
布団を肩にかけてから、その影で一時的に着ていた俺のシャツをするりと目の前で脱いだ。

「…」
「…逐一それや」

意図せず、ほう…と深く息を吐いたのが自分の耳にも聞こえた。
袖も脱いでいた東雲に、また呆れたようにため息をつかれてしまった。
脱いだシャツをバサッと俺の顔に広げると、そのまま広げたシャツをてきぱきと畳んでいく。

「わ…」
「散々見とるやろ…。今更そないな反応はいらんのですが…」
「そうは言うけど、俺の好きな人の体だからな。何度見ても綺麗だなと思うし、興奮するよ」
「…ろくに見えんくせに、甘ったるい男ですね」
「そうだよ。俺の好きな人は甘いものが似合うからね。…はは。一気に熱がぶわって来るなぁ」

あっというまにシャツは畳み終わり、ぴしりとしたシャツを、東雲は片手を伸ばしてベッドの下へ崩れないように放った。

「まあ、二回目ですから。お互いすぐ使いモンにはなっとりますかね」
「…本当、綺麗だなと思うよ。素敵だよ、東雲」
「…」

本当は今すぐ両腕で抱きしめたいけど、俺が寝ている状態では手は彼の肩にも頬にも届かない。
代わりに、東雲の片手を取って甲へキスする。
腰へ手を置くと、ぴくりと小さく触れている皮膚が震えるのが伝わって、俺も堪らなくなる。
肉付きが薄くて滑らかな肌は同じ男でも少し違って感じる。
それでも日常にトレーニングや舞台練習、ボイトレなどが入ってきたせいか、前よりはいくらか手触りは変わった気がするし、正直体力も付いたと思う。
体力に関して言えばお互い様だけどね。
職業柄使う筋肉はあったけど、日常的にトレーニングが入るようになって基礎ができると、長くこういったことも愉しめるからいいことばかりだな。

「一先ず、私がキレーなどとぬかす貴方の趣味の悪さは置くとして…」
「綺麗だと思うけどな?」
「一般的に男性で美形の方なんぞ、今は周りにぎょーさんいてますやろ。例えば――」
「薫さんとか?」「桜庭さんとか」

意地悪く言った東雲の言葉を予想して合わせてみたら、ドンピシャで思わず笑ってしまった。
ハロウィンイベントの時、俺が少しだけDRAMATIC STARSの薫さんと親しくしていたことが、彼の中で未だ妙に引っかかっているみたいだ。
東雲には申し訳ないけれど、俺はそれが嬉しい。
言葉が読まれていたことが面白くなかったようで、東雲が眉を寄せる。
何か言われる前に、目を伏せて片手を添えている腰を撫でた。

「気分を悪くしないでくれ。俺には東雲が一番綺麗に見えるよ。こういうことをしたいなと思うのも、東雲だけだ。本当だよ? でも、ヤキモチやいてくれてありがとう。東雲には悪いけど嬉しいよ。…さあ、もういいかな。挿れていい? 我慢できそうにないんだけどな」

撫でていた腰に改めて片手を添え、もう片方の手を開いて彼の片手を取る。
乗ってもらおうと思ったんだけれど、その前にぱっと取っていた方の手が逃げ、代わりにぐいっと片手で顎を上へ押しのけられてしまった。

「こら」
「…っと?」

視界が、一気にベッドヘッドの方へ移されてしまう。
どうやらまだお預けらしい。

「いてて…」
「せやから……何なんですか、そのガラやない性急さは…」
「お…俺からしたら、東雲がどうしてそんなに普通と変わらないのかが不思議なんだけどなぁ…。東雲にも早く気持ちよくなってもらいたいんだけど…」
「挿れるだけで楽しとる貴方と違って、私が気持ちよぅなるには色々準備があるんです、準備が」

呆れる東雲の声を聞きながら、ぐぐぐと押し上げられた顎のまま何とか声を出す。
ついと顎を押し上げていた手が離れ、顔を戻すと彼がローションの瓶を開けているところだった。
…ああ、そうか。
さっき粗方拭いてしまっていたから、足さないと難しいのか。
だいぶ熱に浮いてきた頭でぼぉっとしていると、俺の腹に乗ったまま、東雲がゴムの袋を開けて、器用にも後ろ手に俺のものに触れて付ける。
その後で、模したお酒に合わせた色である、琥珀色したローションを垂らした。
ふわりと甘い香りが漂う。
温まって馴染んでいけば色は無くなるものだけれど、始めは冷たいから、ひやりと液体が硬さを持っている俺のものを上から下へと伝っていく。
先が彼の背中に当たって、触られる度擦れる。

「ん…」

ぞくりと腰に快感が走り、片腕で目元を覆って少し目を瞑った。
空瓶をシーツの上に置いてから、つと指先が俺の頬を一度撫でる。
指が離れれば、改めて東雲が俺のものに触れてくれた。
些細な音だけれど、淫らな湿り気を帯びた音と握ったり触ったりする手と指の感触。

「気持ちええですか?」
「はぁ…。……ああ」

上から尋ねてくる声が熱っぽさを帯びているのにどこか得意げで、可愛いなと思う。
その可愛らしさに惹かれて目元を覆っていた腕の下から、覗き見るように東雲を見上げた。
肩に掛けたままの布団の中で、薄暗いけれど白い体は逆にはっきりと輪郭が見える。
後ろ手に俺のものに触れてくれているから、自然と胸を突き出すような姿になっていて、自覚してやってるのか違うのか、何となく気になりつつも、薄く開いている口が緩んでしまう。
…いや、まあ自覚してやってくれているとしたら積極的で素敵だと思うし、無意識なら無意識で可愛いなと思うからどちらも大して違いはないんだけれどね。
最もやってはいけないことは、彼の場合、この疑問を面と向かって尋ねてしまうことだ。
気づかない振りをして、ただその魅力的な姿を感受することが一番いいんだろうなというのが分かる。
…胸に触ったら露骨かな。
ぼんやりし出した頭で一瞬考えて、結局変わらず右手で細い腰に置いた。

「…っ」

するりと意味深にそのまま足の方へ伝い、同じく硬さを持って濡れている彼のものに触れると、汗ばんだ体が再びぴくりと反応する。
東雲が両手を俺のものから離し、そのまま左手を後ろに着いて、腰を浮かせる。
その頃には彼の頬も随分赤くて息も乱れていたけれど、相変わらず涼しさを忘れまいという様子だ。
少し邪魔そうだった横髪を耳にかける姿にくらくらする。
髪を耳にかけた右手で俺のものを支え、滑りを帯びた熱い先端が彼のアナルに宛がわれた。

「…挿れますよ」
「うん…」
「…」

東雲がゆっくり腰を下ろし、ズ…と熱が呑み込まれていく。
一回目があったとはいえ、やっぱり元々器官としての役割が違うから、二度目だって女性と比べれば十分狭く感じる。
よく感じる温かさやローションでの滑りの良さもあるけれど、男性である彼のキツいくらいの体内を広げて進む感覚と状況は、支配的で官能的で献身的で、とてもとても満たされる。

「ん……。は、ぁ…。っ…」
「…」

入れる時は一文字に閉じていた東雲の唇が開き、空気を求めるみたいに顎をあげる。
ゆっくりと俺に沈んでくれている体が愛おしい。
あまり時間もかからず、東雲の体が俺の上に乗って深く繋がった。

「っ…と…。は……」
「はぁ…。あぁ……東雲…。気持ちいい…」
「…そーですか?」
「うん…。すごく熱い…」
「挿れただけでそないな顔されると、手間の甲斐もありますかねえ…。…ちょぉ深いですが」
「ん…。体重がかかるからかな。…ね? ……けど」

嬉しさに負けてくすくすと笑みがこぼれる。
ぎゅうと締め付けられる感覚に動きたくて堪らないけれど…。
もう少し入る気がする…と思って、宥めるように触れている腰を撫でながら、空いていた左手を東雲の臀部へ回した。
他の皮膚よりも滑らかなお尻を二度三度撫で、痛くない程度に柔らかいその場所を、軽く、奥を開くように少しだけ持ち上げる。

「…!」

途端、ずっ…と止まっていた東雲の体が、ローションが小さく泡立つような音がしてまた少し沈んだ。
高々知れている僅かな差のはずだけれど、さっきよりぐっと更に深く繋がれた感覚がして、東雲の体がびくりと震えて跳ねて、一瞬表情から余裕がなくなる。
赤い顔をした口元を片手の甲で覆い、さっきとは逆で顎を引く。
驚いたのか、ぎゅっとキツくなる感覚とうっすら涙目を見て、更に感情が昂ぶってしまう。

「…っ」
「ん…。もっと入った…かな?」
「この…。急、に――」
「はあ…、…。――…あぁ…。ごめん。ダメだ」
「…!」

堪らなくなって、下から彼の腕を掴む。
カウガール(…この場合カウボーイかな?)でしてくれるという東雲の申し出は嬉しいからお言葉に甘えて……なんて思っていたけど、とても我慢できない。
…いや、カウガールでいいんだけれど、キスがしたい。
抱き合っている最中だというのに、この状態は距離を感じる。顔や体温が遠いのは我慢できない。
掴んだ腕をぐっと引っ張って、無理矢理近くに引き寄せた。
背負っている布団と一緒に、ばさりと俺の体の上に東雲が倒れ込んでくる。
体勢も落ち着かないまま、顎を取って少し強引に唇を奪い舌を弱く噛む。

「っ、ぁ…!」

キスの途中で、中が硬い場所に当たったのが分かった。
前立腺とはまた違う、いつもは届かない背側の内壁を擦ったようだ。
上体が倒れて角度が変わったせいか、動いてもいないのにちょっと見ないくらい東雲が弱い。
きっと二度目だから体が敏感になっているということもあるんだろうけれど、あまりやり慣れない体位で刺激が新鮮なのだろう。
彼が気持ちよくなるためには前立腺を刺激しないとと思っていたけど、見当違いの方向に隠れたスポットを新しく一つ見つけたかもしれない。
キスした後の舌を浮かせたまま、目の前の、彼の赤い口内が視線を奪う。

「は…っ…。あぁ…」
「…待って。このまま」

倒れた体を起こそうと俺の顔の横に手を着いたけれど、起こされてしまう前に右手を彼の首の後ろに添えて引き留める。
ぐっと引き寄せると、俺の肩に顔を伏せたまま、東雲が背を丸めて首を振る。
小さく首を振る度、ぱさぱさと髪が皮膚に当たってくすぐったい。
こんなに熱くて大丈夫かなと思うくらい、お互い吐く息が熱を持っている。
気持ちよくてうっとりしてしまう。

「や…あかん。お く……」
「ん…。奥の方が気持ちいいだろう? すごく熱くて狭い…。…背側もいいみたいだな。気持ちいい?」
「…、っ…」

するりと俺のものが入っている後ろ腰を濡れている指先でくるくると撫でると、ぴくりと東雲が眉を寄せて唇を噛む。
否定も肯定もないうちは基本的に肯定であまり間違いはないから、東雲の首を抱いたまま、僅かに腰を浮かせて揺らし、左手を繋がっている場所へ伸ばす。

「ちょっと前が窮屈だけど…いいね。…俺もすごく気持ちがいい」

ローションや精液で十分濡れているその場所はもう俺のものでいっぱいで余裕なんてないけれど、外側から彼のアナルの縁を指先で少し撫でる。
隙があったらそのまま指でも入れたいくらだ。
未練がましく時々少し引っ掻くみたいにすると、きゅっと中が絞まる。
時には痛いくらいになって眉が寄ってしまうけど、すごく気持ちがいい。
中に残っていた一回目のローションであろう液が、内側から指を滴ってとろりと落ちてくる感覚がした。
熱と反応して蒸発し、一層増したローションの香りと東雲の匂いや姿が混ざり合って正気でいられなくなりそうだ。
彼の髪に鼻先を埋めて目を伏せ、思い切り薫りを吸い込む。
…このまま勢いに任せて突き上げてしまおうかな。
大丈夫、きっとやってしまっても許してくれるだろう。
そう思った矢先に、先んじて上に乗っている東雲が僅かに腰を動かし、はたと少しばかり理性が帰って来てぼんやり瞳を開ければ、横で彼が快感に耐えて何とかシーツに肘を着いて顔を浮かせているところだった。
本当に顔が真っ赤で、眉が切なげに寄っていることが、この近距離ならば暗くてもよく見えた。
背負っている布団に隠れていない顔と、滑らかな肩が魅力的だ。
いつも澄ましている彼のこの表情を、誰かに見せてあげたい。
…けど、実際に誰かが見たら、きっと俺は怒るんだろうな。
それとも、哀しみの方が多いのだろうか。
無い話ではないとは思う。
世界はこんなに広くて魅力的なもので溢れかえっているし、今の俺たちの周囲には魅力的な人たちが、本当にたくさんいる。
人やものを繋ぎ止めておくのは難しいし、繋ぎ止めておかれる方は苦しいから、一度嫌になってしまったら何が何でも逃げ出したくなる気持ちは、誰よりも分かるつもりだ。
だからこそ、今東雲とこうしていることが奇跡みたいに感じる。
色々な道がある中で、ここに至る道はきっとものすごく狭かったはずだ。
よくここを歩いて来られて、今彼と一緒にいられるなと思う。
だから、こういう時間は何度過ごしても尊い。
ついと彼の横髪を、指先で耳にかけてやる。

「か、かみ…や…」
「…うん?」
「っ…。…ぅ、ごき…ますけど……ええですか?」

いつもより感じていそうなその表情に、カウガールのメリットを思い出す。
感じ入って東雲が落ち着いたらいつの間にかすっかり動く気だったけど……そうだ。この体位は本来、受ける側が自由に動けることにメリットがあるのだから、東雲に自由にしてもらう方がいいに決まっている。
せっかくもらえた嬉しいご褒美だけれど、一方で、俺からも彼を労りたい。
彼が気持ちいいのが一番だ。
それに東雲は、きっと自分が主導権を持っていた方が落ち着くんだと思う。
可愛らしい顔の額ににもう一度キスをして、名残惜しいけれど、今度こそ離してあげる。

「…もちろん。いいよ」

東雲が起きやすいように、両手を左右で取って支える。
彼が体を起こす途中で取っていた手にするりと指が絡まり、一本一本指を絡ませる握り方に自然と変わった。
ローションと精液で濡れた指は、するりと上手く組み合う。
お互い高揚した状態で、はあと一息吐く。
濡れた手を見て、東雲が困ったような顔をした。

「はぁー…。…あぁもう……言うとるそばからべたべたやないですか…」
「俺は好きだよ。こういう時のべたべたは」
「聞いとらんわ」
「あはは。…平気かい? 無理しないでくれよ」
「ほんなら、止めてええですか?」
「だめだめ」

ふるふると苦笑しながら首を振る。
ここで止められたら流石に辛い。たぶんお互いにね。
少し背を丸めたかたちで体を起こすと、俺の手を支えに、東雲がゆっくり上下に動き出す。
滑りがよく、ぬるぬるとした感覚と温度と、それから甘い匂い。

「ん…、ふ…っ」

東雲の姿や仕草や声がいちいち中心に来る。
勿論動きたくなるけど、東雲は女性じゃない。彼の中に確かにある征服欲を満たしてあげたい。
それに、合わせて突き上げているわけでもないのに、俺の方でも十分昇りが早い。
…ダメだ。
あっという間にイキそう…。
すごい勢いで酔っていく。

「は…。っ…神谷…ぁっ、ぁあ…!」
「――…」

ぼおっと東雲を見上げて呆けてしまった。
それから、ゆっくり目を伏せて、繋いだ手を堅く握り、再び彼の手の甲へ唇を寄せる。
はあ…。
――…すごい。

 

 

 

 

 

 

「――うーん…。しあわせだなぁー…」

独特の響き方で、バスルームに声が響く。
パシャ…と音を立てて、バスタブの中で東雲の腹部へ背後から両手を回す。
後ろから抱きつく俺から逃げるみたいに、彼が鬱陶しそうに上体を前へ方向けながらこっちを振り返った。

「ちゅーか…、勝手に入って来んでください」
「今夜は東雲と離れたくないなあ」
「泊まっとるんですから、離れるも何もあらへんやないですか」
「それはそうだけど、一緒にお風呂に入るところまでが好きなんだ。頼むよ。付き合ってくれないか?」
「…暑苦しい」

はあ…と東雲が息を吐く。
顔をそらした白いうなじに音を立ててキスし、鼻先を寄せて顔を押しつけて目を伏せた。
改めて彼を抱きしめる。

「すごーくよかったよ、東雲。素敵なご褒美をありがとう。とっても癒やされた」
「はいはい、そーですか。そらよかったわ」
「夢みたいだな。東雲とこうしていられるなんて。仕事でもプライベートでも随分一緒にいられることが、俺はとても嬉しいよ」
「別れたら一気に逃げ場無しの牢獄ですけど」
「あははっ。そうだなあ」

さらりと言う東雲に、思わず笑ってしまう。
すると、彼が眉を寄せて再び俺の方を振り返った。

「……軽」
「ん? だって笑い飛ばせるくらい、自信はあるからね。俺と東雲はずっと上手くいくよ。いつだって順風満帆だとは思わないけど、もし何か壁に当たったら、二人で解決していけばいいさ。そうだろう?」
「…」
「…? 何で引くのかな?」
「たまについてかれへんわ思て…」

またまた呆れたような息を吐いて、東雲がぐったりと俺の方へ背中を預けた。
人前でいるときは疲れた様子は人に見せまいとする性分だから、こうして気怠げな様子がリラックスの表れであることは理解しているつもりだ。

「けどな、東雲。今度こそは明かりを着けてやらないかい? 何も全部着けようって話じゃないんだけど、もう少し見えやすい方が俺は嬉しいな」
「勝てばええでしょう。ジャンケンで」
「そうなんだけど…。それだと何故か俺が負け越すじゃないか。東雲はジャンケン強いし、俺がすごく弱いの知っているだろ?」
「そらご愁傷様です」

つん、と取り付く島もなく、東雲はお湯から両手を出して自分の顔をゆったり拭った。
…ダメか。
こうしてお風呂とかなら平気だけどセックスの最中は嫌だというのは……一体、何が違うんだろう?
けれど、きっと何かが違うから、俺も今じゃなくて、している最中の彼を見たくなっているはずだ。
本当は明るいうちにやってもいいくらいだけれど……東雲は嫌なんだろうなぁ。
ホテルに行けるならまた違うんだろうけど、流石にこういう職業をしてしまうとね。それは無理だからな。
彼が嫌がることは俺もしたくないし、目下のところはやっぱり最中に見せてもらう頻度をもう少し上げていきたい。
俺も、背中を後ろのバスタブに預け、目を伏せて湯気立つ天井を向いた。

「うーん…。どうやったらジャンケンが強くなると思う?」
「知りませんよ。運やないですか?」
「はは…。身も蓋もないなー」

やっぱりそうだよな。
どうしようもないか…。
どちらかといえば俺は運はいい方だと思っているけど、とはいえデンジャラスな境遇にも何度か遭ったことがあるし、強運一方という感じではないかもしれないからな。
きっと、丁度バランスが取れるくらいに、人には幸運と悲運があるんだと思う。

「次は勝ちたいな」
「まあ、せいぜい頑張ってください。たまには勝てとるやろ」
「確かにね。…よし。次は勝つぞ」

パシャ…と水を跳ねて斜め後ろに傾いていた体を起こし、ぎゅっと東雲を抱きしめる。
鬱陶しそうに振り返りつつも、つと顎を上げてくれたので、手を握りながらキスをした。

 

 

 

 

後日、楽屋でメンバーにジャンケンの話題を出してみた。
東雲は席を外していたけれど、自分がジャンケンが弱いから、何か強くなるコツはあるのかな?という話を何気なく振ったのだけれど、それを聞いた途端、咲たちがはたりと意外そうに瞬いた。
咲が少し困った顔でくすりと笑い、アスランがびしりと芝居がかって片腕を広げる。

「やだ、かみやってば。冗談でしょ?」
「冗談?」
「汝は、幸運を導きし黒き女神を自ら自由としておるのではないのか?」
「まさか。自分から弱くなったりなんかしないよ」
「え…。あの、神谷さん。もしかして、本当に気づいてないんですか?」
「…? 何がだい?」

一呼吸置いて、巻緒が意外そうな声で言う。
唐突な言葉のような気がして、首を傾げて尋ねると、巻緒は急に申し訳なさそうに胸の前で両手の指を合わせたり離したりし始める。
その横で、咲が口元に片手を添えてくすくす笑い出し、アスランは片手を腰に添え、妙に深刻そうな顔になってしまった。

「あ、あぁ…。そうなんですか…。えっと、すみません。俺、普通に神谷さんの優しさなんだと思って…いつも自分はいいからと、俺たちに譲ってくれているものだと…」
「うむ…。我もだ」
「かみやってば、ジャンケンで一番最初に出すのいっつも同じだよ。自分で気づかなかった?」
「え…。そうなのか?」
「は~い!じゃあね、パピッとおためしっ!かみや、じゃーんけーん…っ」
「ん?」

ぽん、と右手でそのまま咄嗟に出す。
当然とばかりに俺が負けてしまった。
さっと巻緒が続く。

「次は俺とやりましょう。じゃーん、けーん…」
「アーッハッハッハッハッ!我が力も見るがいいっ、カミヤよ!!」
「……あれ? 本当だ」

結果、ことごとく見事に全敗。
咄嗟のことで俺が出す手が全て同じであるということも、今日初めて気づけた。
そして、意識して別の手を出そうと思っても、瞬間的に声をかけられると必ず同じ手になることも。

 

「…あ、東雲!」

部屋に入ってきた東雲を見て、すぐにそちらを向いて右手を挙げる。

「東雲、ジャンケンをしよう」
「また唐突ですね…。何です、急に」
「いいからいいから。じゃーん、けーん…!」

ぽん、と出す。
今度は意識的に、俺がよく出すのだという手を敢えて出した。意識してもしなくても同じみたいだが。
当然、東雲が勝つ。
背後にいる咲たちが、あははと楽しそうに笑う声が聞こえた。
…そうか。
東雲は、俺が出す手が分かっていたんだな。
だからあんなに勝率が偏っていて、殆ど部屋を暗くされてしまうんだ。
けど、じゃあ…。
今までの、"残りの二割"は?――…という、話になる。

「…。…うん」

今出した手のまま、少し間を置いてからにこにこと頷いた。
目の前に立っている東雲が、訝しげな顔で俺を見る。

「一体何のジャンケンです?」
「ん? 残り一つのチョコレートのジャンケンさ。巻緒曰く、とても美味しくてなかなか買えないショコラティエのお店のものらしいよ。形も綺麗なんだ。けど4つしか入ってなくてね」

東雲の手を取って、掌にころりと差し入れのチョコレートの包みを一つ転がす。
納得したようで、ああ…と訝しんでいた彼の顔が元に戻った。

「はい、どうぞ」
「そうでしたか。ほんなら、後学の為に遠慮無くいただきます。残念でしたね、神谷」
「ああ。でも店のカードは入っていたから、今度休日にでも買いに行ってみることにするよ。――さあっ、そろそろ時間かな。行こうか、みんな!」
「は~いっ☆」
「うむ!」
「今日もパピッと張り切っちゃうよーっ!」
「うん。そうだね。皆さんを笑顔にさせましょう!」

ガタガタとイスや荷物をざっくり片付けて、みんなが立ち上がる。
片腕で楽屋のドアを開けると、三人とも楽しげに廊下へ出て、最後に東雲が今渡したチョコレートをテーブルの端に置いて埃よけにティッシュを上に掛けてから戻って来た。
近づくその後ろ腰に、ドアを支えたままエスコートでそっと形として片手を添えると、東雲が眉を寄せる。

「そういうのいらん言うてますやろ」
「え? …ああ、ごめん。ついつい、ね。気をつけるよ」
「言うとって直す気あらへんやん」
「気はあるんだけど、癖になってるみたいなんだ。…けど、改めるよ」
「…ホンマにお願いします」

迷惑そうに言った後で苦笑する東雲に、くすりと俺も微笑みかけた。
けど、もうやってしまったし…と思って、指先で彼をドアの外へ送ってから、最後に俺も出て後ろ手にドアを閉めた。


 


「Précieux sucrés」=貴重な甘いもの。





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