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「…ごほっ」

バイトから帰ってきて両手を洗っている途中、不意に喉から咳が出た。
その時から、嫌な感じはしていたんだ…。


風邪の日




大凡の予想を裏切らず、翌日から二年ぶりくらいに風邪をひいた。
習慣として、帰ったらうがい手洗いは無意識に欠かしてはいないんで、それだけでも結構かかんないもんだが、最近寒かったしな。
外でのバイトも多かったんでいつも以上にカイロは持って出たが、やっぱカイロくらいじゃ太刀打ちできなかったか…。
まあ、何にせよ久し振りに大学とバイトの休みだ。
収入と勉強が遅れるのはちょっと辛いが、仕方ない。
たまにはこういう日も良いだろう。
ふう…と部屋のベッドで横になってため息を吐く俺の傍で。

「あぁああぁあっ、どうしようどうしよう…!どうしたらいい!?」
「…」

床に膝着いてベッドに両腕を乗せ、おろおろとKAITOが安静中の俺にお伺いを立ててくる。
混乱しどうしっつーか、泣き出すまではいかないがひたすら狼狽している。
…何もしなくていーっつの。
足下には分厚い辞書を始め、体温計やスーパーの袋から転がり出ている風邪薬など、店が広がっていた。
家に風邪薬や冷えピタのストックがなかったんで、まずはスポーツ飲料などを含めて必要なものをコンビニに買いに行かせた。
一人で出す買い物に不安がない訳じゃなかったが、そこは一応クリアして普通に買ってこれたらしい。
薬飲んで冷えピタ張って、水分取ったら後はもう寝るだけだ。
横にいられると鬱陶しい。

「ただの風邪だっつーの…。すぐ治る」
「本当に? 体温上昇が著しいけど、大丈夫なの? そんなにくるまってないで、服とか脱いで冷やした方がいいんじゃない?」
「…風邪ん時は体温めて汗を出すんだよ」
「ああぁ何かもうその辺から意味が分からないぃい…!医学事典にもそんなようなこと書いてあるけど、体温上昇してるんだから下げればいいんじゃないの? 何で温めるの?何か意味があるの? どうすればいいんだろう…っ。死なないで萩原ー!」
「…」

わーっ…と、まるで今にも俺が死にそうなテンションで、投げ捨ててあった俺の片手を握りKAITOが表情を歪ませる。
…誰かこいつ抓みだしてくれねーかな。
深々とため息を吐いて、片手を両手で握って縋ってくるKAITOの手を、空いていた右手でやんわりと解く。

「こんなことで死なねえって…。騒ぐな。うるせえな…」
「病院に行った方が…」
「意味ねーよ。行ったって薬処方されるくらいであとは寝るだけだ。…もう十分だっての。買い物悪かったな。後はもう寝るだけだから、お前もうリビングの方行ってろ」
「…傍にいちゃ良くないの?」
「んな傍にいたら…」

"移るだろ"…と、言いかけて止める。
移る訳がねーわな、バグでもない限り。
VOCALOIDなんだから。
…もう一度ため息を吐いて、KAITOの頭の上に手を置く。

「悪いな、心配かけて。…でも頼むから聞いてくれ、KAITO」
「な、何…?」
「猛っ烈に、邪魔だ。…いいか。眠いんだ俺は。出 て 行 け」
「ふえぇ…」
「ふえーじゃない…。風邪は安静にしてるもんなんだよ。寝室には俺が呼んだ時以外は入ってくんな」

捨て犬よろしく訴えてくる眼差しを敢えてはね除ける。
ぽんぽんと二度ほど頭を叩いてやったが、その後はぐわしと掴んで軽く払う要領で向こうへ押した。
少しバランスを崩し、KAITOがベッドに添えていたうち片手と尻を床に着く。
僅かに乱れた髪は気にせず、未練がましく奴が俺を見上げた。

「…何か俺にできることない?」
「出て行くこと」
「うう…」

布団をかぶりなおしながら素っ気なく告げると、KAITOも流石に腰を浮かせて立ち上がった。
悄々と隣のリビングへと出て行く後ろ姿を見送ってから、後ろ手を上げて枕の位置を整える。
漸く静かになった寝室で目を伏せると、やっぱ体力が限界近かったのか、吸い込まれるように速攻で眠りに着いた。
…。

 

 

 

熱があるの時に見る夢というのは、大体悪夢だ。
俺の悪夢は概ね二種類に分けられる。
一種類は、何が何やら意味が分からないが気持ち悪い夢。
まるでピカソの絵のように、原色に近いカラーの絵の具を白紙の上に大雑把に混ぜたような、そんな夢を見ることがある。
もう一つはお約束、過去の嫌な思い出だ。
遠くで子供の頃の自分が泣いている声が響いている。
漠然と、そこが広い場所であることを、夢見の頭で理解している。
俺一人が泣いていたって、大したことじゃない。
誰も傍に来てくれるはずもない。


 …わあーん……あー…――…。


遠くで微かに聞こえる気がするガキの泣き声。
…ああ。今回は後者だ。
滅入るなぁ…。
これだから嫌なんだよ、風邪は。
夢の中なもんで両目は伏せているが、それでも尚目を伏せるようなイメージで項垂れた。
それに反応したって訳じゃないんだろうが、子供はその場にしゃがみ込んだ。
不思議なもんで、子供を見ている第三者視点と、涙一杯の子供自身の視点が両立している。
視界は涙でぐしゃぐしゃで、よく見えない。
…泣いてたって誰もこねーよ。
母親は死んで、親父は俺に興味なんかねえんだから。
兄貴たちに期待したって…悪いだろ?
みんなそれぞれ疲れてんだから。
自分のことは自分でやれ。
さっさと泣くのを諦めて、動き出せばいい。
薬飲んで寝る。
それだけだ。
…第一、子供の涙の理由なんて大したことじゃない。
例え高熱が出ていたとしても。
泣くくらい体調悪いんなら、とっとと部屋行って独りで寝てろ。
無理なら医者に行け。
そんくらいできんだろ、ガキでも。
吐き捨ててそう思った矢先…。

 …――大丈夫…?

それまでの灰色めいた空を引き裂くくらい、小さく柔らかく最適な声がして、目を掻いていた小さな両手がふんわりと包まれた。
泣きじゃくりながら涙で濡れた両目を開ける。
大きいが、意外と細くて白い手。
指先の青い――…。

 

 

 

…――青い、マニキュアが、一際目を惹く。
…。

「…」
「…ご、ごめん。入っちゃった…」

さっき追い出す前と変わらずベッドサイドに座り込み、シーツに肘から上を着いて、KAITOが俺の片手に両手の指先を添えるように乗せていた。
気まずそうな顔をしているんだと思うが、頭が痛くて熱くて、視界は見えているのにその情報が脳に上ってこない。
要はぼんやりしていた。
それに視界が、妙に歪んでいる。
…全身が熱い。
添えられた手が冷たく感じた。
ゆっくり瞬きをすると、目尻から一滴水が流れ落ちる。
それが何かとか疑問を持つ前に、KAITOが親指の腹でその筋を断ち切るように目尻を横に撫でた。
そのまま指先が、汗で頬や額に張り付いた髪を横に流す。

「魘されてたみたいだから、我慢できなくて…。起こした方がいいと思ったんだ。すぐ出て行くよ。…怖い夢でも見た?」
「…」
「飲み物は?」
「……いらねえ」
「薬とかは?」
「うぜえ」
「…えーっと。じゃ、額のそれ変えるから」

すっかり乾いている額の熱冷ましを皮膚から剥がす。
床に無造作に落ちているスーパーの袋から薬用のパックを取りだし、一枚取り出すと、取り替えに元あった場所へゆっくりと張ってくれた。
一瞬、ぞっとするくらい冷たくて気持ちいい。
その後、すぐにKAITOが俺の首筋に片手の甲を当ててきた。

「…」

…あー。
気持ちいい…。
擦り寄る猫のように、無意識にその手に顎を添えて挟むようにする。

「熱が高くなってきたね…。また解熱剤の薬だけ飲んでおこうよ。今、水…」
「…いい。水無しで」

あ…と熱い口を開けると、KAITOは一瞬困ったような顔をしたが、渋々開けていなかった解熱剤の箱をあけ、二錠掌に開けると俺の口へ落とした。
横たわったまま喉を反らし、奥の方へ誘い込んでから息を止めて一気に飲み込む。
途中、喉に違和感があった。
粒を飲むのさえ一苦労だ。
おそらく、腫れているんだろう。
本格的に風邪だ。
煩わしい。
…。

「あの…。勝手に入っちゃって本当ごめんね。ゆっくり休んで」

俺の額から剥がした熱冷ましと薬のゴミを掌に置いて、KAITOが腰を浮かせる。
瞬間、ぞっとした悪寒が背中を走り、反射的にその手首を掴んでいた。
パシッ…と、軽い音がした。
…中腰になったままの体勢で、KAITOが動きを止めてきょとんと俺を見下ろす。

「萩原…? どうし……ぅおわぁあ!?」
「…っ、るせ」

その手首を基点に身体を引っ張り込むと、でかい悲鳴が上がった。
無視して、ベッドへ倒れ込んできて、ぎりぎりでシーツ上に両手着いてバランス取った身体の上に、片腕を回して押さえる。
だもんで、すぐに起きあがろうとしたKAITOは、シーツに両手を着くだけで身を起こすのを一旦止めた。
…今ので残ってた体力全部使った気がする。
再度眠気が襲ってきた…が、頭痛がして熱くて眠れそうにない。
頭が死ぬほど痛い。

「あっぶな…!!潰しちゃうかと思った…!」
「…」
「わ、おわ…っうぶ!」

狼狽した様子を無視してそのまま肩を抱いて、頭を懐にしまい込んだ。
…全身が冷たくて気持ちがいい。
体温とか、やっぱ普通よりも低いんだな。
それとも、今だけ俺が高過ぎるんだろうか…。
何にせよ、冬場のカイロとか湯たんぽとは正反対の用途で、俺はKAITOの身体にくっついた。
緩く伸ばした両腕の中に挟み込んで、目を伏せる。
視界が無くなった瞼の向こうから、不思議そうで控えめな小声が流れる。

「…急にどうしたの?」
「…」
「人恋しくなっちゃった?」

笑うような声ではなく、心配するような柔らかい声が耳に優しい。
無反応でいたが、やがて両腕の間で身動ぎすると、その狭い空間内で落ち着ける居場所を見つけたらしく、正面から俺の横髪を指が撫でた。
…ぼんやりと目を開くと、思った以上に近距離にKAITOの顔がある。
青い瞳と髪が涼しげで、少しだけ息が冷えた気がした。
まるで、自分が澄んだ湖だかなんだかの中にいるような気さえしてくる。
少しの間沈黙したが、その後、小さく笑って唐突にKAITOが目を伏せ、小さく口を開く。
こいつの睫までもが青いことに今気付いた。

「…モードを変更します」
「…?」
「"Alpha wave,setup.Frequency range of 8 ~ 13Hz."…ねえ、萩原。俺の声に集中して」

野郎型にしては妙に大きな双眸が、穏やかに緩む。
微笑を湛えながら、今度は向こうから俺へ身を寄せると、小さい子供へ内緒事を教え込むように小声で囁いた。

「…大丈夫だよ。眠れるから」
「…」
「日頃の疲れが出たんだね。熱が下がるまで、このまま一緒に寝ちゃおうか。一眠りしたら、きっとすぐに良くなるよ。…今度はきっと、ゆっくり眠れるから。深く眠ろう」

そう告げてから、間を置いて薄い声で微かな鼻歌が響き出した。

 ――…♪

それは確かに歌なんだろうが、小さすぎて遠過ぎて、呼吸やずっと向こうの風の音と言った方が正しい気がした。
耳の内側を擽るような柔らかい声質に導かれ、うとうと眠気が増す。
瞼が重くなり、眠りにつく直前、俺の腕を身体の上から浮かせると、それをシーツの上に置いて、冷たい整った両手が柔らかく俺の手を包んだ。
…。

 

 

 

薄暗い深夜に目を覚ました。
深夜だと思っていても、時計を見れば明け方の三時半。
ちらりとそれを一瞥した後、俺は再度開眼一番に飛び込んできた、すぐ横の寝顔に視線を戻した。
明かりはそもそも消していたが、カーテンは開けっ放しだった。
うっすら入る月明かりを光源に、すぐ横で控えめな寝息を立ててすぴょすぴょ爆睡してる同居人を見遣る。
慣れたつもりでも、やっぱし見惚れるレベルで造形がいいのは仕方ない。
青い髪と青い睫に落ちる影は俺よりも薄く、幻想的だった。
…何かぼんやりしてるからよく覚えて無いが、確か寝付いた時に枕ん所で握っていた手は、当然寝ているうちに解かれてもよさそうなものだ。
だが、今は場所は枕傍でなくても、布団の中で俺の人差し指と中指が握られている感覚があった。
熱が下がってきたのだろう。
感覚が寝付く前と比べると随分すっとしている。
よく眠れた。

「…」

握られている指先を、そっと引く。
相手の手を一旦抜け出すと、改めて外側から、握り直した。
微かな尿意で目覚めたわけだが、今出て行くのは惜しい。
何の抵抗も警戒心も無く眠っているKAITOの肩に額を寄せて、膀胱限界ぎりぎりまで布団の中で丸まっていた。
細い髪が頬に当たってくすぐったく、また微睡みが襲う。
…朝が来たら「ありがとう」を伝えなければならない。

「…」

上手く言えっかな…。
自分でいうのもなんだが、天の邪鬼なんてなかなかその辺は難しい。
…そこまで考えて、ふと"何かいいな"としみじみ思った。
病気の時に誰かがいる。
そんな些細なことだが、俺にはいままで無かったことだった。
風邪の間だけでもいい。
このまま一緒に寝ているのも悪くないな。

そんなことを思いながら、目の前の白い、骨張った、何の柔らかさも無い鎖骨に音もなく唇を寄せ、少しだけ濡らしておいた。



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音のプロって、その気になれば人に麻薬的作用も施せるし、結構恐い存在なんじゃ…と、思わなくもなかったり。
うちのマスターはツンデレです
故に、ストレートなKAITOさんとは擦れ違いが多めだけど愛はありますよ。
2013.9.11





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