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「お気を付けて」

そう言って、施設の人間はドアを閉めた。
途端に静寂が圧になって耳を塞ぐ。
色のない、無機質な立方体の部屋。
改めて、中央にある拘束具付きの玉座に座る青年へ目をやる。
いつ、何があってもおかしくない。
彼の様子を窺いながら上着を脱ぎ、タイを緩めシャツの襟を外してから、袖をまくる。
その後、小型のクインケを片手に漸く彼へと歩み寄った。
CCG支給の修練服。
クインケの使用テストや実技訓練などをする際に用いられる。
随分傷だらけで所々切れているのは、直前まで無茶苦茶なバーチャル数を相手に瀕死の状態まで追い込んだからだろう。
足は椅子の足置きに固定され、両腕は背中に回され、布を巻かれてベルトで止められている。
…彼を追い込むのはいつだって苦労する。
椅子に拘束されている青年の容姿自体は、よく知ったものだ。
平均的な身長、細身だが体幹の据わった体。
黒髪と白髪が交ざった灰色の髪。
目隠しで覆われている目は丸くて大きい……が、今この瞬間はどうなっているか分からない。

「――気分はどうだ?」

声を掛けてみる。
頭を垂れている青年は、瀕死の状態まで追い込まれ気を失った直後に打たれた薬のせいで、昏睡の中にいるはずだ。
反応を待つこと数秒、僅かに青年が口を開く。

「…。さいあく、です…」
「…」

色の薄い唇が、確かに言葉を紡いだ。
はくはくと何度か呼吸めいたことをし、青年が顎を上げる。

「お前の名は?」
「ぼく、ぼ…僕ハ――…。――僕 は、ササキ、ハイセ……で、」

直前よりもはっきりとした口調でその名を口にしたので、少し肩を竦めた。
無防備に更に青年と距離を詰め、その頭へ片手を置く。
今話したいのは、彼じゃない。

「琲世…。お前は少し寝ていろ。疲れているだろう。…キツイ訓練を強いて悪かった。お前はよくやった」
「…」
「俺は彼と話がしたい。心配するな。暴走はさせない。呼んできてくれないか」
「――」

何が変わったわけではない。
すぅ…と深く息を吸い、そのまま再び数秒間、青年は動かない。
…やがて、頭部に触れていた指先が、僅かにざわりとした。
悪寒。
目を塞がれた青年の顎が、少しだけ上がる。

「……。ダレ、です…か?」
「…」
「つき…――さん、じゃ…ない…」
「…何?」
「知らない…手、です…。……触らないで…くれます、か…」
「誰だって?」
「――」
「誰だ」
「聞こえなかったんですか。触らないでください」
「…」

急にはっきりと言われ、仕方なく手を引く。
目の前の良く見知ったはずの青年。
彼を凝視し、今触れていた右手を左手で一撫でしてから浅く息を吐いて下ろした。
ここで改めて尋ねてみる。

「お前の名は?」
「…さあ?」

は…っと、青年の口が息を吐く。
嗤っているのかどうかは判断が難しい。
再び僅かな沈黙があり、向こうから喋る気がないようなので口を開く。

「…"日の光 金糸雀のごとく顫ふとき――」
「…。硝子に凭れば――人の、こひしき"…」
「…」
「白秋、ですね…」

続きを繋げるよう意図的に言葉を終わらせれば、的確な下の句が続いた。
青年が顎を下げ、直前と比べて癖の無くなっているような気のする細い髪が仕草に合わせて流れる。

「僕もこの詩は好きです。白秋…――ああ…。"貴方"か…」

僕を殺した…と、青年は付け加える。
やはり嗤っているのかどうかは微妙なところだ。
実際の所、僕は彼の名を知っているし、彼も恐らく僕の名を知っていることだろう。
それでもお互い、何故か伏せている。
何故か自分には、この青年の名を聞き出してやりたいという欲求があった。
相手が分かったので多少なりとも警戒が動いたらしく、青年がゆったりと首を傾げる。
そんな些細な仕草でも拘束具の金属が小さく鳴いた。

「僕に何かご用ですか?」
「特には。様子見だ。…琲世に新しい部下を預けようと思っている。権限の幅を検討中だ。お前の言動は彼のそれを大きく左右させる」
「暇な人ですね」
「だと嬉しいがな」
「…僕も、随分暇です。貴方方のせいでね」
「暇なのは、君がそれを望んでいるからだろう」
「…」

当初の予想と比べれば、彼は随分と大人しくしてくれている。
周りの人間からは処置が上出来だったという話ばかり上がってくるが、彼を僅かでも知るごく一部の捜査官にとっては、本人の意思も少なからず関係しているだろうと思えていた。
彼は静寂を欲している。
誰かに自分を縛って欲しいのではなかろうかと、経緯を知れば嫌でもそう推測される。
血と殺意に溺れているように見えて、その実、それまでの家庭環境、性格や社交関係など、彼は極めて平凡で争い事が嫌いな少年であったと聞いている。
琲世の暴走が当初考えていたよりも少なく活動できているのも、恐らくは彼の積極性がそこまで高くないことが関係しているはずだ。
…眼鏡を指で持ち上げ、問うてみる。

「また当分眠ってもらうだろうが、何か言いたいことはあるか」
「言えば何かしてくれるんですか?」
「君の境遇は知っている。最善を尽くしたいとは思っている」
「は…。無責任な発言だ。どうせ嘘でしょう」
「どう取ってもらっても構わない。判断するのは君だ」
「…」

どこか投げやりに、青年が溜息を吐く。
だが、吐き終わった後はゆっくりと拘束されている範囲内で投げ出していた足を引き、揃えた。
声を頼りにだろうが、正確に私の顔を見上げる角度でこちらへ視線を向ける。
行動に、突然妙にも思われる程の素直さが現れる。
声も、ふ…と軽いものになった。
ドスの利いたものでなく、無意識に軽く相手を不快させないことに必死な…琲世に似ている声だ。

「…。綺麗な詩を思い出せました。十分です。抱いて、眠ります」
「…そうか」
「お気遣いありがとうございます…」
「最後に一つ質問がある」
「…?」
「最初に、誰の名を呼んだのか」
「…ああ」

尋ねると、珍しく彼の口元が緩んだ。
目元が覆われていても微笑んだのは一目瞭然で、意外に思う。

「すみません…。仲間は売りません。大切だから」
「…」
「拷問しますか?」
「いや。君には効果的とは言い難い」
「でしょうね。…それじゃあ。――…」

す…と彼の肩から力が抜ける。
ぶらりと四肢を下げた青年が椅子に座っている姿を改めて見直せば、直前に琲世が負っていたはずの傷の殆どが癒えていた。
琲世の治癒力は人間のそれにくらべて懸け離れているが、それも彼と比べてしまえば雲泥の差だ。
人形のように力なく動かなくなった彼を置いて、部屋を出た。


檻の中の花




「失礼しまぁーす!有馬さーん」

聞こえてきたノック音に入室を許可すると、残業時間であることもあり意気揚々と琲世が飛び込んできた。
軽く休憩をするつもりで部屋の端にあるコーヒーメイカー傍に立っていた僕のところへやってくると、両手をテーブルに着いて左から身を乗り出してくる。

「今日お忙しいですか? 本持って来たんですけど、置きに行っていいですか?」
「今持ってくれば良かったんじゃないのか」
「う…。こ、口実なんですから気付かない振りしてくださいってば…」
「…」

尾を振る犬を思わせる。
何となくじっと彼を見ると、丸い瞳が疑いも無くどこか嬉しげに首を傾げた。

「何ですか?」
「…」
「…! ぁ、わ…」

片腕を伸ばし、その頬を撫でてみる。
瞬間、ふにゃりと緩むように目を伏せて僕の手に片手を添える琲世に、持っていたカップを置いた。
引き寄せられるように距離を縮め、僅かに背を屈める。
…彼のことが嫌いな訳ではない。
寧ろ好感を持っているし、親心もある。
彼のことは己が最も良く知っているであろうし、また理解できるのも僕だけなのだろう。
琲世はとても良く出来ている。
だがこうしてキスをすれば不思議と、自分にこれは合わないという違和感が生じる。
何が合わないのか、それは分からない。
限りなく直感に近い。
自分は佐々木琲世に対し、他に感じ得ない好感を持っている。
…が、これ以上に欲するものが、僕にはきっとあるのだろう。

「…」

もう二年も経つ。
だが、張り詰めた自分が溶け出るような、鉄の味をした冷たい唇が忘れられない。
この世の悪徳は全て今目の前に対峙するお前のせいだと云わんばかりのあの燃える深紅の隻眼と、それにかかる、殺して欲しいと哀願するような暗く揺れる前髪の影。
気付いたら交わしていたような…あれが最もしっくりきていた。
亡くすには惜しく、珍しく物欲が働き手に入れようと思ってはみたが未だ届かない。
喰種は皆そうだが、手に余る。
彼は殊更にそうなのだろう。
そんな気がする。
…どうやら自分にも独占欲というものがあるらしい。
彼の頭を撫でる人間が誰であったのか気にかかるくらいには。
いかにも人間らしいエゴイズムの象徴たるその感情が僕には眩しく感じられ、"何かが欲しい"という久しい感情そのものに心が躍る。
喰種として暴れることが本意でないというのなら、静寂しかない暗闇に繋いで眠らせてやればいい。
文字の少ない詩を、まるで額付きの風景画のように受け取れる感性があるというのなら、次に会う時にまた何か贈ってやればいい。
琲世の髪を梳きながら、ぼんやりと、彼の安寧を思う。

 

誰の手にも届かぬ一輪の赤き花。
血と屍の中、あんなにも凛と妖艶に咲く。
"琲世"というよく出来た檻の中にいる間は、"彼"は間違いなく私の手元にある。
その事実が、いくらか触れられない物欲を宥めている。
鍵付きの硬質の硝子ケースに入っていたとして、そのケースが僕のものだというのなら、まだ納得もできる。
例え、過去にその花を手に入れていた人物があったとしても、所詮は過去の話だ。
物欲。
人も喰種も、形ある以上所詮は物体だ。
それが欲しい時もある。

遠く存在を忘れていたが――恋とは、たしかこんなものだった気がする。



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意外性を狙って有馬さんの片想い。
白カネキ君はそれくらい魅力的。
琲世君がちょっと可哀想ですが彼も愛されてますよ勿論。
2015.6.3





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