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「月山さん、今夜は…ありがとうございました」

深夜。
アジトへ着き、順に玄関をくぐる一同が背後を気にしなくなってから、カネキくんがドアノブを取っていた僕を振り返ってぽつりと言った。
…が、一瞬何のことか分からず聞き返してしまった。

「何がかな?」
「庇ってくれたことです」

まるで今日の天気を告げるだけのような淡々とした語感で、カネキくんが僕に言葉をくれた。
何てことはない。
今日潰してきた喰種の集団と乱闘になった時に、遠距離から自分の仲間共々狙い撃とうとする羽赫の輩がいたのだ。
普段ならカネキくん自身で気付けたであろう敵意だが、なかなかの人数であったため目の前の敵に集中してしまっていたらしい。
当然だ。
仮に撃ったとしても僕のカネキくんなら避けられただろう。
だが、だとしても美しい彼が狙われているシチュエーションを目の前にして動かないわけにはいかない。
咄嗟に間に入って赫子で放たれたそれらを叩き落としたことが少しばかり彼の助けになり、そうして彼はそのことを見てくれていたらしい。
まさかあの数相手の乱闘の中、僕のフォローに気付いてくれていて尚かつその可憐な唇から礼をもらえるなんて…!
高揚する心臓。
不意打ちが苦しい。
ああ、カネキくん…。
何を言うんだ…当然じゃないか!
思わず跪いてその手を取り、こんなことは当然だと改めて僕のこの忠誠を述べたいところだけれど、どうやらそれはシャイなカネキくんの望むことではないらしいということが最近分かってきたので、代わりに軽く片手を持ち上げウインクをする。

「君の剣として当然のことをしたまでさ」
「…怪我とかは」
「心配ご無用。かすり傷だよ。それも既に治ったしね」
「ということは、やっぱり受けていたんですね…」

淡々といつものように。
けれど、少しだけ困ったような戸惑いを見せ、カネキくんは顔を背けた。
靴を脱ごうと玄関に腰掛けた彼の前で玄関ドアを閉め、鍵を掛ける。
そのパーカー下に着ている漆黒のインナースーツと同じように、戦闘用として特注で造らせた靴は些か着脱に時間を取られる。
鍵を掛けてから、座るカネキくんの前に屈んだ。
頭蓋骨くらい簡単に踏み砕ける硬い底をしたブーツへ手を伸ばすと、自然とカネキくんが手を引く。
まずは片方の靴へ触れ、固く締められたベルトを緩めていく。

「なに。取るに足らないことだよ」
「まあ、そうでしょうね。…」
「心配してくれたのかな?」

緩んだ靴から踵を掬い上げるように足を取る。
露出された爪先にヴェーゼを添えようと顔を寄せた僕の額に、カネキくんがす…と掌を添えた。
上目に見上げれば、些かも表情を変えずカネキくんがじっと僕を見据えている。
…残念。
何を言われたわけではないが、それ以上進めなくなってしまい、名残惜しいが彼の踵と足首を撫でてから指先を離した。
主の意思を察することは、剣として当然だ。
もう片方の靴のベルトを外し始めると、カネキくんが小さく息を吐いた。

「貴方が受けても治るくらいの傷でしたら、僕も大丈夫ですから」
「そうだろうね。だが、君が傷付くのを見たくないだけさ。その辺のマナーの無い喰種に君の血の香りを嗅がせてやるつもりはないよ」
「…」

ベルトを外し終わり、こちらの足も掌にと思ったが、僕の手を待たずにカネキくんは立ち上がってしまった。
少し寄れていたパーカーを鬱陶しそうに両手で直しながら、背を向けてしまう。
残念に思いながら彼の靴を玄関横へ移し、自分も靴を脱ごうとしていると、皆が消えた廊下の奥へ歩み始めていたカネキくんが何かを思い出したように足を止めて振り返った。
白髪の間から覗ける退屈そうな流し目が僕を射る。

「…。何か」
「…?」
「何か、ちょっとしたお礼でも、できれば…いいんですけど…」
「君が欲しいッ!!」

ばっと片腕を彼へ延ばして切に願うが、返ってきたのは風切り音と彼の美しい赫子だった。
正面から腹部を叩かれ、背中が今さっきロックした玄関のドアへ、ドゴッ…!と大きな音を立ててぶつかった。
衝撃ではあるものの別段これといった痛みはないが、服が寄れてしまった。
僕を突き飛ばした赫子を背に収めながら、カネキくんがぞくぞくするような瞳で僕を見詰める。

「…"ちょっとした"?」
「いやだな、カネキくん。冗談さ」

手の甲でシャツの腹部を撫で直しながら、彼の機嫌を得ようとそう笑ってみせた。
勿論、この程度で君が手に入るとは思っていないとも。
思っていないが……ああ、そこにチャンスがあれば挑むのが恋にクラッシュされたイデオットのすることなのさ。
…しかし、カネキくん自身を食することも愛することも無理だとしてもチャンスはチャンス。
彼が僕の希望に耳を傾けてくれることなど滅多に無い。
折角だ、何か彼のボーダーラインを越えない程度の接触を望めないだろうか。
顎に手を添え、一瞬考える。
さて何を言ってみようかと思案するつもりが、思いの外早くぽんと頭に浮かぶものがあった。
我ながら名案。

「では、君と映画が見たい」
「…映画?」
「そうとも。いつか君たち皆で見ていただろう? あの時僕は帰らなくてはいけなかったからね。とてもロンリネスだったというわけさ。君さえ良ければ、今夜は是非とも君と映画が見たい」
「…」

両手を緩く広げてそう願うと、鋭かったカネキくんの瞳がいつの間にか戻っていた。
虚をついたつもりはないが、まるで僕がそうしたかのように瞬き、少しの間を置いて控えめに顎を引く。

「まあ…。それくらいでしたら、いいですけど…」
「本当かい!?」
「…。この間の事、気にしていたんですか?」
「君の傍を離れる時はいつだって心が痛くて胸に残るさ」
「…」

決して嘘でも冗談でも無いのだが、僕がそう言った途端、カネキくんはふぅ…と息を吐いた。
くるりと背を向け、リビングへ続く廊下を歩いてしまう。
勿論僕も後を追おうと廊下に上がったところで、奥のドアからバンジョイくんが呆れたような顔をだした。

「おい…。今何かスゲー音したが、喧嘩か?」
「何でもありません」
「ふ…。喧嘩? 堅い信頼で結ばれているこの僕とカネキくんにあるわけがないさ」
「万丈さん、この間見ていたDVDって、どこにしまいましたっけ」
「あ? あー…確か…」

シャイなカネキくんがバンジョイくんの横を通ってリビングへ入る。
彼らの後を追って、僕もそれに続いた。



night movie




順にシャワーを浴びて体を清めれば、自然と張り詰めていた気も緩む。
野蛮な喰種たちを一掃した日は皆寝入るのは遅く、早々と休んでいるリトルレディ以外は各々好きなことをして過ごす時間だ。
そんな貴重なプライベートタイムに日頃何故か立入禁止なカネキくんの部屋…。
思わず鼻孔で深呼吸してしまう。

「…そういえば、この部屋でテレビを使ったことがありませんでした」

そう言って、カネキくんが部屋の端に設置されているテレビの後ろに屈み、外してあったらしい電源を入れるところから始める。
このアジトを用意する際、基礎家電かと思って全ての個室にテレビは置いたのだけれど、結局のところ一階のリビングのそれが最も大きいし正面にソファセットもあるので見やすいのだろう。
元々カネキくんはテレビをあまり好んでみるタイプではないようだし、そういうこともあるのだろうね。
そもそも、本音を言えば彼のアジトとしてこんなに狭い住宅では僕の気が済まない。
もっと広い家を用意しようかと尋ねもしたが、あまり大きいと目立ってしまうから小さく住みやすい方がというのが彼の希望だった。
漸くテレビに電源が入り、デジタルの設定を無視してDVDプレイヤーにディスクを入れる彼を、斜め後ろから興味深く眺める。

「ホラーだったそうだね」
「はい。二本あって片方を見たので…僕も見ていない方でいいですか?」
「勿論だよ」

何でも、ホラーものでバンジョイくんが悲鳴をあげたとか。
あんなに逞しい体格をした彼の悲鳴…。
想像するだけで気が遠くなりそうだ。
バンジョイくんには申し訳ないが、きっと聞くに堪えない悲鳴だろう。
皆と映画を愉しみたかったという気持ちはあるものの、その一点だけはその場にいなかったことを喜べる。
ディスクをセットしてリモコンを持ち、カネキくんがテレビの正面に当たる場所へ置いてあるベッドへ腰掛けた。
そうだね、リビングと違ってソファは無いから…!
僕も限りなく彼に近い位置で腰掛けたい!

「隣を失礼」
「嫌ですよ」

カネキくんの隣へ僕も腰掛けようと片手をベッドへかけたが、その手をスパッ…!と彼が払う。
体ががくっと傾き、慌ててバランスを取った。
膝の上でリモコンを緩く握りながら、眼帯の無い彼の双眸が真っ直ぐ僕を見上げる。

「月山さんは床に座ってください」
「カネキくん…。君の隣に腰掛けてはいけないのかい?」
「ごめんなさい。僕の見えるところにいてもらわないと、やっぱりちょっと不安なので」
「…! 僕の姿が見えていないと不安というわけだね!」
「…何だか相違がありそうですが、それでいいです。とにかく何しでかしてもすぐに分かるように、僕の視界にいてください」
「ああ、カネキくん…。君の望みとあらば!」
「ありがとうございます。触らないでください」

彼の手を取って従う意思を告げるも、すぐにするりとその手は抜けてしまった。
残念に思いながらも、カネキくんが僕を見詰めていないと不安になるというのであればそれに応えないわけにはいかない。
個人的に、床に敷物無く腰掛けるのは些か抵抗があるのだけれど…この程度のことで我が主の心が少しでも安らぐというのであれば。
…ということで、カネキくんが腰掛けている足下のフローリングへ、ベッドに背を預けるようにして座ることにした。
露出した彼の足が近いので、これはこれでいい眺めかもしれない……などと思っていたら、僕が座ったことを確認して、カネキくんが少し反対側へずれてしまった。
二人きりで遠慮は無用だというのに、変わらず彼はシャイのようだ。
テレビの液晶では、制作会社のロゴが移されているところだった。

「月山さんって、映画鑑賞は…」

背後上からカネキくんが尋ねる。
振り返り、軽く片手を開いて答えた。

「実はあまり最近の映画を見たことがなくてね」

映画鑑賞を趣味にしている人間は世間一般的に多いのだそうだ。
だが、僕はどうにもここ十数年間で制作されている映画が肌に合わないらしい。
古い映画でセピア色をしたロマンスなどはまるで古き仏蘭西文学を嗜むくらいに惹かれはするが、どうしても好みというものがある。
大学のレポートを書く為に何本か見ることを強いられたが、溢れ出る音の洪水とストーリーの浅さには辟易してしまった。
何事も、ボリュームがあれば好いというわけでは断じて無いのさ。
一口含んだ時の口の中での広がり、マイルドな味わいを得て初めて対象物と僕との運命的な出逢いとなるのだ。
そういう意味では、当時見た映画はまるで食べ過ぎにも似た感覚を僕に与え、終わった後には溜息しかでなかった。
映画それ自体は僕を震わせるものではない。
…が、それを最高たる一品にするスパイス。
イタリアンでのバジル。
ヴィヤンドでのローズマリー。
それがカネキくんだ…!!
君と見ればきっとどんなに形悪く皿の上に盛られた映像であろうとも、きっと愉しく味わえる。

「この間は盛り上がったとリトルレディから聞いているよ。バンジョイくんが随分愉しそうだったとか」
「…ええ、まあ」
「…」

何かを思い出したのか、カネキくんがふ…と微笑するのを見てしまった。
不意打ちだ。
僕と二人でいる時に彼が笑ってくれることはとても少ない。
ぐわ…っ!と血液が四肢に送り出され、何とも言えない衝動が全身を走る。
ああぁああ…っ。
カネキくん…!!
君の首筋に齧り付きたい…!
…と、そこで僕の視線に気付いてしまったのか、カネキくんの表情から幕を下ろすように突然その微笑が消えた。
双眸が極端に鋭くなり、冷えた声が飛ぶ。

「…。前見てください」
「何か君を笑顔にさせることがあったんだね? …今というこの時間もいずれ君にとって渇いたこ――」
「三度目は言いません。前を見てください」
「…Oui」

語感強く言われて、言いたいことは多々あるがお望み通り口を閉ざして渋々前を向く。
そんなクールな君も愛して止まない僕にとっては、彼に従うことが悦びであるのだからね。
…はあ。
カネキくんと二人きりの空間…という、それだけでチャンスは無いかと無意識に探ってしまう。
…いいや。
まだ食す時期ではない。
彼が目的を達成した暁。
そのタイミングこそが、彼を食すには最も良いはずだ。
今はまだ熟成させる時間だからね。
手は出すまいよ。この後の更なる美味の為に。
こほん…と場を収めるべく片手を口元に添え、一つ小さく席をして改めて前を向く。
プロローグは既に始まっていたようだ。

 

 

 

さて、映画の内容は極ありがちなもののようだ。
海外映画で、場所は緑豊かなカントリーサイド。
その町である日内臓のない女の子の死体が発見される。
ルポライターである男はさっそく事件を取材に町へと向かい、そして町役場を訪れた男が近くの山村で数十年前に起こったという子どもたちの集団失踪事件のことを知り調べていく…というものだ。
調べる過程で、テーブルの上に広がる新しい臓器やホルマリン漬けにされた首など、様々な演出がされている。
回想シーンで女性や子どもの腹部を開くシーンなどもあり、この時間はカネキくんとの二人の時間を愉しむつもりであった僕ですら、いつの間にか集中して画面を魅入ってしまっていた。
…と言っても、勘違いしないでくれたまえ。
何もストーリーが魅力的だという話ではない。
画的に好ましいという話だ。
子供や女性の体は一度開けば、やはり映像であろうと美しく美味しそうだからね。

「ふぅん…」
「…」

恐らく明かされる体はニセモノであろうし、溢れ出る血液も裂かれる肉筋も偽りなのだろう。
微妙に僕らが食する時と違う色合いや内臓の配置などがあり、小さな違和感はいくつかある。
とはいえ、流石イミテーション。
実物には実物の魅力があるが、イミテーションにはイミテーションの好さがある。
美しく配色されているし、形も理想的なものが多い。
実際に美しい内臓を持つ人間は極端に少ないものだ。
このご時世に色艶の良い臓器を持つ者を探すのはなかなか難しくてね。
残念なのは、被害者が日本人でないことだろうか。
色の違う人間も何人か食べたことはあるし、勿論それはそれで美味には違いないのだが、やはり落ち着いて愉しめる味というのは結局のところ故郷の味というやつなのだろう。
髪が黒い方がより僕の好みだった。
しかし…。
そこで、ふぅ…と何となく肩を落としてベッドへ背中を預けた。
空腹とまではいかなくても、何かワインとそれに合う程度の軽食が欲しくなるな…。
バンジョイくんはホラー映画を買ってきたと言っていたが、これは本当に"ホラー映画"に区分されるのだろうか。
まあ、そうなのだろう。人間が襲われているのだから。
しかし"人間が襲われている"というだけで全てがホラー映画区分だなんて…何とも極端な話だ。
猟奇を個人的嗜好として愉しむ者もいるだろうに。
現実に他者を傷付けなければ、それは単に好みの一つだ。
カネキくんたちが見たというもう一本もこんな調子だったとしたら……バンジョイくんは一体何に対して悲鳴をあげたというのだろう。
死体など見慣れているだろうし、襲うのも襲われるのも慣れているだろうに。
死者が係わっているはいるものの、幽霊といった日本独特の恐怖感ではない分、どちらかと言えば死体や傷が気になって仕方がない。
今も画面の向こうで、案内役であった女性の片足が靴を履いたまま転がっている。
興味が湧いたが、主役の男がその光景を驚いて一瞬でその場から逃げ出してしまう、逃亡シーンになってしまった。
もう少し見たかったけれど…残念。
指先を口元に添えて浅く息を吐く。

「形好い足だったね、今のは。食欲をそそる。テリーヌにしたら嘸美味だろうに」
「…お腹空いているんですか?」

本編が始まってから沈黙を守っていたカネキくんが、初めて口を開いた。
笑って肩越しに彼を振り返る。

「空腹という訳ではないが、あれだけ美しい足が目の前にあれば食したいものだよ。彼女の腿肉はきっと美…」

――と。
そこで、はた…と忘れかけていた目の前のカネキくんの素足が目に付いてしまった。
色素の薄い白い皮膚。
余計な脂肪が少なくきめ細やかな肉質。
シャワーで汗を流した後に残る、彼本来の芳香…。
言葉共々、一瞬プツリと思考が固まる。
…。

「…じろじろ見ないでください」
「…!」

カネキくんが半眼で僕を見下ろしながら、凝視してしまっていた片足をベッドの上へ引き寄せて守るように片腕で抱えてしまった。
今のは完全に無意識であったので、はっと我に返って弁解する。
確かに僕はチャンスさえあれば彼を食したいと思っているけれど、かといって仕度もマナーも一切無しに生唾を呑み込んでいるような品のない輩だと思われてしまっては心外だ!
何というか、もし僕が彼を食べることがあるのならば、それはもう準備を満遍なく整えて一口一口丁寧に……ああ、だからそんな、こんな些細なことでこんな場所で、躾のなっていない飢えた獣のように君に齧り付きたいとか、そんなことは断じてしたくないし思ってもいない…!
勘違いしてもらっては困る!
僕の君に対する愛は、もっと果てなく深い!!

「おっと、勘違いしないでくれたまえ。違うよカネキくん。今のは…そう、ぼんやりしてしまってね」
「僕の足を見てですか? 美味しそうだなとかまた思っているんでしょう、どうせ」
「誤解だ!! こんな何の準備もない場所で僕が君のことを食べるわけがない!」

仮に彼が僕に「食べてもいい」と言ってくれたとして、僕がカネキくんの血肉を手軽に雑に扱う訳がない!
そんなことは有り得ないと強く伝えたいが為に、思わず語気が強くなってしまった。
片腕を背後のベッドにかけて、ともすれば立ち上がって主張しそうになっていた僕に流石に驚いてしまったのか、カネキくんが円らな瞳を瞬かせて僕を見下ろしていた。
数秒きょとんとしてから(とてもレアな表情!)呆れたように肩を下ろして、先程の冷たい視線とはまた別の半眼で溜息を吐く。

「まあ…どうでもいいんですけど…」
「あんな紛い物の映像を見て君への食欲に堪らなくなるなんて、そんな野蛮な男ではないよ、僕は。そもそも今の僕は君の"剣"!従順たる下僕であるのだから、もう以前のように君を喰べたいなんてそんな感情は、無い!」
「それを僕が信じているとでも思っているんですか? …ああ、ほら。見てください。食べてますよ」

カネキくんが言葉でテレビを示す。
彼を振り返っていた首を正面の画面へと戻すと、主役の男が子供の臓器を食べているところだった。
…ふらりと良くない目眩を覚えて、片手を額に添える。
なるべく画面を見ないように顔を背けた。
理性がどこかへ飛んでいきそうになる、ぎりぎりの感覚が頭の中にある。

「…」
「…」

ああ…。
カネキくんを、喰べたい…。
その甘い香りがする首筋に噛み付いて血を飲み肉を食らえたら……いやだが、何度も言うがまだ成熟していない彼だ。今食べては若すぎる。
それに、今振り返って襲いかかったところで、僕の力量では返り討ち。
彼を食する為にも、僕自身がもっと成熟しなければならない。
そもそもこんな何でもない日、何でもない場所で彼を食すなんて…一生後悔が残るはずだ。
もっとベストなタイミングやシチュエーションが間違いなくある。
記念日に適した環境を整えなければいけないし、今は彼に食欲を向ける時ではない!
カルマート、月山習!
…などと、必死に理性をフル動員させている僕の気を知ってか知らずか、カネキくんが画面を見ながらぽつりと口を開く。

「考えたら、自ら恐怖感を求めて娯楽とするなんて、人間や僕らは生物として少し異常なのかもしれません」
「…」
「…喰種みたいですね」
「…。カネキくん」
「はい。何ですか?」
「少々喉が渇いたな。どうだろう。DVDは止めて、下で僕と共に珈琲を愉しまないかい?」

振り返ってさり気なく言ってみる。
これ以上誰かが誰かを食している映像を見ていれば、例えそれが作り物であろうとも体内に熱く渦巻くこのパッションが彼へ襲いかかってしまいそうで恐ろしい。
ぞくぞくと背筋が震えて体が熱い。
吐く息すら熱くなりつつある。
この環境は実に良くない。
目の前に、まだ若いとはいっても極上の血肉があるのだ。
本来であればその香りだけで昂ぶるし、食することを想像してしまうのは止められない。
こんな第三者のいない部屋だ。うっかり手が出そうになる。
そう思って映画を止めようと提案した…が。
カネキくんが、僕を見下ろしたまま、ふ…と柔らかく微笑した。
待ち望んでいた彼の花のような笑顔であるはずが、妙に絶望的な気持ちになってしまう。

「嫌です」
「…。カネ――」
「僕と映画を見たいといったのは、月山さんですよね」
「……」

ご覧とばかりに、片腕で抱えていた足を元通り下げて爪先を床に着ける。
…だけならまだしも、そのまますとん…とカネキくんもベッドから降りて床に座った。
白く美しく、折ったり齧るのにとてもよさそうなその足を、見せつけるように真っ直ぐ伸ばす。
すぐ隣というわけではない。
"並んで座る"とは表現しづらい程度の、僕が腕を伸ばせばぎりぎり触れる距離。
妙にぼんやりと彼の方を凝視してしまう…。
ちりちりと理性が端から焼けていく感覚が確かに僕の中にあり、危険信号が点滅を始めた。
実に良くない。
心から彼に着いてきたこの月日。
一時の感情に負けて、こつこつと築き上げてきた彼の信頼をここで崩してしまうのはリスクが過ぎる。
calmato…calmato…。

「月山さんにとっては、殆どグルメ映画のようですね、これ。スプラッタだしカニバリズムだし。万丈さんたちと見たものもそうですけど、僕もあまり恐くはなくて…。昔は、こういう映画苦手だったんですけど」
「…」
「…お腹、空いてきましたか?」

感情の乏しい表情が、探るように横から僕を見る。
そうして返事を待たず、膝を折って伸ばした両足を引き寄せると、本当に控えめに…嘗ての彼のように…小さく曖昧にふわりと笑った。

「あげませんよ。…頑張って我慢してください」

諭すように淡々と言うくせに、引き寄せた自身の膝を、カネキくんが舌を少し出して僅かに舐める。
そんな一言と仕草に呼吸が止まり、一気に血が沸いた。

「ッ――!」
「わ…っ」

恐らくエンディング手前の山場にあたるであろう頃には映画のストーリーなど最早どうでもよくなり、気付けば床に手を着いて素早く起きあがりつつ、カネキくんの手首を取る。
引っ張り上げるように背後のベッドへ押し倒――したまでは良かったのだが…。
まるで僕がそうするのを待っていたかのように彼の背から伸びる赫子が、僕の脇腹を容赦なく剔った。
溢れる血液。
欠けた僅かな肉片が飛ぶ。
自身の血液など何の足しにもならないあああ僕は君の肉体が欲しいッ!!
即座に治癒が始まるものの、一瞬怯んだ僕の手首を逆に取り返し、食欲そそる彼の右足に剔られたその傷を下から思い切り蹴りあげられてしまった。
カネキくんの爪先が血で滑る僕の傷へと僅かに食い込む感覚。

「ぐッ…!」

ドグッ…!と深く入り、反射的に吐いた息に鉄の味がして理性が少しだけ戻ってくる。
ほんの少しだけ痛い…。
彼の蹴りは美しく、同時にとても重いから。
それにしても、流石に酷くはないだろうか。
だが、蹴り上げられる刹那、優しく困ったように微笑む彼の表情を見てしまえば怒りなど微塵も沸いてはこないのだから仕方がない。
ああ…カネキくん…。
そんなに愉しそうな表情の君を見るのは久し振りだね。
この僕を嬲ることを覚えてしまうなんて、いけない子だ。
以前の震えて恐怖するだけだった君からは想像もできない。
…が、こんなスパイシーな君もまた良し!
上へ蹴り上げられて僅かに浮いた体の横から、カネキくんの赫子が勢いよく僕の横腹を叩き体が真横へ飛ぶ。
思わず、ぐっと拳を握った。
本当に…――本当に、彼の成熟が待ち遠しい!!

 

 

 

 

 

 

「ムッシュ・バンジョイ。DVDをお返しするよ」

翌朝。
DVDがバンジョイくんのものだと聞いて、プレイヤーから取りだしたそれを彼に差し出す。
自身で借りて来たであろうに、差し出したパッケージを見るなり彼は顔を顰めた。

「うっわ…。見たのか、これ…。こっちの方がエグそうだったんだよな…。どうだった? 怖かっただろ」
「実に興奮したよ」
「…は?」
「いい映画だね」

疑問符を浮かべるバンジョイくんにDVDを手渡し、ウインクひとつ。
片手を挙げて背を向ければ、少し離れた場所に立っていたカネキくんと目が合った。
…が、ふい…とすぐに顔を反らされてしまう。
そんな冷たい態度と昨夜見た無邪気な微笑が交わって、自然と爪先が彼の方へ向かう。
結局今日も、僕は彼の恋の奴隷というわけだ。



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後書きでハブられていたので一緒に映画見せてあげたかった。
段々月山さんが可愛く思えてきました。
カネキくんは甘えているんですよね。
2015.6.24





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