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僕は多趣味であると、人は云う。
事実、僕自身そう思う。
第一は"食事"。
何を置いてもこれが僕を形成する第一だ。
だが、これはもう趣味という分野にはくくれない程に僕を占めるものであるから、この場では省くことにしよう。
そうなると…ジャンルは偏っているが、読書に始まり大学院での講義も基本的には好いているし、室内という意味ではピアノやヴァイオリンを始め名前の聞いたことがある楽器で我が家にあるものは一通り弾けるつもりだ。
絵画や彫刻、美術品を見るのも好きであれば、単純に語学も興味深い。
かといってインドアかと問われれば、恐らくそうではないだろう。
身体を動かすことは嫌いではないし、スポーツは全面的に得意だ。
人間と比べてしまえば、当然に運動神経は悪くないからね。
テニス、バスケ、スカッシュ…。
数ある運動のうち、だが最も愉快であるのは、やはり"戦闘"だ。
戦闘、格闘、殺し合い…。
好んで云えば一対一の決闘形式が好みなのだけれど、闘うことは嫌いではない。
自分を磨くことが嫌いではない僕にとって、己という存在を賭けて勝負に挑む。
その時々の自分を試せる、ちょっとした試験のようなものなのさ。
例え、その先に生死の分かれ目があろうともね。
…因みに、人間を食すのに戦闘はいらない。
こちらは、いかにスマートこなすかという、寧ろ手順の優美さを僕としては求めているから。
対象を殺して肉体全てを喰らう輩も多いようだけれど、あれはまったく…品がないね。センスを疑うよ。
人間相手に戦闘をする必要はないから、そこが試されるのは、同じ喰種と対峙した時だ。
今までは、そんなに頻度もなかったんだけれどね…。
カネキくんと行動を共にするようになってからは、随分と変わった。
同胞を狩る機会がぐんと多くなってね。
戦闘の頻度も益々増えていく。
人間ならまだしも、喰種という同じ種族を殺めるなんて……ああ、胸が痛いけれど、全ては我が美しき主の為。仕方がないのさ。

今では、喰種を襲うことは嫌いではない。
寧ろ望んでいるくらいだ。
敵はある程度手応えがあった方がいい。
そこそこの強者が、それなりの量…というのが理想的だ。
手応えのない輩ばかりでは、僕の露払いだけであしらえてしまうだろう?
是非ともカネキくんに殺されて欲しいんだよ。
できるだけたくさん。
それは何故だか、彼の傍にいれば否が応でも知れるだろう。

多くの死と血を喰らった夜。
喰らえば喰らった分だけ、彼は言葉では表せない程に、魅力的になるからさ。

…とてもね。


君の為の僕の夜




「…月山さん」

不意に名前を呼ばれ、ざわりとうなじが震える。
顔を上げれば、二階へ続く階段の踊り場に、カネキくんが佇んで静かに僕らの方を見下ろしていた。
名前を呼ばれた僕だけでなく傍にいたバンジョイくんや残りの二人も同じように我が主を見上げる。
いつも以上に無表情に見えるのは、疲れているからだろう。
戻ってきて一番先にシャワーを浴びたといっても、まだ全体的に湿気を帯びて潤いのある姿だ。
…今晩は、皆疲れている。
時刻は深夜過ぎ。
他区の喰種の溜まり場をひとつ、潰してきたところだ。
カネキくんがいい加減に空腹のようであったし、丁度いいだろうということで手頃な所をね。
たくさん殺してきた。
…おっと。数を聞かれても困る。
特に僕と彼は多かったから、一々数えてはいないのでね。
一応順番にシャワーは浴びて、今はバンジョイくんの二番目のお友達がバスルームに入ったばかりだ。
戦闘からの帰り道は黒いコートを着て帰ってきたし、それはもう処分してしまったけれど、リビング全体に各々持ち帰ってきた甘い血の匂いがふんわりと残っている。
そんな匂いを通しての、カネキくん。
…微笑して、彼を見上げる。
なるべく平然と。

「何かな?」
「今日の集団について、ちょっと聞きたいことがあります。今晩は泊まっていって結構です。奥の部屋を使ってください。それから、寝る前で構いませんので、あとで僕の部屋に来てください」
「お安いご用さ」
「…みんな、今日はお疲れ様です。…ゆっくり休んでください」

静かに云うと、彼は背中を向ける。
バンジョイくんが慌てるようにその背に声を向けた。

「おう…!おやすみ、カネキ。無理しねーでゆっくり休めよ!」
「おつかれーっす」
「おやすみなさーい」

まとまりのない挨拶に振り返ることなく、カネキくんは階段を上っていく。
…見えなくなるまでそれを見送り、ふと視線を戻すとバンジョイくんが何かもの言いたげな顔で僕を睨んでいた。
思わず口元が緩む。
残り二人に聞こえないよう、声を抑えた。

「男の嫉妬は見苦しいよ、ムッシュ・バンジョイ」
「誰がムッシュだっつーんだよ。バンジョイでもねえよ。…つかテメェ、調子乗ってんじゃねーぞ」
「心外だね。宿泊の許可はカネキくん直々だ」

胸に片手を添え、誇らしく感じながら告げる。
…僕だけこの場には住まわせてもらえないからね。
信用が無いことは分かっているけれど、いいさ。そんなことは。
そこは自力で勝ち取ってこそだ。
それに、一般的な信頼こそこれかが育むべき課題だが、我々には我々二人きりの信頼に代わる絆がある。
彼にとても必要なものだ。

「生憎だけれど、君の出番は無いのさムッシュ。君が彼にとって"そういう"対象ではないのだから仕方がないだろう? カネキくんの優しささ。受け取っておきたまえ」
「だからこそ、テメェが止めてやれよ…!」
「僕が? Non…!残念ながら、僕にとっても至高の時間なのでね。多少の傷や流血が何だというのだ。リスクの先にこそ求めるものがあるというのに」
「お前、どうかし――」
「ジェラシィは赫子が出せるようになってからしたまえよ、ムッシュ」

徐々に声が大きくなるバンジョイ君との会話を打ち切るために、ピッと片手を前に出して会話を遮った。
止めるなんて有り得ない。
カネキくんのご命令が第一だが…その一方で、僕は僕で、この時間の為に同胞を狩っているようなものなのだから。
僕の手に一瞬驚いて言葉を止めてくれた彼を、涼しく一瞥する。

「さて…。それでは僕も今日は疲れたし、カネキくんの部屋に行ってそのまま休むとしよう。Bonne nuit、諸君」
「…オイ!」

バンジョイくんが吠える。
野良犬君には困ったものだ。
折角その太い首にカネキくんがお情けで首輪をつけてくれているというのに、もう少し彼に相応しいエレガントな振る舞いはできないものだろうか。
番犬にすらなれない非力な室内犬もいいところ。
そう、まるで陶器でできた飾りの犬のような。
躾の乏しい主の飼い犬に危害を加える気は今の所ないけれど、やはり少々煩わしい。
いつか彼がカネキくんを裏切ってくれればいいと思う。
その素振り一つだって構わない。
そうすれば、彼を殺す理由ができるのだからね。
少しは静かになるというものだ。

 

 

 

 

――コンコン。

軽くドアをノックする。
一回目に返事が無いのはいつものことで、あればそれは機嫌がいい証拠。
どうやら、今日はご機嫌良好という訳ではなさそうだ。
…まあ、同胞狩りをした日は大体そうなのだけれど。
数秒待ってみて、またノックをする。
二回目だ。

「カネキくん? 僕だよ」
『…どうぞ。開いてますよ』

冷ややかな声が室内から返ってくる。
入室の許可に気分が高揚するのを抑えられず、すぐにドアノブを掴んで回――…した瞬間。

「――!」

ドアが勝手に開いた。
自分で押して開ける気になっていた僕の腕と体が、がくん…っと前に傾く。
転倒なんて無様なことにならぬよう、反射的に片足を前に出すも、その踏み場を図ったかのようにワインレッドの美しい赫子が着地寸前の僕の足を払う。
あっさり利き足を払われて、バランスを崩した。
…転倒する。
無様に。
彼の前で?
頭から床に飛び込んで顔を打つのだろうか?
この僕が、顔を?
この美しい顔を?
彼の前で??
…いいや。
そんなことは――…死んでも御免だッ!!

「――ッ!」

室内に倒れ込もうとする体の前に、反射的に両手を出す。
両手を床に着くとそこを支点にダンッ…!と足を後ろに蹴り上げ、その反動を利用してバク転の要領で身を撓らせた。
すると、そこは容赦のない我が主。
この僕を支える両手すら払い倒そうとしたようで、別の赫子が床上を、鞭のように横に振るわれているのを視界の端で捉え、仕方が無いのでそれが当たる前に今度は両手を軸に腕の力をフルに使って跳ね上がる。
腕の力で跳ねたものだから、結局バク転になってしまった。
爪先が天井を掠めそうになって、慌てて膝を曲げる。
…天井が低い部屋でなくてよかった。
もう少し低ければ、普通に穴が開いてしまっただろうからね。
爪先と天井との距離を直感で捉え、ト…と爪先で軽く天井を蹴るようにしてバランスを整える。
音を抑えて着地すると、そこはもう部屋の真ん中どころか、行きすぎて窓際だった。
一気に部屋を横断してしまった。

「…ふう」

息を吐いて肩を楽にする。

「ん…? …おっと、乱れが」

丁度目の前が窓際であることだし、夜を写している窓はミラーのように室内を反射しているので、顔を近づけて確認し、僅かに乱れた髪を手直しておく。
流石に夜ともなればタイまではしていないが、シャツの襟を指先で整え、ついでに開きっぱなしであったカーテンを閉めてから、改めて背後…部屋の中央を振り返った。

「さて…。熱烈なお招きありがとう、カネキくん」
「…」

部屋の中央に佇むカネキくんが、静かに僕を見据えていた。
その左右に彼の赫子が二本撓っていたが、目を伏せると同時に短くなるとそのシャツの背中に溶け込むように消える。
長い瞬きを終えて、カネキくんが改めて僕を見た。

「…よく転びませんでしたね」
「そうとも。褒めてくれたまえ」
「そうですね…。素直に凄いと思います。思わず舌打ちしてしまいました」
「ふふ。君の忠実な剣には、今日も錆びも曇りもないよ。…それに、君の前で残念な姿は見せたくないのでね」
「見慣れていますけど」
「…? 僕の残念な姿をかい?」

その言葉が意外で、片手の指先を自らの胸に添えて瞬いた。
彼の前では一紳士のつもりだけれど、僕のどこが残念な姿だというのだろうか。
疑問符を浮かべていたのが分かったようで、彼は浅く溜息を吐き、この話は終わりだとばかりに数歩歩くと、壁際に設置されているデスク傍までいき、対になっているイスへと腰掛けた。
内心焦れる僕を敢えてそうするかのように、悠々と背中を背もたれへ預け、顎を上げて天井を見上げる。
焦ってはいけない。
彼はとてもシャイで、追うと逃げてしまうから。
許しが出るまでは、静かに行儀良く待たなければね。
場が数秒沈黙すると、カネキくんがぽつり…と色白い唇を開いた。

「今日は…少し、疲れました」
「そうだろうね」
「それに、気持ち悪いんです…。空腹感は消えたけど、きりきり胃が痛くて…」
「…」

白い手を腹部に添え、天井を向いたまま目を伏せるカネキくん。
血色の爪と白い睫が、蛍光灯の下でジュエリーのように輝くこの瞬間を独占できることが、心より悦ばしい。
…が、彼の言葉には思わず眉が寄った。
気持ち悪くて胃が痛い?
当然だ。食事が悪いのだよ。
胸から下ろした片手を、ぐ…と力任せに握る。
彼の胸中を思えば涙が溢れてくる。
ああ…。ご希望とあらば、すぐに極上の美肉を用意して、僕が一口一口その唇に運んであげるのに…!
今はもう、人間は食べないと決めた彼の意思を邪魔する気はないけれど、その体が心配だ。
喰種ばかり食べていては体に良くない。
そもそも、僕らの生態からして同じ喰種は、食せないわけではないが食すものではないのだから。
単純に味が悪い。
同種喰いは、古より悪食だ。
どんな生物でも、単純に同胞の味を良く感じるように、若しくは体に良いようにはできていないのだから。
我が主は粗食ばかり召しあがる。
それが、手足である僕のどんな苦しみになっているか、君臨する存在である彼は分かっていないのかもしれない。
…が、ここはcalmato!
ぐっと口は噤んでおく。
過去三回…主に初めの頃だが…カネキくんに"まともな食事"を提案して断られ、内一回は実際に食材まで用意して「どうか食事をして欲しい!」と彼の手を取って誠心誠意涙ながらに伝えたつもりだが、気に触ってしまったらしく、冗談では済まない半殺しに遭ってしまった。
彼と対峙すると噛むことは許されないけど、流れる血くらいは味見できるから嫌いではないのだが…あの時は随分回復に時間がかかったっけ。
…けれどまあ、最終的には例のアオギリにいたという霧島さんBroにしてあげたお仕置き軽めバージョンを体験できたので興味深いといえば興味深かったのだけれど。
こんなに長い間、喰種だけを食すなんて…。
実の無い稲穂の皮を胃に収めているようなものだ。
心配で堪らない。
…言葉無く案じる僕へ視線を投げることもなく、カネキくんはイスに座ったまま両足を引き寄せた。
キィ…と僅かな音を立て、彼がイスの上で膝を抱え、そこに頭を添えて小さくなる。

「…心音がうるさいんです。…いつもより、ずっと鼓膜に響いている」
「あれだけ運動したからね。そういうこともあるだろう」
「…」

さり気なさを装って、膝を抱えているカネキくんに歩み寄る。
極々自然に近づいて、彼のイスの傍に片足を立てて跪いた。
…下から見上げても、俯せてしまっているその表情は見えない。
白い膝の上に、柔らかい白髪が流れているだけだ。

「…触っても?」
「…」

静かに。
内側に滾るこの熱が微塵も表に出ないよう、膜を張って静かに問いかけてみる。
微動だにせず数秒が経ち、やがて顔を上げないまま発せられた「…いいですよ」と許可を得て、そっと彼が膝を抱く手に片手を重ねた。
…滑らかな皮膚の手触りに、何度でもうっとりする。
シャワーを浴びてソープの匂いが強いはずなのに、今夜はそれに負けずにカネキくんの香りが強い。
今夜はそういう日だ。
多くの死を見る日。
芳醇な甘く強い香り…。
白檀にも似た異質の魅力。
他者を瞬く間に虜にする、不安定で危うい香りだ。
殺戮の場で踊るカネキくんを一目でも見れば、大概の喰種は良くも悪くも彼に興味を持つ。
虜になるのだ。
血を浴び、骨を折り、肉を喰らい、滅入り、揺らぎ無い信念という柱を持ちつつも自らの存在にぐらつく瞬間、彼の凶悪なまでの色香は益々強まる。
事実、体もそのはずだ。
多くの死を見た日には、感情も肉体も昂ぶるが故に興奮して眠れず、何らかの方法で発散しなければならない。
彼はそれを、自分でとてもよく解っているし、生理現象と割り切っている。
そして僕は、彼の良き親友であり忠実な僕…。
一言命じてくれさえすれば、従い尽してみせる。
…さて、今夜のご気分は如何かな?
そう問いかけようと唇を開いた僕の直前に、カネキくんがぽつり…と口を開いた。

「…。今日は、どうですか?」
「どうというのは?」

知らぬ振りをして聞き返す。
何でもないこのやりとりこそが、重要なプロセスなのだ。
僕から求めてはいけない。
じっと待つに限る。

「…。月山さん、今日は…僕を抱けますか…?」

それまでの張ったような声とは裏腹に。
心細い小さな子どものような声に、心臓が高鳴る。
…ああっ。君はどうしてそんなにも魅力的なんだ!
カネキくんを抱くことは僕にとって至高の幸福だというのに、何故かいつも彼は申し訳なさそうにそれを口にする。
孤独を埋めることは、彼の中ではすっかり罪であり、自己嫌悪を得る行為らしい。
だからこそ、バンジョイくんには求めない。
彼の闇と歪みを受け止めるのは、この僕の役目ということを、何よりカネキくん自身が良く分かっている。
日頃の孤高たる態度は形を潜め、出会った頃のようなどこか気弱な声で僕を気にする。
…危うく全力で抱き締めそうな衝撃が体を走ったが、何とか堪え忍んだ。

「…Biensur」

びりびり来る言葉の痺れが四肢に届き、ぐっと彼の手に重ねていた片手に力を込める。

「勿論だよ、カネキくん。君の誘いを断ったことが、僕にあるかな?」
「…用事とかは」
「君に優先するものなど、何も無いとも」
「…。すみません…」
「謝る必要など皆無だよ。体が熱くて仕方がないのだろう? それは極々自然な反応だ。ならば、君の中にある荒々しい熱を、この僕がすぐにでも解放してあげようじゃないか」
「…」
「それからゆっくり休みたまえ。今の君には休息が必要だ。今後の為にもね」

頑なに膝を抱えている彼の指を解し、両手を左右でそれぞれ取る。
彼の右手を選んで唇に寄せキスを一つ。
挨拶代わりにしたそれで、彼の顔は僅かに膝から浮いてくれた。
爛々と輝く好戦的な赤い瞳と、静かで控えめな夜の黒い瞳が、僕を射抜く。
どちらもこれ以上ない程に美しい。
狂気の興奮冷めやらぬまま嬲られ傷付けられるか、はたまた怯える幼気な迷い子のように静かに僕に委ねられるか…それは今から解ることだ。
どちらに転んでも構わない。
兎にも角にも、彼の一夜は僕のものになるのだから。
ゆっくり立ち上がって腕を引くと、お互いの腕が一度伸びきる。
それでも緩く引くと億劫そうにカネキくんが腰を浮かせて自らの足で立った。
まるで生まれて始めて立った幼い子どもをそうするように、両手を取ったまま危なげにこの世界に立つ彼を支える。
この僕の手が、確かに彼を支えている。
この狂喜は表現できない。
誰にも教えるつもりはない。
繋いだ指先を見下ろして、冷えた指先を握る。

「ベッドへおいで、可愛い人」
「…」
「今夜、君はとても頑張った。…さあ。今はもう、十分に甘えていい時間だ」

意識して柔らかく伝えると、間を空けて、カネキくんがゆっくり顔を上げた。
前髪で陰ったその向こうの瞳が哀しみを携えていて、縋るように僕を見る。
…どうやら、今晩は嬲られる心配はなさそうだ。
直感でそう察して、取っている彼の指を親指で撫でる。

「…月山さん」
「何かな?」
「…。耳…が」
「耳…?」
「耳が…ざわざわするんです…」

カネキくんが再び俯いて、僕から左手を離すと、不安げな指先で自らの左耳を軽く触れる。

「僕の耳に…。何か…入っていませんか…?」
「…いいや?」

いつの間にか、左の耳を気にする癖がカネキくんにはついていた。
理由が何なのか、日中に雑談のつもりで何気なく問いかけ、何気なく返された時は心底驚いたけれど、彼がこうして不安を僕に晒してくれるのは、とても心地が良い。
仮に他の者が僕と同じく彼に問いかけたとしよう。
"君は左耳を触る癖があるね。何か理由でも?"…と。
カネキくんはきっと曖昧に笑って答える。
「特に意味はありません。いつの間にか癖になっていて…」。
…そんな姿が容易に想像着く。
これが悦びでなくて何だというのだ。
彼にとって、僕だけが"特別"。
解るだろうか。"特別"なのだよ。
…片手の指で彼の頬をするりと撫でる。
実に滑らか。

「何もないよ」
「…本当に?」
「本当さ」
「…」

もう一歩踏み込み、カネキくんの細い腰を片腕で引き寄せて体を詰める。
左耳に触れている彼の指を改めて取り上げ、その代わりに背を屈めてヴェーゼを耳へ添える。
戯れに舌先で凹凸を撫でれば、は…と耳元でカネキくんが浅く息を吐き、肩を上げた。
静かな時は、この初心な様子が堪らない。
何度接しても心を持って行かれる。
五回に一度でもこんな時間があるのなら、肉を剔られようが骨を折られようが安いものだ。
耳にキスした時に反射的に閉じていたらしい瞳が緩やかに開いて、どこか怖々と僕を見つめる。
微笑して、顔を近づけ、内緒話のように囁く。

「…今日もとても怖かったね」
「…」
「さあ。おいで」

彼の両手を取ったまま、後ろに下がる。
導かれるまま、カネキくんの赤黒い爪先が、一歩前へ出た。

 

 

君には剣が必要だ。
身を守る為にも、相手を斬りつける為にも。
いつだって僕は傍にいる。

気長に待つとも。
やがてはきっと、僕という存在が、髄まで馴染む日が来るだろう。



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月カネ的にこれくらいが彼らの甘甘だと思うのですが如何でしょうか。
黒カネキくんも白カネキくんも誘い上手設定。
2015.3.30





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