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『送信者:佐々木琲世
 件名 :お疲れ様です
 本分 :

 お疲れ様です!
 今晩、仕事上がりは何時のご予定でしょうか?
 もしお時間あるようでしたら、次の本をお渡ししようと思っています。
 お会いできるようなら、お時間ある時に返信をください。忙しい場合は流してくださいね。
 今回の本は上下合わせて二冊です。

 佐々木 』

 

 

「…」

夕方。
気紛れにプライベートの携帯画面を見れば、琲世から連絡が入っていた。
仕事用はともかく、こちらにメールが入る相手は限られている。
受信一覧を見れば、ここ最近六割が彼からのものが占めていた。
更新は決して早くは無いが、それでも並ぶ彼の字面に得体の知れない親しみを感じる。
返信を押した。


篭の鶯




「有馬さん!」

一階の正面玄関前。
簡単なロビーフロアのようになっているその場所へエレベーターから降りると同時に、勢いよく名前を呼ばれる。
少し離れた場所に広がるソファの一つに腰掛けていた琲世が、片手を挙げてひらひらと振っていた。
周囲を通行していた職員がざわついたことには気付かぬ振りをし、彼へ歩み寄る。

「待たせたな」
「いいえ。お忙しいでしょうから。寧ろ、お時間取れると思っていなかったので、嬉しいです。いくらでも待ちますよ」
「…。そうか」

にこにこと人の良さそうな笑顔で微笑する琲世の返答に、静かに頷く。
最近、なかなか時間が取れなかった。
元気そうな様子に、無意識に浅く息を吐いた。
ロッカーに入れたままになっていた紙袋を持ってきている。
以前借りた四冊が入っており、その袋を琲世へと渡す。

「前に借りていたものだ」
「どうでしたか?」
「なかなか興味深かった」
「良かった。…あ、じゃあ、これ次です!」

新たに、別に書店の紙袋を受け取る。
中には昨年話題になった受賞作の上下巻が入っていた。
新聞記事で見かけたきり、手に取る機会はなかった。
機会があればいずれ…と思っていたものだ。

「…」
「お好きそうですか? 最近の話にしては、読み応えありましたよ」

袋の中を見下ろしていた僕に、琲世が言葉を添える。
頷いて本から視線を上げた。
ふと、彼と目が合い、その目が空かさず泳いだので疑問を持つ。
何か疾しいことでもあるのかと思いきやそうではないらしく、数秒放っておけば、今返した紙袋を腕にかけたまま、その手を口の前に添え、こほん…と態とらしい咳をする。
…何か言いたいことがあるらしい。
更に数秒、待つ。

「…あの、有馬さん」
「何だ」
「えっと…。この後、ご予定とかって…ありますか? その、よかったら、食事でも」
「…」

食事…。
琲世には必要のないその単語を持ち出すからには、やはり何か言いたいことがあるらしい。
特にこの後は予定らしい予定もない。
資料の見直しは夜中だろうが朝方だろうが構わない。

「…。いいだろう」
「え…! …あ、本当ですか?」
「ああ。だが、食事は先程軽食を取ってしまった」
「え!…え、そうか。えっと、じゃあ…。あ…どうしようかな…。あとそれっぽいのって…」

…"それっぽいの"?
目に見えて狼狽する琲世を眺めていたが、やがて良い考えに落ち着いたのか、ぐっと拳をつくる。

「えっと、じゃあ……お風呂とか!」
「…風呂?」
「はい。銭湯とか、どうでしょうか。…あ、銭湯っていうか温泉センターというか。温泉施設!」
「…」
「前からちょっと行きたくて。…近くにいいところがあるって、彰さんに教えてもらったんですよ」

隣のソファに置いてあった自分のカバンを持ち、何気なく琲世が歩き出す。
反対する理由もないので、僕もそれに付いていくことにした。

「有馬さん、温泉施設とかよく行きますか? スパとか」
「いや…」
「僕もです。興味はあるんですけど、何だかんだで行けなくて…」

並んで建物を出る。
春とはいえ、夜は暗く風は冷たい。
また、ふと気付いて琲世へ目をやる。

「…似合っているな、コート」
「あ、これですか? …あはは。ちょっと良いもの過ぎて僕には釣り合わないような気がしますけど…。おさがりありがとうございます。格好いいです」

コートの襟を片手で広げ、琲世が笑う。
頷いて、前を見た。

 

 

 

 

 

真戸がよく行くという施設は、思っていた以上に近かった。
入口で靴を脱ぎ、ロッカーに預ける。
駅の改札のような機械を通り、すぐにあるカウンターでバーコード付きのリストバンドをもらい、支払いは後払いということらしい。
右も左も分からないのは僕の方で、入ってすぐの頃は狼狽えていた琲世だが、すぐに馴染んだ様子だった。

「僕、来たことあるのかもしれませんね、こういうところ」

脱衣所で適当なロッカーを見つけ、服を脱ぎながら笑う。
そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
ロッカーに鍵をかけ、風呂場へ向かう。
湯気に隠されてはいるが、天井は高い。
ざっと空間と人数と、その人数の現在地を把握する。
仮に今、何かしらの戦闘になったとしたら――。
…と、そこまで考えて止める。
仮に今、何かしらの戦闘になったとしても、僕がいるし琲世がいる。
そして、僕が何らかと対峙すべき時、最も厄介であろう相手は、琲世以外に無い。
…今この状況では、他ではなく彼を見ているのが正しいかもしれない。

「有馬さん、ここ空いてますよ」
「…」

屋外へと続くドアの方を眺めていた僕に、先に進んでいた琲世が声をかける。
現地把握を一度止めて、呼ばれるままに洗い場に腰掛けた。
湯気で曇るような眼鏡は使っていないが、それでも気分的に取って置く。
…と、そこで真横からの琲世の視線に気付いた。
待てをされた犬のような顔で、置かれた眼鏡に視線を寄せている。

「…。何だ」
「え…!?」

声をかければ、びくっと露骨に琲世が震えた。
そもそも、帰宅途中に誘われたこと自体が、珍しい。

「何かありそうだな。他に聞かれたくない話のようだ。…言ってみろ」
「え、や…。あの…」

視線を泳がせ、首の後ろに片手を添えて再び彼は狼狽える。
黙って待っていてやれば、やがては勝手に決意する。

「あの…!」
「何だ」
「お、お背中流させてください…!」
「…」

意気込んで発せられた言葉は、予想とは随分と懸け離れていて面食らう。
…背中?
僕のか?
冗談かと思ったが、タオルを握る琲世の方は真剣な面持ちに見えた。
沈黙する僕の反応に、爛々としていた瞳が徐々に陰っていき、俯く。

「あ…。だ、ダメ…ですよね…。やっぱり…。…すみません。何言ってるんだろ、僕…。はは…」
「…。まあ、構わないが…」
「…!」

何のつもりか知らないが、容易いことのように思えた。
他者にそのようなことを言われた経験が無い為、あまりピンと来ないが。
許可を与えると、琲世の瞳に輝きが戻る。
握っていたタオルを忙しなく濯ぎ、ソープを押して準備をするのを横目で見ていた。

「じゃ、じゃあ…やりますよ? やりますからね?」
「好きにすればいい」

両手を前に出し、まるで警戒するようにじりじりと僕の背に近づく。
やがて、泡を纏った柔らかいタオルが項に添えられた。
肉の筋に反って、首もとから四方へ細胞を伸ばすように泡を広がらせていく。
…。
少し物足りない気がした。
もう少し強めでも構わないのだが…。

「…」
「――」

正面の鏡越しに背後の彼を盗み見れば、何が彼をそうさせるのか、妙に嬉しげな琲世の微笑が見える。
好きにさせておこうと思った。
…今日は初経験が多い日だ。

 

琲世の好きにさせた結果、僕の背中を流し終わるまで妙に時間がかかった。
丁寧過ぎる感が否めないが、今回は良しとする。
何やら満足したらしい彼を座らせ、お互い自身で体を洗ってから湯船に浸かる。

「ぷは~…。気持ちいいですね~」
「そうだな」

比較的空いていた。
熱めの広い湯船に浸かり、湯気に濁る天井を見上げる。
時折雫が落ちてきて、湯に水紋をつくる。

「…。昨日、ですね…」

ようやく気持ちが解れて来た頃、隣で頭にタオルを乗せた琲世が、ぽつりと口を開いた。
湿度が高く室内的な場所独特のエコーが声についてくる。

「夢を見たんです」
「…夢?」
「はい。殆ど覚えてないんですけど…。漠然としたシルエットは分かるけど、顔とかは全然」

そう言って、彼は天井を見上げる。

「その中で、僕、家で暮らしていたんです。白い家でした。一戸建てで。家族…なのかな? 他の人がいたんです」
「ほう…」
「妹のような子がいました。僕は彼女のことが大切で、可愛がっていたみたいで…。それは分かるんです。あと、男性が二人。あれは兄だったのかな…。一人はがたいがいいんですけど、気は優しくて力持ち、みたいな。もう一人はすらっとしてて、僕はどうやらそっちの方は苦手のようでした。けど、いないとどこかで探してるんです。…二人とも、とても僕のことを気にかけてくれていて、たぶんお兄さんですかね? あったかいな…って」
「…それは」
「うーん。どーなんでしょうねえ~」

記憶を失う前の記憶なのかどうか。
口にする前に、琲世が眉を寄せて呻った。
常々、悪夢に魘されているのは知っている。
本人が敢えて表に出さないよう隠しているのだから、こちらからその点について深く突こうとは思わない。
偶に良い夢が見られたのならば、それは良い事のように思う。
例えそれが、喰種との記憶であろうとも。

「現実だったかどうかはともかく、楽しい夢だったんです。けど、お陰で起きた時、何だかぽっかり胸に穴が空いちゃって…」
「…」
「彰さんにも朝一で会いに行ったんです。ドーナッツ手土産にしたら、一緒に休憩してくれました。女の人って凄いですよねー。三つも食べられるんですよ、彼女。朝なのに。…えっと。だから、それで…無性に有馬さんにも会いたくなって。…あ、ほら。本も渡さなきゃいけなかったですし!」
「そうか」

後ろめたいのか照れ臭いのか、言い訳のようにつらつらと口を開く彼を隣に、ゆっくり瞬きをする。
…。

「…なら、今夜は来るか?」
「え?」
「泊まりに」
「…!!」

目を伏せてはいたものの、琲世が勢いよく僕の方を振り向いたのが分かった。
跳ねた水が顔にかかり、眼鏡を取って水滴を払った。

 

 

 

 

「…。ベッドで寝ないのか」
「いえ…!自分はソファで十分です!」

リビングのソファの上に正座をし、琲世が敬礼する。
貸してやった寝間着は、彼には一回り大きく見えるが着られないことはない。
帰ってきて少し酒を飲んだ。
加減を知っている。
お互い、酔い潰れるようなことはない。
額に添えていた片手を下ろし、両手を膝に置いて琲世が僕を見上げて笑う。
何をしたわけではないが、察するに"家に招かれた"というそれ自体が彼には大きい出来事であるらしい。

「僕今、嬉しいです。すごく」
「それは良かった」
「ありがとうございます!」

…元々、愛想笑いの多い奴だ。
人当たりもいい。
だが、本来の笑みとつくりものくらいは分かるつもりだ。
ゆっくり頷く。
そこで何かを思い出したらしい彼が、慌てて自分の鞄を引き寄せると口を開け、何かを取り出す。

「そうだ、有馬さん。これ…メインを忘れてました」
「…?」
「プレゼントです。タイなんですけど…。知ってました? 今日って、父の日なんですよ」
「…」

差し出される、包装された長方形の箱。
父親。
未だ経験したことのないその役職が、例え紛い物であろうと彼にとって支えになっているのか。
彼が僕を父役だというのなら、それもいいだろう。
また、彼の頭の中に留まっている過去の虚栄たちを邪魔に思う程度の情は、既にこちらにもある。
…琲世を見ていると、まるで過去の自分を見ている気になる。
だからこそ、手の差し伸べ方は知っている。

「…」
「…!」

箱を受け取り、反対の手で琲世の頭を撫でる。
柔らかい癖毛が、ふわりと指を迎えた。
一瞬彼が目を見開き、それから表情をじわじわと崩していく。
俯き、耳まで赤くする。

「わ…。あ、あはは…。うわ…何だろ、これ…」
「…? 何がだ」
「え、何か…。恥ずかしいです、けど……すごく、気持ちいいです」

擽ったそうに目を伏せて顎を引き、肩を上げる行動を眺める。
犬のようだなと、いつも思う。
日頃どこか愁いを帯び続ける彼の、心地よさそうな…その一時の表情を見るのが気に入っている。
名残惜しい気もするが、彼の頭から片手を離した。

「貰おう。悪いな」
「いいえ。どうぞ。…あ、センスの保障はしませんけど」

柔らかく人懐こい笑み…から。
ぱたり――と。
唐突に、涙が落ちた。

「…」
「…あ、あれ?」

微笑み。
そこから、表情とは無関係に溢れる涙が、ぱたぱたと頬を滑り膝に落ちる。
慌てて、琲世は片手で確認するように目元を撫でた。

「あれ、なんだこれ…。うわ、あれ? ちょ、ちょっとスミマセン!」
「…」
「ええ~? どうしたんだろうなぁ…。涙腺が壊――…!」

組み手と同じ要領だった。
手首を取る。
体を捻らせ、相手の重心を把握して手前に引っ張り出す。
後は軽く引けば、どんなに巨体であろうと、自身の体の重みを使って相手の体は手前に傾く。
…そうして、琲世は僕の胸にぶつかった。
世界から覆うように彼の背に手を添える。

「…」
「…」
「真戸でなくて残念だったな」
「あ、は…。そ、ですねぇ…。固いなぁ、なんて…」

抱き寄せた状態で数秒固まる。
起きあがる気が生じないのか、琲世はそのまま僕のシャツに指をかけ、じっとしていた。
背中は震えていた。
…が、俯く彼の顔は見えない。
小さな子どものように震える背中に、片手を添える。
背を丸め、癖の強い髪に鼻先を添える。
風呂に入ってきたせいで、水気の残るソープの香りが鼻を擽る。

「…いい子だ、琲世」

呟く。
それはとても強迫めいた一言だ。
彼の心を囲っている檻に、また一つゆっくりを錠をかける。
だが、全て嘘とも言い難い。
酷く赤に乱れた床の上。
汚水の産湯と数多の彼岸花の中から、二年前に生まれ直した子ども。
例え記憶に残らずとも、それまでどんなにか過酷だっただろうと思う。
どんなに強さがあろうとも、彼はまだ、圧倒的に幼く愛情に飢えている。
そこに付け込んで、飼い慣せてしまう己がいる。
この子は使える。
僕は彼が嫌いではない。
救えるのもなら救っていきたい。
だが、そんなことは二の次で、その実、傍で眺めていたいだけなのではないかと、そう思う瞬間が増えてきた。
僕はこの子の、喜怒哀楽と彼という物語の顛末を、傍に置いて見ていたいだけなのではないだろうか。
それはとても、無責任で残酷だ。
傍観者を決め込み、身勝手な感想を持つ読者の様に。
…。
…いいや。深く考えることではない。
表面に出る行動結果が同じである以上、感情は問題ではない。
傍に置いておくべき存在だ。
飼い慣らすべき存在。
とても使える存在で、だから彼を僕の傍に置く。
理由は、仕事の理由でいくらでも足りている。
個人的な理由をあげる必要は無い。

「いい子だ」
「…」

ゆったりと言い重ねて俯くその頬を撫でる。
掌で涙を拭ってやると、間を置いて、く…と額を胸に押し当ててきた。

 

成人したとはいえ、未だ若い体を抱いて頭を撫でる。
テーブルの脚に立てかけていた紙袋が倒れ、中から本が二冊、顔を覗かせた。
梅の枝に下げられた木造篭の中に、小さな鶯が描かれた表紙。
琲世に似ていると思った。

僕は、この本が好きになれそうだ。



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時期違いですが父の日ネタ。
有馬さんと琲世君はらぶらぶできるので幸せです。
琲世くんなんかはカネキくんに輪を掛けて誘い上手だと思うな。
2015.2.28





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