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「…カネキ」
「何ですか」
「流石にやり過ぎだと思うぞ。今回は、お前が」

万丈さんに言われて、ソファに座って両手の爪先を着けたり離していたりするのを見詰めていた顔を上げる。
言いにくそうに、けど、腕を組んで精一杯"年長者"の威厳を見せてくれながら顔を顰めて僕のことを見下ろす彼を、じっと凝視する。
普段、眼力負けする気はない。
けど、彼も負けないよう踏ん張っているのがすごく分かる。
…優しい人だなって、そう思う。
たぶん僕は、誰かがそう言ってくれるのを待っていた。
その言葉がないと、動けないから。

「…。すみません」

再び自分の手に視線を下ろしてぽつりと呟くと、露骨に万丈さんがほっとしたのが分かった。
両手を合わせるのを止めて、ぶらりと投げ出している両足の間に垂らしてぼんやりする。

「…どうすればいいでしょうか」
「あー…。謝る必要はねえと思うが、水でも持って行ってやれよ。それで十分だろ」
「…。じゃあ、そうしてみます」

アドバイスをもらって、ソファから立ち上がる。
キッチンに寄ってコップに水を注ぎ、トレイに乗せた。
薬変わりじゃないけど、ついでに珈琲豆も二粒小皿に載せてみる。
たぶんこれ、すごくいい豆だろうから。

「カネキさん、やさしー」
「いやでも…何だかんだエグイ拷問だったっしょ。二箱食ってたぞ?」
「見てるこっちが気持ち悪くなったよな…」
「やる方もやる方っスよねえ~」
「いいか、カネキ!謝る必要はねえからな!?」

後ろからかかる声に応えず、片手に持ったトレイのバランスを取りながらてくてく中三階への階段を進む。
元々、謝る気なんか更々無い。
…というより、僕が謝る必要性がない。
人生は自由意思によって決定する。
僕は決定権を与えてやって、あっちが勝手にそれを選んだ。
体調を崩したのは向こうの勝手だ。
…けど、やっぱりちょっと、気にしてるみたいだ。
気分が悪い。
部屋に行きたくなくて、踊り場で一旦足を止める。
階段の先を見上げて、それから関係ないすぐ傍の壁を見詰めて、それから最後に自分の胸を見下ろす。
何も持っていない左手を、黒いシャツの胸に添えた。
…。

「…針で刺されたみたいだ」

静かに一人で呟く。
傷にもならない。
大したこと無い痛みだけど、疼く。
…馬鹿みたいだ。

「…」

すぐに気を取り直して腕を下げ、残りの階段に足を掛けた。


for you




部屋のドアは開けっ放しになっていた。
足音と気配を殺して中の様子を窺うと、ベッド横に椅子を持ってきてヒナミちゃんが座っていた。
不安そうな小さな背中を見ると、今まで薄かった罪悪感が急激に膨らんだ。
彼女に心配をかけるつもりは、微塵だって無かった。
…急に声をかけては驚くだろうと、開きっぱなしのドアをノックする。

「…! お兄ちゃ…!」
「し…」
「…!」

はっとして振り返ったヒナミちゃんに人差し指を口元に添え「静かに」のジェスチャーをすると、彼女は慌てて自分の両手で口を覆った。
弾かれたように今度はベッドの方を見て、それからふぅ…と目を伏せて小さな肩を下ろす。
彼女の様子で大体分かったが、こっそりと部屋の外から聞いてみる。

「…寝てる?」
「寝てるよっ」

僕が小声だったからか、ヒナミちゃんもひそひそ声で、けど両手を拳にして僕に教えてくれた。
…どうだろう。
狸寝入りかもしれないけど…まあ、いいか。
いまいち信用しきれないが、取り敢えず彼女の手招きにしたがって滑るように室内に入る。
途中で起きられるの嫌だから、相変わらず気配と足音は殺して。
トレイをテーブルに置いてヒナミちゃんの座っている椅子の背に片手を置くと、すぐ目の前のベッドで青白い顔をして寝ている月山さんの顔がよく見えた。
呼吸から察するに、どうやら本当に寝ているらしい。
僕が傍まで来て起きないのだから、たぶん本当に体調が悪くて寝入っているのだろう。
体力回復には、結局食事と睡眠が一番効果的だから。
いつもは乱れ一つなくセットしている髪が、ふわふわして横に流れている。
…ほんと、馬鹿だなぁ。
冷ややかな気持ちのまま、ヒナミちゃんに尋ねる。

「具合はどんな感じ?」
「すごーく悪いっ」

彼女は膨れっ面で僕を見上げた。
むすっとした顔に気圧されして、少し焦って身を引く。
僕自身は彼女に理由を説明していないけど、どうやら知っているらしい。

「お兄ちゃんなんでしょ。月山さんにチョコレート食べなよって言ったの!」
「うん…」
「食べたらお願い事聞いてあげるって言ったんでしょ」
「…うん。まあ…」
「何でそういうこと言うの? チョコは食べ物じゃないんだよ?」

最初こそ怒った顔をしていたが、僕にそう語りかける彼女は段々と哀しげな顔になっていく。
それが、僕を酷く咎めた。
…うん。
そうだね。
どうしてそんなこと言ったんだろう。
いつもそんなことを言わないのに、何故か昨日は言ってしまった。
相手にしなければよかったのに。
哀しそうなヒナミちゃんを前に、僕が悪役にはなりたくなかった。
この期に及んで保守に走る為、口を開く。

「…月山さんはね、僕たちと一緒にここに住んだり、僕と一緒に寝たり、ご飯食べに行ったり、お風呂に入ったりしたいんだって」
「してあげればいいのに」

柔らかくさり気なく言うと、何でもないことのようにヒナミちゃんが困った顔をして引き続き哀しそうな顔をする。
僕にとっては死活問題なんだけど、純粋な彼女の目からその問題は見えないし見せる気もない。
頷くことができず、僕は首を振った。

「僕は嫌なんだよ」
「どうして?」
「どうしても」
「月山さん、お兄ちゃんのことすごく好きなのに。いつも心配してくれてるんだよ?」
「それは…どうだろう」
「ここだって、月山さんのおうちなんでしょ? なのに月山さんだけ仲間はずれにするのって…何か変」
「うん、まあ…。そうかもね」
「お兄ちゃんが危ないことする時、一番付いてきてくれるのはいっつもいっつもいぃーっつも、月山さんなんなんだからね」
「…そういえばそうだね」
「ヒナミ、いつも月山さんに言ってるんだから。"お兄ちゃんのこと守ってあげてね"って。"心配ごむよー"って言ってくれるんだから」
「…」

段々聞くに堪えられなくなってきて、椅子の背に片腕をかけ、それに寄りかかるように前屈みになる。
叱られた子供のように小さくなる僕を、椅子に座るヒナミちゃんが真上を見上げるように僕を見た。
むーと口をへの字にしている彼女に見詰められて、ますます自分の片腕に顔を埋めていく。

「起きたら謝って」
「…。…ごめん。それはできない、かも」
「お兄ちゃん…!」

小声だけれど、しっかり怒られる。
…ヒナミちゃん、本当しっかりしてるな。
寄りかかって前屈みなっていた体を直し、両手を椅子に添えて僕も下を見下ろすように、恐る恐る口を開く。

「けど…。僕、昔月山さんに虐められたから…今更どんなに仲良くしたいって言われても、信用できないんだ」
「そうなの?」
「うん…」
「…そういえば、お姉ちゃんも月山さん嫌いって言ってた。前、すごく傷だらけにされたって」
「そうだね」

トーカちゃんのことを思い出したのか、急にヒナミちゃんが考え込む。
月山さんはヒナミちゃんには最初から優しいから、彼女からすれば過去の月山さんを知らないお陰で気障でうるさいけれどそこそこいい人に見えるのかもしれない。
僕を咎める矛先が少し柔らかくなり、気弱な僕は気持ちが軽くなる。
彼女の言うことは逐一尤もで、正論というものは人の心を傷付けることに長けているから。
暫く様子を見ていると、少し考えてから、ヒナミちゃんは再び僕を見上げた。

「…だから、そんなこと言ったの?」
「何が?」
「チョコを食べたら言うこと聞いてあげるよ…って」
「…?」
「仲良くなるの怖いけど…ちょっとだけ、仲良くしてみようかなって、思ったんだよね?」
「…」

心配そうに首を傾げながら言われ、僕は言葉を失って驚愕する。
そんなつもりは無かったのに、ヒナミちゃんのその言葉に、雲がかっている僕の胸中、一気に核心を突かれた気がした。
心臓を貫かれるようなその言葉の一撃に、思わず沈黙する。
じわじわと衝撃が四肢に伝わると、諦めに似た素直さが、辛うじて僕の中にも沸いてきた。

「…。うん…」

寝ている月山さんを見下ろしながら、ぽつりと呟く。
実際、彼女の表現は適切な気がしたんだ。
だって、仮に月山さんが全部食べたら、自分で言い出した手前、僕はその約束を踏み倒すことはしなかっただろうから。
ただ、見せて欲しかった。
苦しいことや嫌なことをしてでも、僕の傍にいたいっていう、その気持ちがどの程度なのか。

「…そうなのかも」
「試さないとダメなの? 普通には仲良くできない?」
「…。うん…」

弱々しく頷く。
弱い僕は、対価が無いと彼を信用できない。
喰種レストランの時も、そうだった。
僕と食事仲間を天秤にかけ、僕を取るところを見せてほしかった。
僕という存在が、一体彼の中で彼の知人何人分なのかを、その命の数で、目に見えるようにしたかった。
月山さんはたぶん僕のその考えを分かっていて…分かった上で、ちゃんと仲間の命を僕に折りながら数えて見せてくれた。
…けど、僕は未だに不安で、彼のことを試し続けている。
彼の中で僕が一番だというところが見たくて、次から次に無理難題と犠牲を払うことを強要し続けている。
僕の為に、どこまでしてくれるのか。
見せてもらわないと、安心できない。
本心から頷くと、ヒナミちゃんはまた哀しそうな顔で僕を見た。

「あのね、ちょっとヒナミ、その気持ち分かるけど…。でもね、それって月山さん、すごく可哀想だよ?」
「うん…」
「だから…。えっと、あのね…だから、お兄ちゃんのできる範囲でいいから、ほんのちょっとでいいんだけどね…」
「…ヒナミちゃんはすごいね」

言い詰まっている彼女へ片腕を伸ばして、その頭を柔らかく撫でる。
幼さ独特の柔らかい髪質にほっとして、擽ったそうにしているヒナミちゃんから手を離した。
肯定はせずに巧く反らしてしまった感はあるけど、それでも僕の言葉に彼女はぱあっと嬉しそうな顔をしてくれた。
一度大きく頷いて、椅子から腰を浮かせると、座っていた場所に膝を立てて僕と向き直るように後ろを向いて膝立ちになった。
背に添えていた僕の両手を、ぎゅっと握る。
小さい手は、力強くてあったかい。

「大丈夫だよ!ケンカしたことあっても、仲良くできるよ…!」
「…自信ないな」
「絶対大丈夫!逆にケンカしないと、"そーごりかい"ができなくてずっとウソばっかりだから、簡単に壊れちゃうって、本に書いてあったよ。だから、お兄ちゃんと月山さんは、普通の人達より仲良くなれる可能性があるってことだよ!」
「…。そうかな…」
「そうだよ!…それに、月山さんちゃんと我慢してチョコレート食べたんだから。すっっっごくまずかったと思うよ。だってヒナミ、チョコ舐めただけで舌がびりびりしたし、おえってなったし…。お兄ちゃん、自分はチョコ食べられるの?」
「えっと…。無理、かな…」
「自分にできないことを人にやらせちゃダメって、お母さん言ってたよ。月山さん食べたんだから、お兄ちゃんはちゃんと約束守らないとダメだからね!」
「……ハイ」

怒った顔で詰め寄られ、体を仰け反らせながら気迫に負けて思わず頷く。
…迫る彼女の肩越しに、ベッドで顔色悪く横たわっている月山さんを覗き見る。
一応小声での会話ではあったけど、ここまで騒いでも起きない。
よっぽど体調が悪いのだろう。
段々と、素直に罪悪感が生じてきた。
やったやらないは月山さんの判断とはいえ、昨日の僕はちょっと、酷いことをしたかもしれない…。
僕が頷いたことに満足したらしいヒナミちゃんは、再び体の向きを変えて椅子に座り直した。

「早く良くなるといいね」
「…うーん」

約束を叶えないといけないことになってしまった今、その意見には少し賛同しかねてしまった。
…ていうか、ちゃんとチョコ体から出したのかな。
吐き戻すか排泄するかしないと、いつまでも体内に異物が残ることになる。
今更本気で彼のことを心配し出す自分も、十分馬鹿みたいだ。
けど、不思議と後悔はない。
少なくとも、彼は僕の為に自分の体を壊す程度の、目に見えた好意があるわけだ。
見せてくれた分だけ、一応納得する。
…けど、いつも自分のことを僕の剣だとか何だとか言っておいて…体調不良じゃ、剣も何もあったものじゃない。
迷惑だ。
役に立たない剣を持つほど、僕に余裕はない。
僕は、僕の為に、彼をそこそこ大切にしなければいけないらしい。

「…」
「…お兄ちゃん?」

不意に思い立って、椅子から離れ、テーブルの上に置いたトレイの方へ行く。
袖を捲って自分の手を齧り、皮膚を裂いて肉を千切ると、奥からじわりと鮮やかな血が湧き出てくる。
それを、水を少し入れてあったコップに垂らした。
赤いインクが落ちたみたいに、コップの中の水が朱色に染まる。
本当は、水を全部してて僕の血をあげればいいと思うけど…。
…やっぱりここでも、ちょっとした嫌がらせで薄めてしまう。
どうやら、僕は自分が思っていたよりも捻くれた性格らしい。
素直になるには、相当な時間がかかりそうだ。

「…これ。月山さんが目を覚ましたら、飲ませてあげて」
「えと…。月山さん、お兄ちゃんの血飲むのかな?」
「うん。たぶんね。…仲間は食べない人だけど、僕だけは別だと思うよ。冷凍でよければ、普通のお肉もあるから…。少し元気になったら、食べてもらおう。冷凍は嫌だとかわがまま言ったら、お説教してくれる?」
「うん!」
「ありがとう。…任せるね」
「…!」

少し微笑んで言うと、ヒナミちゃんは嬉しそうに顔を綻ばせてビシッ!と得意気に敬礼してくれた。
月山さんのことは彼女に任せて、僕は自室に戻ることにする。
…今は放っておこう。
水は持っていってあげたわけだし。
彼が起きた後のことを考えて、今から少し覚悟をしておかないと…と、ぐったり早速疲労感から来るため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

「…Merde」

翌日の夕方。
奥の階段から、ヒナミちゃんに付き添われて月山さんが降りてきた。
相変わらず青いその顔と力ない歩き方を、少し死角になっている奥場所にあるソファセットに座ったまま、一瞬だけ横目で眺め、すぐに視線を戻す。
隣の部屋にいた万丈さんたちが、それでもそれなりに心配そうに彼を迎える。

「おいおい…。大丈夫か?」
「心配かけてすまないね、バンジョイくん。…うーん。人間は本当に壊滅的な味覚をしているね。あれが食物の一つとは…怖ろしい。味を思い出しただけで身の毛が弥立つ。…ああ。未だに気分が悪い。あまり噛まなかったし、一応全部吐いたつもりなのだけれど」
「だとしてもよく食ったな」
「カネキくんからの贈り物とあれば、食さないわけにはいかないさ」
「見るからに冗談だったじゃねーか。マジになりやがって、馬鹿なんだよお前は。自己責任だっつーの」
「そーですよ。無理するからですよ。いくらカネキさんが言ったからって」
「水持ってきましょうか?」
「それより、何か食った方が治りが早いんじゃないか? まだ冷凍庫に…」
「結構。これ以上中途半端なものは食べたくないんだ。この後、外に"食事"に行くつもりさ。多少体調が悪いからといって、ミスをしない自信はあるからね」
「…」

無関係を決め込んで視線を外し、また着けたり離したりしている自分の両手を静かに見下ろしていたけど、たた…っと足音がして、ヒナミちゃんがひょっこり僕のいる場所へ顔を覗かせた。
ぎくりとする間もなく、彼女はすぐに後ろを向いて声を張る。

「月山さん!おにーちゃん奥にいるよー!」
「…」

無邪気な責め苦に、半眼でそっぽを向き、溜息を吐く。
…うん、まあ。
いいんだけど…。
ちょっと冗談めいてヒナミちゃんを困った顔で見ると、彼女も冗談めいて怒った顔をしてみせた。
顔を引いてしまった彼女の代わりに、程なくして月山さんが傍に来る。

「…Bonjour、カネキくん」
「どうも。…起きられるようになったんですね」

覇気のない線の細い微笑に、胸がちくちくする。
一瞥だけして、素っ気なくまた自分の手元に視線を下ろす。
斜め上から溜息が聞こえた。

「無様なところを見せてしまったね…」
「そうですね。まさか寝込む程食べるとは思いませんでした」
「他ならぬ君のご命令とあらば」
「命令? 責任を押しつけるのは止めてください。食べる食べないは、貴方の判断でした」
「返す言葉もない…。そうだ。甘い血をありがとう、カネキくん。お陰で素晴らしく回復したよ。まずはそのお礼をと思ってね」
「どういたしまして」
「ああ。しかし水で薄くなってしまっていたから、仄かな香りと僅かな甘み程度で…。強いていうなら、健全な時にもう一度味わいたいと心から願うよ」
「そうですか。それは残念でしたね」
「…おっと、目眩が」
「わわ…!」
「…」

見せつけるようにふらりと崩れるようにすぐ隣の壁に身体を預ける彼に、素直なヒナミちゃんが少し離れた場所から心配そうに駆け寄ると、その腰に抱きつくように両手を伸ばす。
一応、精一杯支えているつもりらしい。
生憎だけれど、僕はそんな優しさを彼に持てはしない。
片手を顔に添えて俯く彼の行動を、冷ややかに見送る。

「ありがとう、little lady…。君の献身的な看病があってこそだ」
「まだ無理しちゃダメだよ…!」
「気を付けよう。けれど、食事にだけは行かなければ。体を治す為にもね。手軽なもので済ませてくるよ。…lady。すまないが、僕の部屋の荷物から、マスクを持ってきてはくれまいか」
「う、うん…!待ってて!」

ふらつくらしい月山さんの体を、僕が座っているソファの端に座らせるのを手伝ってから、ヒナミちゃんは階段がある隣の部屋の方へ戻って行った。
彼女の足音と、彼女を迎える万丈さんたちの会話を遠くに聞きながらさり気なく奥にずれて距離を空けよう……とする間もなく、ザ…!と月山さんが横から勢いよく詰め寄ってきて僕の手を取った。
縋り付くように接近され、頬に唇がつくのではないかと思うほど近く、少しどころか横に体が反れる。
…何となくそんな気がしたから驚きはしないけど、鬱陶しい。
あくまで小声でだが、語感強く口を開く。

「ああっカネキくん!どうして血を薄めるようなことをしたんだ…!何てことを!例え少量でも構わない、あのまま原液だけを注いでくれていたのなら…!」
「離れてください」
「はあ…。随分な醜態を君に見せてしまった…。君から頂いたものを全て食せはしなかったが、どうか僕の揺るぎなき忠誠だけは受け取ってくれたまえ…」
「聞こえませんか。離れてください。…というか触らないでください」

片手を取りつつ、親指がするりと僕の手の甲を器用に撫でる。
また僕の体臭でもかいでいるのだろうけど、鼻息荒い彼にさり気なく腰に手を添えられて逃げる体を引き寄せられたので、冷静にその手を取り除く。
手首を取って腕を腰から離させたけど、僕が掴んだ自分の手首をうっとりと口元に寄せてキスして舌を這わせたりしてる姿をみると、やっぱり言うのやめようかなとか思えてくる。
…けど、ヒナミちゃんと約束したし。
僕自身も、多少は、悪かったとか思っているみたいだし…。
…。
面倒臭いなぁ…。
思わず、はあ…と盛大に溜息を吐く。
…けど、面倒臭いことはさっさと済ませるに限るんだ。
彼から逃げる為にも、僕はソファから腰を浮かせて立ち上がった。

「マスクが届いたら、さっさと食事に行ってください。今戦闘の必要があったとしたら、貴方が何の役に立ちますか。…僕に使えない剣はいりません」
「…oui」
「弁えてください」

いつもと違って一応どこか悄気ているらしい月山さんの前を通らないために、ぐるりと目の前にあるテーブルを回るようにして、反対側のソファ前を通る。
奥にあるこの部屋からみんなのいるリビングへ出ようとする直前で足を止め、本当に言おうかどうか少し迷ってから、結局口にすることにした。

「…。服、用意しておいてください」
「…?」
「二箱食べきったみたいなので、努力賞といったところです。一緒には寝ませんが、月山さんの服をパジャマ変わりに、一晩寝てあげます」
「――!!?」

ガタッ…!と盛大に反応し、月山さんが双眸を見開いてソファから立ち上がる。
テーブルを挟んだ彼を、ちらりと一瞥した。

「…一晩だけですよ」

言い放って、振り返らずその場所を出る。
奥のソファセットと違い、広々としたリビングに出ると、万丈さんたちが迎えてくれて、丁度ヒナミちゃんが月山さんのマスクを両手で持って階段から降りてきたところだった。
残り数段手前で足を止めて、奥から出てきた僕を見つける。

「あ、おにーちゃん。謝った?」
「…」

尋ねてくる彼女に、曖昧な顔でふるふると首を振る。
…謝るなんて高度なこと、僕にはやっぱりできそうになかった。
もー!と呆れた顔の彼女と僕らの前に、奥から遅れて月山さんが、バンッ…!と飛びだしてくる。
万丈さん達がぎょっとして一斉に彼の方を向いた。
ヒナミちゃんだけがそこまで驚かず、誇らしげに腕を前に伸ばしてマスクを差し出す。

「月山さーん。見つけたよ、これだよね? マス…」
「Merci,lady!そこに置いておいてくれたまえッ!!」
「…あれ?」

ヒナミちゃんにびしりと、しっかり掌上にしてリビングのテーブルを示しながら、彼女の横を通って急ぎ足で階段を駆け上がっていく。
支離滅裂なその行動を、みんなは呆けて見送った。
…。
単純な人だ…。

「…何だ、あいつ」
「めっちゃ元気じゃないっスか」
「急過ぎだろ」
「…? どうしたんだろう?」

ヒナミちゃんが、両手に月山さんのマスクを持ったまま、僕を振り返る。
さあ…。と無関係を装って首を傾けた。
彼女は不思議そうに首を傾げながら残りの数段を降りてくると、たた…と急ぎ足でリビングのテーブル傍に立っていた僕の傍にくる。
丸い瞳が真っ直ぐ僕を見上げて、にこにこと笑顔を向けてくれた。

「でも、なんか元気になったみたい。お兄ちゃんと喋ったからだね、きっと」
「…どうだろうね」

言われたとおりテーブルの上に白く妙な形のマスクを置きながら、ヒナミちゃんが鼻歌を歌う。
彼女が口ずさんでくれる嬉しそうなその歌が、何だか言葉にも行動にも表せない僕の奥に眠る何かの代わりのように思えて、少し気が楽になった。



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ヴァレンタイン小説、白カネキくんヴァージョン。
クールの中にある抜けきれない優しさがツンデレ的可愛さを醸し出しますね。
色気も溢れて止まないし。
2015.2.16





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