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「ひ、ひぃいいいいっ…!!」

醜い悲鳴をあげながら、今夜のディナーであるレディが廃墟と化している教会の奥へと逃げていく。
残念ながら、この建物の出口は僕らのいる正面だけで奥へ行こうとThere's no way out!
どうせ逃げ場は無いのだ。
焦ることも無いだろうと、両手を開いてマスク越しに背後を振り返る。
同じようにマスクをしたカネキくんが、何とも言えない表情で所在なさそうに立っていた。
彼を不安にさせてはいけないと、敢えて戯けて告げる。

「静かに君と食事をと思ったというのに…。起きてしまったようだね。残念」
「…」
「殺してから調理してもいいのだけれど、僕はどちらかといえば鮮度を重視していてね。生きたまま必要な部位を切り取るのが最も美味なのでオススメだよ!…が、どうやら一撃目が浅すぎたようだ。君の為に軽くとは思ったのだけれど、加減が難しいね。…まあいい。君はそこで待っておいで。少し弱らせて戻ってく…」
「待っ…!」

レディが逃げた方へ向かおうと一歩足を踏み出した僕の袖を、カネキくんが掴む。
少々驚いて足を止め、振り返ると袖から彼の手を離させ、柔らかくその両手を取った。
手を取っただけで、可愛いカネキくんの体が緊張しているのが手に取るように分かる。
何となく予想はついていたものの…しかし、彼の愛らしさに負けていつまでも先延ばしにする訳にもいかない。

「何かな?」
「あ、あの…。やっぱり、止め…ます…」
「おやおや。人を襲う方法を学びたいと言ったのは君のはずだが?」

言うと、カネキくんがぐ…と言葉を詰まらせる。
最近噂の"タフボーイ"ことカネキくんは、僕が贔屓にしているカフェ"あんていく"の新人くんだ。
先に噂を聞いていた為、どんな屈強な青年かと思って店に足を運んでみれば、その場にいたのは内向的で控えめな少年。
好感の持てる物腰と不思議な香りに誘われてすっかり虜になり、足繁く通って何度か愛を語らっているうちに僕なりに友人くらいにはなれたのではないかと思っている。
…だが、控えめでシャイなカネキくんのこと。
店では挨拶はするものの、いつも僕の手をすり抜けて行ってしまうから不安であったのだけれど、そんな彼からある日、「人を襲う方法を教えてください」と頼られた。
勿論、教えない訳はない。
喰種の中にも希に存在するが、どうやら彼は食事も狩りも苦手な部類のようだ。
それなのに赫子は鱗赫でワインレッドの美しい二本を所有し、戦闘技術はそこそこというのであるから不思議だね。
けれど何かが彼の中であり、これからは自分で人を襲えるようにならないとと思ったらしい。
いいことだ。
食事を拒否するなど、生きることを放棄するも同じ。
また、美食を求めることを拒否することは、より良く充実して生きることの放棄も同じだ。

「慣れないのは最初だけだよ、カネキくん。弱らせて連れてくるから、君が致命傷を与えたまえ。なに、見るからに一般市民だ。反撃するようなことはないさ。何も恐れることはないよ。殺したくないのであれば、部位だけ頂けばいい話だ。君にお勧めなのはglobe oculaireさ」
「あ…。いえ、でも…」

取っていた両手を合わせて握り、敢えて軽くウインクを交えて諭すが、不安げに瞳を揺らしながら俯いてしまう。
…ふぅ。
そんな顔をされては、とても無理強いはできない。
小さく息を吐いて、肩を落とした。
元々、僕は今そこまで空腹という訳ではない。
カネキくんと一緒にディナーを愉しみたかったわけだが、彼にその気がなくなったところを無理強いしてもそれは魅力的な時間ではない。
楽しみにしていたというのに、残念だけれど…。

「まだ時間が必要そうだね」
「…すみません」
「一度愉しめば、君にも美食のよさが分かると思うのだが…。だからこそ、入口は大切だ。では、今夜はお暇するとしようか」
「はい…」

彼の手をやんわりと離し、すぐ背後にあった入口へと歩き出す。
今夜のディナーであるはずだったレディが消えた奥を気にしながら、カネキくんも付いてきた。
…彼にはやはり、レストランでの食事の方が合うと思うのだが、そのレストランも嫌がるというのであれば困りものだ。
どうやら他の喰種にはあまり会いたくないらしい。
控えめで内向的な彼らしい。僕もその意見は尊重するとも。
うっかりと他の喰種に会わせて、彼に興味を持たれたら困るからね。
カネキくんは僕が見つけた原石…!
いずれは宝石になるであろう直感が僕を押す。
彼を磨くのは…そう!
僕の役目であるに違いない!!
…とはいえ、彼の意見を尊重しつつ、無闇やたらに他の喰種に会わせず、何とか食事の好さを伝えるにはなかなか骨が折れる。
…まあ、その分やりがいもあるものだが。
リスクあってこそのリターン。
最近の僕の趣味といえば、専らカネキくんの教育だ。
手塩に掛けて育て上げ、席を共にするような仲になれたらどんなにかいいだろう!
彼を気遣いながら人気のない廃教会から出れば、外はもう深夜近い。
一息吐いて、片手でマスクを外した。
僅かに乱れた前髪を片手で梳いておく。

「カネキくん。どうだろう、代わりに帰りがけコーヒーを一杯」
「あ、はい。それなら…」

まだあまりマスクに慣れないのか、辿々しく外していたカネキくんが慌てて頷いた。
黒い髪と黒い瞳は、夜にとてもよく馴染んでいる。




eat me!




「僕が思うに君はね」

駅前。
深夜までやっているカフェの一つに入り、店の端のテーブルでぴっと人差し指を示す。
白いカップでホットコーヒーを傾けていたカネキくんは、僕の振った指先を丸い瞳で眺めた。

「ターゲットにできる範囲がとても狭いタイプだね」
「はぁ…」
「今夜もそのように見えたけれど…。女性を襲う気が、君にはあまり無いようだ」
「ぁ…。…えっと」
「まあ、それも個性だけれど。個人の嗜好…と言った方がいいかな」
「…すみません。付き合ってくれているのに」

カップを置いて両手を膝の上に置き、カネキくんが肩を落としてしまう。
小動物のような愛らしさを相手に厳しくするつもりはないが、本人の希望があって"人を襲うこと"の習得が目的である現状では、殺せないどころか相手を傷付けるのに抵抗があるという今のカネキくんでは一人で食事することまでは随分遠い道のりが必要な気がした。
やはり彼に狩りは無理なのではないだろうか。
足を組み、頬杖をして背中を丸めて俯いているカネキくんを見、何度目かになる誘いをかけてみた。

「それはいいのだけれど…。益々君はレストラン向きだと思うね。僕の名前を出せば、いつだって食事ができるようにしてあげるというのに。勿論、個室を用意させるよ?」
「いや、それは…。いいです…」

かけてはみるも、此度もあっさり振られてしまう。
他の喰種に会う機会が増えてしまうから全力で推奨することはないのだけれど、彼とレストランで食事ができたり"食事会"を愉しめたらどんなにいいだろうと思うのだ。
だが、そこまで持っていくにはこれもまた長い道のりが必要だ。
まずは彼が人を襲うことに抵抗なくならないことには、僕の望むことも遠い。
頬杖を解き、腕を組んで片手を顎に添え検討する。

「ふぅん…。そうだね…。ならば、君の場合は最初からターゲットを絞った方がいいだろうね」
「ターゲット…ですか?」
「君は異性よりも同性の方が近づきやすいだろう。狙うならば男性を狙うべきだ。幼子ならばもっと楽だろうけれど…」
「子どもは…ちょっと」
「だろうね。年下は襲えないとすると…そうだね、同い年くらいか、自分よりも多少年上の相手を。ただしあまり行きすぎると男性の肉は硬いのでおすすめは出来ないけれど」

僕としては不本意だけれど、カネキくんの場合、まずは肉の善し悪しよりも慣れを重視した方がいいだろう。
一口食べれば、より良いものを欲するに違いない。
まずは"獲りやすい"ものを。
そうして人体の旨さに舌が馴染んだところで、それとなく子どもや女性へ繋げていけばいい。

「あの…。月山さんは、どうやってターゲットを見つけるんですか?」
「僕かい?」

控えめな調子でカネキくんが僕に問いかける。
片手を胸に添え、微笑して答えた。

「僕は自分好みのそそる人間というものが何となく分かるのでね。まずは香りから入るとも。それから相手の様子を眺める。何が好きとか、どこで働いているとか、チャームポイントやコンプレックス。相手が一人きりになる時間帯と場所が分かれば、あとは簡単だろう?」
「はあ…。簡単、ですか…」
「僕はどちらかといえば、女性が獲りやすいのでね」
「ああ…。でしょうね」
「その為にも、僕らは常に品位を持って堂々としていなければならない。上質且つ豊富な人間性と能力。人間はね、カネキくん。魅力ある者に自然と集まるものだよ。その中心が僕らであれば、食事は今よりずっと楽になるはずさ。何せ向こうから親密になろうとしてくれるのだからね。魅力的であればあるほど、食事はしやすい。分かるかい?」
「…」

諭しながら、コーヒーを口に運ぶ。
カネキくんは無言だったけれど、妙に真剣な表情で浅く頷いた気がした。
何か思い当たることがあるのかもしれないね。

「君はもっと、自身を磨くことから始めなければいけないだろう。喰種は魅力的な者とそうでない者との境界線が強いけれど、どちらが食事に苦労をしないかといえば勿論前者だからね」
「はい…。…あの、でも」
「何かな?」
「親しくなってしまうと、知人…になってしまいますよね? 情が湧いてしまいませんか?」

言いにくそうにカネキくんが僕を見上げ問いかける。
…ふむ。
僕としては、相手に対し食料としての魅力があるからこそ相手を知りたいと思いもするし接近を試みるのだけれど、まだまだビギナーのカネキくんにその感性を理解しろというのは無理があるだろう。
特に、カネキくんは今時珍しい性善説支持者というか、人間の本質が善いものであろうと考えているところが見え隠れしている。
ピュアな部分は彼の魅力である以上磨き抜くことはあっても意図的に曇らせる気は無いが、問いかけに対する僕の答えが彼の好みではないことくらいは目に見えていた。
軽く流した方がいいだろう。

「まあ、そういうことも希だがあるね。僕も一人二人は止めたことがあるよ」
「ですよね…。知り合いになると、困ります」
「では、君の場合相手に接近するのではなくて、その日に目を付けた人間を相手取らなければならないわけだ」
「できれば、普通の人はちょっと。…傷付けてもいいような悪い人ならできるかもしれませんが」
「ふぅん…。悪食だね」

つまりカネキくんは、悪人を食したい…と。
好みは人それぞれだけれど、存外変わった嗜好をしているようだ。
一般的に好まれるのは、善人とまではいかずとも極普通の人間だろうに、敢えての悪人とは。
総合すると、カネキくんの"食事"として適する人間は、かなり狭いジャンルになる。
男性で、他人で、悪意ある人間…か。
難しいな。
僕としては、女性ばかりを食べてその柔肉にもっと豊かな甘みを持って欲しいところなのだけれど。
…。
少々考え、やがて片手を開いて意見を示す。

「…カネキくん。つまり、君は先手を打ちたくはないわけだね。相手が悪意をもって君に襲ってくれば、やり返すことに抵抗は無い、ということかな?」
「はい。その方が…」
「なんだ。それならば簡単な話だ。君自身がトラップになればいいだけのこと」
「トラップ…?」
「Oui!」

きょとんとした顔で僕を見上げる無防備な表情へ、軽くウインクしてみせた。

 

 

 

 

 

 

後日――。
駅と繋がっているホテルビルの一角。

「あ、あの…。月山さん、これ…ブランド…」
「Tres bien!カネキくん!!」

我がグループの系列であるヘアメイクスタジオから出てきたカネキくんの可憐な姿に、思わず声が出て指を鳴らした。
やはりプロに任せるべきだね!
癖のない黒髪は艶が際だって美しいしきめ細かく、またファッションも海外の紳士ブランドのもので頭から爪先まで用意した。
白いシャツに黒のジレ。
有名デザイナーのデザインした眼帯、落ち着いたストライプのパンツに黒い革靴。
どれもこれも、いつもの彼を何倍にも魅力的にさせる!
カネキくんはひとつひとつ丁寧に整えれば、不思議と年相応の男性的魅力というよりも実際年齢より幼くみえるタイプのようだが、そこがまた良し!
少し締まりのあるモノクロの服を用意してみたが、それらに包まれるカネキくん自身からは控えめな雰囲気が抜けきれておらず、それが実に見事なハーモニーを奏でている。
こういう絶妙なズレというものが人を惹き付けるのだからね。
いつもとは違う彼のスウィートな魅力に心を奪われ、あちこちの角度からカネキくんを愉しみ、髪を撫でてみたり方を触ってみたり、少し寄れてしたジレを下へ引いたりしてみる。
何もかも僕の一存で彼をコーディネートできるなんて、大変な娯楽だ!
セレクトに時間を割いたこの二日三日は彼に何が似合うかで頭を悩ませてばかりいたけれど、実に有意義な時間だった!
そうしてその努力が今!目の前で実を結んでいるというわけだ!!
Tres bien!

「とても似合うよ!…ああ、やはり君は清潔感があっていいね。遊び心よりもそういった方が好まれるはず!少々君には大人びていすぎたかどうかが不安だったけれど、返ってそれがキュートだ。用意した甲斐があったというものだよ!」
「え、これ…。もらっちゃっていいんですか!?」
「勿論!」
「ええぇえっ!?」

ジレの裾を両手で抓みながら、カネキくんが声を上げる。
敵意の無い人間を襲うことに対して罪悪感なるものがあるというのならば、まずは自らを囮にし、トラップにかかる者を厳選すればいいだけだ。
つまり、カネキくんに悪意や下心を持って近寄ってくる輩を食するのならば、彼の中の罪悪感も薄れて狩りもしやすかろうという話。
本人も最初は渋っていたが、結局はこれが最もいいのかもしれないと試してみることにしてくれたようだ。
いつも以上に麗しい彼の両肩に、背後からぽんと手を置いた。
ほんの僅かに寄れていた彼の後ろ襟を指先で直しながら、嬉々として告げる。

「それよりも、今君が考えるべきことは今夜の狩りだ。夜の街に君を離すのは心許ないけれど、同性を狩る場合日中よりは効率がいいだろう。心配は無いよ。今夜は離れた場所で僕も見ていてあげよう。何かあったらすぐにでも僕が八つ裂きにしてあげるとも」
「あ、はい…。ありがとうございます」
「君が人間に愛着があるというのなら、如何に下卑た下心を持つ者であろうとも、一撃で仕留めなければね。苦しませては可哀想だ」
「いや、でも…。誰も僕にはひっかからないと思うんですけど…」
「普段の君ならばね。だが、今夜の君は特別だ。ご覧!」
「…!」

軽く片手を取って、控え室の端に設置されているミラーの前へと導く。
身なりを整えられている間にミラーがなかったわけじゃないだろうが、立った自分の姿をきちんと目の当たりにするのは初めてだったのか、スマートな自分の姿にカネキくんが瞬くのが分かった。
満足してくれたようで良かった。
確かに、残念ながら彼は身長が高いというわけではなくスポーツもしていないようだから元々華があるとはいえないルックスかもしれないが、良く良く見れば細部ひとつひとつは愛らしい。
特に丸く黒い瞳と端整な爪、香り高い鎖骨は美しい。
そこをアピールするだけでも随分違う。
それに、元々艶の強い黒髪も美しいが、今夜は更に毛先を一部揺るくだが巻いてある。
それだけで甘みが出るというもの。
緊張気味に自分の前髪を指先で弄っているカネキくんに問いかける。

「どうだい?」
「え、あ…。何て言うか…すごいですね、プロの人って…」
「ファッションというものはね、カネキくん。自らの足りない魅力を補い、最大限に引き出すものなのだよ。蔑ろにするなんてあってはならない」
「そう、ですね…。確かに、全然違うというか…」
「ふふ。そうだろう。とてもキュートだよ。…さて、今夜の確認だが!」
「わ…っ」

彼の背後に回ったまま、彼の左手を取り、右手で腰を抱き寄せる。
そろそろ窓の外も更けつつある。
いい時間帯だ。
鏡越しに視線を合わせ、魅力的な彼へ今晩の予定を確認する。
作戦としては、先日アドヴァイスした時のようにカネキ君自身を囮にして、相手を選出する方法を選ぶことにした。
夜の街には欲望が渦巻く。
本来なら、愛らしくピュアなカネキくんに連れもなく歩いて欲しくはないのだが、敢えてそこを夜の住人達に、特に彼が食べたがっている男性に声をかけられやすい姿で歩いてもらい、誘いをかけてきた男を美味しくいただく…とう話だ。
カネキくん自身は自分に声をかけてくる輩はいないだろうと言っていたが、なに、そんなことは無い。
彼は僕の自慢の友人!
僕の目から見ても、彼は女性よりも男性を惹き込む魅力を持っていることだし、一人でぶらつけば必ず誰かしら引っかかるはず。
現に、カネキくんが一人で歩いていたら僕は間違いなく声をかけるであろうし、何処へなりとも何としてでも連れて行くだろう!
ああっ、可能ならば僕が被害者になりたい…!!
あんていくでの彼との出逢いは運命だと思っているけれど、夜の街で声をかけた相手がカネキくんという喰種であったというシチュエーションもまた燃える!
早速今夜の彼のディナーになる相手に軽い羨望を思いつつ、近距離に抱いたカネキくんの香りを嗅ぐ。

「ターゲットは君の誘いを受けてちょっかいをかけてきた輩にしたまえ。不埒な考えを持って害を加えようと考えているのならば、自ずと相手から人気の無い所へ誘うだろうからね」
「はい…」
「けれど世間は物騒だ…。世の中には君の想像を絶する変態というものが多くいるものだから、くれぐれも…くれぐれも!気を付けたまえ!!」
「…」

何故か妙に遠い目をして僕を見るカネキくんに一言注意を添えて、スタッフに軽く礼を言って彼の手を引いて店を出ることにした。
ホテルビルの下層であるこの階から一階へ下りる為、いくつか並んでいるエレベーターのうち、会員用の一番端のものに乗る。
空いており、他に人気はない。
ガラス張りになっている小箱に乗り込めば、カネキくんはすぐに奥の手摺りに片手を添えて不安そうな顔で今から行く足下の街を見下ろす。

「心配は無いさ、カネキくん。君ならやれるだろう」
「ははは…。そうだといいんですけど…」
「そういえば、君から誰かに声をかけたことはあるのかい? 例えば、僕がターゲットになり得るような輩だなと思ったら?」
「え…」
「街を歩くだけでは成功率は高いとはいえないからね。それとなく誘えそうな輩がいれば、君から声をかけるのも一つの手だ。こうしてたまたま同じエレベーターに乗った男性がいたとしたら?」
「え、あ…。えっと…」

さ…とカネキくんが両手を中途半端に開いて構える。
それは一体何のポーズなのかと問いたくなるような身構えで数秒固まっているので色々言いたいことはあるがひとまず様子を見ていると、あわあわと狼狽した挙げ句、きゅっと唇を結んだ。
意を決したように僅かに赤い顔をあげると、離れていた僕との距離を詰め、ぴと…と僕の左腕に片手を添えて身を寄せる。

「あの…。ぼ、僕と、今夜…。遊びません…か?」
「…」
「――とか、で。ど、どうでしょう…」
「…Bien sur」

彼を見詰めながら、思わずタンッ…!と空いているもう片方の指先で今落下しているエレベーターのすぐ下の階のボタンを押す。

「え? …うわ!?」

一階に届かない無関係の階で一度止まったエレベーターは口を開け、慌てて僕から離れようとしたカネキくんの肩を抱いて逃さないようにしつつ、開いたドアの先にいて僕らを迎えようとしていたスタッフに片手を上げて断り、手早くまたドアを閉める。
続け様、タン…!とホテルの上階のボタンを押した。
必死に僕の片腕を体から引き剥がそうと手をかけて奮闘していたカネキくんが、狼狽えて僕を見上げた。

「え!え、何!? 何ですか…!?」
「最上階へ行こう。僕の家族が使える一室がこのホテルにはあってね。バスルームが広くて食事する場所には最適な――」
「ちょ…あの!何で急……に!?」

ハグに慣れないのか、僕の腕の中思いっきり体の距離を取っているカネキくんの両手を片手でひとまとめに握り、ぎゅっと力を込める。
ああっ、カネキくん…!
そんな可憐な誘い文句を他の男に聞かせるわけにはいかない!!
例え偽りの言葉であろうとも、そのチャーミンマウスで他の男に愛の言葉を囁くなんて、僕のジェラシィが耐えられない!

「君の今夜の犠牲者は、やはり僕が相応しい!!」
「何が!?」
「僕の血肉をお食べ、mon chéri!」
「ええええ!?」

露出させている右目を見開いて驚愕する彼は、慌てて僕を見上げた。

「いや、ちょ…。何言ってるんですか!月山さんのことなんて僕食べられません…!」
「何故だい? 同胞喰らいは僕の知人にも何人かいるよ?」
「そんな…っ。な、仲間を…食べるんですか!?」
「何も驚くことはないよ。嗜好の話さ。僕は君になら多少齧られたって構わないよ。それもまた一興だ。君はどうだい? 見ず知らずの人間を襲うよりも、いいと言っている僕で餓えを凌いだ方が得策のように思うけれどね。特に君のような価値観では」
「…。月山さんを、食べる…」
「ふむ…。そうなると、まず僕が君の舌に適う味でなければならないね」

名残惜しいけれどカネキくんの手を握っていた片手を離し、顎に添えて検討する。
カネキ君に僕を食べてもらうのは吝かではないけれど、それならば問題は僕が美味か否かという話になってくる。
僕も試したことはあるが、喰種の肉は人間の肉と比べれば質が落ちる。
その味がいいという同志も勿論いるが、一般的には好まれない悪食と言えるだろう。
流石に僕とて、僕自身を食したことはないから、自身の味を評価は出来ない。
…何かを考えてじっとしているカネキくんの様子を見る限り、どうやらまんざらでもなさそうだ。
カネキくんには上質の肉を食して欲しいけれど、元々話の感じからして悪食が好みのようだし…。
もしかしたら僕の味を好んでくれるかもしれない。
掌を上にして、ぼんやりしているカネキくんの腰を抱き直し、彼の目の前に片手を差し出す。

「…!」
「味見してみるかい?」
「…」

一瞬びくりとしたものの、カネキくんがちらりと僕を見ては、目の前に差し出した僕の指先を見据える。
まるで小動物にエサをやるように…などと表現しては彼に対して失礼だが、僕の指先を見詰める彼の様子は何となく警戒心の強いウサギを連想させた。

「君の舌に合わないのでは論外だからね。それは僕の本意ではない。まずは口に含んでごらん?」
「でも…。月山さんが痛い、ですよね…?」
「ふふ。どうだろうね」

敢えて微笑してみせる。
実際、カネキくんに多少指を噛み千切られたところで僕にはさしたる問題でもない。
嘗ての霧嶋嬢のように理解無い友人達とその場の流れで乱闘になることなどよくある話だが、まず僕はあまり傷を負わないし、負ったとしてもすぐに治癒するし痛みには慣れている。
けれど、僕を気遣ってくれるなんて、彼は何て優しいんだろう。
家の者ならばともかく、今までそんな喰種の知人はいなかった気がする。
それだけで嬉しい。
ますます彼の虜だ。

「何事もチャレンジだよ、カネキくん」
「…」
「Voilà」

興味はありそうだけれど口を開けない彼の唇に、人差し指を添える。
少し迷ったようだけど、どうぞと僕が勧めたことで、ようやく唇を開いてくれた。
小さな口が、僕の指を噛む。
まだ歯も立てずにひとまず口に入れただけの状態で、指示を求めるようにカネキくんが上目に僕を見た。
ああ…っ!
その目にぞくりと背中が震える!
温度のあるカネキくんの粘膜が指に絡み、肉の薄い舌に指先が触れる。
息が上がって呼吸がくるしくなる。
快感が体中を走り今にも彼に食らい付きたくなるが、それらに耐えてなるべく冷静に告げた。

「ああ…。いいね、カネキくん。さあ、そのまま噛みたまえ」

僕が言うと、カネキくんがぎゅっと目を瞑って僕の指に歯を立てる。
片手で頑なに自分の腹部のシャツを握りしめる所が、また可愛らしい。

「そのまま、噛み千切ってごらん」
「ふ…」
「遠慮は無用だよ。…できるね?」
「…っ、ん…!」

一瞬彼が息を詰めたあと、パキ…!と、指の骨が噛み切れるあっさりとした音が狭いエレベーター内に響く。
チリ…っとしたスパイス程度の痛みが少々。
何の問題もない。
手を引けば、右の人差し指第二関節から先の肉と骨が噛み千切られていた。
傷口を彼の唾液が覆っていて堪らない。
思わず表情が恍惚と歪んでしまう。実に官能的だ。
それに…ふむ。
やはり顎の力が弱いというわけではないらしい。
消えた指先を満足して見詰めていると、噛んでいた僕の指先をつまんで口から離し、カネキくんが申し訳なさそうな顔で僕を見上げた。
一瞬、彼の唇と千切れた僕の指に唾液の糸が伸び、それがとても扇情的でぞくぞくしてしまう。
ああっ、カネキくん…!
君は本当に素晴らしく僕を誘うね!!

「す、すみません…!あのっ、大丈夫ですか!?」
「なに、この程度」

妖艶な行為に魅入られ、叫んで抱き締めて愛のままに喰らってしまうところ、何とか冷静に声を出して返す。
胸ポケットにあるハンカチを抓み、早速流れ出る血が床に溢れぬように包もうと思ったが、はた…と思い直ってカネキくんに血濡れた指を差し出す。

「困った。血が落ちてしまいそうだ。すぐに止まるだろうけれど。…ちょっと舐めていてくれるかい?」
「え…! あ、わ…っ」

あっというまに滲み出て手の甲へと伝っていく血液に気付いたようで、カネキくんは千切れた僕の指先をつまんだまま、慌てて僕の手首を取ると言われるがままぱくっと口に含んだ。
彼の口の中で軽く血を吸われ、ピシャン!と体内に雷が落ちる。
ああぁあ…っ!!
Tres bien!!
じぃん…と胸が感動に震えて言葉にならない。僕の方が狼狽えてしまう!
はぁああっ、カネキくん…!
ホリチエを呼びたい!
または画家でもいい!この瞬間を永久に…!!
…などと浸っている間に、何と情緒のない僕の治癒力は見る見る間に千切れた指先を元通り構成させていく。
ああ…。
こんな時ばかりは無力で脆弱なその辺りの品のない喰種たちが羨ましくなる。
数秒も経たぬうちにカネキくんの口の中で爪先まで元通りとなり、戻った指の先でそろりと彼の上顎を内側から撫でた。

「ありがとう。もう大丈夫そうだ」
「…あ、はい」

あ…と口を開けて、カネキくんが僕の指を解放する。
すぐにでも彼の唾液に充たされた指を口で味わいたいところだけれど、それが彼を警戒させるのは目に見えている。
勿体ないが、今度こそハンカチを取り出して自身の人差し指を拭った。
…まあ、このハンカチは後で保存をするとして。
元通りになった僕の指を、カネキくんが興味深そうに見詰める。

「月山さん…早いんですね、回復」
「どちらかといえば早い方かもしれないね。だからこそ、君が僕を食すことに対してあまり気負いをしなくてもいいというものだよ。…それより、どうだい? 僕の味は」

問いかけると、思いだしたようにカネキくんが手に持っていた千切れた僕の指を見下ろす。

「あの、じゃあ…。ちょっと、いただきます…」
「召しあがれ」

指で持っていた血で濡れたそれを、カネキくんが口に運ぶ。
彼の唇が僕の血で濡れ、咀嚼する様子を昂ぶる感情のまま見ていた。
…いかに優れた食材を得ている僕であっても、所詮は人間の肉には程遠いだろう。
カネキくんが悪食ならばそれでよし、そうでなければいまいちのはず。
けれど、食事において最も食材を引き立てる万能にして最高のスパイス…それは"faim"!
"空腹"さえあれば、大概の粗食は美食となるもの!
案の定、あまり食事をしていないらしいから悪くは感じなかったのか、軽く拳にした片手を口元に添え、カネキくんが僕の肉を飲み下す。

「…」
「お味は?」
「えっと…。…おいしい、です」
「ならば決まりだ!」
「…。え…」

申し訳なさそうに告げる彼とは対照的に、僕は指を鳴らす。
…と同時に、タイミングよく月山家がキープしているプライベートルームがある階に着き、音を立ててエレベーターのドアが開く。
戸惑うカネキくんの肩を後ろから抱き、早速階のエントランスへと踏み出す。
このフロアにあるのは一部屋だけだから、白いエントランスの正面には両開きのドアがあるだけだ。
迷う必要はないけれど、愛しいカネキくんへのエスコートは欠かせない。

「さあ、おいで。こちらだよ、Chéri」
「いや…!ちょ…っちょっと、待ってくださ、い!」
「…!」

そのまま部屋へ案内しようと思いきや、ガッ…!とカネキくんがエレベーターのドアに両手をかけた。
思わぬ抵抗に僕も足を止め、不思議に思ってカネキくんを抱き締めたまま振り返る。

「どうかしたかい、カネキくん?」
「あのっ…!本当に月山さんが"食べられる"側ですか!?」
「…? 勿論だよ。…ああ。僕が君を食べるのではと思っているんだね。安心しておくれ、今夜は誓ってそれは無いよ。今夜は君が!この僕を!!思うままに食べればいいのさ…!!」
「絶対嘘ですよね!?」
「嘘じゃないとも」
「だって食べられる人がそんなに嬉しそうなわけありません!」

人気がないこともあり、悲鳴に近い声でカネキくんが叫ぶ。
嘘ではないのに。
一体何が彼を不安にさせるのか。
…ああ。きっと以前他の喰種に襲われたことがあるのだね。
可哀想に。それで僕も彼を襲うと思われてしまっているんだ。
今夜はそんなことは断じて無いというのに。

「怖い思いをしたんだね、カネキくん…。可哀想に。僕を相手に遠慮は無用だよ。かけがえの無い君が空腹だなんて、僕が耐えられない」
「だ、だから…!僕、人を襲ってきます!せっかく用意してくれたんですし、誰か男の人を捕まえて食べて…」
「他の男を食べるならば、この僕を食べたまえ!!やはりそんな悪食はとても許せない!」
「う、わ…!?」

肩に回していた腕を腰に回し、ぐいっと彼の腰を抱き寄せて上手く重心を手にすれば、あっさりカネキくんの両手はエレベーターのドアから離れる。
ついでに手早く懐から持参しているカードキーを取りだし、そのまま彼を横抱きに抱き上げた。
シャイな彼には少々強引な方がいいだろう。
嘘か嘘ではないかは、始めてしまえば分かるものだ。
急に抱き上げられて困惑したのか、僕の腕の中でカネキくんが身動ぐ。

「わ、わ…っ」

カネキくんを抱いたままカードキーを通すと、音を立ててキーが解除される。
金のドアノブをぐっと押した。
ああっ、興奮が収まらない!
彼の乾きを他ならぬこの僕が潤す!
これもまた一興…。
何故今の今まで気付かなかったんだこれが最も良いじゃないかああ僕としたことが…!

「さあ、カネキくん!僕と二人、目眩く美食の世界へ!いざ!!」
「絶対ウソだあああ!!月山さん絶対ウソつい――ひええっ!」

押して開いたドアを右肩で押さえながら部屋へ飛び込む。
フロアの四分の一程あるこのホテルのプライベートルームに入るのは久し振りだけれど、知らない部屋ではない。
真っ直ぐ大理石の床が輝くバスルームへと向かった。
軽く抵抗はされたが、まだまだ僕と試合うには程遠いね。
可愛らしい彼の赫子を軽くあしらい、全くの逆転だが、夢にまでカネキくんとの食事を堪能することにした。

 

 

 

 

 

――で、約二時間後。

「ふぅ…。お待たせ」
「――」

負傷した肉体が回復し、バスタブの湯を抜いて軽く清掃し、改めてシャワーを浴びてから出てくると、一足先に出たはずのカネキくんはまだ呆然とした様子でリビングのソファに座っていた。
部屋に備え付けのバスローブは僕に丁度良いサイズであるから、彼には些か大きすぎるようだ。
真正面を向いているから何を見ているのかと視線を追ってみても、彼の見詰める先には何もない。
どうやら本当にぼーっとしているらしい。
てくてくと無造作に背後に回り、彼の座っているソファの背に両手を置いて上から彼を見下ろす。

「カネキくん?」
「ッ!? うわああああああああッ!?」
「…!」

途端、バッ…!と凄まじい反射神経でカネキくんがソファから立ち上がると窓の方へ移動してしまった。
まるで何かを怖がる子どものように、ひしっと厚手のカーテンを両手で掴んで僕の方を見る。
…?
顔色が悪い気がするのは気のせいかな?
僕を食べた直後だから、少なくとも今までより体調が悪いということはないと思うのだけれど。

「どうかしたかい?」
「えっ、い…いえ!す、すみません…!」
「顔色が悪いけれど、気分が優れないのかい?」
「大丈夫です!…ぁ、それをいうなら、月山さんの方が!」
「僕はもう回復したから問題無いよ。言っただろう? 治癒力には自負があるんだ。甲赫の中では…という意味だけれどね。鱗赫の君にそういった印象を与えられたのなら、誇ってもよさそうだ」
「でも、たくさん月山さんのこと喰べてしまって…。すみません、まさか本当に僕に喰べさせてくれるだけだとは思わなくて、散々暴れて…」
「それこそ望むところさ。君の抵抗は僕にとってもスパイスだったし、君にとっては軽い恐怖がスパイスだったというだけだ。君との食事はやはり最高だったよ。こんなに夢中になったのは久し振りだ。たまには食べられる側もいいね。無論、相手によるけれど。…さて、アイスコーヒーでもいかがかな?」
「…」

ひらりと片手を軽くあげ、返事を待たずにそのままキッチンへ向かう。
それでも、カネキくんは窓際から離れる気配が無く、じっと視線だけで僕を追うことにしたようだ。
…何だか怖がられている気がするが……喰べられた側の僕でなく、喰べた側の彼が僕を怖がるというのはどういう図式だろう。
確かに、カネキくんは生きている人体を喰らうのは初めてのようだったから、ここが美味しい部位だとか血流を良くした方が肉が軟らかくなるとか、色々僕がレクチャーしながらの食事ではあったけど…。
平気な顔をしていたけれどやはり相当空腹でいたようだし、口にしだせば途中から夢中で僕に齧り付く姿は本当にキュートで今想い出しても昂ぶるくらいだ。
整えた身だしなみが僕の前で血と汗と水で崩れていくというのもそそる。
寧ろよく僕が我慢したといえるだろう。
彼の前で一度も達しなかったのは褒められていいレベルの功績だ。
途中何度か危なかったが、愛するカネキくんの為!我慢もしよう!
食事が終わった後、ついでに一緒にバスタイムも愉しめたし……というか、久し振りに満ち足りたせいか、僕を食した後は糸の切れた人形のように呆然としていた彼を僕が入れてあげたという感じではあったけれども。
…少々様にはならないが、目に付いたワイングラスにアイスコーヒーを注いで、マドラーで数回混ぜる。
両手で持って、まだカーテンにくっついているカネキくんにひとつ差し出した。

「Voilà」
「ぁ…ありがとうございます…」
「…? 顔が赤いよ、カネキくん。のぼせてしまったかい? 長湯が過ぎたかな?」

グラスを受け取る彼の顔が赤いので長湯が過ぎたかと思ったが、カネキくんは勢いよく首を振った。

「のぼせてはいませんけど…。何だか、こういう雰囲気はその…慣れなくて」
「こういう雰囲気?」
「そんなこと全然無いし、喰種が食事をするのにバスルームが適しているのも分かるんですけど、何か…こういうグラスとか、バスローブとか…。ほ、ホテル…とか」
「ああ…。恋人らしいということかい?」
「いえ、まあ…。そーなんですけど…」

カネキくんが苦笑いしながらグラスに口付ける。
ワイングラスやバスローブ程度で恋人らしいとは、随分可愛い発想だ。
僕としては家でもローブは着るし、そこまで違和感が無いのだが…日常的に身に着けないとそう感じるものなのだろう。
僕はカネキくんに愛情を感じてはいるけれど、それは情欲が最たるものではない。
勿論彼とセックスをする機会があれば拒む理由は何一つ無いが、それよりも、やはり僕は彼に美食の素晴らしさを理解してもらう食事仲間になれればと思う。
そして食事に抵抗が無くなった頃、僕はカネキくんの味を見たいのだ。
可能ならば彼の食事は僕が制限管理し、徹底的に肉質を高める。
その為には、今日のように先に僕が犠牲を払った方が、彼の性格上提供もし易いだろう。
今夜のことが、後々カネキくんの中で効いてくるはずだ。
…ああ。けれどカネキくんにセックスの最中噛み癖があるのが最も理想かもしれない。
食事中の彼は本当に魅力的だ。
夢中で他者の皮膚に齧り付くところやたどたどしく傷口をぺろぺろと舐める姿は興奮を抑えられない。
もし恋人になってくれるのなら、食事ついでに愛し合うのもいいかもしれない。
彼が僕を食べながら、僕が彼を抱く。
ああ、想うだけでも興奮する…!
そう思って、軽く尋ねてみる。

「カネキくんは、僕と恋人になりたいかい?」
「いいえ!?」
「…そう」

びくっと身を引き、カネキくんが大声をあげる。
…残念。
振られてしまったようだ。
敢えて残念そうな顔をつくって肩を竦めてみせると、カネキくんが恐る恐る僕へ尋ねた。

「…月山さんって、バイなんですか?」
「僕は性別で愛を遮らないよ。人格的にそそる相手や魅力的な相手が、常に異性だとは限らないからね」
「はぁ…」
「だから」

小さく苦笑して、彼へ背を屈める。
童顔を抜けきれない丸い瞳を覗き込み…。

「君さえ良ければ、僕はいつでも」
「ひ…!」

カン…と手にしたグラスをカネキくんの持つグラスへ合わせ、その頬へ音を立ててヴェーゼを。
驚いて肩を上げるカネキくんからすぐに顔を離し、小さく笑う。
本当にシャイだね。
人に懐かないその様子が尚更僕を刺激する。
閉じ込めて飼い慣らしたくなってしまう。
世の中のありとあらゆる愉悦で充たして溺れさせたい。
しかしその世の中のあらゆる愉悦のうち、最も重要なのは"食欲"――。
結局、僕は彼に食事の素晴らしさを諭すことから始めなければならないわけだ。

「今後は空腹になれば、僕のところへおいで。やはり、わざわざ下卑た下心の男を誘うことはないよ、カネキくん。君だって、可能ならそれがいいと思っているはずだ。可能ならば、人間を傷付けたくはないのだろう? その点、僕ならば治癒に時間は取られないし、痛みにも慣れている。"人を殺す"ことにはならない」
「でも…」
「だが、その際は是非今夜のようにチャーミングなお誘いを期待するよ。どのみち誰かを誘惑するのなら、僕を誘いたまえ。気分が乗らない時はこちらも断らせてもらおう。形は違えど、これは仕合だよ、カネキくん」
「…」
「僕は美味しかっただろう?」

言ってウインクし、窓際に寄りかかりグラスを傾ける僕をカネキくんが意外そうな顔で見上げる。
それに気付かない僕ではない。
彼は極端な遠回りを必要とするタイプのようだし、引くタイミングで引くのはスキルのひとつ。
人との距離を測るのは得意な方でね。
…僕が動かずにいると、間を置いて、そっとカネキくんが自ら一歩僕へ近づいてくれた。
僕が背にし、気にしてもいなかった窓の向こうを眺めて、小さく呟く。

「…。あの…外、綺麗ですね。この部屋…」
「そうだね。ここの夜景はなかなかだと思うよ」

ちらりと横目で見て、あまり心にもないことを口にしてみる。
都内の夜景…。
見慣れてはいるが、なるほど、それなりに美しいのかもしれない。
だが、それが何だというのだ。
カネキくんが傍にいる現状では、どんなに夜景が美しかろうと、僕の視線を奪えはしない。
彼が褒める夜景も、所詮は彼を飾り、得る為の道具の一つでしかない。

「気に入ってくれたのならまた来よう。その方が僕も嬉しいよ」
「はい。…ありがとうございます」

途中まで緊張していたはずのカネキくんが、不意に緊張を緩めてふわりと笑ってくれた。
…はあ。
mignon!
影のないカネキくんの笑みを前にするだけで、僕も自然と口元が緩んだ。
…そうとも。
物事には順序というものがある。
僕らの関係も、彼が望むとおりに正しく。
君が僕に美味しく食べられる為、まずは僕が君を愛で、君が僕を信頼することから始めるべきだ――。

 

 

 

 

平日の夕方。
大学が終わってからぶらりとあんていくへ立ち寄ると、いつもの看板レディと看板ボーイが迎えてくれた。

「げ…。クソ山」
「あ…こんにちは、月山さん。いらっしゃいませ」
「アモーレ、諸君。会いたかったよ」

手前のカネキくんには軽く片手を上げてウインクし、奥にいた霧嶋さんには距離があるので投げキスをしてからいつもの席に付く。
間もなく、カネキくんが水を運んでくれた。

「今日は暑いですね」
「本当に。困ってしまうよ。お互いに体調に気を付けなければね」
「はい。……あの、月山さん」

テーブルの上へグラスを置き、銀のトレイを両手で下へおろしたまま、カネキくんがそう付け足す。

「今度の土曜日、休みで…本屋へ行こうと思うんです。よかったら、一緒に行きませんか?」
「…!」

思わぬ言葉に驚いて、片手にしていたメニューから視線を上げる。
初めてのカネキくんから日付指定のお誘い…!
勿論何を放り出しても行くに決まっている!
…だが、彼はシャイボーイだからね。
恋は駆け引き。
彼相手に、一手としては引くに限る。
敢えてクールに片手を顎に添え、少し考える素振りをした。

「いいね。…予定はどうだったかな」
「あ、忙しかったら別に…」
「おや。先延ばしにしてもいいのかい? 食事のことだろう?」
「え…。ぁ、いえ…その」
「僕を食べるのに遠慮は無用だよ。…勿論、断る時は断るけれどね。何事も君次第だ」

僕が尋ねると、カネキくんが目線を下げて言い淀む。
そろそろ、彼が空腹のはずだ。
カネキ君の食事サイクルはもう把握済で、一定周期で訪れるその辺りのタイミングに予定を入れてなどはいないとも。
彼が僕の首や腹部に愛らしく齧り付くような官能的な夜を、誰が見逃すというのだろう。

「スケジュールを確認してみるよ。空いていたら付き合わせてくれたまえ。…まずはアイスコーヒーをお願いできるかな」

メニューをスタンドに立てながら言うと、カネキくんはオーダーを受けてカウンターの方へ向かっていった。
頬杖を付いて、その後ろ姿をじっと見詰める。
当初話題に出した通り、カネキくんが僕を食べたい時は言葉巧みに僕を煽ることを条件付けた。
一種のお遊びで、そうしておけばいざというときに人間を誘う練習にもなることだろう…と告げたおかげもあってか、カネキくんの方で割と真剣に"誘い方"を学んでいるらしい。
少し前、実に僕好みの言葉を投げられ、何を参考にしているのか尋ねたら「恋愛小説やライトノベルです」と答えがあった。
官能小説に行かないところが彼らしい。
あまり好きなジャンルではないのだが、勉強のために最近はたまに読むのだとか。
こんな所でも真面目なその性格がますます愛しい。
…ああ。
今回は一体、どのような言葉と仕草だろう。
早く僕をその可憐な唇で誘って欲しい。
そう思うだけで腰へ快感が走り、自然と口元が緩んだ。
この腕を頼り、少しずつ僕好みに変じていくその姿に庇護欲が止め処なく沸き出でる。
彼は今よりずっと魅力的になる。

…そうとも。
デザインも磨くのも僕の仕事だ。
彼がいずれ光り輝くジュエリーになる、その日まで。



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レクチャー&食料。
書いていて思ったのですが、月山さんは白カネキ君の方が好きかもしれません。
好きというか…“とにかくぞっこん!”なのは白っぽい。
何だかそれに気付けたお話でした。
2015.9.3





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