一覧へ戻る



喰種になり、喰種たちが言っている"人間の美味しそうな匂い"というものが分かるようになった。
恐らく体臭なんだろうけれど、お腹が空いているときに人間が傍を通ると思わずかぶりつきたくなるくらいにはいい匂いがする。
これを食べたら腹が満たせる…という、直感めいた欲求。
…けど、僕は元人間だ。
喰種たちが生きる為に「食べるな」とは言えない。
ただ、少なくとも僕だけでも人を食べないようにしようと決めてから、僕が行う食事は全て同胞食いになった。
生物としての悪食。
いきものとしての禁忌。
"共食い"だ。

「…ふぅむ」
「…」

血と死臭で荒れた部屋。
僕から離れた場所で、死体を見て回る月山さんに気付いてそちらを振り返った。
元々は、黒やワインレッドのカラーで統一された上質のフロアだった。
今では純革製の黒いソファがいくつも転がり、一部はすり切れたり貫かれたりしている。
床や壁、その黒いソファやカウンターなど、あまり動きたくない程度に死体で溢れて匂いに噎せてしまいそうだ。
…他区にある、ちょっと有名なキャバクラだった。
地上にある店ではきっと今も一般営業がされているのだろうけれど、地下深くにある喰種専用のこの店は今日で閉店だ。
綺麗な女の人をショーとして嬲り殺し、その悲鳴と血肉を愉しむお店。
食べるのはいい。
仕方ない。
ただ、屠るのを娯楽としているのならば、そんな喰種を殺害するのに躊躇いはないし、もう動かない死体に興味も無い。
けれど、そんな屍の中を月山さんは一つ一つ死体を眺めながら悠々と歩いている。
顎に片手を添えて死体を確かめ、たまに横で屈んでみたり触ってみたりしていた。
直前の運動で疲れていることもあって、ぼうっと彼の後ろ姿を眺めていると、入口の方から万丈さんやイチミさんたちが駆けてきた。

「カネキ、通路の確保ができた。そろそろ戻ろうぜ」
「見張りもツブしときましたー。上着どうぞ」
「ありがとうございます」

イチミさんが僕の上着を持ってきてくれたので、赤黒く血で濡れたボディスーツの上から、黒いパーカーを羽織って彼らのいる方へ歩き出す。
その途中、あちこち見ていた月山さんの横を通った。

「…月山さん。戻りますよ」
「Oui」

答えておいて、月山さんはそこで赫子を出す。
目の前のソファに横たわっている女性の喰種の体を切断し、腰の部分だけを切り取って懐から密封袋を取り出すと丁寧にそこに入れた。
それを見てない振りをしておく。
歩いて先に万丈さんの傍へ移動した僕の背後で、イチミさんが月山さんへ声をかける。

「あ、それ。カネキさんの分っスか?」
「そうとも」
「…」

背後で交わされるそんな会話を背に、逃げるように足早に殺戮現場を後にする。
いくら喰種とはいっても、誰かを殺すことはやっぱり疲れる。
変に興奮するし変に冷静になるし、自分が分からなくなる。
…早く帰って、お風呂に入りたい。
ゆっくりお風呂に入って…そうして出れば、きっと今日はテーブルの上に"食事"があるのだろう。


貴方に一杯




「カネキくん」

お風呂から上がった僕を、キッチンの方から月山さんが呼ぶ。
その傍にはヒナミちゃんもいて、彼女はキッチンの正面に付いているダイニングテーブルにある高めのイスの片方に座り、僕にひらひらと手を振った。

「おにーちゃん、ご飯だよ~!」
「…」

ヒナミちゃんに呼ばれると肩の荷がふっとおりる気がする。
ティシャツにハーフパンツというパジャマ代わりの姿のまま、素足でぺたぺたとそちらへ向かう。
近づくと、キッチンの内側にいる月山さんがワイングラスを出してくれた。
赤くてどろどろ。
鼻孔を擽るいい香りに、目を伏せて一度息を吸う。
…めげないなあ。

「まずはアペリティフを」
「ありがとうございます。お気持ちだけで」

長い指先で差し出されたグラスを、指先で同じように差し出して返す。
飲まない、って何度言えば分かってくれるんだろうか。
とてもいい香りがするアルコールだ。
この甘い匂いからして、喰種の血で造ったものではないんだろう。
断ることなんて目に見えているし何回もこの流れはやっているのに、相変わらず一言断るとどこかしゅんとした様子でこれ見よがしの残念顔をされてしまう。

「まずは飲み物をと思ったのだけれど…」
「アイスコーヒーをください」
「ヒナにもー!」

挙手するヒナミちゃん。
月山さんは冷蔵庫からアイスコーヒーを二人分注いでくれた。
さっき僕に差し出した血酒は、どうやら自分で飲むことにしたらしい。
始めからそうしてくれればいいのに。

「久し振りのご飯だね?」
「そうかな…。前に食べたのはいつだったっけ?」
「二月前さ!」

間髪入れず、月山さんが口を開く。
二月…。
そうか、そんなに経つんだっけ…。
早いな、月日って。
ヒナミちゃんが「よくお腹が空かないね」と感心してくたけど、別に空かないわけじゃない。
いつだって僕は空腹で、いつだって微妙に自分がおかしい状態にあるんだ。
何とか立っていられるけど、どちらかといえば空腹を考えないようにしているという方が正しい気がする。
人間は食べないと決めてから、僕の空腹を埋めるものは喰種の肉だ。
ああいう強襲の場で食べてもいいんだけど、落ち着いて食べられないし戦闘中に噛み付くような余裕は…まあ、あるにはあるけどそこまでない。
闘っている時はいつだって精一杯だから。
…他愛もない話をしていると、月山さんが向こうから片腕を伸ばして、お皿を目の前に置いてくれた。

「レアで焼いてみたよ」
「わあ…!」

目の前に置かれたお皿を見て、横のヒナミちゃんがテーブルに手を着いて身を乗り出す。
置かれた皿の上にはサイコロカットされて表面を焼かれた喰種の肉が集まっていた。
端に眼球も添えてある。
ぱっと見はとても美味しそうだし、赤みが全然違うから流石に間違えないけど、ステーキとかこういう感じで出てきたりするよね、という雰囲気。
…上に乗っているちょっと細いモヤシみたいなのは…何だろう。
ネギ…なわけないし。

「月山シェフ特製、二十代前半女性喰種のサーロインサイコロカット眼球添え。ポイントはsauceだよ。…我が主に愛を込めて」
「…どうも」
「これ何?」
「神経さ」

ヒナミちゃんが僕と同じ疑問を持ったらしく、それに事も無げに月山さんが答える。
…神経か。
こんなに綺麗に抜くの、大変だっただろうな。
月山さんもそうみたいだけど、僕はなるべくなら食器で食べたい。
けど、所詮は喰種になってしまった自分だ。
喰種の"食事"で人間の頃のようなものは求めてはいけないと思ったけど、僕が人間を食べないと宣言してから暫く、食にうるさい月山さんは「そんなことは良くない!」と泣き縋ってきたけど、やがて時間の経過と友に本当に喰種しか食べないつもりらしいと理解してくれれば、今度は"せめて粗食の中でも上質のものを!"というのが彼の中の目標に設定されたようだ。
幸いにも今のところ人間の肉を食べたことはないけれど、喰種の肉は比べれば死臭が強くて硬くて消化もしにくいらしい。
僕はもうそれで慣れてしまったけど、だからこそ食事が美味しく愉しい時間とは思っていない。
どちらかといえば苦行だ。
相手が喰種であろうとも、その肉を喰らうという点ではやっぱり辛い部分は残るし、それに単純に美味しいとは思えないから。
…けど、こうして月山さんが厳選して軽く調理してくれて見た目を華やかにしてくれることで、そんな苦行が少しだけ軽くなっている気がする。
お皿の上の綺麗な盛りつけから視線を外して、ちらりと月山さんを一瞥する。
目が合うと、彼はにっこりと微笑した。

「どうか召しあがれ」
「ありがとうございます。…いただきます」

食べやすくサイコロカットされている喰種の肉を、フォークの先に刺して口に運ぶ。
…うん。
美味しいとは思えないけれど、食べやすい。
咀嚼する僕を、横からヒナミちゃんがじっと見上げていた。
流石に、ここで彼女に一口食べる?とは言い辛い。
彼女に共食いをさせる気はないし、そんな必要も無い。
傍目に見て、きっと気持ち悪いと思うから、できれば僕が喰種を食べているところは、例えこうしてお皿に調理されたものであってもあんまり見て欲しくない。
隣に座る人間が、人肉を食べているようなものだから。
気分のいいものじゃないはずだ。
…けど、ヒナミちゃんはよく傍に来てくれる。
彼女が僕に気を使ってくれていることが、よく分かる。
僕もヒナミちゃんに食事姿は見られたくないけど、その一方で誰かと一緒にいる状態で食事ができることを、やっぱり嬉しく感じているんだと思う。
…少しずつ、時間をかけてお皿の上の量を減らしていく。
食べ始めれば始めのうちは体が空腹を思い出すけど、食べ進めていけば胃が本来の食物以外を拒否するようにきりきり痛み始め、その鈍い痛みで空腹感が削られていく。
無表情で食べ進める僕を心配してか、ヒナミちゃんが不安そうに顔を覗き込んでくる。
慌てて笑顔をつくった。

「お兄ちゃん…美味しい?」
「うん…」
「美味しいかい、カネキくん?」
「…」

月山さんへは答えない。
俯いて、フォークの先でまた喰種肉を刺す。
…美味しくはない。
けれど、自分で喰種の死体を少しだけ貪っていた頃と比べれば、ぐっと格はあがっている。
息を止めて肉を呑み込むのではなく、少なくとも咀嚼ができる。
転がっている死体のうちどれが美味しいかはやっぱり彼が一番知っているし、見た目も味も、月山さんが用意してくれる方が美味しい。
それなのに、いつもありがとうございます…が、どうしても言えない。
言葉にするのは簡単だ。さっきも「ありがとうございます」は言った。
けれど、心が込められない。
冷たくなってしまう。
思ってはいるのに。
…どうしてでしょうね。
すっかり天の邪鬼になってしまって……今日も昨日も、たぶん明日とかその先も、僕はこの人がいないと困るのに。
僕がもそもそ口に運んでいる間、月山さんは始終恍惚と僕を眺めて過ごすことが多い。
今も両手をシンクに添えて、じぃっと僕を見下ろしていた。
後片付けしたりとか本を読むとか、そういうことを一切せず、ただじっと凝視されて、時々呟いたりする。

「はあ…。ああ、カネキくん…。君は本当に魅力的だ…」
「…」
「お兄ちゃん、無理しないでね…?」

よく食事しているところを何故か絶賛される。
すっかりヒナミちゃんもそれに慣れちゃって、彼に対して何も違和感を感じないところまできてしまった。
彼女に大丈夫だよと告げながら、やっぱり月山さんは無視しておく。
…黙っていればいいのに。
けど、言葉にできない感謝のひとつとして、見るだけなら構わないことにしている。

 

 

 

 

 

「コーヒー飲む人ー?」

食事が終わり、徐に挙手しながら聞いてみる。
キッチンと隣のリビングにいた全員が、僕の方を見て各々手を上げた。
ちょっと嬉しい。
七人分のカップを用意して、お湯を沸かす。
出来上がったコーヒーを、まずはヒナミちゃんに火傷しないように言いながら渡して、次は月山さんに渡すようにしている。
大体手伝ってくれようと傍にいるし無駄に僕のこと見てるから、渡しても自然だし。
他意が含まれていることに気付かれるわけないって分かってるけど…それでいいと思う。
言葉にできてない僕が悪い。
察してもらおうなんて都合が良すぎる。
だから今日も、気持ちだけ込めて差し出した。

いつもたくさん、ありがとうございます。



一覧へ戻る


変態だと分かっている上で嫌いじゃないです。
だってそれくらい有能だしね、実際。
白カネキくんはツンデレが可愛いです。
2015.5.14





inserted by FC2 system