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キミは雨が好き。

好き、…というと、語弊があるかもしれないけれどね。
普段は天候なんかに左右されないけれど、酷く哀しいことがある時は、決まって仕事のように降らせるこの国の通り雨を、傘無しで歩いて帰ってくる。
最初は素直に無頓着故だと思って、差すことを思い立ちもしていないのだろうと思って、傘を片手に迎えに行ったけど…今思えば、無粋だったね。
涙を隠すのに、あれはとてもいいカモフラージュだった。
キミの泣く時間を、他ならぬ僕が減らしていた。
僕がすべきことは、キミが帰ってきた時の為に、ふかふかのタオルとあたたかい紅茶を用意することだと気づくまで、少し時間がかかったね。
けど、それに僕が自分で気づけた瞬間は、嬉しかったな。
キミと一気に距離が縮まった気がして。
ずぶ濡れのキミを心配しながらドアを開けることが、実は誇らしかった。

「やあ。おかえり、アイズ」
「…ああ」

キミは雨が好き。
…あと、家で待ってる僕が好き。
だから――、


キミは雨が好き




「うーん…。今日は運が悪いなあ~」

のんびりとぼやきながら、雨の降る公園を傘を片手にバシャバシャと走る。
さすがに全速力とまではいかないけど、それなりに急いでいるのであんまり傘の意味ないんだけどね。
イギリスは大体一日のどこかで雨が降ったりするけれど、今日は随分予報が外れたなあ。
予定よりも三時間前に降り出されてしまうと、ちょっと困る。
早く帰らないと。
アイズより先に。

「よっ…」

目の前に大きな水たまりがあり、速度を落とさないままタッ…とつま先でアスファルトを蹴る。
殆ど無意識にする体重移動で、水の少ない場所に着地。
広々とした、いつもは人気の公園なんだけど、さすがに今日は人も少ないか。
こんなところで一人走ったり飛んだりしていると、なんだかミュージカルでも踊っている気分になる。

「ー♪」

何となく鼻歌でも歌ってしまう。
けど、本当はそんなに余裕もないんだけどね。
夜の始まりというようなこの時間帯に雨。
何事もない穏やかな日常だったら別に構わないんだけど、昨日また国外でブレード・チルドレンの一人がハンターに殺されたって報告が届いたわけだし、アイズは気落ちしている。
これで残るは何人だろう。
今朝もどんよりしていたし…。
頑張って普通にしてたみたいだけど、ピアノの選曲と音色でバレバレだ。
あれはきっと、内心色々考えちゃって自滅してるパターン。
今日はアイズが早めに帰れるかもしれないと言っていたし、帰ってきた時に僕がいないと泣いちゃうかもしれない…!
――というわけで、アイズよりも先に帰らなければならないってわけ。
彼の為にふわふわのタオルとあたたかい紅茶セットを用意しておいてあげないといけないからねっ。

「――っていう時に限って、キミみたいな子に会っちゃうんだよね~?」

さっきまで走っていた足を見事に止め、公園の木の傍で屈み込む。
小首を傾げながら尋ねてみると、ずぶ濡れの小さな野良猫は僕を見上げて小さく泣いた。
子猫という程小さくもないが、若い。
指先を差し出してみると、ふんふんと僕のにおいをかいだ。
お腹がすいているのかもしれない。

「雨宿りに間に合わなかったの? 風邪ひいちゃうよ?」

ポケットからニボシの小袋を取り出し、傘を肩に引っかけたまま開ける。
地面に中身を落としてやると、猫はすぐに食べ始めた。
ほほえましい気持ちになる。
とても可愛い。
飢えている子を一人、助けられてよかった。
たとえ一時的だとしても。

「…はい。プレゼント」

一心不乱に食事している猫の傍に、肩にひっかけていた傘を下ろす。
どうせここからはそんな距離でもない。
立ち上がり、アウターから袖を抜くと頭にかぶって、また駆けだした。
そんなに時間をロスしたつもりはなかったんだけど、腕時計を見れば思ったよりも猫ちゃんで足止めされていたみたい。
両手が自由になった分、もう少し速度を速めて公園を突っ切った。

 

 

 

「…遅かったな」

庭付きの立派な邸宅。
鍵を開けて中へ入ると、すぐにアイズがタオルを持って出迎えてくれた。
とても嬉しいけど、その姿を見てがくりとその場で顔を覆って屈み込む。

「ああああぁ~っ!」
「…? どうした」
「アイズより先に戻ってこられなかったあ~!」
「…」

項垂れる僕の頭上で、ため息が一つ聞こえた。
傍で同じように屈み込み、アイズが僕の濡れた髪にタオルをかぶせる。

「俺も、今戻ってきたところだ。さして変わらない」
「『おかえり』ってキミを迎えるのが好きなのにっ」
「たまには逆でもいい」

いつもは鍵盤を叩く細い指が、つたない様子でタオルを支え、丁寧に押しつけるようにそっと僕の髪を拭いてくれる。
アイズより先に戻ってこられなかったのはショックだけど……まあ、確かにたまにはいいかもしれない。
彼にあれこれやらせるのは、僕の性には合わないのだけれど。
屈んだまま覆っていた顔から手を離し、わざとうるうるした目でアイズを見てみる。

「…帰ってきた時、僕がいなくて寂しかったでしょう?」
「そうでもない」
「そうでもないんだ!?」
「…。いや…」
「ああ~っ!アイズのために急いで戻ってきたのに、アイズは僕がいてもいなくてもどっちでもいいんだねっ。僕は哀しい…!」
「…いいから、さっさと着替えてこい。風邪をひくぞ」
「…!」

頭にかぶせられたタオルの端を持って、アイズが僕の目元をそっと拭いた。
確かに、顔も湿気で濡れてはいたけれど、その仕草に思うところがあって一気に冗談がどこかへ飛んでいく。
彼は今、僕の涙を拭おうとしてくれたのだろう。
そう連想するのは、自分が泣くのがいつも雨の日、濡れている時だからだ。
泣いているように見えただろうか。
顔の知らない仲間が一人殺されて?
…けどね、こんなことで、僕は泣かない。
キミとは違う。
ここでのやりとりは終わりとばかりに、アイズが立ち上がる。
追って、僕もすぐに立ち上がると背中を向けかけた彼の片腕を取った。
振り返る彼に顔を寄せ、唇にキスをする。
誰に遠慮することもないんだけれど、頭からかぶったタオルが丁度良く隠してくれた。

「…ね。本当はちょっと寂しかった?」
「…、知らん」

近距離にある僕の胸を押しのけ、逃げるように身をよじる。
手を離してあげると、振り返ることなく奥へ向かってしまった。
困ったように小さく息を吐く。
いつもながら、本当に可愛い。
もらったタオルで髪を拭きながら、僕もシャワールームへ足を向けて動き出した。

 

 

 

髪をざっくりドライヤーで乾かし、着替えてリビングへ向かうと、暖炉に向けて置いてある二つの一人がけソファの片方に、アイズが座っていた。
丸くて小さなサイドテーブルには、昨日送られてきた報告書が広げられている。
例の、殺されてしまった同胞の経緯だ。
生き残る為に、情報は欠かせない。
けれど、今回のケースでは見直すような特記事項もあまりないように思う。
たまたま、その子がいる土地柄がハンターに狙われやすく、一人になってしまった隙をつかれてさっくり。
残念だけど、特異なケースというわけではない。
見直しているのは、きっと追悼の為だろう。

「目新しい発見はあった?」

タオルを首にかけながら座っているアイズの横に立ち、資料を一部手に取る。
ぱらぱらと流す僕に、彼は首を振った。

「いや…」
「今朝はレクイエムを弾いていたね」
「たまたまだ」
「そーお?」
「…お前もだろう」
「ん?」
「お前が濡れて帰ってくるなんて、珍しい」

淡々と紡がれる言葉に、思わずくすりと笑ってしまった。
やっぱり、アイズは僕が雨の中で泣いたと思っているらしい。
降り続く水の中でながら、涙は気づかれない。
自分がいつもそうしているから、簡単にそう思うんだろうね。
僕は両手を軽く開いた。

「僕は、キミほど優しくはないよ」
「そんな戯言を口走るのはお前くらいだな」
「本当なのはキミが一番分かってると思うけど? みんなは見る目がないからね。…ま、僕だけが知っているアイズっていうのも嬉しいものだけどね」

傍を通りがてら、彼の肩に片手を置いてちゅっと音を立てて頬にキスをすれば、アイズはどこかむっとした顔で横を向いた。
首にかけていたタオルを自分の方のソファの腕掛けにかけてから、部屋の端にしっかり用意されているティカートへ向かい、紅茶を入れる。

「安心して。僕は泣いてないよ。…キミがどう思っているのかは想像に易いけれど、今のところ僕は、突き詰めればキミさえ生きてくれればいいもの」
「…」
「けど、生きていれば状態はどうでもいい…なんてことはないからね。キミが幸福を感じるには僕が要る。でしょ? だからね、僕は、キミと僕がこうしていられれば、勝ち越しって感じかな。そして、キミがもっと幸福を感じるには、既に顔見知りになったブレードチルドレンが要る。だから僕は、僕の力の限り見知った子供たちを守るつもりだよ。…元々、今いる全員を防衛するなんて無理だしね。残念なことだけど、いざという時の瞬時判断の為にも、優先順位はつけないと。どうせ全員は救われない」
「……カノン」

アイズが、振り返りもせずに僕の名を呼ぶ。
どう言葉を選んでいいのかという、その体の内側の思考までもが感じ取れる。
僕からの悪意の言葉が、アイズの心をずたずたに引き裂くのくらい目に見えている。
このくらいまでかな…、という見切りをつけて、作業をしていた手元から視線をあげ、彼の方を見た。

「なーんてねっ。冗談だよ!」
「…」

アイズがソファに座ったまま距離のある僕を振り返る。
にこりと笑顔を返してあげた。

「本気にした?」
「…。ああ…」
「ひどいっ、アイズ…!僕のことをそんなに冷血漢だと思っているんだね…!」

両手を頬に添えて、わざと悲劇ぶって言ってみる。
アイズは小さく息を吐き、ソファに座り直した。

「お前の冗談は冗談に聞こえない」
「それはアイズもでしょ。たまに言うとまじめに取られちゃうもんね。お互い損な性格だよ」

用意したティセットを銀のトレイに乗せ、暖炉前へ戻る。
紅茶の準備をしたものだから、予めそこに広げられていた書類は片付けざるを得ない。
アイズはそれらをひとまとめにすると、茶封筒の中へ入れた。
空いたテーブルにセットを置いて、湯気立つカップ一つをアイズへ差し出す。
僕も自分で一つ持ち、ソファへ腰掛けた。
一口含むと、冷えた体に熱い紅茶が染み渡る。
知らずに口から、ふう…と息が出た。
左手に持ったソーサーにカップを戻し、こっちを見ていたアイズに微笑みかける。

「キミとこうして一日を終われることが、僕はとても嬉しいよ」
「…ああ」
「今日も生きてくれたキミに」

軽くカップを持ち上げる。
アイズも、本当に僅かだが持ち上げてくれた。
それだけで胸がいっぱいになる。
優しい僕が好きな優しいキミが傍にいるから、僕は随分と自分にブレーキをかけていられる。
窓の外を見ると、暗がりの中まだ雨音が響いていた。
僕は、勿論生きていたいけれど、それがダメならばそれでも構わない。
どうせ寿命は誰にでもあるのだ。
ただ、他人に僕という魂を奪われたくはない。絶対にだ。
僕は、僕である限りアイズの傍にいたい。
寂しい時に隣にいる僕は、どうだろう、なかなか優しそうに見えるだろうか?
時々、キミと同じくらい優しさを持てていたらと、願う時があるよ。
勿論僕は、人殺しがしたいわけじゃない。
ただ、理想論だけではない、闘わなければならない瞬間があることは知っている。
必要に迫られれば、ハンターは勿論、ウォッチャーをセイバーを、何人殺めたって構わない。
僕にとっては、アイズこそが光だ。
けれど彼は太陽ではない。
直視できない日の光は眩しすぎる。
暗闇の中、静かに輝く月光の方が、僕にはきっとお似合いなんだ。
僕らはとってもお似合いだと思うんだよ。

「…雨、止まないね」

微笑んで一言呟いて、美味しくてあたたかい紅茶に口付けた。

 

キミは雨が好き。
あと、家で待ってる僕が好き。

その僕が好きなのは、今こうして同胞の死を悼んで哀しんでるような、そんなキミに他ならないのかもしれない。



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絶望の中に二人で漂っているのも案外嫌いじゃなかったんじゃないかな、と。
墓地で濡れてた時はたぶん泣いていましたよね、アイズ様。
クールに見えてピュアなのがすごい。
2016.7.21





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