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「はい。じゃあこれ。パスポートと航空券ね」
「お、おう。…って、待て!俺は引き受けると言ってないぞ!?」
「言ってなくても清隆には逆らえないでしょ。ほら、行った行った」

とぼとぼと歩き出す浅月の濡れた背中にカノンは手を振る。
彼が見えなくなってから、肩に背負っていたマシンガンを下ろし、隠していたヴァイオリンケースに入れた。
パチ…っと金具をしめて、改めて肩に背負う。

「…さて!」

それが終わると、カノンはぐっと両手の拳を握った。
浅月はしばらく日本。
これでやっと邪魔者はいなくなった。
たっ、と軽やかに地面を蹴る。

「~♪」

歌い出したいくらいに気分がいい。
彼は急ぎ足で街へ戻っていった。


久し振りに砂糖をいっぱい




「おかえり、アイズ!」
「…。ああ…」

ホテルの部屋のキーを開けてすぐ、カノンが出迎えたのでアイズは少し驚いた。
イギリスでも名の通ったホテルの上階。
スペアキーを渡しており、たまに顔を出すことがあってもカノンが来る前は大体連絡をしてくるものだ。
予告無しに既に部屋にいる、という状態は珍しい。
…が、勿論不満などあるわけがない。
自然な動作で、カノンがアイズの数少ない荷物を受け取る。

「珍しいな。時間があるのか?」
「そうだよ。だから今日は、夕食を一緒に取ろうね」

ドイツよりやってきたカノンはともかく、アイズがイギリス国内の郊外にある自宅を離れてわざわざホテル住まいなのにはワケがある。
一つは簡単な話で、今現在ピアノの教えを受けている有名なピアニストがこの近くの音楽大学に在籍している。
自宅よりはここからの距離の方がよっぽど近い。
もう一つは、自宅がカノンと浅月香介の戦闘訓練場となっているからだ。
アイズの邸宅は広い。
肉親の母親は既に亡くなり、アイズが邸宅の家主ということになる。
ここに「基礎体力と戦闘力たたき込んでおいて♪」…という清隆直々のノシのついた浅月が送り込まれ、カノンはここ最近専ら彼の教育係を担当している。
教育係と言えば聞こえはいいし、実際カノンの教え方は優秀らしく浅月の実力はぐんと上がっている。
だが、冗談を交え、からかい、ふわふわとした言動をし、そのくせこちらの攻撃は当たらずいつもやられる。
なんならたまに遠慮もせず遺憾なく実力を発揮して気絶や失神や怪我をするまで叩き落とすカノンの教育方法は、優秀かもしれないが教えられる側にしたらなかなか憤慨するやり方である。
それが一緒に精神力も鍛える訓練であることは分かるのだが、それでもやはり浅月は感情的になってしまうことが多い。
すると、広々とした前庭や屋敷内で、空気銃や水鉄砲とはいえドンパチがはじまり、裏をかいた肉弾戦が始まる。
例え一方的に浅月がやられるだけだとしても、喧しいものだ。
日常生活をしている時間帯でも、毒物や爆発物の基礎知識などを教えているので、浅月としてはカノンとの生活全てがスパルタ訓練に他ならない。
本当は彼らと一緒にいてもいいのだが、ピアニストという仕事を始めたアイズにとってそれらは致命的な騒音だ。
どうせ、週の半分は教えを請うている先生のいる大学へ足を運ぶ。大概その場でピアノは弾けるし、空き教室を貸してくれる。
ホテルでピアノは弾けないので、空いた時間にやりたければその時に家に帰ればいい。
…それから、もう一つ。

「…?」

アイズの荷物をいつもの置き場に置いて戻ってきたかと思ったら、にこにこした表情のままカノンがアイズの両手を取った。
妙に上機嫌な親友を不思議に思い、アイズは疑問符を浮かべる。

「…どうした?」
「ん?」
「妙に機嫌がいいな」
「ん~。アイズは今日も綺麗だなと思ってね」
「…頭のネジでも飛んだか」
「似たようなものかも」

すい…とアイズの後ろ腰に片腕を回し、カノンが顔を寄せる。
慣れたモーションに、アイズは自然と目を伏せた。
たっぷり時間をかけてキスをしたのは久し振りのような気もする。
呪われた身の上でふわりとした幸福感に満たされて、アイズが瞳を開ける。
そんな彼の額に口付けてから、いきなりカノンはアイズのトップスのジップを下げ始めた。

「…おい」
「なあに?」
「食事はどうする気だ」
「終わってからルームサービスでもいいよ。それとも、アイズは僕よりごはんが優先? そんなわけないよね?」

確かに、そんなワケがない。
元々アイズは食が細いし、何なら二食すっ飛ばすこともよくある。カノンは勿論それを知っている。
それでもアイズは左右に外れた服のまま僅かに身を引いて、カノンの胸を片手でそっと制した。
一時的に、カノンが止まる。
少々困ったような気遣うような顔で、軽く首を傾けてアイズへ問いかけた。

「…気分じゃない?」
「気分がどうこう以前に、違和感がある」
「そんなこと言わないで。僕はもういい加減、アイズ切れで大変なんだから」

アイズを抱いていた両手を広げ、仰々しくカノンは主張する。

「家を提供してくれたことには感謝してるけど、キミがホテル住まいをはじめてから、基本的にキミと夜を過ごせなくなっちゃった。清隆の頼みを受けるのはいいよ? 浅月を鍛えるのも必要だと思う。…けどね、時々どうしてキミじゃなくて同じ家にいるのが浅月なんだろうって、ため息が出ちゃうんだよ」
「そういう依頼だから仕方ない。俺がいては邪魔になるし、俺もお前たちが邪魔になる」
「なら、夜だけ帰ってきてくれればよくない?」

そこでアイズは沈黙した。
傍目には変化はないが、付き合いの長いカノンは今の沈黙が彼の不愉快を示していることがよく分かる。
その話は何度もしたのだ。
カノンが軽く片手をあげる。

「…分かってるよ。ごめん、アイズ。分かってる。浅月が同じ場所にいる時に、僕と寝るのは絶対に嫌なんだよね?」
「…」

アイズは小さく息を吐いた。
それが、アイズがホテル住まいをする三つ目の理由だ。
他者が同じ屋根の下に住まうならば控えようとするアイズと違い、カノンは「気にすることないんじゃない?」と、考え方が根本的に違っている。
なんなら、はっきりさせておきたいというのがカノンの考えだ。
浅月にアイズを取られるつもりは微塵もないのだが、主張はしておきたいらしい。
単純に誰か相手にのろけたいという気持ちもあるのだろう。だとしたら、確かに浅月がベストなのだ。
ここで問題なのは、カノンは愛情表現が上手くスキンシップは相当で、アイズの扱い方も十分心得ており、しかもアイズ本人もカノンを好いていることにある。
そういう土台の下、カノンがアイズに言い寄ってくると、何だかんだで流されるのが安易に想像できた。
だからアイズは実質的な距離を取ることにしたのだ。
以上、三つの理由から合理的に考えた結果、浅月がいる間はホテル住まいというわけだ。
今ではたまーに浅月を置いてここへやってきてはカノンが一泊していくこともあるが、未熟な彼一人を残しておくのもやっぱり心配なので、滅多にできることではない。
それまで二人暮らしで気兼ねなくいられた日々と比べれば、少なくともカノンにとっては苦行だった。
しかも、も の す ご く、…だ。
あんまりアイズに会えない日々が続くと、水面下で苛々してしまう。
浅月がブレードチルドレンでなかったら、うっかり消して「行方不明になりました!」なんてことをしてしまいそうなくらい、たまにカノンの中に大波がやってくる。

「でもっ、今夜からしばらくは何の心配もしないでいちゃいちゃできるから来ちゃった!」
「…」

ぴっと人差し指を立てて爽やかに笑うカノン。
その後で再度アイズの手を取り、甲へキスする。
浅月がイギリスを出たことを知らないアイズには意味が分からない。
彼が一人前になったということだろうか、と思案する。
まだ短期間過ぎる。その可能性は少ない。

「…アサヅキはどうした?」
「心配しないで。危険な状態とかじゃないから。しばらく僕の傍にはないってこと。清隆からの話だしね。…ねえアイズ。僕とこういう雰囲気の時に、他の人の名前なんて出さないで欲しいな」
「…」

お願いとばかりに微笑され、アイズは沈黙した。
何だかんだで、こうして恋人タイムな時の主導権はいつもカノンだ。
だからこそ、同じ屋根の下なんかにいたら即座に流されるに決まっている。
離れて暮らすのは正解だ。
アイズは深々とため息を吐き、観念したように一歩カノンに踏み込んだ。
カノンが彼をそれはもう嬉しそうに受け止める。
抱きしめたアイズの頬へ片手を添え、カノンが優しく問いかけた。

「明日もレッスンはあるの?」
「ああ」
「残念…。う~ん…ピアノのイスに座るのに支障が出ちゃうと困っちゃうもんね。…まあ、他にいくらでもやり方はあるけど、それじゃああまりハードにはできないね」
「お前がハードじゃなかった試しがないと思うが」
「ええ~? そんなことを言ってたら、今日なんか一番辛いかもよ? 本当にアイズ切れなんだからね」
「…!」
「さ、補充補充!」

カノンが僅かに屈んだと思ったら、次の瞬間にはアイズを横向きに軽々と抱き上げていた。
むぎゅー!と一度抱きしめ、頬ずりしてからひとまず満足したのか歩き出す。
そんなに距離もないが、ベッドルームへ向かい広いベッドへゆっくりとアイズを下ろす。
上半身をいくつかある枕に寄りかからせて大人しくしている彼の靴を手早く脱がせ、自分も脱ぐとアウターを脱ぎながらカノンが片足をベッドへ乗り上げてくる。
アイズの体を跨ぎ四つ足になると、再度キスをした。

「…。さっきも思ったが…」
「ん?」
「甘いな」

唇が離れてすぐ、アイズが淡々と告げる。
キスが甘い。実質的に。
カノンは得意げに胸を張る。

「待ってる間、キミとキスするつもりで久し振りに砂糖いっぱいの紅茶を飲んでいたからね」
「…」
「苦いより甘い方が好きでしょう? …あ、ミルクティの方がよかった?」

にこーっと笑顔を向けられ、数秒後、カノンの下でアイズが呆れたように息を吐く。
ゆっくりと瞬きをして、それから――

「…お前は馬鹿だな」

――本当に僅かに微笑した。

 

 

 

 

 

 

浅月が日本に行ったことを知ってから、アイズは家に戻ってきた。
それからは以前の暮らしそのままだ。
邪魔する者は誰もいない。
必然的に双方の調子もよくなり、二人で動いていた時の流れというものができあがるので、この間にカノンは清隆の依頼の他にもハンターの拠点を一つばかり使い物にならなくし、積極的そちら側の何人かをタタンと殺害してきた。
もう少し行けそうな感じはしていたのだが、はしゃぎすぎだとアイズに注意され、何とかブレーキをかけてみることにしたらしい。
しかしながら、蜜月は長くは続かない。

「…。アイズ、浅月がもう帰ってくるんだって」
「そうか…」
「逆に、僕が日本に行かなきゃいけなくなりそう」
「そうか…。気をつけてな…」
「ふーむ…。無視しちゃダメかな?」
「その話が清隆からであるならな…」

遅い朝、ベッドでぼんやりしながらアイズはこくこくと半分眠りながら頷いた。
メールを見たカノンだけが、既に服を着てベッドの周りをすたすたと歩いてあれこれしている。
開けたカーテンの傍で、腕を組んでカノンはため息を吐いた。

「高町亮子…か。浅月の幼馴染みちゃんじゃないか。困ったな、女の子だ。運動神経はいいらしいけど、それでも時間がかかるかもしれないな」

窓から離れ、アイズの寝ているベッドに腰掛ける。
指に慣れた滑る髪を梳きながら、はあ…とため息を吐いた。

「アイズパワーの補充をどうしよう…」
「…」
「テレフォンくらいでしかできなくなっちゃうよね?」
「……誰がやるか」

ふわふわした鼻声で小さく呟いて、アイズが背を向ける。
小さく笑って体を屈めると、カノンは彼の肩に手を添えて白いうなじに唇を寄せた。



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アライヴ時のカノアイ。
短髪アイズ様は少年少年してて可愛らしいかったです。
アイズ様といるとカノン君は全開ですね。
2016.7.17





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