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9月の下旬、アイズ・ラザフォードは風邪を引いた。
致命的なタイミングでの風邪だった。

カノン・ヒルベルトがドイツで<ハンター>を複数人死傷させ、その足でイギリスに来たので、アイズの所有する屋敷に匿っている最中だった。
著名人の豪邸が並ぶこの辺りでは事件を起こしにくい。
このエリア一つ前のストリートに入るにも警備員がいたりカードが必要だったりと色々と面倒だ。
故に、ハンター側のやりかたも絞られて来る。
下手なところに身を隠すよりは、居場所を知られても手を出しにくい環境の方が有利なこともある。
清隆の力もあってだろうが、アイズの屋敷は<ハンター>にも<ウォッチャー>にも<セイバー>にも筒抜けの、謂わば中立地帯のようなところがある。
季節は…一応秋になるのだろうか。
日中はある程度過ごしやすいが、朝晩はすっかり寒くなってきた。
イギリスの9月はそんな気候だ。

「アイズ、僕の誕生日を覚えているかい?」

9月に入ってすぐ、カノンがいつもの穏やかな笑顔で、人差し指を顔の横で銃のように天に向け、アイズに問いかけた。
当然、忘れてはいないし祝うつもりでいた。
だが、自分たちは「呪われた子」どもだ。
誕生日が嫌いなチルドレンもいる。
カノンがそうではないことは知っているが、だとしても"誕生日"という単語は、自分たちにとって一つのタブーのような気もしている。
一応、アイズなりに考えてはいた。
どうしようかと思っていたが、自分の性格上サプライズなどとても無理なことは分かり切っていることであるし、「誕生日までいられるのか」と問いかけたくともタイミングが難しい。
何ならぐるっと一周して、自分がそんなことを問いかける資格もないように思えてきてしまう。
真正面から尋ねられて返ってほっとしたものだ。
若しくは、彼の性格を考慮して、カノンがそうしたのかもしれない。
どちらかといえばそうなのだろうなと考えながら、アイズは頷いた。

「ああ。覚えている」
「よかった。今年は一緒に過ごせそうだね」
「25日までいられるのか」
「ダメかな?」

控えめなカノンに、アイズは短く、いや…とだけ答えた。
その日までカノンがいると分かり、一緒に過ごせると言われたからにはアイズの方でも何の遠慮もなく準備ができる。
カノンの好物を揃え、好きなドリンクの銘柄、プレゼント…。
より良いものを探り、検討するにはそれなりの時間が必要だ。
その日からアイズは少しだけ忙しくなった。
…とはいえ、冷静で感情があまり表に出ないタイプのアイズが多少忙しくなったところで、傍目には全く察せられない。
自らがあまり表に出歩く立場ではない手前、些かハウスキーパーに頼むことが増えたくらいだ。
一日一日と律儀に進んでいく毎日の中、最も時間を取られるのは作曲だった。
折角カノンが同じ場所にいて、ピアノがあり、時間があるのだから、アイズは当然の如く彼に曲をプレゼントしようと考えていた。
だが、一緒に暮らしている現状、練習にと弾いてしまえば必ずどこかで聞いているはずだ。
それでは面白味がないということで、当日まで実際に弾くのは避けることにした。
ピアノの音と法則なら、頭の中に入っている。
目隠しされても大概の曲なら暗譜で弾けるアイズだ。
音を脳内に響かせながら間違いなく作曲することはそこまで難しい話ではないが、指が鍵盤を求める。
気付くと、テーブルや自分の腿を両手で叩いていることがあった。
そんなアイズを見かけると、カノンはにこにこと口を開く。

「音があった方がいいんじゃない? 何か弾いておいでよ」
「…ああ」

目撃されてしまえば、追い出されるように部屋を出てピアノへ向かい、適当なクラシックを演奏して誤魔化す。
その誤魔化しが通じているとはとても思えないのだが、双方口に出さなければそれでいいのだ。
アイズは当日カノンにその曲を贈ることに意味があると思っているし、カノンは当日その曲に初めて音が着くのを楽しみにしていた。
ケーキもシャンメリーもプレゼントもいいだろうが、カノンの誕生日にアイズが創った曲が音を立てて生まれることは、なかなかの歓喜だ。
絶望の中にいる身にしては十分なんじゃないだろうか。
カノンは露骨に楽しみにしており、仕舞いにはカレンダーの過ぎた日付に鼻歌交じりに「×」までつけ始めた。
そんな折りだ。
アイズ・ラザフォードは風邪を引いた。
カノンの誕生日の二日前からだ。
自覚症状が出て酷く体調が悪かったが、持ち前の性分で水をかく白鳥のようにそれを表さない。
だが一定以上ともなれば、当然カノンが気付く。

「顔色が悪いよ?」
「平気だ」

…の会話の後、アイズがぐらついたのでカノンが反射的に支えた。
彼に腕を掴まれた時点でアウトだった。
いつもは冷たく澄んだ湧き水のような体温が人並み以上の熱を持っていると知るや否や、カノンは有無を言わさずアイズを寝室に引きずっていった。

――致命的だ。

カノンの誕生日の夜。
ベッドに仰向けになりながら、白々しい天井の模様を見詰めてアイズはまだ熱い息を吐いた。


Happy Birth Day




「まったく…」

はあ…と溜息を吐きながら、カインが持っていたトレイをサイドテーブルへ置く。
さっきとはまた違うブレンドのハーブティを二つのカップに注ぎながら、困ったように笑う。

「キミときたら、本当に強情なんだから。こんなに熱があるのによく普通に歩けたね。平衡感覚はおかしくなかったの?」
「…耐えられる範囲内だったからな」
「アイズ」

咎めるように名を呼ばれ、ちらりと視線を投げればカノンが厳しい顔でアイズを見ていた。

「体調や傷の状態などは正確に周りに伝えておかないといけない。場合によっては、その忍耐が状況を悪化させて、仲間を危険な状況に追い込むかもしれない。例えば、何者かが襲いかかってきたら、さっきまでの僕はキミに、キミの正常な判断力と運動能力を、戦力として求めてしまっていただろう。戦闘においては、キミの優しさや美点が邪魔な時もある」
「…」
「覚えておいて。…ね?」

厳しい表情をころりと和らげ、小首を傾げて同意を求められ、アイズは間を置いて息を吐いた。
確かに、道理だ。
体調が万全な時とそうでない時の人の動きには、随分な差がある。
使いものにならないならならないと、予め報告しておかないといけないのだろう。
全面的に自分が悪い。
アイズの反論が無い様子を見て彼の理解を察し、カノンはサイドチェアに浅く腰掛けた。

「ティは飲めそう?」
「今はいい…」
「前に清隆が日本の"風邪薬"をくれたけれど…。飲んでみるかい?」
「…いや」
「そうだね。今は時間が取れるから、体本来の免疫力を上げた方がいいだろう。少し苦しいけれど、その方が僕もいいと思うよ。水分と取れる範囲の栄養を取って、ゆっくり休むんだ。キミは慢性的に不眠症気味みたいだしね」
「お前も同じだろう」
「僕? 僕はちゃんと眠れてるよ。すごーく繊細なのと、寝起きが素晴らしくいいだけさ」
「繊細、か…」

茶目っ気たっぷりにウインクをするカノンの言葉にアイズが僅かに笑う。
不審な物音や殺気一つで一気に覚醒し、それこそ飛び起きて即座に銃を構えられたり状況判断して攻撃に移れる者をものすごく良く言えば、ひょっとしたらそうなのかもしれない。

「食欲はどうだい? ミルク粥を作ったんだ。食べられる範囲でいいから、少し食べてみない?」

アイズは首を振った。
胃がからっぽなのは分かるが、食欲はない。
カノンは少々残念そうな顔をして、持ちかけた小皿とスプーンを再びトレイに置いた。
そのまま、置いた自身の手を不意に遠い瞳で見つめる。

「…もっと早くにキミに触ればよかった」
「…」

カノンがアイズの熱に気付いたのは、蹌踉けた拍子に腕を掴んだからだ。
だが、平素彼はあまりアイズに直接触れない。
他の仲間にそうするように、ぽんと肩を叩く仕草さえしない。
その理由は分かり易く察して余るが、アイズも人を殺めたことがないわけではない。
だが、同じ血塗られた手だと言ったところで、カノンには通じないのだろう。
己を責め出しそうな幼馴染みの様子に、アイズは目を伏せる。

「お前が悪いんじゃない。俺の管理不足だ」
「先週、星を見ながらお茶しようなんて言わなきゃよかったなぁ…」
「――悪かった」

また冗談めかして顎に片手を添えていたカノンの言葉に同意するでも否定するでもなく、ぽつりとアイズが口を開いた。
カノンが彼を見る。

「お前の誕生日を祝い損ねた…」

毎年ある機会じゃない。
いつ祝えなくなるかも分からない。
こんな偶然はあまりないのに、棒に振ってしまった。
料理もケーキもシャンメリーも、何ならプレゼントに用意した猫の写真集もある。
全て今日の為の準備だったというのに、この為体だ。
用意した曲も弾けない。
五線譜に描いた想いは今日生まれない。
アイズにはそれが残念だった。
思っていた以上に、どうやらその瞬間を楽しみにしていたらしい。
…沈黙してしまった場に花を添えるように、カノンがふっと笑いかける。

「困ったなあ。損ねるの決定なの?」
「…」
「心ではそうして祝ってくれているだろう? それで十分だよ。元気になったら、何日か遅れでもう一回パーティをするのもいいんじゃないかな」
「ああ…。…だが、お前も何か夕食を取った方がいいんじゃないか?」
「僕もお粥を食べるよ。豪華な料理もケーキも、独りでなんてとても寂しくて食べられないからね。早く元気になってくれなきゃ。賞味期限が過ぎないうちにね」
「そうか。…なら、プレゼントもその時だな」
「あはは。それこそ、元気になってからでいいよ。――それにね」

微笑しながら、カノンはアイズが寝ているベッドの布団を、片手で丁寧に撫で直した。

「"一日中、風邪を引いたキミの看病をしている"――…なんて。僕にとっては、とても素晴らしいプレゼントだよ」
「…そうなのか?」
「嬉しいよ。今、とてもね。まるで――」

…と、そこで言葉を切った。
静かで穏やかな双眸で自分の手元を見詰めていたカノンが、形の直った布団から顔を上げる。
アイズと目が合うと、にこりと本当に嬉しそうに笑った。
日頃笑顔の絶えない彼だが、アイズにだけ見せる笑顔というものがある。
…"一日中の看病"。
カノンは一日中、本当につきっきりでアイズの傍にいた。
ティを欠かすことはしないし、ハーブシロップも定期的に持ってくる。
換気も室温も気にして、アイズが寝れば読書をしているし、起きれば話し相手をしていた。場合によっては短編ミステリの朗読などもした。
汗をかけば体を拭いてくれたし、着替えも手伝ってくれた。
いつもは体に触れないカノンの手は、当然ながら温度を持って温かい。
体調が悪い時に傍にいて、看病をする。
…まるで"家族"のように。
それとも"親友"のように、なのか、"恋人"のように、か――。

「…」
「…ん?」

不意に目を伏せたアイズの口元が緩んだので、カノンは首を傾げた。
アイズが笑うことは少なく、その分目の当たりにすると無条件に嬉しくなる。

「馬鹿なことを言ってるなと思ってる?」
「…いや」

アイズは双眸を開き、サイドチェアに座るカノンを柔らかい目で見上げた。

「お前一人の中に全部ある気がする。…便利だなと思っただけだ」
「…そう」

アイズは話題を打ち切り、カノンも追うつもりはないらしい。
お互い小さく笑って有耶無耶にすることにする。
ふう…と息を吐き、再びアイズの視線は天井を見上げる。
疲れたのだろうと思ったのか、カノンはそれ以降特に口を開かず、テーブルに置いてある文庫本に手を伸ばした。

「…」

アイズは考える。
カノンは、自分を看病するのがプレゼントに値するという。
本当だろうか。
自分に嘘はつかないだろうとは思うが…。
であればここは、あれこれ言ってみた方がいいのだろうか…。
考えた末、アイズは今一度枕の上で頭部を動かし、カノンの方へ首を向けた。
察したカノンが文庫本から視線を上げる。

「ん?」
「…。粥を、一口もらおうか」

妙に小さなアイズの声に、カノンが片手を口に添えてくすくす笑い出す。
本人に自覚がないようだが、淡々とした彼のいつもの口調と態度と、今の小声での、どう言ったものかという調子が見え見えの、おずおずとした態度の差が可愛らしい。
半身を起こそうとするアイズに手をかし、枕を背に立てる。
思わず頬が緩んでしまうカノンを、アイズが不思議そうな目で見る。

「…何故笑う」
「何でもないよ」

体を起こすのを手伝う過程で繋いだ手を、カノンは改めて左右合わせてぎゅっと握った。
今は看病中。
理由があるうちは、血塗れた手でもアイズに触れてもいいようで、それもまた嬉しい。
そのまま祈るように目を伏せる。
そんなカノンの様子から握られた両手を、アイズが静かに見下ろす。
数秒後、ふと顔を上げた。

「カノン」
「んー?」
「…誕生日、おめでとう」
「うん。ありがとう」

日付が変わる前に何とか言えた祝福の言葉を分かち合う。
幼い頃よくそうしたように、そっと額を合わせた。



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現段階で10年前くらいの漫画『スパイラル』。
本棚を整理していたら見つけて読み直ししてしまったが最後でした。
溺愛カノンくんと天然アイズ様、彼らを思い出してしまって大変です。
2016.7.8





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