洛山高校は、京都にある。
つまり、赤司君は今京都に住んでいる。
建物は多いけれど関東の都会とはまた違う街の匂い。
今買った和菓子の袋を片手に抱えて顎を上げて空を見ると、とても広い。
どこで見上げても似たような空。
どこを見ても古都の景色。
ちょっと出歩くと、地図を持っていても迷ってしまいます。
――この町で迷えるとしたら、お前はとても器用だね。
不意に思い出す。
何も難しいことではない…と、こちらに遊びに来た初日に観光用の地図を広げてくれた。
整った指先がカットバターのような道を順に指し、続けて歌う。
――"まるたけえびすに おしおいけ"…。聞いたことあるだろう?
心地良い童謡ののびやかさと彼の声が耳に残っている。
「…。あねさん ろっかく…」
聞いたことはあっても、まともに聞いたことはなかった。
一度きりで覚えたつもりは無かったのに、何故か耳が彼の声を覚えていた。
急に自信がついて、とん…と止まっていた足を進めた。
ぽつりと記憶にある声に自分の声を重ねて、口ずさむ。
「たこ にしき」
「ワンッ!」
てんてんと再び歩き出した僕の足下を、立ち止まってそわそわしていた2号が嬉しそうについてくる。
一昨日買ってもらった赤くて真新しい首輪がすっかり気に入ったようです。
…今日の和菓子は些細ですが、そのお礼に。
スポーツの強豪校が大抵そうであるように、洛山高校にも学生寮が設けられているようです。
けれど、話では赤司君は寮ではなく自宅があるので、泊まりに来ることに遠慮はいらないと言ってくれました。
赤司君の家は都内にあることは知っていたので、もしかして高校に入るにあたり一戸建てを借りたか買ったかしたのでしょうかと思ったけれど、話を聞けば、元々セカンドハウスの一つが京都にあったとのことでした。
…予想斜め上。
さすが赤司君です。
「…」
門前で足を止め、改めて赤司君の京都の家を見上げてみる。
和洋折衷のどこかレトロな庭と建物。
どこかの有名な洋館のようで、初日はここのベルを押す前に赤司君の携帯に確認の電話をしました。
携帯越しに笑われて、建物の中から当たり前のように彼が出てきてくれて、ようやく安心できたくらいです。
今ではベルを押すことはなく、与えられた鍵を機械に差し込むだけ。
自動的に門が開くのにも慣れました…が、やはり敷地内に僕と2号だけで入る瞬間は、少しだけ心許ない気がします。
再び勝手に動いて閉まっていく門を一度だけ振り返り、そそくさと建物に近づくと、数ある部屋のどこかからヴァイオリンの音色が聞こえて来ました。
…玄関脇に屈んで、室内犬専用のペーパーとスプレーとタオルを手に取る。
すっかり慣れた2号は大人しい。
2号の足と毛並みをそれらで拭いながら、聞こえてくる音色にどこか寂しさを覚えた。
毎日、高校での部活は夜遅い。
それから遅い夕食までの二時間程、赤司君には何かしらの習い事が入っている。
今日も学校の練習は午前中だけだったようですが、結局自主練とか監督とミーティングがあるようで帰宅は二時とかですし、そこからまたやることがあるようで部屋に閉じ籠もっているかと思えば、今度はヴァイオリンですか…。
どうも話を聞く限り、月曜日から日曜日までこんな感じらしい。
赤司君の家に遊びにきて、早三日目…。
初日の午前中と、昼と晩の食事時は顔を合わせて少しお話できますが…それ以外、残念ながら殆ど彼と接する時間はなさそうです。
けど…。
「…静かにしていましょうね。赤司君の邪魔をしてはいけません」
きれいにし終わると、今にも赤司君の部屋に突撃でもしかねない雰囲気の2号を抱きかかえ、てくてくと廊下を進む。
…まあいいです。
また夕食時に、会えるでしょう。
その時に、首輪のお礼を渡しましょう。
「黒子、すまない」
「…え?」
僕らがよく使う、建物奥の方にある第二リビングに足を踏み入れると、一歩遅れて入ってきた赤司君は突然そう言った。
唐突な謝罪だったので、意味が分からず肩越しに振り返って足を止める。
視線の先には困ったように笑う彼がいたい。
「せっかく来てくれたのに、あまり話せていない。詰まらないだろうと思って」
「僕ですか? …いいえ。書斎の本を読ませてもらったり、庭を散歩させてもらったり、バスケゴールをお借りたりしています。あと愛馬も見せていただきました。可愛いですね。それに、今日は町の方にも出てみました」
「ああ…。出かけていたみたいだね」
「はい。赤司君が教えてくれた唄のお陰で、なんとか迷わずに済みました」
「誠凜は一週間休みなんだっけ? いいのかい。そんなに休んで」
「いいえ。一週間だけ練習を軽くするんです。うち中一日はまた猛特訓をするらしいのですが、フル活用した筋肉を回復させて一回り成長させるのだとかで。…代わりに、先週はそれはそれは地獄の一週間でした。僕が赤司君の話をしたら、監督がメニューを作ってくれて、特別に許してくれたんです。こちらに来ても、それは欠かしていません」
「…そうか」
「あと、洛山のビデオを撮ってこいと」
「なるほど。それは実用的な話だね」
思いっきりスパイなのですが、顎に指先を添えて赤司くんは頷いた。
尤も、彼との当初の約束で高校にお邪魔するのは最終日だけという話だ。
それまでは洛山にお邪魔するつもりはない。
「だから、大丈夫です」
「ああ、分かった。…お前は、現状に"些かも不満は無い"というんだね?」
「…」
それまでと変わらずにこやかに。
けれど、ピ…と空気が張り詰めたのが分かった。
彼の発言に驚いて、少し瞬いて固まってしまう。
…。
意外です…。
室内に向けていた爪先を赤司君の方へ向け、笑っていないその目を見据える。
「…。えっと…。君がそう言うのであれば、言わせていただきたいことはいくつかありますが」
「一番大きな不満を一つだけ言ってごらん」
「せっかく遊びに来たのに、君とあまり一緒にはいられないことです」
「…。うん…」
僕の言葉に満足したらしく、目を伏せてゆっくりと赤司君が頷いた。
そのまま少しの間足下に視線を向け、ふ…と再び顔を上げる。
「僕もだ」
「そうですか。同意見のようでほっとしました。…けれど僕は、君の邪魔をしてまで我が侭を言うつもりはありません。それに、君は僕が退屈しないよう色々と気を配ってくれています。ですから、強いて言えば不満はありますがつまらなくはありませんし、君と一緒にいられて嬉しいと思っています」
「ああ」
「…ちょっと珍しいことをしましたね。今」
「そう。いじけてみたんだ。…自分でもらしくないと思うよ。結構勇気がいるものだね」
そう言って、赤司君が歩いてくる。
ソファへ向かう途中、ぽん…と軽く肩に触れられ、それだけでついておいでと言われたのが分かった。
座り心地のいいソファに、並んで座る。
空かさず、ぽて…っ!と2号が僕の膝に飛び乗ってきた。
尻尾を振りながら赤司君をじっと見つめ、彼に頭を撫でてもらうと気持ちよさそうに目を伏せる。
僕も彼も沈黙は平気なので、そのまま暫く静かにしている。
ところが、いつもと違って数分も経たないうちに赤司君が口を開いた。
「そうだ、黒子。実渕って覚えている?」
「勿論です」
「彼にお前が来ていることを話したら、会いたいと言っていたよ」
「そうですか。光栄です」
「でも駄目だと言っておいた」
「…そうですか」
さらりと続けて発せられる言葉には、理由がついてはこなかった。
けれど、何となく察するものがあって、僕も僕で聞かないことにする。
それはきっと野暮というものですし、たぶん赤司君は察して欲しがっているような気がするので。
頷くだけ頷いて、膝にいる2号を抱き直した。
僕らがゆっくり会話をしたり、庭にある暗い夜のコートにライトをつけて一対一などできるのはこの時間だけだ。
このままもう少し話していたいけれど、きっとそれは無理でしょう。
「まだ出かけなくていいんですか?」
「…」
2号を少し持ち上げて、片手をちょいちょいと彼に向けて弄りながら聞いてみる。
赤司君は少々驚いたように瞳を揺らして僕を見つめた。
きっと、この後赤司君には外出の予定がある。
だから今日は一緒にいる時間はいつにも増して少ない。
そんなことは解っています。
何故なら…。
「さっき、食事が終わって廊下へ出た時、外から車のエンジン音が聞こえました。いつもはそんなことがないので、きっと今夜は出かけるんだろうと思って」
「…参ったな」
片手で髪を掻き上げながら、赤司君は溜息を吐いて苦笑した。
やっぱり、予定が入っていたようです。
「お前の言うとおりだ。これから、少し出かけてくる。帰りは遅いから、待つなんてことはしなくていい」
「睡眠時間、大丈夫なんですか?」
「僕の年齢に見合う適切な時間を取っているつもりだよ。足りないということはない」
「はあ…。相変わらず忙しいんですね。中学の頃からそうでしたけど」
「そうかな。僕はそこまで忙しいつもりはないのだけれど」
中学の頃、朝夕の部活以外の時間…例えば昼休みなど…に赤司君と会おうと思うと、それはそれは大変でした。
生徒会室、職員室、実行委員会室、部室などなど。
本当に休まる暇もないくらい動き通しで、僕と青峰君が彼を見つける頃にはすっかり昼休みは終わっている…といった調子でしたし。
それは今もあまり変わらないようです。
平凡な僕は、彼の動いている姿をこうして傍で見ているだけで目が回る。
「お前が来ているのに、相手ができなくて心苦しい。本当に悪いな、黒子。…そろそろ出るよ」
ソファから立ち上がり、赤司君がドアの方へ向かっていく。
僕も2号を下ろし、何となく後を着いていった。
「キャンセルとまではいかなくても、明日以降日に改めるんじゃ駄目なんですか? 少し顔色が悪いですよ」
「確かに、急を要する用事ではないが…。僕が何年僕として生きてきたと思うんだ? 今更己の都合でスケジュールは変えられない」
「じゃあ、僕の為なら変えてくれるんですか?」
「…お前の為?」
いよいよ言葉に出して言ってみると、赤司君はドアノブに片手をかけた状態で足を止めてくれた。
振り返って苦く笑う彼との間にある距離を保ったまま、はい…と頷く。
「例えば僕が、"赤司君と一緒にいられなくて詰まらない。出かけないでください。今夜は僕と一緒にいましょう"…と駄々をこねたら?」
「邪魔する気は無いと言っておいてか?」
「僕は言ってみるだけです。判断をするのは赤司君ですから」
「ああ…。お前らしいね。相変わらず人を追い詰めることが得意なようだ。…そうか。なるほど」
笑って優しく断られるかと思ったら、赤司君は口元に片手の指を添えてそのまま何かを考えてしまった。
意外な反応に、僕の方が驚いてしまう。
しかも…。
「分かった。いいだろう。交渉してこよう」
「え…?」
「連絡してくる。待っていて」
「あ…。え、でも…。…あの」
行かないでと言ってはみたものの、ポケットから携帯を取り出しながらノブを開けて廊下へ出て行ってしまう彼の行動は僕の予想外で、伸ばした僕の右手をかわしてバタン…とドアが閉まる頃には、だらだら背中に汗をかいていた。
…。
いいのでしょうか…。
「いいんですか?」
「何が」
「出かける予定です」
「ああ。お前が強請ってくれたからね」
そう言って、赤司君が僕の肩に額を添える。
電話をかけに出て行って、戻ってきて…ひとまず、つい数分前のように二人でソファに座り直した。
さっきと違うところといえば、座る距離が近くなったことでしょうか。
片腕で僕を緩く抱いてくれる赤司君の体温は温かい。
以前、彼は休むということが"難しい"と言っていた。
それは当初スケジュール的にという話かと思っていたけれど、一緒に過ごしていくうちにどうやら休むという"感覚"を得にくいという話のようだと察しがついてきた。
彼が使う"休息"という言葉は、本来僕らが使う休息よりももっとずっと浅いものだ。
自分が疲れていることになかなか気付けないようで、僕がそう思う必要は無いと分かっていても、中学の頃から心配だった。
だから…。
「素直に予定をキャンセルしてくれるなんて、ちょっと意外でした」
「僕もそう思うが…何故だろうな。自分で少し休息を取りたいという理由やお前といたいと思うことと、お前にそうして欲しいと言われるのとでは、行動までの決断力に随分な差があったようだ。…たまにはいいだろう。火急の用ではない」
「はあ…。そうですか」
「そう」
「…!」
ふわ…と軽いとはいえ重みを感じてびっくりする。
振り返れば、赤司君が僕を抱き締めて寄りかかっていた。
初めてされた行動に、思わず硬直してしまう。
「…。え、と…」
「意外?」
僕の肩から顔を上げず、細く笑う声がする。
少し考え、けれど嘘はつきたくないし第一すぐバレます。
呆けたまま、こくこくと頷いた。
「はい、まあ…。ちょっと…」
「だろうね。…だが、僕はいつも紫原が羨ましかったよ」
僕の腹部に添えられた指先が、ぐ…と服に皺を寄せる。
それを目の当たりにして、耳元で彼の寂しげな声を聞いて…一気に体温が上がっていくのが分かった。
ますます動けない。
「お前たちを見ていて、いいなといつも思っていた。…かといって僕には無理だ。他もそう。青峰のように直情的にはとてもなれないし、緑間や黄瀬のように急速にお前に近づく度胸も無い」
「…緑間君ですか?」
「緑間は基本的に人に懐かないし興味がないからね。他と比べて遅い速度に見えても、彼がお前を認めるまでの時間は過去最短だったと思うよ」
「そうでしょうか」
「緑間がお前の誕生日と星座を聞いたのが、会って何日目だったか思い出してごらん」
「そんなに早くはなかったと思います」
「だが、それがあいつの最短だ。あいつは分かり難いし、自分にも鈍感だからとても損をしていて時々哀れに思うことがある」
笑って、赤司君が腕を狭める。
彼に抱かれたまま腕を引かれ、いつしかぴたりと密着したまま横から抱き締められていた。
僕を懐に抱いて、気持ちよさそうに目を伏せる赤司君の姿は極めてレアで、すぐ鼻先にある長い睫に魅入ってしまった。
すぅ…と彼が息を吸い、深呼吸のように肩を僅かに上げる。
「…お前は、たったこれだけで僕がどれほど休まるか、想像もつかないのだろうね」
「休めているんですか?」
「とてもね」
「それは、よかったです」
「…」
睫が上がり、赤く澄んだ瞳が近距離で僕を見る。
形のいい指先が合図のように顎に添えられて、殆ど反射的に顎を上げて目を伏せた。
唇が重なる。
少し、冷たい。
…泊まりに来て三日目。
三日目にして、ようやくキスができた。
勿論気にしてくれているのでしょうが、とはいえそこまで僕のことは気にならないのかと思っていたから、ほっと妙な安堵が四肢に広がる。
ちゅ…と軽く触れたキスでも、赤司君の舌先が右から左へつ…と僕の塞いでいた唇をなぞり、促されて少しだけ口を開く。
添えられていた指でそれとなく顎の角度を直されてそのままキスを深くしていくと、体内にちゅくちゅくと水音が響いて自然と体が熱くなってしまう。
…けど、口内の高熱が馴染んできてじわりと脳が痺れてきた頃、何の未練も無さそうに唇が離れた。
苛っとして目を開ける。
「…」
「…どうする?」
困惑というよりはすっかり呆れて、微笑する赤司君を見上げた。
彼にはいつだって余裕がある。
だから今も、素知らぬ顔で僕を抱き締めていた腕を緩めてしまう。
「僕はお前に対する支配の加減が分からないからね。無理強いはさせたくない。お前の好きでいいよ」
「…。こういった関係になって常々思うのですが」
「何?」
「いつも狡いですよね。赤司君」
「へえ…? 今日を最後にこの家から一歩も出られずにいいというのなら、もう一度言ってごらん。お前にそう思われるのは心外だ。精一杯の誠意のつもりだが」
僕の言葉に反論することなく、彼は愉快そうに僕の髪を指で梳く。
…まあ、そうなんでしょうけれど。
きっと、彼は彼で僕に対する束縛を抑え込んでいるつもりなのでしょう。
赤司君がその気になってしまえば、きっと拉致監禁ルートまっしぐらなのは想像に易いので。
けど、言葉にできない不平等を感じます。
はあ…と溜息を一つ吐いて、いつものように僕が折れることにする。
僕から離れて普通にソファに腰掛けている彼の胸に、ぼふっと飛び込む。
そもそも、ここで止めるには熱を帯びすぎた。
彼が着ている滑りのいいシャツの生地に鼻先を埋めて息を吸うと、よく知った匂いに安心できる。
「…君は、実はとことん面倒臭いです」
「あまり言われたことがない言葉だ。黒子相手だけだからね、こういうのは。そんなに?」
「はい。緑間君といい勝負です」
「それは…些か不名誉に感じるかな」
赤司君が吹き出す口元に片手の甲を添え、もう片方の腕で飛び込んできた僕を抱き留めた。
僕の前髪を梳き上げ、開いた額に音を立てて口付ける。
丁寧に頬を撫でられ、思わず伏せた瞼の向こうであまり変わらない優しい声が淡々と誘い、耳にもキスする。
「それじゃあ、しようか。僕の部屋に行こう」
「はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ。嬉しいよ。…遅くなって悪いね」
「いえ。忙しいことは知っていますから」
「助かるよ。…けど、その前に」
「…?」
そこで、僕を抱いたまま赤司君がちらりと足下を見る。
さっきからずっとそこで、じーっとこちらを見上げて大人しくお座りしている2号がいた。
ぱたぱたと尻尾を振っているあたり、遊んでもらえる順番を待っているのかもしれない。
僕から腕を離し、赤い首輪をつけている彼を、ひょい…と赤司君が抱き上げる。
「君をゲージにいれないといけない」
「そうですね。2号は僕の部屋にいてもらいます」
「間違いなくゲージにいれてくるんだ。鍵を忘れるなよ」
そう言いながら、赤司君が僕に2号を手渡す。
僕の部屋にいてもらえば別にゲージに入れなくてもいいだろうと思っていたので、彼の発言には少し虚を突かれた。
「ゲージにいれなきゃ駄目ですか?」
「ああ。聞き分けはいい子だけれど、彼は賢い。その気になればきっと抜け出せてしまうからね。うっかり僕らの元に来てしまうかもしれない。そうなっては、彼が可哀想な目に遭うことになる」
僕の抱いている2号の鼻先に、赤司君が人差し指を伸ばす。
微笑ましいはずの仕草だが、前屈みになり陰っていた双眸が、す…と細くなった。
抱いている僕の手の中で2号がびく…っと一瞬震え、顔を引いて彼の指先を避ける。
「僕との最中に、僕の許し無く他の者に一瞥でもくれてみろ。…邪魔する者は、誰であろうと許さない」
面倒臭い赤司君と一緒に眠った翌朝。
天気は快晴でした。
それだけでとても気分がいい。
…けど、眠い。
「…眠いです。…あと、太股の後ろが筋肉痛で痙りそうです」
「無理はしなくていいと言っただろう。寝ていればよかったのに」
早朝で人気のない町を、彼と歩いていた。
洛山高校の近くだ。
ついさっき二人で車を降りて、学校への僅かな道を歩いている。
「いいんです。昨日行った和菓子屋さんは、早朝から開いているとのことでした。買って帰ります」
あんな流れがあったせいで、結局2号に買ってくれた首輪のお礼にと用意した和菓子は渡せずじまいだった。
しかも、賞味期限は当日。
一日くらい大丈夫だろうと僕は思ったのですが、印刷されてシールとして貼ってあったそれを赤司君に見られてしまい、気持ちは嬉しいけどお腹を壊すといけないからと取り上げられてしまった。
今日はリベンジです。
そして、リベンジついでの見送りです。
だって昨夜の彼の珍しいいじけっぷりから今朝まで、僕はとても浮かれていますから。
なるべく赤司君と一緒にいたいと思って普通です。
勿論、僕らの足下に2号も着いてきています。
…が、昨夜までと違って赤司君にべったりというわけではなく、今は僕の傍にいます。
「お礼なんて気にしなくていい」
「気持ちの問題です。それに、単純に僕も食べたかったので」
「そうか。…なら、部活が終わった後の愉しみとしておこう」
「はい。そうしてください。それに、歩きながら町を見ることも面白いので」
「ああ…そうか。お前には興味深いだろうね。観光として楽しめるのならいい」
「唄も覚えました。"まるたけえびすに おしおいけ"」
「覚えがいいな」
歩きながら口ずさむと、赤司君が僕へ、柔らかい目元で視線を向けた。
「だが、残念。今は南北を横断しているから別の通り唄だ」
「…そうなんですか?」
「そう。…"てらごこ ふやとみ やなぎさかい"」
「…」
少し顎を引いて、赤司君が口ずさむ。
またあの心地良い童謡ののびやかさと、それを感じさせる声…。
思わず、隣とはいえ少し前を歩く彼を見上げる。
悠然と赤司君は微笑む。
いつだってそうだ。
彼が大口を開けて笑っているところを僕は見たことがないし、きっと誰も見たことはないのだろう。
けど、その微かに口角を緩める笑みが、僕といるときだけ少し深いことを、僕はちゃんと解っています。
伊達に人間観察していません。
君が教えてくれたことです。
「覚えたければ、こちらも後で教えてあげる」
「はい」
そんなことを話している間に、あっという間に洛山高校の門前まできてしまった。
今日が春休みとはいえ、ちらちらと人影が出入りしているようだ。
黒を基調とした制服の生徒は誰も彼も落ち着いて大人びて見えるが、他の人を視る度に、やはり赤司君は別格なのだなとしみじみ思う。
「じゃあ、また午後に。帰り道、迷わないよう気を付けるんだよ」
「肝に銘じます」
「それと、実渕に見つからないようにね。離してくれなくなるだろうから。…今夜はその菓子で一緒にお茶ができるのを楽しみにしているよ。なんなら、僕が点ててもいい」
「抹茶ですか。いいですね、京都らしくて。飲んでみたいですし、君が点てているところを見てみたいです」
「いいだろう。披露しよう。…行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
「…」
ひらりと手を振る…が。
赤司君はそのまま移動する様子もなく僕を見ていた。
不思議に思って首を傾げる。
「…? 行かないんですか?」
「ん? 行くとも。…じゃあね」
今度こそ軽く手を上げて、赤司君は校門の内側へ歩いていった。
僕も片手を上げてそれを見送り、やがてくるりと回れ右する。
…さて。
朝も早いですが、和菓子屋さんへ行きましょうか。
ひらひらと何処からか風に流れてやってきた桜の花びらが、僕と2号の左右を過ぎていく。
僕と赤司君が触れ合う実質的な時間は極々短時間かもしれないが、お互い気持ちを通じるには十分です。
ともすれば、彼に僕などは必要ないのではなかろうかと思うこともあるので、ああやって見せてくれれば僕も落ち着ける。
僕の王様はとても我が侭なのですが、彼の僕に対する支配欲は、大変分かりやすくて助かります。
少しだけ不安になったら、傍に寄りさえすれば、僕が寄り添う距離に比例して怖いくらい束縛が強まる。
それだけで来た甲斐があるというものです。
「…。"まるたけえびすに"…」
自然と口ずさみながら、歩を進める。
ここは彼の町。
そこに僕がいる…という、それだけで誇らしいしくすぐったい気持ちになる。
昨日より軽やかに歩き出す僕を見上げ、嬉しそうに2号が着いてきた。
赤司様おにーちゃんばーじょんで恋人設定。
キセキのみんながまた仲良くなれるとそれだけでいいと思います。
らぶらぶ。
2015.5.6