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煌びやかなホール。
水晶の輝くシャンデリア。
神が眠りについている夜に月一で行われる舞踏会。
見栄と自意識と財力と才能を張り合わせるのに必死な人々の群。
この中に放り込まれることが、堪らなく嫌だった。
本気で空気が悪い。
吐き気がする。
相手にしたくはないが、ここに集められた連中に負けるのはもっと嫌だった。
懸命に虚勢を張って上手く立ち居振る舞う。
人のエゴをこれでもかと集めた毒壺のような会場。
…だが、半年ほど前からか。
この澱んだ会場の一部に、多少空気が良い場所ができた。
壁際で少し休んでいると、少し距離を開けて同じく飲み物を手にしていた比較的若い女性たちが、扇で口元を隠してひそひそと囁き合う。

「…見て、ほら。あちらにいらっしゃるわよ」

人が乱れる会場を見回して囁き合っていた女性らのうち、一人が視線で方角を示す。
会場の中央はぼんやりと舞踏の為のスペースが取られており、年齢問わず様々な人間が踊っているが、その中に一際目を引く長髪の女性がいる。
癖のないオパールグリーンの髪色と、あれだけ私や周りが言っても聞かずにさっぱりと身に着けているシンプルなドレスと装飾品。
結局、素材を高めるしかないと嘆いていた侍女の顔を思い出す。
…だが、それでもこうして確実に周囲の目を引くのだから、結局、彼女にはあれで十分なのだろう。
実際、水晶から零れる光や音楽に包容され、数多の光は好き好んで彼女の上に落ちていた。
彼女の踊りの邪魔はすまいと、場を同じくしている連中も微妙に距離を気にして引いている。
…まあ、それは彼女の立場もあるのだろうが。

「本当。…ねえ、本日も麗しいお姿ね。それに素敵なドレスですこと」
「ああもう、殿方はいいわね。レハト様と踊れるんですもの。一言だっていいわ。今日こそお話してみようかしら」
「いやだ、お止めなさいよ。私たちなどでは相手にされなくてよ。もう少し物事を学んでからでないとお話も続けられないわ。初めが肝心ですもの」

「…」

会場のあちこちで不穏な囁きがされているであろうが、希にこういう良いものも聞く。
だだ漏れの会話を素知らぬ顔で聞きながら、グラスを口にする。
いつまでも気にしていられない。
私にも私なりの仕事がある。
もう少し休んだら、まだ小喧しい連中の中に乗り込んで、連中と同じように自己主張をしてこなければならない。
小さく溜息を吐いていると、突如傍で囁き合っていた女性たちが小さな悲鳴をあげた。
何事かとそちらを見れば、遠くからずかずかと、会場我が物という顔でやってくる人物が見えた。
目が合うと気楽な様子で手を振られる。
それを自分たちへのものだと勘違いした女性たちが再び黄色い悲鳴をあげ、私はさっと壁を離れて彼とは反対側へ向かおうとするも…。

「これはこれはタナッセ殿!久し振りだなあ!!」
「…!」

まだ距離があるというのに、大声でこれ聞けとばかりに名を呼ばれれば無視もできない。
舌打ちして足を止めた。
振り返ると、先程までいた女性たちが逃げていくのと入れ違いに、国王陛下がやってくる。
周囲から集まる視線をものともせずに、リタントの若き国王、ヴァイルは満面の笑みで寄ってきた。
一見して分かる、額の印。
神の寵愛者が歩くごとに、人混みが左右に開く。

「やっほー。久し振り!一ヶ月ぶり? どう?楽しんでる?」
「…その軽い物言いは止めろと言っているだろう。もう子どもじゃないんだ。国王なんだぞ、お前は。自覚を持て。我が国の底が知れる」
「うわー。ホント久し振り、そのお小言。やっぱあんたの第一声はそうじゃないとね」

何がそんなに楽しいのか、更に笑み。
片手を腰に添えて笑う仕草は子どもの頃から変わらぬ癖なのだろうが、男性を選択し更に王となり、あちらこちらに装飾がついたせいでその仕草に揺れてシャラン…と軽い音が鳴った。

「毎月欠かさず来るね。まあ、前から舞踏会には出てたみたいだけど。領地もらってちょっと離れたじゃん? 何なの。暇なの?」
「暇? 冗談じゃない。…第一、それが招待された者にかける言葉か。お前の為にわざわざ時間と金を割いて登城してやっているのだ。ありがたく思え」
「別に俺、あんたが来なくてもいいけど。レハトが来てくれれば」
「…」
「すっかり出遅れちゃった。次、俺踊るんだー。レハトって人気あるからさ、タイミングがむっずかしいんだよなー」

タイミングも何も、王であるこいつが行けば他の奴は控えるだろうさ。
相変わらず軽い調子で、ヴァイルがフロア中央へ目を遣る。それを追った。
最初は見るも無惨な田舎者だったが、一年間の間に信じられないくらい話術も舞踏も上達した。
成人する前から、舞踏会では彼女と話したくて行列ができ、何なら我先にと群がる人々にその細身が押し潰されしないかと、侍従のローニカが隙を見て会場から避難させていたくらいだ。
まだ一曲は終わらず、相変わらず人々の視線の的であるレハトは、長い髪とシンプルなドレスを軽く揺らしながらそこそこ顔と名の知れた貴族の一人と踊っていた。
…そんなに真面目に相手をせずに良かろうに。
ちらりと見えた彼女の微笑みを何となく見ていると、隣でヴァイルがにやりと笑う。

「…羨ましい?」
「…。は?」

問いかけに我に返り、また何を言うのかと顔を顰める。
不快を見せた私に、臆面もなくヴァイルは続けた。

「こーゆー場所で夫婦で踊るのはマナー違反だもんね」
「…」

沈黙で返す。
相手にしていられないという顔をしてはみせたが、何もその言葉が不愉快なわけではない。
"夫婦"という単語が、未だ言い慣れないし聞き慣れないのだ。
どう対応して良いか分からない。
…勿論、既に婚礼は済ませ神への報告も済んでいる。
紆余歪曲して結ばれた関係を、私たちは…いや、恐らく私だけであろうが…正直に言えば、未だに、彼女のことをよくは信じ切れていない。
籠りの前に契る約束を再度重ねたとはいえ、何分それまでがそれまでだ。
まずは彼女…レハトが、本当に成人の儀で女性を選ぶかどうかを疑い、女性になって出てきた姿を見れば、今度は「あの約束は嘘だった」と鼻で笑いながら言われるのではないかと、一対一で会うのを極力避けた。
どうやら嘘ではなさそうだと分かると、次は彼女の熱が冷めるのが怖ろしく、すぐにでも神殿へ赴いてしまえと考えた。
考えてはいたが、実際は彼女が成人して性別が安定するまでに一 二ヶ月はかかるわけであり、その期間は身体の苦痛が伴う。
私としても本格的に始めた仕事と彼女を迎える領地の定めで忙しく飛び回る必要があった。
結局、たっぷり一年もかかり、漸く領地と爵位と屋敷を用意して彼女を迎えることができた。
何とか漕ぎ着けたといってもいい。
時間が長引けば長引くほど、彼女の心が離れるだろうと日にちや時間を気にして追われていた私と違い、レハトは始終城内で落ち着き払っていたらしく、当時の私たちの様子を見比べ、今尚ユリリエに会えばからかわれる。
今日も彼女に会いやしないかとひやひやしているが、今の所は顔を合わせていない。
ヴァイルの言葉を軽く流して、この場に数秒の沈黙が訪れる。
…。
…いや、単語に慣れないだけだ。
別に羨ましいとかそういう話ではない。
大体、こういった場で夫婦で参加したとして、お互いパートナーとして踊ることは禁止されてはいないが、こいつの言うとおり、やはりマナー違反だ。
社交場は、社交をする場所である。
私は、彼女の夫だ。
彼女は私の妻であり、つまり、既に私が正当な彼女の拠り所だ。
神に誓ってそうなのだから誰にも文句は言わせないし、言う権利もないはずだ。
だから、彼女が誰と踊っていようが、楽しげに談笑していようが、別段気にするはずもない。
羨望など生じるはずもない。

「…ふん」

鼻で笑って、腕を組む。
沈黙する私をしばらく横で観察していたヴァイルが、急に短く吹き出すとけたけた笑いだした。

「ねえ。何、その顔!」
「うるさい。何がだ」
「羨ましい? 羨ましいだろー。俺がレハトと踊ればもう完璧に主役だからね。ごめんねー、あんたよりお似合いで。…ま、そういじけないでさ」
「だから…!」

売り言葉だと分かっていても、一瞬かっときて語気を強くする。
口から出たその勢いに自分で驚き、慌てて声量を戻した。
一つ咳払いをして、言い直す。

「だから、その話し方を直せと何万回言わせる気なんだ。…いいか。確かにお前たちが踊るのは一種の見せ物としては毎回期待されているのだろうが、お前の仕事は他にもあるだろう。その辺の連中と談話でもしてこい。せいぜい嫌味の応酬をこなしてこい。その分、お前の足りない王としての器も少しは大き――」
「あっ!レハト終わった!…おーい。レハトー!」
「な、おい…!」

人が話している途中だというのに、曲が終わった直後にヴァイルが片腕を上げて一直線上にフロア中央で踊り終わったレハトに声をかけにいく。
次は自分こそがと近くで身構えていた男どもが、その声に一掃されて散っていく。
額に印を持つ王と、同じく印を持つ元王候補の伯爵夫人。
ヴァイルがレハトに近寄ったことを察した連中が、場所を空けて音楽を上質なものに変える。
水晶細工の明かりの下で並ぶ二人の姿はそれまで多分に見慣れているはずが、それぞれが成人して性別を授かってからはまた違う形に見えて落ち着かない。
彼ら二人にとって集まる視線は慣れたものなのか、さして気にせず二言三言話すと、ヴァイルが芝居がかって片手を出し、その場に片膝を着いた。

「…!」

ざわ…!と会場がどよめく。
王が片膝を着くなどあってはならない。
…だが、レハトからすればただのいつものお遊びだとでも思うのか、軽く吹き出して悠々とその手を取った。
形式のキスを手の甲にする。
ヴァイルが立ち上がって彼女の腰に手を添え、調子を曲に合わせ出す。
さっきのざわつきが一瞬にして収まり、会場の照明も音楽も、はもはや二人のものだ。
膝を着いた相手が同格である選定印の持ち主となれば、咎める者もいないらしい。
ステップを踏みながら、ヴァイルがちらりとレハトの肩越しに私を見、悪戯げにウインクを投げた。
腹が立って仕方がない。

「あ、あいつ…っ」

わなわなと肩を震わせるのは私ばかりで、周囲の連中はお気楽なものだ。
神に愛された若い二人が手に手を取ってフロアで咲くのを、好意的に受け取って拍手を送っていた。



此処よりの幸福




「ねえ、タナッセ」

ずかずかと大股で先に部屋を出た私を、少し後ろから付いてくるレハトが呼ぶ。
成人してから、体の変化と一緒に声の高さも変わった。
田舎暮らしだった頃の地方独特の癖なのか、私からすればゆったりと喋るように聞こえるのは相変わらずだ。
足を止める気はないが、呼ばれれば無視はできない。
歩きながら応える。

「何だ」
「今度は何が原因? ヴァイルとまた仲が悪くなってる。…というか、一方的に怒ってるよね?」
「別に。何も無いが?」
「嘘ばっかり。…ねえ、そういうの止めなよ。今じゃ月一くらいでしか会えないんだよ?」

背後から細い溜息が聞こえる。
ぐ…と口を噤んだ。
彼女が溜息を吐く度に、何というか…せめて彼女相手に直さねばと思うのだが、どうも上手くいかない。
舞踏会も終わり、既に夜は更けた。
帰る者もあれば城に留まる者もある。
我々の領地は比較的近い。
帰る気になれば帰れるだろう。現に私は帰りたい。
だが、王直々に「部屋を用意してあるから泊まっていけ」と言われてしまえば断れない。
これが、ヴァイルの本来の性格そのままに「泊まってってよ!」などと駄々をこねられるように言われれば拒否もできようが、そこを王の顔で、しかも皆の前でこれ聞けと堂々と言うところが憎々しい。
故に、毎月一晩は城に泊まることとなる。
ヴァイルは、殆ど嫌がらせという他ない親切さで他の連中と比べて一格上の専用の部屋を用意させており、何ならヨアマキス家から外れた私に爵位と同時に与えられた新しい家名プレートが、部屋のドアに丁寧に掘られていた。
毎月、舞踏会が終わった後に内々の夜のお茶会があり、我々三人とユリリエで近状を報告し合い語らうのだが、今宵は先程のことがあり一向に楽しめない。
茶会が始まった当初こそレハトが私を気にしていたが、ヴァイルは二言三言で私の機嫌が直らないとなるとさっさと見限り、後はレハトとばかり語らっていた。それもまた地味に不愉快だった。

「舞踏会始まった時は普通だったのに」
「今だって普通だ」
「どこが?」

嫌々用意された部屋へ向かう途中の下り階段に差し掛かり、そこで足を止めて背後を振り返り、片手を出す。
呆れた顔をしているレハトが、この手を取った。
そのまま軽い足取りで階段を下りるつもりでいるので、注意する。

「左手は手摺り」
「ああ…。そうか」
「階段は端を歩くと何度言えば覚えるんだ。…おい。ちょっと待て。私を追い越すな」
「あれ。だって階段は…」
「私の前を歩くのは登るときだ。降りる時は逆に私の後から来い」
「…誰も見てないんだから、もういいと思うんだけど。この辺りはヴァイルのプライベートエリアみたいなものなんだし」
「ダメだ。言葉遣いも少しは女性らしいものにしろ。こればかりはユリリエを見習え。…だから家の階段も私と降りる時はそうしろと言っているだろう。そうして忘れるのだからな」
「人前ではちゃんと出来てるよ。いいじゃん。…それにしても、女って色々面倒臭いね」

はあ…と溜息を吐きながら言われた言葉に、内心ぎくりとする。
"お前なんかと結婚しなければ良かった"という風にも聞こえた。
ゆっくり階段を降りながら無意識に視線を反らした私の顔を追って、レハトがこちらを見上げる。

「…ねえ。それで、ヴァイルと何で喧嘩したの? 舞踏会中に何かあった?」
「…」

あそこまで周囲の視線を持っていって、何とも思わないのかこいつは。
呆れたいのはこっちの方だ。

「しつこい奴だな。していないと言っている」
「本当に?」
「お前に嘘をついてどうする」
「なんだ。じゃあヴァイルの思い過ごしなのか」

気が抜けたような感じでレハトが言うから、私は反らしていた視線を傍らの彼女へ向けた。

「何がだ?」
「ヴァイルは、自分と私が仲良くしていると、タナッセが拗ねてるって言ってたんだ」
「…ふん」

内心、あいつ…!と思いながらも、平然を装う。

「拗ねる? 誰が。どうして」
「タナッセが。どうしてかは…さあ。よく分からない。私とタナッセはもう結婚してるから、今更拗ねるも何も無いと思うんだけどって言ったら、どうしてか大笑いされたけど」
「…」

足を止め、空いている片手で眉間を押さえる。
…ダメだ、こいつは。
全然分かっていない。
…いや、確かに元々恋愛というものに対して妙な感性の持ち主ではあったが。
そうでないと、私などを夫に許すはずもない。
繰り返すが、未だに、私は彼女が私を好くことになったタイミングがよく分かっていない。
初めて「好きだ」と言われた時も、お前の中で何がどうしてそうなったのかと問いただしたいくらいだった。
私からすれば、謎の感性の持ち主に思える。
そうして、今もこの調子だ。
ダメだ。
よく分からない。
眉間を押さえた私を、レハトが横から気遣う。

「どうしたの? 大丈夫?」
「…ああ」

少し馬鹿馬鹿しくなってきた。
ごほん…と一つ咳をして、また歩き出す。
階段を降りきり、廊下に出た。
降りる前は別々にあるいていたが、レハトが私の腕から手を離さなかったので、何となくそのまま寄り添って歩くことになる。

「…えっと。じゃあ、本当に単に機嫌が悪かっただけなんだよね?」
「そうだ」
「そう…。良かった。タナッセとヴァイルって仲良くして欲しいんだよね。私、二人とも好きだから」
「とはいえ」
「…とはいえ?」

少し区切った声で話に一線を引く。
私の発言に、レハトが少し驚いた顔でこちらを見る。
視線が刺さる…が、僅かな勇気でそれを振り払う。
…自分で下らないと思うのだから、レハトにとって私の想いなど、それはそれはちっぽけで下らなかろうが。

「お、お前は…何というか、もう既婚であるのだから…だな。以前のように、軽々しく誘いを受けるものではないとは、思うがな」
「…? ダンスのこと言ってるの?」
「談話もだ」

私の言っている範囲の幅を狭く取られては堪らないと、すぐに訂正する。
それとなく言うつもりが、一度滑った口はなかなか止まらなかった。

「誘いに来る連中を一々相手にしなくていいんだ。そもそも爵位こそ上位の者もあろうが、お前は寵愛者なんだぞ。断る気になれば断れるし、せっかく連中の視線から外れたというのに、今更また注目されてどうするつもりなんだ。やんわりと断るくらいできるだろう。会場に入ってものの数分で後は終了まで別行動というのは一体何なんだ。お前はそこに違和感を持たないのか? 私の姿を探すなんてこと、していないんだろう。だから毎回ヴァイルの奴が向こうから私をからかいに来るんだ。…いいか、普通はな、我々が揃って奴に挨拶に行くものなんだ。仲の冷えた夫婦だって形くらいは取り繕うだろうに、お前は私から離れると一度として帰ってこない…!立場上仕方がないとしても、せめて気にするか何かしたらどうなんだ。侍従や司書の所へ行くくらいなら私の所へ戻って来るのが普通だろう。お前は頭の悪い犬か何かか…!」

滑りきった口がまくしたて、一気に主張した後半は熱が入ってしまっていた。
言い切った後、ぜーはー…と軽く肩で息をする羽目になる。
隣で肩を震わせている私を、レハトはぽかんと薄く唇を開けて見ていた。
…。
しまった…。
言った後で猛烈に後悔する。
顔が赤いような気がして、そっぽを向いてげほごほと咳をした。

「…。うわ…」

暫しして、呆けた様子でレハトが口を開く。
それ以上続けられるのが嫌で、わざと大股で速度を速めると、私に引っ張られるようにして何とか歩調を合わせながら、それでも止めることはなくしぶとく彼女が私の横顔を見上げながら続ける。

「なに。本当に拗ねてたの?」
「拗ねてない」
「そうして欲しいならそう言ってくれればいいのに。いつからそんなこと思ってたの?」
「拗ねてない…!馬鹿を言うなっ」

エスコートなどどこ吹く風でカツカツ歩き、彼女を片腕に張り付かせたまま片手で、割り当てられた部屋の扉を荒々しく開く。
過去何度も使用している部屋の為、殆ど別宅のような感覚で、入るなり我が家に帰ってきた気分になる。
一気に体から力が抜け、レハトの腕をそれとなく離してそのまま部屋を突っ切り窓際へ向かう。
ガラス窓に俯くように額を押しつけた。
母上が神の国へ召し上げられる前と比べれば、城内の居心地は悪いものではなくなってきているはずだが、
癖でどうしても入室と同時に深く息を吐き、吸う。
ようやく呼吸ができる…。
そういう気になる。
…窓際に真っ直ぐ向かった私の後ろで、レハトが扉を閉めた。
くすくす笑う声がする。

「ほんと、タナッセって面白い」
「…お、夫に向かって…よくもまあそんなことが言えるものだな」
「褒めてるのに」
「褒めてないだろう」
「面白いは長所だよ。…前は大嫌いだったけど、私、今は舞踏会好きだよ。ヴァイルやお世話になった人に会えるし、色々な人がタナッセのこと聞いてくるし」

背後を振り返ろうとして、思いの外近くにレハトがいたことに気付く。
彼女はそのまま数歩進んで、窓辺にいる私の隣に来た。
窓の向こうは湖だが、夜で月の細い今は水面も見えない。

「面白いんだよ。みーんな私がタナッセに脅されたと思ってる。政略結婚だと思ってるの」
「当然だな。それが貴族だ」
「やだね、貴族って。…本当にね、辛いでしょう?ってみんな言うし、タナッセの悪口だってたくさん聞くよ。まだちょっと嫌われ者みたい。…けど、最近は案外それが嫌じゃないんだ。悪口聞く度にね、なんだか懐かしい気がするから」
「…懐かしい?」
「だってもう今は頑張ってるじゃない。性格悪くて口だけのタナッセの話を聞くと、懐かしいなー…って思うかな」
「…」
「それに、"私も昔殺したいほど憎んでたけど、今は案外優しい"とかって言うと、みんなへえええ~みたいな顔するから、印象は良くしてると思うけど。効果的でしょ?」

果たして褒められてるのか貶されているのか…。
それに笑えない。
胃が痛くなる。
頬が引きつるレベルで葬り去りたい過去の話だ。
やはり少し特殊な感性の気がする。
…が、微妙な顔で佇んでいようと、何気なく微笑まれてしまえば反論の気も失せる。

「じゃあ、次の舞踏会は二人でヴァイルに挨拶に行こうか」
「…いや、まあ…。…別にそこまで気にしてはいないからな。どちらでも構わんが」
「言いたいことはちゃんと言って。言わないと分かんない」

段々苛々してきたのか、少し語気を強めてレハトが私を睨む。
彼女が本気で怒ると大変厄介であるのは身に染みて分かっているので、気が向いたり思い出したりしたらそうして欲しいと言い直すと満足そうに頷いた。

「それにしても、相変わらず信用ないね、私」
「信用はしている。…ただ、ヴァイルの戴冠以降、本当に…お前達の評判は安定していいんだ」

前例のない二人の寵愛者。
ヴァイルの奴は生まれてからそれまで、王となるべく育てられたが、突如現れたこいつだって一年の間に見違えるほどに成長し、短期間で周囲の信頼と名声を揃え上げた。
ライバルではあったのだろうが、ヴァイルとの仲は今も昔も変わらず良いもので、斯くなる上は寵愛者同士を夫婦にという声が、当時からそれなりにあったのだ。
そしてそれは、今でも囁かれている。
当然だ。
特にランテ家にとっては死活問題で、私が邪魔で仕方がないはずだ。
私さえいなければ、恐らくレハトは王配となるだろうから。
…弱気で呟く私を、レハトが半眼で見る。
むっとして、更に重ねた。

「自分たちで分かるだろう。どうしてお前達が契りを交わさなかったのか、その方がずっと良かったと、あちこちで耳にする私の気持ちが分かるか? 相手が私であれば勝てるだろうと、お前を引っ張り上げようとする輩は五万といるんだぞ」
「それじゃ、ヴァイルとその五万に負けない人になればいいわけだ」
「お前…」
「そういう話でしょ。…大丈夫だよ。今の所負けてないから」
「…」

目を伏せて、しれっとレハトが言う。
…何だか力が抜けてきた。
何だろう、この環境は。
自分の気持ちなど、ひたすら隠して生きていくものだと思っていたのに、最近はだだ漏れな気がする。
父上と母上の関係を間近で見、貴族の夫婦とはそういうものなのだろうと思っていた予想よりも遥かにレハトとの関係は近しく、違和感を覚える。
日常生活の中で、隣に立つ彼女を見て、ふとこれでいいのだろうかと何度も思う。
こんなに、彼女に気持ちを傾けていていいものなのだろうか。
いつか命取りになりやしないかと不安になる。
…それでも、結局は抑えなどきくはずもなく、彼女の方を向く。

「…お前には選択権があった。ヴァイルと私を並べて私を選ぶなど、普通は有り得ん話だ。趣味が悪いとしか言い様がない。手に負えない変わり者だな、お前は」
「よく言われ過ぎて、そんなんじゃ何も響かないよ。…それに、私後悔してないし。ヴァイルのことは好きだけど、あいつだって、私たちが一緒にいるの見るのが好きっていつも言ってるよ。舞踏会の後の四人のお茶会が一番好きな時間なんだってさ。気持ち分かるでしょ?」
「…」
「私たち、二人とも生きていて良かったね。毎日とても幸せだよ。タナッセのお陰」
「そ…」

呆れ果てて言葉もない。
私のお陰だと…?
…元凶が私であるのに?

「…。お前…どうかしているぞ。理解できない…」
「妻に向かってよくもまあそんなことが言えるね」

子どもっぽい仕草で頬を膨らませ、レハトが不快を示す。
…城に来た当初は疑心暗鬼で人形のような子どもだったというのに、彼女も成人してから随分変わった。
あまり見せないそういった子どもらしい態度を見せられると、何故かほっとする。

「そういうこと言うのなら、タナッセにはもう今が幸せなんて言わないから。明日神殿に行く時、神様に"昨日タナッセがこんなにヒドイことを言いました"って報告してやる」
「…! ちょっと待て止めろ。お前の声は常人たちよりも神に届くんだぞ…!」
「嘘だよ、嘘。何もそんな慌てなくても…。ちゃんと言うよ。タナッセと夫婦にしてくれてありがとう。これからも二人で幸せに暮らしていきますから、見守ってください…ってね」
「…。レハト…」
「駄目な夫ですが、見捨てないであげてください…って真剣に祈らないと」
「おい…」

胸の前で両手を組んで眉間に皺を寄せ、必死に祈ってみせるレハトを半眼で睨む。
私の視線に気付き、口元に片手を添えてくすくす小さく笑う。
手を下げる頃に、顎を上げて私を見上げた。
明かりの少ない夜では、前髪の間から覗ける額の印が淡く光って見える。
その光と同じ聖なる色の瞳の中に自分が写っているのが、今でも不思議に思う。

「逢えて、良かったね」
「…。ああ…」

頷く。
言って、彼女は窓の向こうに視線を移したが、私はというと彼女から何処かへ移そうなどとは思わなかった。
抱き締めようかどうしようか、少し迷ってゆるく両腕を広げる。
こちらがタイミングを測る間もなく、察したレハトが微笑みながら自ら懐へ入ってくる。
自分に寄り添う他者の体温には、未だ慣れずに感動する。
油断すると泣きそうですらある。
夢のようで、次の瞬間覚めるのではと幸せを感じる一方で怯え始める私の胸に、寵愛者の証である額の印を押しつけるようにレハトが身を寄せた。
ふわりと甘い香りが鼻孔を擽る。
…こんな日々が来るとは思いもしなかった。
過去の私に教えてあげたい。
今経験している全ての挫折と絶望と枯渇は、全て彼女と出逢う為のものだったのだと。
今までの私の哀しみの、何が欠けてもいけない。
それらがあるから、彼女との今があるのだ。
考えてもみない未来だ。
もう自分は幸せにはなれないと思っていた。
神に見離されたと思っていたのに。
…。

「…レハト」

そろりと名前を呼ぶと、何?と無邪気に返ってくる。
彼女はいつだって真っ直ぐだ。
感くぐらなくていい…という関係は、それまで疑心暗鬼に育ってきた私にとって少し難しい。
だが、最近は彼女相手にそれも馴染んできたように思う。
喜ぶ時も怒る時も、人を好くのも嫌うのも、憎まれるのも愛されるのも…喧嘩する時はかなり苛烈で厄介な相手だが…いつだって素直に心を見せてくれる。
であるから、傍にいれば嫌でもその姿勢を学ぶ。
学ばなければいけないと思う。

背筋を伸ばし、す…と息を吸う。
「愛してるよ」の一言が、今宵は何とか照れずに言えた。



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フリーゲームの『冠を持つ神の手』二次小説です。
激ムズでしたが、やりごたえがあり大好きです。
苦労して見たタナッセ愛情EDは愛情が溢れて久し振りに素直に心惹かれた。
是非やってみてください。
2015.1.19





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