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モナコの大邸宅に戻ったシドは、ネアに帰宅を告げ、留守の間の屋敷内外の動きを確認した後、すぐさま厨房へと降りていった。
厨房の傍にある使用人用の狭い図書室へ入り、お菓子のレシピを漁る。
数冊の本の中にプディングとチョコレート菓子はそれぞれあったが、チョコプディングはなく、仕方がないのでネットで調べた。
数レシピを読破した後、その情報と直感で、早速厨房の一角で調理を開始する。
チョコプディングは初めて作るが、大体のレシピは一読すれば完璧に作ることができる。
甘い香りに釣られて集まってきた使用人たちに、シドはできあがったチョコプディングを振る舞った。
気泡のない見事な生地。適度な弾力。
チョコの味が濃いが甘すぎず、白亜の皿に置かれたプディングの周囲にはベリーソースで模様が描かれている。まるでこのまま上階のテーブルに出せそうな一品だ。
いつもはただ運ぶだけのそれらを前にして、使用人たちは大変喜んだ。

「おいしい!」
「さすがはシド様」
「こんなにおいしいプディング、初めて食べました!」
「ご馳走様です、シド様!」
「それはよかったです。皆さん、いつもヴァロア家を共に支えていただき、ありがとうございます」

にこにことテーブルの端に立って労働を労る執事を、使用人たちは神様でも拝むように見詰める。
ただ、シドの作るチョコプディングは完璧過ぎて、感想を聞くと皆一様に「完璧です!」「おいしいです!」の一言で片づいてしまう。
個人的にはもう少し甘さと滑らかさを強めた方がいいと思っているのだが、邸宅の主人よりも尊敬を集めているシドの作るものは、誰もが全肯定してしまう。
屋敷の中の使用人たちから離れ、シドは庭に出た。
庭師の小屋へ行き、そこでも数個庭師の者達へ振る舞うと、おいしいおいしいと食べる中、ただ一人の十代の見習少年が、「濃すぎて、苦い」と言った。
親方や先輩たちに大ブーイングを喰らっていたが、彼らを宥め、シドはその少年に問いかけた。

「どうしたら、君好みになるだろう?」
「カカオが強すぎるよ。香りでいいものだってうのは分かるけど……もっとマイルドで、街で売ってるような甘い方がいい。あと、もっとぷにぷにしてた方がいい。この上の、チョコソースとイチゴソースみたいなものもいらない。チョコプディングだけの方が、おいしいよ」
「このガキ!シド様に何という生意気なことを…!」
「いえ、いいんです。とても参考になります」

今にも少年に殴りかかりそうな男たちへ片手を上げ、シドは機嫌良く告げた。

「わたしがプレゼントをしたい相手も、きっと彼の味覚と似ていると思うのです」

少年を邸宅の厨房に招いて、尚も改良を続ける。
目指すは、「つるりんコッテリみるくプリン」の舌触り。ジョーカーの大好物である。
何事もそつなく熟すシドが、真剣になっていくつか調理時間や方法・材料を変えたチョコプディングを作っていく。まるで難しい化学実験でもするかのようだ。
その合間に、主人であるネアに出す午後のティセットの食器を用意し、またプディングの改良を続ける。

「シド様には、ぼくくらいの年齢の友だちがいるんですか?」
「もう少し年上でしょうか。ですが、きみと味覚は似ていると思いますよ」

不思議に思った少年に問われ、シドは楽しそうに答えた。

――とかやっているうちに、午後のお茶の時間になり、シドは仕方がなさそうにネアの元へ向かった。

 

 

 

「……おや?」

邸宅の、数あるテラスにあるテーブルセットの一つ。
色素の薄い邸宅の主の肉体を守る為、完璧に紫外線を守る屋根と、人間の目には見えないガラスで周囲を覆われた、特別なテラスと優雅なテーブルセット。
そこに出されたメニューを見て、ネアは首を傾げた。
銀髪銀目の、見た目だけは麗しい男だ。
ヴァロア家に仕えるパティシエが用意した本日のメニューは、ストロベリーをメインにしたものだ。
ホワイトストロベリーのメレンゲドーム、ストロベリースコーン、ストロベリージャムとポークハムのサンドイッチ…。
この時間の為だけに用意された小さく真っ赤なミニバラも、食器の上で華やかだ。

「シド」
「はい、ご主人様」

目の前で用意されていく午後のティータイムを見詰めながら、ネアは背後に立つシドへ振り返りもせず声をかけた。

「今日はチョコレートが出てくるのかと思っていたけれど、違うようだね。香りがしていたから、てっきりそうだと思っていたが」
「ご主人様のもとに香りが流れていたとは、大変申し訳ございません。すぐに排気管の設備を見直します」
「ああ、そうしてくれ。…それで、あの香りは何だったんだい? 夕食のデザートかな?」
「いえ。恥ずかしながら、休憩の合間にわたくしがチョコレートプディングを作っておりました」
「ほお…」

ネアが、興味深そうにシドを振り返る。
主人の首を労り、シドが一礼してからシドの視界へ入るような位置に立った。

「珍しいな。チョコレートが愉しみたいのなら、好きなショコラティエの店を買ってくればいい。許そう」
「お心遣い、感謝いたします。しかしながら、わたくしのプライベートな用向きですので」
「チョコ菓子が食べたかったということだろう?」
「いえ、友人に贈ろうかと。小耳に挟んだのですが、アジアにある日本では、バレンタインの日に友人にチョコレートを贈る習慣があるそうで。恥ずかしながら、わたくしも嗜んでみようかと思いまして、その練習にと作っておりました」
「おお…」

話を聞いたネアが、感嘆の声を零す。
そう言われれば、もうすぐバレンタインだ。
2月14日、モナコやフランス国内ではネアの名前で複数の女性に赤い薔薇の花束とそれはそれは高価なプレゼントが贈られる。
だが、それらは全てシドが手配する。
「愛の日」など、ネアには関係ない。
言われるまで、バレンタインも全く気づけなかったが、そう言われれば、もうすぐだ。
高価なプレゼントを投げ打てば寄ってくるような女性たちは、失ってもいくらでも代わりはいる。
だが、友人はそうはいかない。
ネアにとっては、すぐに手に入る恋人などより、友だちの方が希少で大切だ。
友の間で贈り物をする習慣というのはネアも初耳だが、その方がずっと価値があるように思う。日本でのイベントも、さぞや有意義なものだろう。

「Merveilleux!実に良い文化だ、シド。そういうことなら、一流のショコラティエを呼んで教えてもらうのもいいだろう。必要なものは何でも揃えなさい。そのプディングを楽しみにしているよ」
「ご主人様。お言葉を返すようですが、日本のイベントで贈る相手は、友人のようでございます」
「分かっているよ。つまり、わたしにだろう?」

ウインクするネア。
シドは笑みを貼り付けたまま脊髄反射的に答えた。

「滅相もございません。わたくしは、ご主人様にとって、一介の執事でございます」
「ああ、シド…」

ネアは謙遜だと思い、尚も心を震わせているようだ。

「何を言うんだ。わたしときみとの仲じゃないか。今日作ったというのなら、わたしも食べてみたいな」

その言葉に、シドは驚いた。
今日のチョコプディングは、使用人たち向けに作ったようなものだ。
しかも、なるべく庶民的な味を目指した。舌触りは滑らかで三つ星パティシエにも負けないが、使っている材料も味も、ネアが日常的に食しているものとかけ離れているはずだ。
間違っても、主人であるネアに出せるものではない。

「いずれはお出しできましょう。ですが、今は試作の段階でございます」
「聞こえなかったようだな、シド」

ネアは、表情一つ変えずに柔らかい声で続けた。

「わたしも食べてみたいと言っているんだ。持って来なさい」
「…かしこまりました」

深く一礼し、シドは一度厨房へと戻った。
数分後…。
出された皿の上にあるダークブラウンのプディングを見て、ネアはまずその量に驚いた。

「これは、四人分かい?」
「いいえ。お一方分でございます」

皿の上に乗っているプディングは至って平凡な大きさだが、根っからの上流階級育ちのネアは、日常の運動量も少なく、食事は最上級のものを少しずつで成長してきた。基本が小食だ。
へえ…と面白そうに皿を見ている主人の目の前で、シドは取り分けることにした。
一口分で澄んでしまいそうな少量を、別の広い皿に取ってネアの前へ置く。
銀のスプーンを手に取り、シドは一口、口に含んだ。
咀嚼しようにも瞬く間に口の中で溶け、消えてしまう。
残った香りと余韻を味わうように目を伏せていたシドは、ナプキンで口元を拭った。

「舌触りはいい。だが、これはカカオを使っているのかい? 香りがないね」
「極力、香りを抑えております」
「カカオなのに?」

不思議そうなネア。
そうだろうな、とシドは内心思った。
持っていたナプキンをテーブルに置き、ネアは頷いた。

「まあいい。今はまだ、練習中と言っていたね。当日を楽しみにしているよ、シド」

他の者には絶対に向けないであろう微笑みで、ネアが言う。
シドは頭を下げた。

「恐れ入ります」

作らなきゃいけなくなったか…。
シドはそっとため息を吐いた。

 

 

 

2月13日。
バレンタイン前日の夜。
ヴァロア家の大邸宅。テラスの一つに、シドは立っていた。

「では、お願いします」

そんな一言と同時に、スマホのアプリをタップした。
目の前にある中型の高性能ドローンが、プログラムに従って浮遊する。
ドローンに下げたアタッシュケースが、遅れてぶらりと宙に浮く。
スマホの中で、アンゲルス探偵卿が作った人工知能である派手な女性・マガが、ぐっと親指を突き出す。
聞けば、恋人とデートなのだそうだ。さすが、宇宙一を自称する人工知能である。

[まっかせて~。ちょうど、トルバドゥールに用事があるの。明日のドレスで迷っているから、RDに直接聞いちゃおうと思って]
「今夜のお姿も、素敵ですよ」
[ありがとう。そういうところ、RDにも見習って欲しいわ]
「此度のこと、大変助かります、マガ様。このお礼は、後程必ず」
[期待してるわ]

投げキッスをして、マガはディスプレイから消えた。
怪盗クイーンが持つ超弩級飛行艇トルバドゥールは、常に世界中の大空を移動している。
シドが全力を投じれば、探せない、ということはないが、非常に時間がかかる。
それよりは、人工知能であるマガに頼んで通信を辿ってもらうネットワーク追跡の方が確実だ。
ドローンが何処へとも知れず、夜空を飛び立っていく。
中身は、勿論ジョーカー宛のチョコレートプディングだ。
高級カカオは山程手に入るが、敢えて街で一般的に売られているものを加工して作った。
卵も、日頃使っているものでは濃厚すぎるため、これも敢えて街から買ってきた。
子ども味覚の彼に合わせるには、この邸宅では材料集めが最も苦労した。
香りは少なく、見た目はシンプルに。舌でとろけるきめ細やかを重視したプディングは、シンプル且つ上品にラッピングを施した。
日本のバレンタインを聞いたから贈ってみる、という短い文章の手紙を添え、やはり赤い薔薇がないと始まらない気がして、一輪添えた。
ジョーカーは、食べてくれるだろうか。
自分のことを信用していなければ、口にすらしないだろう。その可能性も十分ある。
だが、ジョーカーのことを考えて料理をしている間、シドは楽しかったし、幸せを感じた。
気に入ってくれるといいのだが…。

「……。…さて」

両手を腰に添えて暫く夜空を見ていたシドは、そんな言葉で切り替える。
外していた袖のボタンを留め直し、ぴしりと衣類を整えた。
タイミング良く、ベルが鳴る。
また眠れないのだろう。
ベルに誘われ、シドはもう一人の大きな子どもの様子を見に、広すぎるベッドルームへと向かった。

 


日本風の愛を込めて その2




そして翌朝。
朝からわくわくしている主人へ、シドは午前のお茶の時間にもう一つのチョコレートプディングを差し出した。
カカオ、卵、ミルク、香り、舌触り、トッピング…。
全てにおいてネア好みに作り上げることは、ジョーカー用のプディングを作るよりも、ずっと簡単だった。
別に、作りたくないわけではない。
ネアは、シドの主人だ。
ただ、贈る相手が複数となると、少しだけジョーカーへのプレゼントにあった特別感が薄れる気がした。
白亜の皿に、少量のプディングを載せ、飾り付ける。
これはたぶん友チョコではなく、パイカルがウァドエバーにそうするように"義理チョコ"に属するのだろうなと思いながら、シドは主人にも赤い薔薇を一輪用意し、食卓へ飾った。

「とても美味だ。嬉しいよ、シド。きみのお陰で、わたしは世の中にバレンタインというイベントがあることを思い出せた。感謝しているよ」
「恐れ入ります」
「これはわたしからの礼だ」

パチンとネアが指を鳴らす。
シド以外の使用人が視界に入ることをあまり好まないネアが、わざわざ別の使用人を呼んだ。
彼は恭しく真っ赤な薔薇の花束をネアへ渡し、一礼して出ていった。
ネアは立ち上がると、シドへそれを手渡した。
呆れるくらい大振りで色が濃く、匂いが強い。

「それと、今日は弁護士を呼んでくれ。南方の島を一島、きみ名義に変更するからね。好きに使うといい」
「このようなお心遣いは不要です、ご主人様」
「わたしがそうしたいのだよ。今日はバレンタイン。最愛の者へ、プレゼントを贈る日だろう?」

両腕を開いて主張するネア。
その言動からは、シドへ注がれる惜しみない親愛が溢れ出ている。
どんなに性格が捻くれていようと、人間性が破綻していようと……たまにこういう無邪気な言動を見てしまうから、嫌いにはなりきれないのだろう。
島は何ヶ月か後に売りさばいて、寄付へ回そう。
早速そんな計画を立てながら、ネアは上機嫌の主人へ微笑みかけた。
その微笑みを、椅子へ座ったゆったりとネアが見返し、紅茶のカップを軽く持ち上げた。

「Bonne Saint-Valentin、シド」

今までに、ネア・ブラディーボ・ヴァロアから、直接薔薇の花束をもらった人間が、果たして何人いるだろう。
思わず、鼻で嗤いそうになってしまうところを、シドはぐっと我慢する。
やることが決まっていた収容所と比べると、どう生きていいか分からない、地獄のようなこの外界。
自分を生かして愛してくれる主人へ、シドは同じように「Bonne Saint-Valentin」と優しい声で返した。



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モナコ主従のバレンタイン。
信頼関係あるけどネア様の一方的なLOVEとシドさんのお断りがいいですね。
CPとしてはどっちなんだろう…と決めかねています。
2020.3.10





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