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「んもぉ!待ちなさい、仙太郎ちゃん!!」

そんな声がICPOの廊下に響き、パイカルとシドは揃って顔をそちらへ向けた。
片面がマジックミラーになっている長い廊下の奥から、背後を気にしながら若い日本人青年が走ってくる。
スーツやある程度整った服装の多い職員たちの中、ラフなジャケットとジーパンで廊下を駆け抜けてくる姿はかなり目立つ。

「あれは…」

パイカルが走ってくる人物を見て、早くも道を譲る。
シドも同じように道を譲ろうと端へ引きかけたが、廊下の奥、開け放たれたドアからは、遅れてルイーゼが顔を出した。
びしっと人差し指を立てた片手を前に出す。

「シドちゃん!仙太郎ちゃんを捕まえてちょうだい!」
「かしこまりました」

その一言で、パイカルと同じく道を譲ろうとしていたシドが片手に封筒を持ったまま、廊下の真ん中に立って行く手を塞ぐと、軽く両脚を開いて腰を落とした。

「失礼いたします」
「うおっ…!」

走ってきた仙太郎の片腕にそっと手を添え、勢いを利用して自分の屈めた肩と背中の上で一回転させた。
ふわりと宙に浮く仙太郎。
そのまま背中から廊下へ叩き付けられるところを、トン…と片手で腰を支えられ、終わってみれば片手を取られて優雅に足止めされてしまっていた。
ぽかんとしている青年の前に屈み、衣類の皺をさっと手で撫でてから立ち上がる。
ついでににこりと微笑をし、シドは一礼して、今度こそ廊下の端へ退いた。
事の顛末を見ていたパイカルが、ようやく口を開く。

「こんにちは、仙太郎さん。賑やかですね」
「くっそ~…」

シドがいるので逃げられないと判断した仙太郎は、近くの壁に額を付けて落ち込み出す。
遅れて、この場にルイーゼがやってきた。

「ご苦労様、シドちゃん。飴ちゃんあげるわ」
「おそれいります。お褒めの言葉は、どうぞネア様へ」
「後で褒めておくわ。はい、パイカルちゃんもどう?」
「ありがとうございます」

シドとパイカルに一粒ずつ個包装のキャンディを渡してから、両手を腰に添えて仙太郎の傍で仁王立ちする。

「さあ、仙太郎ちゃん。お部屋に戻って、お仕事の話の続きをさせてもらうわよ。適任の探偵卿の中で、今手の空いている子はあなただけなんだから」
「この忙しい時期に、探偵卿の仕事なんかやってられないんだって!頼むよ、ルイーゼさん!もうすぐバレンタインなんだ!日本に戻って、チョコを売らなきゃ!!」

世界で、ICPOに十三人しかいない探偵卿。
そのうちの一人のはずである花菱仙太郎の発言には、相変わらず驚かされる。パイカルはそっと息を吐いた。
外見はチャラいが、日本人の若き探偵卿である花菱仙太郎は、優秀だ。
特に無意識に自分の五感で蓄積している情報収集能力は随一で、いざ推理、となった時には、その蓄積された情報を引き出し、大いに役立たせ、また抜け目ない。
思考を集中させる推理中には瞳の色が銀色に輝くので、「ダブル・フェイス」の異名を持つ。
彼の夢であるらしい「コンビニ王」を諦めてくれたら、探偵卿の中でも比較的まともな探偵卿になれそうなのに……と、パイカルは常々思っている。
直属の上司であるルイーゼなんて、もっと思っているだろう。
片手を額に添えて、彼女は軽く首を振った。

「いい加減にしてちょうだい。あなたは、歴とした探偵卿なのよ?」
「他の時期ならいくらでも手伝うよ。けど、1月と2月と3月と4月と5月と7月と8月と10月と12月は…」
「手伝う、じゃなくて、あ・な・た・のっ仕事なの!それに、それじゃ半年以上じゃないの!」
「日本はイベントが多いから、仕方ないだろ!大体、何で俺なんだよ。もう一人、年がら年中ヒマしてる探偵卿が、ギリシャとモナコにいるじゃないか!」

ビシリ、と仙太郎が静かに見守っていたシドを指差した。
すぐにルイーゼが、「人を指差さない!」と手首にチョップする。
シドの主人であるネア探偵卿は、モナコにある大邸宅から滅多に出て来ない。
どこかのギリシャ人探偵卿と違って引き籠もりなワケではなく、基本的に世の中の人間がどうなっても自分には関係ないと思っているのだ。探偵卿の仕事をしてもいいが、退屈な事件は嫌だと、少なくとも二件以上の事件を同時に与えないと動かない。
代わりに、邸宅の外を行き来するのは執事であるシドの役目だ。ネアはシドに全幅の信頼を置いている。
更に言ってしまえば、難解事件解決も結局はネアではなく彼が解決しているのだが、執事の功績は主人の功績、がヨーロッパの上流社会では常識だ。

「アンタがやってくれ。頼む!」
「申し訳ありませんが、承れかねます。私は、ネア様の一介の執事ですので」
「じゃあ、ウァドエバーに頼んでくれ。パイカルがここにいるってことは、あいつもオフィスにいるんだろ?」
「いますが、おそらくウァドエバーさんは、ルイーゼさんの言う"適任"ではないのだと思われます」

円らな瞳で、パイカルが冷静に答える。
確かに、パイカルの上司であるウァドエバー探偵卿は今ICPOのオフィスにいる。だが話が来ないのならば、適任ではないのだろう。全うに解決したい事件なのだ。
パイカルの推理に、ルイーゼは満足そうに頷く。

「そういうことよ。……さ、いらっしゃい、仙太郎ちゃん。おいしいチョコレートなら、先週いいものを頂いたから、食べさせてあげるわ」
「ち~が~う~っ!俺が食べたいわけじゃないんだって!!」

売り上げが、売り上げがー!…と叫ぶ仙太郎が、ルイーゼに首根っこを掴まれて回収されていく。
それを見送ってから、シドとパイカルもその場を離れた。

 

 

 

小一時間後…。
シドがビル内での用事を済ませ、パイカルが休憩を取ろうとオフィスを出て、フリースペースで再び仙太郎と会った。
首根っこを掴まれて連行されたはずの仙太郎は、今はさらりとした顔で炭酸飲量を飲んでいる。

「仙太郎さん、任務は終わったんですか?」
「ん? ああ…。何だか思ったより簡単で、資料見たら解決したよ」

逃亡を諦めて、それなら早く終わらせてしまえとルイーゼに言われるまま捜査資料を一通り見て、事件概要と関係者を読み進めているうちに、仙太郎の中で次々にギミックとロジックが組まれていった。材料は全て揃っていたらしい。調理できるコックがいなかっただけだ。
別件と思われていた事件とも繋がり、現場まで行かなければ解決は無理だろうと思われていた難事件は、安楽椅子探偵よろしく、ものの十分程度で解決に至った。
パイカルは密かに感嘆の息を零した。

「それじゃあ、日本に戻ってチョコレートを売るんですか?」
「ああ。知り合いのエリアマネージャーにすぐ戻って来て欲しいって言われたんだけど、こっちのチョコをいくつか仕入れて戻った方が売り上げが伸びるんじゃないかと提案したら、まるっと任せてもらえてさ。今晩、いくつか回ってから戻ろうと思って」

光り輝く笑顔の仙太郎。
神様は、どうしてこの人物に探偵卿に選ばれるような頭脳と閃きを与えたのだろう……と、パイカルは思った。

「日本では、バレンタインにチョコレートを贈るというのは、本当なんですね」
「まあな。…ん? でも、この辺だって贈るだろ?」
「女性が好物の場合、プレゼントの中にチョコが含まれることもありますが、チョコレートと決まってはいないと思います。この辺りで定番というと……」
「赤い薔薇でしょうか」

パイカルの問いかける視線を受け、シドが続けて微笑む。
ICPO本部があるフランス周辺のことは、モナコ住まいのシドが最もローカルと言えるだろう。
そうですね、とパイカルも同意し、再び仙太郎へ向く。

「確か、贈り主も変わっていて、女性が贈るんですよね」
「そうそう。こっちは男の方が恋人に贈るんだってな。初めは驚いたな。まあ、最近は日本では女同士とかの方が多い印象があるけど……」
「ジェンダーの方が多いんですか?」
「いや、違う。"友チョコ"っていうのがあって、普通に友だちにチョコレートをプレゼントするんだ」
「……"友チョコ"?」
「あとは、職場の上司や世話になってる人に贈る"義理チョコ"とかな」
「"義理チョコ"?」

"友チョコ"にシドが、"義理チョコ"にパイカルが興味を持つ。
執事の鑑であり言葉を控えているシドの代わりに、パイカルが興味津々で仙太郎へ尋ねた。

「上司に贈るんですか? バレンタインの日に、チョコレートを?」
「ああ。いつもお世話になってます~って意味なんだ。義理堅いんだよ、日本人は」
「へえ…。変わっているんですね…」

腕を組み、うんうんと頷いている仙太郎の言葉に、パイカルは感心する。
アメリカとヨーロッパの生活が根付いている者たちからすると、日本のバレンタインは不可思議だ。
「お世話になっています」の感謝を伝えるのは、最早「愛の日」であるバレンタインとは程遠い気もする。

「それなら、察するに友チョコというは、いつも仲良くしてくれてありがとう…みたいな意味ですか?」
「たぶんな。あとはまあ、友だちならそいつの好みを知ってるだろ? 甘いの好きな奴が友だちにいるなら、もらって嬉しいだろうからあげてやるか、くらいな意味なんじゃないか?」
「日本のバレンタインは、随分愛の幅が広いですね」
「…」

シドは黙って、二人のやり取りを聞いてる。
彼の頭の中には、ふと絶賛国際指名手配中の友だちの仏頂面が浮かんだ。
「いつも仲良くしてくれて」のあたりは自分たちには該当しないが、ジョーカーは甘党だ。単にチョコレートをあげるだけでも、喜んでくれるかもしれない。…いや、彼の場合はプリンの方がいいような……。
しかしこの段階で、ヨーロッパを生活圏にしているパイカルとシドの頭の中では、「日本人はバレンタインに友チョコや義理チョコを贈る」というイメージを得ていた。このイメージに性別は考慮されていない。
さらに、仙太郎は軽い調子で付け加える。

「まあ、もらえれば嬉しいよな」
「そうでしょうか?」
「パイカルは、嬉しくないか? 俺は嬉しいけどな」

仙太郎の単純な切り返しで、パイカルの頭は早速に冷徹無比な上司がチョコレートをくれる想像を創り出してはみたが、即座に有り得ないと否定する。
彼から色々と必要物品を支給されることはあるし、食事をすればデザートまでセットが殆どだが、振り返ればお菓子の類は例が少ない。
だが、現実の可能性の高低は兎も角、仮にもらえたら嬉しいか嬉しくないかで言えば――まずは確実に中身と理由を疑うが――嬉しい、と思う。
よって、何とも煮え切らないが、パイカルの返答としてはこうなる。

「嬉しい…と思います。おそらくは」
「だろ?」
「…」

明るい調子の仙太郎と、苦悩の表情をしつつもそう返事をするパイカル。
少年の反応を見て、シドはなるほど…と心の中で頷いた。
あのウァドエバー探偵卿にもらった食べ物など、怪し過ぎて口にできない。そんなことは、助手である彼が一番よく解っているはずだ。
それでも「嬉しい」のであれば、これは仙太郎の言う通り、「もらえれば嬉しい」か、若しくは「少なくとも嫌ではない」ということだ。
ならば、自分も友だちににプレゼントしてみる価値はある。


日本風の愛を込めて




軽い雑談をしてからその場を三方に散る。
その頃には、一部に妙な意欲を持たせていた。

(義理チョコ……日頃のお礼か…。イベントは嫌いそうだけど、ただお茶のタイミングで出す分にはいいかもしれない。カカオはポリフェノールやリグニンが含まれているし、一粒くらいならウァドエバーさんだって気まぐれで食べるかも…。用意してみようかな)
(要するに好物をやれって話だよな。チョコとプリンなら、アイツはプリンの方が――…お、そーだ。チョコプリンにすればいいんじゃないか? あまり日がないな。まずはある材料で適当に作ってみるか。その後に改良だな)

淡々と尊敬する上司がいるオフィスに戻る少年助手と、人がいなくなったところでパチンと陽気に指を鳴らしながらモナコへ帰国する青年執事。
焚き付けた仙太郎は、フランスのチョコを仕入れに街中へと繰り出した。

これが、バレンタイン数日前の出来事である。



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日記にアップしたバレンタインネタを今更持って来ました。
続きます。
2020.2.29





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