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クイーンのアジトである飛行船には、時計がない。
当たり前だ。世界中を飛び回っているのだから、日付だって時間だってその時々で違う。
かろうじて、タブレットを起動した時の時刻で、この場所で目を覚ましてから経過したおおよその時間が分かる。それによると、もう一日半もここにいることになる。
RDがネットワークを遮断してしまっているので、通信はできない。
ちなみに、待遇は上々だ。
元々クイーンは死傷を嫌うし、ゆっくりしていってくれ、という言葉通り、ぼくの船内での自由は保たれていた。
人工知能であるRDに図書室を案内してもらったり、ジョーカーにプリンをもらったりしながら、ぼくはできる限り船内を歩き回った。
歩幅と部屋の配置やシステムを覚えて、後で図面にするためだ。
RDから、船内にいる間は見られる図面データをもらえたけれど、ここを出たら削除されてしまうそうだから、自分で作っておきたい。
それから、ウァドエバーから盗んだものの調査。
けれど、そんなぼくの考えはこの船内にいる全員がお見通しらしい。それでも止めないということは、作成する図面にはあまり意味がないかもしれない。
それでも、何もせずにはいられない。
クイーンが人殺しをせず、僕が待遇の良い捕虜である以上は、ある一定の条件が揃ったらクイーンはぼくを"返す"つもりだということだ。
その条件が何であるかは分からないけれど、無事に返してくれることが前提にあるのなら、そんなに慌てなくても大丈夫だと判断した。
きっちり歩数を確認しながら船内を歩いていると、RDが「使ってください」とセグウェイのような小型移動機を貸してくれた。
本当に広くて様々な部屋があって、驚く。
"広くて"なんて表現では足りない。
一日中歩いても、徒歩だったら端から端にまでたどり着けないだろう。
船内のどこにいてもRDが把握しているから、遭難なんてことにはならないけれど、意図的に放置されたらそれだけで遭難死してもおかしくない。
船内には温室や豪華な食卓なんていうものは当たり前で、動物園もどきまである。
トレーニングルームで、ジョーカーに会った。
上半身裸で、滝のような汗が流れている。首にタオルをかけていた。
鍛錬された肉体はいかにも固そうで、格好いいなと思う。
クイーンもそうだけど、この人が、性格が悪くはなく好戦的ではない…というだけで、世界は随分救われているのかもしれない。

「時間があるなら、運動後にお茶にしようと思うけど…。一緒にどうかな?」
「ありがとうございます。ですが、ぼくはもう少し船内を調査します。ウァドエバーさんから盗まれたものを捜さないといけませんから」

互いの立場上、おかしな会話だなと思いながらもそう告げるとジョーカーは言いにくそうに続けた。

「クイーンの言葉は、真に受けない方がいいと思うよ」
「どういう意味ですか?」
「…。いずれ、きみのことは地上へ返すと思う。その時は、クイーンはきみの記憶の一部に暗示をかけるかもしれないし、あまり根詰めなくても――…」
[お話の最中ですが……、]

不意に、頭上からRDの声が響いた。

「国籍不明の戦闘機が一機、猛スピードで近づいてきています。ステルス機能やミサイルを持っているようですが、対応できますのでご心配なく。揺れは起こさせないつもりですが、念のため、お客様にはお部屋に戻っていただくのがいいと思います。」
「戦闘機? クイーンには?」
[伝え済みです。]
「ぼくに指示は?」
[ウェルカムパーティの準備をしているから、手伝いに来て欲しいそうです。ついでに、倉庫からクラッカー5本持って来てネ、と伝言を預かっています。]
「そんな暇はありません。自分で取ってきてください、と伝えてくれ。それで、接触はどこになりそうだ?」

RDに返しながら、廊下を駆け出すジョーカー。
咄嗟に、ぼくも追いかけた。全速力じゃないお陰で、何とかぼくもついて行ける速度だ。
付いて来たぼくを見て、振り返ったジョーカーが驚いた顔をする。

「きみは部屋にいた方がいい。危険だ」
「でもっ、きっと、ウァドエバーさんだと、思います…っ」

上がる呼吸で、何とか答える。
ぼくが攫われた日に予告状を出したのなら、ウァドエバーはクイーン側があの屋敷に来たことを知ったということだ。
テリトリーを侵されて、黙っているとは思えない。

「悪いけど、きみを返していいとは、まだ言われていないんだ」

残念そうに言うと、ジョーカーは走る速度を上げた。
加速した彼はあっという間に廊下を行き、曲がり角を曲がってしまう。とても追いつけない。
…けど。

「はあ…、はあ……」

一度足を止めて、両手を膝に添えて体を前へ屈める。
ぼくは運動が苦手だから、体力も低い。一応毎日鍛えているけれど、もう少しメニューを増やす必要がありそうだ。
反省しながら、目を伏せて、頭の中でこのトルバドゥールの船内図を展開する。
今自分がいるであろう場所、ジョーカーが向かった方向と、さっきの曲がり角が最短ルートで、今の状況で行く必要がある可能性が高く且つ向かえるであろう場所を絞る。

「揺れも、ないし…。着艦装置、みたいなのが…どこかに…」

息を切らせながら出した結論を信じて、下の階へ向かった。

 

 

 

この飛行船は、巨大すぎる。
一部の国が持つ航空母艦のように、小型飛行機を収めることなど簡単だ。
空母のような飛行甲板はないけれど、飛行船の一部をぱっくりと開ければ、その口に通常の小型機ならすっぽりと入る。
そこに、着艦装置……いや、着船装置?……があればいいだけだ。
下の階へ降りてそれらしき場所へ飛び込む。
ぼくがその場所へ着くと、既にジョーカーと対峙しているウァドエバーの姿があった。
ジョーカーの見えない拳や蹴りを、いつものスーツ姿のウァドエバーがステップを踏むように軽く後退しながらかわしている。
その傍では、ウァドエバーが乗ってきたであろう、小型戦闘機が着船していた。
ミサイルを放って穴を開ける…なんて着船の仕方ではなくてほっとした。
もっとも、RDだって飛行船に穴を開けるなんてされたくないだろう。
双方の利点を考えれば、素直に引き入れてしまった方がいいに決まっているから、不思議はないのだけれど。

「あ…」

入ってすぐのところにある手摺りに両手を添えて、遠巻きに動き続ける二人を見下ろす。
本当ならウァドエバーの名前を呼びたいところだけれど、彼の集中の邪魔になってはいけない。
ぼくは、黙って息を整えながら二人の様子を見ていた。
途中、ウァドエバーがくるりと体の向きを変えたおかげで、彼と目が合った。
避けるだけだったジョーカーの拳を右手の甲を当てて流しながら、ウァドエバーが言う。

「何をしている。来たまえ」
「はいっ」
「くそっ…!」

体勢を崩されたジョーカーが、拳を構え直す。
音もない代わりに風圧を生む彼の拳と蹴りを、ことごとく受け流しているウァドエバー。
ウァドエバーがジョーカーを傷つける気がないのなら彼の怪我をする心配はなさそうだけど、見ただけで戦闘力の差は大きく、ジョーカーが危険なことに変わりはない。
ジョーカーはクイーンの一味だから逮捕は免れないとしても、必要以上に痛めつけてほしくない。
はらはらしながら走るぼくの耳に、天井からRDの声が聞こえた。

[彼の乗ってきた戦闘機は飛行不能にしました。脱出は出来ませんよ。]
「ウァドエバーさん、戦闘機は飛行不能だそうです!」

すぐさま大きな声で伝える。
もう少しで二人の傍まで行けるというところで、ジョーカーとやりあったまま、ウァドエバーがさらりと言った。

「ふむ。では、そのまま飛び降りろ」
「な……」

ジョーカーが驚いた顔をするが、それを視界の端で捉えた時には、既にぼくの足は彼らの傍を通過して床を蹴っていた。
飛行船の最後尾にあたるであろうこの場所は、大した歩数を必要とせず、大きく開いたハッチに近づけば近づく程強くなる気圧の風に吸い込まれるように、天空へ飛び出す。

「…っ」

浮遊感。
俯せで飛び降りたつもりだけど、下からの風圧にバランスなど取れず、ぼくの体はあっさりと反転した。
仰向けになったところで、今飛び出してきた飛行船のハッチが見える。
ぼくを助けようとしてくれたのだろうか。片腕を伸ばしてぼくを見下ろしているジョーカーが見えた。
…が、その背中を、ウァドエバーが内側から情け容赦なく蹴り落とした。
ぼくと同じように、天空へ落ちるジョーカー。飛行船のどこからか素早く発射されるワイヤー。RDだろう。
ぼくと違って何だか慣れている彼は、顔を顰めるくらいですぐにポケットから手袋を取り出して装着すると、そのワイヤーを掴んだ。
掴んだ手から、摩擦による火花が散っている。
やがてワイヤーの先に足をかけたジョーカーは、落下が止まった。
彼の横を、ウァドエバーが通過して落ちてくる……というか、落下速度の速まる体勢で、進んで降りてくる。
長くて艶やかな黒い髪と黒い服。中性的な、文句の付けようのないスタイルと美貌。
ブラッククイーンだ。
その片腕が、ぼくへ伸ばされる。

「…っ」

咄嗟に伸ばした両手のうち、片手首を掴まれ、ぐいっと引っ張られた。
落下の最中で風圧に負けるぼくの体は、ブラッククイーンよりも上へ流れるが、腕力任せに引き戻される。
小脇に抱えられているんだか抱き締められているんだか分からないような格好で両腕の中に収まったぼくへ、ブラッククイーン……ウァドエバーが、美しくも怖ろしい顔と視線を向けた。
背中から流れる髪が、悪魔の翼みたいだ。

「こんなにもわたしの手を煩わせた助手は、きみが初めてだ」

耳を支配する美声。
ウァドエバーの声は聞こえるのに、自分の声は風に負けて響かない。

「すみ…すみませんっ…!」

物凄い風圧の中、叫ぶように謝る。
ウァドエバーが上空を見上げた。
落ち続けるぼくたちに平行するように、ワイヤーが伸びてくる。
ウァドエバーは、ぼくを片腕で抱いたまま、もう片方の手でワイヤーを掴んだ。
さっきのジョーカーと同じく、手元から火花が散る。
スピードが次第に緩み、ワイヤー先の足かけに片足をかけて止まった。
ワイヤーは、そのままゆっくり下降する。
ウァドエバーが、手元のワイヤーを見た。

「助手が世話になったようだな、RD」
[言っておきますが、わたしもジョーカーも、反対しました。]
「分かっているよ。わたしはジョーカーについては詳しくはないが、きみのことはヘタな人間よりも信用している。きみは、こんな馬鹿げたことをしないだろう」
[ご理解いただけて何よりです。このままお帰りください。クイーンももう満足したでしょうから。…しかし、]

ワイヤーの一部にはスピーカーが付いているようだ。
だけど、小さすぎてどこにあるのか分からない。
探していると、視線を感じた。見えないカメラも、どこかにありそうだ。

[いくら上司からの命令とは言え、あなたが迷いなく飛び降りたことに対して、ジョーカーはひどく驚いています。無事が確認できて安心しました。わたしも、驚きました。]

ぼくは首を傾げる。

「ウァドエバーさんが、飛び降りろと言ったので」
[普通は、躊躇するかと思いますが…。怖くはありませんでしたか?]
「恐怖心はありましたが、ウァドエバーさんの判断に従った方が、無事に脱出する確率が高いと考えただけです。ぼくが用意できた選択肢では、どれも脱出成功の確率が低かったので」
[…。]

世界一の人工知能から返事はなかった。
不思議に思っていると、話題を変えるようにウァドエバーがRDへ告げる。

「クイーンに伝言を頼まれてくれないか?」
[何と伝えますか?]
「『あいにく忙しい身でね。今後、わたしに対する予告状は最低三日前に頼む。…それから、近いうちにわたしも予告状を出すかもしれないが、きみは何日前までにに欲しいか、後で教えてくれないか』、とね」
[分かりました。]

地上が見えてきた。
都市は近くになさそうだ。深緑色の広大な森林と、茶色い岩肌。
街に戻るには少なくとも十数日はかかるだろう。せめて地形を覚えようと、周囲を見回す。

「もう十分だ。ここで降りよう」
[お気を付けて。]
「さようなら」
[また遊びに来てくださいね。]

遠慮します……という言葉は呑み込んだ。
短い挨拶を済ませて、ウァドエバーはぱっと片手を離す。
再び、体は落下した。
落下の途中で、ぼくは抱え直された。
体温が極端に奪われていた。寒すぎて震え出す体の接面と、風を受ける面積を最小限にと考えてくれたのだろう。腕の中で、少しだけ温かさを得られる。
地上はまだ遠いけれど、もうこの高さならパラシュートなしで安全に降りられる、という自信があるのだろう。本当にすごいと思う。
高層ビルの屋上からだって、ブラッククイーンは優雅に地上に着地できる。
まだお礼を言っていなかったことを思い出し、ぼくは口を開いた。

「ウァドエバーさん、ありがとうございます」
「とんだ災難だ。これだから、助手など持ちたくないのだ」

きっぱりと言い切るウァドエバー。僕はうなだれた。
これでまた、ぼくの連続失態記録が更新された。反論の余地はない。
黙り込んでから数秒後、ウァドエバーが眉を寄せた。

「だが…、わたしの油断もないとはいえない。あの屋敷はわたしなりに工夫を凝らしたつもりだが……やはり、ICPOの目は欺けても、RDを欺し切るのは無理なようだな。何か対抗措置を検討しよう」

そんな彼に、もっと残念な報告をしなければならない。

「一つ、ご報告があります」
「何だね。もう何を聞かされても驚けそうにないな」
「クイーンは、あの屋敷の中で、最も価値あるものを盗んだと言っていました。何かが盗難に遭っているかもしれません」

世界中で唯一無二の宝石か、美術品か。何にせよ、一大事だ。
ウァドエバーのコレクションだ。もしかしたら、入手ルート的に盗難届を出せないようなものかもしれないけれど、何が盗まれたのか確認した方がいいだろう。

「ほう…」

ウァドエバーは眉間に皺を寄せた。ものすごく不機嫌だ。
それはそうだろう。気に入っているコレクションが盗まれれば、誰だって怒る。

「クイーンが直接そう言ったのかね?」
「はい。盗難届が出せるものであれば、地上に戻ったらすぐに…」
「必要ない」

げんなりと発せられるその言葉に、疲労を感じ取る。
あの屋敷にいたのに、まんまとコレクションを盗まれ、同時に連れ去られるなんて使えない助手だ……とでも思っているのだろう。
その通りなので何も言えない。ぼくは項垂れた。

「それよりも、そろそろ無駄口は利かない方がいい。舌を噛みたくなければな」
「…はい」

返事を最後に、ぼくは黙った。
地上が近づいていた。
こんな速度で落下しているのだから、普通に考えれば間違いなく転落死だ。…いや、落下距離を考えれば、寧ろ爆死めいているかもしれない。
怖がってもよさそうだけれど、全く怖くない。
それは、安全性を確信しているからだ。

「わたしの管理下のものに手を出されるのは、気分が悪い。…さて。仕返しはどうしてやろう」

落下をしながら意地悪く微笑し、早速ウァドエバーがそう呟いた。

 

 

 

十数日後…。

「…あれ?」
「おはよう」

落下地点が南アメリカだったから、近くにあった都市に移った。
そこに設けた新しいベースに、朝起きるとジョーカーがいた。
何かの錯覚か夢の中かと思って目を擦ってみるけど、やっぱりそこに座っている。

「おはようございます。…どうしたんですか?」

彼がここにいる理由が分からずに尋ねると同時に、別室からウァドエバーが出て来て、ぼくに黒くて小さくて細長い、何かのキーを渡した。

「わたしは出掛けてくる。クイーンが来たら、彼を引き渡してやって構わない」
「何のキーですか?」
「彼の首に掛けてあるアクセサリーの解除キーだよ」

見れば、ジョーカーの首にはチョーカーのような装飾品が付いていた。
襟のあるチャイナ服と同色で目立たないけど。
…でも、ぼくが持っていたら、ジョーカーに簡単に奪われてしまうんじゃないだろうか。
そう思ったことが顔に出たのか、ウァドエバーは軽く片手を振った。

「外そうとすれば毒針が出て三秒もかからず命を落とす。彼の紳士的なところは、女子供に手を出さないということだ。きみが必死でそのキーを守れば、彼にはどうしようもない。また後で連絡する」
「逮捕はしないんですか?」
「あいにく、今日は休日でね。明日になったら考えよう」

そう言うと、彼はいつものように出ていってしまった。
毒針は本物かもしれないけれど、雑な拘束だ。
それに、大人しく座っているジョーカーも妙な気がする。
怪我もないみたいだし、無理矢理連れてこられたという感じではない。ウァドエバーがいなくなったから、すぐにぼくからキーを奪おうともしない。
残されたぼくは、暫く沈黙してからジョーカーを見た。

「…。朝食、一緒に食べますか?」
「いただこうかな。ありがとう」

青い目の青年は、こくりと小さく頷いた。

 

 

数時間後…。

「パンケーキ作るの上手いんだな」
「作り方は知っていましたが、実際にこの方法で作るのは初めてです。ぼくの知り合いにシドさんという方がいて、とてもお菓子づくりが上手なんです。彼にコツを教えてもらったのを、覚えていてよかったです」
「…そうなのか」

お茶の時間になって、ジョーカーと一緒にパンケーキを食べていると、テーブルの中央に突然カードが刺さった。

「…もうっ!そうやって、いつもわたしだけ仲間外れにして!!」

飛んできた方向を見れば、真っ赤なルージュを引いた黒衣の婦人が、不機嫌露わにホームの玄関に立っている。
見知らぬ訪問客に驚くこともなく、ジョーカーも不機嫌露わに彼女にため息を吐いて立ち上がる。

「自業自得ですよ。やり返すのは勝手ですが、助手の彼を率先して巻き込むのはどうかと思います」
「だって、そうじゃないと仕返しにならないじゃないか。だからってきみが盗まれてやる必要なんてないだろう。きみもRDも、わたしに冷たくて彼に甘いのはどうしてなんだい?」
「それはあなたが仕事をしないで日夜ごろごろ堕落し、ブラッククイーンが華麗に仕事を成し遂げているからですよ」
「わたしを駆り立てる宝がないんだよ」

細い指先を額に添え、軽く首を振る婦人。
彼女を無視して、ジョーカーはぼくへ向き直った。

「キーを貸してくれる? クイーンが来たから、ぼくは帰るよ」
「どうぞ」

そんな気がしていたぼくは、キーをジョーカーへ返した。
自分の首回りは見えないと思うけど、それでもジョーカーはすんなりとロックの場所へキーを添えた。数秒後、ピピ、という音を共にロックが解除される。
チョーカーをテーブルの上に置き、ジョーカーは悠々とドアの所へ立っている婦人のもとへと歩いて行く。
腕組みをして立っていた婦人は、ぱちんとぼくへウインクした。

「ジョーカーくんと遊んでくれてありがとう。またいつでも遊びにおいで。…あと、きみの上司に宜しく!」

投げキスをするクイーン。
次の瞬間、二人の姿は消えていた。
テーブルの上にある二人分の食器と首輪、黒いキー、輝く銀色のカードが、夢幻じゃないことを物語っている。

 

 

夕方になり、ウァドエバーが戻って来た。
テーブルの上の首輪とキー、刺さったままのクイーンのカードを見て、小さく息を吐いた。
深く刺さっていて取れなかったカードを難なく抜き取り、中央を真っ二つに破いてから、退屈そうに指先で首輪をくるりと回す。

「さて…。邪魔な荷物がなくなったところで移動するとしよう。明日ここを立つ。準備をしたまえ」

準備をするってことは、ぼくも付いていっていいということだ。
そして、ぼくは「邪魔な荷物」ではない、ということだろうか…?
ここ最近足手まといが続いていたから、てっきり暫くは同行はさせてもらえないどころか、今度はどこで、どれくらいの間じっとしていろと言われるかと思って、覚悟をしていた。
返事をしなかったのに違和感を持ったのか、ウァドエバーが不機嫌そうにぼくを振り返る。
片腕を伸ばし、片頬をうにょんと引っ張られた。

「…聞いていたかね?」
「ふぁい!」

遅れて敬礼すると、ぱっと指は離れた。
胸がドキドキして、同時にほっと落ち着いた。

 

今夜は早く寝よう。
きっと明日は早いから。
さっそく荷物をまとめるために、ぼくは部屋へ向かった。


最も価値ある




 



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今の所の、最も価値あるもの、はパイカル君ですという話。
ウァドエバーさん的には大変な不本意でしょうけれども。
知的で健気で可愛い助手君だもの、仕方がないよ。
2020.7.6





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