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「…」
「その間抜け面をどうにかしたまえ」

現地で買い付けたジープの後部座席に足を着け、更に後部の車体に腰掛けてまだ距離のあるキリンの群れを見ていた助手の顔が見るに堪えず、指先で眼鏡を持ち上げながら告げた。


After day




わたしの声に我に返ったと見えて、助手のパイカルが運転席に座るわたしの背へ視線を向けたのが分かった。
地平線まで広がるサバンナ。
ケニアで起こった一連のニニ騒動が落ち着き、結局あの獣はマライカのよきバディとなりつつあるらしい。
CIPOからの次の指令はまだない。
特に興味を注がれるものもない為、僅かながら時間の余裕ができ、仕方がないので当初の名目通り、見識の狭い助手に本物のキリンやライオンを見せてやることにしてやった。
「図鑑で生態は知っています」「サバンナの気候も把握しています」などと、ケニアに来る前はあまり興味がなかったようだが、いざ連れてきて群れの傍までジープを寄せてやれば、先程までの間抜け面でそれらを凝視していた。

「キリンって、本当に大きいんですね」
「当たり前だ。陸生ほ乳類の中で最も背が高い生物だからな」
「頭頂まで5.5mくらいなんですよね。肩の辺りが、確か3mくらいで…。本当に角がたくさんあるんだ。一対かと思ってた」
「図鑑で知っていたんだろう?」
「本物は…やっぱり迫力が違いますよ」

少々バツが悪そうに言って、パイカルが両手に持ったタブレットに思い出したように触れる。
カメラを向けていくつか画像を撮り、首から提げた双眼鏡で覗いたり、ペンで何かを書き記しているらしい。

「走らないかな…。確か、足も速いんですよね」
「脅かしてみれば走り出すだろうな」

そう言って何気に右腕を上げると、パイカルが声を上げた。

「可哀想ですよ!理由もなく脅かすなんて!」
「するわけないだろう」

ジョークを本気にする助手に、思わず眉を寄せる。
後ろを振り返りはしないので視覚的に見たわけではないが、それでも冗談だと分かるとほっと助手の雰囲気が緩んだ。
わたしもため息を吐いて、上げた片腕をそのままジープのボディにかける。

「キリンはそろそろいいだろう。次はライオンを探すとしよう」
「けど、ウァドエバーさん。肉食獣の傍に行くのは危険じゃないんですか?」
「パイカルくん。きみは、一体誰と一緒にいるつもりだね」

再び、指先で眼鏡を持ち上げる。
肉食獣如き、ほんの少し殺気を当ててやれば大人しくすることができる。
勿論、最初からそれでは自然の姿など見られないであろうから、最初は寧ろ気配を消しておくが、万一襲ってこようものなら、一瞬で"伏せ"くらいはさせられる。
非力で無能な助手の安全くらいは、保障できるつもりだ。

「尤も、きみが見たくないというのであれば、このまま町へ返ってもいいが」
「そりゃ興味はあります。見たい気持ちもありますけど…。ライオンが運良く見られても見られなくても、もう少しこの辺を見てみたいです。せっかく、ウァドエバーさんに連れてきてもらえたんですから。あなたが、"キリンや象を見ないで大人になってはいけない"って言っていた理由が、少し分かりました。…識っていることと体感していることって、全然違うんだなって」
「ふむ…」

静かに顎を引く。
そこを自ら気づける点が、愚か者でない証明ではある。
そう。いかに大学をスキップで出ようが、彼はわたしからしてみれば、まだまだ赤子同然だ。
手のかかる助手という荷物を抱え込まされ、動きにくいことといったらないが、向上心があることは良いことといえるだろう。

「可能な限り、ぼくの知識と経験にしたいと思います」
「なかなかいい心がけだな」

車のボディにかけていた腕を下ろし、エンジンをかける。
片腕を伸ばして助手席のシートを少し倒した。

「そろそろ移動するとしよう。そこにいると振り落ちるだろう。助手席にかけたまえ」
「はい」

タブレットを肩に提げているバッグに入れ、滑るようにパイカルが助手席へと移動して座る。
シートベルトをしたことを確認し、アクセルを踏む。
大型ではあるが、広大なサバンナから見たら、まるでオモチャのようなジープが走り出す。
乾いた砂を巻き上げながら、ライオンがいそうな方角へとハンドルを切りながら、ふと思い出して口を開く。

「そう言えば、きみは受け身が取れないのだったな」
「はい。この間は助かりました。ありがとうございます」
「練習でもしてみたらどうだね」

意地悪く言ってみると、パイカルがぐっと顔を顰めて肩を上げた。
しかし、「無理だ」と慌てて首を振るかと思いきや、助手席から車体の外を覗き込み、後ろへ流れゆく地面を見詰めたかと思うと、徐に荷物を肩から外し始める。

「…もう少し、スピードを落としてくれますか? …身体を、丸くするんでしたね」
「…。日が沈むまでに町に着きたい。練習は後日にしたまえ、時間が取られそうだ。まずは部屋のベッドででも転がる練習をするんだな」

予想に反してやる気であるようで、呆れてため息を吐いた。
わたしがそう返すと、パイカルもほっと胸をなで下ろしたようだ。
外側に乗り出していた身を、シートに改めて沈める。

「そうします」

その後、象の集団を観察し、チーターの狩りを観察できた。
ライオンのオスには会えなかったが、メスとライオンの子供を遠くから見ただけで、どうやら無能な助手には十分満足いく結果だったらしい。
太陽が地平線へと沈んでいく。
予定していたよりも、随分と遅い帰路となりそうだ。
空の端ではオレンジ色の太陽が沈みかけ、反対側の空では既に藍色の空に星が光り出す。

「わー…。きれいだ」

ジープの後ろへシートから顔を覗かせ、星空になりつつある空を見上げて、パイカルが言う。

「ウァドエバーさん、ありがとうございました。今日はとても勉強になりました。それに、とても楽しかったです。こんなにわくわくしたのは久し振りです」
「それは結構なことだな」
「事件が起きて、ライオンやキリンは、正直諦めていました」

それを聞いて、わたしはまた呆れてため息を吐いた。
…"象やライオンを見ないで大人になってはならない。"
確かに、わたしの中にコピーしたクイーンの思考がそう主張するが、しかし"わたし"にとっては、その発言は口実でしかなかった。
ICPOからニニ強奪を命じられていたから、現地に移動するための理由でしかない。
まさかパイカルくんも、本気でわたしが象やライオンやキリンを見たがっているとは思っていないであろうが、それを理由として信じる"振り"ができ、移動に反対するような真似はしない助手だ。
始めから、大した期待はしていなかっただろうが、実際にこうして連れて動物たちを観察できる時間が取れれば、思った以上に興味がわいたようだ。
ケニアを離れる前に、サバンナに来られてまあまあ良かったと、柄にもなく思ってしまう。

「明日、わたしはこの国を出るが、落ち着いたらまた連絡を入れる。きみはナイロビ博物館が直ったら、そこを見物してから来たまえ」
「ウァドエバーさんが出国するのなら、ぼくも出ます」

二つ返事に、思わず眉を寄せた。

「ケニアに来てから落ち着いた日がない。せっかくだから、観光でもしたまえ」
「サバンナが一番の観光地だと思います。十分できました」
「疲労がたまっているはずだが?」
「ウァドエバーさんがぼくを置いてクイーンを追って行った時からは、比較的ゆっくりできましたよ。それに、ぼくは助手です。雑務程度ならこなせる自信がありますし、近くにいられた方が、勉強になります」
「…」

横から視線が刺さる。
彼の方を見ず、頑なに正面を向きながら運転していたが、やがて目を伏せて眼鏡を指先で持ち上げた。
因みに、目を伏せていても、当然運転くらい容易い。
…人がせっかく、健康面を心配してやっているというのに。察しの悪い助手だ。

「…明日は随分早起きする羽目になるぞ」
「大丈夫です!飛行機の中で寝ます!」

ぐっと両手を握って気合いを入れる助手に呆れて、何度目かになるため息を吐く。
それならば、一刻一秒でも早く町へ戻るべきだと、アクセルを踏み込んだ。
砂煙が上がったのであろうが、日の落ちた大地ではもう星の明かり以外には何も見えない。
運転をしながら、上着を脱いで横に放る。

「気温が下がってきた。膝にかけたまえ」
「ありがとうございます」
「風邪をひかれたら、わたしの予定まで狂ってしまうからな」

突け放して言ったつもりが、わたしの顔を横から見ていたパイカルが、わたしの言葉が終わると微笑した。
その反応で自分の表情が柔らかくなっていたのだと気づき、意識して引き締める。
どうも最近、彼相手だと表情が緩む。
意味もなく、もう一段階アクセルを踏み込んだ。

「わっ…」

急に上がったスピードに、がくんとパイカルの身体がシートに沈み込む。
少し青い顔に、この速度が彼にとって恐怖であることを知る。
これはいい。少しは静かに運転できると思い、そのままの速度をキープして町へと走らせた。



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ケニア編その後。
パイカル君を連れて歩けることがもう羨ましい。
助手君は特別なウァドエバーさん。
2018.10.17





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