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「こっち寄こせェエエー!!」
「…!」

コートに響く"持ってこい"の声。
フェイント上げようと思っていた体が、直前でその声に引っ張られ、頭で考えるより早く筋肉が反応してしまう。

「っ…!」

体を捻って、多少無理な体勢で。
瞳孔鋭くボールを狙って突っ込んで来ていたリエーフに、あげた。
ボールは何とか上がって、スパイクが決まる。
…けど。
捻った体が、そのまま蹌踉けた。
傍にあったネットに右肩がかかって、まるで網にかかった魚みたいに体重がネットに乗る。

「…!」
「研磨!?」
「研磨!」
「…っ!」

そのままネット下に落ちる。
みんなの慌てた声が響く。
近くにいた福が腕を伸ばして飛び込んで来てくれたのが見えたけど、無理だと思う。
傾いて倒れる速度の中で、どーやって倒れたら一番負荷が少ないかな…と、のんびり考えていた。

 

 

 

「…平気か?」
「うん。ちょっと捻って倒れただけ。痛めてまではないから」

外の水道で足首に水をかけながら、心配そうな夜久に言う。
おれが倒れて、空かさず休憩が入った。
リエーフはクロと海に呼ばれて、部室の中だ。
緊急会議…てゆーか緊急説教。
夜久は、おれの付き添い。

「けど変な倒れ方だったからな。油断禁物」
「平気」
「平気じゃない!」
「…!」

夜久の大きな声に、ちょっとびっくりする。
…おこられた。
夜久は普段優しいけど、チーム内の誰かが怪我したり風邪ひいたりして、それでも部活やろうとすると人一倍怒る。
今は反論しない方が良さそうだなと思って、黙って水を当てている自分の足首を見下ろした。
おれが平気とか言わなくなったからか、中腰だった夜久が隣に屈む。

「さっきの呼び方はちょっと無茶だったな…。いいんだぞ、研磨。律儀に上げなくても。お前が考えて動いていいんだから。考えるのは"脳"の仕事だろ?」
「うん…。でも、さっきのはおれがダメだったと思う。リエーフに大きな声で言われたからって、無理にそっちに上げたのはおれだし」
「でもまあ…咄嗟に反応しちゃうよな。あんなに主張されちゃえば…」

ははは…と夜久が笑う。
…うん。
本当は上げる気なかったけど、"俺に寄こせ"とかあんなに強くいわれると…上げるのおれなのに、なんていうか…"引っ張られてしまう"…?
なんとなくそのまま黙っていると、夜久がおれの頭にぽんと片手を置いた。
その向こうで、部室のドアが開いて、クロと海が出てくる。

「おい、研磨。大丈夫か?」
「足首は痛めてない?」
「大丈夫。痛めてない」
「見せろ」

水道まで歩いてくる二人。
夜久がクロに場所を譲る。
クロは横に屈んでおれの足を流水の中から持ち上げた。
見て、触って、少し曲げたりされる間、じっとしていた。
…うん。平気。
何されても痛くない。
満足したのか、クロは溜息を吐いて肩を落とす。

「…平気そうだな」
「うん」
「コノヤロウ。呑まれてんじゃねーぞ」

片腕伸ばして、意地悪く笑いながらクロが頭をくしゃくしゃ撫でる。
擽ったさに首を縮めて頷いた。
おれの頭をぐしゃぐしゃにしてから、クロが立ち上がる。

「違和感あったらすぐ言えよ。…夜久。悪ぃがテーピング任せる」
「OK。任された」
「…」
「そこまですんの。念のため」

夜久に言われたから、じっと黙って思っているだけだったのに、言葉にしてない言葉に、クロが応えて俺を見下ろした。

「夜久が一番上手いからな。んで…リエーーフ!」
「ぅ、ウィッスッ!!」
「…」

ずっと立ってる海と今立ったクロの壁が出来てたからその先の景色が座ってるおれからは見えなかったけど、半歩身を引いたクロのお陰で部室の入口が見えた。
おれたちを遠巻きにして入口の所にいたらしいリエーフが、クロの声にビシッと背筋を伸ばす。
いつも猫背になってる背中がピンと伸びて、だから背が高すぎて、部室の出入り口より大きい。
片手を腰に添え、クロが少し低い声で告げた。
…微妙に怒ってるし。

「テーピング持って来い。ついでだ。勉強になるから夜久の見とけ」
「ウィッスッ!」

だっとリエーフが部室に飛び込んで戻る。
それを見て、クロは溜息を吐いた。
海は笑ってたけど、少しだけ困った顔してる。
…。

「…っしゃ。戻るか」
「だね。そろそろ片付けないと。…よかったね、大事なくて。研磨は片付けいいよ」
「マジ無理すんなよ、研磨」
「わかってる」

クロたちが体育館へ戻る。
その後ろ姿を見ていると、夜久がまたおれの隣に屈んで、苦笑した。

「クロ、怒ってんね」
「うん。機嫌悪い。…でも、悪いとしたら、おれのはずなのに」
「んー…いや…。ちょっと最近、リエーフは研磨を本気で呼びすぎかな。囮にしてもさ。俺らでもそう思うんだから、クロは耐えてる方だと思うよ」
「…?」
「テーピングっス!」

夜久の言っている意味が分からなくて聞き返そうとしてたのに、部室から小脇に部活の救急箱を抱えて勢いよく飛びだしたリエーフが、そのままの勢いでビャッ…!とおれたちの背後にやってきた。
背の高いリエーフの陰に入って、ふたりで彼を見上げる。
日陰になったせいか、ちょっと寒くなった。

 

 

 

夜久がリエーフにテーピングを教えながら、丁寧におれの足に処置してくれる。
てきぱきと手を動かし、五分も経たないうちにお手本のように巻かれた足首ができあがった。
痛くないけど、支えがあった方がいいってさ。
夜久は救急箱を戻してくると言って、部室の方へ歩いていく。
ふんふん頷いて夜久の手元を凝視していたリエーフだけど、処置が終わると、思い出したようにはっと顔を上げておれの隣に正座すると、こっちを直視した。
ただでさえ猫背が癖なのに、今日は更に丸まって、どことなくシュンとしてる。

「あ、あの…。すんません、研磨さん。転ばせちゃって、俺…」
「いいよ。無茶な体勢で上げたおれが悪いし。リエーフは悪くない」
「いやでも、ホントすんません!さっき、主将たちにも言われたんス。研磨さんのこと、呼びすぎだって」
「…」

きょとんとした。
夜久と同じこといってる。
クロたちも、そんなことで注意したのかな。
よく分からない。
それって、なにがダメなこと…?
スパイカーが"自分の所へ上げろ"とセッターに言うのは当然中の当然だ。
本命は元より、囮としても声を張って主張するべきだし、みんなそうしてるし、そうしないと相手も騙されない。

「…別に、悪いことじゃないと思うけど。それ」
「…!」

テーピングが巻かれた足を引き寄せて両手で抱きながら、そこに頭を寄せる。
隣で、きらんとリエーフの目が光った気がした。
横目でちらりと一瞥すると、やっぱりシュンとしてた双眸が輝いて、ぱあっと表情が明るくなっていた。

「ほ、ホントっスか…?」
「うん…」
「怒ってないスか?」
「おれは怒ってないよ」

リエーフは悪くない。
悪いのは、リエーフの声に引っ張られて、自分が考えていた相手じゃなく彼にボールを上げたおれだ。
リエーフが声を張ると、なんとなく、体がそっちに上げてしまう。
声が大きいとか、そういうのだけじゃなくて…なんか、よく分かんないけど。
引っ張られてしまう。
…なんとかしないとな、とは思ってる。

「…あの」
「…? なに?」

おれが怒っていないと分かってほっとしたのか、暫く嬉しそうな顔で沈黙していたリエーフは、少し小さな声でおれに問いかけた。
瞳が疼いているような、妙な好奇心が写っていた。
…変なの。
軽く首を傾げる。

「さっき、俺が叫んだ時……研磨さん、直前まで誰にあげようとしてたんですか?」
「え…?」
「トスっス。誰に上げようとしてました?」
「…。えーと…」

思い出してみる。
リエーフに呼ばれる前まで、おれ、誰に上げようかなと思ってたっけ…。
…んー。
顎を上げて、空を見ながら数秒、考える。
…えっと、確か――。

「…虎、かな」
「猛虎さんスか!!」
「…!」

勢いよく両手を前に着いて、リエーフがおれの方へ身を乗り出した。
びくっとして、おれは反対側に身を引く。
…え、なんでそんな喜ぶんだろ。
テンションに着いていけず、瞬く。

「うん…。たぶん」
「猛虎さん!…よーっし!よしよしっ!」
「…??」

右手を拳にしてガッツポーズを取るリエーフに、疑問符しか浮かばない。
全然、意味が分からない。
半眼で、じっと謎のテンションになっているリエーフを見上げる。

「…え、ていうかなに。なんでそんな嬉しそうなの?」
「え? だって、猛虎さんに勝ったじゃないっスか、俺。すげーっス!昇格っス!」
「…。なに言ってるか分かんない」
「俺、研磨さんのボール、全部欲しいんス。エースになるんで!あんまやると怒られちゃうっぽいスけど、そのうち――」
「…!」

リエーフがおれへ片手を伸ばす。
すごく…すごく自然に、片膝を抱いて丸まっていたおれの頭に手を添えた……瞬間。
ぞわっ…と、背筋が震えた。
手はすぐ離れる。
ぽんってした感じ。
撫でられたわけでもない。ちょっと触っただけ。
それなのに、ずぶりとその手が体の中に入ってくるような感覚だった。
…緩んでいた瞳孔を細め、肩が強張る。
嫌な汗を首に感じながら上目にリエーフを見ると、灰色の、楽しげに緩んだ瞳が、真っ直ぐおれを射抜いていた。
その後、にんまり無邪気に笑う。

「そのうち、俺の声しか聞こえなくしてやりますから」
「――」
「待っててくださいね!」

 

 

 

 

心臓がうるさい。
なんだろ、これ。
何がそう思わせるのか分からないけど、なんかすごく嫌な感じだ。
クロ…。
体育館に戻ると同時に、クロの姿を探す。
いなくて、少し焦って、体育倉庫の中を覗いたら背中が見えた。
一度足を止める。

「…」

止めて、何故か少し躊躇って、でも見慣れた背中に、たっと止めた足を動かして駆け寄った。
ジャージの後ろ姿に飛び込む。

「うおっ!」
「…」
「…あ?」

どんっと背の高い体が揺れる。
肩越しに真後ろを振り返ったクロが、その視界に俺の頭のてっぺん辺りを見つけて視線を下げる。
両手でジャージを掴んでじっとクロを見上げてから、赤い背中にぴとっと額をくっつけてじっとした。
…。

「…。何だ、研磨。どした?」
「…」
「足、痛むのか?」

違うから首を振る。
振って、また額をクロの背中に押しつけ、じっとする。
クロは溜息を吐いて、おれを背中にくっつけたまま移動して、持っていた何本かのフラッグを丸めて指定の位置に戻した。
フラッグを仕舞い終わってから、ようやく後ろ手におれの頭に片手を置く。
ふわ…とした。
いつものように。
…けど、なんかまだちょっと寒い。
何でだろう。
体の内側が、凍ったみたいに寒い。
二度三度撫でられても、まだ寒い。
備品を片付けるため、もそもそ倉庫内を歩くクロにそのままくっついてく。

「…」
「どした。何かあったか?」

無言で一度クロをちらりと見上げてから、視線を下げる。
目の前のクロのジャージの目を見つめて数秒考えて、またクロを見上げた。

「…。クロ」
「だから何だよ」
「クロってなんであったかいの?」
「…。悪ぃ…。何の話だ?」

自分でもよく分かっていないのだから、聞いているクロなんて意味不明だろう。
答えるのは難しそうだから、その選択は早々と諦める。
…そう思ってたのに、クロは倉庫の入口に爪先を向けて歩きながらさらりと続けた。

「よく分かんねーけど…。何であったけーかっつーと人間で生きてるからだな。ついでに運動後だ」
「おれも生きてるし運動後だし、リエーフとかも生きてて運動後なのに?」
「あん? …ああ。精神論…つーか、そっち系の話か? …そりゃ、俺がお前にとって特別だからだろ」
「…」
「何だ。もしかして、今"寒い"のか?」

倉庫から出ようとしていた足を止め、クロが背中にくっついてる俺をふりかえってにやっと笑う。
そんなクロを数秒呆けて見上げていると、ぐわっと腕が肩に回って片腕で勢いよく抱き締められた。
反対の手で髪をぐちゃぐちゃに撫でられる。
クロは、時々とても嬉しそうにおれにじゃれついてくる。

「構って欲しいってか? どーした。珍しいこと考えてんなー」
「…うーん」
「んじゃー今日は土手無しな。ウチ来い。直帰して久し振りにやるか」
「えー…」

半眼で少し批判がましい声を出してみる。
今ちょっと論点がずれた気がするし、合ってる気もする…。
そーなのかな…。
よく分かんないけど、普段通りのクロを見て、段々落ち着いてきた。
クロが普通だから、段々体の内側が寒いのとか、大したことがない気がしてくる。
…けど、なんかやっぱり、芯が冷えてる。
あっためて欲しい。
頭撫でてくれるのでもいいし家帰って遊ぶのもいいけど、今すぐ手早くあったかくなる方法を、おれは知ってる。
いつもは嫌いだけど、今はそうしたい。

「…。クロ」
「何」
「口開けて」
「は? 口ぃ?」
「あー」
「あー……っ!」

おれにつられて無造作にクロが口を開ける。
その襟首に両手を伸ばして下に引っ張って、近づいた顔にキスをする。
した瞬間、ぴくっとクロが強張ったのが触れている唇で分かった。
数秒後。
合わせたまま少し角度を変えて、おれの頭の後ろを片手で押さえて、ぐっとクロから押してくる。
学校ではしない約束だった気がするけど、ディープになって困った。
止めど頃を失ってどうしようかと思った頃に、いつの間にか倉庫入り口にいた夜久が、無表情に近くにあったボールカゴをわざと倒して…。
それでクロも止めてくれた。

けほけほおれが咳をしている間、クロは一足先に、夜久に終わりのレギュラーミーティングに引っ張っていかれた。
ちょっと連行気味だった。

指先の選択




おれはクロが好き。
クロから離れたくない。
離れたくないのに――。

「俺にッ、上げろォオオッ!!」
「…」

日に日に。
耳が、リエーフの声を、どんどん拾うようになる。
…うーん。
どうしよう。
重みを感じる暇もないくらいの短い時間で道をつくったボールが、ぽーん…と一直線に上がるのを、遠い感じで見送る。
吸い込まれるように、ボールはリエーフの所へ行く。
…。
ああ、ほんと…。
どうしよう――。

そう思いながらも、また腕が、指が、声に引っ張られて曲がる。
高く上がるおれのボールは、またリエーフがネットの向こうに叩き落とした。



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横やり入れられまくり。
研磨君、芯あるけど真っ白だから漂白されやすそう。
でもリエーフ、クロさんには敵わないで欲しいです。
2014.9.2





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