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11月16日。
何てことのない平日。
まだ時間があるからと、軽い筋トレの後に机で参考書開いたのがマズかった。


Your Color:B




明日は11月17日。
所謂俺の誕生日というやつで。
晩飯を食い終わった頃に母親に、明日のメニューは何がいいかとか、ケーキはどこのものがいいかとか、それとも作るかなど、そういう慣例的なことを聞かれて律儀に答えた挙げ句部屋に戻る。
ぶっちゃけケーキはどうでもいいし、どこでもいいよと返したから結局お袋の好きな店のものか、お袋が好きなケーキを焼くだろう。
甘味は嫌いなわけじゃないが、それよりもやっぱりメシの方が重要で、明日はすんばらしーお膳のような凝った和食を要求しておいた。
毎年のことながら、お袋が批難めいた声をあげていたが、そこは息子として甘えとく。
どっちかっつーと洋食よりも和食の方が好きで、そんで和食ってもんはガチで作ろうとすると相当面倒臭い。
「たまには分かりやすく手軽に高級店でステーキ食わせろとか言い出しなさいよ」と鬱陶しそうに言っていたが、まあいいだろう。
何気にウチのおかんは料理の工程に、ぎゃあぎゃあ言いながら騒がしく楽しむタイプだ。
…いや、明日といっても既にあと二時間ちょっと。
明日というのは、要するに今日の終わりの午後24時を差していて、その境界線をすげー楽しみにしていたわけだが…。

――ヴーヴー…。

「…あん?」

片手にペンを持ってやたら足止めくらっている数式解いていた机の端の方で、投げやりにおいていた携帯が光る。
…誰だよ。
数式がいい流れで解けないこともあり、苛っとしながらサブディスプレイの名前をみると、"研磨"と表示されていて、ぎょっとしてベッドヘッドにある目覚まし時計を振り返った。
――11:57。
時間の境界線ギリギリ。

「うお…。やべー。トンでた」

自分の集中力を褒め称えつつ、胸の前に下がっていたイヤホンのコードを雑に引っ張って耳から引っこ抜き、携帯を取る。
用済みとばかりにペンを放って、イスの背もたれに背を預ける。

「…よう、研磨」
『うん』
「ギリの電話じゃん?」
『そっちも出るの遅かったよ。携帯、携帯してる?』
「してるけど音楽聞いてた」
『意味ない』
「意味ある。バイブという偉大な意味が」
『流れおかしい』

笑いながら言うと、研磨は「気付けてよかったね」といつもの調子で淡々と告げた。
イスから立ち上がって窓辺に向かい、閉じてあるカーテンを引くと、夜の闇の向こうに隣の家の二階の電気が着いている。
研磨の部屋だ。
…が、電気は着いているもののカーテンは開けていないから、ぼんやりとした灯りが見えるだけだ。
時間ギリギリだったせいで、挨拶程度の会話をしている間に時間の境界線が来る。
時計が「0:00」を差したところで、研磨がぽつりと呟いた。

『誕生日おめでとう、クロ』
「ウィー。どもー」
『どういたしまして』
「先輩って呼んで」
『先輩』
「それでおめでとっつって」
『クロ先輩おめでと』
「もっと可愛く愛情を込めて」
『…浪人すればいいのに』
「おいコラ止めろ。マジで考える時あんだから誘惑禁止」

窓際から離れて、サイドイスに座り直し、足を組んでだらっとする。
研磨の、ぽつぽつ喋る感じは通話ごしだと妙に耳がくすぐったい。

「お前明日…つーかもう今日か。俺んち泊まりだからな」
『わかってるよ…』
「ウェーイ。俺優先ー」
『いつもクロのすきにしてるじゃん』
「あ、テメー分かってねえな。この俺の日々の優しさを」
『じゃあ今日は優しくないんだ?』
「そ。多少鬼畜が入るの」
『やだよ』

とりとめのない、気疲れしない数分間の会話。
すっかりリラックスしてつらつら喋り、だがいつも十二時ちょい過ぎには寝る研磨のこと。
ぼちぼち止めるかと会話の締めどころを探っていると、珍しく研磨から一球、話を投げてくる。

『…あのさ。クロ』
「ん? 何」
『今目の前に、何か書くものある?』
「書くもの?」

咄嗟に自分の手元を見下ろす。
イスにふんぞり返って通話していたわけだが、丁度伸ばした左腕の掌が机の上のノートを触っていた。

「まあ、あるっちゃあるが?」
『じゃあね、今からなぞなぞだすから、解いて』
「…。は?」

なぞなぞ?
おいおい、どうした。

『正の整数nを使って、n²+4nと表せる数のうち…』
「ちょっと待てーい。なぞなぞかそれ?」

クレーム着けながら掴んだペンで聞いた式を書き殴っていく。
終わりまで聞いたが、書き写した最初の方が怪しかったんで、もう一度頭から研磨に告げてもらおうと、それはどこをどう見ようが数学問題だった。
反射的に、携帯左手に持ったまま取りかかる。
Q:正の整数nを用いてn²+4nと表せる数のうち、10000との差の絶対値が最も小さいものを求めよ。

「何だよオイ…。解けってか?」
『そう。答え分かったら、おばさんに言ってみて』
「あ?」
『がんばってね。…じゃ、一旦切る』
「おい」

プツ…と容赦なく切れる通話。
携帯を耳元から離し、思わずまじまじと凝視してしまう。
…どうした。今年は変化球で来たぞ。
ヴーヴーと引き続きチームメイトやらクラスメイトからのハピバメールっぽいのを受信しつつ、予想外の研磨の行動に妙に落ち着かないものを感じながら、改めて問題に向き直る。
難易度がそれほど高くないのは、妙な直感で分かる。
寧ろ優しいくらいだ。
が、いつもやっているレベルの数学から極端に下がるとそれはそれで何故か一瞬解き方を忘れる。
n²+4nがー…まあ普通に(n+2)²-4だろ?
んで、0とnの間にmでも用意して、あとは……ああ、10000が100の二乗か。
そんじゃそのまままとめりゃいいか…。
…ああ何だ。簡単じゃん。

「…。…よし」

カリカリと文字を刻んで、最後に出てきた数字を丸で囲んで、携帯をポケットに押し込みながら席を立つ。
部屋から出て階段を下りていき、お袋を探すとまだリビングでテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
テーブルの上にある小皿の中に柿ピーが広がっているのを見、近寄りつつ横から少量を抓んで自分の左掌へ移し、少し頬張りながら尋ねる。

「なあ。研磨から何か言われてる?」
「言われてる言われてる。合い言葉でしょ?」
「"98"?」
「ぶっぶー!」
「あ? …いや何でだよ。合ってんだろ。98」
「全然違うわよ。研磨くんから聞いたの、四桁だけど?」
「は?」

四桁?
何だそれ。何でだ?
…いや、間違ってねえし。
n=99だといきすぎだし絶対ェ98で合って…。
…と、そこではたと気付く。
あれか。nの数じゃなくてトータルでって話か。
ぽん…と古典的に柿ピー持ってる左手の手首を受け皿に、右手でそこを打つ。

「分かった。"9996"だろ」
「当たり~!そうそう、それそれ」

パチパチと馬鹿にしたような数回拍手した後、お袋はソファを立ち上がって台所の方へ向かった。
冷蔵庫から、簡素にラッピングされた大福をひとつ持ってくる。
透明な包装紙に店名は無いが、牛皮んとこに直接焼き型着けられてる店名は、間違いなく俺が気に入っている和菓子屋のものだった。

「おおー。塩大福ー」
「ちゃんとお礼言いなさいよ?」

掌に残っていた柿ピーを一気に口に入れて、両手を空にした状態でちょこんとラッピングされた大福を受け取る。
妙に楽しそうに笑っているお袋に「茶ぁ淹れて」と強請りつつ、ソファに腰を下ろすと携帯を取り出してボタンを押し、耳に構える。
呼び出し音が一回なり終わった直後に、すぐに研磨が出た。

「よう」
『解けた?』
「解けた。大福サンキュー」
『うん。…おばさんに、付き合ってくれてありがとって言っといて』

携帯を少し耳から離し、首を伸ばしてキッチンの方を振り返る。

「研磨が付き合ってくれてサンキューだとよ」
「いえいえ、どういたしまして。気にしなくていいのよって言っといてね。私も面白かったから」
「面白かったから気にしてねーよってさ」
『よかった』
「しかしお前、ちょっと珍しいことしたな」

研磨と話している傍ら、お袋が茶と夜食用のおにぎり二つ乗せたトレイを横からテーブルの上に置き、トレイを指先でちょんちょんと二回突いてからひらひら手を振った。
寝るからねの合図に軽く片手を上げ、お袋はやっぱりどこか楽しそうにリビングを出て行く。
携帯の向こうでも、研磨が欠伸を交えていた。

『うん。…この間、誕生日びっくりしたから。おれも変なのやろうと思った』
「誰の原案だ、これ。誰かに相談しただろ」
『翔陽』
「ほー。相変わらず仲が宜しいこって…」
『翔陽におめでとうって言われた』
「何でお前におめでとうなんだよ。俺に言えよ」
『知らない。…あと』
「ん?」
『あと、クロんちの玄関の外に、猫がいるから。気が向いたら拾ってあげて』
「…猫?」
『うん。…でもごめん。眠いから、おれそろそろ寝るね』
「あ? …ああ、おう。そうだな。悪いな、大福。サンキュ」
『うん。…クロ、もう寝る?』
「いや。もうちょっと勉強すっかなとかは思ってる。…まあ、キリのいいとこで寝るが」
『ふーん。…じゃ、頑張ってね。おやすみ』
「へーい。おやすみー。…つかお前、今日とかマジガチでたぁーっぷり熟睡しとけよ?」
『もう時間的にたっぷりは無理だと思う』
「寝落ちしたら泣き起こすかんな」
『やだよ』

間延びした声に笑って通話を切り、携帯をポケットにしまい込む。
袋をあけつつあった大福を一度テーブルの上に置くと、再びソファを立った。
猫…か。
最初研磨がいるんじゃねーかとか思ってぎょっとしたら、おやすみとくればそうじゃないらしい。
…て、それは夢見過ぎか。
それ以前に、もう夜は相当冷えるわけで、しかも真夜中。
これで万一玄関前に待ってたりしたら説教だ。
真っ直ぐ玄関に行って、サンダルに雑に爪先を通し、鍵の閉めてある玄関を内側から解除してあける…と。

「…ん?」

足下に、包装された小さな袋が置いてあった。

「これか。…何だ?」

やけに可愛い包装紙は、駅ビルん中で見かける雑貨屋のものだ。
掬い上げるように拾い、軽く振ってみるとカシャカシャ音がするが割れ物じゃなさそうだ。
その場で封を切ろうと指先を折り目の横から差し込んでいると…。


「――…ヘブシュ!」

「…」

くしゃみが門の方から聞こえて固まる。
…。
…おい。コラ。
手元の包装紙の封を切るのを一度止めて、門前までの数歩分を歩いて進む。
俺の腰あたりまでしかないお飾りみたいな黒い門に両腕をかけ、ひょいと上半身を門の向こうに出した。
…案の定、俺んちの表札んところに背を預け、研磨がジャージの上からパーカーを羽織るだけの寒そうな格好で立っていた。
片手を口に添えて壁寄りかかったまま首だけそっぽを向いているが、今更その抵抗に何ら意味はないからな。
じと目で、反らされた横顔を睨む。

「…」
「…」
「コラ」
「…いたいよ」

数秒の沈黙の後、のろのろ片腕のばし、むにゅ…とその頬を軽く抓むと、やる気無いクレームが付く。
十一月の真夜中なんて普通に寒い。
そんで研磨は寒がりだ。
更に言うと簡単に風邪をひく。
「外に出る時はあったかい格好してろ」…てのは、毎年俺が口を酸っぱくして言っていることで、目の前で寒いと肩を上げられて震えられるとこっちの気が散って、気になって気になって仕方がない。
深々と溜息を吐いて、前屈みになっていた背を戻すと、寄りかかっていた門の片方を開けて一歩だけ外へ踏み出し、腕を伸ばして研磨の頭を片手で軽く叩くように鷲掴んだ。
髪が既に冷気を持っていて冷たい。

「何やってんだ馬鹿。…オラ、入れ」
「置いてはみたけど、なんか…クロ一歩目で踏みそうかなって」

俺の手に押されるように研磨が門の内側に入る。
再び締めて鍵をかけ、玄関へ連れ戻る。

「隠れるくらいだったら置かねーで持って待ってりゃいいだろ。…髪とか既にスゲー冷てェじゃん。何分前からいたんだお前」
「クロに電話かけた時に、それ置いた」
「はあ? んじゃお前、部屋にいなかったんかい」
「いなかった」
「オイコラ省エネ。騙された。…つか寒ぃだろーが」
「うん。寒い。…息白い」

はー…と研磨が息を吐く。
暗闇なら見えないんだろうが、生憎玄関下じゃ照明があるせいでその息が白い色を持っているのが見てとれた。
息を吐いた後で、思い出したように俺を見上げる。

「誕生日。おめでとう、クロ」
「おう」
「夜とか、寒いね」
「だったら外いんじゃねーよ」

じゃれつく時のように片腕で横歩く研磨の首を抱いて引き寄せつつ、右手でドアノブを開けた。

 

 

 

 

「おらよ、半分」

テレビも消えた静かなリビングで、半分にした大福を差し出すと、ソファに座った研磨は少し意外そうな顔で俺を見上げた。
ん、ともう一度持っている大福を突き付ける。

「夜食」
「え…。なんで。いいよ」
「俺の割った大福が食えねーってのかー?」
「おれがあげたんだけど」

冗談めいて言うと、研磨は少し迷った後に掌半分袖で隠れてる両手で受け取った。
ちょこんと触れた指先が氷のように冷たい。
呆れながら、俺も隣に座る。
テーブルの上にある、多少温くなったお茶を研磨の方にスライドさせた。

「飲め」
「…」

ごり押し気味で促すと、大福ん時と同じように、ちらりと湯飲みを一瞥する。
勝手に飲むまで放置しておくことを決め、ソファの背もたれに沈むとさっき玄関に置いてあった小さな包装紙を持ち上げて天井に掲げた。
照明で逆光になる。
これまた冷えている包装紙の中が、うっすら見えた。

「開けていーか?」
「…いいよ」

もう片方の手で持っていた大福の半分を前歯で挟み、そのままもごもご食い進めながら膝の上に下ろして袋を空ける。
中から出てきたのは、携帯のストラップだった。
小さめだが、体を低くして、ぐーっと背を伸ばしてるシルエットだけの黒い猫が着いている。
なるほど。
玄関前の"猫"…ね。

「おー。ストラップじゃん」
「そう」

…ああ、この黒猫、木でできてんな。
質感そんな感じだ。
そっこまで女女してないが、とはいえストレートに男物ではないだろう。
研磨のチョイスは常々どこか微妙に間延びしている。
これとか、露骨に研磨っぽい。
しかも猫。
ますます研磨だ。

「ケースくれたから。おれも携帯関係にしようと思った」
「ほほー」
「なんか、その猫"クロ"って名前っぽいから。名前がわり」
「あー。確かに。絶対ェこいつ名前クロだな」
「うん。…でも」

指先で抓んでぷらりと垂れ下がっている猫のストラップを見上げつつ、横目でちらりと研磨を見る。
冷えた手で大切そうに半分の大福を両手で持ちながら、研磨も同じように宙にぶら下がってる猫を見上げていた。
自信なさげに、脱力気味に。

「クロが持つにはちょっと違うかなって、今思ってる」
「何で。いいじゃん。お前からっぽくて」

言うと、ちら…と俺を見た。

「そう? …おれっぽいかな。どこが」
「チョイスが。そんなもんだろ、プレゼントとか」
「ふーん…。…ていうか」
「何」
「ほんとは、ちょっと狙った」
「何を?」
「おれが買いそうで、クロじゃ買わなそうな携帯関係」
「俺色的な?」
「おれ色的な」
「ほー。そりゃ嬉しー」
「…うん。まあ」
「サンキュ」

頭を撫でる。
俺が撫でやすいように顎を引いて大人しく撫でられてる研磨を見てると、すげー癒される。
こしょこしょ片耳の上んところを指で擽ってから、早速携帯に着けようと手を離した。

「…携帯の穴ってドコにあんだっけ?」

ストラップとか何にも着けてねーから日頃気にしてねえし。
ポケットから携帯を取りだして側面見回すと、折り畳んだ状態で上の方に通し穴を見つけた。
穴に通そうとする…が。
…何だこれ、入らん。
何度か挑戦するが、無理っぽい。

「…んだこれ。入んねー」
「貸して」

もくもく大福をかじっていた研磨が、横から手を伸ばす。
預けると、膝上に置いて、微妙に粉着いた指先で器用に通し穴に紐のところを通した。

「できた」
「おー。すげーじゃん」

ぷらりと携帯に垂れ下がった黒猫が宙を泳ぐ。
…が、その黒猫はというと、大福食ってた研磨のおかげで白い粉が微妙に着いている。
受け取って、俺が片手で裏表したりしている間にそれに気付いたらしく、自分の指先に着いてた粉を今頃舐め始めた。

「別にすごくない。たぶん、クロとか手が大きいから」
「やっぱ大きいかね?」
「大きいよ」
「ん」
「ん」

携帯を膝の上に置き、右手を開いて掌向けると、研磨も伸びてる袖を手首まで一度下げて、無造作に左手を寄こした。
ぺたりと合わせる掌が、やっぱりだいぶ違う。
関節半分違う。
唾液で濡れたばかりの細くて白い指。
掌は冷たくて、だが濡れたとこだけ熱く滑る。
…。

「…ほら。一回りちが――!」

タイミングを計って何となく見ていたが、研磨が唇開けて上を見上げた瞬間、不意を突いて合わせていた手をそのままぐっと押し込み指を絡ませた。
肩を抱きつつ、上からのし掛かるような多少勢い付いたキスをする。
あっさりキスに押し倒され、軽い身体がソファに落ちる。
特に乗り上げるでもなく、両足下ろしたまま二人してぱたりと上半身横倒しだ。
乗り上げないだけマシだと思うが、動きずらそうに研磨が身動ぎし、濡れた細い指でもぎゅっと俺の顔を押し退ける。
顔面押し退けてくるその指の一つをうまく咥え、濡れてる場所を選んで軽く噛んでやる。
甘い。
風呂っぽい匂いがする。
ボディソープとか、何かそんなん。

「…重いよ」
「今日は俺優先だろ?」
「今日の夜の話じゃん」
「今日の夜ですけど?」
「次の夜のこと。…だめだよ。家、鍵かけて出て来なかったから。帰らないと」
「うーわ…。締めてこいよそこはよー」

寧ろ何故最初から様子見スタンスで来た。
泊まる気で来いっつーの。
ぐったり研磨の肩上に顔を埋めながら呻くと、研磨が、だって…と続ける。

「だって、勉強するって言ってた」
「そーだなー。お前がクシャミしなけりゃしてただろーなー」
「しないの?」
「シていいの?」
「違う。勉強」
「あー。もう今日は捨て」
「あっそう」
「そ。捨て捨て」
「ふーん。…。じゃあ、一緒に寝ようかな…」

俺の顔を押し退けるのを止めて、目を伏せてうとうとしだす。
崩れてる前髪に指をかけ、そのまま耳にかけてやると気持ちよさそうな顔で顎を引いた。
元々寒かったんだろうし、温かい場所に来たせいですっかりリラックスモードだ。
…眠そうだなと思って時計を見ると、何だかんだでもう一時近い。
俺からすれば"まだ一時"だが、早寝で寝るの好きな研磨にこの時間は辛いだろう。
あと、ぶっちゃけ今日は早寝していただかないと俺が割を食う。
このまま部屋に持ち帰りたいところだが、流石に研磨んちの玄関の鍵が開きっぱなしというのはいただけない。
この辺はガッツリ住宅地なんでそこまで不穏な事件は聞かないが、かといって不用心は不用心だ。

「どうする。泊まるなら俺がお前んちの鍵かけてきてやるけど?」
「んー…。泊まる…。帰るの面倒臭い。外出たくない」
「つーか眠いんだろ」
「うん、眠い…」
「んじゃ軽く寝てろ。鍵かけてきてやる。…電気は?」
「部屋に人いなくなって十五分したら勝手に消えるから、たぶんもう消えてる」
「おばさんの携帯に俺んち来てるってメール入れとけよ?」
「んー」
「戻ったら部屋までは歩けよな。じゃねーとお姫様抱っこになるぞ」
「なんで。そこおんぶでいいじゃん」
「やだね。お姫様抱っこ限定」
「ぜったいやだ…。前そのままベッドに投げられてびっくりした…」
「あれが一番投げやすい抱き方だかんなー」

目を擦りながらぼんやり上の空で答えてくる研磨に、軽く溜息を吐いて上から退く。
上半身を起こすと、そのまま携帯をポケットに入れて立ち上がる。
腕を伸ばして無遠慮に横たわっている研磨のパーカーポケットに手を入れて、孤爪宅の玄関の鍵を借り、上からくしゃくしゃとパサパサ微妙に傷んでる髪を撫でる。
それから、気持ちよさそうにうとうとしてる口元に、人差し指一本むぎゅっと押しつける。
鬱陶しそうにぼんやり目を開けた研磨に、素直に強請っておく。

「今日はやんねーから、指キスして」
「…えー」
「ほら、お舐め。エロっぽく」
「…キスだよね?」
「やっぱ指フェラ」
「やだ。キスだけ」

差し出された俺の指に、ちゅ…と研磨がキスをする。
すぐに唇を離すくせに、離すときにちらりとこっちの様子を窺う上目がぐっとくる…が。
今から始めると先が長くなる。
…せっかく鍵閉め行こうと立ち上がったわけだが、再度膝を折ってソファの前に屈んだ。
研磨の頭を片腕で大切に抱いて、額を添える。
また鬱陶しそうな声。

「…今度はなに?」
「好きっつって」

すげー小声でドストレートに言うと、研磨が少し意外そうな顔をする。
…そんな意外かねえ?
なんならもっと頻度高くても全然いいんですよ、俺的には。
一日三回は言わせたいし、最低二回はキスしたい。
いつもフツーでいるのは、ただ単にカッコつけてるだけだ。そんなもんだろ。
だが今日くらいはいいだろう。
何てったって、今日一日は俺優先。
とことん甘えまくる。
付き合いだしたのは去年だが、引っ付き症はその前からだ。
毎年のことながら、早速一日限定の引っ付き症が発病する俺に小さく溜息を吐きながら、研磨が首のところに頬を寄せてきた。
ふわっと研磨の匂いが鼻孔を擽る。

「…クロすき」
「んー」
「すきだから鍵よろしく」
「…パシリか」

結局、一度キスをしてから改めて立ち上がった。

 

 

 

 

寒空の下に出る。
気弱そうな玄関照明の灯りと門を出て、たった数歩分隣にある研磨の家に向かった。
一人になって、何となく携帯を取り出して月にそれを掲げる。
チャリ…と微かな音を立てながら宙を泳ぐ黒猫。
…いつも大体は一緒にいる身だ。
俺に隠れて買うのはなかなかタイミング難しかっただろうと思うと、顔も緩む。

「…明日、連中に自慢して歩いてやるか」

吹き出すように呟く。
朝練で部員らに声高々に言い触らす自分とか、想像に易すぎてウケる。

くすぐったいものを感じながら、改めて携帯と鍵をポケットにしまうと、軽い足取りで家に戻った。



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黒さんのお誕生日小説。
完全に気を許している研磨君の素は本当に可愛いんだと思います。
らぶらぶー。
2014.11.16





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