寒い時間に外出るのやだし、人混みの中に入りたくなくて、午前中ギリギリのお昼の時間を狙って行った。
それでもやっぱり寒くて、コートを着てマフラーをして、厚着して慣れない駅で降りる。
途中何度か面倒臭くなって帰りたくなったけど、何とか辿り着いて校門をくぐり、目の前のそこそこ大きな掲示板を眺める。
もう人混みはなかった。
何の感動もなく印刷されたたくさんの四桁の番号。
覚えてきた自分の番号をその中に見つけて、うん…と一人で呟いた。
…よかった。
絶対大丈夫だろうって言われていたし、自分であんまり気にしてなかったけど、やっぱりこうやってちゃんと安心できた。
書類を受け取って帰る。
十二時半頃になって、クロからメールが来た。
――『どうだった?』
一度足を止めて、今歩いてきた道を振り返る。
少し離れた場所に、今出てきた校舎が見えた。
都立音駒高等学校。
「…」
ちょっと驚かせてみようかな。
いつもは気付けばすぐに返信するメールを無視して、ポケットにしまう。
冬。二月上旬。
母さんがどうしても抜けられない用事があってごめんねって、おれ一人で志望校の合格発表を見に来た。
元々何で母さんが同行したがってたのかもよく分からないし、やだったし、寧ろ気が楽でよかった。
メール無視して帰ったら、夕方…ていうか夜。
部活帰りっぽいクロが、見るからにイラっとした顔でずかずかおれの部屋に来て合否を聞いていって、おれが敢えてメール返さなかったと分かると一発ゲンコツされた。
珍しく真面目に少し怒ってたのが、今も記憶に新しい。
…けど、受かったって言ったら抱っこされて、ワザと子どもにそうするみたいに高い高いされてぐるぐる回されたから、今度はおれが上から一発クロの頭にチョップした。
「おー。似合うじゃーん」
間延びした声で、にやにや笑いながら鏡越しにクロが言う。
部屋にある全身鏡の前で、この間届いた制服を着てみていた。
中学の時と同じくブレザー。
何てことはない。
立っている俺から少し離れた後ろで、ベッドに寄りかかって座っているクロが見てた。
…音駒の制服は、本当に普通。
特別デザイン的でもなければ、レトロでもない。
着やすくて楽かも。
「色変わっただけだし」
「それでも新鮮だろ」
俺は勿論袖を通すのは初めてだけど、クロの制服姿を見ていたせいかそこまで新鮮でもない。
前々から自分も持っているような感覚だ。
裾を少し下に引っ張って、長さを見てみる。
…別に問題はないみたい。
少し大きい気がするけど、それは今後の成長を見越しておく。
「因みに、バレー部のジャージ赤だから」
「知ってる。クロ着てたし。…もう脱ぐ」
「ちょい待て」
制止の声がかかって、振り返ると両足投げ出してたクロがちょいちょいと手招きした。
この狭い室内でわざわざ手招きする意味ある?
…などと思いながら、示されたとおり近づいていく。
クロが自分の膝を叩くけど、乗らないからね、膝とか。
クロの隣に腰を下ろす。
苦笑して、クロの長い指がおれの襟にかかった。
ネクタイだ。
…顎を少し上げる。
「タイが曲がってますよー」
「どうでもいいよ。もう脱ぐ、し…」
言ってる途中で、タイを直し終えたクロの指がおれの顎下を撫でる。
別におれ猫じゃないけど、昔からなんかそこちょっと好きで、思わず目を伏せて、クロの指を少しだけ閉じ込めるみたいに顎を引く。
…気持ちいい。
脱力したおれを見逃さず、クロが急におれの腕引っ張って、結局膝に乗せられた。
横腹から前に腕を通され、抱っこされながらぐったりする。
クロ大きいから、抱っこされるっていっても、まるで背中に壁があるみたい。
高校に入ってから、更にそんな感じになった。
「…。なに?」
「んな嫌な顔すんなよ」
「制服皺になるよ」
「いやーいいなー。制服でいちゃつくのー。それっぽいなー」
「聞いてよ…」
「高校生ねえ…。大きくなったなー、研磨ー」
「…」
聞かないクロに抱っこされたまま、沈黙の数秒。
こっそり振り返ると、クロと目が合った。
大体、にやにや意地悪い感じで笑ってることが多いけど、今日はなんか…普通。
たぶん今日は、何もしない日。
「…。四月になったら、本当にするの?」
「何を? セックス?」
「そう」
「するする。お前が高校入ったらっつっただろ。…いやー。よくぞ耐えたわ、俺」
何でもない感じで、クロが目を伏せて何故か得意気に肯定する。
…するんだ。
まあ、いいんだけどさ…クロがしたいなら。
「別に耐えなくてもいいけど」
「中坊とか、体できてねーっつーの。今後の成長を見越しての保留」
「三月末と四月で何が違うの。…ていうか、挿れてないだけで、やることやってるし。そんなに違う?」
「イヤイヤ全然違ェから。気持ちいーぞ」
「ふーん」
「まあ見てろよ。…勘だけどな、たぶんお前、スゲー嫌いだわ。セックス」
「へー…」
面倒臭そうだなって気はしてる。
クロが言うなら、きっとそうなんだろう。
…やだな。
やだけど、なんかすごく楽しみにしてるっぽいから、拒否ろうとは思わない。
それに、おれも興味くらいはあるし。
「さて、と。…んじゃ、研磨。高校でもまたまた宜しく」
「うん」
「今度からは二重の意味でだけどなー」
「…」
ぽんっ…とおれの頭に手を置いて、わしゃわしゃ撫でる。
クロの手は大きいし体温高いから、気持ちいい。
ここがおれの場所って思う。
…離れていく手を見送るように、顎を上げてクロを見上げる。
「…うん」
小さく応える。
クロは小さく笑って、ひょいと指の背で更におれの顎をあげた。
…うん。
キスはもう慣れた。
最初はびっくりしたけど。
クロの顔が近づく前に、目を伏せて薄く唇を開けた。
二年間は、またクロと一緒だ。
でも二年なんてあっという間なの、もう知ってる。
だから出来る限り、高校のこの時間も、クロの傍にいようと思う。