「――研磨!」
「…!」
夜久の声が響いた瞬間にはもう遅くて、相手チームからのスパイクが腕を襲う。
バチン…!と、素人みたいな音を立てて、ボールはおれの腕に当たるとコート外に飛んでいった。
タッチアウトの笛が鳴る。
…あー。
おかしいな。
いくら勢いがあっても角度さえ合っていればレシーブって大体取れるんだけど、やっぱり回転無いと違うみたい。
なんか、取る時の音変だし。
自分の腕を見ながらぶらぶらさせていると、次のサーブまでの短い間、虎が駆け寄ってくる。
福もこっちを見ていた。
「オイ、大丈夫か?」
「…うん」
「スゲー狙いだしたな、お前のこと」
「うん。…たぶん、この中では一番おれがレシーブヘタなんだと思うから」
そこまでヘタなつもりはないけど、やっぱりウチのレギュラー陣で最も崩す入口として適しているのはおれだと思う。
セッターって、あんまり一球目取らないし。
みんなと比べると、単純に経験の絶対数が違う。
おれが向こうのチームだったとしても、たぶんおれを狙うと思う。
ネット下のとこで、海も犬岡も気まずそうにこっちを見ている。
「研磨。大丈夫?」
「…何が?」
「さっき顔面に当たったの、少し恐怖心出てる?」
気遣うように海が微笑む。
ついさっき、ネット越しだけどおれの顔面にスパイクが当たったことを気にしているらしい。
ブロック跳んだけど、結局相手のスパイクミスってて、ネットに当たってそれがおれの顔に当たったんだよね。
でも別に、気にしてない。
「平気…。鼻血とかも出てないし…少し赤くなっただけ」
右手の指先で鼻の頭を少し触れる。
ひりひりするけど、それくらいだ。
一回試合を止めて確認したけど、眼球もちゃんと動いたし、視覚に問題はなかった。
虎が、ギロリと相手チームを睨む。
「あいつら、マジ最悪だな」
「え…。何で。別にルール内だからいいと思うけど…」
「テメェの心配してんだろーが!」
「どうする、クロ。休ませる? 芝山の経験にもなるし」
「…」
ネット下のクロが両手を腰に添えておれたちのやりとりを傍観していた。
少し間を置いて、クロが人差し指でおれを弾くようなジェスチャーをする。
「お前、ちょっと端寄ってろ。…山本、福永。フォローな。次で切るぞ。意地でも上げろ」
「オオッ!」
「…」
虎が吠えて、福がこくりと頷く。
「…で。3番だったか、お前の顔面打った奴」
クロが溜息のようなものを吐いて、ネットの向こうの3番を睨む。
ピリ…と首の後ろの産毛が立つ。
…あ。本気だ。
どっちかっていうと守備面強いのがウチのチームだけど、攻撃できないワケじゃない。
どのチームにも、見えない攻守のレバーがあると思う。
それがいつも守備に入っていて相手の穴が見えてから攻撃に入るのがいつもの…だけど。
…元々、性格として好戦的な奴多いし、ウチ。
「狙うぞ」
右肩を回しながら低く言うクロに、みんなが声を上げて返事する。
ガラリとコートこっちがわの雰囲気が変わる。
冷静に状況を見ようとか、穴を探ろうとか、拾ってチャンスをとか、そういうのじゃない。
攻撃モード。
イジメモードともいうかもしれない。
…でも、みんながそうしたいなら、おれもやるだけ。
「…」
虎が、来いやァ!と気合いを入れて叫びながら体勢を低くするのを横目にして、相手がサーブを打つと同時にぽてぽてネット下に移動する。
だって、きっと上げるし、虎。
意地で危うくあがったボールの下で、ぽん…と軽くジャンプ……に見せかけて、着地してから、トス。
…からの、速攻。
「――!」
スローモーション。
相手の選手のうち、何人かがビクッとしたのが肌で分かる。
一瞬の世界。
残像の世界。
おれが見た気になってるのは、いつも一瞬過去の映像。
ボールの影から視界が開けた頃には、クロの大きな体が宙に跳んでて、ボールはとっくに向こうに飛んでて、床を勢いよく叩いている。
…けど、その残像ですら、天窓の逆光でシルエットしか見えなかった。
それでもやっぱり、打ってる時のクロは、格好いいと思う。
構えていた相手3番の右肩スレスレを通り、爆音のような音でアウトライン内側を打った。
誰も、反応も出来ない。
――ピー!
笛の音。
ざわ…と相手チームが揺れる。
ガラリと雰囲気の変わった一発は、ちょっとびっくりして当然だ。
ネットのこっち側は、一気に歓声。
宣言通り虎が上げ、クロがドギツイスパイクを3番にまずは一発打って決めて、サーブ権がこっちに戻ってきた。
みんながクロとタッチする。
顎下の汗をユニフォームの裾で軽く拭いてるクロが、ポジションに戻りながらおれに近寄ってくるから、片手を差し出す。
「当たらなかったね」
「もーちょい右だったな…。顔面って意外とムズいんだよな。…まあ見てろ。やってやるよ」
おれも擦れ違いざま、軽くクロとタッチしながら視線も合わせずに一言交わす。
おれから離れる時、ぽん…と頭を一度緩く叩いた。
…けど、次に虎がスパイクをネットに引っかけて、また相手ボール。
犬岡と入れ違いに夜久が入ってくる。
タッチする瞬間、既に疲れた顔をしていた。
「大丈夫か、研磨」
「…うん」
「そっか。…しかし、相手も止めときゃいいのになぁ。選りに選ってお前にに喧嘩売るから…。 可哀想な奴」
おれもそう思う。
夜久が疲れたように腕を回してから、腰を落とした。
「さて、と…。まーそんじゃ、連中のストレス堪る前にとっとと取られたオモチャ取り返してやんねーとなー…」
前屈みで両手を膝に置いて俯くように深く溜息。
けど、次に顔を上げる時、夜久だって目がすごく鋭くなること、おれは知ってる。
ネットの向こうを見た。
相手の3番に同情しつつ、ゲームはまた動き出す。
徹底的に狙われ出せば、勿論萎縮して普通だろう。
ご愁傷様。
「うわー。まだ赤いですねー」
「冷やせ冷やせ!招平、濡れタオル!」
「…」
「鼻血でなくてよかったな、本当」
「移動しても全然大丈夫? 目眩とかもない?」
「目は恐いんだよなー。…眼科行かなくて本当に大丈夫なのかなぁ」
試合が終わり、次は一試合分空き時間だからちょっと余裕がある。
体育館の端…正面玄関周辺に移動して座ったおれの周りを、みんながぐるりと囲む。
みんな身長あるし、壁みたい…。
平気だって言ってるのに聞いてくれなくて、福から受け取ったタオルを虎がおれの鼻に押し当てた。
むぐ…と口も鼻も押さえられる。
ボールが当たった痛みよりも、今押し当てられた圧力で痛い。
「冷却スプレーでも吹きかけるか」
「山本…。それ冗談でも止めようね」
「…あ、クロ戻ってきた」
カシャカシャ無意味にスプレー振る虎の横で、夜久が顔を上げて言う。
夜久の声に、みんな一斉に顔を上げた。
アリーナの方から戻ってきたクロの姿が見える。
前屈みになっていた海が背を戻して、距離のあるクロに声をかける。
「謝ってきた?」
「おー」
試合の最後、クロの打ったスパイクが3番の額に当たった。
当たり方は悪くなかったと思う。
変な音しなかったから、普通に額にボン…!と当たってボールが飛んだ感じ。
普通に、当たり所の悪いタッチアウト。
バレーボールって、変に当たると変な音がするからすぐ分かる。
たぶんあんまり痛くはなかった…と思う。
けど、当てたことは当てたから、試合終わってから謝りに行ってた。
がに股でしゃがんでいた虎が、吐き捨てるように顔を歪める。
「謝る必要ねェんスよ、あんなん。…クッソ、顔面ぶっ放せなかった!せめて同じことやり返さねえと気ィすまねーっス。マジ夜道照らせんぜっつーくらいトナカイ刑にしとかねーと!」
「けどねえ…。同じことって、山本がネット越しの顔面狙ったせいで二点落としたんだからね?」
「そーですよー猛虎さん。ネット下とか、フォロー難しいです!」
「う…。…イヤ、だって!研磨顔面じゃねーか!イっとかねーと悔しいだろ!!」
「まあ、練習にはなったよね。ネット下の」
困ったように笑う海。
…ああ。
それで虎、さっき妙にネットかけてたんだ。
調子悪いのかと思った。
じゃあ、今の試合のスパイク成功率は今までの数字と合わせないでおこう…。
黙っていると、クロが近くまで歩いてきた。
途中で芝山がジャージを渡して、それを右肩にひっかける。
おれの周りを囲っていたメンバーが道を開け、座っているおれの正面でクロが足を止めた。
背が高いから、自分が座ってるといつもの二倍くらい背が高く陰って見える。
…首が疲れる。
「…大丈夫か?」
「うん」
「痛くねェの?」
「痛くない」
「目は?」
「見えてるし、チカチカしてないよ」
「ふーん…」
クロは気のない返事をして、じっとおれを見下ろしてから、ふい…と顔を背けて周りを見る。
いつの間にか屈んでいた虎たちも立ち上がっていた。
「次は空きだな。各自分かってるとは思うが、さっきの試合は良くなかった。スパイク数に対して実際に点に繋がる率が低すぎる。敢えて人んトコ狙って打ってるからとはいえ、何だかんだで拾われまくった。それぞれ持ってる数字下がっただろうから、数字出たら自分の打率見とけ。練習前に盛大に反省すんぞ。あとたぶんコーチの雷が来るだろうから、覚悟しとけよー。……とはいえ、お前ら」
そこでクロが一息置いて顎を引き、にぃっと悪い顔で笑う。
「良くやった!」
その声に、一二年がわ…!と沸く。
色々な声と同時に頭上で交わされるハイタッチ。
海と夜久がそれぞれの顔で苦く笑っている。
座ってるおれからすると林みたいなチームメイトを両手でタオル持ったまま見上げていると、クロが少し背を屈めておれに右手を差し出す。
「ん」
「…」
差し出された広い手に、持っていたタオルから指を離し、おれも右手をそろそろ上げる。
おれから手を握るのが遅かったのか、指がクロの手に触れる前に、ぐっと手を握られて引っ張り上げられた。
ふわ…と一瞬体が浮いたような感覚。
遅れて、ちゃんと足に体重がかかって自分の体重を思い出す。
一度自分の足を見下ろしてから顔を上げると、さっきよりも近づいた距離で悪戯っぽくクロが笑う。
「おーおー。お前、鼻の頭皮剥けてんじゃーん」
「…いたい」
人差し指でぐりぐり鼻の頭を押されると、さすがにちょっと痛い。
眉を寄せながらクロの手を払っていると、虎が横からおれの肩を叩いた。
「絆創膏貼るか、絆創膏!」
「…」
「いらないよ…」
虎の横から、さ…と福が絆創膏を一枚これ見よがしに示すけど、いらないから。
鼻の頭に絆創膏とか。
ないから、それ。
「久し振りだね。それぞれ感情任せに狙って試合したの。的があると自分のコントロール力が分かっていいね」
「ま、たまにはいい刺激かもな。…性格悪過ぎだけど、俺ら」
「まあまあ。やれらたら取り敢えずやり返さないとね。さっきのは怒っていいところだよ。こっちだってルール内だし」
海と夜久が笑う。
おれたちの様子を横で楽しそうに眺めてから、クロは肩にかけていたジャージを広げて袖を通した。
声を張る。
「うーっし。移動すんぞー!」
間延びしたその指示に、ウィーッス!…ってみんなが返事する。
歩き出したクロに合わせて、それぞれ一歩踏み出す。
まずは反省会。
それからコーチからのお説教。
クロを先頭に、おれたちは荷物が置いてある場所へ歩き出した。