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「…あれ? お前だけか?」

DVD片手に開けっ放しの部室のドアをくぐると、いつもの定位置でちょこんと膝を抱えるように小さく座って早速ゲームしてる研磨以外は誰もいなかった。
夏休み。
午前中の部活が終わっての部室は蒸しに蒸してやがる。
都立とはいえ学校設備はかなりいい方だが、どういうワケか部活棟はそうでもない。
体育館にはあるが、流石に部室にはクーラーは無いし、あっても残念ながらすきま風で結局あんま意味ねえだろうことは想像に易い。
山本の欲しがっている美人マネージャーもいないせいで、男所帯のウチの部室は基本的に我慢ができる程度の心地いい乱雑さで包まれている。
誰もいないのをいいことに、部室で一台しかない扇風機を定位置から自分の真横に持ってきている研磨は、ゲーム機の画面から目を反らさないまま口を開いた。

「みんなご飯買いに行ったよ」
「あー。流石に急だったか、視聴会」

言いながら片手に持っているDVDケースをぽんと一度宙に放ってキャッチする。
次の対戦相手のDVDだ。
昨晩ネット上を彷徨いていたら思った以上に相手チームの動画が上がっていた。
撮影している方はそんな気は無いんだろうが、いい映像情報だ。
ご苦労、巷の一般人どもよと思いながらいい試合の動画だけ落とさせてもらって、知んねー奴もいるだろうしってことで見せてやろうと思ったわけだ。
ガッツリ時間取って見るチームもあるだろうが、生憎ウチはそーでもない。
基本的に監督もコーチも俺らの自主性を重んじて、ハズレそうな時だけそれとなーくフォローするようなタイプの指導者だし、主に俺ら主導でやる以上、真面目に見はするがメシ食いながらとかボール磨きながらとか、そんな感じだ。
部室で映像流すから、見たい奴だけ見ていけーと棒読みで練習上がりに言った時は殆どの奴らが見ていくという話だったが、要はメシを持ってきてねえわけで、コンビニかどっかに行ったのだろう。
戻ってきたらみんなで食いながら見ればいい。
ケースの側面でトントンと自分の右肩を叩きながら、研磨の傍に歩いていく。

「お前は?」
「…お腹空いてない」
「とか言った相手が夜久か山本あたりなら何か買ってくんだろーな。…つーか俺にも聞けよ、あいつら」

部室の端にある、古びたアナログテレビの両側を掴んで、向いている角度を直す。
デジタル化はしてない。
思いっきり再生用だが、何と今は幻になりつつあるビデオテープも再生できるという優れもの。
…ま、使わねえけどな。
焼いたDVDは家で再生して確認済だが、如何せん部室のこのテレビは年代物だ。
ちゃんとここで再生できるかどうか軽く確認しておこうと、テレビの前に屈み込んでコンセントを入れてデッキの電源を入れる。
それしながら、ついでに研磨の真横にある扇風機の角度も直し、俺にも風が当たるようにしておく…というか、俺メインで当たるようにしておく。

「あちー」
「…」

素知らぬ顔でデッキの中にDVDをいれていると、研磨がのそのそ座ったまま横に移動して俺の傍までやってくる。
風目当てなのは言うまでもない。

「あちーな」
「うん…。なんか動けないし」
「お前マジ水分とカロリーは取っとけって。シャワールーム使えば? 若しくは水かぶってこいよ」
「めんどい」
「つーか汗拭け、汗」

傍まで来た研磨を何気なく見れば、首筋を汗が流れていた。
まだ制服に着替えているワケでもないし、拭いてすらいないんだろう。
練習上がりにだいたい連中は水道で頭から水かぶったりするが、研磨はそれもしねえしな。
首にかけていたタオルで、横から拭いてやろうとその首筋をなぞると、ぴくりと研磨が反応してゲームをしていた手を下げた。
首にかけてはいたが、一度水で湿らせてあるやつだし、乾燥している汗拭きタオルとはまた違う。

「…なにそれ。冷たい」
「濡らしてきたからな」
「拭く用じゃないの、それ」
「元は拭く用だったがジョブチェンジした」
「ふーん…」

正確に言えば、暑さに負けて濡らしたってのが正解だ。
どうせこれだって汗は拭けるし、多少濡れてた方がいい。
持ち帰るときにビニール袋にでも入れておきゃそれでいいだろう。
汗を拭いてやってから、再び自分の首にひっかける。
遅ればせながらテレビの電源を押して画面が馴染むのを待っていると、突然、背後にずし…と重みを感じて吃驚する。
肩越しに振り返れば研磨が背中にまるで倒れてきたように張り付いていて、丁度俺の首の後ろ部分のタオルに額をぺったり添えていた。

「…おい」
「つめたい」
「流石にあちーよ。引っ付くなって」

クーラーがんがんに聞いている場所ならそのまま押し倒して開始だが、こんな蒸し暑い部室の中でよくまあくっつこうと思うもんだ。
とはいうものの、当然払う程に嫌ではない。
これが例えばリエーフや山本あたりがやらかしてきたらコンボ決めて沈めるが、相手は研磨だ。
暑いの嫌いなくせに、随分珍しいことすんな。
一応拒否発言はしてみるものの、特に追い払われないと分かったのか、研磨は動こうとしない。
重みと熱を背中に感じながら、DVDを再生して確認する。

「…この間のとこだ」
「そ。俺らが負けたとこー」

全国行く直前で当たったとこだ。
ベスト8なんて言えば聞こえはいいが、そのベスト8が何校いるんだっつー話。
烏野の澤村とも少し話したが、全国行けねえんじゃ意味が無い。
頂に登れず途中落下なんて誇れもしねえし誇る気もない。
今年のメンツには自信がある。
いい奴ばっか揃ってるし、タッパもある。
もっと上の順位じゃねえと釣り合わねえくらいにウチのメンツは上々だ。
だから尚のこと、8位という中途半端な順位が悔しい。
やり返さないと終われもしない。
テレビの中で映像が流れ始める。
ちょっとの確認のつもりが、見始めると笛の音から始まってボールが流れるところまで何となく凝視してしまう。
屈んでいただけだったところ、その場にどかりと尻を着いて胡座を組んだ。

「…。クロ、負けてくやしい?」
「あ?」

肩に張り付いている研磨が、耳元で小さく問う。
何言いやがるかね…。
ちらりと一度見てから、また画面に向く。

「当然だろ。負けて喜ぶとか、M男か」
「ふーん…」
「全国行けねえんじゃ話にもなんねーよ。お前だって負けるよりゃ勝つ方がいいだろ?」
「別に。どっちでもよかった」
「おいおい」
「だって全国行って勝ってたら、クロとか夜久とか…やめるじゃん。部活」

言われた瞬間、内心固まった。

「だからこの間のは、おれ別に、負けてもよかった」
「…」

テレビを見る視線を固定させたまま、さも大してお前の発言には興味ねえよとばかりに振り返らず沈黙してると、数秒続いた沈黙の後で、研磨が俺にフォローするように足してくる。

「…手は抜いてない」
「分かるっつーの。抜いてたら俺がキレるわ」
「うん。…」

リモコン持ってない片手で、左肩のとこにある研磨の頭をぽんぽんと軽く叩く。
顎を引いて、研磨が目を伏せる。
…ホント、嘘とか吐かねえよな、コイツ。
正直すぎて怒る気にもなれない。
いつの間にか背中に張り付く暑さとかは気にならなくなっていた。
リモコン片手に持ったまま両腕を上から背中に回し、研磨を掴むと自分の前に持ってくる。
持ち上げることは無理なんで、結局俺の胡座の中に上体だけ置くような感じで寝転がった研磨の鼻を、上から指先で突っつく。
眠そうな猫目が、目の前の指先をじっと見詰めてから、その指越しに俺を見上げた。
…。

「次はねえぞ」
「…。知ってる」
「次俺らと一秒でも長くやりたけりゃ、全国優勝だかんな」
「卒業ぎりぎり」
「受験ヤバイわー」
「…」

膝の上に流れてる痛んだ茶髪を片手で梳いて鼻先に持って行ってた指を研磨の口元に移動させると、それこそ猫のように僅かに舐めた。
夏の暑さとは違う熱に、益々体温が上昇する。
頭を撫で直し、キスしようと寝ている研磨の肩を抱いて少し浮かせた。
雰囲気で悟ったらしい研磨が、やる気無く告げる。

「…学校では止めるって言ってた」
「学校時間じゃねーだろ。部活時間すら終了してんじゃん」
「えー…」
「キスだけだっつーの」
「暑いよ」
「お前がくっついて来たんだろーが」

こんだけ撒き餌しといてその気が無いんだから逆に俺が驚くわ。
突然ぐったりしだすが、逃げないんだからまんざらでもないはずだ。
慣れた判断材料を目の前に遠慮無く背を屈めた矢先――。

「ただいまー。なー、クロ昼飯ソバでよか…――」

開けっ放しのドアの方角から、夜久の声が唐突に響いて固まった。
舌打ち気味で振り返れば、入ってきた本人も言葉途中でドアに片手をかけたままびしっと固まる。
一拍おいて海も入ってくるが、こっちはおや…という顔だけで夜久ほどの衝撃は受けないんで問題無し。
問題の方は、高三男子にしては童顔なその顔に、見る間に青筋が入っていく。
…そーゆータイミングで来るよな、お前ら。
ぱっと研磨を離し、腕から膝へぼとりと落とす。
膝枕くらいだったらそこまで珍しくもないんで、ここまではいいだろう。

「…」
「タイミング悪かったかな?」
「見りゃ分かるだろ。悪すぎ」

海と一言交わす。
集団先頭で来てたらしい夜久たちの後ろから、わいわいと連中の声も響いている。
どうやら帰ってきたらしい。

「つーかだから、そのバーコード読むんだろソレ」
「けどその前にアプリ取らないとじゃないっスかね?」
「ちょっと貸――…うおぅ!?」

山本とリエーフの声がすぐそこまで来たが、姿も見えないうちに、後ろ手に夜久が部室のドアをバァン…!と片手で閉めた。
ガラス越しにうっすら連中の影が戸惑ってんのが見える。
何だ何だとドア越しの背に疑問が飛んでるのを無視し、ご機嫌斜めの夜久が額に血管を浮かせてるのを傍観気分で眺める。

「おーまーえーはぁ~!」
「何だよ。未遂だっつーの」
「部室で未遂をやらかすな!とっとと離れるっ!」
「あー…ハイハイ」

うっせーのに見られたと気落ちする俺の膝から、妙に夜久の言うことは無言で聞く研磨がのそのそと移動する。
そのまま俺と距離を取り、いつもの定位置に移動すると扇風機をまた自分の方へ向ける。
…クソ。
雰囲気取ってねーでとっととキスしときゃよかった。
こっちもこっちで妙に俺ばっか目の仇にしてる夜久が、俺の方を睨みながら片腕を振るい、閉めた背後のドアをまた唐突にバァン…!と開ける。
すぐ目の前にいた山本たちが、一瞬びくっと反応した。

「うお…!?」
「あ、開いたー」
「ただいま戻りましたー!」
「研磨!ほらメシ選べっ、山本たちが買ってきてたぞ!」
「え、てか何で今夜久さんドア閉めたんスか?」
「…おれ昼いらない」
「駄目!食え。体力落ちるだろ」
「オイ研磨!いらねえって何だ、いらねえって!折角買ってきてやったんだろ!?」
「…」
「ねえ夜久さん、何でドア――…」
「うるっさい!!だから慣れ慣れしいんだよお前は!先輩のティシャツ引っ張って振ってんじゃねえ!」
「あはは、確かにー!夜久さんちっちゃいから俺が引っ張ると背中見えちゃ――ッ…てえええっ!」

メシいらんとか拒否ってる研磨にコンビニの袋片手に山本と福永が詰めより、夜久はリエーフの尻を思いっきり蹴り飛ばしている。
一気に騒がしくなり、一気に暑苦しくなる。

「クロ。勝手にソバ買って来たけど、それでいい? 嫌だったら俺の冷やしラーメンか夜久のサンドイッチと交換で」
「おー、サンキュ。全然いいわ」

傍に来た海が持っていた袋を開いて、中に入っている弁当を見せた。
何も言わなかったしラインも送ってなかったが、ちゃんと買って来くるあたり流石だ。
分かってんね、我がダチよ。
阿吽の呼吸ってやつか。
海から弁当を受け取り、改めて喧しい部室を見回した。
…さっきまでの雰囲気はどこへやらだ。
苦笑して掌の中のリモコンを軽く宙へ放りながら、急激に騒がしくなった部室を見回す。

「クソうるせー」
「活気があっていいよね、ウチは」
「ハイハイ!騒いでないでテレビ見える位置に集合しろー。メシ食いながらでいいからちゃんと見る!…クロ、映像流れてんじゃん。戻せよ」
「おっと」

ドア付近で俯せに倒れているリエーフの腰に片足を乗せたまま、夜久が手を打って場を仕切る。
言われた通りにぞろぞろと連中が集まってくるんで、比較的図体のでかい俺はテレビ真正面からは退くことにする。
どうせ俺のもんだし、家帰ってから見直すだろうから今は遠くでいいだろうと一番後ろの長椅子に腰掛けてダレていると、集団の輪から研磨も抜けてきた。
こいつの場合は、単純に人に周りを囲まれるのが嫌なんだろう。
俺の足下まで来ると、椅子に背中を預けて疲れたような息を吐く。
その手にはゼリー状のスポーツドリンクが握られていて笑った。
押しつけられたな。
…ま、そんくらい摂ってもらわないと困る。
俺も袋から昼飯を取りだし、割り箸を割ることにした。

「ソバ食う?」
「いらない」
「あっそ」

割り箸の片方を口でくわえ、音を立てて割る。
そんな頃には、いつの間にか場は静かになっていた。
大して大きくもないテレビが映している同地区のライバル校の試合を、食い入るように連中が見詰めている。
試合の音。
笛とか、ボールをあげる音とか、サーブ音とか、歓声とか…。
…負ければ、やっぱ悔しい。


夏の約束




やり切ったから後悔無いとか有り得ない。
やるからには勝ちたかったに決まってる。
ウチのチームはすげーいいチームで、都内8位止まりとか、無い。
まず都内止まりが有り得ない。
ギリギリ競ってついた勝敗だから、尚のこと悔しい。

「…。オイ、研磨」

何となく、足の先で研磨の太股を横から突っつく。
面倒臭そうに研磨が飲料の口を開けながら、こっちを見上げた。

「全国で一番長くバレーやってやろーぜ。…春まで遊ぶぞ」
「…うん」

こくりと頷く研磨の頭を片手でぺしぺし叩いて、俺もテレビへ向く。
今さっき練習終わってへとへとだってのに、画面越しの笛の音に体が疼いて血が滾った。



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卒業ギリの春までずっと一緒にいたいから、音駒は春の方が強敵。
一歳差って切ないですね。
大学行くから関係が崩れるとかは有り得ないとは思うけれども。
サイト4thでの黒研支持ありがとうございます!
2015.8.2





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