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あの人が欲しいと思った。
クールで平等なあの人の、特別になりたい。
何故なら、それが確実に、"エース"への近道だから。
…いや、と言うか寧ろ、それこそが"エース"だから。

KとLの傾く天秤




「研磨」

体育館入り口で、主将の声が響く。
他のメンバーと同じくコート内で虎さんとパスしていた研磨さんが、その声にぴたりとパスを止め、ワンバウンドで虎さんへボールを送るとそのまま主将の方へ向く。
ぽてぽてというような足取りで…たぶん一応彼なりの小走りでもって、駆け寄っていく。
迎える先には主将の他に三年メンツがいて、研磨さんを迎えるとあれこれと話しているようだった。
途中、夜久さんが研磨さんの頭を撫でて、海さんが笑って、少し距離があるホワイトボードを指差す。
ボードの方に移動する瞬間、主将が研磨さんの肩を…わざわざ自分から遠い方の肩を…ぽんと叩いて歩き出す。
そんな一連の、いつもの風景。

「…」
「リエーフ!ボール!!」
「…! えっ、のわっ!?」

じっとそっちを見ていると、パスが疎かになっていた。
犬岡の上げたボールを受け取れず、反射的に出した片手の先に当たって、ボールは体育館端の方へ飛んでいく。
見当違いの方へ飛び出るボール越しに、たまたまこっちを一瞥していた研磨さんと目が合った。
ふい…とすぐに視線を反らされたけど。

「…。あー…」
「余所見してるからだーっ!」

犬岡が叫ぶ。
うう…。落ち込むっス。
また悪いトコ見られた…。
フツーにしてれば、トスくらいもうデキルんスよ、俺だって。

 

 

 

「…。リエーフ、何してんの?」
「えっ!?」

日が沈んだ体育館裏。
突如声がして、ビクッと身が強張った。
途端に、壁から返ってきていたボールが、腕から零れて地面に落ちる。

「ああああーっ!」
「…!」

思わず声を上げた。
せっかく四十一回続いてたのに…!
コロコロと転がるボールは、かけた声の主の足下へ向かっていくと、その足に当たって止まった。
突如声を上げた俺に驚いたのか、びくっと肩を振るわせていたが、ひょい…と片手でそのボールを掴み上げると、声の主…研磨さんが、両手でそのボールを持ち直した。
掌半分までジャージで覆った両手で、ちょこんとボールを持つ姿は…先輩だからこんなこと言うのアレっスけど…何か可愛らしい。
その拍子に、左肩にかけていた大きなバッグが、ずるりと腕の方へ落ちていくのを見た。
アンダーの体勢でいた俺は、曲げていた膝を伸ばして姿勢を戻す。

「何だ、研磨さんスか…。お疲れーっス」
「おつかれ。…ごめん。邪魔した」
「いやいやいやいや!俺の集中力が無いだけっス」
「自主練?」
「うっス!」
「…暗くない?」
「ヘーキっスよ。慣れてきました」

にーっと笑いかけても、釣られて笑うなんてことはしてくれない人だ。
その代わり、ボールを片手で持って、くるりと回しながら掌の中、上へ上げた。

「特に約束とかない時は、オーバーとアンダー、壁相手に五十回連続したら帰るってしてんス。俺、一人だけずば抜けて基礎力無いっスから」
「…ふーん」
「最初は連続十回がノルマだったんスけど、最近続けられるようになってきました!」

自慢してみても、勿論大した反応は無い。
ぽーん、とボールをオーバーで寄こされて、首を上げる。
星空を背景に放られたボールを、腰屈めてそのままアンダーの腕をつくる。
拾う瞬間、ふわ…っとした。
"これあげる"という言葉をまとっているような、俺の為だけに上げられたトス。

(うわ…)

軽…。
すげ…。
俺へのボールだ、これ…。
いつも試合中とかのスパイクのボールは速攻とか多いし、こんなに柔らかいトスは初めてだ。
一瞬ぞくっとしつつも、それでまた壁に向かって一人パスを始める。
白い壁に、タン タン…と規則的な音が響き始める。
うわヤベ。
格好悪いトコ見せらんない…!
そっちに集中しながらも、こんな機会は滅多にないと、声をかけてみた。

「研磨さんこそ、どしたんスか。もう部活終わって、結構、経ちますけど?」
「…クロが、クラスの用事で職員室に行った」
「クロさんのこと…っとと。…よっ、ほ。…待ってんス、か?」
「そ」
「仲いいっスよね。研磨さんと、クロさん」
「家、近いから」

とん…と物音がして横目で見ると、体育館の壁に、研磨さんが寄りかかっていた。
おお…っ。
行っちゃわないんスか…!
何でか知らないけど、ただそれだけがやたら嬉しい。
思わずそっちに行ってしまいそうな意識を、無理矢理目の前のボールに集中させる。
ヘタなところは見せられない。
でも話したい。

「遅いんスね。クロさん」
「うん。待つの飽きてきた。…バレー、慣れた?」
「うーん…。頑張って、慣れたいっス。アンダー…とか、ほら…っ苦手で。…と」
「リエーフ体大きいからね。…けど、身長だけじゃなくて体力あるし速さもあるし、取れるようになれば守備も広く取れるだろうし、面白いと思うよ」
「けど俺、打つ方が好きっス」
「ふーん…」
「研磨さんのボール、もらえるとすげー嬉しっス。…でも逆に、他の人んトコ上がると、すげーガッカリして」
「…」
「よんじゅはち、よんじゅく……五十!」

ダンッ…!と最後に大きく壁へ上げて、帰ってきたボールを両手でキャッチする。
…よし!
どうだ、という誇らしい気持ちで壁に寄りかかって退屈そうにこっちを見ている研磨さんへ体を向ける。
丸い目が俺をじっと見ている。
割と真剣に、その瞳に瞳を返す。

「できれば、全部欲しいっス。研磨さんのトス」
「え…。無理」

真顔で一蹴される。
うあっ、さすが研磨さん…!
クール!
やっぱり何でか分からないけど、そんな反応もやたら嬉しい。
にまにま顔が緩む。

「バレバレだと、試合になんないじゃん」
「そっスよね!」
「…。何で笑顔?」
「ははっ。さあ、何でスかね。…あ、研磨さんとたくさん喋れてるからっスかね」
「…? いつも喋ってるけど」

首を傾げて、不思議そうにする先輩に、ああ…と胸中思う。
やっぱこの人、気付いて無いんだ。
俺や他の部員とちょっと話が盛り上がりそうになると、大概クロさんが何か声をかけて中断させること。
最初は偶然の重なりかと思って、一回ちょっと試したことがあったらドンピシャだった。
他の三年も、妙に研磨さんがレギュラー以外と話したりすんのを推奨してない感じがする。
研磨さん、元々口下手っぽいところがありそうな人だし、それに加えて周りのガードが堅い。

――"どうしてこの人だけ特別なんだろう?"

見学の時から疑問に思っていたが、理由が分かる前に、俺も段々そうなっている自覚がある。
リベロやセッター候補を除いて、チームの大半がスパイカーだ。
コートに上がれば、誰だって活躍したい。
やるからには、ぶっ飛びたい。
コートの一番。
敵を平伏せる、ゲームを支配する王様。
…けど、そのエースを作るのは、セッターだ。
セッターからの一番の信頼があって、初めてスパイカーは"エース"になれる。

「あんま喋ってないっスよ、俺と研磨さん」
「そう…?」
「そっス!…もっと喋りたいっス。俺…もっとこう…ガーッって!」
「ガー…」
「作戦とか、合図とか。アイコンタクトで通じるようなのが理想っス。だからもっと研磨さんのこと知んなきゃダメだなって思うんス。それ以外も、フツーのこと喋りたいし。…何が好きとか、嫌いとか」

微かな哀れみを含めて、心から告げていた。
部活に入ってまだ日は浅い。
それなのに、こんなに目に見える得体の知れない強固な檻が、現に中にいるこの人には見えないらしい。
この人と親しくなりたい。
この人の信頼を勝ち取りたい。
チーム内の、誰よりも。
"こいつに上げれば決めてくれる"と、他ならぬこの人に思われたい。
そしてその信頼に、全力で応えていくような間柄になりたい。
…そっちにある、今の狭苦しい古びた信頼の檻から抜け出して、俺の所に来て欲しい。
もっと自由にさせてやれるのにって思う。
軽く首を傾げて不思議そうにしてから、研磨さんは瞬いた。

「…食べ物の好き嫌いとか?」
「…! あ、ハイ。そんなのっス!」
「アップルパイ好き、おれ」
「そーなんスか? へえ~っ、意外っス。可愛っスね!」
「…。アップルパイ好きだと可愛いの? なんで?」
「え、だって女子感あるじゃないっスか。…あ、あ。ダメっすか?可愛いとかダメな感じっスか?? …えっと、じゃあ……あ、俺おいなりさんが好きでー」
「…あれ、何がおいしいのかわかんない」
「何か好感度急落下してる気がする!」

「――おい。研磨」

闇夜に一声。
正しく、俺たちの間を斬るような、溌剌とした鋭利な深い声だった。
俺はびっと背筋が硬くなり、対峙していた研磨さんは目に見えてぴくっと反応するとすぐさま背後を振り返った。
バッグを右肩に、両手をパンツのポケットにいれてクロさんが立っている。

「クロ」
「悪ぃな。遅くなった」
「こんな遅いなら先帰った」
「悪ぃって」
「…」

壁から体を浮かせて脇目も振らずクロさんへ寄っていく研磨さん。
突然の疎外感。
圧倒的な差。
ぽつん…と一人佇む俺へ、クロさんが向く。
にっ…と笑う笑顔がいつも得意気に嫌味気に見えるのは、俺の気のせいなんだろーか。

「自主練か、リエーフ。頑張ってんな」
「あ…ウス。お疲れっス」
「おう。でももう暗ェから、区切りいいトコで止めとけ。気を付けて帰れよ。…行くぞ、研磨」
「うん」

研磨さんが背を向ける。
背を向けて歩き出したクロさんに、無情なくらいあっさりと、俺に別れの挨拶も無く着いていく。
哀しいくらい、今、天秤は…あっちが重い。
…例えば試合中、"ここぞ"というタイミングがあったとして、どいつもこいつもいいコンディションであんまり差が無い時に、それでも迷うこと無く判断する材料が、セッターの"お前に打って欲しい"という心一つである時に――。
ボールは、きっとクロさんへ上がるのだ。

「…」

…いいな。
二つの影とたるそうな足音は遠ざかっていく。
あそこは固い。
狡いくらい固いのだ。
悔しくなる。
俺もあんなガッツリした、研磨さんの信頼が欲しい。
あの人に、誰よりも懐いて欲しい。

「…。…うん」

巧くなろう。
先輩らが立ち去ってから、決意をし、一人ボールを手に頷く。
幸い、俺の方がタッパはある。
もう残された時間の少ないクロさんと違い、俺はこれからの時間もある。
悪くないはずだ。
巧くなって、レギュラーになって、チーム内で研磨さんのトスを一番打てる奴になる。
俺は、エースになりたい。
点をもぎ取り、セッターの信頼が欲しい。
あの人の特別になりたい。
エースとセッターとの間に特別な絆が生じやすいというのなら、尚更そうならないといけないし、それを得てみたい。
…いい先輩方だ。
口調や態度は雑だけど、面倒見も良い。
あの二人の間にある、何だか特別そうな関係に、何より当事者の二人が充たされているのも見ていて分かる。
だけど、その先輩方の立ち去った方を、まるで獲物を狙う肉食動物の気分で、俺は双眸を細め闇を見据えた。
近しい未来を想像して、少し、楽しくなる。
…あんな風に、自分が遅くなった時、他人に興味の薄い研磨さんが一人寂しく待っていてくれたらと思うと、それだけで何かうずうずして、空に遠く叫びたくなってくる。

「…。そのうち――」

闇夜に向けて宣戦布告。
今はまだスタート地点だ。
けど…そう。
そのうち、必ず、絶対に――。

「――俺があんたの、一番だ」

 

布告は夜に溶けていく。
どろどろに溶けて、夜毎思い出して、そうしていつかそうなった日、帰り道にそっと、親しげに笑いながら隣のセッターに今日の密かなる布告を教えてやろうと思う。



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リエーフと研磨君。
研磨君にしろ夜久さんにしろ、無遠慮に突っ込んでいけるのは彼の魅力ですね。
クロさんにべったりがなんかむっとしちゃう的な後輩君。
2014.8.15





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