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森然高校での合同合宿。
朝から晩まで、ちょっと嫌になるくらいバレーボール漬けの日々が続くけど、その中で一日くらい、毎年練習が早く終わる日がある。
合宿の中日くらいで、リフレッシュするようにって、いつもより二時間くらい練習が早く終わる。
その日は自主練もなるべく控えるように言われているから、みんな好きなことをするけど、中にはバレー以外に何をしていいか分からなくて困る人もいるみたい。

「うえぇ~…。バレーしちゃいけないとか、じゃあ何すればいいんだと思う?」
「さあ…。宿題とか?」
「うっ…」

困ってる翔陽に現実的に応えてあげると、何故か固まった。
もしかして宿題終わらせてないのかもしれない。
…そういえば、いつかの合宿でも赤点取ったから遅れて来てたっけ。
勉強が苦手なのかもしれない。
だったら、尚更やった方がいいと思うけど。
そう思うのに、翔陽は頭を抱えて天を仰いだ。

「ああーもー!何しよー!!」
「宿題やりなよ」
「…研磨、教えてくれる?」
「え…」

体育館から歩きながらの会話だったから、急に誘われてびっくりした。
…宿題。
翔陽の。
…誰かと勉強するのとかって、あんまり経験ない。
クロとはするけど、それ以外は殆どしたことがなかった。
クロはひとつ上だし、教える側とかは初のいきおいだ。
…一年生の宿題なら、たぶんおれでも分かると思うけど。
きらきらした目で縋るように見詰めてくる翔陽と視線を合わせられなくて、さ…と俯いて両手を組み合わせたり離したりする。

「えっと…。…まあ、暇だから、いいけど…」
「ホント!?」
「…うん」
「ホント!? じゃあさ、じゃあさ!数学とか、英語とか、あと化学とか…!」
「――研磨!」

不意に名前を呼ばれて振り返る。
主将ミーティングで最後まで残っていたクロが、体育館から顔を出していた。
プリントを持った手をひらひら振るから、足を止めて一度だけ、聞こえてるよの合図にひらりと手を振る。
口元に片手を添えて、クロが言う。

「スポドリとか備品たんねー。買いに行くから、付き合えーい」
「ああ…。うん」

呟いて、頷く。
たぶん小さかったからおれの声は聞こえてなかったかもしれないけど、クロはおれの返事を待たずにまたくるりと背を向けて体育館の中にまた入っていった。
…間を置いて、横を見る。
しょんぼりしている翔陽を見ると、ちょっと心が痛い。

「…ごめん」
「宿題…」
「考えれば、分かるよ。だって歳に見合った問題しかでないんだから」
「…!?」
「え…」

いきなり大検の問題解けっていわれているわけじゃないんだし。
そう思って言ったのに、翔陽は何故か隣でショックを受けていた。
その表情が予想できてなくて、おれの方がどきどきしてしまう。
…?
何か悪いこと言ったかなと思ったけど、特別変なことも言ってないと思うから、理由が分からなくてちょっと困った。
理由分からないのに謝るのも変だし。
何でだったのか、今も分かってない。

 

翔陽には悪いけど、部屋に返って、一応持ってきていた一着だけのラフな私服に着替える。
クロを待って、夕方の二時間、おれたちは買い出しに行くことにした。


このくらいの距離




買い出しといっても、大したものはない。
森然高校に一番近いコンビニに行けば、スポドリの粉末も虫除けスプレーも氷も湿布も、監督に頼まれたおつまみもいつの間にか渡されたメモに書いてあるみんなに頼まれてしまったお菓子もジュースも売ってる。
…けど。

「…最寄りののコンビニって言ってなかった?」
「言ってた」
「クロの"最寄り"って何分くらいのこと言うの」
「最寄りは最寄りだろ。最も近い、の意。時間は関係ナシ」

おれと同じく、一枚だけ持ってきた私服に着替えたクロが、隣を歩きながら素っ気なく応える。
その横顔を見るついでに、空を見上げた。
…曇ってる。
夕立が来てもおかしくない天気だから太陽は照りつけていないけど、相変わらず暑さはある。
森然高校の最寄りのコンビニは思っていたより遠かった。
最寄りって聞いていたから、てっきり校門を出てすぐ…少なくとも、所要時間二分三分のところにあると思ったのに、そろそろ十分過ぎるし。
…これ、行きは遠いねって話で終わるけど、帰り荷物とか持ったらやだな。
ジュースとか、重いじゃん。
来るんじゃなかった…。
ちょっとそこまでっていった。
すぐ近くだからとかもいった。

「…騙された」
「ウェーイ。ざまーみろォー」

歩き続けると、ようやく道の向こうにコンビニが見えてくる。
結局、片道十六分かかった。
時間的に人もそれなりにいる店内に入り、早速物色する。
クロがカゴを持って、もう一つをおれに渡してくる。

「ん。…俺あとで金回収する分買うから、お前備品買え」
「分かった」

狭い店内に散って、おれは部費で買うものを集める。
スポドリの粉末、本当ならドラッグストアで買うと安いから、取り敢えず今回の合宿で使う分だけ。
ここ二三日の減り具合を思い出して、大体一日これくらい減るっていう平均を出して残り日数を掛ける。
あとは虫除けスプレー、湿布。
あと、最後に氷…は、最後の最後に買うとして、そこでクロの方へ行こうと姿を探したら、丁度アイスボックスの前にいた。
クロの方へ近寄っていく。
途中で気付いたクロが、おれを見てちょいちょいと手招きした。

「…なに?」
「アイス奢ってやる。一個選べ」
「ほんと? …じゃ、ダッツ」
「ダッツ以外」
「えー」

そんなやりとりの後、横半分に折れるやつを選び取る。
これなら、二人で食べられるし。
たぶんそこまで甘くないから、クロも好き。

「これ」
「んー」

クロがアイスを受け取って、自分のカゴに放り込む。
その後で、アイスを持って少し冷えた手でおれの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
おれの持ってるカゴの中に、最後に入れなきゃと思っていた氷の大袋と部費の入ってる財布を放り込み、レジに向かう。
それぞれレジを通って荷物を受け取ると、やっぱりずし…と重かった。

「…重い」
「頑張れ」

言いながら、クロがドアを開ける。
…と。

「…あ」
「うわ、マジか。降ってきやがった…」

駐車場が黒く濡れていた。
店内は音楽がかかっていて気付かなかったみたいだけど、雨が降っていた。
それなりに強い。
確かに夕立が来そうな気配ではあったけど、帰るまでは大丈夫かなって思ってた。
店内にいた数分間の間に、すっかり空が灰色になって薄暗くなっている。
…雨の中、帰りたくないな。
でも、すぐに止む感じでもない。
どうしようかとぼんやり空を見上げていると、クロが荷物を足下に置いた。

「ちょっと待ってろ」

言うなり、また店内に入っていく。
荷物の番をしながらガラス越しにクロを見ていると、店内に入るなりクロが歩きながら傘を売っているところから一本抜いて、そのままレジに行く。
お金を払ってやりとりをして、出てきたと思ったらまるでずっと前から自分のものだったみたいな感じでビニール傘を開く。
俺たちの財布は持ってこなかったから、きっと部費で一本買うことにしたんだろう。
…けど、色が変わってる。
ビニール傘はビニール傘なんだけど。

「…緑だ」
「珍しいよな。ピンクもあったぞ。敢えてのカラーチョイス」
「差してるの見かけたことあるけど、売ってるの初めて見た」

もう一度店内を覗くと、傘が売っているところに確かに透明、緑、ピンクの三色が立てられていた。
冗談めいた顔で、クロがおれを見る。

「ピンクがよかった?」
「別に。どれでもいい。…じゃあ、荷物」

クロに荷物を渡そうと、屈んで手を掛けた…けど。
思っていた以上に重くて、最初に掴んだ力くらいじゃ持てなかった。
ちらりと中を見下ろすと、たくさんのペットボトルとお菓子が入っていた。
…氷重いと思ってたけど、クロの持ってる方と比べるとそうでもなかった。
ビニールに手をかけて一瞬止まったおれに、クロが傘の取っ手を突き出す。

「お前傘持て。…あとそれな。湿布とか軽めのやつ。あとコレ、菓子類。…んで、氷とボトルは寄こせ」
「重くない?」
「ヘーキ。つーかお前は俺が濡れないようにしろ」
「氷、持つよ」

奪われそうだった氷の入ってるスーパーの袋を、ぎゅ…と両手で持つ。

「…冷たくて、気持ちいいし」

目線を反らしながらぼんやり言ってみると、クロは何も言わずにまた軽くおれの頭を叩いた。
目を伏せて、クロの手が離れるまで待つ。
おれから手を離して、クロが荷物を持ち直した。

「重くなったらよこせよ」
「わかった」
「…よォーし。そんじゃ、帰んぞー」
「うん」

こくりと頷いて、傘を差した。
雨が傘を叩く。
パタパタ…というこの音は嫌いじゃない。
クロが濡れないように、おれからすれば少し高めに傘を持つ。
高く持てば持つほど雨に濡れるけど、帰って一足先にシャワー浴びさせてもらえば大した問題じゃない。

「…アイスの買い食いはできないね」
「だな。…研磨、もう少しこっち入ってこい。濡れんぞ」
「なにやっても濡れるよ」

そう思うけど、言われたとおりクロにくっつく。
腕のとこ密着させると、夏の蒸し暑さとは全然別で、あったかくて心地良い。
緑色のビニール傘の内側から、空を見上げる。
…やっぱり、もうちょっと降り続けそうな感じだった。

 

 

森然に帰って来る頃には、すっかり濡れていた。
屋根のある昇降口に着くと同時に、クロが荷物を置いて濡れたおれの髪を撫で上げる。
足下は無理だとして、クロの上半身が濡れないようにすると、やっぱり背の低いおれは結構濡れた。

「あーあー…。やっぱ濡れたかー」
「平気だよ」
「タオル持って来るから待ってろ」

少し濡れた黒い夏用アウターのファスナーを下ろして左肩にかけ、クロが中に入っていく。
たぶん一度、借りている教室に戻って、タオルを持ってくる序でに誰かを連れてくるんだろう。
言われたとおり大人しく待つとして、下駄箱前の足場に座る。
そのまま少し待っていると、パタパタ…と特徴的な足音が聞こえてきた。
あの足音は知ってる。
…ていうか、もう結構みんなの足音分かる。
あの音は、翔陽だ。

「…あれ? 研磨!」
「…うん」

案の定、廊下の奥からひょいっと翔陽が出てきた。
指摘された通りにおれだから、こくんと頷いておいた。
おれが濡れてると分かると、翔陽が慌てて隣に飛んできて屈む。

「うわ…! どうしたの? びしょ濡れじゃん!」
「…買い出しの途中で雨降った。一応傘差してきたんだけど…」
「タオル持ってくる?」
「今、クロが行ったよ」

すぐにタオルが来るから大丈夫だと伝えると、翔陽も安心したらしい。
…けど、それからじーっと真っ直ぐおれを見詰める。
…。
何だろう…。
何かすごく見られてる。
最初は視線に気付かない振りをして目を反らしていたけど、さすがに気になって、おそるおそる翔陽の顔を見返してみる。

「…何?」
「あのさ、もしかして、緑色の傘差してきた?」
「え…。うん、まあ…ビニールだけど」
「誰かと一緒だった?」
「クロと」

言いながら、視線で下駄箱横の傘立てを示す。
さっさとまとめてクロがそこに置いたから、まだ濡れてる。
おれがそっちを見たから、翔陽もそれに気付いたらしい。
へえ~…と少し驚いたような顔で瞬いていた。

「…。何かあった?」
「え!…いや、えっと!」

何故か焦ったらしい翔陽が、ばたばたと手を振って…でも、最後には自分の首の後ろに片手を添えて言いにくそうに笑った。

「さっき、窓から緑色の傘見えたんだ。誰かなって思って。…でも、男子と女子かと思った」
「…そう?」
「だってすごくくっついてたし、相合い傘だから付き合ってる人達で恋人かと思った。いいなって思って、ここの学校の人かと思った。私服だし。でも、研磨と主将だったんだな」
「…」
「仲いいよな。幼馴染みだっけ? 年上の幼馴染みいいなー!にーちゃんみたい?」
「…うん。…まあ」

悪気のない翔陽の言葉に、淡々と両手の指先を弄りながら、内心少し焦った。
翔陽に嘘はつきたくないから、何か質問されたらやだな。
話を反らそう…と、今持ってきた荷物の買い物袋の中から、おれが買った数個入りのチョコを一つ取りだす。
二粒あげたら、予想以上に喜んでくれた。

 

 

移動途中だったみたいで、翔陽はすぐに体育館の方に走っていった。
程なくして、クロが犬岡を連れて戻ってくる。

「お帰りなさい、研磨さん!…うわー。本当に濡れちゃってますね。私服でよかったですね!」
「…うん」
「研磨、来い」

荷物を回収する犬岡の向こうで、クロが持ってきてくれたタオルをゆらゆら揺らす。
投げてくれる気配がないから近づいていくと、わしゃ…とタオルで頭を覆われた。
そのまま拭いてくれる。

「結構濡れてんなー。悪ィな」
「ぜんぜん」
「犬岡、それ半分置いてっていいぞー。後で俺持ってくしな。連中の分だけ持ってけ。ボトル重くて悪ィけど」
「あ、ハイ!じゃあ、こっちの重いのだけ持っていきますね。あとアイスだけ」
「あ、二つに割るやつ置いてけ。半分できるやつ。研磨のだソレ」

クロの一声で、犬岡ががさがさ袋の中を漁る。
おれが買ってもらった分を一つ取りだして、にんまりこっちに笑いかけた。

「これですね!…ハイ、研磨さん」
「…ありがと」

クロに脇腹のところばさばさ大雑把に拭いてもらいながらアイスを受け取る。

「じゃ、先行きますねー。お疲れッス!」
「おー」
「…」

犬岡が、荷物の半分を持って廊下を歩いていく。
その姿が見えなくなってから、クロを振り返った。

「…。恋人みたいって言われた」
「あ? 何。誰が」
「おれとクロ。翔陽が。相合い傘してたから」
「今さっきいたのか?」
「体育館行くみたいで通った」

本当は色付きの傘で顔がよく見えなかったからとか、遠目に見てクロと並ぶおれの身長が低くみえたからとか、そういう色々な理由を総合しての見間違いなんだろうけど…。
何となくクロに言いたくて言ってみる。
クロは、へーと気楽に頷いた。

「チビちゃんさすがだな。よく見てんなー」
「うん。…翔陽は、興味があるものはよく視てるよ」

クロと話ながら、アイスの袋を開けて中を取り出す。
冷たいそれに手を添えて、パキ…ッと左右二つに割った。
ひとつを、持っていたタオルを首にかけたクロにあげる。
クロは受け取って、すぐに歯で口を開けた。
どちらからとなく立ち上がって、犬岡が行ったみたいにウチが使わせてもらっている教室に向けて歩き出す。
クロは荷物を持ってくれた。
…みんな何処かに出かけたりそれぞれの部屋にいたりしているのか、廊下に今は人気がない。
二人で歩いていると、やがてクロがぽつりと口にした。

「…俺とかアレだな。バレーやっちゃダメとか言われたら、たぶんお前とごろごろする以外何もしねーわ」

クロが何の気負いもなくさらりというから、頷きはしなかったもののおれも無反応に同意する。
たぶん、おれもそうだと思う。
…ていうか、ゲームやってると思うけど、たぶん、クロの傍でやってる。
クロが、廊下の窓から空を見上げる。
まだ雨はふってるけど、明るくなってきた。
じきに上がるだろう。

「…」
「…ん?」

窓を見ていたクロとの距離を、そろりと詰めてみる。
今は傘もないし近づく必要ないけど…。
"恋人っぽい距離"ってどれくらいだろうと思った。
クロのティシャツの脇を握って、さっき傘を持ってた時くらいの距離に詰めてみる。
…これはもう、翔陽の言う"恋人っぽい距離"なのだろうか。
この距離でそう思ったのなら、そうなんだろう。

「…これくらいだと、近すぎなの?」
「たぶんな」

にやりとクロがおれを見て笑う。
アイスを咥えて、荷物を持っていない方の手で、傍に寄ってきていたおれの濡れた髪を撫でる。
思わず目を瞑った。

「世間一般的にはな。…お前、山本とか相手にやるか? こーゆーの」

アイス咥えたまま器用に喋りながら、シャツを掴んでいるおれの手の甲を、クロがぺちぺち叩く。
…ああ。
うん。
やらないかも…。
これは"アウト"なんだ…。
基準分かってないと、翔陽だけじゃなくてみんなが気付くかもしれない。
なんか、おれのクロ相手の普通って、普通じゃないみたいだし…。
おれもアイスを吸いながら、ぼんやり考える。
…じゃあ、少し離れようかな。
す…と一歩横にずれると同時に、シャツを握っていた手を離しかける。
けど、その手首を、クロがぐ…!と掴んだ。

「…!」

ちょっとビックリしてクロを見上げる。
意地悪く笑うクロが、どこか得意気におれを見た。

「いーの、お前は。この距離で」
「でも、バレちゃうんじゃない?」
「そん時はそん時」
「…」

クロがそう言うから、引いた一歩を戻してみる。
いつもの立ち位置。
すぐ隣にクロ。
…この方が、安心するは安心する。
いつもの感じ。
突然言いたくなって、クロを見上げる。

「…。クロ――」
「このタイミングで好きとか言うなよ。マジで喰うからな。夕飯前に」
「…」

なんか言わない方がよさそうなので、黙ることにする。
…何で分かったんだろう。
まあいいや。
アイスを少し食べ進める。

「…じゃ、きらい」
「おーい」

クロが面白そうに笑う。
他に誰もいなかったからだろう。
つられて、おれも少しだけ笑った。
なんか、久し振りの気がした。

 

今日バレーが早く終わったのは、気分転換をするためだ。
だけど、結局いつもと変わらない。
クロの傍にいる。
それだけで、おれはおれでいられる気がした。

おれたちの普通の距離は、きっとこれくらい。



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猫がイメージなら、やっぱり気心許したらべたべたが基本だと思います。
くっついてるの好き。
違和感保たないところがクロさんの教育の賜ですね。
2015.3.8





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