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リスカをしたことがある。
一度だけだけど。
自分が生きているのか死んでいるのか、自分って何なのか、良いのか悪いのか、分からなくなった時があって…。
何だかどこかで聞いたことがあるフレーズのオンパレードで、どこで聞いたんだっけと考えたら、中学でいつか聞いた、自殺を考える特別授業みたなところでだった。
急にリスカを思い出して、カッターで手首を切ってみると、結構難しかった。
皮膚、思ったより固い。
横に切るより、縦の方が刃は入るけど、何かそれだとちょっと違う感じがする。
あと、ちゃんと痛かった。泣くほどじゃないけど。
でも、溢れる血を見ていると、「あ…生きてる…」て思えて、授業で聞いたとおりだった。
ちょっと分かる感じ。
水に着けなきゃ案外早く止まるって聞いたから、パタパタ血の垂れる洗面台の底に蓋をして水を溜め始めたところで、母さんに見つかった。

 

「こぉんの…、大ッッバ カ ヤ ロァー!!」
「…!」

翌日。
学校を休んだ。
部屋にいたおれの元へ、夕方、クロが入って来るなり右手をグーにしてそこに息を吐いて、ベッドに寄りかかってゲームしてたおれの頭にゲンコツした。
ビックリして、ゲーム機が落ちて、しかも手を切るよりクロのゲンコツの方がずっと痛くて、ちょっと泣いた。

I give to you



「…で? 何で手首切ったって?」
「え…?」
「だぁら、何でリスカしたんだ?」
「あ、うん…。なんか…何となく……?」

隣に並んで床に座って、ベッドに寄りかかりながら事の経過を話す。
頭はまだ、だいぶ痛い…。
自然に目のとこに涙が滲み出てきて、それを指先で払いながら話した。
クロは既に母さんから殆ど話を聞いていた。
けど、それは母さんの憶測が多分に含んであって、聞いている途中でクロも「違うんじゃねーか?」と思ったらしい。
…で、直接聞きにいったれってなったらしい。
別におれ、イジメとかはあってないし。
あわないように、目立たないように、頑張ってるけど…。
両手の指を合わせたり離したりしながら、その手元を見つめつつ有耶無耶を語る。
毎日過ぎていくけど、最終的にどこへ行くのかよく分かんないとか、夏はどうして暑いかとか、社会という集団の中で個性ってあんまり意味ないよねとか、何で義務教育って集団教育なんだろうとか、バレーは楽しいけどおれ運動ヘタだし、みんなの邪魔になってないかなとか、今高校生だけど、大学生になって社会人になって、でも最終的に死ぬのなら、今死んだ方が早いし周りの負担少ないしいいんじゃないかなとか、おれがいなくなった後に、誰が俺の代わりにその空いた社会的パーツの場所を埋めるのか興味があるとか…。
つらつら続くおれの言葉を、クロは黙って聞いていた。
時々相槌を打つけど、自分の意見は言わず、ただ聞くだけ。
三時間もすれば、おれの方は取り敢えず殆ど言い終わった。

「――て、感じで…。もやもやしてた…」
「そーかそーか。そりゃご苦労さんだな」
「…うん」

言い終わってほっと一息吐いて、膝を抱える。
隣で、クロはぐでーっと両足を伸ばしていた。
けど、不意に片手を伸ばして、おれの頭を撫でた。

「何か色々考えてたんだな」
「…」
「そんなに考えたんなら、疲れたんじゃねーの?」
「…。うん…」

伸ばしっぱなしの前髪を、親指でそれとなく左右に分けるように撫でるクロの手の下で、目を伏せてじっとする。
そう言われると、自分が疲れていることに気付いた。
…そうか。
おれ、疲れてたんだ…。
ある程度クロが前髪を分けてくれてから、視線を上げる。
直前までとは、全然視界が違った。
広くて、明るい。
その広く明るくなった視界の中で、クロの呆れた顔が大部分を占めていた。

「研磨。腹減ってないか?」
「え?」
「腹減って寝不足だと、同じ悩みでも結果が違ってくるんだと。テレビで偉そーなハゲが言ってたぜ」
「ああ…。うん…そうらしいね」
「だから、悩む時はまず寝てメシ食ってからじゃねーと歪むんだとよ。……あ、そーだ」

不意にクロが立ち上がる。
手が、髪から離れ、離れる指先を追って視線を上げる。

「土産にマック買ってきたんだった。下に置いたままだ。すげー忘れてた」
「え…。なにそれ。アップルパイある?」
「そ。有難く思えよ。おら、来い」
「行く」
「コーラも買ってきたんだが…。ヤベェな。軽く三時間経ってっから、ぜってー氷溶けてるし炭酸ねーだろ」

振り返りもせずおれの部屋を出て階段へ向かうクロの後を追って、おれも部屋を出た。
コーラの氷は完全に溶けてて、炭酸も殆ど無くなってたから、家の炭酸水と氷を足して無理矢理戻した。
アップルパイはオーブントースターでチンしたら、普通に美味しかった…。
…うん。
アップルパイ好き…。

 

 

結局、クロは泊まっていくことになった。
母さんが、クロの家に電話してくれて。

「…狭い?」
「ちょっとな」

クロは背が高いから、おれのベッドじゃ見るからに狭い。
おれも、そろそろベッド買い換えないとなと思っていた頃で、だからクロなんて足がはみ出していたりする。

「おれ、床で寝ようか」
「何で。そこまでする必要ねーだろ。こーやってくっついてれば…」

枕を片腕で掴んで、ぽいと後ろにクロが捨てる。
そのまま、壁際にいたおれの方を向いて、ぐいと近づいた。
電気を消した部屋の中、それでも窓からの明かりを受けて、にっと笑うクロが見えた。

「流石に落ちねーだろ。多少スペースできっし」
「…うん、まあ……」
「ま、落ちるとしたら俺だしな」

ちょっと壁際すぎて、おれが狭い…。
クロが壁際に寝るとおれを蹴り落とすので、おれんちで泊まる時もクロんちで泊まる時も、基本おれが壁際だ。
でも、確かにくっつけばくっつく程スペースができるし、クロがいいならこれでもいいやと思って、クロの様子を窺いながら懐にそろそろと入っていく。
そんな俺の様子を見て、くつくつとクロが笑った。

「…何?」
「いんや、別に」
「…?」
「お前はいつもふわふわしてんのな」

唐突に、象徴的なことをクロが言い出す。
ちょっと珍しい。
きょとんと見上げてもにやにや笑っているだけで、おれは自分で考えてその意味を受け取った。

「…うん。なんか、自分がよく分かんない…。何していいかとか…何すればいいかとか…」
「分かってる奴なんて方が珍しーだろ」
「でも、クロはいつも自分のこと分かってる」
「そうか? 気のせいだろ」
「ううん…。おれ、クロみたいにしっかりしてないから…。だから、どうしていいか分かんないし」
「…」

言ってて、また虚しくなってきた。
おれも、クロみたいに自分に自信が持てればいいのに。
どうしてこの世には、人がこんなにいるんだろう…。
クロとか部活のいい先輩とか同級生とか、そういう人達だけいればいいのに。
そこまでいかなくても、せめてもう少し人が少なければいいのに。
通行人とか、毎日、絶対初対面の人に会わなきゃいけない毎日が、ちょっと辛い。
こんな臆病な自分が、生きていていいのか、消えた方がいいのか、よく分からない。
…呟くように言っていると、クロが不意に片腕をシーツに立てて頭を支えた。
少し上から、俺を見下ろす。

「…お前、自分がどーしていいか分かんなくて、毎日もやもやしてんのか?」
「うーん…。…たぶん」
「へー。……。じゃ、俺がどうしたらいいか、教えてやろうか」
「…え?」
「激簡だぜ。…いいか、研磨」
「…!」

ぽん…と反対側の手の甲で、クロが俺の顎を下から軽く打ち、ちょっとビックリして一瞬だけ瞬いた。
必然的に少し顎が上がる。
一度、ちらりと顎下にあるその手を見下ろしてから、上目にクロを見上げた。

「俺の言うこと聞いてろ」

にぃ…と笑って、クロが断言する。
暗がりの中、細いクロの目がひたと俺を見据えた。
ヒュ…と一瞬、呼吸が止まったような気がした。
そんなことないのに、喉を鷲掴みにされたような気がする。

「リスカはするな。爪も噛むな。俺の為に部活続けて、機会を逃さず、俺に最高のトス上げろ」
「…」
「お前がウザがってる三年はもうすぐ辞める。俺がお前のボールでいいの打てば、周りの連中は羨ましがる。みんなお前に群がってくるぜ」
「…いやぁ、そんなこと」
「いーや。あるね」

はっ…と鼻で笑うクロ。

「考えてみろよ。チームの大半がスパイカーだ。"アレ打ちてーな"って連中が、総出でお前を立てる。視線を奪え。お前が王様だ。全員お前の手足。細胞だ。お前が指揮者でチームの脳だ。…吹っ切れてみろ。最っ高にキモチイーぞ」

クロの剣幕に圧されて、数秒瞬いた。
ぱちぱちと瞬く。
そんなこと、できるのかな。
…けど、クロにいいボール上げたいなと思う気持ちはある。
だって、今のセッターの先輩、あんまりクロのこと分かってないと思うし…。
…。
けど、王様とか、そんなの――。
…視線を下げて、爪を弾きながら呟く。

「うーん…。なんか、その…。…や、だな……」
「何で?」
「んー…。王様とか、ワンマンとか…あんまり、好きじゃない。…だって、チーム競技だし。チーム競技でシングルがない以上、たぶん…やるなら、みんなで…何か、色々協力してやんないと…勝てないようにでき――っぶ!?」

言ってる途中で、ぐわしっと頭を掴まれる。
その後ものすごい勢いでわしゃわしゃと髪を乱された。
ビックリして起きあがろうとしたところを、片腕を腹に回されて逃げられなくされる。
それでもちょっと暴れてみる。
だって頭痛い。

「っ、ちょ…。何、クロ!」
「よーしよしよしっ!偉いぞ研磨。撫でてやっから頭出せホラ!」
「痛い痛い痛……っ!?」

ぎゃいぎゃい騒いでクロの手を払おうと上げた腕。
パジャマ代わりのロンティの袖が下がって、左手首の包帯がはらりと取れた。
びくっとして、慌てて左手を引き寄せようとした…けど。
垂れた包帯に、ピン…とその場の空気が張って、クロの目付きが変わった。

「見せろ」
「…!」

反射的に勢いよく身を起こしたクロが、さっきまでの冗談めいた声から一変した低声で、ぐっ…とその腕を捉えた。
手早く崩れた包帯を取って、傷が晒される。
手首ちょっと下のとこ狙って付けた、縦と横のぐちゃぐちゃした切り傷…。
何か普通は横らしいけど、よく分かんないから縦も切った。
…。
うーん…。さすがに気まずい…。
横たわったまま、片腕だけ上げてじっとしていると、クロが溜息を吐いた。

「また派手にやったな…」
「…」
「痛くねーの?」
「あんまり」
「…へー」
「…!」

しみじみ俺の手首を見ていたクロは、不意に傷を舐めた。
ビックリする。
それに、普通にしてれば全然平気だけど、濡れると傷が滲みる。
生暖かくて、ピリっとして、そのうちじんじんしてくる…。
…。
…あ。
ホントに、ちょっと痛い…かも。

「…、クロ…」
「んー?」
「痛い、それ」
「滲みるだろ? …ははっ。消毒」

これ見よがしにワザとゆっくり下から上へ舐め上げてから、おれの腕を自分の片方の膝上に下ろした。
外れた包帯を巻いてくれる…けど、一度濡れた傷から、痛みはなかなか引かない。
じんじんしてる…。
顔を顰めて黙っていると、ちらりとクロが俺を見下ろして笑った。

「また傷付けたら、舐めて消毒してやっかんな。…マジ絶っ対ェ止めろよ?」
「…、うん…」
「俺の言うこと聞くんだもんな」
「うーん…。じゃ、そうしよーかな」
「具体的には?」
「…。リスカ、しないし…爪とか、噛まなくて…。クロの為に部活続けて、クロに最高のトス上げる」
「チームで協力してチームを強くすんのも忘れんなよ」
「おれ、それ無理だと思う」

他のは何とかなりそうだけど、最後のは難しいと思う…。
クロがやって、サポートするくらいならできると思うけど…。
そこまで話して、身を起こしていたクロがごろんとまた横たわった。
またおれの横腹の上に腕をかけ、おれはおれで、またそろそろとクロの腕の中に入る。
…。

「…横いてやるから、ちゃんと寝ろ」
「あんまり眠くない」
「うるせ。寝ろ。俺が横にいんだから、安心して丸まって爆睡するくらいの信頼見せろよ」

ちらりとクロを見上げると、笑ってた。
片腕が伸びて、上から横髪を梳いてくれる。
…まあ、それもそうだ。
言われるままに何となく安心して、俺も額をクロのシャツにくっつけるように押しつけて、背中丸めて寝る体勢に入った。

 

 

明日から、クロの言うとおり動けばいいんだ、俺…。
そう思うと、何だかすごくほっとした。
分かりやすい…。
分かりやすいことなんて、世の中ほんと少なくて…だからおれはクロが好き。

…いつも寝るのに時間かかるけど、その日は一瞬で寝落ちできた。



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研磨君はあの無力感が魅力ですね。
庇護欲煽るの半端ない。
2014.6.11





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