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「――ねえ。今日さ、黒尾寝癖無いよねー」
「今日ほら、月一の服装検査あったじゃん。引かれなかったけど、先月学主に捕まったんだってさ。…てか、ああやってちゃんとしてればマジカッコイーのに」
「えー。私フツーに寝癖ある方が好きだけどなー。かわいーじゃん」
「そうか?」
「髪降ろすと突然理系男子だよね。…うん、やっぱ髪とか重要」
「そ。重要重要」

「…」

三年教室の並ぶ廊下。
構造は二年の廊下と同じはずなのに、慣れない端っこを目立たないように歩く。
三時間目の休み時間。
辞典を返しに。


いいとこ




何度か覗いたことのある教室。
後ろのドアから中を窺うと、窓際に二人がいた。
前の席のイスを跨いで反対向きで座っていた夜久と、すぐに目が合う。

「お、研磨だ」
「…研磨?」

自分の席に普通に座ってたクロもこっちを向く。
…ほんとだ。
今日寝癖ついてない。
朝学校来る時とか、朝練の時とか、一緒にいたけど気付かなかった。
おれを見つけた夜久が、すぐに席を立ってこっちに来てくれて、その背後でクロも少し遅れて立ち上がる。
夜久がやってきて、ドアに片腕をかけておれの手元を覗き込む。
ずしりと重い、英英辞典。

「辞典、役に立った?」
「たった」

頷いて、シックな赤い表紙の、角で人とか殺せそうなそれをそっと返す。
今日の授業で持ってこいって言われたけど、絶対重いからめんどくさくて持ってこなかった。
何でだか知らないけど、電子辞書じゃダメとかいって。
電子辞書の方が、入ってる単語多いし、引くのも楽なのに…。
何でダメなのか、意味わかんない。
忘れたことにしようと思うって話を虎とかとしてたら、夜久が貸してくれるって言ってくれた。
…結局、授業ではいくつか熟語調べるだけで、みんな時間かかって、予定してた授業の半分くらいしか内容進まなかったみたいだったから、あんまり引かなかったけど。
でも、先生は持ってくるだけでよかったみたいだから、夜久に貸してもらって、十分役に立った。

「…ありがと」
「どーいたしまして」
「なんだ、研磨。辞書なら俺も貸してやったのに」

遅れて来たクロが、横から入ってくる。
…寝癖ないって一度気付くと、妙に気になる。
変な感じ。
じっとクロを見上げていると、クロと夜久が不思議そうな顔をした。

「クロがどうかしたか?」
「…今日、寝癖ないね」
「は? ソレ今更かよ。朝から一緒にいたろーが」
「気付かなかった」
「ええ~?」
「ふざけんなテメー。見ろ今日の俺の優等生っぷりを」

自分の襟を両手で整えながら、クロが言う。
隣で夜久が苦笑した。

「今日、三年服装検査あったんだよ」
「うん…。さっき聞いた」
「とはいえ、朝だけ通れば後はタイとか緩めっぱなしだけどな。…ま、一発芸みてーなもんだよな」
「だよな。マジ意味ねー」
「…」
「…? 何だよ」

変わらずじっと見上げていると、クロが首を傾げた。
少し迷ったけど、言ってみることにする。

「かっこいーって言ってた」
「俺? …誰が?」
「なんか廊下歩いてた女子が」
「へー。そりゃ嬉しーねえ。ありがたいこって」
「ほら見ろ、クロ。みんな言わねーだけで見てんだって。直せよ。格好悪いぞ?」

クロの寝癖をずっと前から直して欲しがってる夜久が、肘でクロを小突く。
クロは悪戯っぽく笑った。

「残念だな、夜久。悪ィが俺はもうその辺の葛藤は過ぎ去ったね。つーか直そうとしても寝癖直しくらいじゃ直んねーし」
「お前の場合、まず寝相から直せって話なんだよ。…なあ、研磨? 研磨もクロが寝癖頭よりも、今日みたいに直ってる方がいいよな?」
「え…。別に」

急に夜久がおれに振るけど、質問の意図がよく分からない。
寝癖あるクロと、ないクロ…。
…。
…うん、やっぱり違いがよく分からない。
何がそんなに違うのか。

「寝癖…あってもなくても、クロだし。クロの好きな方でいいと思う」
「…」
「…」

思った通りに答えると、クロも夜久も少し呆けておれを見た。
何だろうと、ちらりと二人の顔を見比べて、またクロで止める。

「…。なに?」
「いや…」
「あ…うん。人間中身なんだけど。…ま、確かにそりゃそーなんだけどさ」
「…?」
「あー…やべぇ。研磨と話してると自分が何かよくわかんねーもんに染まってる気がしてやべええ…」

返した辞典を持ってない手で、目元を覆いながら夜久がドアにもたれかかる。
よく分からないけど、それを見ているとクロはクロでおれの頭に手を置いた。

「よしよし。偉いぞ、研磨。素直に育って、父さんは嬉しい」
「…誰が父さん?」
「いい子な研磨に父さんがジュース奢ってやろう。…おい夜久。お前何がいい?」
「あ、俺にもくれんの? ラッキー。オレンジジュースでヨロ。100パーの方ね」
「うぃー」
「ねえ。誰が父さん?」

クロが腕掴んで歩き始めるから、おれもドアを離れる。
廊下に出たらすぐ離してくれた。
歩きながら振り返ると、夜久がひらひら手を振っていたから、少し手を上げて一度だけひらりとして、クロの背中へ向き直った。
クロがいれば、見慣れない三年の廊下も怖くない。
…飲み物何にしようかな。
いくつかある自販機のラインナップを頭の中に思い浮かべながら、クロについていく。

 

 

 

廊下歩いて、階段降りて。
自販機ある渡り廊下の手前に至る前に、途中にある全然関係ない進路資料室のドアを無造作にクロが開けて、まるで最初からここに赤本でも取りに来ましたって顔で入る。

「…自販機」
「この後すぐ行く」

ドアの前の廊下で一度足を止めたおれの腕を引っ張って、結局おれも入れられた。
ふわっと本の匂いがする。
ずらりと並ぶ、赤本や参考書。
中央にある古い机の上にある小さな機械に学生証を通せば、図書室みたいに貸出できるから、放課後とかは受験を控えた人とか勉強熱心な奴が取りに来る…けど、流石に普通の休み時間の今は誰もいない。
…何となく機械の方を見ていると、不意に片方の頬に体温。
手の甲で、クロがおれの頬を少し撫でる。

「…。何かそーゆーのあった?」
「あっただろ」
「ないと思うけど」
「俺的にはあったの」

有無を言わさず肩を掴んで背を屈め、クロがキスする。
一応目を閉じてじっとしてた。
残り時間も少ないせいか、珍しく触って音立てるだけのキスだったからよかった。
舌絡めるのはちょっと疲れる。
すぐに顔を離して、わしゃわしゃとクロがおれの髪を撫でた。
鬱陶しいからその手を払って、自分の両手で乱れた髪を梳きながらクロに続いてドアを出る。
そのまま歩いて、今度こそ自販機の前に着く。
じっと飲み物を見上げている間に、クロが夜久の分を買って、次に自分の分を買う。

「何がいい?」
「ミネラルウォーター」
「ボトルかよ」

ツッコミながらも、紙のやつより少し高い500ミリを買ってくれた。
両手で持っててくてく並んで帰って、階段のとこで分かれる。
おれはこの階のだから。
階段に足かけて、クロがおれを見下ろす。

「じゃあな」
「うん」

軽い足取りで階段を昇っていくクロ。
それを見送る必要も特にないから、おれもすぐ自分の教室の方に行こうと爪先の向きを変える。
視界が階段から反れる一瞬、クロと入れ違いに女子が二人降りてきたのが見えた。
背中から声。

「…ねえ。今の先輩格好良かったね。背がすごく高い…。誰だろう?」
「あんまり見ない人だったね。名前調べてみる?」

「…」

クロのそういう話は、クロと一緒にいる機会が多いせいかこんな風によく耳に入ってくる。
変なの…って、いつも思う。
背が高いからいいとか、寝癖なければ顔がいいとか、頭がいいとか。
クロのかっこいいとこは、きっとそこじゃない。
けど、もしかしたら、他のみんなはあんまりクロがかっこいいのとか、知らないのかもしれない。
…。
おれだけ知ってるクロ…とか。

(…なんか、変なの)

ぼんやり思う。
ただ教室に戻る。
それだけなのに、何でだか今だけ少し手持ちぶさたで、手のひらの中のペットボトルを少し上へ跳ねさせた。



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黒さんと夜久さんはクラスメイトなんですよね。
きっとその教室では度々研磨君が目的されてるはず。
黒さんの特別格好いい所は研磨君でないと見られない!
2014.9.28





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